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やっと見つけた、第四の生き甲斐になりそうなもの [第四の生き甲斐候補]

昨日は仕事で外出していたが、その出先で「今夜はふたご座流星群が極大」だと知った。

私は流星を見たことがない。かなり若いうちから近視になり、眼鏡は遠距離でなく少し遠くにいる人の顔がわかる位置に焦点を合わせて作っていたので、空の星はあまり見えなかった。しかしコロナ禍の在宅ワークが終わって外出が多くなったので眼鏡を遠近両用に作り直した。今なら遠距離も見える。

帰りの電車内で、私はひたすらふたご座流星群をネット検索した。月明りがなく観察に最適だと、信用できないことが書いてあった。なぜ信用できないかというと、曇り空だからだ。翌朝は雨の予報だから、遅くなるほど雲は厚くなるだろう。

遠距離通勤から帰宅するとすでに夜の9時。風呂にも入らねばならず10時になった。私は外に出た。予定では町の明かりが少なそうな公園まで行くはずだったが、空を見上げて予定を変更し、近場で様子を見た。なぜなら、空が雲だらけだ。これでは流れ星が見えるとは思えない。

私は団地の敷地に備え付けられたベンチに座り、30分ほど空を見ていた。雲が動いて行くので、いつか雲の切れ間が出来ないかと見ていた。じっと空を見ていると暇なので、自然と頭は色々なことを考えた。ふたご座流星群だけに、大学時代にサークルにいたふたご座生まれの女の子のこととか、流星群だけに、子供向け特撮番組「流星人間ゾーン」のこととか。

30分の間に雲は面白いほど変化して行った。雲の切れ間がわずかに出来た時もあったが、流れ星は見えなかった。ひとつには私の無知が原因だ。「放射点」とおぼしき辺りばかりを見ていた。流星が放射点付近に見られるのでないと知ったのは翌日のことだ。でもあの雲と町明かりでは、たとえ放射点以外を見ても無理だっただろう。何回か流れ星っぽいものが見えた気がしたが、私は流れ星を見たことがないからどのように見えるのか知らない。そもそも他の星が全然見えないのだから、私の気のせいだと思う。

結局流れ星ならぬ雲の観察をして家へ戻った。

ふたご座流星群の極大は昨日だが、今日も見られる。そして今夜は空の雲が少ない。夜になると私はまず家の窓から外を見た。私は去年引っ越してからまともに空を眺めていなかったらしい。多くの飛行機が飛び交っているのに初めて気づき、驚いた。夜だからもちろんその姿は見えず、光点が移動してゆくだけだ。飛行機のあまりの多さと、時々光点の数が尋常でない飛行機があるのとで、まさか空飛ぶ円盤ではないかと思えるほどだった。そして、雲は少ないのに星はひとつも見えなかった。町明かりのせいだろう。

私は引っ越し前の旧家のことを思い出した。旧家の二階は暗くて、眼鏡を買い替えた私には星がよく見えた。それで私は星座早見盤アプリをスマホに入れて夜の散歩をする気になったが、いざ家を一歩出るとどこもかしこも街灯だらけで星は見えなかった。町明かりの少ない場所ならば星が見えるはずだ。

そして今、私はこの記事を書いていてる。これから遅い夕食をとり、暗い場所を探しに外へ出る予定だ。暗い場所が見つかるかどうかがまず不明で、見つかったとしても流星群の極大は過ぎているから流星が見つかるかどうかがさらに不明だ。しかし私は思った。たとえ今回見えなくても、他の流星群とか、来年のふたご座流星群とか、チャンスはたくさんある。ペルセウス座という、名前は覚えているが名前しか覚えていない星座の流星群は出現数が多いらしい。毎年は見られない流星群もあり、その中にジャコビニ流星群という思わず「トップをねらえ!」が懐かしくなった名前のものがある。これはなんと来年見られるそうだ! 

流星群の現れる日に空が晴れているかどうかは神のみぞ知る。その日に月明りが邪魔をするかどうかは天文学者のみぞ知る。でも私にできることがある。流星観察ができる「暗い場所探し」を、流星群の日までにしておくことだ。これって、ひょっとして私が探し続けている「第四の生き甲斐」にならないだろうか。他人には夜ごとに暗い場所をうろつく不審者みたいに見えても、私自身は星空のロマンを探して歩くのだから。

今回の記事は新しいカテゴリー「第四の生き甲斐候補」に入れようと思う。そうしないと、何か月も経ってから生き甲斐の記事を探そうとした時に見つからなくなってしまうから。


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