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あえて恥ずかしい記事を書くのには理由がある [我はアル中。断酒は敵だ。]

禁酒記事を書いていて、気にしていることがあった。もしも私と同じく酒をやめられない人がこれを読んだとして、3週間禁酒すると書いて3週間飲まずにいるのを読んだら、たぶん「そんなにうまく行くはずがない」「それはアル中じゃない」と思うのではないか。でも実際には、そんなにうまく行くはずがあり、そしてアル中なのだ。それを説明しておかなければと思っていた。

まず恥ずかしながらアル中の証明のほうから始めたい。私はカレンダーに飲酒量を書き込んでいる。10月のカレンダーが手元にあるので、日付と金麦の本数、自分で書いたコメントがあればコメントを書き写してみよう。

10/02 6本。1本多かった。
10/05 7本。多くなかった。
10/07 5本。
10/09 6本。1、2本多かった。
10/12 3本。コントロールできるか。
10/13 5本。だめだ。
10/14 4本。もう死ぬ。アル中確定。
10/16 6本。
10/19 4本。
10/21 8本。私の人生は終わった。

9月のカレンダーは手元にないが、10月と同じように酒がやめられなかった。1日のアルコールの量は、私の体が若い時のように受け付けないので、世の中の「飲める人」に比べれば少ないだろう。しかし問題はおおよそ1日おきに飲んでしまう、ひどい時は毎日飲んでしまうという習慣性だ。週単位、月単位で見ると結局大量のアルコールを摂取している。私はこれのせいで痛風になったと確信している。

「私の人生は終わった」とみずからコメントした翌日の22日、私は3週間の禁酒を開始した。そこで今度は、禁酒がそんなにうまく行くはずがある、というほうを説明したい。自分はアル中だと認識した私は、ネット検索でアルコール依存症の治療を調べた。調べる前、私はアルコール依存症の治療というのが「適度な飲酒ができる普通の状態に戻す治療」だと思っていた。ところが調べてみると、一生酒を飲んではいけないというではないか。私はショックを受けた。なぜショックを受けたのか。飲酒を否定されるということは、私の人生の一部を否定されることだからだ。

このブログの記事に書いたことがあるが、私は若い頃から酒を飲みつつ、飲酒との付き合い方を分析してきた。たとえば体内にアルコールが残った状態で寝ると眠りが浅く、必ず数時間で目が覚め、その後はもう眠れない。これはテレビの番組から得た知識ではない。テレビでもそう言っているけれども、それよりもずっと前から私が体験として思っていたことだ。酒との付き合い方を考えながら生きてきた。もしも一生酒を飲んではいけないと言われたなら、私が今までの人生で酒について考察してきた歩みや、酒と共に体験してきた良いことも、頭ごなしに否定されるということだ。私は許さない。

とはいえ私がこのまま酒の習慣性にハマり続けると、私は駄目になってしまう。それは酒の肯定を主張する私の敗北だ。もしも私が酒を否定する人に楯突くならば、私は自分で飲酒をコントロールできなければならない。そこまでは理屈として導き出される。

でも今までと同じことをしていたら、今までと同じ結果が待っている。私は心が弱く、飲んでしまう。どうしたら私は自分にコントロールを強いることができるだろう。そこで考え出したのが、自分以外の人を利用させてもらう方法だ。たったひとりでいるから、弱い心はフラフラと悪いことをする。でも周りに人がいたら、どうだろう。人が見ていると思うだけで、私は悪いことを思いとどまるのではないか。だから私は「我はアル中」という恥ずかしいブログ記事をあえて書いた。アル中の私が3週間は飲まないぞと社会に向けて公表し、飲酒のコントロール経過を人々と共有することにした。その共有、自分の禁酒を人が知っているという思いがあるから、私は飲みたくても飲めない。これが私の言う、「そんなにうまく行くはずがある」の正体だ。



今日の記事の本文は、ここまで。この続きは禁酒とは関係ない話になる。ブログの記事はひとつのテーマについて書くのが理想だけれども、日記のような一面もあるので、その日の複数のことを書きたいことも多い。この続きの話は、猫のことだ。

先日は日が暮れてから寒かった。それでも腰痛改善のための散歩は欠かせない。いつも猫がいる場所で見回したが、どこにも猫はいなかった。こんなに寒くなっては、道路に出ていないのも道理。私はいつもの歩数になるまで付近を歩いてから帰宅しようとした。すると、うちの玄関に一匹の猫が立っていた。いつも見る白猫ではなく、灰色猫だ。私は猫を驚かせたくなかったので、玄関の前を素通りしてさらに散歩を続けた。それから折り返して帰宅した。すると猫は、いなくなるどころか、立ってもおらず、玄関前に居座って丸くなっていた。私は困った。私が玄関を通ろうとすれば、必ず猫を驚かす。私は自分の家の玄関前でしばらく突っ立っていた。そのとき遠くから車が来た。私は車をやり過ごそうと道路わきに避けた。ところが車は通り過ぎずに、ちょうど私の所で向きを変えて私に向かって動くではないか。ああこれはお向いの車か。その車庫入れを私はしっかり邪魔する場所に立っている。もうこうなったら玄関に入るしかない。私は自宅の玄関に強行突入した。案の定猫はびっくりして飛びのいた。しかし猫というのは習性として、すぐに逃げない。必ず少し行った所で立ち止まって振り向いてこっちを見る。今回はそれが災いした。猫は依然として玄関前で振り向いてこっちを見ている。私はもう強行突入するしかない。猫はまた驚いて今度こそ逃げて行った。本当は驚かせたくなかったんだが。というか、自宅の前で突っ立った挙句にお向いの車の車庫入れを邪魔して家に入った私は、変な人になってしまった。

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