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我はアル中。断酒は敵だ。 ブログトップ

飲酒の現状記録(個人的記録) [我はアル中。断酒は敵だ。]

2つの小さな悩みがある。

1つめ。飲酒欲は変わらない。以下、その詳細。3週間に1度しか飲まないと決めたのは効果絶大だった。それを破ったことはまだ一度もない。ところが、3週間を過ぎるとすぐに飲んでしまう。今回も、予定では解禁日の翌日に飲むはずだった。なぜならその日に来客があり、前日に飲んで体調を崩したら大変だからだ。来客の後で飲むのが正しい。ところが実際には解禁日に飲んでしまった。なぜ飲んでしまうのか。飲酒解禁日より前に、精神不安定が始まる。ずっと羽目を外すことができずに日常の思い通りにならないことの下で自分を抑え込んで、自分で自分がわからなくなってくる。だから羽目を外してストレスを発散するために飲む。でも本当は少し正しくない。ストレスの元になった事柄が、何日も前にある。本当はその時に飲みたい。でもそれは3週間の禁酒期間があるから我慢する。そして飲酒解禁日には、本当は嫌なことは何もない。ただ今までに抑え込んでいた得体のしれないモヤモヤがあるだけだ。この日に飲むのは本当は効果的でない。でもそうなってしまう。

2つめ。飲んでもそれほど楽しくない。これについては、すでに上の1つめの所で理由を半分以上書いてしまった。飲酒が楽しいのは、酒に楽しくなる成分が入っているからではない。酒はただの精神高揚剤だ。楽しくもなれば、悲しくもなる。要は、酒と一緒に受容する「何か」が大事だ。それは人によっては他人と喋ることかもしれない。私にとってはテレビ録画やパソコンの動画を見ることだ。ところが私は3週間の禁酒期間を決めてしまい、飲酒解禁日にはつい飲んでしまうから、その時点で楽しめる動画があるとは限らない。

解決策は、まだ思いつかない。理想論で良いならば、飲酒解禁日が過ぎても飲まずにいて、テレビ録画やパソコンの動画は溜めておき、次にストレスが生じた日に飲む。でも、そんなに都合よく酒を我慢できるとは、誰も思わないだろう?


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近況(酒とカセットテープ) [我はアル中。断酒は敵だ。]

前回の飲酒日から3週間以上過ぎました。でも風邪をひいてしまったので酒は飲めませんでした。風邪が治ったら今度は試験採点と血液検査があります。風邪のせいで飲酒のチャンスを逸したので、次回の飲酒は少しだけ遅れそうです。

カセットテープ補完作業は滞っています。北の宿からで何日止まっていたことか。それもやっと終わりました。
補完作業は、ただステージ動画を探しては見るのではありません。知らなかったことや忘れていたことに出会います。例えば都はるみは、北の宿からが出た頃から数年は髪がショートカットでした。後年はロングヘアにイメージチェンジしています。今までに補完作業した多くの歌手や歌でも、私は同じように色々な認識をしました。残念なことに、作業の先を急ぐ私はせっかく認識したこともやがて忘れてしまいますが。
都はるみも1ヶ月経たずに忘れるでしょう。次はおよげたいやきくん、その次は主題歌特集が待っているのです。


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酒なし正月 [我はアル中。断酒は敵だ。]

あけましておめでとうございます。あなたは、お元気でいらっしゃいますか。私は元気ですが、酒が飲めません。屠蘇散なし。日本酒なしです。お茶を飲んでいます。

私は3週間に1日しか酒が飲めないのですが、事の起こりは今から2回前の飲酒解禁日でした。その日に飲んでしまうと正月の約1週間前に飲酒日が来てしまい、正月の1週間前に飲むと当然正月には飲めず、しかも血液検査の1週間前に次の飲酒日が来てしまうことがわかっていました。つまり、2回前の飲酒解禁日に飲まずに1週間我慢すれば、正月に酒が飲めて、血液検査の直後にまた飲めることがわかっていたのです。

でも1週間我慢できずに飲んでしまったのですよ。だから正月に酒が飲めず、次の飲酒解禁日は血液検査の1週間前。さあどうなるか。1週間我慢すれば血液検査の尿酸値に影響を出さずに済むんですが、前回まで飲んでしまった私が次回我慢できるとは思えない。

飲酒日から3週間は次回の飲酒をしないという事だけは守られていますが、これはブログ記事で日本中に向けて発信したからです。他人が知っているから、守らないわけに行かないのです。アルコール中毒と麻薬中毒は似ているように思えます。自分ひとりの心の中では勝てない、ということが似ていると思えます。他人や社会との間に「何日までは飲まない」という公約を掲げないと。

そうなると、個人的に問題なのは痛風です。私は痛風治療で通院しています。今年の夏でまる3年になります。先生にお任せしていると一生通院となりそうです。そこで、今年の夏までは先生の指示通りに治療を続け、その後の最初の血液検査で尿酸値に注目します。もし正常値ならば、つまり3年間正常値のままだったならば、その後の薬の服用をこっそりと少なめにして試し、また血液検査をし、薬の服用を少しずつ月日をかけてこっそり減らしては試し、それでも尿酸値が大丈夫ならば逃げてやろうと思っています。が、飲酒衝動がこんなに抑えられないのではそれも無理かもしれません。

次回の飲酒解禁日に我慢できずに飲んでしまうか、それとも血液検査の後まで我慢してから飲むか。これは私自身にとって一番の関心事なので、飲んだ時にはまた個人的記録の記事を書かせてもらうと思います。


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個人的飲酒記録 [我はアル中。断酒は敵だ。]

8月11日、飲酒解禁日の記録。

この前の木曜日と土曜日、蒸し暑い中頑張って仕事を終わらせて、達成感から「ああ、酒が飲みたい」と思った。でも前回の飲酒から3週間経っていなかったので飲めなかった。私はまた不安になった。本当に飲みたい時に飲めず、解禁日に何となく飲んで満足しないまま飲み終わる。そんなことが数回続いた気がする。それでは飲酒の意味がない。今回もそうなってしまうのではないかと不安だった。だから今回は「第三のビール」の本数に制限を設けないことにした。酔えるまでいくらでも飲んでいい。アルコールで胃を傷めないように食べ物も沢山食べなければいけない。もともと私の誓いの内容は3週間の禁酒であり、飲酒解禁日のアルコール量は取り決めていない。結局8本飲んだ。

今回の酒の精神的オカズは、録り溜めて見ないでおいた録画だ。ここからは、分かる人にしか分からない話題になるが、個人的飲酒記録なのでご勘弁いただきたい。

ネットでセガールという無敵オヤジの記事を読んで興味が湧き、せっかくなら初期の作品から見てゆきたいと思っていた所に午後のロードショーで暴走特急の吹替版があった。面白かった。もっと見たいと思っていた所にスカパーで沈黙の戦艦があった。録画した。最初はこれを飲酒時に鑑賞する予定だった。

でもアニメの未視聴分を先に片付けてしまおうと思った。フェアリーテイルが3週間分も溜まったから。最強の魔道士オーガストは、とうとう母親に我が子と知られることなく消滅していった。悲しい話だった。その後、一夜が再登場した。この、とびきり変な顔で何かというとメーンと叫ぶ変なおっさんを、アニメを見る前に私はネットで調べて、とことん妙な奴だと思っていた。それが何だか話が進むうちにこのおっさんの見せ場が度々あり、かっこよく見えてきた。ネットで話を調べたところゼレフもアクノロギアも最終決戦突入で、アニメはどうやら今季でラストまで行きそうだ。

本来なら未視聴はフェアリーテイルだけのはずだったが、土曜日にひとつ録画を追加しておいた。あにこ便で見つけた鬼滅の刃というアニメだ。私が何週間も録画に踏み切らず動かないでいた間に、主要キャラクターの見せ場がどんどん過ぎてしまった。箱に入ってなかなか出てこないヒロインが姿を現す回が終わってしまい、弱虫で逃げてばっかりだが意識を失うととたんに強くなる奴の見せ場が終わってしまい、猪の面を被って猪突猛進する奴の見せ場が終わってしまった。あにこ便によると次回は柱という別のキャラクターが登場するらしく、録画に踏み切るのが遅すぎたなと思いつつも録画予約した。そうしたら遅すぎなかった。兄が妹を守り妹が兄を庇って死線に活路を見出す話に泣けた。BGMにずっと歌を入れつつ十二鬼月の首を落とすと同時にエンディングに入るのが感動的だった。このアニメで泣けたから、今回の飲酒は成功だ。

私は今後また3週間酒を飲まない。

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個人的記事 飲酒記録 [我はアル中。断酒は敵だ。]

今日は、3週間おきの飲酒解禁日だった。明日から雨が降りやすい天気が続くそうなので、しっかり換気しても部屋に湿気が入らない今日のうちに飲むことにした。(部屋で酒を飲むと酒臭くなるから、飲酒後の換気は必要だ。)今日の注意点は2つあった。ここ数回の飲酒は金麦6本を越えて7本か8本飲んでしまい、翌日体調不良になったので、多くても6本に抑えること。それと、明日は人に会わなければならないので、今夜は十分に睡眠をとっておかなければならず、早めに飲酒を終わらせて酒を体から追い出すこと。体に酒が残っていると、寝ても眠りが浅く、夜中に目が覚めてしまう。
結局本数は6本だった。3週間も飲んでいなかったから体がアルコールに慣れておらず、最初の1本ですでにクラクラした。飲まない人に言わせれば、酔ったのならそれ以上飲まなくてもいいじゃないかということになるかもしれない。でも酔うのが目的ではない。楽しむのが目的だ。2本目、3本目でようやく楽しめるようになった。体が酒に麻痺して、いくらでも飲めるように感じ始めた。この時点でやめるのが、たぶん一番良い選択肢だったのだろう。6本目まで飲み続けたのは、私のエゴだ。
今日の酒の「オカズ」は、進撃の巨人。少し前の録画分、光臨から白夜までの4話を見ないでとっておいた。実によかった。それからフルーツバスケットの最新話。それからメン・イン・ブラック3の前半。部屋の換気の都合で、今日の飲酒はそこまでになった。気がついたら歯も磨かずに寝ていた。飲み過ぎたな。それから食事をし、歯を磨き、風呂に入り、今に至る。泥酔するほど飲んだ人間は臭いから、せめて歯磨きと入浴はしっかりと。明日は香水をつけるのを忘れずに。
次の飲酒はまた3週間後だから、梅雨明け後だろう。きっと蒸し暑くてたまらん頃だろうな。
今日は腰痛散歩と飲酒で一日が終わってしまった。またカセットテープ補完作業をしなかった。いまだに松田聖子から進んでいない。仕事は忙しいし、仕事関係のストレスは溜まるし、本当は飲酒で不安が増大して吹き出すかどうかギリギリの所だった。でも自分一人が辛いんじゃない。みんな大変なんだ。馬鹿な不安を増大させず、明日から暫くは自分のなすべきことを頑張るぞ。

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飲酒解禁のこと [我はアル中。断酒は敵だ。]

3週間の禁酒期間が終わるまでにあと数日。仕事の忙しさと腰痛の心配が大変で、飲酒どころではなく今まで来た。そして仕事を少しずつ片付け、腰痛による歩行困難が少しましになり、精神的に疲れていた私は今日一日休みにして呆けていたいと思った。そうしたら酒が飲みたくなった。ノンアルコールビールをぐいっと飲み、一口目の喉ごしだけはそれらしい気分になった。酔うはずもなく1缶で終わった。次回飲酒は火曜日の予定。酒の精神的オカズとしてアニメを3週間ぶん見ないで溜めてある。ジョジョとフルーツバスケットと進撃の巨人。でもなぜか、頭の中に響くのは今のアニメではなく、ずいぶん昔のアニメのOPだ。宇宙戦艦ヤマモトヨーコ。実際に見直して面白いかどうかは、見てみなければわからない。ただ、昔のものには当時の思い出というか、懐かしさがある。何を見ても感動しなくなった今の私ではなく、まだ些細なことにもいちいち感動していた若い頃の私の気持ちをふと思い出す。酒がそれを助長してくれたらいいなあ。

腰痛の心配については、後日改めて「坐骨神経痛」のカテゴリーで記事を書きたい。


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飲酒時記事 one of シオンs [我はアル中。断酒は敵だ。]

今日は、結局飲酒日にした。今まで3週間飲まずにいて、3週間後には痛風治療関係の採血がある。アルコールは痛風を悪化させる。採血の結果が悪ければ、「尿酸値が常に低ければ、3年間のフェブリク(痛風治療薬)の後に治療から逃げる」という私の計画が水泡に帰す。だから採血が近づくほど飲みたくない。合計6週間飲まずにいられるのか、という理性的判断から今日飲むことにした。実は今朝電話がかかってきて、私の周囲に不穏な動きがある。不安要素は飲酒を悪酔いにする。だが不安要素は人生の常だ。生き続けるということは、不安要素を乗り越え続けることでもある。だから敢行した。ロボットのように、心を引きずらずに、飲酒中は飲酒に専念、問題が発生したら問題に専念できれば、無駄な心配や不安を抱かずに済むのだが。それを目指そう。

すでに金麦を2本飲んでいる。3週間の禁酒後に飲むと、たった2本でも結構「できあがる」。できるだけ理性を保って文章を推敲しつつ書いてきたが、この先いつまで文章を書けるかはわからない。まだこの記事は前置きが終わった所だが、ひょっとして、このあと数行だけでプッツリと記事が終わっても、『ああ、これって結局酔っ払いが何か書こうとして途中で電池切れで終わった記事だったんだね』と思ってほしい。飲酒時記事はいつものように、書いたらそのまま「えいやっ」とUPする。シラフになったら恥ずかしくてUPできないかもしれないので、酔っていてもすぐUPだ。だから後日多少の修正はするかもしれない。

では本題に入ろう。沢田聖子の「シオン」。若い頃の私の神曲(ダンテじゃないぞ。「かみ・きょく」ね。)だったが、ジジイを自覚するこの歳になると背中がむずがゆい。若い頃は、世の中のことを何も知らないくせに自分の目の前にあるもの、いや心の中に映るものが全てだと思い込んで現実に向かって馬鹿な突進をしていった。「シオン」は私にとってそういう頃の歌だ。

いっぽう今の私は、世の中のことを何も知らないのは昔と同じくせに自分の前にあるもの、いや心の中に映るもの全てに諦念し、現実にたいして諦めと停滞をもつばかり。たまにほんの少しアクティブになったと思えば「安倍首相よ、あなたはたしかに立派だ。だが私を苦しめ続ける!」と叫ぶジジイだ。

以前の記事に書いたが私は若い頃に(も)変な奴で、歌謡曲を「作品内在的に」鑑賞しようとしたので、「シオン」や沢田聖子もFM番組で聞いただけだった。今回「カセットテープ補完計画」を行って、歌以外の沢田聖子の声(トーク)を聞いて一人で勝手に感動している。その変なジジイが「シオン」に複数バージョンあるのを知って困っている。

YouTubeは有難い。私に複数バージョンに気づかせてくれたのがYouTubeだった。ある音は、私のちょっと聞こえにくい右耳でもはっきり聞こえるほど高音の打楽器が鳴っている。でも私のカセットは、そんな音が聞こえない。高音が録音されていないからなのか、いや、そんな感じではないのだが。YouTubeには、私のカセットと同じように聞こえる音もあった。つまり、複数バージョンあるということだ。

それから私はネット検索しはじめた。まずウィキペディアの記述:


1997年12月17日にリリースした22枚目のオリジナルアルバム『Acoustic Love Ballads』、2004年5月21日リリースの34枚目のシングル「雨ノチ晴レ。」のC/Wの2度にわたって新バージョンを収録している。沢田のデビュー前に、イルカが練習用としてデモテープに吹き込んでいる「シオン」は、サビの部分にボーカリーズ(スキャット)が入る。また、オリジナルでもシングル盤とアルバム盤では、リミックスによりサビのリバーブにわずかな違いがある。


ということは、イルカのデモテープは別として、オリジナルのシングル、オリジナルのアルバム、1997バージョン、2004バージョンの4つが確認されるということか。その後のネット検索で、2004バージョンはピアノ弾き語りだということはわかった。おそらく、私が耳にした2つのバージョンは、そのわずかな違いから(勝手に)推測して、オリジナルのシングルとアルバムなのだろう。本当は1997バージョンについても調べてはっきりさせなければいけないが、残念ながら私は今キーボードを打つのにも手間取る酔っ払いおじさんなのだ。無理無理。

酔いが執筆可能の限界になったかな。最後に個人的なことを書こう。シオンってどういう花だと思う? もちろん私は若い頃に調べた。私の記憶では、シオンというのは茎が伸びて背の高い、こう言うと反感を買うだろうがその背の高さから「かわいい」という表現とは少し違う群生植物だったと思う。数十年前、うちの近くで家屋が取り壊された時、その敷地に紫色の花が群生したことがある。かわいかったから、私はそれがシオン(紫苑)だと思った。でも保育社の原色図鑑で調べたら、それは野紺菊だった。その後、私は紫苑も見たと思う。当時の自作の詩に書いているし。個人的には他にも感じたことはある。違和感。鬼の醜草。「えっ、鬼って何だよ。このかわいい歌の記事で突然鬼って何なんだよ。」という読者の声が聞こえる。安心してくれ、私もすごく違和感をもっている、昔から。ウィキペディアを見てもわかるが、なぜか紫苑の別名が「オニノシコグサ(鬼の醜草)」だ。私がそれを知ったのはウィキペディアができるよりも前、学生時代のことだ。数十年前の記憶だから文句は多少違っているだろう:

頃しも秋の七草 桔梗 かるかや 吾亦紅 紫苑というは何やらん 鬼の醜草とは 誰が付けし名なるや
げーにーまーこーとー

何がげにまことじゃい! 全然わからぬではないか! 丹後丹波の境なる鬼ヶ城? 知ったことか!







数時間後の追記

今回の飲酒で悪かったこと
結局金麦を8本も飲んだ。次回は本数を減らすべきか、どうしようか。
8本も飲んだから飲酒後に寝てしまった。

今回の飲酒で良かったこと
8本も飲んだが、無理な飲酒ではなかった。沢田聖子の「シオン」をオカズに楽しく飲めた。
飲酒後に寝てしまったが、その前に自分で布団を敷き、記憶では歯も磨いた。目覚めた時に気持ち悪くもなかった。

さあ、3週間後は採血だ。それからまた飲酒だ。



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飲酒記録 [我はアル中。断酒は敵だ。]

前回の飲酒から3週間が経ち、昨日が飲酒解禁日だった。飲んだ。ひとつ気になることが起きた。「飲酒3週間おき」のルールを決めてから、毎回金麦を5本ずつ飲んでいた。そう決めたわけではないが、その本数で足りていた。ところが昨日は8本も飲んだ。どうしてしまったのか。

細かいことを確認してゆく。

私は飲酒の回数制限は自分に課したが、一回に飲む本数制限は課していない。だから今回の本数は、禁忌を犯した訳ではない。

それでも、ずっと金麦5本を飲んできたから、「次回は4本に抑えたいものだ」とさえ思っていたのに、その倍の8本を飲んでしまったのは意外だ。

変な飲み方をしたのかというと、そうではない。それどころか、予定していた通りに、ゆっくりと飲み進めた。それが逆効果だったのか、あまり酔えず、4本5本では酩酊特有のいい気持ちになれなかった。

酔って寝てしまうこともなく、4本5本の時点で先を見越して布団を敷いておいたが、結局寝ないで8本飲み終わった。

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ひと眠りした後の追伸 [我はアル中。断酒は敵だ。]

今日も金麦を5本飲んでしまったが、やはり私の体には多かったらしく、後で不覚にも眠り込んでしまった。気をつけないと風邪をひく。何とか1回4本にしたいものだが、飲んでいる最中には飲み足りなくなることの心配ばかりするので、難しい。多かったと感じるのはいつも飲み終わった後だ。

この記事がその問題点を書き留めるだけではつまらないので、前回の記事に出した「ひるの歌謡曲」以外の細かいものを出しておこう。まずFM放送に「八芳園 私の詩」というコーナーがあったらしい。その中からパーソナリティのセリフ(BGMは八神純子のI'm A Woman)を少し出そう。


次は、市民ラジオの話に続いて「音楽のすべて」という番組。これのOPは、グノー作曲の歌劇「シバの女王」からワルツ。

このワルツは、ようつべでも確認できる。
https://youtube.com/watch?v=s05eiB2Vi2k

さあ、記事を書いているうちに睡眠薬が効いてきた。それではここまでとさせてもらい、UPしてバタンキュー。

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飲酒時記事 私の「ひるの歌謡曲」 [我はアル中。断酒は敵だ。]

前回の飲酒から3週間が過ぎて飲酒解禁になったら即飲んでしまうというのは、あまり良くない。とはいえ、今回は少しだけ事情もある。本当は飲酒を遅らせ、ハードディスク内の大事なデータ整理をしたかった。私には確かに「酒飲みたい病」があるが、それを超えるほどの意欲/恐怖/仕事の必然性がある場合はそれらが酒に勝る。今回は恐怖と仕事はなくて、ハードディスクを管理する意欲があった。説明しないと他人にはわかるまい。この管理は「カセットテープ補完計画」に関係している。日本の非正規雇用計画のせいで生き甲斐になるべき『妻子』を養うだけの収入を得られず、リストラのせいで『仕事』を生き甲斐にできなかった私にとっては、『補完計画』が「私が生きている証」なのだ。だから酒に勝る。本当は今日その作業をし、それが済んでから安心して酒を飲みたかった。

しかし今日は朝から雪が降ってしまった。寒さは体に悪く湿度は機械に悪い。作業を始めたら夕方までかかる。途中で止められない。今日のこの寒さでそれをすると私は風邪をひく。湿気の届かない場所に保管してあるバックアップ用ハードディスクをわざわざ湿った日に出してくることもない。だから、飲酒を先行した。

でも私は残念だ。なぜなら飲酒には、楽しめる「何か」が必要だ。酒自体は感情増幅剤や「他の事を忘れて目の前の事に没頭できる」薬でしかない。だからそれとは別に「没頭できる何か」が要る。それを元にして感情を(良い意味で)増幅させ、至福の気持ちになれる瞬間があってこその酒だ。今日、私はその「没頭できる何か」を用意できていない。

でもとにかく、ここまで来たら何かやってみよう。私のカセットテープにある「ひるの歌謡曲」から、OPまたはEDのBGMが切れずに入っているもの、しかもラジカセ録音ではなくカセットデッキ録音(ステレオ録音)のもの。OPの場合は、斎藤光太郎の歌手紹介と前半曲名までをmp3にした。


ひるの歌謡曲 OP
1981年2月
天地真理


ひるの歌謡曲 OP
1981年
雅夢


ひるの歌謡曲 ED
1981年?
石野真子?(純粋にEDだけなので、真子であってもなくても関係ない)


ひるの歌謡曲 OP
山本リンダ


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飲酒報告 [我はアル中。断酒は敵だ。]

いつも通り金麦5本なのに、その日の晩に二日酔いの症状が出た。(翌日でないので二日酔いとは言わないが、症状は同じだ。)ピザと酒が胃に入ったまま一眠りしたので、目が覚めた時にものすごく気持ち悪くなった。あまりの気持ち悪さに、「ごめんなさい もうしません」と言いたくなる苦痛だ。飲酒回数が減ったので、体が酒に慣れておらず、少ない酒量で酔っぱらう。次回は4本を目指すか。とはいえ、酒の回りは後からやってくるので飲んでいる最中はまだ飲みたいと思ってしまうのが問題だ。酒はゆっくり飲まなければいけない。今回気持ち悪くて苦しんだので、次回の飲酒は気が進まないだろうか。それとも数日も経てばケロリとして「酒飲みたい」とブログに書くのだろうか。

昨日は飲み始めの頃にブログ記事を書いて、それから録画しておいたフェアリーテイルを観た。そこまでは楽しかった。そこまでなら、「とても良い飲酒だった」と締めくくれたはずだ。その後の二日酔い、あれを起こさない工夫が必要だ。ゆっくり飲んで、飲酒のスピードに酔いが回るスピードをできるだけ追いつかせる。それにより、体が許容する酒量をできるだけ越えないようにする。それにより、飲んだ後で寝てしまうのを防ぐ。それにより、胃の中にアルコールが入ったまま長時間経過して気持ち悪くなるのを防ぐ。次回3週間後はこの作戦でやってみよう。

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アル中がノンアルコールビールを試した [我はアル中。断酒は敵だ。]

我が家の正月恒例の挨拶が終わりました。普段話さない親戚と話すのは話題がなくて困ります。今年は叔父から唐突に酒を飲みますかと聞かれてびっくりし、体を壊してたまにしか飲めませんとつい正直に答えてしまいましたが、ここで飲みますと嘘をつくとその後の話全部に嘘を引っぱって行かなければならないので、これで良かったのでしょう。その後が厄介でした。亡くなったお父さんとは酒を飲みに行きましたかと話が続いてまたびっくり。お父さんは話し相手の好きな話題を出してくるのが上手くて、相手が気持ちよく話をすることができましたという話が延々と。年始の挨拶でどうして数十年前に死んだ父の話が唐突に出るのかがわからぬまま、何を返答していいかわからずに延々と話の相手をしていました。まさか、私が父と違って話し下手で悪かったですねと言うわけにもゆかず、あなたは相手が困る話題を出してくるのが上手ですねとも言えず。

その後で叔母と話しましたが、その叔母が話すに、年をとると年相応に悪い所が出てきますが、それが年相応に元気ということですと。いい話をする人だなあと思いました。人との話し方を学ぶなら、男からよりも、よく話し、話すのが上手い女性から学ぶのが良いと。私が話し方を学べば、このブログの冗長な文章も改善されるかも。

とにかくこうして元日の大役が終わり、気分転換ストレス発散に飲酒というのが毎年の私のパターンです。でも昨年暮れに飲んでしまったので、今年の正月は飲めません。そこで、ノンアルコールビールというのを試してみることにしました。

アサヒドライゼロというのを買ってきました。美味しいです。

私は「アルコールが入っていないから酔わない」ということ自体をマイナス要因に加えるつもりはありません。酔いなんて、気分の問題かもしれないじゃありませんか。「飲んで」いる気分になって(私の場合)好きなアニメでも見て楽しめればそれでいいでしょう。

でもひとつ、アル中にとって致命的な欠点が見つかりました。350ml缶を2本飲み切れなかったんです。アルコールって、どうしてあんなに飲めるんでしょう。トイレに行きつついくらでも飲めます。でもアルコール以外の飲料は、トイレに行きたくなるまで飲もうとは思わないし、飲めません。

だから好きなアニメを見始めたまでは良かったけど、アサヒドライゼロの飲み終わりと共に早々とアニメ視聴も終わってしまいました。その後は何となく物足りなさ(酔いの物足りなさでなく、アニメなどの楽しみの分量の足りなさ)を感じてそれを補うべくカレーを爆食いする始末。

ドライバーの皆さんも飲めて人気のノンアルコールビールですが、アル中という人間は駄目な奴だから、ノンアルコールビールの手には負えないことがわかりました。

禁断症状が出てどうにも飲みたい時にノンアルコールビールを飲んで諦める、という使い方はあるかもしれません。

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アル中おじさん 酒飲みたいが 暇がない [我はアル中。断酒は敵だ。]

いま私はメガネ店にいる。昨日頼んでおいたレンズが今日の午前中に店に届いて、午後に私は自分のメガネをかけてメガネ店に来て、レンズを削ってフレームに入れてもらう間の待ち時間だ。最近忙しかったが、やっと暇ができたので記事を書きたい。

アルコールの悪魔は律儀な奴で、飲んだ後は必ず同じ日数の後に禁断症状を運んでくる。1週間を過ぎた頃だ。例によって、初めは自分で禁断症状と気づかない。何か小さなストレスの後で、こういう時こそ酒が飲みたいと思う。きっかり3週間ごとに飲酒と決めてしまったから、前回はあまり飲みたくないのに飲むことになり、今は飲みたいのに飲めない。これは間違っていた。特に飲みたい時にまず飲み、その日を起点に3週間は飲めないとすれば良い。3週間を過ぎても飲みたくなければ飲まず、また本当に飲みたい日が来た時に飲むのが良い。だから最初の起点として今飲みたい。そう考えた。一見理性的な思考のようにも思える。

しかし実はこれは悪魔の誘いだった。数日後に思い返して、それが理性的な判断ではなく禁断症状による欲求だったのだと気づいた。今回は、忙しすぎたのが幸いしてその時に酒が飲めなかった。

その後も飲酒衝動は襲ってきた。ところが今度は、眼科で白内障だと言われたショックが大きくて飲めなかった。ショックはストレスだから、強烈に飲みたくなるだろうと思う方もいらっしゃるはずだ。確かに飲みたくなる。しかし私は今までの人生、とくにリストラの恐怖や他人から死を考えるほど傷つけられた時に、酒を飲んで失敗した体験がある。本当に心が辛い時、人は酒を飲んではいけない。泥酔して一時的に忘れた後、酔いが醒めるとともにものすごい恐怖が襲ってくることがある。私は自分の体験があるから、すごく辛い時には飲酒衝動もあるがそれと同時に飲酒への恐怖もある。だから飲めない。

眼科の宣告から何日か経って、少しずつ冷静になってきた。まだ目薬も要らない段階だと言われているのだから、今すぐにショックを受ける必要は本当はないのだが、それでも人はショックなものだ。あなたは白内障ですとか、あなたは網膜剥離ですとか、あなたは癌ですとか言われたら、それがたとえ初期症状でもひとまずショックに打ちのめされるだろう。冷静になるまでにちょっと時間が要る。で、冷静になってきた。昨日はメガネ店で眼科よりも詳しく視力検査をして(レンズの度を替えては何度も視力を測り直すので詳しい)、その時に白内障の影響は出ていないと言われたのでなおさら安心した。安心したら酒で祝いたい。

禁酒を始めてからまだ3週間経っていない。それでどうなったかというと、今度も忙しさに救われた。私はてっきりメガネのレンズが出来上がるまでに1週間くらいかかり、年明けになるだろうと思っていた。ところが実際には翌日の午前中にレンズが届くと言われてびっくり。午前に届くのだから私は午後にメガネ店へ行くことになる。酒を飲んではいられない。

それだけではなかった。このブログの記事で下水管の詰まりのことを書いたが、その修理が急に決まった。私がメガネ店へ行っている間に水道屋さんが下水管の修理だ。年末は毎年忙しいけれども、今年はまあなんと色々なことがあるのだろう。そのおかげで、なんとか禁酒の3週間を乗り切ることができる。3週間さえ過ぎれば、正月に酒を飲むか、それとも新年の席では飲んだふりだけして飲まずに今年中に飲むかは、どちらも許される。今年中に飲んだら、正月にはもちろん飲んではいけない。


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あまり飲みたくないけど飲むことにした [我はアル中。断酒は敵だ。]

アル中だから24時間飲みたいとは限らない。精神状態も影響する。私は腰が痛い時に歩くとまともに歩けずに、痛いほうの側の片足をひきずって歩く。それで昨日は電車で席を譲られた。私は今まで電車で席を譲られたことがなかった。東京あたりの電車ではお年寄りが立っている時でさえ、人々が無関心に座っていることが多い。まして私は腰痛のオヤジとはいえまだ「お年寄り」と呼ばれる歳ではない。だから私は思った。席を譲ってくださった方がとりわけ親切なのはもちろんだが、私はよっぽどひどい状態に見えているんだ、と。こうも思った。いつか私が辛そうな人に席を譲れるほど健康になれる時が来るのだろうか、と。そして考え込んでしまった。

一晩寝たら、昨晩寝る前には回復していたはずの腰が曲がっている。(腰痛の体験のない方のために書くと、腰が痛いとまっすぐに立っていられずに腰が曲がる。)それで昨日のことも思い出し、今日は酒を飲むよりももっと真面目な気分だ。

ではなぜ今日酒を飲むのか。それは、私には酒を飲みたい日に自由に飲む権利すらないからだ。以前の記事に書いたように、私は3週間禁酒しては1日飲むことにした。およそ3週間後には正月が来る。正月にはアルコールを口にしなければならない。そこから計算して遡って3週間前、いま飲んでおかなければ私は正月まで飲めないから、6週間連続禁酒になってしまう。

私は飲酒を計画的に行なわなければならない。これは、私がアル中で飲みだしたら止まらないから、そうしなければならないのだ。

そういう事情で、今回の記事は浮かれた話題はない。たったいま飲み終わった。今回の飲酒のオカズ(気分よく飲むための材料)はアニメ版「中華一番」、シメはアニメ版「フルーツバスケット」最終話となった。

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あえて恥ずかしい記事を書くのには理由がある [我はアル中。断酒は敵だ。]

禁酒記事を書いていて、気にしていることがあった。もしも私と同じく酒をやめられない人がこれを読んだとして、3週間禁酒すると書いて3週間飲まずにいるのを読んだら、たぶん「そんなにうまく行くはずがない」「それはアル中じゃない」と思うのではないか。でも実際には、そんなにうまく行くはずがあり、そしてアル中なのだ。それを説明しておかなければと思っていた。

まず恥ずかしながらアル中の証明のほうから始めたい。私はカレンダーに飲酒量を書き込んでいる。10月のカレンダーが手元にあるので、日付と金麦の本数、自分で書いたコメントがあればコメントを書き写してみよう。

10/02 6本。1本多かった。
10/05 7本。多くなかった。
10/07 5本。
10/09 6本。1、2本多かった。
10/12 3本。コントロールできるか。
10/13 5本。だめだ。
10/14 4本。もう死ぬ。アル中確定。
10/16 6本。
10/19 4本。
10/21 8本。私の人生は終わった。

9月のカレンダーは手元にないが、10月と同じように酒がやめられなかった。1日のアルコールの量は、私の体が若い時のように受け付けないので、世の中の「飲める人」に比べれば少ないだろう。しかし問題はおおよそ1日おきに飲んでしまう、ひどい時は毎日飲んでしまうという習慣性だ。週単位、月単位で見ると結局大量のアルコールを摂取している。私はこれのせいで痛風になったと確信している。

「私の人生は終わった」とみずからコメントした翌日の22日、私は3週間の禁酒を開始した。そこで今度は、禁酒がそんなにうまく行くはずがある、というほうを説明したい。自分はアル中だと認識した私は、ネット検索でアルコール依存症の治療を調べた。調べる前、私はアルコール依存症の治療というのが「適度な飲酒ができる普通の状態に戻す治療」だと思っていた。ところが調べてみると、一生酒を飲んではいけないというではないか。私はショックを受けた。なぜショックを受けたのか。飲酒を否定されるということは、私の人生の一部を否定されることだからだ。

このブログの記事に書いたことがあるが、私は若い頃から酒を飲みつつ、飲酒との付き合い方を分析してきた。たとえば体内にアルコールが残った状態で寝ると眠りが浅く、必ず数時間で目が覚め、その後はもう眠れない。これはテレビの番組から得た知識ではない。テレビでもそう言っているけれども、それよりもずっと前から私が体験として思っていたことだ。酒との付き合い方を考えながら生きてきた。もしも一生酒を飲んではいけないと言われたなら、私が今までの人生で酒について考察してきた歩みや、酒と共に体験してきた良いことも、頭ごなしに否定されるということだ。私は許さない。

とはいえ私がこのまま酒の習慣性にハマり続けると、私は駄目になってしまう。それは酒の肯定を主張する私の敗北だ。もしも私が酒を否定する人に楯突くならば、私は自分で飲酒をコントロールできなければならない。そこまでは理屈として導き出される。

でも今までと同じことをしていたら、今までと同じ結果が待っている。私は心が弱く、飲んでしまう。どうしたら私は自分にコントロールを強いることができるだろう。そこで考え出したのが、自分以外の人を利用させてもらう方法だ。たったひとりでいるから、弱い心はフラフラと悪いことをする。でも周りに人がいたら、どうだろう。人が見ていると思うだけで、私は悪いことを思いとどまるのではないか。だから私は「我はアル中」という恥ずかしいブログ記事をあえて書いた。アル中の私が3週間は飲まないぞと社会に向けて公表し、飲酒のコントロール経過を人々と共有することにした。その共有、自分の禁酒を人が知っているという思いがあるから、私は飲みたくても飲めない。これが私の言う、「そんなにうまく行くはずがある」の正体だ。



今日の記事の本文は、ここまで。この続きは禁酒とは関係ない話になる。ブログの記事はひとつのテーマについて書くのが理想だけれども、日記のような一面もあるので、その日の複数のことを書きたいことも多い。この続きの話は、猫のことだ。

先日は日が暮れてから寒かった。それでも腰痛改善のための散歩は欠かせない。いつも猫がいる場所で見回したが、どこにも猫はいなかった。こんなに寒くなっては、道路に出ていないのも道理。私はいつもの歩数になるまで付近を歩いてから帰宅しようとした。すると、うちの玄関に一匹の猫が立っていた。いつも見る白猫ではなく、灰色猫だ。私は猫を驚かせたくなかったので、玄関の前を素通りしてさらに散歩を続けた。それから折り返して帰宅した。すると猫は、いなくなるどころか、立ってもおらず、玄関前に居座って丸くなっていた。私は困った。私が玄関を通ろうとすれば、必ず猫を驚かす。私は自分の家の玄関前でしばらく突っ立っていた。そのとき遠くから車が来た。私は車をやり過ごそうと道路わきに避けた。ところが車は通り過ぎずに、ちょうど私の所で向きを変えて私に向かって動くではないか。ああこれはお向いの車か。その車庫入れを私はしっかり邪魔する場所に立っている。もうこうなったら玄関に入るしかない。私は自宅の玄関に強行突入した。案の定猫はびっくりして飛びのいた。しかし猫というのは習性として、すぐに逃げない。必ず少し行った所で立ち止まって振り向いてこっちを見る。今回はそれが災いした。猫は依然として玄関前で振り向いてこっちを見ている。私はもう強行突入するしかない。猫はまた驚いて今度こそ逃げて行った。本当は驚かせたくなかったんだが。というか、自宅の前で突っ立った挙句にお向いの車の車庫入れを邪魔して家に入った私は、変な人になってしまった。

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(個人的記録)飲酒で何に気を付けたか [我はアル中。断酒は敵だ。]

3週間に1度しか飲酒できないから、楽しまなければいけない。無駄にはできない。そこで、気を付けたのは金麦の本数と、飲みながら何をやるかだ。

久しぶりの飲酒だと体が酒に慣れていないから、少ない本数で酔いが回る。だが、あまりに少ない本数で済ませるわけにも行かない。例えば2本で終わると、翌日にまた飲みたくなる。でももう飲んではいけない。飲み足りないという後悔が強く残る。十分に飲み楽しんだという満足感を記憶し、その思いを胸にまた3週間我慢するのでなければ駄目だ。だから2本目で酔ったと感じても、まだ飲む。3本目4本目は少し心配しながら飲んだ。なぜなら、脳が麻痺していくらでも飲みたくなるのを知っているから。本当は、ビール系の酒がいちばん美味いのは、一口目だ。その後は、一口目を越える美味さはない。3本目4本目は味ではなく酩酊状態を楽しむ。惰性でビール缶を口に運んでいると言ってもいい。どこで飲むのを止めるか。止められるか。それを心配していた。私は経験から、自分の適正飲酒量が金麦5本だと知っている。6本目を飲むと、飲んだ時は何でもなく飲めるが、後から酔いが回って多すぎたと感じることが多い。もちろん、毎日飲んでいれば体がアルコールに耐性をつけて、もっと飲めるようになる。でもよく考えて、自分の適正飲酒量は5本だと思った。飲んでいるうちに何本飲んだかわからなくなり、台所へ行って6本入りケースの残り本数を数えた。残り2本だったので、まだ1本飲める、有り難いと思った。この時点で1本を目につかない所に隠した。見た時にあと何本ある、もうないと感じさせることは、わずかながらも飲酒衝動に歯止めをかけるだろう。先ほど台所へ行ったと書いたが、手元に大量のビール缶を置かないほうがいい。ひと缶中身がなくなったらその都度台所へ取りに行く。立って歩くうちにわずかながらも理性を取り戻し、飲酒衝動に歯止めをかけられるだろう。こうして私は5本目まで飲んだが、5本目にしてようやく酒のあの効果、感情増幅効果を味わうことができた。ああそうだった、これがあるから酒を飲むんだったと思い出した。
5本の飲酒が終わった後は、外に猫を見に行った。腰痛対策の散歩だ。風呂は飲酒前に入っておく。飲酒後の入浴は辛かったり危なかったりする。

さて今度は、飲みながら何をやったかを記す。もちろん何をやるかは人それぞれだ。とにかくその人なりに酒を楽しめる何かをしなければいけない。私は今回、最初にちょっと心配なことをした。Windows95用ゲームにObsidianというのがあって、最近それを久しぶりにWindows10上でプレイしようとしたらセーブデータがない。セーブデータは、はるか昔にWindows95でプレイした時に作ったので、Windows10マシン上のゲームにはないのだった。私はこのゲームの特定の部分がプレイしたくて、そのためにはセーブデータが必要だ。飲酒を始めた私はプレイしたいという誘惑に勝てず、セーブデータを探し出してWindows10のゲームに入れた。何でこれがちょっと心配なことかというと、セーブデータを探すという動作自体は面白いものではない。その面白くない動作をしながら飲酒を続けると、いざ面白いことをしようという段になってすでに飲みすぎていたり、もう飲めなかったりして、結局飲酒を楽しめずに悔いを残してしまう。飲酒を始めたらすぐに面白いこと、つまり飲酒を楽しめることを始めるのがコツなのだ。今回は幸運にもすぐにセーブデータが見つかり、すぐにそれをゲームに入れられて、その後は懐かしいゲームを楽しむことができた。金麦2本を飲み終わった頃、酔ってきたのでゲームはふさわしくなくなった。ゲームプレイというのはどんなゲームでも、シラフの時の判断力とか、シラフの時の敏捷性とか、人間のまともな状態が必要だ。酔っぱらいがプレイしてもゲームクリアは望めない。酔っぱらいに適しているのはもっと単純なことだ。テレビを見るとか。そこで私は、まだ見ていなかったテレビ録画を見始めた。アニメDOUBLE DECKERの最新話を見た後は、フェアリーテイルファイナルを最初から見た。ちょっと量が多いので途中は端折った。ここまでが3本目4本目。最後の5本目はどうしても満足して終わる飲酒でなければならない。確実に満足するには、まだ見ておらず気に入るかどうかわからないテレビ録画ではなく、今までに何度も見てお気に入りの動画を選ぶ。この時点でようやく酒の感情増幅効果が出てきた。私は動画を見て泣けてきた。すでにおじさんとなった私は、涙も心も枯れ果てた。私が泣くとすれば、酒を飲んで脳が異常になった時だけだ。そういう非日常化効果が、酒の効能だ。そしてまた翌日から、涙枯れ果てた日常を頑張るのだ。

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改めて禁酒3日目 [我はアル中。断酒は敵だ。]

また禁酒が始まって3日目だ。禁酒期間は3週間。12月6日以降にまた飲める。今回の3週間は忙しそうなので、忙しさのうちに過ぎてくれるのではないだろうか。忙しいとは何かというと、週に1回通院が入っただけで毎度のスケジュールが大きく狂うが、その他に年賀状宛名書きをWord文書からpdfにしてセブンイレブンで印刷したり、X JAPANの録画を箱に詰めて外国の友人に送ったり。だから今まで着々と進めてきた「カセットテープ補完計画」が滞りそうで嫌だ。

Microsoft Wordのハガキ宛名用テンプレートがそのままでは使えないものだと知らず、自分用のハガキは失敗した。筆まめなどのハガキ印刷用アプリでは当たり前に連名が表示される。でもWordのハガキ宛名用テンプレートは連名の場所がない。自分で作らなきゃいけない。それを知らなかったから、連名だけ手書きとなった。今度やるのは親の分だ。今度こそうまくやらねば。

カセットテープ関係は、まだ時間に余裕があった頃に書いておいた記事があるので、それをこの下に出しておきたい。


先日は元友人からもらった島田歌穂と岸田智史の曲の話をしたが、カセットテープの曲で他人の影響を受けたのは、友人の影響だけではない。従妹が狩人のファンだった。聞くところによると今でもファンらしい。カセットから出てきた狩人の歌は最初の1曲以外は誰かのカヴァーで、私は長年「どうした狩人、なぜ人の歌を歌う?」と思っていたが、今回「カセットテープ補完計画」で調べたところ、狩人のセカンドアルバムがそういう構成だったようだ。

狩人ファンの従妹は出来た人間で、他人に気を遣い金を使う。私とは大違いだ。私は人付き合いが苦手だから人から逃げる。金はバブル期には人にも自分にも使っていたが、リストラ後は自分にさえ使わない。まして人に使えるわけがない。従妹を見習えば私もましな人間になれるだろうが、それが出来るくらいなら最初から私も「出来た人間」のはずで、それが出来ないから今の私なんだ。

従妹とは滅多に会わない。この歳になると、親戚と顔を合わせるのは不幸があった時だから、会わないというのはつまり平穏無事ということだ。せめて遠くから今までの非礼を詫び、平穏を願う。

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実に美味いぃぃぃぃぃっ! [我はアル中。断酒は敵だ。]

3週間と3日ぶりの飲酒だ。

実に美味いぃぃぃぃぃっ!
美味ピー!
はっピー!
うれピー!
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もうこれは記事に書くしかない!
こんな美味いものを一生飲まずにいられるわけがないじゃないか!
だが私が酒を飲むためには
自分で飲酒をコントロールしなければならない。
もしコントロールを失って無秩序に飲み続けたら
私は自分自身で決めたルールにより飲酒の権利を失ってしまう。

今日を飲酒日としたのは
ちょうど1週間後にMRI検査が決まり
そのちょうど1週間後に検査結果を聞きに行き
禁酒日の区切りにちょうどいいからだが
何よりもただ飲みたかったからというのは言うまでもない。

今日浮かれているのは
2週間後に浮かれていられるとは
限らないからでもある。
MRI検査の結果がどうなるか。
だから今、騒いでおくのだ。
四旬節前の謝肉祭みたいなもんだ。

今日騒がずして、いつ騒ぐのだ。

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2018年11月12日までの禁酒 [我はアル中。断酒は敵だ。]

あと数日で3週間禁酒達成だから、飲まないでいられるだろうが、禁断症状は何日経っても治りそうにない。3週間で治らないものは1ヶ月でも2ヶ月でも1年でも治らないだろう。よほど年をとって体が飲酒を拒むようになるまでは治らないだろう。

いまの禁断症状は、自分がとるに足らない駄目な奴だと思い込むという症状と、ふだん間食をする習慣のない私が菓子を食べて気を紛らわさずにいられないという症状だ。他人に腹を立てる症状でないのは不幸中の幸いだ。

カセットテープ補完計画は山口百恵を終わらせる所だ。百恵は歌の発表時に録音したのでなく後年にラジオで流れたのを録ったので、今ごろ出てきた。

当時の友人から贈られた歌も出てきた。島田歌穂だ。その元友人は島田歌穂のファンで、私は握手会に連れて行かれた。でも残念ながら島田歌穂の歌は私好みではない。私が思うに、小さい頃にロビンちゃんをテレビで見たかどうかが島田歌穂ファンになるかどうかにかなり影響するのではないだろうか。私は残念ながらロボコンを見ていなかった。

元友人からもらって気に入った歌もある。岸田智史。ところが録音がボロボロで、何とか聞こえるという状態。まともな音で聞きたいと思い、今回ネットで探したが、私が聞きたい歌はわずかな情報しか見つからなかった。ベストアルバムCDは見つけたが、すでに予算は使い果たしている。さてどうしようかな。

禁断症状で落ち込み気味だから、アニメの話をしてみようか。アニメはDOUBLE DECKER!とフェアリーテイルが面白い。フェアリーテイルは今までの話を知らないで突然見始めたから、ウィキペディアで予習した。でも今までのシリーズを見てないというのはかなりの損だ。私以外の人たちは登場人物に思い出も思い入れもあるというのに。他には、私の年齢的にからくりサーカスを見ている。100パーセント藤田和日郎先生テイストのアニメだ。

腰痛改善のための散歩は毎日続けている。大抵は夜だが、時には昼に。先日は、ある家の軒先に置かれたプランターの中に猫が2匹入っていた。可愛かったのでスマホで写真を撮りたかったが、他人の家の中だから撮影している所を見られたら不審者になってしまう。それで諦めた。翌日同じ家に行ってみたが、もうプランターに猫はいなかった。やっぱり撮っておくべきだったと後悔した。猫には遠く及ばないが、秋空の雲を撮った。今の季節だけの空の表情だ。
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2018年11月12日までの禁酒 [我はアル中。断酒は敵だ。]

第二期禁断症状

禁断症状の期間に医学的な区分があるかどうかは知らないが、私個人には区分がある。禁酒を始めて2日目3日目が最初の禁断症状だ。それを我慢すると小康状態となり、「これはうまく行けるかな」と気を抜いた一週間後以降に第二の禁断症状が来る。第二の禁断症状では、酒が飲みたいと自覚しない。ただなぜか人の言動に敏感に腹を立てる。酒との関連を自覚しないから、私はただ自分は正しく、相手が悪いと普通に思っている。相手の方が私の異変に気づく。以下の記事は、そういう第二期禁断症状に突入して、現状の記録を残そうと書いたものだ。


仕事があれば酒に興味が向く暇がない。健康を害すれば酒に興味が向く余裕がない。しかし仕事がなく健康が回復するとやばい。おそらく禁酒のストレスのせいだと思うが、怒りっぽくなったり、自分が駄目な奴だと落ち込んだりと精神が不安定になる。しかしそれではいけない。自分の心をコントロールしなければいけない。でも全部うまく行ったらそれはもはや人間業じゃない。神様だ。私は無意識に何とか気を紛らわせようとしたらしいが、その結果、シェルブールの雨傘DVDとゴジラサウンドトラック復刻版CDをレンタルし、ファミリー劇場を視聴契約してしまった。それ以前に外国人の友人が大ファンのX JAPANをWOWOWで放送するのでそれも彼のために契約していたから、今月は散財がはなはだしい。

シェルブールの雨傘はミュージカルだ。私はミュージカルが好きでない。ではなんでレンタルしたかって? 子供の頃に買ってもらった映画音楽全集2枚組レコードが4つある。その4つの全集のうち2つにシェルブールの雨傘が入っている。どんな映画かと昔から気になっていたが、何年待ってもスカパーで放送してくれない。

ゴジラのサウンドトラックは昔レコードを持っていた。でもレコードの枚数が増えすぎて整理した時に捨ててしまった。収録曲の解説を一部覚えていて、今ごろになって懐かしい。

ファミリー劇場はパトレイバーだ。パトレイバーは今までにもスカパーで放送したが、私は頑なに視聴を拒んできた。予算がないから、本当にものすごく見たいものだけを契約しなければならない。それが今回禁酒のストレスのせいで思わず契約してしまった。コジコジ全話一挙放送が私を後押しした。

話は変わるが、親から落とされた子サボテンは、その後ほとんど変化がない。土に植えたからひっくり返して見るわけにゆかず、根が出たのか出ないのかわからない。

PC-9821のWinデュアルブート不可の問題は、その後まだ起動テストしていない。夏のようにブレーカーが落ちることはもうないようなので、停電ランプがチカチカするのを直すためにPC-98を起動する機会はもうなく、自分で起動テストの機会を作らなければいけない。でも上に書いたように衝動的にシェルブールの雨傘をレンタルしファミ劇を契約してしまったので、今は暇がない。

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2018年11月12日までの禁酒 [我はアル中。断酒は敵だ。]

月曜日が来て、禁酒1週間となった。まだ予定の禁酒が2週間残っているから、全然喜べる時期ではない。ただ、1週間の節目だから記事をひとつ出したい。

先日、親がスーパーで数の子などを酒粕に漬けたものを買ってきた。私は日本酒と酒粕が嫌いだから、やれやれと思いつつ、ラップを外した。すると酒の匂いがした。とたんに私は「食いてえ! これが食いてえ!」と思った。いくらでも食べられる気がした。すぐに事情はわかった。私は酒粕が食べたいのではない。禁酒中でアルコールに飢えている私は、アルコールの匂いのするものに異常な欲求を感じるのだ。けっして食べてはいけないと思ったので、すぐにラップをかけて冷蔵庫に仕舞った。嫌いな酒粕も大好きにするアルコール中毒。いま、脳は異常だ。とにかく酒は飲まない。

禁酒を始めたばかりで辛かった頃に書いた文章があるので、今日はそれを出したい。辛かった時の文章だから内容が暗いが、自分のために記録を残しておく必要があると思う。



アル中はこうして酒浸りになる

1. 仕事がない
若い頃は、飲酒が好きでも飲む機会はそんなに多くなかった。なぜなら平日は毎日仕事だから。仕事から帰ったら疲れ果てた体で明日の用意をしてバタンキューだ。酒なんか飲んでいられなかった。ところがリストラされて、それまで複数の職場を掛け持ちだった私にはただひとつの職場だけが残された。仕事のない日は平日でも酒が飲めてしまう。それだけではない。リストラはどこか遠くの不幸な人がこうむるものだと思っていた私は、職場が自分をまったく見ておらず木々が冬に落とす葉かトカゲのシッポくらいにしか思っていなかったという事実をまのあたりにして社会での孤立にショックを受け、収入減によりいつか飢えて死ぬという恐怖に怯えた。そのショックと恐怖を忘れようと酒を飲み続けた。私が痛風になるほど酒を飲むようになったのは、リストラ以後だ。

2. 仕事の翌日
不思議なもので、仕事が毎日ある頃は、フラフラになりながらも毎日の仕事を何とかこなすだけの健康があった。仕事がわずかになって暫くすると、健康が損なわれてきた。そしてついには、仕事の次の日の午前中は動くのが辛くなった。仕事によって健康が保たれる一面もあるのだろう。で、そういう仕事の翌日の午前中は、昼間だというのに酒を飲むと、凝り固まった筋肉が酔いと共に弛緩し、その日の夜には(酔いが覚める夜まで待たねばならないが)元気にいろんな作業ができる。どうせ体が辛くて動けないのだからそういう時を飲酒に充て、それ以外は飲まないようにしようと計画した頃もあった。一見理論的なようだが、アル中は一回の飲酒量をコントロールできないことが多く、この方法はリスクが高すぎる。一週間の飲酒回数が多すぎると、飲酒欲求が刺激され、飲んではいけない日にも飲んでしまう。

3. 家人がいない
一人きりになると、たがが外れやすい。家人に知られる知られないに関係なく、ただ家人が家にいてくれるだけで飲酒の歯止めになる。家人が「明日は留守にする」と言うと、私は心の中で(行かないでくれぇー! 私を見捨てないでくれぇー!)と叫ぶ。

4. 人間関係のこじれを酒で頭から追いやる
この手のストレスは必ずしも酒で解決することはできない。酒は脳細胞破壊薬だから飲んで忘れられる場合もあるが、同時に酒は感情増幅剤でもある。ストレスがあまりに大きい時、現実に具体的な脅威が迫っているのを認識している時は、恐怖や不安を酒が増幅してしまう。よく考えて飲まなければいけない。
でも結局、何かストレスが生じた時に酒を飲んでしまうことはしばしばある。

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2018年11月12日までの禁酒 [我はアル中。断酒は敵だ。]

前回の禁酒記事からまだ数日しか経っていない。今回また禁酒記事だが、これは特別だ。今後はこんなに頻繁に記事にしない。でも今回、禁酒開始の数日後に最初の禁断症状があるのを私は知っているから、それは記事にしたい。

もしも充分に酒を飲んだなら、飲んだ翌日は飲みたくならない。だが翌々日はもう危ない。「もう」というよりも、翌々日が「いちばん」危ないのかもしれない。脳が飲みたいというそぶりを見せ始める。脳は、あからさまに「飲みたい」とは言わない。そのかわりに、そわそわし始め、生活に何か物足りなさを感じ始める。それでも我慢していると、無性に腹が減ってくる。ふだんは間食をしない人間なのに、菓子が食いたくてしょうがない。これはつまり、脳が飲酒の代替行為を求めている。これが午前中から夕方まで続く。日が暮れる頃には、脳が諦める。私は夜に飲酒しないから。なぜならアルコールが体内に残っている状態で眠ると、必ず眠りが浅く、必ず数時間後に目を覚まし、そうしたらもう眠れないから。その結果、翌日は睡眠不足でまる一日台無しになるから。私は経験からそれを知っているので、夜に酒を飲まない。脳が諦めるまで私が抵抗し続ければ、その日は私の勝ちだ。

今後、私が記事で多少のつまらない悪ふざけをするのを許してほしい。実は私はいままでずっと、あることをしたかった。記事に私が書いたことや考えていることに関係のある画像をその都度1枚出したかった。でもその出したい画像というのが私に著作権のあるものでなく、若い頃に読んだ漫画や、観たアニメの1シーンだから、今までずっと我慢していた。でも巷では、地デジ放送されたばかりのアニメでも、スクリーンショットを1枚ネットに出す所までは消されず大目に見てもらっているのをよく見かける。私が出そうとしている数十年前のものは、つまらなくて呆れられるかもしれないが、許してはもらえるだろう。今日は昔のOVAから1シーン。「タイトルの初防衛は成功した」。
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今後、日にちが経つにつれて脳の飲酒欲求は少なくなってゆくだろう。でもある日とつぜん、今回とはまったく違う原因で巨大な飲酒欲求が出ると私は予測する。それは、人間関係でのストレスだ。生きていればいつか必ず、「酒でも飲まなきゃやってられない」時が来る。それをどうやって凌ぐか。凌げるのか。私のタイトル防衛は始まったばかりだ。

最後にスローガンをカッコ悪く叫ぶのをうっかり忘れるところだった。医者が考えればアル中にとって酒が敵で断酒は味方なのだろうが、私はアル中治療から逃げ回る「悪いアル中」だから、酒を飲み続けるのが目的だ。飲み続けるためには自分である程度飲酒をコントロールできなくてはならないので今その努力をしている。その努力によってアル中治療の「一生断酒」という無間地獄から逃れるのだ。だから断酒が敵だ。それでは叫ぶぞ。

我はアル中! 断酒は敵だ!

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2018年11月12日までの禁酒 [我はアル中。断酒は敵だ。]

痛風治療を始めた頃は酒を飲む気にもならなかったが、それから1年と4ヶ月が経とうとしている。ここ数ヵ月は抑えが効かずに飲みまくっている。

何とかしなければならないとは、ずっと思っている。そこで今回、ある実験をしてみる。まずは実験の概要を書き記して、このカテゴリー最初の記事としたい。

まず、私は自分がアル中だと思っている。次に、すでに痛風治療と眼科治療が進行中で冬から腰椎治療も始まるというのに、この上アル中治療までするのは嫌だ。そこでアル中治療から逃げ回るために、自分で飲酒量と飲酒回数を減らさなければならない。

ただ飲まないようにしようと思って飲まないでいられれば、それはアル中ではない。それでも飲んでしまい、飲み始めたら止まらないからアル中という。ではどうすればいいか。

私はネット検索して、アル中治療の行程を調べた。治療は4段階に分けられる。
第1段階は導入で、初めて担当医に会い、酒は一滴も飲んじゃいけないんだぞと言われ、これから断酒を始めますよと言われる。以後、一生酒を飲んではいけない。これは導入だから治療の期間には数えない。
第2段階は、多くの場合入院して治療する。巷には酒の誘惑が多い。仕事帰りの電車の吊り広告に「今日は鍋で金麦」などという直球の誘惑もあれば、仕事で人間関係に失敗し、とにかく今の精神状態を何とかしなければ生きて行けないという間接的な誘惑もある。病棟に隔離されればあらゆる誘惑からも隔離される。こうして患者を酒から遠ざけておいて、その間に禁断症状の克服と、酒にやられた内臓の治療を行う。これが第2段階で、およそ3週間。
このあと第3段階がおよそ7週間、ここまでが入院らしい。第4段階はその後退院してから死ぬまで。酒の誘惑は悪魔のように一生襲ってくるので、死ぬまで注意し続け、一滴も飲んではならない。

話が長くなった。私はこの記事を10月22日に書くけれども、すぐには出さない。ブログ記事というのは「何日以降に公開する」という設定ができる。アル中治療の第2段階がおよそ3週間だから、わたしはこの記事を、書いてから3週間を越した11月12日に掲載されるように設定する。もしもそれまで酒を飲まないでいられたら、予定どおりに記事が出る。もし飲んでしまったら、UP前の記事を自分で削除しなければいけない。私はアル中治療から逃げるのだから、そのまま酒を飲まないつもりはない。飲んでやる。ただ偶然にも11月14日が採血日なので、飲酒は記事が出る12日ではなく、14日に決行だ。

最後にスローガンをカッコ悪く叫んで、この記事を終わりにする。

我はアル中! 断酒は敵だ!

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