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第四の生き甲斐を探します213 やはり戸建ての街区は美しい [手記さまざま6]

団地の街区に越してきて一年が過ぎた。最近また眠れない。夜中の二時頃に目が覚めて、嫌なことが頭に浮かぶともう駄目だ。起きてパソコンを点け仕事をする。

嫌なことは、どこに住んでいてもどこからか湧いてくる。でもそれをものともしない元気があれば何でもない。問題はここに住んでいると、どこからも元気を補給できないということだ。

転居前、私にとって自宅は、元気を補給できる場所だった。嫌なことがあって疲れて帰っても、自宅、とくにその中心にある四畳半の畳に寝ていると、嘘のように元気が補充された。若い頃の私はこれを個人的にピラミッドパワーと呼んでいた。

今、鉄筋コンクリート造の無機質な構築物の中にいると、自分の体内にある元気を消耗するばかりで補充がない。先日パソコンの中から旧居の雑然とした部屋の写真が出てきた。沢山の物が詰め込まれた棚。その中には今度いつ使うかわからない物も多くあるが、そういう物に囲まれて過ごしたから元気を貰えたんだと気付いた。

私は無機質な新居にいるより外を散歩したほうがましだと考えた。午前三時半、外には車も走らない。団地と、後から建った背の高いマンションが並ぶ街区を、ましな景色を探して歩いた。

以前に地図を見た時、数区画先にセブンイレブンがあるらしかった。慢性腰痛の私も今は調子が良いので、そこまで行ってみようとした。歩いていると、ふと脇道に他とは違う雰囲気を感じた。その脇道は歩道で、車道から直角に出ずに斜めに出て、鋭角部分の敷地には街路樹が一本植えられ、その部分の舗石が波打つ曲線をデザインして敷かれていた。私は興味をもち、目的地を変更してその歩道を進んだ。

そこから先は団地でなく、戸建て住宅の街区だった。各家には個性があった。建物の形が違うだけでなく、庭木の植え方や物の置き方が各々違った。整理整頓と無縁な家もあり雑然としているが、私は心が休まるのを感じた。

住み慣れた旧居のピラミッドパワーには叶わないが、こういう戸建ての街区は良い。人間が暮らす空間だと感じる。団地のように、人間の丸い精神を四角い鉄筋コンクリートに押し込める感じがない。

私は、これからはこういう場所を探して散歩しようと思いつつも、自宅を出て徘徊する老人の気持ちがわかって自分の将来に不安を覚えた。