SSブログ
女子大生 ブログトップ

ものすごく重いドア [女子大生]

このカテゴリー「女子大生」に何も書かなくなってから何年経っただろう。調べてみたら、最後の記事が2008年だった。今はもう2012年だ。その間に時代は変わり、私も変わり、そして私はいつのまにか女子大生の話題を書かなくなっていた。でも私の目というフィルターを通して見た世界では、昔の女子大生も今の女子大生も基本的に同じに見える。動物の形をしたペンケースも、出席カードの余白に描く絵も、昔のままだ。それから行動や発言も。

ある学校の教室のドアがものすごく重い。たぶん防音構造になっているせいだ。シェルターのハッチみたいに鋼鉄製の分厚い扉だ。私でさえ教室に入るのに、力を入れてドアを押さなければならない。ましてや体重の軽い女子大生は、入るのに苦労している。ある女子大生は毎週教室に入るたびに全体重をドアにかけて、細く開いた隙間に体をぶつけて「あいたた」と言いながら入ってくる。これを毎週見ているうちに、なんだか微笑ましくなってきた。もちろん本人は必死なのだが。

ドアが重い事は他の女子大生にとっても同じだ。今年の新入生が2人、この重いドアを押し開けて教室に入りながら話していた。
女子大生A「力いっぱい押しても開かなかったんだよあたし」
女子大生B「乙女だから」
女子大生A「そう乙女だから」

誰が乙女だって?と思いながら私は楽しくなった。それで久しぶりに「女子大生」の記事が書きたくなったという次第だ。

日本人全体が糞真面目だった時代に育った私は、こういう楽しい会話に憧れる。今の日本はリーマンショック後の不景気に加えて震災ショックと放射能ショックも抱え込んでしまった。放射能ショックがまだ現在の問題として我々の上にのしかかっているのに一刻も早く原発を再稼働しようという信じられない日本人(野田総理)もいる。こういう先の見えない時代には、暗い顔をするのを意識的にやめて、その場限りの楽しい話題を意識的に取り入れる事も必要だと思う。

コメント(0) 

女子大生(6) 鬼のパンツ [女子大生]

前から書いているように女子大生は面白い。先日教室でフニクリフニクラを聞かせた。そうしたら学生が「鬼のパンツはいいパンツ」と歌いだした。初めは何のことだかわからなかった。「行こう行こう火の山へ」じゃないの?と言ってみた。そうしたら「みんなではこう鬼のパンツ」と歌うのだそうだ。

以前には、クワイ河マーチを聞かせると学生は「サル ゴリラ チンパンジー」と歌いだしたものだ。

彼女達は大人と違って明るい。大人になると、身の回りに心配事が多すぎる。考えなきゃならない事も多すぎる。日本人として、職業人として、そして個人として。麻生内閣の先行き、サブプライムローン、物価高騰、大学の第三者評価、将来の保証のない人生。いっぽう女子大生から得られるものは、まったく別のものだ。話題が卑近でホッとできる。

彼女達が能天気なのかというと、そうではないと思う。あれは彼女達の生活スタイルなのだ。彼女達にも多くの悩みがある。物価高騰の中で生きている。家庭に悩みがある学生もいる。周囲に馴染めずに残念なことに姿を見せなくなる学生もいる。そして年をとると少なくなる悩み、恋愛の悩みはたくさん持っている。

とはいえ、別の一面もあると思う。彼女達はまだ若い。おじさんから見ると若すぎるほど若い。人として未熟なほどに若い。そういう年頃には、周囲の諸問題に接していながらも、どこかそれを受け流していて、実現可能かどうかわからないほどの理想を追っていることがある。そういう一面もまたあると思う。

私は馬鹿真面目な性格なので、周囲の諸問題に目が行ってしまうと顔まで暗くなる。そういう私にとっては、悩みがあっても生活スタイルとして明るさを装う彼女達から学ぶべきものがある。教室でのつきあいは普通1年間、長くても2年間だが、それを大事にしてゆきたいものだ。

ひょっとして、政治や経済や将来の保証のなさに不安になり、心配したところで何も変わらないのに日々心配し続けて生きるよりも、目の前の彼女達を大事にしてやることのほうが正しいんじゃないか?

やばいが、やばい(カテゴリ:女子大生) [女子大生]

普段から高校生や大学生に接している人はとっくに気づいているでしょうが、そうでない方のために書きます。若者の使う日本語は色々と変化しますが、最近(2007年)の目立つ変化は「やばい」の使い方です。

あなたは「やばい」を、どんな時に使いますか。Yahoo!辞書には次のように載っています。

やば・い
危険や不都合な状況が予測されるさま。あぶない。「―・い商売」「連絡だけでもしておかないと―・いぞ」

これが従来の「やばい」です。でも、今どきの女子大生がこの意味で「やばい」と言うのを聞きません。彼女らにとって「やばい」は今の流行り言葉なのでよく口にしますが、たとえばこんな風になります。

あのケーキはヤバい。

毒入り? 違います。そういう意味ではありません。どうかなっちゃうほど好きなんです。尋常でないほど興味が湧くのです。

私が「やばい」に気づいたのは本年度の授業が始まってから、4月以降ですが、初めは意味がわからなくて困りました。今では日常的に耳にするので慣れました。

こういう意味の変化は昔からあるようで、有名どころでは「立待ちの月」の「たちまち」が現在では違う意味で使われていますね。もとは立って待つ間に出る月だったものが、さらに早く「すぐさま」の意味になりました。おそらく今の女子大生の場合、元の意味である「危険だ」「危ない」が「危険なほど興味をもってしまった」「ものすごく好きだ」という風に強調され変遷したのでしょう。

言葉が変わってゆくこと自体は時代の流れです。これを「今どきの若者は・・・」と嘆いた時点でその人は時の流れから取り残された老人というわけです。それでも私がちょっと気にしているのは、彼女たちは現在まだ主流である元の意味を知っているのだろうか?ということです。「やばい」を上の意味で使うのは若者だけですから、今の日本で人と話す時には基本的には「やばい商売」「連絡だけでもしておかないとヤバいぞ」の意味を知っておかなければいけません。もしもそっちを知らないで、自分たちの使う意味だけを知っているならば、それはヤバいでしょう。


手記 [女子大生]

今回はただの手記です。適当に読み飛ばしてください。

近頃、女子大生にたいする私の見方が変わってきました。私が女子高生を教えないようになって数年が経つから、そのせいなのか。それとも私が年をとってきたからなのか。

最近観察していると、この生き物がまるで自分とは異なる存在のように思えてきます。若い頃に彼女らに引かれたり憧れたりしたのがどうしてだったのか、理解に苦しみます。

この生き物の生態を観察してみましょう。単体で教室に来て帰る個体もあり、教室に来てから2個体ないし6個体で群れを形成する固体もあります。同じクラスの個体でも他の個体の名前を知らないという事例があります。親しそうに毎回お喋りしていた2個体が、進級に伴って会う機会がなくなると意外なほどにそれっきりという事例もあります。

ところで、この個体が群れを形成すると、おしゃべりが始まります。おしゃべりの内容は2種に大別されます。ひとつは卑近な話で、たとえばサンドイッチは食事として食べた気がしないから嫌いだとか、食べていくと最後にパンだけ残るのが嫌だとか、私は残ったパンだけの所は捨てるとか、私はパンの耳が好きとか、それを聞いて「えー」とか、パンの耳ってパン屋で安売りされてるとか、揚げて食べるとか。

もうひとつは恋愛の話です。しかも彼氏とうまく行っていないという暗いネチネチした話で、必ず彼氏が悪者で、以前と違ってずいぶん冷たくなった彼氏への恨み言が続きます。

この生き物の大半には彼氏がいるか、好きな男がいます。授業中にはそれがわかるはずもなく、上記のネチネチ話などが始まってようやく教師には察せられるのですが。

この生き物の恋愛観は、私とは何か違います。たぶん私がこの生き物を自分とは異質だと思い始めたのは、そのためです。私の目から見ると、この生き物の恋愛はどこかゲームのように、人間の生死から浮いた所にあります。なるほど、この生き物なりに真面目に恋をして、真面目につきあってはいます。でも何か、言葉にできない、私としてはお近づきになりたくない何かを感じます。色々考えた挙句、今日耳にした一言に自分との違いを見つけました。

ある生き物が言いました。つきあうっていっても、それは友だちと何が違うのか。やってることは同じじゃないか。今から先は彼氏彼女なんだという取り決めみたいなものか。

聞いた私は思いました。言葉面だけは合っている。でも私の恋愛はそれとは違った、と。

私が大学生の頃、同じ部活動の女性を好きになったことがあります。彼女は困って言いました。友だちも恋人もすることは同じだから、と。私がそこで言葉をさえぎったので、そのあと彼女がどう続けようとしたのかはわかりません。私は否定せずにはいられなかった。友達と恋人はまったく違う。他の人とあなたはまったく違う。キスやセックスがなくても、ただ一緒にいるだけでも、まったく違うのだ。

そういえば私は彼女に言ったことがあります。他の女の子と一緒に部活動をエスケープすることは絶対ないが、あなたとならできると。自分が社会的に不利な立場になることでも、ある特定の相手となら自分からすすんでやれる。その人だけは私に無限の勇気をくれる。なあんだ、友だちと恋人の違い、決定的にあるじゃないか。

でも、この生き物にはそういう気持ちはないらしい。私の大学生時代にも、現代も、友だちと恋人のすることは同じだと言い放てるんだから。もしもすべてが表層的に過ぎてゆくのなら、その人生の浪費に何の意味がある? 私は、たとえうまく行かない恋ばかりでも、命をかけて必死で愛するほうが好きです。自分の人生を好きになれるから。

そういうわけで、私はこの生き物には、お近づきになりたくないものを感じていたのです。教室で笑い合っている程度の当たり障りのない接し方が、実はいちばん幸せだということです。


今週の女子大生 [女子大生]

女子大生がまったりモードに入っている時は、周囲に癒し系の雰囲気を発散しています。喋る言葉は卑近なもので、男のようにマニアックに走りません。私は授業前のわずかな時間しか接していないので、たまたま耳に入って面白かった言葉は多くありません。今週耳にしたのは

「メガネ~の~パ~リ~ミ~キ~」

何の話のついでに歌い始めたのかは知らないけど、一人が歌うと友達も歌う。言葉は要らないっていう世界。それにしてもなんか懐かしいな。

「うちのチチのチチ」
「・・・おじいちゃん?」
「・・・そゆこと?」

3人の会話。一人の発話の後、微妙な間があるのが何ともいえない。きっとみんな同じことを考えてるんだ。口には出さないけど。

出席カードというのは興味深いものです。出席カードはペン書きなので、間違えると消しゴムで消せない。そこで、ぐちゃぐちゃぐちゃっと消した後、その上に目玉を2つ描いてミノムシの絵にしてごまかす。これ、昔はよくありました。今週は久しぶりに、これのカエルバージョンがありました。

出席カードの裏に絵を描く学生もいます。絵を褒めると毎回描いてくれます。

あとはやはりアイテム。アイテムは強いです。何が強いかって、癒しが(笑)。ある学生の机の上の携帯にオレンジ色のボールが付いていました。目と口の付いたマスコットのようで、何となく気になりました。形が偏平で大きめだったので、指さして「かぼちゃ?」と聞いてみたら、「みかんです。みんなによく間違えられます」と言ってました。私が気になるものは他の人も気になるらしく、教務課の窓口でも事務のおばさんが同じ学生に聞いていました。

欠席回数を聞きに来るのに、ぬいぐるみを持って聞きに来た学生がいます。大学生になっても学校に持って来ますよ。

以前に女子高生のページで犬のペンケースのことを書きましたが、今度は大学の教室でピンクのプードルのペンケース発見。こういう話題は書き始めると結構続きます。

本日のおまけ
学校の怪談
(といっても怖い話じゃない。期待しないで。)

もう何年も前のことだ。ある風の強い冬の日、キャンパスを歩きながらふと自分のズボンのすそが気になった。すその折り返しにはごみが溜まりやすいから人のいない所で綺麗にしておこうと、折り返しを裏返した。するとそこには、おびただしい数の女の長い髪の毛が!

ギャー!

髪の毛は抜けやすい。すその折り返しにはごみが溜まりやすい。キャンパスは女だらけだ。だから知らないうちに女の髪の毛がいっぱい。なんか不気味で、そしてきたない(苦笑)。


それでもやっぱり先生だから [女子大生]

女子学生がたくさんいる学校で先生をやっていて人生にメリットがあるのは、若い女性のやりとりを見て元気をもらえることです。逆にふと悲しくなるのは、けっして彼女たちの仲間には入れないことです。

先日、授業が始まる前に教室のいちばん後ろの席で準備をしていました。そのうちに何人かの女子学生が入ってきて私の前の席に座りました。そこが定席なのでしょう。ひとりの学生が何か大きな缶を取り出しました。見るとディズニーシーのお土産らしい。缶の蓋を開けるとお菓子がざくざく入っています。何十個入りって言ってたかな、なんかすごい量です。
「丸い缶って置き場所に困るよね」
「この缶空いたら何入れる?」
「ネックレス?」
「どうやって取るの? 缶の蓋に穴あけてそこから鉤で吊り上げる?」
「それって大変そう」
「蓋の裏に棒つけてネックレス下げて、蓋を持ち上げたら出てくる?」
「それいいかも」
なんか楽しそうです。

私はこういう時、ふっと自分がおじさんで先生だということを忘れてしまいます。自分の顔や姿は自分で見えない。見えるのは女子学生だけ。聞こえるのは女子学生の話す声だけ。まるで自分が女子学生のような不思議な感覚に陥ることがあります。彼女たちの友達だったら当たり前にする行動をしたくなります。つまり、「ねえねえ、ディズニーシー行ったの?」と言いながら会話に加わりたい。でもそれは、タブーなのです。理由はもちろん、私が彼女たちの友達ではなく、おじさんで先生だから。

始業時間までには教室にたくさんの学生が来ました。私が出席カードを配りながら教壇から教室の最後部まで行くと、さっきの女子学生が周りの友達にディズニーシーの土産を配っていました。私は何食わぬ顔で教室の前まで戻りましたが。じつは残念でした。お菓子をもらえないことがではなく、仲間になれないことが。その学生がお菓子を配った相手は、広い教室の中でも同学年の友達なのです。

授業を始めると、教室の最後部、といってもさっきとは別の場所で、別の女子学生が何か持ち出して隣の友達に話しかけています。遠くてよくわからないけどパンダ・・・?のようです。ペンケースなのか、マスコットなのか、そのへんはよく見えません。私はパンダを見ると近寄って触りたいんですが、なにしろ授業中だから授業を続けなければいけません。授業が終わったら見せてもらおうと思っていたけど、パンダの学生はさっさと帰ってしまったからチャンスを逸しました。それに、学生の持ち物を見せてもらう時は気をつけなければいけません。私が先生だから、注意しに来たのだと勘違いする場合があります。

教室というのは楽しい場所です。女子学生が楽しいことをしています。それを見て元気をもらえます。でも、そこにはルールがあります。近くにいてかまわない。見てかまわない。でも決して仲間になろうとしてはいけない、というルールです。もし私が勘違いをして友達のように振舞ったら、その時は相手の顔が驚きと困惑に変わるでしょう。私はおじさんで先生だから。


レイラさんとBLEACHとのだめ [女子大生]

レイラさんという女子大生がいます。もちろんカレイドスターのレイラさんとは何の関係もなく、今日の授業の後で追試験(本試験を欠席したために後から受ける試験)を受けるレイラさんです。
授業は早めに終わって他の人々にはすみやかに退室していただこうという時、レイラさんの友達ふたりが帰り際にレイラさんに声をかけました。
「がんばれイラ!」
「がんばれイラ!」
なんか面白かった。女子大生って、いるだけで楽しいのはなぜでしょうね。元気もらえます。ぐっどだよ!ぐぅーっど!

きのうは、授業中にヒッヒッヒッと笑い声が聞こえました。見ると教室の一角で何やら笑っている。後ろ向いてる子が、その後ろの席の子を笑わせてるらしい。なんか楽しそうだな。あの子は、何かあったんだよ、きっと。
その前に座ってる子は隠れてマンガを読んでいる。そういう時私は必ずタイトルを確認させてもらいます。大抵は知らない少女マンガだけど。おや、BLEACHだって。女子が読んでて私の知ってるマンガというのは珍しい。もっとも私はアニメ版しか知らないが。
不意にさっきまで笑わせられてた子がオススメを。なんでも月9の、のだめカンタービレだって。おい、のどあめって聞こえたぞ。おかげでネット検索の時、のどあめで探して何もヒットしなかったぞ。こっちは生粋の少女マンガが原作だな。とにかく1回見てみよう。


女子大生 ブログトップ