(個人的記録)そして私は酒が飲めなくなった [痛風日記]
昨日の未明に台所へ行って明かりをつけた時、右膝が膨れていたという話までは書いた。湿布薬は貼ったままだとかぶれるので、はがした。そのせいもあってか、安静に寝ていたというのに右膝は朝の9時まで変わらず膨れていた。
私は何とか腫れを治そうと、湿布薬を貼り直し、ひたすら横になって安静にしていた。天井を眺めて一日が過ぎた。夕方には、まだ腫れているものの、膝を曲げても痛くなく、立て膝をして立ち上がっても痛くないまでになった。
夜になり、夜更かしをすべき健康状態でないので私はまた寝た。よくこれほど寝られるものだ。ここまでが昨日。
午前1時に目が覚めた。右膝は正座ができるほど折り曲げられるようになったが、力を入れるとまだ少し痛かった。また寝ようと1時間頑張った後で諦め、起き上がった。眠れないのでなく、何もせずに天井を眺めて生きることが精神的に我慢できなくなったから。
数日ぶりにパソコンの前に座って、心は健やかになった。でも心と体はシーソーの関係にあるらしい。心を優先した結果、右膝が良くないだけでなく腰まで曲がった。夜が明ける前にまた横になった。
そして、まる一日が経って今は23時半だ。また日付が変わろうとしている。膝はほとんど治ったが完治はしない。
記録はここまでにする。痛風発作にしては治りが早かったが、親は痛風だと思い込んでいる。そしてどういう間違った知識だか知らないが、麺類が痛風に悪いと思い、冷蔵庫内の冷し中華と冷麺と酸辣湯麺、すべての麺類を私が食べないように隠した。膝が腫れている最中に病院へ行って薬をもらって来いと言うし、滅茶苦茶だ。正しくは、腫れが引くまで家で安静にし、腫れが引いてから病院へ行ってフェブリクを処方してもらい服用し続ける、だ。痛風発作の腫れならば10日経つと嘘のように治るというのも親は知らない。それでも、こうなってしまった親は止まらない。それで私は酒を飲ませてもらえなくなった。
私は何とか腫れを治そうと、湿布薬を貼り直し、ひたすら横になって安静にしていた。天井を眺めて一日が過ぎた。夕方には、まだ腫れているものの、膝を曲げても痛くなく、立て膝をして立ち上がっても痛くないまでになった。
夜になり、夜更かしをすべき健康状態でないので私はまた寝た。よくこれほど寝られるものだ。ここまでが昨日。
午前1時に目が覚めた。右膝は正座ができるほど折り曲げられるようになったが、力を入れるとまだ少し痛かった。また寝ようと1時間頑張った後で諦め、起き上がった。眠れないのでなく、何もせずに天井を眺めて生きることが精神的に我慢できなくなったから。
数日ぶりにパソコンの前に座って、心は健やかになった。でも心と体はシーソーの関係にあるらしい。心を優先した結果、右膝が良くないだけでなく腰まで曲がった。夜が明ける前にまた横になった。
そして、まる一日が経って今は23時半だ。また日付が変わろうとしている。膝はほとんど治ったが完治はしない。
記録はここまでにする。痛風発作にしては治りが早かったが、親は痛風だと思い込んでいる。そしてどういう間違った知識だか知らないが、麺類が痛風に悪いと思い、冷蔵庫内の冷し中華と冷麺と酸辣湯麺、すべての麺類を私が食べないように隠した。膝が腫れている最中に病院へ行って薬をもらって来いと言うし、滅茶苦茶だ。正しくは、腫れが引くまで家で安静にし、腫れが引いてから病院へ行ってフェブリクを処方してもらい服用し続ける、だ。痛風発作の腫れならば10日経つと嘘のように治るというのも親は知らない。それでも、こうなってしまった親は止まらない。それで私は酒を飲ませてもらえなくなった。
2022-08-27 23:30
(個人的記録)痛風発作 再発可能性のその後 [痛風日記]
記事の時刻表示を見ればわかるが、今は真夜中だ。目が覚めてしまった。右膝が腫れ始めたのは昨日の朝だったから、まだ24時間は経っていないが、体調が悪いと長時間苦しんでいるような気になる。今はもちろん横になったままスマホで記事を書いている。パソコンの前に座って仕事ができないのが歯がゆい。
右膝は相変わらず腫れている。横になって休むと具合が良く、椅子に座ると悪くなる。「体調の悪い時は横になっていろ」とよく言うが、なるほどと思った。昨日は運悪く親のケアマネージャーが家に来たので横になっているわけに行かず、その間は膝の腫れが悪かった。
この腫れが痛風発作かどうか。それが本題だが、正直判断しかねる。本来の痛風発作は、関節が膨れ上がるほど腫れて激痛が走り、ちょっと動くのも大変だ。いっぽう今回の腫れは、見た目にはわからない程度だ(これは間違い。追記あり)。でも腫れているので膝を曲げると痛い。症状としては、痛風発作ほどひどくない。ただ、腫れる前から(膝のお皿がチクチク痛んだ時点で)湿布薬を貼っていたので予防になったし、初期の痛風で症状が軽い可能性もある。
追伸
夜中に目が覚めて腹が減り、頑張って立ち上がり台所へ行った。明かりをつけて初めてわかったが、右膝が膨れてきた。どうやら、腫れはこれからのようだ。
右膝は相変わらず腫れている。横になって休むと具合が良く、椅子に座ると悪くなる。「体調の悪い時は横になっていろ」とよく言うが、なるほどと思った。昨日は運悪く親のケアマネージャーが家に来たので横になっているわけに行かず、その間は膝の腫れが悪かった。
この腫れが痛風発作かどうか。それが本題だが、正直判断しかねる。本来の痛風発作は、関節が膨れ上がるほど腫れて激痛が走り、ちょっと動くのも大変だ。いっぽう今回の腫れは、見た目にはわからない程度だ(これは間違い。追記あり)。でも腫れているので膝を曲げると痛い。症状としては、痛風発作ほどひどくない。ただ、腫れる前から(膝のお皿がチクチク痛んだ時点で)湿布薬を貼っていたので予防になったし、初期の痛風で症状が軽い可能性もある。
追伸
夜中に目が覚めて腹が減り、頑張って立ち上がり台所へ行った。明かりをつけて初めてわかったが、右膝が膨れてきた。どうやら、腫れはこれからのようだ。
2022-08-26 03:06
(個人的記録)痛風発作 再発可能性の記録 [痛風日記]
最近は昔のようにアクセス件数がなく、魅力のない記事を書いていることが私にも察せられる。そんな中で今回は個人の記録なので、魅力と関係ないことを書かねばならない。心苦しいが、このブログは私の重要な健康記録でもあるので、重要なことはどうしても記事にして記録しなければならない。
ここ1か月くらいは飲酒回数が異常だった。きっかけは、転居のことで毎日溜まるストレスだったかもしれない。しかしアル中というのは、心の中の悪魔だ。どんなことでもきっかけにして飲もうとする。いったん飲み始めると、もう止まらない。その意味では、きっかけなど些細なことだ。
飲酒量が異常に増えると、心配されるのは痛風発作だ。私は先日、父の墓参に行った。墓は辺鄙な所にあり、バスに乗り遅れると45分待ち、50分待ちとなる。ただし墓の間近まで行くバスでなければ他にもある。私はそれに乗り、墓から離れたバス停で降り、長い距離を歩いた。そのせいで、帰りはバス停横のベンチに座ったまま動けなくなった。その日は帰宅後に体がぎくしゃくしたものの、大事に至らずに終わった。
翌日も体は大丈夫だった。だから私は、痛風発作にならなかったと安心した。酒好きだった父の弔いも兼ねて、また酒を飲んだ。
その翌日、体がとてもだるくて動くのが大変になった。しかしこれは痛風発作ではない。痛風発作は足の関節に出るものだ。年をとると疲れが後日に出てくる。嫌な話だが、私はもうそういう年になった。晩に寝る時、両膝のお皿の真上がちょっと痛かった。膝関節というのは痛風発作の可能性があるが、痛風発作はどちらか片方の足に出るのが普通だ。だからこの時も私は安心していた。両方の膝に湿布薬を貼って寝た。
その翌朝、左膝の痛みは無くなっていた。右膝のお皿は、普通に歩くことはできるが、押すと痛い。でも痛風発作はお皿の真上が痛いのではないし、その時の痛みは基本的にチクチク系だったから、その意味でも痛風的でなく、私はまだ安心していた。
私はそれから仕事のためにパソコンに向かい、1時間座った。そうしたら、右膝の痛みがお皿の真上から、お皿の両脇へと移動した。チクチク系から鈍痛へと変わった。それで私は初めて痛風発作を疑い始めた。椅子に座って血流が悪くなると、それ以前から具合の悪かった足は悪化する。つまり痛風発作でなくても長時間座ることで悪くなる。問題は、これ以上悪くなったら、本当に痛風発作を考えなければならないということだ。
前日の晩に貼った湿布薬は取り、ボルタレンを塗った。これで様子を見る。
ここ1か月くらいは飲酒回数が異常だった。きっかけは、転居のことで毎日溜まるストレスだったかもしれない。しかしアル中というのは、心の中の悪魔だ。どんなことでもきっかけにして飲もうとする。いったん飲み始めると、もう止まらない。その意味では、きっかけなど些細なことだ。
飲酒量が異常に増えると、心配されるのは痛風発作だ。私は先日、父の墓参に行った。墓は辺鄙な所にあり、バスに乗り遅れると45分待ち、50分待ちとなる。ただし墓の間近まで行くバスでなければ他にもある。私はそれに乗り、墓から離れたバス停で降り、長い距離を歩いた。そのせいで、帰りはバス停横のベンチに座ったまま動けなくなった。その日は帰宅後に体がぎくしゃくしたものの、大事に至らずに終わった。
翌日も体は大丈夫だった。だから私は、痛風発作にならなかったと安心した。酒好きだった父の弔いも兼ねて、また酒を飲んだ。
その翌日、体がとてもだるくて動くのが大変になった。しかしこれは痛風発作ではない。痛風発作は足の関節に出るものだ。年をとると疲れが後日に出てくる。嫌な話だが、私はもうそういう年になった。晩に寝る時、両膝のお皿の真上がちょっと痛かった。膝関節というのは痛風発作の可能性があるが、痛風発作はどちらか片方の足に出るのが普通だ。だからこの時も私は安心していた。両方の膝に湿布薬を貼って寝た。
その翌朝、左膝の痛みは無くなっていた。右膝のお皿は、普通に歩くことはできるが、押すと痛い。でも痛風発作はお皿の真上が痛いのではないし、その時の痛みは基本的にチクチク系だったから、その意味でも痛風的でなく、私はまだ安心していた。
私はそれから仕事のためにパソコンに向かい、1時間座った。そうしたら、右膝の痛みがお皿の真上から、お皿の両脇へと移動した。チクチク系から鈍痛へと変わった。それで私は初めて痛風発作を疑い始めた。椅子に座って血流が悪くなると、それ以前から具合の悪かった足は悪化する。つまり痛風発作でなくても長時間座ることで悪くなる。問題は、これ以上悪くなったら、本当に痛風発作を考えなければならないということだ。
前日の晩に貼った湿布薬は取り、ボルタレンを塗った。これで様子を見る。
2022-08-25 09:15
これは痛風発作なのか、違うのか(終) [痛風日記]
11日。曲げても痛くない。でもまだ炎症は残っている。
12日。曲げても押しても痛くない。でも左膝の外見は相変わらず膨れて丸い。痛くないからベランダの洗濯物を取り込んでいたら、左膝がガクンとなった。以前にも膝の具合が悪い時にこうなったことがある。外を歩くのは明日以降にしよう。
13日。昨日からの「ひとりでに膝かっくん」が治らない。膝の炎症は完全に治ったと思い込んで正座して体重をかけて作業をしたら、やっぱりまだ少し痛い。
確かに酒を飲む頻度が高くなり、とても良くないと思うが、週に一度の飲酒で痛風になるのでは先が思いやられる。その体の不健康さを私は心配している。コロナのワクチン接種が終わったら血液検査をするべきだ。
12日。曲げても押しても痛くない。でも左膝の外見は相変わらず膨れて丸い。痛くないからベランダの洗濯物を取り込んでいたら、左膝がガクンとなった。以前にも膝の具合が悪い時にこうなったことがある。外を歩くのは明日以降にしよう。
13日。昨日からの「ひとりでに膝かっくん」が治らない。膝の炎症は完全に治ったと思い込んで正座して体重をかけて作業をしたら、やっぱりまだ少し痛い。
確かに酒を飲む頻度が高くなり、とても良くないと思うが、週に一度の飲酒で痛風になるのでは先が思いやられる。その体の不健康さを私は心配している。コロナのワクチン接種が終わったら血液検査をするべきだ。
2021-07-16 01:27
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これは痛風発作なのか、違うのか(続) [痛風日記]
8日晩、ロキソプロフェンでは無理と判断しボルタレンに変更。
9日。痛みは昨日と同程度。左膝は腫れている感覚がある。しゃがんだり横になったりという動作の途中で痛いかもしれないので嫌だが、歩けなくはない。ボルタレンが残り少ないので一時的にロキソプロフェンに変更。
同日昼。左膝が丸くなった。すごく腫れているということだ。不思議なことに、あんまり痛くない。薬をボルタレンに変更。
少しずつ腫れがひどくなる膝とは反対に、気持ちの方は、痛くないものだから歩きたくてしょうがない。やりたいこと、やらねばならぬことは一杯ある。そこをぐっと我慢してひたすら横になる。
夕方、ちょっと具合が良かったのでパソコンの前に座ったら、また膝が丸くなった。治るまでパソコン禁止なのか? 仕事はどうしたらいい?
私はこれが痛風発作のようにも、そうでないようにも思える。
痛風発作だと思う理由
最近酒を飲む回数が増えた。
炎症がしつこく、薬を塗っても治らない。
丸く膨れた膝を見ると、痛風を思い出す。
痛風発作ではないと思う理由
沢山歩いた日から数日経って症状が出始め、その後も数日かけて膝が腫れた。痛風発作ならば激しい運動の翌日には腫れ、その翌日には最もひどい状態になるはずだ。
あんまり痛くなく、歩ける。痛風発作といえば、立っていられないほど痛いものだ。
9日。痛みは昨日と同程度。左膝は腫れている感覚がある。しゃがんだり横になったりという動作の途中で痛いかもしれないので嫌だが、歩けなくはない。ボルタレンが残り少ないので一時的にロキソプロフェンに変更。
同日昼。左膝が丸くなった。すごく腫れているということだ。不思議なことに、あんまり痛くない。薬をボルタレンに変更。
少しずつ腫れがひどくなる膝とは反対に、気持ちの方は、痛くないものだから歩きたくてしょうがない。やりたいこと、やらねばならぬことは一杯ある。そこをぐっと我慢してひたすら横になる。
夕方、ちょっと具合が良かったのでパソコンの前に座ったら、また膝が丸くなった。治るまでパソコン禁止なのか? 仕事はどうしたらいい?
私はこれが痛風発作のようにも、そうでないようにも思える。
痛風発作だと思う理由
最近酒を飲む回数が増えた。
炎症がしつこく、薬を塗っても治らない。
丸く膨れた膝を見ると、痛風を思い出す。
痛風発作ではないと思う理由
沢山歩いた日から数日経って症状が出始め、その後も数日かけて膝が腫れた。痛風発作ならば激しい運動の翌日には腫れ、その翌日には最もひどい状態になるはずだ。
あんまり痛くなく、歩ける。痛風発作といえば、立っていられないほど痛いものだ。
2021-07-11 11:05
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これは痛風発作なのか、違うのか [痛風日記]
数日前から左膝が変だ。痛風発作は「変だ」なんていう物じゃなく相当痛い。そんなに症状が違うのになぜ痛風発作を気にするかというと、飲酒の回数が増えてしまったからだ。次回の飲酒までの間が5月は1週間や6日、5月末から6月中旬にかけては頑張って2週間にまで延ばしたが、6月下旬に気が緩んだ時に4日、そして6日。その翌日に足が変になったから、痛風発作を心配している。
痛風発作でないとしたら、これは何だ。もうひとつの可能性は、久しぶりに長く歩いて膝の関節を傷めたということだ。
在宅ワークが大変で、私は何ヶ月もの間、たくさん歩くことをしなかった。そして7月3日、遠く離れた店まで徒歩で行った。その日の歩数は六千歩。足が痛くなることもなく、夜に足がつることもなく、「自分はいつのまにか健康になった」と思った。
何日かは忘れたが、この頃、左膝でなく右膝が少し痛かった。たいした痛みではなかった。(後日左膝が変になった時、「あれ? 右じゃなくて左膝?」と思ったものだ。)
5日に飲酒。
翌6日に左膝の違和感に気付いた。でもその時は痛いというほどの感覚でなく、湿布薬を貼るまでもないと思った。先日行った店よりも近い店まで徒歩で行った。その日の歩数は四千歩。
7日、まだ膝の違和感がそのままだったので「湿布薬を貼ったほうが良かったかな」と思い直し貼った。6日は痛いというほどの感覚ではなかったが、7日は軽度ながら「痛い」に属する感覚。「軽度の炎症」と自己診断した。バス停まで二千歩ほど歩いた。
8日。湿布薬を貼ったのに、治るどころか痛みがわずかながら増した。薄紙をはぐように治るのが普通だが、今の私は薄紙をはぐように悪くなっている。まだまだ立って歩ける程度とはいえ、湿布薬を貼ったのに少しずつ悪くなるのは不気味だ。今日は歩いていない。
午後になると、さらに薄紙をはぐように悪くなった。それまでは足を曲げるだけでは痛くなく、膝を床につけるとか膝を押す時にだけ痛みがあったのに、今では足を曲げる時に鈍痛を伴うようになった。膝の腫れがひどくなったようだ。
痛風発作でないとしたら、これは何だ。もうひとつの可能性は、久しぶりに長く歩いて膝の関節を傷めたということだ。
在宅ワークが大変で、私は何ヶ月もの間、たくさん歩くことをしなかった。そして7月3日、遠く離れた店まで徒歩で行った。その日の歩数は六千歩。足が痛くなることもなく、夜に足がつることもなく、「自分はいつのまにか健康になった」と思った。
何日かは忘れたが、この頃、左膝でなく右膝が少し痛かった。たいした痛みではなかった。(後日左膝が変になった時、「あれ? 右じゃなくて左膝?」と思ったものだ。)
5日に飲酒。
翌6日に左膝の違和感に気付いた。でもその時は痛いというほどの感覚でなく、湿布薬を貼るまでもないと思った。先日行った店よりも近い店まで徒歩で行った。その日の歩数は四千歩。
7日、まだ膝の違和感がそのままだったので「湿布薬を貼ったほうが良かったかな」と思い直し貼った。6日は痛いというほどの感覚ではなかったが、7日は軽度ながら「痛い」に属する感覚。「軽度の炎症」と自己診断した。バス停まで二千歩ほど歩いた。
8日。湿布薬を貼ったのに、治るどころか痛みがわずかながら増した。薄紙をはぐように治るのが普通だが、今の私は薄紙をはぐように悪くなっている。まだまだ立って歩ける程度とはいえ、湿布薬を貼ったのに少しずつ悪くなるのは不気味だ。今日は歩いていない。
午後になると、さらに薄紙をはぐように悪くなった。それまでは足を曲げるだけでは痛くなく、膝を床につけるとか膝を押す時にだけ痛みがあったのに、今では足を曲げる時に鈍痛を伴うようになった。膝の腫れがひどくなったようだ。
2021-07-08 13:36
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(個人的記録)お薬がもうない/授業成果と健康は反比例/オートミールいつかそのうち [痛風日記]
今日は複数のことを記録しなければならないが、いずれも個人的なことなので、読んでくださる方には申し訳ない。
今回は記事タイトルにある3本立てだ。まずは、通風記事終了のことから。非常事態宣言が出されてすぐに、私は通風治療の通院予約をキャンセルした。ずっと尿酸値が下がっている状態で薬をもらうことと、そのために具合の悪い人が密集する病院へ行くリスクを秤にかけて考えた結果だ。今後病院へ行かず血液検査もしないならば、このブログの通風記事はこれで終わりになる。もしも今後また通風記事が出るとしたら、新たに通風発作が起きた時か、またはコロナウイルスの流行が収まった後で先生にご挨拶を兼ねて血液検査をしてもらう時だろう。私は通風発作はもう起きないと確信している。なぜなら飲酒を3週間に一度に制限したから。
次の記録。久しぶりに腰が痛い。なぜならWebで授業をするために、パソコンの前に長時間座っているから。学校へ行って授業をするのなら、こんなに長時間座る必要はなく、出かけるから長時間座っている暇もない。在宅勤務のせいで、また腰を悪くしつつある。これは大変なことだ。良い授業をしようとすれば、長時間座って腰を悪くする。腰痛で動けなくなったら大変だからパソコンの前に座るのをやめると、授業のWeb教材が作れない。私に、健康か仕事のどちらかを選べというのか。
こうして話は3つめの記録へと移る。腰が痛くてパソコンの前に座ってはいけない私は、カセットテープ補完作業も他の用事も出来なくなった。腰が痛くなる直前に、私はオートミールを買って試食してみようと思っていた。こんな外に出られない時だからこそ、家の中でもできる楽しみを見つけなければいけない。子供の頃から名前は知っているのに味わったことのないオートミール。それを試すのは楽しい体験ではないか。ところが腰痛になり、これから先仕事と健康をどうやって両立させれば良いのかと悩み始めた。とにかく今は腰痛を治すために寝ているしかない。パソコンの前に座ってオートミールの商品を検索したり注文したりするのは、もっての他だ。この記事は横になってスマホで書いているが、それも程ほどにするべきだろう。
今回は記事タイトルにある3本立てだ。まずは、通風記事終了のことから。非常事態宣言が出されてすぐに、私は通風治療の通院予約をキャンセルした。ずっと尿酸値が下がっている状態で薬をもらうことと、そのために具合の悪い人が密集する病院へ行くリスクを秤にかけて考えた結果だ。今後病院へ行かず血液検査もしないならば、このブログの通風記事はこれで終わりになる。もしも今後また通風記事が出るとしたら、新たに通風発作が起きた時か、またはコロナウイルスの流行が収まった後で先生にご挨拶を兼ねて血液検査をしてもらう時だろう。私は通風発作はもう起きないと確信している。なぜなら飲酒を3週間に一度に制限したから。
次の記録。久しぶりに腰が痛い。なぜならWebで授業をするために、パソコンの前に長時間座っているから。学校へ行って授業をするのなら、こんなに長時間座る必要はなく、出かけるから長時間座っている暇もない。在宅勤務のせいで、また腰を悪くしつつある。これは大変なことだ。良い授業をしようとすれば、長時間座って腰を悪くする。腰痛で動けなくなったら大変だからパソコンの前に座るのをやめると、授業のWeb教材が作れない。私に、健康か仕事のどちらかを選べというのか。
こうして話は3つめの記録へと移る。腰が痛くてパソコンの前に座ってはいけない私は、カセットテープ補完作業も他の用事も出来なくなった。腰が痛くなる直前に、私はオートミールを買って試食してみようと思っていた。こんな外に出られない時だからこそ、家の中でもできる楽しみを見つけなければいけない。子供の頃から名前は知っているのに味わったことのないオートミール。それを試すのは楽しい体験ではないか。ところが腰痛になり、これから先仕事と健康をどうやって両立させれば良いのかと悩み始めた。とにかく今は腰痛を治すために寝ているしかない。パソコンの前に座ってオートミールの商品を検索したり注文したりするのは、もっての他だ。この記事は横になってスマホで書いているが、それも程ほどにするべきだろう。
2020-04-23 09:58
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予約をキャンセルしようかと思う [痛風日記]
ついに非常事態宣言が出された。私は4月22日に痛風治療の予約をしているのだが、嫌な感じだ。病院は不特定多数の、しかも具合の悪い人が集まる場所だ。待合室の隣の椅子との間はくっついている。それでも自分の具合が悪ければ行かなければならないが、治療を始めてから2年半、一度も血中尿酸値が正常値を上回らなかった。服用しているフェブリクの量は毎日10mg。前回の血液検査後には先生の口から薬をやめるという選択肢も出た。世界中でコロナウイルスが蔓延しているこの時に通院するのは、メリットよりもリスクのほうが大きいのではないか。
後ろめたいのは、3年間は治療を続けると自分で決めたのに反すること。3年までにあと3ヶ月残っている。それと、4月22日に通院しなければ、その数日後に薬が切れる。これは先生との縁が切れることを意味する。それが残念だ。1年目、いや2年目になってからも、私は早く薬を飲まない日が来ないかと思い続けていたが、最近はなんだか薬を飲むのに慣れてしまって何とも思わなくなった所だ。やっと薬を飲むのが嫌でなくなったのに、服用する薬が無くなるのは皮肉ではないか。コロナウイルスのリスクさえなければ今まで通りに通院したい。
後ろめたいのは、3年間は治療を続けると自分で決めたのに反すること。3年までにあと3ヶ月残っている。それと、4月22日に通院しなければ、その数日後に薬が切れる。これは先生との縁が切れることを意味する。それが残念だ。1年目、いや2年目になってからも、私は早く薬を飲まない日が来ないかと思い続けていたが、最近はなんだか薬を飲むのに慣れてしまって何とも思わなくなった所だ。やっと薬を飲むのが嫌でなくなったのに、服用する薬が無くなるのは皮肉ではないか。コロナウイルスのリスクさえなければ今まで通りに通院したい。
2020-04-07 19:14
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肝機能と睡眠薬 [痛風日記]
血液検査の結果、ALTが高かった。でも思い当たる原因がなかった。酒は4週間飲んでなかった。私は考え続けた。親が、自分もALTやASTやγ-GTPがなぜか毎回高いと言ったのを聞いて、もしやと思った。うちの親といえば睡眠薬依存症だ。ネットでゾルピデムの副作用を調べた。サイトによるが、あるサイトではAST(GOT)、ALT(GPT)、γ-GTP、ALPの上昇等を伴う肝機能障害に言及している。じつは最近、私も睡眠薬の依存症が出ている。飲めば必ず眠くなるし、飲まないとそれに比べて眠りが浅い。こんな安易な方法で深い眠りが得られるならと、このごろはつい毎日のように飲んでいた。飲まないと真夜中に目が覚めるし。しかし今後は飲まないようにしてみよう。そして次の血液検査でALTの値に注目しよう。次の採血は半年も先だが。
2020-01-26 09:12
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個人的記録 血液検査の結果 [痛風日記]
世の中は予想通りに行かない。予想とどこか違う結果が待っているのが世の中だ。
今回の予想外は2つ。
まず、ALTという肝機能に関係する値が高かった。この値が基準値を越えたのは初めてだ。2017年からの値は15,18,20,21,28(U/L)、そして今回が50(U/L)だ。原因が思い当たらない。風邪薬を飲んでいたのは1週間前のことだ。飲酒は3週間に1回、直近は風邪のせいで4週間の禁酒となった。ALTの値は飲酒のせいではない。
薬局で薬をもらう時に、市販の風邪薬とALT値の関係を聞いてみた。たしかに風邪薬を代謝するさいにも肝臓を使うが、普通は複数ある肝機能関係の検査項目がどれも反応するという。あとはストレスでも値が上がる。あと飲酒だが、今の私にそれはない。
ついでに書くと、血糖値も高い。尿酸値の検査なので朝食は制限されていないが、今まで朝食をとって検査しても血糖値が範囲内のことが複数回あった。今回もそれを目指して、糖分の多いご飯や果物は控え、こんにゃくや野菜を中心に食べてきた。それでも基準値を越えてしまった。2017年からの値は115,98,104,91,100(mg/dL)、そして今回が132(mg/dL)だ。
もうひとつの予想外は、フェブリク服用開始後の尿酸値が今まで基準値を越えたことがなく、現在のフェブリク服用量が少ないので、先生から薬の服用をやめるかという選択肢が出されたことだ。私は痛風の治療は一生ものだと聞いていたので、先生から薬をやめるという選択肢が出るとは思わなかった。私が、リストラのせいで毎日のように飲酒していたのが一番の原因だと思い、飲酒を3週間に1回にしたと言ったら、なぜか「それじゃあもう少し続けてみましょう」という話になった。なぜだ? どうせ私は、まる3年が過ぎるまでは薬を続けるつもりだった(その後徐々に血液検査結果を見ながら逃げるつもりだった)からそれでいいが。
次の通院は3ヶ月後の4月、その時には血液検査がないので、さらに3ヶ月後の7月に血液検査。薬に変更があるとしたらその後。私の当初の予定通りだ。
今回の予想外は2つ。
まず、ALTという肝機能に関係する値が高かった。この値が基準値を越えたのは初めてだ。2017年からの値は15,18,20,21,28(U/L)、そして今回が50(U/L)だ。原因が思い当たらない。風邪薬を飲んでいたのは1週間前のことだ。飲酒は3週間に1回、直近は風邪のせいで4週間の禁酒となった。ALTの値は飲酒のせいではない。
薬局で薬をもらう時に、市販の風邪薬とALT値の関係を聞いてみた。たしかに風邪薬を代謝するさいにも肝臓を使うが、普通は複数ある肝機能関係の検査項目がどれも反応するという。あとはストレスでも値が上がる。あと飲酒だが、今の私にそれはない。
ついでに書くと、血糖値も高い。尿酸値の検査なので朝食は制限されていないが、今まで朝食をとって検査しても血糖値が範囲内のことが複数回あった。今回もそれを目指して、糖分の多いご飯や果物は控え、こんにゃくや野菜を中心に食べてきた。それでも基準値を越えてしまった。2017年からの値は115,98,104,91,100(mg/dL)、そして今回が132(mg/dL)だ。
もうひとつの予想外は、フェブリク服用開始後の尿酸値が今まで基準値を越えたことがなく、現在のフェブリク服用量が少ないので、先生から薬の服用をやめるかという選択肢が出されたことだ。私は痛風の治療は一生ものだと聞いていたので、先生から薬をやめるという選択肢が出るとは思わなかった。私が、リストラのせいで毎日のように飲酒していたのが一番の原因だと思い、飲酒を3週間に1回にしたと言ったら、なぜか「それじゃあもう少し続けてみましょう」という話になった。なぜだ? どうせ私は、まる3年が過ぎるまでは薬を続けるつもりだった(その後徐々に血液検査結果を見ながら逃げるつもりだった)からそれでいいが。
次の通院は3ヶ月後の4月、その時には血液検査がないので、さらに3ヶ月後の7月に血液検査。薬に変更があるとしたらその後。私の当初の予定通りだ。
2020-01-25 14:25
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個人的記録 膝が痛いの翌日 [痛風日記]
昨日の右膝の痛みは痛風発作ではなかったようです。昨日風呂に入った時、風呂場があまりに寒かったので、湯に浸かって温まらなければなりませんでした。痛風発作ならば、患部を温めた翌日はひどく腫れ上がりますが、たとえ腫れても一週間あまり我慢すると腫れが引くこともわかっています。来年の仕事が始まるまでには治るでしょうし、何よりも湯船で温まらないと風邪をひきます。それで温まったのですが、翌朝も膝は腫れませんでした。
これで痛風の危険はひとまず去りましたが、痛風発作でもないのに膝が痛いというのは、私がもう年末大掃除をする健康すらない、椅子に上り降りして天井のすすはらいを出来ないということを意味します。困りました。
とにかく天井の掃除はもうやめます。今日は右膝を休ませ、明日29日は天井でない場所の掃除を。
皆さんも大掃除で無理しすぎないでくださいね。
これで痛風の危険はひとまず去りましたが、痛風発作でもないのに膝が痛いというのは、私がもう年末大掃除をする健康すらない、椅子に上り降りして天井のすすはらいを出来ないということを意味します。困りました。
とにかく天井の掃除はもうやめます。今日は右膝を休ませ、明日29日は天井でない場所の掃除を。
皆さんも大掃除で無理しすぎないでくださいね。
2019-12-28 10:02
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個人的記録 膝が痛い [痛風日記]
1週間くらい前から、年末恒例の大掃除をしていました。私はもう若くなく体も弱いので、1日にひと部屋ずつ、しかも普段掃除しない天井付近限定で済ませてゆくことにしました。
今年の大掃除は、台所のガスレンジの真上にあるフードの掃除から始まりました。このフードは今どきのシステムキッチンに付いているものよりも巨大で、はるか昔に大工さんが取り付けてくれたトタン製です。その上に積もった埃を私の体調不良を理由に何年か放置してきた気がします。今年は何としてもまずそこから掃除。そうなれば当然その続きとして台所の天井付近を掃除。
どうしても気になっていた台所が終わったら、次は例年の順番通りに神棚のある部屋です。私は年末大掃除を、新年に神様を迎えるための神事と考えているのでそうなります。その次は神様を迎える玄関の外側と内側。
次はどこからでも良いのですが、普段掃除をしない風呂場にしました。
予定としてはその次に洗面所・・・と続くはずでしたが、翌朝起きたら右膝が痛くなっていました。今日はまる1日どこも掃除できず膝の休養です。30日には鏡餅等を供えるので、たとえ膝が治っても掃除に使える日はあと2日。そもそも膝が明日治っているかどうかわかりません。まだ自分の部屋も親の部屋もトイレも掃除していませんが、今年の大掃除はここまでかもしれません。
さて、この膝の痛みが、天井付近を掃除するために椅子の上り下りを繰り返したせいなのは確かですが、問題はその先です。ただ単に無理をして痛くなっただけなのか、それとも痛風発作がまた現れたのか。その判断がつきません。
場所は右膝のお皿の下。片足だけです。片足だけというのは痛風発作によくある症状です。ただし普段の通勤時にも私は右膝ばかりが痛くなるので、痛風発作かどうかわかりません。
歩いていると、または力を入れると痛みがあります。今のところたいした痛みではありません。痛風発作のものすごい腫れあがり方とは違います。でも痛風発作も初期の症状としては激しくない場合があります。それで安心して風呂で湯につかり温めたらとんでもなく痛くなるというのが痛風発作です。つまり痛みの度合いで痛風発作かどうかを判断するのも難しいです。
今は、経緯と症状をここに記録しておくことしかできません。対症療法としてロキソニンの貼り薬を使いました。
今年の大掃除は、台所のガスレンジの真上にあるフードの掃除から始まりました。このフードは今どきのシステムキッチンに付いているものよりも巨大で、はるか昔に大工さんが取り付けてくれたトタン製です。その上に積もった埃を私の体調不良を理由に何年か放置してきた気がします。今年は何としてもまずそこから掃除。そうなれば当然その続きとして台所の天井付近を掃除。
どうしても気になっていた台所が終わったら、次は例年の順番通りに神棚のある部屋です。私は年末大掃除を、新年に神様を迎えるための神事と考えているのでそうなります。その次は神様を迎える玄関の外側と内側。
次はどこからでも良いのですが、普段掃除をしない風呂場にしました。
予定としてはその次に洗面所・・・と続くはずでしたが、翌朝起きたら右膝が痛くなっていました。今日はまる1日どこも掃除できず膝の休養です。30日には鏡餅等を供えるので、たとえ膝が治っても掃除に使える日はあと2日。そもそも膝が明日治っているかどうかわかりません。まだ自分の部屋も親の部屋もトイレも掃除していませんが、今年の大掃除はここまでかもしれません。
さて、この膝の痛みが、天井付近を掃除するために椅子の上り下りを繰り返したせいなのは確かですが、問題はその先です。ただ単に無理をして痛くなっただけなのか、それとも痛風発作がまた現れたのか。その判断がつきません。
場所は右膝のお皿の下。片足だけです。片足だけというのは痛風発作によくある症状です。ただし普段の通勤時にも私は右膝ばかりが痛くなるので、痛風発作かどうかわかりません。
歩いていると、または力を入れると痛みがあります。今のところたいした痛みではありません。痛風発作のものすごい腫れあがり方とは違います。でも痛風発作も初期の症状としては激しくない場合があります。それで安心して風呂で湯につかり温めたらとんでもなく痛くなるというのが痛風発作です。つまり痛みの度合いで痛風発作かどうかを判断するのも難しいです。
今は、経緯と症状をここに記録しておくことしかできません。対症療法としてロキソニンの貼り薬を使いました。
2019-12-27 13:15
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今日は診療日 [痛風日記]
痛風治療もまる2年となり、その間2、3ヶ月に一度病院に通った。さすがにもう、今回はブログ記事に書くような新しいことがないだろうと思っていた。ところが人生は予想通りには行かないもので、今回も記事を書きたくなった。
今回は診療後に、病院の近くにある森林公園を訪れようと計画した。どうして森林公園に行くのか? 外国人の友人がバカンス旅行先から二回も絵はがきを送ってきたが、私は腰痛で旅行は無理。悪いと思いつつも絵はがきを貰いっぱなしでお返しなし。せめて自分が行ける近場の写真だけでも送ってやらねばと思った。それで、森林公園。
どうして病院帰りなんかに行くのか? それは、病院で毎回45分から1時間遅れで名前を呼ばれ、午前の最終バスが11時45分に出て、それに間に合わないと次は2時間後という諸条件が重なった結果、大抵私は午前のバスにタッチの差で乗り遅れ、2時間空しく病院で待つからだ。森林公園で時間を潰すとわかっていれば、午前のバスに乗れるかと気を揉むことなく、乗り遅れたと悔しく思うこともない。
それで、実際にはどうなったか。受付で10時15分ごろに呼ばれると言われたので、いつも通りに11時ごろまでのんびりしていようと待合室でスマホをいじり始めたら、10時過ぎに名前を呼ばれた。いつもすごく遅れるのにどうした。というか、まだ10時15分になっていないぞ。こんな珍しいことは今後ないだろう。それで今回も記事を書きたくなった。
ちなみに今は病院横の薬局で長時間待たされている最中。待っている間にバスが1本行ってしまった(笑)
今回は診療後に、病院の近くにある森林公園を訪れようと計画した。どうして森林公園に行くのか? 外国人の友人がバカンス旅行先から二回も絵はがきを送ってきたが、私は腰痛で旅行は無理。悪いと思いつつも絵はがきを貰いっぱなしでお返しなし。せめて自分が行ける近場の写真だけでも送ってやらねばと思った。それで、森林公園。
どうして病院帰りなんかに行くのか? それは、病院で毎回45分から1時間遅れで名前を呼ばれ、午前の最終バスが11時45分に出て、それに間に合わないと次は2時間後という諸条件が重なった結果、大抵私は午前のバスにタッチの差で乗り遅れ、2時間空しく病院で待つからだ。森林公園で時間を潰すとわかっていれば、午前のバスに乗れるかと気を揉むことなく、乗り遅れたと悔しく思うこともない。
それで、実際にはどうなったか。受付で10時15分ごろに呼ばれると言われたので、いつも通りに11時ごろまでのんびりしていようと待合室でスマホをいじり始めたら、10時過ぎに名前を呼ばれた。いつもすごく遅れるのにどうした。というか、まだ10時15分になっていないぞ。こんな珍しいことは今後ないだろう。それで今回も記事を書きたくなった。
ちなみに今は病院横の薬局で長時間待たされている最中。待っている間にバスが1本行ってしまった(笑)
2019-07-24 11:02
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個人的記録 エンペラシンで気が滅入る/プチ・サプライズ [痛風日記]
耳の詰まりが元で耳鼻科医師から薬を処方された。薬局でジェネリックとして実際に出されたのはエンペラシン錠だった。エンペラシンをネット検索すると、副作用として色々書いてある。副作用の多い薬は珍しくなく、うちの親が時々服用するリリカという薬は副作用の欄にあらゆることが書いてある。下痢と便秘が両方書いてあり、それは正反対だろとツッコミを入れたくなる。エンペラシンも同様で、不眠と眠気が両方とも書いてある。どうして正反対の副作用が出るのだろう。
エンペラシンの場合、さらに倦怠感、腹痛、気分が落ち込む、意識の混乱と続く。私はこの、気分が落ち込むというのがわかる気がする。私の場合、まず眠気から始まった。四六時中眠い。眠いから認識力とか理解力が低下し、意識レベルが微妙に下がる。すると、視覚情報をはじめとする自分の周囲の様子が気にならなくなってくる。何かすべてがどうでもいい。世界が自分に向かって閉じてくる。だから孤独感が出る。私の場合、もともとストレスが元で病気になったので不安が非常に強い。その状態で孤独になると、理由もなく物事を悪い方へと考え、鬱になる。
少し前までは、この薬は睡眠薬要らずでいいと思っていたが、これはちょっと良くないかもしれない。耳に響く現象は明らかに軽減されたが、精神面に影響する副作用が気になる。
おそらくそれが原因で今日は、エンペラシンで眠いにもかかわらず悪夢を見そうだ。だから睡眠薬を飲んでぐっすり眠りたいのだが、ちょっと気になってネット検索してみた。エンペラシンに中枢抑制剤を併用すると、相互に作用を増強とある。そりゃそうだよなあ。危ないかなあ。参った。
ここまでは、エンペラシンという薬についての記録。痛風とは関係ないが、記事を分けるほどでもないのでここに書いた。ここからは痛風の話。
今日は血液検査の日だった。言うまでもなく世の中というのは、程度の差はあれ自分の思っている通りには行かないものだ。だから毎日が新鮮だともいえる。今日も、小さなサプライズがあった。まず、今まで必ず予定時刻より5分遅れて来た病院の送迎バスが、今日はなんと予定時刻よりも1分早く来た。時間ちょうどに待ってる人や、いつも通りに遅れると思っていた人は、乗り遅れたかもしれないぞ。次に、今まで必ず45分から1時間遅れで名前を呼ばれて診察室に入ったのに、今日は予約時間ちょうどに名前を呼ばれた。患者が妙に少なかったからか。とにかくこんなことは初めてだ。私はただでさえ採血の日だから、午前の送迎バスは絶対間に合わないと思い、わざと予約時間を遅めにした。そうしたら午前のバスに間に合ってしまった。これらが今日のプチ・サプライズだ。
気になるのは血液検査の結果だ。なぜ気になるかというと、4月のはじめ頃から私はストレスで右耳が詰まり聞こえにくい。それで耳鼻科に行ってステロイド薬を服用しているほどだ。精神面も肉体面もかなりアブナい。それが血液検査にどう影響するか気になった。逆に言えば、耳が聞こえにくくなるほどのストレスで血中尿酸値が許容範囲内ならば、今後も何か突発的な事件があっても何とかなると思われる。それを知る良い機会ともいえる。あと、4月のはじめ頃からステロイドを内服しているから、そろそろ内蔵への影響が気になる。処方されるステロイドの量が減ったこの時期にたまたま血液検査があり、副作用の有無を調べられるのは有難い。
結果は、血中尿酸値6.2mg/dLだった。医師から、今までよりも高いと言われた。私としては耳が聞こえにくくなって焦り、痛風がどうのという事は頭から吹き飛んでいた。その後も新年度の仕事の忙しさと病院通いと不安から精神的に疲れて、それを何とか改善したくて暴食した日もあった。7mg/dLを超えていなかったのはむしろ幸いといえる。ちなみに今までの血中尿酸値は
2017/06/22 8.0mg/dL 痛風発作後に最初に来院
2017/07/26 5.1mg/dL
2017/11/15 5.4mg/dL
2018/05/16 4.9mg/dL
2019/04/17 6.2mg/dL
2018年に1回しか検査していないのは、以前の記事に書いたが、先生が次回採血と言うからそのつもりで行ったら採血がなかったから。今回は受付で最初に私から「今日は採血」と言ってやった。そうしたら受付の反応が、なんだか採血の予約がなかったような感じだった。私としては、先生が次回採血しますと言って患者がその予約をしたら、それで次回は採血になると思っていたのだが、予約の電話口で患者が「採血!」と言う必要があったのだろうか。
肝機能正常、炎症なし、血糖値は朝飯を食ってきたにもかかわらず空腹時の正常値内にぎりぎり収まっている。赤血球の数は今回も少なめで貧血気味。
こういうわけで、悪い結果ではない。それなのに、先生が尿酸値が今までよりも高いと言ったそれだけのことで、エンペラシンのせいか理由もなく物事を悪い方へと考え、不安が増大する。悪夢を見そうだ。睡眠薬を飲みたい。これで、この記事の前半と話がつながった。
エンペラシンの場合、さらに倦怠感、腹痛、気分が落ち込む、意識の混乱と続く。私はこの、気分が落ち込むというのがわかる気がする。私の場合、まず眠気から始まった。四六時中眠い。眠いから認識力とか理解力が低下し、意識レベルが微妙に下がる。すると、視覚情報をはじめとする自分の周囲の様子が気にならなくなってくる。何かすべてがどうでもいい。世界が自分に向かって閉じてくる。だから孤独感が出る。私の場合、もともとストレスが元で病気になったので不安が非常に強い。その状態で孤独になると、理由もなく物事を悪い方へと考え、鬱になる。
少し前までは、この薬は睡眠薬要らずでいいと思っていたが、これはちょっと良くないかもしれない。耳に響く現象は明らかに軽減されたが、精神面に影響する副作用が気になる。
おそらくそれが原因で今日は、エンペラシンで眠いにもかかわらず悪夢を見そうだ。だから睡眠薬を飲んでぐっすり眠りたいのだが、ちょっと気になってネット検索してみた。エンペラシンに中枢抑制剤を併用すると、相互に作用を増強とある。そりゃそうだよなあ。危ないかなあ。参った。
ここまでは、エンペラシンという薬についての記録。痛風とは関係ないが、記事を分けるほどでもないのでここに書いた。ここからは痛風の話。
今日は血液検査の日だった。言うまでもなく世の中というのは、程度の差はあれ自分の思っている通りには行かないものだ。だから毎日が新鮮だともいえる。今日も、小さなサプライズがあった。まず、今まで必ず予定時刻より5分遅れて来た病院の送迎バスが、今日はなんと予定時刻よりも1分早く来た。時間ちょうどに待ってる人や、いつも通りに遅れると思っていた人は、乗り遅れたかもしれないぞ。次に、今まで必ず45分から1時間遅れで名前を呼ばれて診察室に入ったのに、今日は予約時間ちょうどに名前を呼ばれた。患者が妙に少なかったからか。とにかくこんなことは初めてだ。私はただでさえ採血の日だから、午前の送迎バスは絶対間に合わないと思い、わざと予約時間を遅めにした。そうしたら午前のバスに間に合ってしまった。これらが今日のプチ・サプライズだ。
気になるのは血液検査の結果だ。なぜ気になるかというと、4月のはじめ頃から私はストレスで右耳が詰まり聞こえにくい。それで耳鼻科に行ってステロイド薬を服用しているほどだ。精神面も肉体面もかなりアブナい。それが血液検査にどう影響するか気になった。逆に言えば、耳が聞こえにくくなるほどのストレスで血中尿酸値が許容範囲内ならば、今後も何か突発的な事件があっても何とかなると思われる。それを知る良い機会ともいえる。あと、4月のはじめ頃からステロイドを内服しているから、そろそろ内蔵への影響が気になる。処方されるステロイドの量が減ったこの時期にたまたま血液検査があり、副作用の有無を調べられるのは有難い。
結果は、血中尿酸値6.2mg/dLだった。医師から、今までよりも高いと言われた。私としては耳が聞こえにくくなって焦り、痛風がどうのという事は頭から吹き飛んでいた。その後も新年度の仕事の忙しさと病院通いと不安から精神的に疲れて、それを何とか改善したくて暴食した日もあった。7mg/dLを超えていなかったのはむしろ幸いといえる。ちなみに今までの血中尿酸値は
2017/06/22 8.0mg/dL 痛風発作後に最初に来院
2017/07/26 5.1mg/dL
2017/11/15 5.4mg/dL
2018/05/16 4.9mg/dL
2019/04/17 6.2mg/dL
2018年に1回しか検査していないのは、以前の記事に書いたが、先生が次回採血と言うからそのつもりで行ったら採血がなかったから。今回は受付で最初に私から「今日は採血」と言ってやった。そうしたら受付の反応が、なんだか採血の予約がなかったような感じだった。私としては、先生が次回採血しますと言って患者がその予約をしたら、それで次回は採血になると思っていたのだが、予約の電話口で患者が「採血!」と言う必要があったのだろうか。
肝機能正常、炎症なし、血糖値は朝飯を食ってきたにもかかわらず空腹時の正常値内にぎりぎり収まっている。赤血球の数は今回も少なめで貧血気味。
こういうわけで、悪い結果ではない。それなのに、先生が尿酸値が今までよりも高いと言ったそれだけのことで、エンペラシンのせいか理由もなく物事を悪い方へと考え、不安が増大する。悪夢を見そうだ。睡眠薬を飲みたい。これで、この記事の前半と話がつながった。
2019-04-17 21:30
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痛風の今までとこれからを考える [痛風日記]
痛風治療を始めてからずっとフェブリクを毎朝10mg飲んでいます。数ヵ月に1日は飲み忘れることがありました。治療を始めた後に1度だけ膝が痛くなったことがありますが、それは外を歩けるほど軽度で、それから今まで1年以上経っていますが発作はありません。
私の場合、親類縁者に痛風の人が一人もいないので、遺伝的要因はないと思います。いちばんあり得る要因は飲酒です。2日に1回、多い時は毎日飲んでいました。今は飲酒回数を減らし、3週間に一度飲んでいます。
以上が、今までの状態です。
次に、これからのことを考えます。
飲酒回数を大幅に減らしたので、私は将来的に薬をやめても大丈夫ではないかと思っています。でも、やめるのは今ではありません。ちょうど私が痛風治療を始めた頃、幸運にもNHKで痛風の番組が放送されました。それによると、痛風の薬は一般的には生涯飲み続けると言われているそうですが、痛風患者が血中尿酸値を6mg/dL以下に保ったとして、体内の尿酸結晶が全部溶けるまでに数年かかると言われているそうです。医師に薬を減らしたい、またはやめたいと相談するのはその後です。上記の「数年」を3年とするならば、私は2020年の7月までは今まで通りに薬を飲み続けなければなりません。薬をやめることを考えるのはその後です。採血の結果、一度でも尿酸値が7mg/dL以上になれば、そもそも薬をやめる計画は水泡に帰します。
ところで、痛風の要因である飲酒は、私の場合前回の飲酒日から3週間が禁酒なので、次回飲酒解禁が3月5日です。3週間禁酒の決まりを自分に課してから今までに、飲んで心から満足したのは1回だけです。楽しめるような「何か」を用意してから飲むのが正しいのに、それが用意できていないうちに飲酒解禁と同時にいそいそと飲んでしまうのが、心から満足できない原因です。
私の場合、親類縁者に痛風の人が一人もいないので、遺伝的要因はないと思います。いちばんあり得る要因は飲酒です。2日に1回、多い時は毎日飲んでいました。今は飲酒回数を減らし、3週間に一度飲んでいます。
以上が、今までの状態です。
次に、これからのことを考えます。
飲酒回数を大幅に減らしたので、私は将来的に薬をやめても大丈夫ではないかと思っています。でも、やめるのは今ではありません。ちょうど私が痛風治療を始めた頃、幸運にもNHKで痛風の番組が放送されました。それによると、痛風の薬は一般的には生涯飲み続けると言われているそうですが、痛風患者が血中尿酸値を6mg/dL以下に保ったとして、体内の尿酸結晶が全部溶けるまでに数年かかると言われているそうです。医師に薬を減らしたい、またはやめたいと相談するのはその後です。上記の「数年」を3年とするならば、私は2020年の7月までは今まで通りに薬を飲み続けなければなりません。薬をやめることを考えるのはその後です。採血の結果、一度でも尿酸値が7mg/dL以上になれば、そもそも薬をやめる計画は水泡に帰します。
ところで、痛風の要因である飲酒は、私の場合前回の飲酒日から3週間が禁酒なので、次回飲酒解禁が3月5日です。3週間禁酒の決まりを自分に課してから今までに、飲んで心から満足したのは1回だけです。楽しめるような「何か」を用意してから飲むのが正しいのに、それが用意できていないうちに飲酒解禁と同時にいそいそと飲んでしまうのが、心から満足できない原因です。
2019-02-20 08:39
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フェブリクは終わらない! [痛風日記]
今日は痛風の通院日だ。
以前に見たテレビで、痛風の薬は一生飲み続けるのが基本だが、一生は気が重いという人は、出来た尿酸結晶が溶けるまでに3年くらいかかるので、3年経ったら先生に相談してみたらと言っていたと思う。私はいったい何年薬を飲み続けただろう。このブログの過去記事を調べたら、2017年6月30日あたりから治療を始めたらしい。まだ1年半くらいか。先は長い。先生に相談できるのは2020年の7月あたりか。診察室に呼ばれるまでは、私はそう思っていた。ところが診察室で言われたのは地獄のエンドレス・フェブリクだった。
この薬には維持量というのがあるそうだ。今までは最低量の10ミリだが、だんだん増やしていって20ミリ、あるいは30ミリ40ミリという量で続けてゆくという。私の場合は10ミリで痛風発作が起きておらず、薬は少ないに越したことはないので、10ミリのまま続けましょうと言われた。薬をやめるどころか、増やす話が出たじゃないか。ずっと続けると言ってないか。人間は希望があるから頑張れるんだぞ。希望を奪ってどうする。
あまりのショックにどうでもよくなってしまったが、先生は前回の診察時に「次回血液検査」と言ったのに、今回採血がなく、また「次回血液検査」と言った。でももうそんなのどうでもいいや。私はエンドレス・フェブリクから逃げることしか考えてない。逃げてやる。絶対逃げてやる。
以前に見たテレビで、痛風の薬は一生飲み続けるのが基本だが、一生は気が重いという人は、出来た尿酸結晶が溶けるまでに3年くらいかかるので、3年経ったら先生に相談してみたらと言っていたと思う。私はいったい何年薬を飲み続けただろう。このブログの過去記事を調べたら、2017年6月30日あたりから治療を始めたらしい。まだ1年半くらいか。先は長い。先生に相談できるのは2020年の7月あたりか。診察室に呼ばれるまでは、私はそう思っていた。ところが診察室で言われたのは地獄のエンドレス・フェブリクだった。
この薬には維持量というのがあるそうだ。今までは最低量の10ミリだが、だんだん増やしていって20ミリ、あるいは30ミリ40ミリという量で続けてゆくという。私の場合は10ミリで痛風発作が起きておらず、薬は少ないに越したことはないので、10ミリのまま続けましょうと言われた。薬をやめるどころか、増やす話が出たじゃないか。ずっと続けると言ってないか。人間は希望があるから頑張れるんだぞ。希望を奪ってどうする。
あまりのショックにどうでもよくなってしまったが、先生は前回の診察時に「次回血液検査」と言ったのに、今回採血がなく、また「次回血液検査」と言った。でももうそんなのどうでもいいや。私はエンドレス・フェブリクから逃げることしか考えてない。逃げてやる。絶対逃げてやる。
2019-01-16 11:53
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病院通いに慣れてきた [痛風日記]
今日は痛風で通院の日だ。いま帰りのバスの中。家まで帰り着いていないが、何事もなく終わりそうだ。
1回おきに採血だから、今回は採血なし。と見せかけてそろそろ意表を突いて抜き打ち採血かも。いつでも来い採血!と思っていたが、病院の採血はそんな抜き打ちテストみたいなもんじゃない。実際にはただの問診だった。
普通は保険証を最後の会計の時に出すが何か変更があった時だけ最初に受付に出す。私としては何も変更なかったので最後に出そうとしたが、たまたま古い保険証の期限が切れて新しいのが送られてきた所だったから最初に受付で要求された。ひょっとしたらそうかとは思ったんだが。まあ大した失敗じゃない。
会計で名字を告げたら名前も言ってくださいと言われた。次回は慣れるだろう。これも大したことじゃない。
私のほとんど死滅した脳細胞でも少しは考えた。支払いが終わってから時間があったので近くの薬局で薬を買っておけば楽だったが、前回の薬局はそこではなく駅の近くだった。毎回違う薬局だと少しだけ割高になるはずだ。今回も駅の薬局。
病院が営業してるから病院前の薬局は営業してるけど、駅の近くの薬局はお盆休みかもしれない、とは思っている。その時は飲み残しの数錠を飲んで数日間凌いでから薬局に行く。ぬかりはない。
酒を飲んでも痛風発作はまったく起きない。あとの問題はアル中だけだ。恐るべきはアル中。
1回おきに採血だから、今回は採血なし。と見せかけてそろそろ意表を突いて抜き打ち採血かも。いつでも来い採血!と思っていたが、病院の採血はそんな抜き打ちテストみたいなもんじゃない。実際にはただの問診だった。
普通は保険証を最後の会計の時に出すが何か変更があった時だけ最初に受付に出す。私としては何も変更なかったので最後に出そうとしたが、たまたま古い保険証の期限が切れて新しいのが送られてきた所だったから最初に受付で要求された。ひょっとしたらそうかとは思ったんだが。まあ大した失敗じゃない。
会計で名字を告げたら名前も言ってくださいと言われた。次回は慣れるだろう。これも大したことじゃない。
私のほとんど死滅した脳細胞でも少しは考えた。支払いが終わってから時間があったので近くの薬局で薬を買っておけば楽だったが、前回の薬局はそこではなく駅の近くだった。毎回違う薬局だと少しだけ割高になるはずだ。今回も駅の薬局。
病院が営業してるから病院前の薬局は営業してるけど、駅の近くの薬局はお盆休みかもしれない、とは思っている。その時は飲み残しの数錠を飲んで数日間凌いでから薬局に行く。ぬかりはない。
酒を飲んでも痛風発作はまったく起きない。あとの問題はアル中だけだ。恐るべきはアル中。
2018-08-15 13:15
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採血日が近い [痛風日記]
3日後は採血の日だ。アルコール依存症である私の場合、飲酒が血中尿酸値を左右する。私は4月の9日あたりから酒を全然飲んでいない。我慢しているのでなく、毎日が忙しすぎる。飲みたいと思う余裕がない。採血までは飲まずにいられるだろう。アルコール依存症でない人にとっては、1か月酒を飲んでいなくても「それがどうした」という感じだろうが、依存症の人間にとってこれはものすごいことなんだ。
果たして血液検査の結果はどんなだろう。今までは通院のたびに(2、3か月に1回)記事を書いていたが、もう事情がわかったので新たな進展もないだろうから、次回の通院(採血)日には記事を書かないだろう。現在の私の関心事は、自分の痛風の原因と思われるアルコール依存症が今後どうなるかということだけだ。
もしも採血日に記事を書くとしたら、それは血中尿酸値が意外にも上がっていたり、血糖値が意外にもひどく高かったりした時だ。そんなことはあってほしくない。記事を書かずに済むことを願っている。
果たして血液検査の結果はどんなだろう。今までは通院のたびに(2、3か月に1回)記事を書いていたが、もう事情がわかったので新たな進展もないだろうから、次回の通院(採血)日には記事を書かないだろう。現在の私の関心事は、自分の痛風の原因と思われるアルコール依存症が今後どうなるかということだけだ。
もしも採血日に記事を書くとしたら、それは血中尿酸値が意外にも上がっていたり、血糖値が意外にもひどく高かったりした時だ。そんなことはあってほしくない。記事を書かずに済むことを願っている。
2018-05-13 10:41
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このところ酒を飲んでいません [痛風日記]
今日は飲酒の話です。言うまでもなくアルコールは尿酸値を上げる要因です。
アルコール依存症の私が3週間酒を飲んでいません。この依存症は体の病気かもしれませんが、心の病気でもあります。例えばこうです。何かとても大きな不安が生じて心が壊れた時に、無性に酒が飲みたくなります。たくさん飲んで脳がまともに考えられなくなると、たしかに一時的にとても幸せになります。酔いが覚める過程で不安が襲ってきますが、依存症になるほどたびたび飲んで酔いに馴れていれば、ある程度の対処法を自分で考案しているものです。さて、不安材料が去りました。これで酒を飲まなくても良くなったはず。ところが依存症なので、やはり飲みたいです。以前は「不安を取り去る」という大義名分を掲げて飲んでいましたが、それがなくなったので何となく飲みたいから飲みます。もう飲まなくていい、飲んじゃいけないとわかっていながら飲んでしまいます。だから依存症です。そして飲めば、やはり一時的にとても幸せになります。もちろん酒は感情増幅剤にすぎませんから、楽しいことを用意しなければ楽しくありませんが、依存症になるほど飲んでいる人間ならその辺は心得ています。こうして、辛いことがある時もない時も結局酒を飲み、出費は嵩み、痛風になります。
では私はどうやって3週間も酒を飲まずにいられたのか。それもまた、この依存症が心の病気だからこそです。自分の心の中で飲酒の衝動を上回る何かが生じた時、飲酒衝動が打ち消されます。仕事が始まった、忙しい、仕事は全力でやるものだ、大事なクライアントが待っている。「えらいこっちゃ」と思い、酒を飲む暇がなく、気がつくと3週間が経っています。そして痛風治療の血液検査。採血まであと2週間。もしも血中尿酸値が規定値を越えていたら薬を増やされる!また「えらいこっちゃ」と思います。結局私の場合、こういう外部からの枷みたいなものが心を抑えつけてくれないと危ないです。
アルコール依存症の私が3週間酒を飲んでいません。この依存症は体の病気かもしれませんが、心の病気でもあります。例えばこうです。何かとても大きな不安が生じて心が壊れた時に、無性に酒が飲みたくなります。たくさん飲んで脳がまともに考えられなくなると、たしかに一時的にとても幸せになります。酔いが覚める過程で不安が襲ってきますが、依存症になるほどたびたび飲んで酔いに馴れていれば、ある程度の対処法を自分で考案しているものです。さて、不安材料が去りました。これで酒を飲まなくても良くなったはず。ところが依存症なので、やはり飲みたいです。以前は「不安を取り去る」という大義名分を掲げて飲んでいましたが、それがなくなったので何となく飲みたいから飲みます。もう飲まなくていい、飲んじゃいけないとわかっていながら飲んでしまいます。だから依存症です。そして飲めば、やはり一時的にとても幸せになります。もちろん酒は感情増幅剤にすぎませんから、楽しいことを用意しなければ楽しくありませんが、依存症になるほど飲んでいる人間ならその辺は心得ています。こうして、辛いことがある時もない時も結局酒を飲み、出費は嵩み、痛風になります。
では私はどうやって3週間も酒を飲まずにいられたのか。それもまた、この依存症が心の病気だからこそです。自分の心の中で飲酒の衝動を上回る何かが生じた時、飲酒衝動が打ち消されます。仕事が始まった、忙しい、仕事は全力でやるものだ、大事なクライアントが待っている。「えらいこっちゃ」と思い、酒を飲む暇がなく、気がつくと3週間が経っています。そして痛風治療の血液検査。採血まであと2週間。もしも血中尿酸値が規定値を越えていたら薬を増やされる!また「えらいこっちゃ」と思います。結局私の場合、こういう外部からの枷みたいなものが心を抑えつけてくれないと危ないです。
2018-05-01 08:55
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薬剤服用歴管理指導料で失敗 [痛風日記]
今は午後1時。早くも帰宅してこの記事を書き始めた。つまり私は午前のバスに間に合ったということだ。今回の記事は病状の件でなく、個人的記録だ。そして珍しく午前のバスに間に合ったご報告でもある。
病院に着いて、最初は予想通りだった。つまり「やっぱり午前のバスは乗り遅れ」という感じで始まった。待合室で45分ほどいつも通りに待ち、10時30分になると、これもまたいつも通りに「30分遅れ」の看板が出た。これから10時予約ぶんの人を呼び始めるという。いつも通りならそのうちに「45分から1時間遅れ」となる。暇だから色々考えた。プラス思考で午後バスのことを考えた。「バスを2時間待つ間に持ってきた菓子を食べるのも悪くないなあ。午前のバスで急いで帰ると病院向かいの薬局に寄る時間がないから、バスを駅前で降りて薬局に寄らなきゃならないんだよなあ。午後のバスなら家の近くまで帰れるなあ。」
そうしたら、11時になる前に名前を呼ばれ、11時になる前に問診が終わってしまった。これは珍しく、午前の最終バスに間に合うではないか! 11時8分に会計。薬局も行けるか? 10分に向かいの薬局。10人くらい待っている。薬局は呼ばれるまでに時間がかかるものだが、ここまで来たら運任せだ。バスに乗り遅れたら2時間待って菓子食べて帰ればいい。
薬局もそれほど時間はかからず、私は首尾よく午前最後のバスに乗り、家を目指した。もうここまで来たら後は家の近くでバスを降りてちょっと歩いて帰宅するだけだ。
ところが、バスが家の近くまで行かずに駅で停まり、ここで終点だという。しまった!午前最後のバスはここから先へ行かないんだった。すっかり忘れていた。今日の予約が10時15分になった時点(1月の電話予約)で、午前のバスは「ありえない」ことだったから。
駅から家まで歩くのは構わないが、こうなるんだったら時間があっても病院前の薬局に寄るんじゃなかった。駅近くの薬局に寄るんだった。なぜなら、ひとつの薬局に半年以上行かないと、次に行った時に何とかいう料金(薬剤服用歴管理指導料?)を余分に取られるから。考えるべきことが多くて、私のオツムでは何かを忘れてしまうことが多い。
病院に着いて、最初は予想通りだった。つまり「やっぱり午前のバスは乗り遅れ」という感じで始まった。待合室で45分ほどいつも通りに待ち、10時30分になると、これもまたいつも通りに「30分遅れ」の看板が出た。これから10時予約ぶんの人を呼び始めるという。いつも通りならそのうちに「45分から1時間遅れ」となる。暇だから色々考えた。プラス思考で午後バスのことを考えた。「バスを2時間待つ間に持ってきた菓子を食べるのも悪くないなあ。午前のバスで急いで帰ると病院向かいの薬局に寄る時間がないから、バスを駅前で降りて薬局に寄らなきゃならないんだよなあ。午後のバスなら家の近くまで帰れるなあ。」
そうしたら、11時になる前に名前を呼ばれ、11時になる前に問診が終わってしまった。これは珍しく、午前の最終バスに間に合うではないか! 11時8分に会計。薬局も行けるか? 10分に向かいの薬局。10人くらい待っている。薬局は呼ばれるまでに時間がかかるものだが、ここまで来たら運任せだ。バスに乗り遅れたら2時間待って菓子食べて帰ればいい。
薬局もそれほど時間はかからず、私は首尾よく午前最後のバスに乗り、家を目指した。もうここまで来たら後は家の近くでバスを降りてちょっと歩いて帰宅するだけだ。
ところが、バスが家の近くまで行かずに駅で停まり、ここで終点だという。しまった!午前最後のバスはここから先へ行かないんだった。すっかり忘れていた。今日の予約が10時15分になった時点(1月の電話予約)で、午前のバスは「ありえない」ことだったから。
駅から家まで歩くのは構わないが、こうなるんだったら時間があっても病院前の薬局に寄るんじゃなかった。駅近くの薬局に寄るんだった。なぜなら、ひとつの薬局に半年以上行かないと、次に行った時に何とかいう料金(薬剤服用歴管理指導料?)を余分に取られるから。考えるべきことが多くて、私のオツムでは何かを忘れてしまうことが多い。
2018-02-14 13:08
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薬のすごい効果 [痛風日記]
私は痛風の小さな錠剤を毎朝1錠服用している。他には何も体に良いことをしていない。していないだけならまだいいが、生活不安から12月1月にかなりの回数酒を飲んだ。2月に入ってからも飲んだ。ところがだ、足が腫れない。親指の付け根も膝も腫れない。
もしも酒をきちんと絶っていたら、私は酒を飲まないから痛風が治ってきたと思ったことだろう。でも現実には、不安からたくさん飲んでしまった。それで痛風発作が起きないのは、薬の効果以外に考えられない。小さな錠剤を、1日1錠だけ。それで人間の体質は変わってしまう。薬の効果というのは、すごいものだ。それと同時に恐ろしい。間違った服用のしかたをしたら、体がどうなるかわからない。
痛風の薬だけではない。たとえば睡眠導入剤。いわゆる睡眠薬。私はある薬を飲むと、まず間違いなく1時間後に眠る。薬がないと緊張や不安で眠れない時も。
こうして私は最近、薬というものの効果を改めて認識したので、今日はそれを書きたかった。
明日は、私の3ヶ月ぶりの通院日だ。でも予定では、問診と薬だけで終わる。そしてまた(以前の痛風記事を読んでくださった方はご存じのように)バスに乗り遅れ、病院の待合室で2時間待つ。もしも予想通りの結果になったら、明日はわざわざ痛風の記事を書くまでもないので書かないつもりだ。明日、私のブログに痛風記事が出なかったら、「ははあ、病院の待合室で2時間待ったな」と思ってほしい。
もしも酒をきちんと絶っていたら、私は酒を飲まないから痛風が治ってきたと思ったことだろう。でも現実には、不安からたくさん飲んでしまった。それで痛風発作が起きないのは、薬の効果以外に考えられない。小さな錠剤を、1日1錠だけ。それで人間の体質は変わってしまう。薬の効果というのは、すごいものだ。それと同時に恐ろしい。間違った服用のしかたをしたら、体がどうなるかわからない。
痛風の薬だけではない。たとえば睡眠導入剤。いわゆる睡眠薬。私はある薬を飲むと、まず間違いなく1時間後に眠る。薬がないと緊張や不安で眠れない時も。
こうして私は最近、薬というものの効果を改めて認識したので、今日はそれを書きたかった。
明日は、私の3ヶ月ぶりの通院日だ。でも予定では、問診と薬だけで終わる。そしてまた(以前の痛風記事を読んでくださった方はご存じのように)バスに乗り遅れ、病院の待合室で2時間待つ。もしも予想通りの結果になったら、明日はわざわざ痛風の記事を書くまでもないので書かないつもりだ。明日、私のブログに痛風記事が出なかったら、「ははあ、病院の待合室で2時間待ったな」と思ってほしい。
2018-02-13 15:00
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また酒を飲んでしまった。その理性的分析。 [痛風日記]
恥ずかしいから書きたくなかったが、ブログ記事は私の闘病記録でもあるから自分に嘘をついちゃいけない。
「酒を飲んじゃいけない病気なのに、どうして酒を飲むんだ。」と言われそうだが、残念ながらそれは逆だ。酒を飲まねばならない状態が続いたから病気になってしまった。そして、治療を始めても、酒を飲まねばならない状態が終わったわけではない。
「でも、ブログ記事に痛風のことを書き始めてから去年の11月までは、1か月に1回だけの飲酒で、本数も少なく済んだじゃないか。」と言われれば、その答えは、私の生活不安は季節により増減する。言うまでもなく社会は4月から新年度で、それに向けて動き出すのが前年の12月からだ。たとえば会社がリストラをしようとするなら、3月になって急に告知するのは会社自体のためにならない。あらかじめ告知しておくのが会社の立場を守れる。これはほんの一例だが、とにかく12月あたりから人生の悪い意味での変化が、もしあるならば始まる。そして、仮に人生の悪い意味での変化がなくても、人は「今年はあるだろうか」と気に病み始めるから、毎年12月あたりから心が病み始める。
「酒なんか飲んで、何かが変わるのか?」と聞かれれば、変わる。これについては、細分化して考えなければいけない。酒は、気分の増幅剤だ。飲酒前の精神状態いかんで、何が増幅されるかが決まり、これは大事だ。
目の前に恐怖の対象があって逃げられない時は、飲酒によってその恐怖が増幅されてしまうから飲んではいけない。そういう時は辛くてもじっと耐える。いっぽう、不安材料が曖昧な場合もある。今日何かがあるのではなく、1か月後とか近日中に何かがあるかもしれずそれを恐れている場合。恐らく何かがあるが、それが自分の生活にどれほどの脅威となるかがまだわからない場合。わからないけど不安に押し潰されそうな場合。今すぐ恐れなくてもいいと頭ではわかっていても、心が不安に取りつかれてどうにもならない場合。そういう場合は、飲酒で不安を一時的に忘れられる。ただしそれにも方法がある。
まず、楽しめる何かを用意する。酒は気分の増幅剤にすぎず、それ自体が楽しいのではない。自分が楽しめる何かがある時、その楽しい気分を増幅してくれる。
飲み始めたら、余計なことをせずに楽しみに没頭する。これは、飲み終わった時に「実に楽しかった」と満足するために必要だ。飲み始めても好きなことをせずに「ちょっとあの仕事をやってから」などと思うと、結局楽しむ前に酒が終わってしまい、何のために飲んだんだと後悔することになる。
飲み終わった後、飲酒量が少ないとそのまま目覚めており、飲酒量が多いと寝てしまって数時間後に目覚めるが、どちらの場合も飲み終わった後が一番大事だ。飲酒中に楽しいことに没頭して不安を忘れていると、飲酒後に突然その不安を思い出すものだ。これはとても恐ろしい。ではどうするか。不安を完全に思い出すよりも前に、自分に与えられた仕事をせよ。それは家事かもしれないし、届いた手紙の整理かもしれない。その時に目の前にあるやるべきことをせよ。それを、不安が不必要に増大しなくなるまで続けよ。うまく行けば、飲酒前には心が不安に取りつかれてどうしようもなかったものが、飲酒後にはものごとを冷静に見られようになっていることもある。もっとも、いつかまた不安はやってくるだろう。
飲酒にはリスクがある。病気になる。どんな病気になりやすいかは人によって違うと思われる。たとえば痛風になりやすい。たとえば痔になりやすい。心が辛くてリスクを承知の上で飲まずにいられないという条件が、飲酒の大前提でなければいけない。
「酒を飲んじゃいけない病気なのに、どうして酒を飲むんだ。」と言われそうだが、残念ながらそれは逆だ。酒を飲まねばならない状態が続いたから病気になってしまった。そして、治療を始めても、酒を飲まねばならない状態が終わったわけではない。
「でも、ブログ記事に痛風のことを書き始めてから去年の11月までは、1か月に1回だけの飲酒で、本数も少なく済んだじゃないか。」と言われれば、その答えは、私の生活不安は季節により増減する。言うまでもなく社会は4月から新年度で、それに向けて動き出すのが前年の12月からだ。たとえば会社がリストラをしようとするなら、3月になって急に告知するのは会社自体のためにならない。あらかじめ告知しておくのが会社の立場を守れる。これはほんの一例だが、とにかく12月あたりから人生の悪い意味での変化が、もしあるならば始まる。そして、仮に人生の悪い意味での変化がなくても、人は「今年はあるだろうか」と気に病み始めるから、毎年12月あたりから心が病み始める。
「酒なんか飲んで、何かが変わるのか?」と聞かれれば、変わる。これについては、細分化して考えなければいけない。酒は、気分の増幅剤だ。飲酒前の精神状態いかんで、何が増幅されるかが決まり、これは大事だ。
目の前に恐怖の対象があって逃げられない時は、飲酒によってその恐怖が増幅されてしまうから飲んではいけない。そういう時は辛くてもじっと耐える。いっぽう、不安材料が曖昧な場合もある。今日何かがあるのではなく、1か月後とか近日中に何かがあるかもしれずそれを恐れている場合。恐らく何かがあるが、それが自分の生活にどれほどの脅威となるかがまだわからない場合。わからないけど不安に押し潰されそうな場合。今すぐ恐れなくてもいいと頭ではわかっていても、心が不安に取りつかれてどうにもならない場合。そういう場合は、飲酒で不安を一時的に忘れられる。ただしそれにも方法がある。
まず、楽しめる何かを用意する。酒は気分の増幅剤にすぎず、それ自体が楽しいのではない。自分が楽しめる何かがある時、その楽しい気分を増幅してくれる。
飲み始めたら、余計なことをせずに楽しみに没頭する。これは、飲み終わった時に「実に楽しかった」と満足するために必要だ。飲み始めても好きなことをせずに「ちょっとあの仕事をやってから」などと思うと、結局楽しむ前に酒が終わってしまい、何のために飲んだんだと後悔することになる。
飲み終わった後、飲酒量が少ないとそのまま目覚めており、飲酒量が多いと寝てしまって数時間後に目覚めるが、どちらの場合も飲み終わった後が一番大事だ。飲酒中に楽しいことに没頭して不安を忘れていると、飲酒後に突然その不安を思い出すものだ。これはとても恐ろしい。ではどうするか。不安を完全に思い出すよりも前に、自分に与えられた仕事をせよ。それは家事かもしれないし、届いた手紙の整理かもしれない。その時に目の前にあるやるべきことをせよ。それを、不安が不必要に増大しなくなるまで続けよ。うまく行けば、飲酒前には心が不安に取りつかれてどうしようもなかったものが、飲酒後にはものごとを冷静に見られようになっていることもある。もっとも、いつかまた不安はやってくるだろう。
飲酒にはリスクがある。病気になる。どんな病気になりやすいかは人によって違うと思われる。たとえば痛風になりやすい。たとえば痔になりやすい。心が辛くてリスクを承知の上で飲まずにいられないという条件が、飲酒の大前提でなければいけない。
2018-01-16 22:55
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酒 [痛風日記]
私がなんで酒を飲むのか思い出した。私は、自分が世の中を思い恐くて押し潰されそうになった時に、その不安で自分が自壊してしまうのを防ぐために、思考をやめさせようと飲んだのだった。それが正しいのかはわからないけれども、私はいつも必死だった。
Flügel
GIGANTIC FORMULA Version
Am Morgen erwache ich allein, einsam und kalt
Nur Erinnerungen erwärmen mein Herz
Ich liebe dich jetzt noch, ich weiss es jetzt genau
Ich sollte dich nicht verlassen!
Ach, hätte ich nur Flügel,
Würde ich sofort zu dir fliegen
In meinem Hoffnungsbild wärest du immer neben mir
Und lächeltest immer noch mir zu...
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
Flügel
GIGANTIC FORMULA Version
Am Morgen erwache ich allein, einsam und kalt
Nur Erinnerungen erwärmen mein Herz
Ich liebe dich jetzt noch, ich weiss es jetzt genau
Ich sollte dich nicht verlassen!
Ach, hätte ich nur Flügel,
Würde ich sofort zu dir fliegen
In meinem Hoffnungsbild wärest du immer neben mir
Und lächeltest immer noch mir zu...
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2018-01-13 21:02
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経過記録 [痛風日記]
あと約1か月で病院へ行く。採血でなく問診と薬をもらってくるだけだ。少し記録したい事も出来たので、記事を書きたい。
まず発作の有無から。11月と12月の記事に、膝が痛いと書いた。全然歩けないほど悪くはなく、階段は無理という程度の痛さだった。その後、膝は痛くならない。足を酷使し、しかも晩に風呂で温めた事もあった(痛風発作は温めると悪化する)が、膝は痛くならない。12月にはストレスから酒を3回、1日おきに飲んだが、それでも発作は起きない。正確な事情まではわからない。薬が効いているから発作が起きないのか、それとも関節に尿酸結晶がもうないから発作が起きないのか、それとも痛風発作は数ヵ月に1度の周期で起き、前回が去年の11月12月だったから今は発作がないのか。それは残念ながら、わからない。とにかく、こうして記録は残してゆきたい。
飲酒について。私は、自分の痛風は長年にわたる飲酒が原因だと思っている。一日おきや、時には毎日飲まねばやっていられないほど精神的に追い詰められた。逆に考えて、飲酒さえやめれば痛風は無くなると思っている。そして去年の11月までは、酒を1ヶ月に1回に抑えられると思っていた。でもそれは私が甘かった。人生が続けば、またストレスはやって来る。私は一体どうなってしまうのだろう。私以外の人は、人生のストレスにどんな方法で対処しているのだろう。
病院の予約について。以前の記事に書いたが、私は予約時間が10時ならばギリギリ午前のバスに間に合って帰宅でき、10時15分だと午前のバスに乗り遅れて午後のバスまで2時間待ちとなる。しかも午前のバスに乗り遅れるタイミングというのが、目の前でバスが出てしまうという最悪のタイミングだ。だから何としても早い時間に予約を入れなければならない。今年の正月休みが終わって私は病院に予約の電話をかけた。電話口で「出来るだけ早い時間が良いのですが」と伝えた。電話の声が言った「10時15分が空いています。」私は思わず「ちょっと待ってください」と言った。10時15分では午前のバスに乗り遅れて午後のバスまで2時間待ちではないか。それならむしろ、一番遅い予約時間にしてもらえば午後のバスまでの待ち時間が少ないというものだ。でも、さっき私は出来るだけ早い時間が良いと相手に伝えた。それで今度は出来るだけ遅い時間が良いと言ったら、私は言っている事が支離滅裂の変な人だ。私は観念した。
まず発作の有無から。11月と12月の記事に、膝が痛いと書いた。全然歩けないほど悪くはなく、階段は無理という程度の痛さだった。その後、膝は痛くならない。足を酷使し、しかも晩に風呂で温めた事もあった(痛風発作は温めると悪化する)が、膝は痛くならない。12月にはストレスから酒を3回、1日おきに飲んだが、それでも発作は起きない。正確な事情まではわからない。薬が効いているから発作が起きないのか、それとも関節に尿酸結晶がもうないから発作が起きないのか、それとも痛風発作は数ヵ月に1度の周期で起き、前回が去年の11月12月だったから今は発作がないのか。それは残念ながら、わからない。とにかく、こうして記録は残してゆきたい。
飲酒について。私は、自分の痛風は長年にわたる飲酒が原因だと思っている。一日おきや、時には毎日飲まねばやっていられないほど精神的に追い詰められた。逆に考えて、飲酒さえやめれば痛風は無くなると思っている。そして去年の11月までは、酒を1ヶ月に1回に抑えられると思っていた。でもそれは私が甘かった。人生が続けば、またストレスはやって来る。私は一体どうなってしまうのだろう。私以外の人は、人生のストレスにどんな方法で対処しているのだろう。
病院の予約について。以前の記事に書いたが、私は予約時間が10時ならばギリギリ午前のバスに間に合って帰宅でき、10時15分だと午前のバスに乗り遅れて午後のバスまで2時間待ちとなる。しかも午前のバスに乗り遅れるタイミングというのが、目の前でバスが出てしまうという最悪のタイミングだ。だから何としても早い時間に予約を入れなければならない。今年の正月休みが終わって私は病院に予約の電話をかけた。電話口で「出来るだけ早い時間が良いのですが」と伝えた。電話の声が言った「10時15分が空いています。」私は思わず「ちょっと待ってください」と言った。10時15分では午前のバスに乗り遅れて午後のバスまで2時間待ちではないか。それならむしろ、一番遅い予約時間にしてもらえば午後のバスまでの待ち時間が少ないというものだ。でも、さっき私は出来るだけ早い時間が良いと相手に伝えた。それで今度は出来るだけ遅い時間が良いと言ったら、私は言っている事が支離滅裂の変な人だ。私は観念した。
2018-01-12 20:40
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大掃除と痛風発作 [痛風日記]
私の行きつけの床屋さんは年末の大掃除をあまりしないらしいが、私は彼とは世代が違うので必ずしなければならない、それがなければ年は越せないという思いが頭に染み付いている。ところが去年は、体調不良を押して掃除をしたら年末に寝込んでしまい、それに追い討ちをかけて元旦に痛風発作が始まった。天井を雑巾がけするために台の上に上ったり降りたり、踏み台昇降運動を延々としたのがいけなかったと思われる。年をとって体に故障が出ると、若い頃には出来た事が出来なくなる。みじめな気持ちだ。でも前回のような家人を巻き込んだ年末年始大惨事を起こすのは駄目だ。今年は大掃除を諦めようと思う。せめて、神に関係する所だけ、つまり神の入口である玄関と、神棚だけは何とか掃除できないかと思っている。
それでも、昨日はひとつ良いことを発見した。実は昨日パソコンが起動しなくなった。そんなことになるとは思わないから、あらかじめたくさんの物を出してきてそれを今日中にパソコンで処理するつもりだった。でもパソコンは動かない。結局、何時間もかけてパソコンは直したが、その時にはもう日が傾いて寒くなっていた。でも今日中にたくさんの物を処理しなければならない。その物が部屋の真ん中に居座って、そのままでは布団が敷けない。つまり寝られない。私はすでに寒くなった自室で2時間くらい座って作業しなければならなかった。腰痛を恐れて途中で立ち上がって動いたりしたが、それでもこんな事をしたら、痛風治療前には私の足はすぐに異常を訴え、腫れぼったくなり、最悪では痛風発作が始まった。ところが昨日はそれがなかった。体に無理をさせたのに。だからひょっとすると、足の親指の付根関節の尿酸結晶は溶けているのかもしれない。でも私の痛風発作はすでに足先ではなく膝へと移っているから、油断はできない。
それでも、昨日はひとつ良いことを発見した。実は昨日パソコンが起動しなくなった。そんなことになるとは思わないから、あらかじめたくさんの物を出してきてそれを今日中にパソコンで処理するつもりだった。でもパソコンは動かない。結局、何時間もかけてパソコンは直したが、その時にはもう日が傾いて寒くなっていた。でも今日中にたくさんの物を処理しなければならない。その物が部屋の真ん中に居座って、そのままでは布団が敷けない。つまり寝られない。私はすでに寒くなった自室で2時間くらい座って作業しなければならなかった。腰痛を恐れて途中で立ち上がって動いたりしたが、それでもこんな事をしたら、痛風治療前には私の足はすぐに異常を訴え、腫れぼったくなり、最悪では痛風発作が始まった。ところが昨日はそれがなかった。体に無理をさせたのに。だからひょっとすると、足の親指の付根関節の尿酸結晶は溶けているのかもしれない。でも私の痛風発作はすでに足先ではなく膝へと移っているから、油断はできない。
2017-12-27 05:58
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左膝が痛い [痛風日記]
左膝頭が少し痛い。外出は近所のポストまでは行けるが長距離は無理。階段は痛くない右足だけで1段ずつ登り降りするしかない。
昨日の外出で足に無理をさせた。その日は何ともなかったが、一晩寝たら痛くなっていた。そういう所は痛風発作に似ている。ただし本来の痛風発作はものすごく痛いもので、少しなら外を歩けるなんて書けない痛みだ。これが軽度の痛風発作かどうかはわからない。とにかくロキソニンの貼り薬を貼った。
今日はこれから家でひと仕事あるので、今のうちに厄払いのクラシック音楽をUPしておこう。午後はたぶん、その「ひと仕事」で大変なはずだから。
Vc
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
(音楽の道しるべふたたび(Vc))
(最後のカセットテープ補完計画 (016))
ブログ記事のカテゴリーって、複数のカテゴリーに関係する記事だとどこに入れるべきか困る。
昨日の外出で足に無理をさせた。その日は何ともなかったが、一晩寝たら痛くなっていた。そういう所は痛風発作に似ている。ただし本来の痛風発作はものすごく痛いもので、少しなら外を歩けるなんて書けない痛みだ。これが軽度の痛風発作かどうかはわからない。とにかくロキソニンの貼り薬を貼った。
今日はこれから家でひと仕事あるので、今のうちに厄払いのクラシック音楽をUPしておこう。午後はたぶん、その「ひと仕事」で大変なはずだから。
Vc
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(音楽の道しるべふたたび(Vc))
(最後のカセットテープ補完計画 (016))
ブログ記事のカテゴリーって、複数のカテゴリーに関係する記事だとどこに入れるべきか困る。
2017-12-21 10:31
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また酒を飲んでいる [痛風日記]
もう駄目だ。こんなに早く酒を飲むはずがないのに飲んでいる。きのう、ふと酒が飲みたくなり、前回の酒から3週間くらい経ったかと感じつつカレンダーで確認した。すると驚いたことに、前回の飲酒から1週間と少ししか経っていなかった。毎日色々なことをしたので1日に厚みがあり、たった1週間を遠い過去に感じたのだろう。でも飲酒してはいけない。一晩寝て今日になった。この日に飲酒したい気持ちは朝からあった。午前中は買い物に行った。そこまでは良かった。買物の後、酒を飲んでしまった。なんで昼間から飲んでいるかには複数の理由があるが、いちばん大事な理由は、明日出かけなければならないことだ。アルコールが体内にある状態で寝ると眠りが浅く、翌朝体調が悪い。体調不良で外出してもひどい1日になる。早く飲み始め、早く飲み終わり、早く酔いをさまし、早く体内のアルコールと毒素を分解し、翌日に持ち越さないようにしなければいけない。
前回も「また酒を飲んでいる」という同じ題でブログ記事を書き、その後半ではまったく別の話題に飛んで、読者を呆れさせたに違いない。今回も事情は似ていて、このあと、こういう時でなければ書けない事を書いてしまう。が、前回と違って今回は動画の操作ではない。全然別だ。
何か月も前に、ある若者と話をした。彼はドイツ語が好きだと言うので、ドイツ語が嫌いな私は早々に会話を切り上げたほうが良いと察した。が、話を切り上げるにしても急はいけない。そこでまず、どうしてドイツ語が好きになったのかと聞いておくことにした。すると彼は意外なことに、あるゲームの話をしはじめた。そのゲームの名前がどうにも聞き取れない。どうやら日本語ではないから、私はアルファベットで言ってもらった。dies iraeでディエス・イレと読むそうだ。調べたらラテン語だ。私はラテン語も嫌いだ。理由は、日常語として死滅した死語のくせに学術語として世界中で動いているから。ゾンビみたいで気持ち悪い。ゾンビのくせに妙なステータスまで身につけている。だから嫌い。複雑な文法が嫌なのではない。あ、ただ1回だけ学生時代に、他校のラテン語の先生を囲む会に呼ばれたことがある。その先生が「来るものは拒まず」というタイプの人だったから、見ず知らずの私でも会の常連に紹介してもらえば参加することができた。その先生が、ラテン語が好きなんだなというのが伝わってくる人だった。みんなでgaudeamus igiturを歌った。もしも私がこういう人の傍にいたならば、私もラテン語が好きになったかもしれないなと思った。それが、私がラテン語にもつ唯一の肯定的な記憶だ。
閑話休題。話を元に戻す必要がある。その若者はdies iraeというゲームが好きで、彼の話によるとそこにドイツ語が出てくるらしい。彼との話はあまり深い所まで行かなかったが、私は若者と話をした時にはそれを大事にしたい。ある女性から柿原徹也氏の話が出た時にはそれをネットで調べた。それでどうなったというほどの結果はないが、私は若者が個人的に強く思うことを大事にしたいのだ。だから今回も、dies iraeというゲームは何かをネット検索した。そうしたら色々と驚きの情報が出てきた。
驚きその1。これはエロゲーである。はぁ?ほんとに?だってその若者は臆することなく私の目を見てdies iraeというゲームの話をした。ふつう年長者に向ってエロゲを熱く語らないだろう。さらに調べた。別メディアでサブタイトル違いの18禁でないゲームが出ているらしい。再確認しようと今調べたら酔ったせいか見つからなかったが、ここで時間をとると酔いが回りすぎてこの後の「本来書きたかったこと」まで書けなくなるから先へ行かせてほしい。
驚きその2。近々アニメ化放送がある。(当時の話。今ではアニメの地上波放送分がもうじき終わりそうだ。)
驚きその3。オリジナルのゲームもそこから派生したアニメもそれぞれに複数の意味で「濃い」作品らしい。アニメのほうは、どっかの会社がスポンサーではなく、ゲームの熱愛プレーヤー諸氏が「スポンサー様」になっているという。これは興味深い。もちろん、巷のアニメ番組が全部こんなだったら大変だ。でも試みとしては、とても興味深い。何が興味深いか。普通はアニメ制作者が何よりも気にするのはスポンサー(どっかの会社)と視聴者(一般のなんにも知らない人)の反応だ。ところがこのアニメに限っては、事情が違う。気にするべきスポンサーは「どっかの会社」ではない。原作ゲームを熱愛するプレーヤー諸氏だ。その結果、ほんらいアニメ制作者が気にするべき「一般のなんにも知らない人」としての視聴者は、二の次にしなければならない!何よりもまず、スポンサー様(原作を知り尽くした熱愛者)が満足なさるアニメを作らねばならない。でも、一般人を置いてけぼりにしたら、一般の人のこのアニメにたいする評価は地に落ちる。いや、『スワスチカ』に堕ちる!さあアニメ制作者はどう動くか。それが私は興味深い。
オリジナルのゲームが「濃い」作品だというのは、一度ウィキペディアで「Dies irae -Also sprach Zarathustra-」を調べてみればわかる。第一印象「なんじゃいこりゃぁぁ!!!何が何だかわからん!!」でも私はある若者と話をし、彼の熱い思いを聞いたのだから、それでへこたれるわけに行かなかった。日を改めてウィキペディアを読んでみた。ところが、なんにも知らない私はウィキペディアを、日を改めて2回読んで、それでも、わかったような気になっていただけだった。そしてアニメが始まった。幸運にも、同時に始まった妖怪人間ベム50thがきっかけで、私は「あにこ便」というものを知った。これは、テレビ放送の中から特定の静止画だけを紹介してストーリーがわかるようにし、それに加えて人々のツイートを紹介する。このツイートが大事だ。ニコニコ動画のコメントと同じだ。dies iraeの場合、元ゲームを知らない視聴者にはこのコメントが必要不可欠だ。
ようやくこの記事の一番大事な所にさしかかったのに、私は金麦を飲み尽くすほどの時間を費やし、脳が酒漬けだ。もうあかん。なんとか頑張って、簡単にでも大事な所を書きたい。
このアニメを見て「なんだかわからん」と思った方には、私の体験から「こういう選択肢もある」ということを記しておきたい。まず、ウィキペディアを2回読む。1回じゃ無理だ。日を置いてもう一回読んで、ようやく「そこに何が書かれているのか」が「わかったような気がする」。ところがまだ、わかってない。この時点で最初からアニメを視聴する。そうすると、間違いは多々あるが自分なりに「これはこういうシーンなんだ」というのが見える「ような気になる」。ほんとはまだ間違いがある。それを正してくれるのが「あにこ便」のツイートだ。このツイートは2つの意味で絶対必要だ。
1つめの意味。これがないとアニメ(ゲーム)の世界観が理解できない。逆に言ったほうがいい。これがあると、アニメの世界観がわかる。ゲーム体験済みの人々のツイートによる説明で、色々わかる。その中には私がウィキペディアで読んで「うんうん、そうだ」と思うものもあれば、私が勘違いしていて「そういう世界観だったのか」と思い、あらためてウィキペディアを読み直すものもある。
2つめの意味。いわばこれがこの記事の『流出位階』だ。原作ゲームを知らず、ただウィキペディアを読んだだけでこのアニメを見始めた私のような人間にとって、何が一番楽しいか。それは「あにこ便」のツイートだ。いちばんわかりやすい例を出せば、わかる人にはわかる。それは、シュピーネさんだ!!全部で(現世にいるかどうかは問わず)13人いるらしい敵の中では明らかに下位で、アニメの中でも最初に『スワスチカ』送りになったのに、それ以前、1カットだけこの人が出た時点でもうツイートは「シュピーネさん」「シュピーネさん」。その人気が能力のレベルにあるのでないことは明らか。強さでもない。イケメンでもない。それなのに「シュピーネさん」「シュピーネさんが動いた」この絶大なる人気!!
私はこの時ほどコメントを見て楽しかったことはない。
最後に、せっかく酔っぱらっているのだから、こういう時しか書けないアニメへの不満も書きたい。主人公が今までに敵と戦ってかっこよく勝ったのは1回だけではないか。あの対シュピーネさんの回。その後、獣殿の前で圧倒的な実力差にもかかわらず善戦したというのはあるが、第10話まで来てこれだけか。主人公として少なすぎないか。もちろん、何も知らない若者だった主人公が自分の本来のポテンシャルと敵からの刺激で急速にその能力を上げてゆくという話は聞き知っている。でも、あと2回で地上波組はサヨナラなんだ。その後はたぶん、有料でWebだろう。リストラおじさんの私は最近のフロス3回連続購入で参ってるほどだ。有料はサヨナラになる。主人公が今の強さのままでサヨナラは寂しいよ。
前回も「また酒を飲んでいる」という同じ題でブログ記事を書き、その後半ではまったく別の話題に飛んで、読者を呆れさせたに違いない。今回も事情は似ていて、このあと、こういう時でなければ書けない事を書いてしまう。が、前回と違って今回は動画の操作ではない。全然別だ。
何か月も前に、ある若者と話をした。彼はドイツ語が好きだと言うので、ドイツ語が嫌いな私は早々に会話を切り上げたほうが良いと察した。が、話を切り上げるにしても急はいけない。そこでまず、どうしてドイツ語が好きになったのかと聞いておくことにした。すると彼は意外なことに、あるゲームの話をしはじめた。そのゲームの名前がどうにも聞き取れない。どうやら日本語ではないから、私はアルファベットで言ってもらった。dies iraeでディエス・イレと読むそうだ。調べたらラテン語だ。私はラテン語も嫌いだ。理由は、日常語として死滅した死語のくせに学術語として世界中で動いているから。ゾンビみたいで気持ち悪い。ゾンビのくせに妙なステータスまで身につけている。だから嫌い。複雑な文法が嫌なのではない。あ、ただ1回だけ学生時代に、他校のラテン語の先生を囲む会に呼ばれたことがある。その先生が「来るものは拒まず」というタイプの人だったから、見ず知らずの私でも会の常連に紹介してもらえば参加することができた。その先生が、ラテン語が好きなんだなというのが伝わってくる人だった。みんなでgaudeamus igiturを歌った。もしも私がこういう人の傍にいたならば、私もラテン語が好きになったかもしれないなと思った。それが、私がラテン語にもつ唯一の肯定的な記憶だ。
閑話休題。話を元に戻す必要がある。その若者はdies iraeというゲームが好きで、彼の話によるとそこにドイツ語が出てくるらしい。彼との話はあまり深い所まで行かなかったが、私は若者と話をした時にはそれを大事にしたい。ある女性から柿原徹也氏の話が出た時にはそれをネットで調べた。それでどうなったというほどの結果はないが、私は若者が個人的に強く思うことを大事にしたいのだ。だから今回も、dies iraeというゲームは何かをネット検索した。そうしたら色々と驚きの情報が出てきた。
驚きその1。これはエロゲーである。はぁ?ほんとに?だってその若者は臆することなく私の目を見てdies iraeというゲームの話をした。ふつう年長者に向ってエロゲを熱く語らないだろう。さらに調べた。別メディアでサブタイトル違いの18禁でないゲームが出ているらしい。再確認しようと今調べたら酔ったせいか見つからなかったが、ここで時間をとると酔いが回りすぎてこの後の「本来書きたかったこと」まで書けなくなるから先へ行かせてほしい。
驚きその2。近々アニメ化放送がある。(当時の話。今ではアニメの地上波放送分がもうじき終わりそうだ。)
驚きその3。オリジナルのゲームもそこから派生したアニメもそれぞれに複数の意味で「濃い」作品らしい。アニメのほうは、どっかの会社がスポンサーではなく、ゲームの熱愛プレーヤー諸氏が「スポンサー様」になっているという。これは興味深い。もちろん、巷のアニメ番組が全部こんなだったら大変だ。でも試みとしては、とても興味深い。何が興味深いか。普通はアニメ制作者が何よりも気にするのはスポンサー(どっかの会社)と視聴者(一般のなんにも知らない人)の反応だ。ところがこのアニメに限っては、事情が違う。気にするべきスポンサーは「どっかの会社」ではない。原作ゲームを熱愛するプレーヤー諸氏だ。その結果、ほんらいアニメ制作者が気にするべき「一般のなんにも知らない人」としての視聴者は、二の次にしなければならない!何よりもまず、スポンサー様(原作を知り尽くした熱愛者)が満足なさるアニメを作らねばならない。でも、一般人を置いてけぼりにしたら、一般の人のこのアニメにたいする評価は地に落ちる。いや、『スワスチカ』に堕ちる!さあアニメ制作者はどう動くか。それが私は興味深い。
オリジナルのゲームが「濃い」作品だというのは、一度ウィキペディアで「Dies irae -Also sprach Zarathustra-」を調べてみればわかる。第一印象「なんじゃいこりゃぁぁ!!!何が何だかわからん!!」でも私はある若者と話をし、彼の熱い思いを聞いたのだから、それでへこたれるわけに行かなかった。日を改めてウィキペディアを読んでみた。ところが、なんにも知らない私はウィキペディアを、日を改めて2回読んで、それでも、わかったような気になっていただけだった。そしてアニメが始まった。幸運にも、同時に始まった妖怪人間ベム50thがきっかけで、私は「あにこ便」というものを知った。これは、テレビ放送の中から特定の静止画だけを紹介してストーリーがわかるようにし、それに加えて人々のツイートを紹介する。このツイートが大事だ。ニコニコ動画のコメントと同じだ。dies iraeの場合、元ゲームを知らない視聴者にはこのコメントが必要不可欠だ。
ようやくこの記事の一番大事な所にさしかかったのに、私は金麦を飲み尽くすほどの時間を費やし、脳が酒漬けだ。もうあかん。なんとか頑張って、簡単にでも大事な所を書きたい。
このアニメを見て「なんだかわからん」と思った方には、私の体験から「こういう選択肢もある」ということを記しておきたい。まず、ウィキペディアを2回読む。1回じゃ無理だ。日を置いてもう一回読んで、ようやく「そこに何が書かれているのか」が「わかったような気がする」。ところがまだ、わかってない。この時点で最初からアニメを視聴する。そうすると、間違いは多々あるが自分なりに「これはこういうシーンなんだ」というのが見える「ような気になる」。ほんとはまだ間違いがある。それを正してくれるのが「あにこ便」のツイートだ。このツイートは2つの意味で絶対必要だ。
1つめの意味。これがないとアニメ(ゲーム)の世界観が理解できない。逆に言ったほうがいい。これがあると、アニメの世界観がわかる。ゲーム体験済みの人々のツイートによる説明で、色々わかる。その中には私がウィキペディアで読んで「うんうん、そうだ」と思うものもあれば、私が勘違いしていて「そういう世界観だったのか」と思い、あらためてウィキペディアを読み直すものもある。
2つめの意味。いわばこれがこの記事の『流出位階』だ。原作ゲームを知らず、ただウィキペディアを読んだだけでこのアニメを見始めた私のような人間にとって、何が一番楽しいか。それは「あにこ便」のツイートだ。いちばんわかりやすい例を出せば、わかる人にはわかる。それは、シュピーネさんだ!!全部で(現世にいるかどうかは問わず)13人いるらしい敵の中では明らかに下位で、アニメの中でも最初に『スワスチカ』送りになったのに、それ以前、1カットだけこの人が出た時点でもうツイートは「シュピーネさん」「シュピーネさん」。その人気が能力のレベルにあるのでないことは明らか。強さでもない。イケメンでもない。それなのに「シュピーネさん」「シュピーネさんが動いた」この絶大なる人気!!
私はこの時ほどコメントを見て楽しかったことはない。
最後に、せっかく酔っぱらっているのだから、こういう時しか書けないアニメへの不満も書きたい。主人公が今までに敵と戦ってかっこよく勝ったのは1回だけではないか。あの対シュピーネさんの回。その後、獣殿の前で圧倒的な実力差にもかかわらず善戦したというのはあるが、第10話まで来てこれだけか。主人公として少なすぎないか。もちろん、何も知らない若者だった主人公が自分の本来のポテンシャルと敵からの刺激で急速にその能力を上げてゆくという話は聞き知っている。でも、あと2回で地上波組はサヨナラなんだ。その後はたぶん、有料でWebだろう。リストラおじさんの私は最近のフロス3回連続購入で参ってるほどだ。有料はサヨナラになる。主人公が今の強さのままでサヨナラは寂しいよ。
2017-12-17 14:06
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禁酒の反動は忘れた頃にやって来る [痛風日記]
痛風患者は酒を控えなければならない。アルコール依存症の私は、最後の飲酒の後ある程度の日数が経つと禁断症状が出る。例えばイライラしやすくなるとか。でも今日話したいのは、その事ではない。
このブログで最近よく話題にするのが「疲れの取れる菓子を探す」だ。もう10回も記事を書いた。最初はタイトルの通りに、自分自身のためにも疲れの取れる菓子を探そうとしていた。ところがそのうちに、菓子を食べることが楽しみになった。そして先日、私がこのごろよく甘いものを食べるようになったと人から言われた時に、私は「昔は辛党だったけど今は酒が飲めないから」と言いかけてハッとした。そうか、辛党の人が酒を断つと甘党になる。これは酒を控えた影響なんだ。酒を控えるのは痛風治療の一環だから、つまりこれは痛風治療の副作用だ。痛風治療前には私の下腹は出ていた。それが治療を始めて酒を飲まなくなったら下腹が引っ込んだ。しかし今、酒の代わりに甘いものを食べて下腹がまた出つつある。下腹は、忘れた頃にやって来る。
このブログで最近よく話題にするのが「疲れの取れる菓子を探す」だ。もう10回も記事を書いた。最初はタイトルの通りに、自分自身のためにも疲れの取れる菓子を探そうとしていた。ところがそのうちに、菓子を食べることが楽しみになった。そして先日、私がこのごろよく甘いものを食べるようになったと人から言われた時に、私は「昔は辛党だったけど今は酒が飲めないから」と言いかけてハッとした。そうか、辛党の人が酒を断つと甘党になる。これは酒を控えた影響なんだ。酒を控えるのは痛風治療の一環だから、つまりこれは痛風治療の副作用だ。痛風治療前には私の下腹は出ていた。それが治療を始めて酒を飲まなくなったら下腹が引っ込んだ。しかし今、酒の代わりに甘いものを食べて下腹がまた出つつある。下腹は、忘れた頃にやって来る。
2017-12-04 10:46
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バスは私を見放した [痛風日記]
今日は病院で採血の日だった。採血があると私は、朝の9時過ぎに家を出るのに午後の2時半にならないと帰宅できない。これには4つの悪条件が重なっている。
1:一番早いバスが病院に着くのが9時45分ごろで、それより早くは行けない。
2:採血の日は診察の1時間前に来て採血しなければならない、つまり診察の予約は係の人に頼みこんで早くしてもらっても10時半になってしまう。
3:担当の先生はいつも1時間遅れる、つまり10時半の予約でも11時半近くになる。
4:病院発のバスは午前11時45分を最後に2時間の休憩となり、次は13時45分だ。
まさに、そんなバカなと言いたい事情である。4つの悪条件のうちひとつでも改善されれば、私は12時半に帰宅できる。それが現実には14時半だ。
私は、いっそのこと診察が遅れてくれと願った。なぜなら半年くらい前に、とても嫌な体験をしたからだ。診察が終わった時間がギリギリ間に合いそうな時間で、私は急いだのに、精算をしている私が見ている前でバスが行ってしまった。なんとも、やりきれない。いっそのこと、どう考えても間に合わないという状況のほうが気が楽というものだ。だから今回、私は診察が大幅に遅れてくれと願った。私の願いは通じ、診察は11時20分くらいになった。
タイトルのバスからは話題が逸れるが、痛風のことも書かねばならない。診察の前、私は「10日ほど前の左膝の炎症を先生に言うと薬の量が増えるから言わないぞ」と思っていた。ところが私は馬鹿正直で、先生を前にしてつい言ってしまった。先生は不思議がっている感じだった。その腫れが痛風の発作かどうかはわからないと先生は言い、その通りだが、痛風発作がどんなものか知っている私は炎症の感じと期間から、かなりの確率で軽い痛風発作だと内心思っている。血液検査の結果はCRP/LAが0.09mg/dLで炎症はすっかり収まっており、UAは5.4mg/dL。ほんの数日前まで片足を引きずって歩き、階段の登り降りはとてもできず、その痛々しさから電車で人に席を譲られる身だったことは、黙っていれば誰にもバレない。困った検査結果だ。これからは自分の血液を「ネコかぶり血液」と呼んでやろうと思った。
薬は3ヶ月まで出せるが、2ヶ月を過ぎると今すぐの予約ができず、2ヶ月前以降に電話予約をしなければならない、と先生は話した。この先生に最初に診察してもらった時には、先生はもっと簡潔に「次回は2か月後にしますか3か月後にしますか」と言い、事情がわからなかった私はとっさに「先生にお任せします」と言ってしまい、その結果2か月後になってしまった。次の診察までの期間が長ければそのぶん1年間に払う診察料が少なくて済む。採血があるとその差は顕著になる。だからその間自分の体調が変わらないという自信があれば、次の診察は先のほうがいい。今回私はもちろん3ヶ月後にしてもらった。
診察室を出ながら、私はふと思った。「いま病院で次の予約ができないということは、会計が済めば予約窓口に寄らずにすぐに帰れるということだ。ひょっとして午前の最終バスに間に合うだろうか。」しかし時間はすでに午前の最終バスが出るまで25分しかない。会計ではなかなか名前が呼ばれないのが当たり前。30分待つだろう。するとなんと、バスが出る5分前に名前が呼ばれたではないか。なにッ、バスに間に合うのか!一度に5人くらい呼ばれるその最後に私の名前が呼ばれ、私は会計窓口前で列の最後尾に並んだ。窓口で金を払えれば良いのだが、この病院は窓口では診察券を返してもらうだけで、そのあと自動入金機に診察券と金を入れるシステムだ。私は今度は自動入金機前で列の最後尾に。出口を見ると、バスがまだある。ああでも、この感じは前にも一度体験した覚えがある。これはデジャヴーではない。半年くらい前に現実にあった嫌な出来事の記憶だ。バスよ待っていてくれ、私は機械に診察券と紙幣を立て続けに突っ込みボタンを押した。機械から出てくる診察券と釣り銭を私が取る間にバスが出ていった!
またか!!またこのパターンなのか!
それから私は昼飯がわりに菓子を食い、病院前の薬局で薬をもらい、そんなものは20分で終わってしまい、人がまばらになった病院の待合室でこの記事を寂しく書いている。
1:一番早いバスが病院に着くのが9時45分ごろで、それより早くは行けない。
2:採血の日は診察の1時間前に来て採血しなければならない、つまり診察の予約は係の人に頼みこんで早くしてもらっても10時半になってしまう。
3:担当の先生はいつも1時間遅れる、つまり10時半の予約でも11時半近くになる。
4:病院発のバスは午前11時45分を最後に2時間の休憩となり、次は13時45分だ。
まさに、そんなバカなと言いたい事情である。4つの悪条件のうちひとつでも改善されれば、私は12時半に帰宅できる。それが現実には14時半だ。
私は、いっそのこと診察が遅れてくれと願った。なぜなら半年くらい前に、とても嫌な体験をしたからだ。診察が終わった時間がギリギリ間に合いそうな時間で、私は急いだのに、精算をしている私が見ている前でバスが行ってしまった。なんとも、やりきれない。いっそのこと、どう考えても間に合わないという状況のほうが気が楽というものだ。だから今回、私は診察が大幅に遅れてくれと願った。私の願いは通じ、診察は11時20分くらいになった。
タイトルのバスからは話題が逸れるが、痛風のことも書かねばならない。診察の前、私は「10日ほど前の左膝の炎症を先生に言うと薬の量が増えるから言わないぞ」と思っていた。ところが私は馬鹿正直で、先生を前にしてつい言ってしまった。先生は不思議がっている感じだった。その腫れが痛風の発作かどうかはわからないと先生は言い、その通りだが、痛風発作がどんなものか知っている私は炎症の感じと期間から、かなりの確率で軽い痛風発作だと内心思っている。血液検査の結果はCRP/LAが0.09mg/dLで炎症はすっかり収まっており、UAは5.4mg/dL。ほんの数日前まで片足を引きずって歩き、階段の登り降りはとてもできず、その痛々しさから電車で人に席を譲られる身だったことは、黙っていれば誰にもバレない。困った検査結果だ。これからは自分の血液を「ネコかぶり血液」と呼んでやろうと思った。
薬は3ヶ月まで出せるが、2ヶ月を過ぎると今すぐの予約ができず、2ヶ月前以降に電話予約をしなければならない、と先生は話した。この先生に最初に診察してもらった時には、先生はもっと簡潔に「次回は2か月後にしますか3か月後にしますか」と言い、事情がわからなかった私はとっさに「先生にお任せします」と言ってしまい、その結果2か月後になってしまった。次の診察までの期間が長ければそのぶん1年間に払う診察料が少なくて済む。採血があるとその差は顕著になる。だからその間自分の体調が変わらないという自信があれば、次の診察は先のほうがいい。今回私はもちろん3ヶ月後にしてもらった。
診察室を出ながら、私はふと思った。「いま病院で次の予約ができないということは、会計が済めば予約窓口に寄らずにすぐに帰れるということだ。ひょっとして午前の最終バスに間に合うだろうか。」しかし時間はすでに午前の最終バスが出るまで25分しかない。会計ではなかなか名前が呼ばれないのが当たり前。30分待つだろう。するとなんと、バスが出る5分前に名前が呼ばれたではないか。なにッ、バスに間に合うのか!一度に5人くらい呼ばれるその最後に私の名前が呼ばれ、私は会計窓口前で列の最後尾に並んだ。窓口で金を払えれば良いのだが、この病院は窓口では診察券を返してもらうだけで、そのあと自動入金機に診察券と金を入れるシステムだ。私は今度は自動入金機前で列の最後尾に。出口を見ると、バスがまだある。ああでも、この感じは前にも一度体験した覚えがある。これはデジャヴーではない。半年くらい前に現実にあった嫌な出来事の記憶だ。バスよ待っていてくれ、私は機械に診察券と紙幣を立て続けに突っ込みボタンを押した。機械から出てくる診察券と釣り銭を私が取る間にバスが出ていった!
またか!!またこのパターンなのか!
それから私は昼飯がわりに菓子を食い、病院前の薬局で薬をもらい、そんなものは20分で終わってしまい、人がまばらになった病院の待合室でこの記事を寂しく書いている。
2017-11-15 13:41
やはり痛風発作に思える [痛風日記]
月曜日の夕方に「押した時だけ痛かった」左膝は、火曜日・水曜日には「曲げても少し痛む」ようになった。多分、火曜日に急きょ、家の外階段をペンキ塗りしなければならなくなり、しかもお隣さんの車が戻るまでの数時間で終わらせなければならなかった、それが影響している。
これが痛風発作なら、前回の発作から5ヶ月たらずしか経っていない。通院して薬を飲み、食べ物の種類にも気を付けているというのに、発作が起き、しかも前回との間隔がさらに短い。気分が暗くなってしまう。
今までの記録を一覧にしてみた。
1回目 右足親指の付け根を中心に足首から先
次回との間隔9ヶ月あまり
2回目 左足の親指の付け根
次回との間隔7ヶ月
3回目 左足の親指の付け根
次回との間隔7ヶ月たらず
4回目 左足親指の付け根
次回との間隔6ヶ月あまり
5回目 右膝
通院・治療開始
次回との間隔5ヶ月たらず
6回目(今回) 左膝。ただし外を歩けるほど軽度。階段は無理。
私のたった6回の情報では正しい知識にまでたどり着けないが、推測してみる。発作のたびに次回との間隔は短くなる。最初のうちは患部は足の親指の付け根、発作を重ねるうちに何故か患部は膝になる。一度に複数箇所が痛くなることは、(今のところ)ない。右足と左足が交互に痛くなるとは限らない。
医者に行って治療しているのに発作が起きるメカニズムは、推測できる。私の関節にはすでに尿酸の結晶ができているはずで、血中尿酸値が下がった時から結晶が溶け始めてはいるはずだが、全部溶けるまでには長い時間がかかる。溶けきるまでは発作が起こりうる。でも、次回との間隔がまた短くなったのはどうしてだ、という疑問は残る。
これが痛風発作なら、前回の発作から5ヶ月たらずしか経っていない。通院して薬を飲み、食べ物の種類にも気を付けているというのに、発作が起き、しかも前回との間隔がさらに短い。気分が暗くなってしまう。
今までの記録を一覧にしてみた。
1回目 右足親指の付け根を中心に足首から先
次回との間隔9ヶ月あまり
2回目 左足の親指の付け根
次回との間隔7ヶ月
3回目 左足の親指の付け根
次回との間隔7ヶ月たらず
4回目 左足親指の付け根
次回との間隔6ヶ月あまり
5回目 右膝
通院・治療開始
次回との間隔5ヶ月たらず
6回目(今回) 左膝。ただし外を歩けるほど軽度。階段は無理。
私のたった6回の情報では正しい知識にまでたどり着けないが、推測してみる。発作のたびに次回との間隔は短くなる。最初のうちは患部は足の親指の付け根、発作を重ねるうちに何故か患部は膝になる。一度に複数箇所が痛くなることは、(今のところ)ない。右足と左足が交互に痛くなるとは限らない。
医者に行って治療しているのに発作が起きるメカニズムは、推測できる。私の関節にはすでに尿酸の結晶ができているはずで、血中尿酸値が下がった時から結晶が溶け始めてはいるはずだが、全部溶けるまでには長い時間がかかる。溶けきるまでは発作が起こりうる。でも、次回との間隔がまた短くなったのはどうしてだ、という疑問は残る。
2017-11-09 19:16