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第四の生き甲斐を探します225 今年一年(後編) [手記さまざま6]

(記事の後編)

去年、転居で生まれ育った家を失い、それに付随して思い出の品を失い、私はこれで失うものは全部失ったと思っていた。まさか仕事までこんなに早く失うとは思わなかった。ところが失うのはこれで終わりではなかった。

以前の記事に書いたが、本家の仏壇処分を分家にも負担させようという、金と自分のことしか頭に無い人間に苦しめられ、その話が再発した翌日に私は痛風発作を再発した。ストレスが痛風発作の一因になるという話を私は疑っていたが、今回はそれとしか思えない。ただし、私が失ったのは健康ではない。

痛風発作の直前、私は久しぶりに株価を調べた。コロナ禍の在宅ワークなど、皮肉にも私があまりに大変で何も出来ない時だけ上がった株価は、また低迷に戻っていた。いつかは売れるようにと指値をした。簡単には売れない値にしておき、毎日チェックすればよい。

そこに心配事が舞い込んだ。土地の権利者の殆どが、安いが買い取りの不動産屋でなく高いが仲介の不動産屋を推したので、家がいつ売れるかわからなくなった。譲渡税にはマイホーム特例があるが、これは家を出てから売れるまでの期間に制限がある。私の場合、もしも制限に引っ掛かってマイホーム特例が使えなくなっても、いつか損切りして売る予定の塩漬け株を売って損益通算すればよい。そのためには、今株を売ってはいけない。そう私は考え直した。

その時、私は通風発作を起こした。私は寝たきりとなり、次に色々なことを始めたのは10日後だった。私は株価を調べ、10日前には予測しなかった上がり方で株価が上がり売れていることを知った。そう、マイホーム特例が使えない時のために取っておこうとした株が売れてしまった。

それ以来、私は土地がいつになったら売れるのかと心配する日々を過ごした。

私の「失う」人生は続くが、失うものは少しずつ小さくなってゆく。まず、生まれ育った家。次に、老後の生き甲斐にしようと取っておいた思い出の品々。次に、仕事と収入。次に、マイホーム特例が駄目な時のために取っておこうとした株。次は、トランスクリプトの月極め音声時間。かなり小さな損失だ。

事の起こりは、ひとりの学生が出席を不正しているのが発覚したことだ。それに対処してから気になって他のクラスも調べたら、他のクラスでもひとり不正をしていた。私はこういうアウトロー連中が元から大嫌いだが、心が潰れている今は更に一層精神に響いた。やがて月始めとなり、私はその月のトランスクリプトを始めた。精神にきている時だからこそ、慎重に行動しようと思った。設定が日本語のままでは駄目だ。ちゃんといつも通りにドイツ語にしなければならない。二度確認した。それから、トランスクリプトに聞かせる音声を選んだ。月始めだから、先に長い音声を聞かせるのが良い。それで残った音声時間を使って後から短い音声を聞かせる。だから私は前回の続きでなく、第二候補である別フォルダの音声をアップロードした。トランスクリプト結果を見て私は気づいた。第二候補はドイツ語でなく英語だった。これで、長い音声時間が無駄に消費され、本来ならば映画3つ分の音声を聞かせられるはずが2つ分となった。

今年失ったものの共通点は、転居による直接の損失でなく、直接の損失により潰された私の心がミスをした結果の損失ということだ。

今年失ったものは、去年の損失ほど大きくない。仕事は、周りの教師と自分の違いに前から気付き、自分をだましだましやってきた。いつかはそれを終えたいと思っていた。それが予定よりも5年くらい早かっただけだ。株は初めから損切りするしかない株価になっていた。これも意図したよりも早く売れただけだ。

この「不運の連鎖」は、今後も小さくなりつつ、まだ少しの間続くだろう。私は来年の3月末までは自分の心が治るまいと推測したが、我ながら正確な推測をしたと思う。


第四の生き甲斐を探します224 今年一年(前編) [手記さまざま6]

私の今年一年はひどかった。転居は去年で、私はそれが終われば良い方向に向かうと思っていた。ところがそれから次の局面が始まった。

次の局面とは何か。局面の違いとは何か。去年の転居は外部から強制されたもので、転居先に置き場所がなく大事な物を処分しなければならなかったのもその強制に由来する必然だった。

それにたいして今年は、去年の転居で潰れた私の心が招いたミス、それが私を苦しめた。

具体的に書かないとわかるまい。本年度の始めに教員のオンライン会合があった。私は自分の心が潰れてまともでないのがわかっていたから、会合を休みたかった。でも仕事だから頑張らねばならないと考えた。この時頑張らなければよかった。会合で、今後教科書、テスト問題等すべてを全教員で統一してゆくという話が出た。私は前からこれが間違いだと思っていた。なぜならそれは、教員の個性を摘み取り、歯車として働かせる思想だからだ。教員相互で自分の特長を伸ばしつつ他人より良い授業をしようと頑張る心を摘み取り、みな同じ歯車として無気力に授業をするきっかけとなる改悪だからだ。こうして私は今後の改悪を考えると未来が見えなくなったが、とりわけ私と相性が悪かったのは、出席関係の統一だった。

大学で出席を点数にするという風潮がずいぶん前からある。もう十年くらい前からかもしれない。私はそれが悪だと思っている。そう思ったきっかけは、十年くらい前の出来事だ。一人の学生が私の所へ来て、出席すれば何点もらえますかと質問した。私は怒りを覚えた。大学は国の最高学府だ。小学生じゃあるまいし、出席するだけで点になるという幼稚な考えは信じ難い。しかしすぐに私は気づいた。この学生が悪いのではない。出席するだけで点数を与えるとんでもない教師がいる。悪はそいつらだ。学生は何も知らない状態でそいつらの影響を受けたにすぎない。

私は、そのとんでもない教師が自分のすぐそばにいるのも知っていた。しかし言い争いをするほど私は馬鹿ではなかった。他人は他人だ。私は私として授業をすればいい。ずっとそれで通してきた。

ところが今年、教員の会合で、出席もいずれ統一するので出席を点数にしているかどうかを全員教えてほしいと専任が言った。自分の周りにとんでもない教師ばかりがいるのを知っていた私は一気に窮地に立たされた。なんで放っておいてくれないんだ。私は争いを起こさないように長年そっとやってきたというのに。

ただ、一番の馬鹿は私だった。前述のように私は心が潰れ、まともな思考ができなかった。そんな自分を何とかしなきゃという頑張りだけで動いていた。それで私は、よせばいいのに次年度以降の参考にしようとして専任に、出席でどんな風に点をあげればいいのか教えてくださいと質問した。そうしたら専任から、では出席しようとしない学生はどうするんですかと質問に質問で返された。私の心が正常なら「質問に質問で返すのはやめてください」と言っただろう。しかし私は心が潰れて他人の言いなりになるしかできない状態だった。その時の私が心のままに振る舞ったなら、怒鳴りつけていただろう。私の周りにいるのは、こともあろうに学生を出席させるために点数で釣るという、最低な教師連中だったのだ。私は心を抑え、その場を取り繕ったが、自分の居場所が無いことが確定した。

この時点で私は退職を考え始めたが、私には最後の砦があった。私にとって学校法人は所詮雇用主にすぎない。以前の職場で学校に感謝しどうしたら役に立てるかと毎日努力した末にリストラされて以来、私は職場のために身を粉にすることの愚かさを知っている。私は学校のためでなく、教え子のために授業をしている。

学校がどんなに愚かな時代でも、教え子は常に私を元気づけてくれた。私は普段以上に教え子に心血を注いだ。ある小テストの平均点が低かったので、私は問題のレベルが高すぎたと後悔し、次は改善しようと思った。次の小テストは、今までの小テストを受けられなかった人のための追加テストだった。テストは出来上がっていたが、私は愛する教え子たちのために夜中に起きて二時間かけてテストのヒントを作成した。次の授業の後で一人の学生が私の所へ来て、「なんで授業をサボっている人を優遇するんですか」と何度も言った。私が追加テストにヒントを付けたのが気に入らなかったらしい。病欠の人が不利にならないようにと私が頑張って作った追加テストが、その学生には小テストをサボった人が後から受ける追加テストと感じられたらしい。私は学生からこんなひどいことを言われたのは初めてだった。私の心の最後の砦が崩壊し、私の退職は確定した。

そのことを親に話すと、それなら仕事を辞めるために、私の病気の介護を口実にしなさいと言ってくれた。心の潰れた私には、教師や学生に反論するような気力はない。介護を口実にしてそっと退職するのが正しいと思った。

(記事の前編おわり)


第四の生き甲斐を探します223 フラットベッドスキャナ内部にホコリが入るまで5ヵ月 [手記さまざま6]

私がフラットベッドスキャナを買った後ネガスキャンを急いだのは、スキャナ内部にホコリが入る前に大事なスキャンを済ませたかったからだ。先代フラットベッドスキャナの時は、私はそんな問題を知らなかったので、能天気に何年も放置しつつスキャンし続けた。その結果、気づいた時はガラス面内側が煤け、ガラス面に近接する何かの機械が移動する道筋だけ煤けずに線になり、それがスキャン画像すべてに写り込んだ。だから私は新しいスキャナではスキャン結果の劣化を気にした。

新フラットベッドスキャナを使い始めてからちょうど5ヵ月経った今、アクリル板の内側に小さな糸屑のようなゴミが入り始めた。ガラス面をこすっても取れず、移動すらしない。表面のゴミではない。ゴミが入り始める時期は予想よりも早かった。

さっき私はアクリル板と書いた。その前はガラス面と書いた。ここに今回の大問題があった。私の先代フラットベッドスキャナはスキャン対象を置く面がガラス板だった。だからハンカチでこすっても静電気が起きなかった。ところが新しいスキャナはスキャン対象を置く面がアクリル板だ。最初のうちはそっとゆっくり撫でていたが、つい強くこすってしまって一度静電気が起きると消えてくれない。ハンカチを近づけると、ホコリを取るどころかハンカチのホコリがアクリル板に吸い寄せられる! アクリル板の端からもう一方の端までハンカチを離さずに動かしてホコリを一方へ寄せるという努力をしたが、やがてそれでも拭いた後にホコリが吸い寄せられるほど静電気が強力になり、最後は静電気を帯びていない自分の手でぬぐった。ホコリが取れた瞬間に、次のホコリが吸い寄せられる前に冊子を素早く置く。疲れる作業だった。


第四の生き甲斐を探します222 「J」の「承」終了記念 [手記さまざま6]

今日は映画「J」を起承転結に分けた「承」まで訳し終わった記念の日だ。まだ1か月後の再チェックをしていないので本来UPできないが、記念の日だから何かしたい。未チェックだから、以下の文は後日修正する可能性がある。

映画の始まりから1時間くらい経った所。タカハシJr.とアンナがカティアの家から逃げて、安宿へやって来る。宿の人がバイエルン方言で喋る:

Und i hå immer denkt de san gelb de Japaner.
Wås der bloß da drum mit der Frau måcht!
いつも思ってたんだけど 日本人って黄色い
女と一緒に汚し回ってくれたこと!

Denk an Pearl Harbor.
パールハーバーを忘れるな

Wea is des?
それ誰

上の文は、まだバイエルン方言と標準語が混ざっている。ウィキペディアで調べられる範囲はバイエルン方言の表記に直したが、まだまだ私の知らない部分がある。前に書いたが、私には教えてくれる先生がいない。どこまで行っても不完全だ。でも学習は面白い。

i håはich habe。denktはgedachtで現在完了形になっている。なんと、バイエルン方言では過去分詞にgeが付かない!

de sanはdie sind(だと思う)。

aの上に丸が付いているwåsは、どうやら口の開き方が小さいようだ。

wea is desはwer ist das。

第四の生き甲斐を探します221 書ける時に記録を残しておく デジタル化編 [手記さまざま6]

あなたは、ご自分が大事にしてきた所有物を処分しなければならない時、写真撮影や録画・録音でデジタル化してパソコンに入れ、安心したことがありますか? 私には、そうした時がありました。処分しても、デジタル化した物を鑑賞して懐かしむことができる、と思っていました。

実際にはどうだったか。私の場合、処分した物を妙に気にしなくなりました。デジタル化の時、あれほど一生懸命作業したのに。

そのうちに私は気づいたことがあります。私が生き生きしていたのはデジタル化の時。大事な物を出してきて時間をかけて物を扱っていた間。私は目的であるデジタル化後の画像・映像・音声が大事だと思い込んでいましたが、実はそうではなく、大事な物と一緒に過ごす時間が大事だったのです。

でもその大事な物は処分してしまいました。二度と一緒に過ごすことはできません。だから私は、大事な物で楽しむことができないのです。デジタル化した画像・映像・音声があっても、その気になれません。

私が大事に思っている物を同じく大事に思ってくれる人がいた場合、私は処分でなく譲渡しました。これもデジタル化と同じく、私は譲渡以来その物のことを考えなくなりました。人にあげた物は、他人の物です。もしも他人にあげた物がその後どうなったか、後々まで気にする人がいたら、それは迷惑な人です。譲り受けた側の人の気持ちになれば明白。物を譲り受けて一年も経ってから相手が来て、「あの時あなたにあげた物、大事にしてくれていますか」なんて確認されたら、たまりませんよ。もらわなきゃよかったと思いますよ。だから、私が自分の譲渡品のことを考えなくなったのは、至極当然です。

私は、デジタル化して保存したつもりだった品を、実際には永遠に失いました。今は空虚な人生を送っています。あなたは、デジタル化処分にご用心ください。


第四の生き甲斐を探します220 書ける時に記録を残しておく 新宿編 [手記さまざま6]

あなたは新宿駅を知っていますか。新宿といえば、昔は副都心と呼ばれるほど発展したイメージでした。でも今は違います。新宿駅の変わりようを見るだけで、それがわかります。

どう変わったか。改善と称して、改悪しています。新宿駅を通勤路の一部としている人の多くは感じているものがあるでしょう。もうずいぶん前から工事中で、JRから京王線へ続く通路は両側が壁になったり通行止めになったりで、昔のダンジョンゲームのような外見です。昔そこにあった店舗は立ち退きとなり、仕事の帰りに土産を買って帰ることもできなくなりました。

そのダンジョン内を、あまりにも多くの人が行き交います。まるで血管内を流れる赤血球のように。お互いがぶつからないようにしているから大きなトラブルは起きないものの、私のように足腰に問題のある人間は正面から来た人を避ける動きが出来ず苦労します。

こういう、人がぶつかりそうな雑踏には力関係があります。基本的に誰もが相手を避けますが、急いでいる時、体が動かない時、避けようとする先で人がノロノロと歩きスマホしていて避けられない時、時として人は相手と対峙しなければなりません。そういう時、仕事疲れで朦朧としている人間は気力負けし、運が悪いとぶつかってよろけます。鬼のような意志で突き進む人間と、盤石のようにその場から動かない人間は、相手の方が避けます。でも私は、そんな勝った負けたのような人生は苦手です。やらなきゃ、やられるけれども、「やった」後はいつも気分が悪いし、「やられた」ら恨みが残ります。

JR新宿駅のホームも異常です。巨大な柱が天井を支えていますが、ホームの末端は狭くなっており、そこに巨大な柱が立っているので人の通れる場所がほぼありません。その狭い場所を電車進入時に人が歩くと危険です。こんな危険な場所をそれとわかっていて作ったのはJRです。この危険な場所で、私は毎回電車の「イス取りゲーム」をしなければなりません。なぜなら私は足腰に問題があるので一時間あまり電車内で立っていることが不可能で、絶対に座らなければならないからです。絶対に座るためにはホームの中程の人が沢山並ぶ場所を避けて、ホームの末端へ行き、その危険な場所でイス取りゲームをしなければなりません。

私はずっと、不安に思っています。いつトラブルが起きるだろうか。私が通勤をやめる日まで、トラブルが起きずにいてくれるだろうか、と。何の因果か早くも私は退職することになり、通勤は本年度限りです。私は指折り数えて、新宿駅を通らなくて済む日を待っています。


第四の生き甲斐を探します219 [手記さまざま6]

私が昔のローカルTV番組「ロックおもしロック」の最終回映像を探していることは、何年も前にブログ記事に書いたと思う。最終回映像は相変わらず見つからないが、「ロックおもしロック」の他の回の一部音声がUPされているのを見つけた。試しに聴いてみた。感想は、「いい番組だったんだなあ」ということだ。

私は自分のカセットテープに最終回の一部が録音されていたから映像を探しているが、番組自体はたまたま見ただけで記憶に残っていない。しかし人の話を聞くと、今どき存在しないタイプの貴重な番組だったらしい。今回音声を聴いて、私もこの番組は見て、聴いてみたいと思った。

私が探している最終回はもちろんのこと、それ以外の回でも、いつの日か「ロックおもしロック」の録画がUPされることを願っている。


第四の生き甲斐を探します218 まさかsrtがあるなんて [手記さまざま6]

私は自分が聞き取れない外国映画をトランスクリプトに聞き取らせて、何を言っているのか知る計画を実行中だ。その最中にYouTubeの自動字幕のほうがトランスクリプトよりも正答率が高いと知りショックを受けたことまでは記事にした。そして今、まさかの再ショックだ。

昨晩ベッドに入って、眠くなるまで一時間位ぼんやりとスマホをいじっていた時のことだ。私が興味をもっているローカル映画「OA」。すでにDVDは手に入れ、トランスクリプトも終えた。昨晩は追加情報を得ようとネット検索した。そうしたら、srtと書いてあるじゃないか。そんな馬鹿な。ローカル映画だぞ。srtが作られるようなインターナショナルな映画じゃない。でもsrtがあった。私は1ヶ月に300分限定という貴重なトランスクリプトをすでに「OA」に使ってしまったぞ。

私のショックは、これで終わらなかった。ローカル映画「O」シリーズには「OA」の他にも「OK」や「OL」がある。私はこれらもトランスクリプト済みだ。この時点で私はとても嫌な予感がして、「OK」や「OL」もネット検索した。srtがあった! 私は映画3本分、ほぼ1ヶ月分のトランスクリプトをsrtのある映画に使い、無駄にしてしまった。

しかし私は立ち直った。失敗を次の成功への足掛かりにするのが大事だ。ローカル映画「O」シリーズのsrtがあるなら映画「J」のsrtだってあるだろう。私は今「J」を訳していて、トランスクリプトもYouTubeも聞き取れない部分に困っている。srtがあれば訳せる。私は探した。ひたすら探した。だが「J」のsrtが見つからない!

世の中は時として皮肉だ。


第四の生き甲斐を探します217 世の中は元気だ [手記さまざま6]

私には元気がないので、相対的に世の中が元気に見える。ハイジやプーさんのトンデモ映画が紹介された時も世の中は元気だと感じたし、今回もだ。今回はゴジラだ。シンゴジの時点で、私はゴジラを卒業したつもりだった。私はもうジジイだし、ゴジラは庵野色に染まってしまったから。それで私はゴジラフェスのことは知らなかった。私が知らないうちに、ゴジラvsガイガンなんとかが作られ、ジェットジャガーが作られ、vsメガロが作られていた。世の中は元気だ。

私は元気になろうとして「J」の語学学習をしてきたが、学習というのはその努力に比べて亀の歩みでしか進めない。元気を失った時に手っ取り早く元気を取り戻すには向かない。それでもせっかく始めた「J」だから今後も続けようとは思うが、私には他に手っ取り早く元気になれるものが必要だと感じた。


第四の生き甲斐を探します216 トランスクリプトのアンラッキーナンバーは94 [手記さまざま6]

私がトランスクリプトを知って試し始めた頃、何度試しても失敗した時があった。その時は月末だったので、私は月末にトランスクリプトのリクエストがサーバーに殺到してビジーになった結果だと推測した。しかしその後、月末なのに失敗しない月があり、そして今日は月末でないのに失敗した。失敗するのは必ずしも月末ではないとわかった。そしてもうひとつ確信したことがある。アンラッキーナンバーは94だ。音声ファイルをアップロードした時、94パーセントで進捗が止まり、20分以上も待たされることがある。その時は間違いなく失敗だ。少し待ってから再トライしても、また失敗する。待つのは少しでなく翌日以後にしたほうが良さそうだ。


第四の生き甲斐を探します215 [手記さまざま6]

私がトランスクリプトに何を聞かせるか。たとえば「25世紀の宇宙戦士キャプテン・ロジャース」。え、知らない? 知名度低いから。

それでもこのテレビシリーズが、大昔に日本語吹替でテレビ放送された。何の因果か私はそれを見た。一部のシーンだけ記憶に残っていて、以前に英語原題で検索してようやく動画を見つけた。もちろん日本語吹替ではない。そこでトランスクリプトの出番だ。

私がトランスクリプトに聞かせる物は、他にも沢山ある。たとえば「四時の悪魔」という映画をご存じだろうか。これもロジャース同様、かなり古い作品だ。そしてロジャース同様、大昔に日本語吹替でテレビ放送された。ここまで書けば、後はわかるね。何の因果か私はそれを・・・と続くわけだ。

ここに問題が生じている。トランスクリプトは1ケ月に300分しか使えない。ロジャースはテレビドラマだから短いが、四時の悪魔は映画だから長い。ロジャース以外のトランスクリプト候補は大抵映画だ。1ケ月に3本しかトランスクリプトできない。これでは来年3月までに全然終わらない。この問題をどうすべきか。私は解決策を見出さなければならない。


第四の生き甲斐を探します214 私の今の頑張りについて [手記さまざま6]

今、「J」の件では目立った報告がないが、それでも私は「J」もそれ以外も頑張っている。前に書いた通り、今は「第三の」生き甲斐を終わらせるのが目的だ。

「J」の訳をすることで、語学学習は悔いなく終われる。11月に「愛しのベティ魔物語」ほか全部で4つの企画を実行したことで、今まで出せなかった動画や画像を出してこれも悔いなく終われる。カセットテープ関係は、YouTubeに捜索願を出した時点ですでに終了している。

捜索願にまだ答えが来ないのに終わりとは、どういう事か。ネット上の捜索願に何らかの答えが来るまで、5年や10年はかかると思う。なぜなら、以前に私がこのブログに「ロックおもしロック」の音声をUPしてから、それを探している方が見つけて私に連絡して来るまで、何年もかかった。きっと世の中とはそういうものなのだろう。時間がかかるのだ。だから、出来る限りの策を講じた時点で「終わり」とみなさねばならない。

そして今やっているのは、旧居から新居へわずかに持ってきた物の写真撮影/スキャンだ。個人的な物が多くて画像をUPしても私以外の人に意味がないのが残念だ。たとえばンゴロンゴロの写真。私がこれを初めて知ったのは小松左京の「青い宇宙の冒険」という小説だった。その時はフィクションの中の地名だと思っていた。ところがある時、何かのパンフにそのンゴロンゴロが出ていたから驚いた。他には、近畿地方の名も知らぬ雑誌に載った宝塚の写真。学生時代に私の好きな女の子が宝塚に住んでいた。それで私は、ヅカファンでもないのに機会があれば宝塚に立ち寄った。ね、私以外の人には意味がないでしょう。だから私は画像もUPできず孤独に作業を続けなければならない。

まだスキャンしていない物の中には、ゴジラみたいに直立する時代のアロザウルス(その頃はサウルスでなくザウルスと呼ばれていた)のパンフレットとか、月の石特別展のパンフレットがある。でも天候(天気予報)等の都合でこれから一週間は作業が出来ないので、いつスキャン出来るかは未定だ。

天候は大事だ。正確には、湿気のない時を選んで作業しなければならない。私は本をホコリと湿気でシミだらけにした苦い経験がある。それから、親がデイサービスに行っている間しか作業できない。デイサービスは決まった曜日にしか行かない。つまり一週間のうち、親がデイサービスに行きしかも湿気のない日しか作業は出来ない。

作業が出来ると思う日の前日は大変だ。風呂掃除だ。なぜか。以前にこのブログに「汚水臭」のことを書いたが、自室に漂う「汚水臭」がどうやら風呂場から来るらしい。鉄筋コンクリートというのは気密性が高くて、一度臭いが入るとそこに溜まってしまうらしいのだ。だから、臭いの元である風呂場を前日に掃除する! どこを掃除するかって、排水口の中だ。排水トラップに溜まり水があり、そこが臭くなる。私は自分の大切な物のためなら何でもする。排水トラップに手を突っ込んでヌルヌルを完全に取る! こうやって苦労したり努力したりすることが、大切な物への愛情表現だと私は信じている。相手が人間だとこういう度が過ぎた行為は大抵嫌われるが、相手が物ならどんなに尽くしても嫌われないからな。


第四の生き甲斐を探します213 やはり戸建ての街区は美しい [手記さまざま6]

団地の街区に越してきて一年が過ぎた。最近また眠れない。夜中の二時頃に目が覚めて、嫌なことが頭に浮かぶともう駄目だ。起きてパソコンを点け仕事をする。

嫌なことは、どこに住んでいてもどこからか湧いてくる。でもそれをものともしない元気があれば何でもない。問題はここに住んでいると、どこからも元気を補給できないということだ。

転居前、私にとって自宅は、元気を補給できる場所だった。嫌なことがあって疲れて帰っても、自宅、とくにその中心にある四畳半の畳に寝ていると、嘘のように元気が補充された。若い頃の私はこれを個人的にピラミッドパワーと呼んでいた。

今、鉄筋コンクリート造の無機質な構築物の中にいると、自分の体内にある元気を消耗するばかりで補充がない。先日パソコンの中から旧居の雑然とした部屋の写真が出てきた。沢山の物が詰め込まれた棚。その中には今度いつ使うかわからない物も多くあるが、そういう物に囲まれて過ごしたから元気を貰えたんだと気付いた。

私は無機質な新居にいるより外を散歩したほうがましだと考えた。午前三時半、外には車も走らない。団地と、後から建った背の高いマンションが並ぶ街区を、ましな景色を探して歩いた。

以前に地図を見た時、数区画先にセブンイレブンがあるらしかった。慢性腰痛の私も今は調子が良いので、そこまで行ってみようとした。歩いていると、ふと脇道に他とは違う雰囲気を感じた。その脇道は歩道で、車道から直角に出ずに斜めに出て、鋭角部分の敷地には街路樹が一本植えられ、その部分の舗石が波打つ曲線をデザインして敷かれていた。私は興味をもち、目的地を変更してその歩道を進んだ。

そこから先は団地でなく、戸建て住宅の街区だった。各家には個性があった。建物の形が違うだけでなく、庭木の植え方や物の置き方が各々違った。整理整頓と無縁な家もあり雑然としているが、私は心が休まるのを感じた。

住み慣れた旧居のピラミッドパワーには叶わないが、こういう戸建ての街区は良い。人間が暮らす空間だと感じる。団地のように、人間の丸い精神を四角い鉄筋コンクリートに押し込める感じがない。

私は、これからはこういう場所を探して散歩しようと思いつつも、自宅を出て徘徊する老人の気持ちがわかって自分の将来に不安を覚えた。


第四の生き甲斐を探します212 今回のフラットベッドスキャンの成果 [手記さまざま6]

今回の作業は私が自分の昔の物をスキャンする作業だから、残念ながら他の人にとって価値のあるものが少ない。少しでも私以外の人が知っていそうなものを出そうとしたら、こんな風になった。

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でっかい三葉虫と、トゲトゲの三葉虫。博物館で撮った写真はみんなピンボケだ。当時の私は子供だったから、撮り方もいい加減だった。

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英語ラボで知り合ったケーテン君からもらった切手。このブログに出したことのある画像は天袋整理の途中で急いで撮ったデジカメ画像で、フラットベッドスキャナで画像化したのはこれが初めてだ。

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大昔のNHK紅白。子供の頃の私にとって紅白は特別なテレビ番組だった。だから保存したのだろう。

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篠山紀信の大激写展チケット。これもブログに画像を出したことがあるが、それは実はデジカメ撮影だった。天袋に上がっている物は降ろすだけでも一苦労で、腰を据えてじっくりデジタル化なんて夢また夢だったのだ。その天袋も今では旧居と共にはるか彼方だ。わずかな物だけが処分されずに新居へと来た。

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ピカソ・エロチカという題の美術展チケット。これは変な美術展だった。芸術というよりエロ版画集という感じだった。ピカソは何を考えてこんな銅版画を作ったのだろう。


第四の生き甲斐を探します211 光沢のプリント写真にもDigital ICEは使えなかった [手記さまざま6]

少し前に、絹目のプリント写真にDigital ICEが使えないという記事を書いた。そして何という偶然か、今日、光沢のプリント写真が見つかった! 私は、今度こそDigital ICEが使えると思った。試してみたら、ゴミは取れなくて、暗い部分がまるで低画質のmp4動画のようにブロックノイズ状になった。下の画像で、左側がDigital ICE off、右側がDigital ICE on(設定は「標準」)。
photo_digitalICE.jpg
Digital ICEはネガ以外には意外と使えないのかもしれない。


第四の生き甲斐を探します210 買い物はとっくに終わり、学習は果てしなく続く [手記さまざま6]

eBayでの売買を日本人が楽に行える仕組みを作っているQoo10という会社があって、私はそれのおかげで映画「J」も「OA」も楽に手に入れる事ができた。

私の買い物は終わったけど、Qoo10の会員登録は残っているから、次々にお誘いのクーポンが来る。お金が沢山あって買い物をしたり、マーケットに売れる物があったりしたら、楽しいだろうなあ。でも転居をきっかけに所有物を処分し、今また収入も失う私には何も売買できない。もう少し待って使い道がなければ、寂しいけどQoo10を退会しよう。

私がeBayを使ってDVDやCDを買ってから1ヶ月以上経つと思う。同時期に始めた語学学習(「J」の訳)は、疲れてどんどんペースが落ちてゆき、まだゴールが見えない。お金を払ってする事は、お金を払えばすぐに成就するけど、学習は努力しても一日に進むのはほんのちょっとだ。この違いは、ものすごい。


やっと見つけた、第四の生き甲斐になりそうなもの [第四の生き甲斐候補]

昨日は仕事で外出していたが、その出先で「今夜はふたご座流星群が極大」だと知った。

私は流星を見たことがない。かなり若いうちから近視になり、眼鏡は遠距離でなく少し遠くにいる人の顔がわかる位置に焦点を合わせて作っていたので、空の星はあまり見えなかった。しかしコロナ禍の在宅ワークが終わって外出が多くなったので眼鏡を遠近両用に作り直した。今なら遠距離も見える。

帰りの電車内で、私はひたすらふたご座流星群をネット検索した。月明りがなく観察に最適だと、信用できないことが書いてあった。なぜ信用できないかというと、曇り空だからだ。翌朝は雨の予報だから、遅くなるほど雲は厚くなるだろう。

遠距離通勤から帰宅するとすでに夜の9時。風呂にも入らねばならず10時になった。私は外に出た。予定では町の明かりが少なそうな公園まで行くはずだったが、空を見上げて予定を変更し、近場で様子を見た。なぜなら、空が雲だらけだ。これでは流れ星が見えるとは思えない。

私は団地の敷地に備え付けられたベンチに座り、30分ほど空を見ていた。雲が動いて行くので、いつか雲の切れ間が出来ないかと見ていた。じっと空を見ていると暇なので、自然と頭は色々なことを考えた。ふたご座流星群だけに、大学時代にサークルにいたふたご座生まれの女の子のこととか、流星群だけに、子供向け特撮番組「流星人間ゾーン」のこととか。

30分の間に雲は面白いほど変化して行った。雲の切れ間がわずかに出来た時もあったが、流れ星は見えなかった。ひとつには私の無知が原因だ。「放射点」とおぼしき辺りばかりを見ていた。流星が放射点付近に見られるのでないと知ったのは翌日のことだ。でもあの雲と町明かりでは、たとえ放射点以外を見ても無理だっただろう。何回か流れ星っぽいものが見えた気がしたが、私は流れ星を見たことがないからどのように見えるのか知らない。そもそも他の星が全然見えないのだから、私の気のせいだと思う。

結局流れ星ならぬ雲の観察をして家へ戻った。

ふたご座流星群の極大は昨日だが、今日も見られる。そして今夜は空の雲が少ない。夜になると私はまず家の窓から外を見た。私は去年引っ越してからまともに空を眺めていなかったらしい。多くの飛行機が飛び交っているのに初めて気づき、驚いた。夜だからもちろんその姿は見えず、光点が移動してゆくだけだ。飛行機のあまりの多さと、時々光点の数が尋常でない飛行機があるのとで、まさか空飛ぶ円盤ではないかと思えるほどだった。そして、雲は少ないのに星はひとつも見えなかった。町明かりのせいだろう。

私は引っ越し前の旧家のことを思い出した。旧家の二階は暗くて、眼鏡を買い替えた私には星がよく見えた。それで私は星座早見盤アプリをスマホに入れて夜の散歩をする気になったが、いざ家を一歩出るとどこもかしこも街灯だらけで星は見えなかった。町明かりの少ない場所ならば星が見えるはずだ。

そして今、私はこの記事を書いていてる。これから遅い夕食をとり、暗い場所を探しに外へ出る予定だ。暗い場所が見つかるかどうかがまず不明で、見つかったとしても流星群の極大は過ぎているから流星が見つかるかどうかがさらに不明だ。しかし私は思った。たとえ今回見えなくても、他の流星群とか、来年のふたご座流星群とか、チャンスはたくさんある。ペルセウス座という、名前は覚えているが名前しか覚えていない星座の流星群は出現数が多いらしい。毎年は見られない流星群もあり、その中にジャコビニ流星群という思わず「トップをねらえ!」が懐かしくなった名前のものがある。これはなんと来年見られるそうだ! 

流星群の現れる日に空が晴れているかどうかは神のみぞ知る。その日に月明りが邪魔をするかどうかは天文学者のみぞ知る。でも私にできることがある。流星観察ができる「暗い場所探し」を、流星群の日までにしておくことだ。これって、ひょっとして私が探し続けている「第四の生き甲斐」にならないだろうか。他人には夜ごとに暗い場所をうろつく不審者みたいに見えても、私自身は星空のロマンを探して歩くのだから。

今回の記事は新しいカテゴリー「第四の生き甲斐候補」に入れようと思う。そうしないと、何か月も経ってから生き甲斐の記事を探そうとした時に見つからなくなってしまうから。


第四の生き甲斐を探します209 「J」語学学習の現況 [手記さまざま6]

1. 映画「J」の訳は、続けている。ただ、以前と比べて進み具合がとても遅い。

2. 訳した後少し経ってから見直すと自分の訳の間違いに気付くと判明した。ブログ記事にUPするならば見直し後の良い訳をUPしたい。

3. トランスクリプトよりもYouTube自動字幕のほうが精度が高いことを確認したが、たまにトランスクリプトのほうが正解を出すこともある。だから来年3月に職場のアカウントが消えるまでにトランスクリプトを使えるだけ使い、とにかく「J」の訳を一通り終わらさなければならない。

結論。今はとにかくどんどん訳す。見直しはその後。ブログ記事にUPするなら、それからになる。

第四の生き甲斐を探します208 中国の恐竜展 [手記さまざま6]

古い冊子ばかりが続いて「そんな冊子は知らない」と言われそうで申しわけない。古い冊子を撮影したりスキャンしたりするのが今の作業なので、被写体は全部古い。今回は「中国の恐竜展」冊子。

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まずはマメンチサウルス。私は正直そんな名前をこの冊子以外で見たことがない。スーパーサウルスとかウルトラサウルスとか色々いるが、マメンチは知らない。で、またもやオーバーヘッドスキャナーの湾曲補正機能が暴走した。補正機能さえなければ、こんな妙な事には絶対にならない。時々、補正機能は有難いのか厄介なのか、わからなくなる。

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次はチンタオサウルス。私はこいつにも、この冊子以外で出会った事がない。頭の出っ張りが、サウロロフスと違って前へ向いている。あ、そうそう、時代的に恐竜の想像図はゴジラみたいに直立している。そう思われていた時代なのだ。


第四の生き甲斐を探します207 日本人類史展 [手記さまざま6]

今回は「日本人類史展」冊子を例に、オーバーヘッドスキャナーの意外と厄介な点を書きたい。

オーバーヘッドスキャナーは専用マットの上に冊子を開いて載せてスキャンする。そのマットが黒いから、冊子の端に黒いイラストや写真があるとマットとの境界を認識できずにページの黒い部分が切れる。そういう時は、ページの下に白い紙を挟んでスキャンする。これでページの黒い部分が切れることはない。
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ただしこれをすると、今度は白い紙のせいで本の輪郭が認識されず本以外の場所が自動でトリムされない。後から画像編集ソフトに読み込んで自分でトリムする羽目になる。

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いつもうまく行かないわけではない。うまくスキャンできるページもある。それでもよく見ると、綴じ部分の紙があまりに斜めなので補正しきれず、その部分のハニワが歪んでいる。あくまでも疑似的に見た目を良くする程度の機能だ。


第四の生き甲斐を探します206 化石と進化 [手記さまざま6]

今日から3回の記事は、私が旧居から捨てずに持ってきた数少ない品物の話になる。

最近私は写真撮影を頑張っているが、今日はカメラではなくスキャナーの出番だ。冊子の中には、綴じ部分があまり開かずカメラ撮影ではうまく行かないものがある。そういう時はオーバーヘッドスキャナーの出番だ。オーバーヘッドスキャナーには、本の湾曲を補正する機能が付いている。ただ、これがかなり不完全なのが残念だ。

今日は「化石と進化」という冊子をスキャンした。そして早速、湾曲の補正機能が暴走した。
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一目見てもらえばわかる。こんな風に歪んでしまうことがある。スキャン後のサムネイルを見てチェックはしているが、何百枚となるとそのうちに疲れて見落としが出て来る。そして、冊子を仕舞い込んでから初めて気づく。

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恐竜の中に、エダフォサウルスとかエダホサウルスとか呼ばれているのがいる。私は子供の頃、これの名前が気になった。背中に帆があって、それに枝が付いている。だから枝帆。枝帆サウルス。まさかね。そんな安易な命名じゃないよね。と、気になった。当時はインターネットがない時代だから、自分で調べる方法もなかった。


第四の生き甲斐を探します205 昔の写真をスキャンしてDigital ICEが使えなかった [手記さまざま6]

私は転居時にあらゆる物を処分して引っ越したが、わずかに残して新居へ持ってきた物がある。その中に、中身不明の包みがあった。写真の束であることはわかっていたが、転居前のあわただしい荷造りで中身の詳細を書かずに梱包してしまった。今ようやく中身の確認をした。

そうしたら、以前にスキャンしたネガに含まれる写真だった。しかしネガは経年劣化で黄色くなり、しかもその黄色がコマの中央だけ濃いので、スキャナ付属の退色復元を使っても中央の黄色が残ってしまった。いっぽう今回見つかった写真は退色がそれほど進んでおらず、何よりも部分的な変色がない。そこで私はこれらの写真をフラットベッドスキャナでスキャンし保存することにした。

ネガスキャンの4800dpiと比較し、解像度はそれと同程度の画像サイズである1200dpiとした。
アンシャープマスクは原稿種を反射原稿にしても相変わらずデフォルトでチェックが付くのでonとした。
退色復元はon/offで2回スキャンすることにした。

さて問題はDigital ICEだった。これが色々と予想外の結果になった。
原稿種を反射原稿にしたら、Digital ICEにネガでは出なかった設定項目が出た。しかしそれがネット上に情報があるDigital ICE liteとかいうものではなく、「標準」と「強」という選択肢だ。実験してみた:
Digital ICE以外の設定は上記、退色復元はoff。
Digital ICE 標準
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写真の下のほうを見てほしい。なぜかブロックノイズ状にボケボケになった。この時はまだ、私はその原因に気づいていなかった。

Digital ICE 強
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さらにひどくボケボケになった。私はようやく、その原因に気づいた。Digital ICEはネガ等の表面にあるゴミやホコリを検知してその部分を修正する。つまりネガ等の表面が平らでなく何かが付いていると修正しようとする。ところで、この写真は何の因果か光沢紙ではなく、絹目の類だった。紙の表面に凹凸の加工がしてあった。そのせいでDigital ICEが凹凸を検知して全部修正しようとしたのだ。

私は上記の仮説を確かめるためにDigital ICEをoffにしてスキャンしてみた。
test3.jpg
ボケボケはなくなったが小さなゴミが映り込んだ。ゴミ自体が白く、暗い色の部分で目立つ。

私は「ホコリ除去」をonにしてスキャンした。しかし小さなゴミは消えなかった! 画像は、ひとつ上と同じなので省略する。

私はホコリ除去もDigital ICEもoffにするしかない。スキャン前に必死でホコリを取り、それでも取れなかった分は諦めるしかない。

拡大すると写真表面の凹凸がまるで緩衝材プチプチのように目立つ。スキャンを進めながら、モアレ除去を利用して凹凸を目立たなくできないかと気づいた。モアレ除去を試そうとしたら、印刷線数という設定があった。これでは、印刷線と関係ない凹凸には向かないかと思いつつもスキャンしようとしたら、「モアレ除去機能を使用するには、解像度またはズームを下げてください。」というエラーメッセージが出た。解像度を1200dpiから600dpiに下げて印刷線数「一般」でスキャンしてみた。
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結果は、画像は小さくなり、プチプチ模様は消えなかった。


第四の生き甲斐を探します204 「J」2005年版頑張りの結果 [手記さまざま6]

今日は少し調子が悪いので、長々とパソコンの前に座ってわかりやすい文章を書く余裕がない。すまないが結果をずらずらと書いて終わりにさせてほしい。


私は出品者にフォームで返事を出し、2001年版と2005年版は同じでなく片や4:3レターボックス、方や16:9だと書いた。私ははるか昔にVHSで4:3を買い、ずっと16:9が欲しいと思い、やっと見つけたので注文した。4:3はネット上に時々見るが買わないと書いた。さあこれから外国語でのやりとりが始まるぞと身構えていたら、意外なことに相手があっさりと折れた。それなら仕方がない、返品はしないでほしい、料金は弁償すると書いてあった。返品するなとは異なことだが、これは商品よりも送料のほうがはるかに高いので、返送によりさらなる料金負担の問題が生じるのを防ぐのが目的と思われる。私としてはすでに持っている2001年版がもう1個増えても嬉しくない。フォームでのやりとりは私の勝ちのように見えるが、私は虚しい。私は2005年版を手に入れたかった。もし出品者が2005年版と2001年版を間違えて送ったのなら改めて彼から2005年版を買いたいと思っていたが、出品者のこの様子では2001年版しか持っておらず、それをアマゾンサイトで2005年版として売りに出したようだ。これだけ頑張っても2005年版は手に入らなかった。私はここまでとすべきだろう。だから虚しい。


第四の生き甲斐を探します203 [手記さまざま6]

少し前の記事に、2005年版の「J」を買う話を書いた。eBayの2倍の料金だと書き、視聴だけならば2001年版があるが私自身のけじめのために買うと書いた。それがすごい事になった。

この記事を理解してもらうために、まず時間の経過について書かねばならない。前の記事が公開されてから一週間は経っている。私の記事は「予約公開」だから、間に記事を書かない日が何日もあれば、一週間後の記事が翌日に公開される場合もある。

そして、一週間かけて「J」が届いた。それがなんと、2001年版だった! つまり、アマゾンのサイトで掲示されている品物と、実際に送って来る品物が異なっていた。それから私は苦労してアマゾンの外国サイトにメールを送ろうと文面を書いたが、いざ送ろうとしてとんでもない事を知った。そのアマゾンの外国サイトには、メールアドレスの表示がない。つまりメールが送れない。それからまた私は苦労して、出品者への連絡フォームまでたどり着いた。そこに事情を書き込んで送信した。

返事はその日のうちに来たが、その内容が良くなかった。2001年版も2005年版も中身は同じじゃないですか、映画を見たくないのですかと書いてあった。出品者は掲載している品と違う物を送ってそれを私に指摘されてこの返事だから、これは悪質な出品者と思われる。

少し前の記事に私はこう書いた。アマゾンにメールを出して出品が2005年版だと確認してもらうのが気が重かったが、サイトに2005と明記されるようになってその必要がなくなった、と。ところが現実は、版の確認メールどころか、私は外国語でクレームを書くはめになっている。人生はすごい。

返品のために品物を送り返すには送料が要る。私はそれを払うことを拒む意図をフォームに書き込んだ。今回の件は私に責任がないから。悪質と思われる出品者は、全力で私のキャンセルを拒んでくるだろう。

私はコミュ障だから、人とのこういうやりとりは苦手で、精神にはプレッシャーが来ているが、それでも冷静にこう考えている。今回の私の目的は「J」を視聴することではない。私自身のけじめのためだ。そして私はeBayの2倍の金を払うという行為で自分のけじめを示した。だからその時点で私の目的は達成された。残る気持ちは、2005年版は手に入らないのだろうかという問題だが、唯一「あなたの国へは送れない」と書かれていなかったサイトで注文してこの有様だから、もう2005年版は諦めたほうが良いだろう。

こうして、コミュ障でプレッシャーを感じながらも私はそれでも新しい一歩を踏み出した。その一歩とは、来年に第四の生き甲斐探しに向かう私は外国語とおさらばするが、その前に悪質と思われる出品者とフォームで外国語でやりとりしようという一歩だ。外国語とおさらばする前に、最後の頑張りだ。

転居してからずっと悪いことが続き、私はへこんでいたが、最近は変わってきた。悪いことは相変わらず起きるが、私がへこまなくなった。こうして、来年の第四の生き甲斐探しへと少しずつ無理なく進んでゆきたい。



第四の生き甲斐を探します202 [手記さまざま6]

アルバムの写真撮影を終えた私は、ひとつの残念な発見をした。スマホカメラは細部の画質が粗い。私は自宅にあるスマホの中でカメラ性能が一番良い物(親のHUAWEI)を使って撮影した。このスマホのカメラはかなり良い絵が撮れるのに、それでも不満が残った。スマホよりも良い絵が撮れるデジカメは、長年使ってレンズ内に埃が入ったので転居時に処分した。それでも私には最後の切り札があった。Sonyのデジタルビデオカメラだ。これで静止画も撮れる。

Sonyのデジタルビデオカメラは私が今までに入手したカメラの中で一番性能が良い。だから転居の際に処分せずに持ってきた。私は、これさえあれば問題はないと信じ込んでいた。そうしたら、ピンボケ写真があった。私がピント合わせを待たずに焦ってレリーズボタンを押したのがいけなかった。

私は思い出した。完璧を目指して努力しても、それでもどこかがうまく行かないのが人生だ、と。

その日の被写体は、EXPO'70。はるか昔の大阪万博を特集したグラフ雑誌だ。当時の私はかなり小さな子供だったので、このグラフ雑誌は親が買ったものだ。
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このグラフ雑誌撮影の翌日、私はスケッチブックの撮影をし、今度はピンボケがなかった。スケッチブックの中身は私が描いた絵なので、グラフ雑誌のようにお見せすることが出来ない(そもそも私以外の誰も興味を示さない)のが残念だ。


第四の生き甲斐を探します201 [手記さまざま6]

語学学習で予想外の事が起きて疲れてしまった私は、とにかく小休止する事になった。「第三の生き甲斐」でやり残したのは語学学習だけではない。写真撮影もある。

私の写真撮影は他の人とはずいぶん違い、自分が持っている思い出の品をデジタル化してパソコンに入れる作業だ。普通は、懐かしい物をまた見たい(種類によっては聞きたいor読みたい)時、実物を出してこなければならない。でもそれが奥の方に仕舞い込んであったり、そもそも場所が分からないと厄介だ。そこで私は、大事な物はすべて(外見だけでも)デジタル化してパソコンに入れる。それをすると、実物を出してこなくても済む事が結構ある。

今日は、昔のアルバムを撮影した。アルバムの撮影は何年も前に一度した。ところが、その時と今とでは私自身の考え方が違い、撮るページが違う。昔は、興味のないページは撮影しなくて良いという考えだった。しかしそれでは、後年にそのページに興味が出た時に見られない。そのページにどんな写真があるのかも、アルバムを出してくるまでは分からない。だから今の私は、ひととおり全部のページを撮影する。

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上の画像は、昔(2018年に)「アルバムの写真をデジカメで撮影」したものだ。退色はしているが、色は残っている。私は撮影時以外はアルバムをビニルに包み、空気も湿気も締め出し、その状態で天袋に入れていた。天袋は夏でも暑くならなかった。だから、今回(2023年)アルバムを出してきた時も変わらぬ色が保たれていると信じていた。ところが、アルバムを開いて驚いた。どのページも赤っぽい。元の色はあまりわからず、赤いセロファンを被せたかのように変色していた。
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一体どうしてこんな事になってしまったのか。私にはまったく思い当たる節がない。でも現実は、こうなった。私は思うのだが、人間、出来る時に出来る事を精一杯しておくべきだ。後からでは遅すぎるかもしれないのだから。

私がしてきたのが上のスマホ撮影だけならば、私はひたすらショックを受けて終わっていただろう。しかし私は他にもしていた。このブログに記事を書いたが、ネガをスキャンしてパソコンに取り込んだ。それが下の画像だ。もちろんブログ記事用に縮小はしてある。
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ネガのデジタル化は、やはり大事だった。それが今回の記事の結論だ。


第四の生き甲斐を探します200 [手記さまざま6]

マイクロソフトのトランスクリプトでなくYouTubeを使う時のメリットとデメリットを考えた。

メリットは、正答率が高い。

デメリットは、UP時に著作権チェックで引っかかったらアウト。動画が長すぎると自動字幕が出来ないという情報がある。たまに、アルファベットの大文字1つか2つが字幕の中に現れる。たとえばmanchmalの代わりにMと出る。これがどうも当該の単語の頭文字みたいだ。どう考えても字幕としてただのMってのは変だから、わざと時々こんな事をしているんじゃないかと思えてくる。

私の頭の中は、もうトランスクリプトでなくYouTubeだ。ただ、私が文字起こしをしたいのは映画で、そうすると上に書いた「著作権」と「長すぎる」の2要素が困る。


第四の生き甲斐を探します199  [手記さまざま6]

ここまで来て、とんでもない事がわかった。最近は過去の不明部分についてYouTubeの自動翻訳を試しているのだが、なんとマイクロソフトのトランスクリプトよりもYouTubeのほうが正答率が高い。最初は、たまたまかと思ったが、どこを試してもYouTubeの正答率が高い。そのせいで、過去にトランスクリプトのポンコツ「聞き取り」を元にして訳した部分が誤訳になっている事にに気づいた。ショックだ。トランスクリプトを信じてここまで一か月以上も頑張ってきたのに。今さらどうすればいいんだ。

最初から見直して、特に気になる部分をYouTubeに聞かせるという『気が遠くなるような作業』を始めているが、ただでさえ学習に疲れが出てペースが落ちている所に「最初からの見直し」が加わったので、私はものすごく疲れてしまった。このままでは疲れすぎて先へ進めなくなる。

もうひとつ、今後の予定に大きな変更を及ぼした事がある。トランスクリプトでなくYouTubeを使いたくなったから、「職場に籍がなくトランスクリプトが使えない来年4月以降」でも私は訳が出来る。焦る必要がまったくなくなった。ここまで予定が変わると、とにかく一度立ち止まり、しっかり予定の立て直しをする必要がある。


第四の生き甲斐を探します198 第8幕第6場(続続) [手記さまざま6]

第8幕第6場 身代わり作戦の顛末(さらに続き)

エレベーターが故障中で7階まで駆け上がったわ 
いつもの習慣に反してノックまでしたのよ 
そしたら632号室は掃除用具室だった
私が632号室って言った?
ええ632号室って言ったわ
私は362って言ったの
違うわ
違わない
別のやり方もあるわ
ちょっと!
そんなことしないで
3人はどこにいるの
とても有意義な意見交換でした タカハシ様
メルツさん おめでとう
明日には信用貸しの承諾書が得られると思う
それは有難い 助かります
助かったわ まだ間に合った メルツさん ブレヒシュミット様
あなたもどこかで見たわ
そう願いたい
先日テレビでアフリカの民族舞踊か何かを?
いえ バイエルンのです
そう それ すごく独創的だと思ったわ
ファンレターを沢山もらってます
すごいわね
で、タカハシJr.はどこ?


やっとキリのいい所まで訳せた。もう、こんな長丁場は御免だ。少し休みたい。


第四の生き甲斐を探します197 第8幕第6場(続) [手記さまざま6]

私は、訳に困った時は基本に戻る事にしている。つまり初級文法まで戻って直訳の確認から始める。そうする事で、正しい訳から大きく逸脱する事を防ぎたい。ところが、ごくまれに初級文法が当てはまらない文がある。前置詞aufと共に使うはずの動詞なのにaufがない、とか、他動詞なのに4格目的語がない、とか。そういう時は仕方がないから、前後の意味から察するしかない。今回の訳にも、一見さらりと訳しているようだが実は困り果て、未解決の部分がある。


第8幕第6場 替え玉作戦の顛末(続き)

メルツさんは商談の最中です
無駄話はやめて 私は追い払えないわよ
まあいいわ 623・・・632号室
どうしてすぐに言わないの
だから 私がこの上なく認めているメルツ氏の 
成功の見込みあるこの会社の ええと・・・
ドレスデン
ドレスデン工場に決めました 未来は双眼鏡にある
まあ、そうなのかもしれん
あなたは何の仕事を?
私ですか
私の仕事はタカ・・・タカ・・・
タカハシ商事です
それは知ってる あなた個人の技能が知りたい
私の技能は
ヨーデルです
ヨ・デ・ル これは日本語で 企業経営、経済顧問のことです
未来は双眼鏡にある
経済顧問は興味深い それならお聞きしたい
もう時間です
どうしたら低迷する輸出を回復できるか あなたのお考えは?
ええと・・・輸出ですか
ええ まさにこの分野で私は日本人の視点に興味がある
私もです でも先ほど言いましたが
それなら発言できます
駄目だ!
言います
メルツさん 時間の事は問題ない
どうぞ タカハシ様
最も重要なのは ドイツの政治がドイツの企業をとりわけアジア市場の拡大において もっと積極的に支援することです
日本の我々は国外取引でいつも協調行動をとっています
私の説だ!
私のもです


あまりに長いので、今回の記事でもキリの良い所までたどり着かない。この続きはまた次回に。