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2018-07-08 [個人的仏教探索]

若い頃の私は、年中行事として神社仏閣に参拝していました。それが、職場にリストラされて所持金が減り、さらに足腰を悪くし、参拝しなくなりました。それから何年経ったことか。今年の6月から足腰の調子が少しいいです。所持金は相変わらずですが、今年は、昔参拝していた場所のひとつに行ってみようと思いました。
リストラ前ならば定期券を使って追加出費なしで行けましたが、今は切符を買わなければなりません。神社仏閣に限らず、私が遠出をしなくなったのはそういう理由があります。自由に遠出をして楽しめるのは金を持っている人だけです。
参道の景色は、きっと何年たってもそう変わらないでしょう。でも変わっているはずのものがあります。私はそれを確かめたいのです。はるか昔、学生時代に参拝した時、そこにはクジャクがいました。ずっと後で参拝した時にはもうクジャクはいなくて、その代わりにたくさんのネコがいました。最後に参拝した時にはネコが減って、カエルが鳴いていました。今日参拝したら、果たして何がいるのか。それとも何もいないのか。

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ええと参道は真ん中を通らないんでしたね。クジャクはもちろんもういないでしょうが、ネコも一匹もいません。

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はい、着きました。

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私の目的地です。これから何かがあるらしく、人が集まってきました。

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ネコがいなくてカエルの鳴き声がしないことまでは予想していましたが、まさか人がいっぱいいたとは。それは予想外です。ネコは1匹だけ、じいさんに撫でられてくつろいでいました。

帰りの電車を待つ間に調べたら、前回の参拝は7年前らしいです。収入と健康の両方があった頃は毎年欠かさず参拝したのですが。

私は駅への帰り道に体を傾けて歩き始め、駅でとうとう右腰から右足にかけて痛くなってきました。今の私にはこれが限界のようです。


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お参り [個人的仏教探索]

私は若い頃のほうが信心深かったです。学生時代に私の周りに宗教を本気で信じる仲間はいなくて、世の中で宗教戦争が起きると友達は「宗教なんか信じる人間の気がしれない」と言っては私を傷つけました。

今の私はそんなに信心深くありません。職場が何の落ち度もない私の仕事を減らし始めた時、私は現実の世知辛さに直面して宗教を信じる心の余裕を失くしました。

それでも、若い頃から現在に至るまで続けている「お参り」が少し残っています。

なぜか、「お参り」のほとんどは家から遠く離れた場所です。過去に何かのご縁があって、年に1度はそこを訪れる習慣ができました。年に1度お参りをする場所、必ず2度お参りをする場所、たいていは2度だけど年に1度でもいい場所があり、なぜか自分の中で決まっています。

今日は朝食の後で外出し、電車に乗ってある場所へ向かいました。

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商店が開く前だから、道は静かです。

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山門を通ってどんどん歩きます。以前は、ここに猫がたくさんいました。まるでこの寺の主だか精だかが乗り移ったように、参拝者を出迎えたものでした。捨て猫だったそうですが。でも今回はほとんど見ませんでした。猫はどこへ行ったんでしょう。

余談ですが、ずーっと前には、この寺に孔雀がいたんですよ。この孔雀も寺の主みたいに参拝者に顔を合わせていましたが、そのうちにいなくなりました。そうしたら孔雀と入れ換わりに猫が棲みついて、だから私には猫まで寺の主みたいに見えたんです。今回はその猫もほとんど見かけず、静かで寂しかったです。

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さて本堂にたどり着きました。カメラを持った人が1人、参拝する人が数人いました。

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私ももちろん賽銭を投げて手を合わせます。私は日蓮宗の信者ではありませんが、人間同士でも神仏にたいしてでも、ご挨拶は大事ですから。

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さて、私の本当の目的地は本堂ではありません。こっちへ行きます。

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墓地の横を歩いてゆきます。

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私の目的地はここです。龍王池。今日は朝早くの参拝ですが、若い頃の私は学校の帰りに立ち寄ったので日が暮れていて、その暗い静寂の中に明かりのついたこのお堂、というか参拝者の参集所がぽつんと立って、一種独特の雰囲気でした。

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私はこの中で人に遭ったことがありませんが、おそらく特定の日の特定の時刻には人が集まるのでしょう。

前回来た時はここにも何匹もの猫がいたんですが、みんなどこへ行ったんでしょう。

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裏にある八大龍王の碑です。

まだ学生だった頃、私はこの場所がどうにも気に入って、でもこの場所のいわれを書いた立て札は見つからなくて、何か情報を得たくて通りがかりのおじいさんに尋ねました。そうしたらそのおじいさんが言うには、「昔ここから龍が出てきたというけれど、今じゃ池の周りをコンクリで固めてしまったから龍も出られないな」

気の利いたことを言ってくれる人ではありませんか。たまたま私が尋ねた人が、「いやー何も知らないなあ」とか「ここの人間じゃないんでわかりません」とか言わなかったのは、私は運が良かったです。

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今日は池の中で牛ガエルが2匹鳴いてました。姿は見えなかったけれど、鳴き声は楽しそうでした。

個人的仏教探索 (18) 仏教はなぜひきこもってムッツリで不眠症で非社交的な人間を求めるのか [個人的仏教探索]

仏教はなぜひきこもってムッツリで不眠症で非社交的な人間を求めるのか

比較的古い仏教経典、たとえば大パリニッバーナ経の中で、ブッダは修行僧が動作、談話、睡眠、社交に耽ることを戒めている。私は若い頃にこれを読んで以来、ずっと気になっていた。修行僧といえば出家修行者。仏教の教えを在家信者よりも厳密に守る人々だ。つまり仏教が正しいとみなす人の姿だ。それが、動作しないほうがいいらしい。アウトドア派はよろしくない。談話しないほうがいい。むっつりしていろ。睡眠しないほうがいい。不眠症奨励。社交的なのは良くない。非社交的になっていろ。もしもこれを実践すると、社会の中で生活しにくくなってしまう。人々は噂するだろう。「あそこの家に住んでいる人、滅多に見ないわよね。」「たまに見かけて話しかけても喋らないのよ。」「眼の下に隈があって、全然寝てないみたいな顔。なんか陰気よね。」「変な人じゃないといいけど。」「なんか怖いわね。」これが仏教の目指す理想の人間像だ。いいのか?これで?

当時若かった私は、仏教に献身するために修行僧の生活に近づこうとした。でもそれをするとひきこもってムッツリで不眠症で非社交的な人間になる。このへんで気を悪くする人がいるといけないから、言葉を付け足そう。ひきこもりは悪でない。ムッツリは悪でない。不眠症にはなりたくないものだが悪ではない。非社交的は悪でない(反社会的とは違う)。だから、これら個々の要素をもっている人は悪でない。では問題は何かというと、全世界規模で広まっている宗教の教祖がもっとも正しいとみなした修行者の姿がこれだというのが、今の現実社会とどうにも合わないのが困るのだ。

いったいブッダは、どうして動作を戒めるのか。どうして談話を戒めるのか。家に閉じこもっていて人と話ができない人間になることをなぜ奨励するのか。その理由がわからないまま、私はついにこの歳になってしまった。

そういえばブッダは修行僧に森に住めと言っている。これは俗世間の人との接触を避けよという意味だろう。これが上の4つのうちの3つ、つまり動作、談話、社交と同類の戒めだというのはわかる。動き回るなというのは俗世間の人間に会いに行くなということ。談話するなとは俗世間の人間と話し込んだり、僧同士でも俗世間のように煩悩だらけのおしゃべりにうつつをぬかすなということ。社交するなとはもちろん俗世間と必要以上に交わるなということ。そこまではわかるが、俗世間を否定してそこから離れると、私の生活は成り立たない。とくに当時未成年だった私は、親に育てられてようやく生きていた立場。家出(出家ではない)して一人どこかにひきこもりつつ収入もなく死んでゆく勇気はなかった。いや、未成年でなくても人と話さず非社交的だと仕事はなかなか得られないだろう(もちろん皆無とは言わないが)。結局これらは俗世間の人間には守れるはずのない戒めなのだ。

さらに不思議なのが残るひとつの戒め、できるだけ眠るなというものだ。これはものすごい戒めだ。当時のインドには人間の3大欲求などという考え方はなかったはずだから、眠るなと言えたのかもしれない。現代では、無理して眠らないのは危険だという考え方が主流だろう。俗世間に近づくなというのはまだわかるが、眠るなというのは理解しがたい。眠ることで人間の体は元気を取り戻し、病原菌等にたいする抵抗力をつけるのではないのか。俗世間は煩悩の塊かもしれない。でも睡眠は別に煩悩じゃないだろうに。ずっとそう思っていた。

この問題に答えが得られたのは2009年になってからだ。なんでも仏教の考え方では、煩悩の中に睡眠が含まれるのだそうだ。睡眠、つまり眠い状態は精神活動が不活発な状態だから、らしい。こうして私の数十年にわたる疑問は一応の解決をみた。最後に残った思いは、「ブッダが求めた修行僧の姿に近づくのは、在家信者にはとても無理だ」というものだった。

個人的仏教探索 (17) 後期密教 [個人的仏教探索]

田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモ その5 セクソロジー編のサンバラの部分を読む・・・はずだった。

私は以前に「この本の著者は『寄り道』をしたがる」と書いた。その後、導入編が終わりセクソロジー編の生起次第・究竟次第、そして灌頂の解説になると、まとまった量の単一テーマの話が出てきたので、私は「寄り道」はなくなったのかと思った。それにしても秘密集会で生起次第を見てからヘーヴァジュラで究竟次第を見るというように論じる対象の文献があちこち飛び、全体を通して一本の筋道が見えるというよりは、後期密教の様々な文献からテーマを取り出してはクローズアップしているのかなと感じていた。そうしたらここに来て著者から「サマーヨーガ→ヘーヴァジュラ→(後期)サンバラ」という筋道が示された。私は「そうだったのか」と思うと同時に、「それじゃ秘密集会は巨大な寄り道だったのか!」とも思った。

突然だが、田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモは、ここで休止となった。もうずいぶん前から私はこの手の話題に食傷気味で、もう勘弁してくれという気が起き始めていた。それがついに、本のこの先を読めない精神状態にまで達した。

もともとこのコーナーは「お勉強」でも「仕事」でもなく、時間と気力のある時に少しずつやろうというものだ。気力がなくなれば休止したほうがいい。また数年も経てば、改めて興味が湧くかもしれない。その時に読み返したら、今はわかっていないことも見えてくるかもしれない。そういう長い目で見てゆこうと思う。

個人的仏教探索 (16) 後期密教 [個人的仏教探索]

田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモ その4 セクソロジー編の灌頂の部分を読む

<<<注意>>>
この文章は上記の難解な書物を私なりに読み、理解しようとした足跡だが、今回紹介する部分にはこの書物の記述の中でもっとも「おぞましい」ものが出てくる。仏教に理想を見出している方や、後期密教を美しいと考えている方は、読まないほうが良いかもしれない。

この本は生起次第と究竟次第の説明を終えると、次に灌頂の説明にとりかかる。ここで私は自分がとても基本的なことを忘れているのに気づいた。私は今まで後期密教を知ることで、インド仏教が時代と共に展開し変化したその最後期の形を知るつもりだった。しかしこれは仏教一般の最後期の姿ではなく、密教だということを忘れていた。密教は文字通り秘密の教えであり、万人に開かれた教えではない。私が知るべきものではなかったのだ。灌頂と呼ばれる入門儀礼を受けた者だけが密教に参与する資格を与えられる。

後期密教の灌頂はそれ以前のものよりも複雑になっている。それは4つに分かれていて、まず瓶灌頂は、瓶から香水を取り出し受者の頭頂に灌ぐのでこの名が付いている。この瓶灌頂では受者の本尊も決める。またそれ以外にも複雑な儀礼が付加されている。瓶灌頂は中期密教の灌頂の内容を継承したものになっており、もともと国王の即位式を真似たものだった。そういえばキリスト教の洗礼ともどこか似ている。ここまでなら私にも納得できる。ところが後期密教は、この国王の即位式を真似た最高の儀礼であるはずの瓶灌頂を格下げして灌頂の第1段階とし、その先におぞましいものを持ってきた。

第2の灌頂である秘密灌頂から先は、後期密教になって付け加えられた灌頂だ。秘密灌頂では受者が阿闍梨に女性を献ずる。あるいは阿闍梨が瞑想に入り女性を観想する。阿闍梨はこの女性と交わり、「金剛杖の中の菩提心」つまり精液を取り出し、指でつまんで受者の口に入れる。これで「菩提心を授けた」ことになる。ゲロゲロ!やっぱりとんでもねえ宗教だ。本物の女性を使ったら犯罪だ。なお、精液だけでなく赤白二滴を授けるとする文献もある。

次の般若智灌頂では、こんどは受者は阿闍梨から与えられた女性と交わる。(頼む、誰か、これが乱交パーティーでないことを証明してくれ。私はめまいがしてきた。)女性と交わりつつ受者はヤブユムの本尊の境界を悟る。受者は射精を我慢して究竟次第の4つの歓喜を体験しなければならない。そして受者が射精を我慢できなくなった時は女性の体内に菩提心を放出し、赤白二滴の混合物を服用する。(私は仏教の探究をしているはずだが、全然そんな気がしない。これはなんか、ひどすぎないか?)

最後の第4灌頂は、阿闍梨が受者に「言葉によって」大切な教えを授ける。とはいえ何を授けるのかは文献中にほとんど見られないそうだ。

以上の灌頂がチベットで受容された際に、やはりその内容は受け入れ難かった。つまり女性との性行為は教えに反する行為だからだ。過去にはそれを行った時代があったようだが、現代のチベットでは本物の女性を使わず、赤白二滴も着色した飲料で代用する。この傾向に私はホッとしたが、さらに第4灌頂も秘密集会やヘーヴァジュラの一節を説示するだけになった。私は確かにホッとしたのだが、本来もっとも秘密だったであろう第4灌頂がここまでアッケラカンと形式的になると、なんか秘密が何もなくなったみたいに思える。

個人的仏教探索 (15) 後期密教 [個人的仏教探索]

田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモ その3 セクソロジー編の生起次第・究竟次第の部分を読む

後期密教系の五相成身観は、(私としては理解に苦しむが、)なぜだか受胎から出産までに人間の体が出来てゆくプロセスを、ブッダが成仏するプロセスである五相成身観と重ね合わせて考えたものになっている。私としては、「おいおい五相成身観は成仏の話だろ。どうして胎児の話になっちゃうんだよ。」と思わずにいられない。昔のインドの仏教徒は成仏そっちのけで胎児にご執心だったことになる。この後期密教系の五相成身観には2種類あり、「金剛頂経」系をもとにしたのが外(げ)の五相成身観で、「ヘーヴァジュラ・タントラ」をもとにしたのが内(ない)の五相成身観。著者は2つの違いを説明すべく比較しているが、私はもう食傷気味なので今は深入りしないでスルーしておく。そのかわりに、本当は「導入編」に書いてあったことをここで少し紹介する。それは、当時のインドがヒトの生命の誕生を輪廻転生説と結びつけて生理学的に解釈したものだ。つまり受胎から出産までに人間の体が出来てゆくプロセスのインド仏教流解釈であり、後期密教系の五相成身観を理解するための基礎知識となる。

人は死ぬと「中有」になる。最大で四十九日間。(おや、いわゆる四十九日というのはここから来ているのか?)中有はやがて未来の父母の性行為の場面に遭遇する。(なんじゃいそりゃ。)それを見て失神し、赤白二滴(経血と精液)の中に吸着される。父母の性行為をまのあたりにして父に愛欲を起こして母に嫉妬すると中有は女になり、母に愛欲を起こして父に嫉妬すると男になる。(なんかフロイトのエディプスコンプレックスを思い出したぞ。仏教ってこういうものだったっけ。)

この本は次に、「秘密集会タントラ」を取り上げる。これは時期的には今まで見てきた母タントラよりも早く成立したが、セクソロジーを論じるのに母タントラのほうが重要というわけで母タントラが先になった。秘密集会の根本タントラが成立した後もこのタントラは展開してゆき、やがて父タントラを形成する。根本タントラ成立以降に付加された教義は釈タントラや注釈書類に盛り込まれ、これらを解釈する学派としてとくに有名なジュニャーナパーダ流と聖者流が成立した。聖者流はタナトロジーのほうで取り上げられる予定であり、ここセクソロジーではジュニャーナパーダ流のほうを、その十二因縁の解釈に注目して取り上げる。

実はこの本は「導入編」ですでに一度、後期密教以前の仏教で十二因縁が輪廻転生説と結びつけられ解釈されるのを紹介している。しかし私はどうにも興味が湧かず、ここに記す気になれなかった。もともと別のものだったはずの輪廻転生プロセスと十二因縁が結び付けられても、「はぁ?何言ってるの?」と私は懐疑的にしかなれない。秘密集会タントラでもまた十二因縁が輪廻転生説と結びつけられるが、「これが無明に相当する」「これが行に相当する」と退屈に記してゆくのはご勘弁いただき、むしろ興味深い部分だけを「つまみ食い」させていただきたい。

曼荼羅の生起に先だって白・赤・青黒のオーン・アーハ・フーンの3種字が自身の口に入ると観想する。これら3種字は仏の身・口・意であり、毘盧遮那・阿弥陀・阿閦であり、そしてまた受胎の瞬間における精液・経血・ガンダルヴァ=死者の意識だ。以下、恐ろしく複雑なものが出てくるがすべて省略。せっかく秘密集会が話題になったというのに私自身が興味をもてないのは残念だ。なお、この部分に記されているものは生起次第というものらしい。少し前から生起次第・究竟次第という語が出ているが、著者は何度もそれを口にしながら、それが結局何なのかをはっきりと、つまり「語の定義」という形でわかりやすくは書いてくれない。察するところ、生起次第とは性的要素を導入した後期密教の曼荼羅の観想法、その実践階梯のことらしい。
(付記:生起次第の定義を、「まえがき」まで戻ってようやく見つけた。後期密教の実践は、聖典に説かれる尊格を視覚的に観想しこれとの一体化を目指す生起次第系と、生理学的方法によって人工的に神秘体験を作り出す究竟次第系に大別されるとある。)

次にこの本は究竟次第を見る。密教では、身体には重要なポイントが隠されており、それらを視覚化し、精神を集中して働きかければ特殊な効果が得られると考えた。その実践階梯が究竟次第らしい。まず究竟次第以前に、初めて身体論を導入したものとして大日経の「五字厳身観」がある。これは、地水火風空を象徴するア・ヴァ・ラ・ハ・カの5字を身体の5箇所に観想する。この5字に加持された行者の身体は大日如来の五輪塔となり、清浄な仏の身体に転化する。このような身体の中の特別な場所は、後期密教ではチャクラと呼ばれるようになる。「ヘーヴァジュラ・タントラ」では4つのチャクラが説かれ、それらは身体の臍・心臓・喉・頭頂にあり、そのうちの3つが如来の応身・法身・報身に対応する。チャクラは蓮華の形をしていて、花弁の数はチャクラによって異なる。また身体にはチャクラの他に脈管がある。脊髄のそばに1本、その左右に各1本。並行して走るこの3本は、上端・下端とチャクラの部分でだけ接合している。これが当時のインドの生理学説で、「四輪三脈」説という。脈管の中はそれぞれ精液、血液、その混合物が通る。(脊髄の脇を通って精液が頭まで運ばれちゃたまらないなあ。)

母タントラでは精液が「世俗の菩提心」と呼ばれ重視された。精液は快感の源であり、これを脈管の下端から次第に上のチャクラへと送る。それぞれのチャクラで得られる快感には名前が付けられ、4つ目の「倶生歓喜」を成就することが生理学的ヨーガの課題とされた。前述のように精液は菩提心なので、射精は菩提心の放棄でありタブーだった。行者は睡眠中の夢精すら許されなかった。なお、上述の快感が下から上へ行く説の他に、上から下へ降りるとする説もあった。

私は思う。よく言われることとして「後期密教の聖典は性的比喩になぞらえて真理を解き明かしたのだが、それを字義どおりに受け止めて修行と称して性行為を行う者が出てきた。」しかし過去の一時期に誤って行われていたそのような行為が現在も行われていると誤解してはならない、というのがある。しかしながら、実際に精液うんぬんの修行をすると書いているではないか。性的比喩になぞらえてではなく、まさしく性的ではないか。それに上野の「聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-」で私が見たヤブユムの秘密仏は、ちゃんと交合していたぞ。もしも性的比喩になぞらえているだけならば、なぞらえている真理は別にあるわけで、大事なのはその真理のほうだから、わざわざ交合中の像まで作る必要はないぞ。これをどう考える?

個人的仏教探索 (14) 後期密教 [個人的仏教探索]

田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモ その2 セクソロジー編の最初の部分を読む

中世のインドでは、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教という宗教の枠を超えて、性を重要なテーマとする宗教「タントリズム」が爆発的に流行した。つまり後期密教がこの方向に走ったのは時代の潮流がその背景にあったということだ。

まずセクソロジー編の初めには、煩悩即菩提の大楽思想が見られる理趣経、過度の苦行を否定してむしろ楽しみながら修行することを勧める理趣広経に触れ、当時のインドにあったと思われる享楽的現世肯定の風潮の中で仏教が歩み寄らざるをえなかったと推測する。また理趣経の中にある母天信仰に触れ、この母天がその由来からも「一切を鉤召し引入し殺害し成就する」存在であることを確認し、ここに後の母タントラに続く初めの一歩を見る。

話は母タントラに移る。父タントラ(たとえば秘密集会)よりも遅れて成立した母タントラへと時代は飛ぶことになるが、セクソロジーだから、その傾向が強い母タントラのほうを見る。まずは、母タントラの中では最も成立の早い、サマーヨーガと呼ばれる一連のタントラから。これらは理趣経・理趣広経の後をうけるものとみなすことができる。この中にへールカが現れる。ヘールカは理趣広経の後半で金剛火焔日輪という形でその前身が存在し、サマーヨーガでは曼荼羅の一部であるへールカ族の主尊として現れ、後の母タントラでは曼荼羅の主尊の地位を不動のものとする。当時ヒンドゥー教内で母天にたいする信仰が盛んになり、それに呼応して、仏教側でその母天を調伏するへールカもまた盛んに信仰され始めたものと思われる。主尊へールカの周囲に侍る女神たちは、髑髏の首飾り、蛇の装身具、(仏教に敵対する者の)人皮などを身につけるおどろおどろしい姿をしている。

ようやく話は例の第2の月輪へと向かう。まず月輪の中に観想されたサンスクリットの字母だが、これは文字鬘(もじまん)の観想法という。サンスクリット語の字母を神格化し、根本仏と同一視するというものだ。古くは中期密教の大日経に「百光遍照王」というものがある。大日経の文字鬘はおもに子音字の組み合わせだったが、サマーヨーガでは母音字と子音字の組み合わせになっている。この本の著者は母音字を根本仏、子音字をその妃と解釈し、母音子音の組み合わせを性行為と解釈し、そこから女神たちをはじめとする曼荼羅の世界が生まれるとする。なおサマーヨーガの当該個所では金剛薩埵を「大貪欲の大楽」と呼んでいる。

「秘密相経」に出てくる第2の月輪は、後の「ヘーヴァジュラ・タントラ」で日輪に置き換えられている。ここにも五相成身観が説かれるが、その内容はもはや「金剛頂経」系の五相成身観とは異なる。「金剛頂経」系では通達菩提心・修菩提心・成金剛心・証金剛身・仏身円満だったものが、後期密教系では大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・清浄法界智となる。名称が異なるのは一目瞭然だが、中身がどう異なるのかは(私には馴染みのない話なので)私はいまだに理解していない。ところで、「導入編」のある節の題に「第二月輪の謎」とあったから、私は謎が後に解かれるのかと思っていたが、そうではなかったようだ。この本には、「この謎はいったい何だろう」と思いつつ読んで行くと、それはそういうものなんだということで話がおしまいになる箇所がいくつかある。結局、後期密教を紹介するのが目的だから、「こういうものなんだ」という記述が当然で、謎だと考えて解明を期待してはいけなかったのかもしれない。でもなんか期待させる書き方をするんだよなあ。

個人的仏教探索 (13) 後期密教 [個人的仏教探索]

田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモ その1 導入編を読む

仏教はブッダが開いたものだが、その後ブッダ本来の教えに含まれていなかった要素を取り入れて複雑化した。しかしインドの仏教者たちは自分たちの教えがブッダの教えだと主張し、ブッダがどのような方法で悟りを開いたかをそれぞれの方法で解明しようとした。この本はその様々な仏教解釈を紹介しているから七面倒くさい。しかもそれだけではない。ただでさえ難解な古来の仏教解釈を扱う上に、この本の著者は「寄り道」をしたがる。つまり話がしばしば本筋から逸れてあちこちへ広がる。通り一遍の読書では本筋がどれで脇道がどれだかわからないことが多い。この本の大筋を書き出そうと試行錯誤する作業は、内容の理解という最終目的への道標になってくれると思う。

この本はまず「導入編」から始まる。これは原始仏教から後期密教の入口までについて、この本が論じる事柄に関連する部分を紹介し解説したものだ。

「大般涅槃経」では、ブッダは禅定の段階を上げてゆき、色界から無色界へ、さらにその最高処である非想非非想処から滅盡定に入った。しかしそこでは般涅槃せず、また禅定の段階を降りてゆき、最後には色界の四禅で般涅槃した。なぜこんな所で?

しかし般涅槃(死んだ時点)の話はこの本の導入にすぎず、本題は成仏(悟った時点)のほうだった。ゴータマは修業時代、非想非非想処を成就してもそれを涅槃に至る道ではないと考え、最後には四禅において悟りを開いた。またもや四禅だ。

ブッダは四禅を成就してもそれだけでは悟りを開くことはできなかった。四禅において十二因縁を順観・逆観して真理を観じた時点で初めて成仏した。(なぜこんな所で?という冒頭の興味深い疑問にたいする仏教の側からの明確な回答はないようだ。歴史上の解釈者の中には独自の解釈から答えを導き出す人もいれば、四禅以外でも可能だとする人もいるらしい。そんなわけでこの本でもこれ以上追究できず、せっかくの冒頭の問題提起がここまでになり、以後話が別の方へ行ってしまうのは残念だ。)

「金剛頂経」でも、悟りを開く前のブッダは四禅におけるアースパーナカ・サマーディだけでは悟りを開くことはできなかった。しかしこの経では彼は従来のように十二因縁を順観・逆観して悟りを開いたとせず、当時の如来から5段階の観想を教わり、それで悟りを開いたとした。この5段階の観想は後に「五相成身観」と呼ばれた。その観想では心の中に月輪(自性清浄心)が現れ、その上に金剛杵(悟りの象徴)が現れる。

「金剛頂経」では第1段階の観想として心の中におぼろげな月輪らしきものが現れ、第2段階としてそれが明確な月輪となる。しかしこれは後に修行の手順が複雑化するにつれて変化していった。「金剛頂経」より後に成立した「秘密相経」では、第2段階として第1段階のおぼろげな月輪の中に2つ目の月輪を観想する。しかも第1の月輪にはサンスクリット語の母音字、第2の月輪には子音字を観想する。この第2の月輪という意味ありげなものについてすぐには解説されず、読者は謎を引きずりながら次章セクソロジー編を待たなければならない。

以上で「導入編」が終わる。書名が示すように、これからセクソロジー(性科学)とタナトロジー(死生学)が順に展開される。

個人的仏教探索 (12) [個人的仏教探索]

「聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-」に行ってきた。今日は私の感想を書かせてほしい。

全体の印象は2つだった。
1.展示物が思ったより小さい。
2.そのかわりに緻密だ。とくにタンカや曼荼羅が。

私個人は訪れてよかったと思っている。個々の展示物について少し書こう。

チャクラサンヴァラ父母仏立像タンカ
タンカの中でこれだけ特に大きい。でも色が付いていないのでわかりにくく、それでインパクトに欠ける。この点は前もって私が推測したとおりだ。

カーラチャクラ父母仏立像
思っていたより小さかった。ネット上にはヤマーンタカ父母仏立像の局部がちゃんと合体しているという書き込みがあったが、それはヤマーンタカに限ったことではない。カーラチャクラ父母仏立像も向かって左から見ると、ヤブとユムの間にわずかな隙間があり、その隙間に「ただの影として」だが、棒状のものが渡されているのが見える。合体を表現することは、チベット仏教の教えを再現する上で重要だったのではないだろうか。

グヒヤサマージャ坐像タンカ
私が上に「緻密だ」と書いたのは、たいてい細かい描き込みのことだが、このタンカは別の意味で緻密だ。この肌のグラデーションは写真では再現できない。

ヤマーンタカ父母仏立像
でかい!仏像の中でこれだけがデカい。でかいからか、細部はあまり表現されていない。面の配置は私が知っている図像と違う。

カーラチャクラ・マンダラ タンカ
すごく緻密だ。こういうのは、いちいち細部の拡大写真を載せて解説してくれるサイトがあると有難いのだが。中央にはちゃんとカーラチャクラのヤブユムが描かれている。

私は、可能なら展示物の周りを右回りに歩こうと思ったが、壁に面して展示された仏像やタンカの周りを右回りに歩くのは骨が折れる。なぜなら、しばしば人々の流れ(順路)に逆行するからだ。

展示場を出ると、お決まりのグッズ売り場だ。私は長年使ってきたマグカップにヒビが入ったので、もしも仏像が描かれたマグカップがあれば絶対買おうと思っていたが、それはなかった。書籍コーナーには立川武蔵編「チベット密教」や田中公明著「超密教 時輪タントラ」と共に、田中公明著「チベットの仏たち」があった。これは新刊で、先月出版されたばかりだ。中をパラパラとめくってみると、きわめて多数の尊格を各々数ページ(?このへんの細部は忘れた)で紹介し、ほとけの性格や図像の特徴を列挙している。「チベットほとけ図鑑」とも呼べる内容になっている。専門的な難しい研究発表ではないので、初心者が図像を見て、解説を読んで楽しめそうだ。



ここから先は私の個人的なメモ(日記)にすぎず、皆様にとっては得るところがないので、お読みになるのはここまででかまわない。

ネット上の書き込みから、入口付近で「守りがみ」とかいうおみくじ風のものが引けるとわかった。私としてはカーラチャクラとかヤマーンタカとか、仏教的な力のありそうな守り本尊が良いなと思っていたが、そんな思いが強いと逆にそうでないものが当たるのが世の中の常だということも知っていた。ダーキニーだったらご利益があるかもしれない反面喰い殺されるかもしれないから微妙だなと思いながら引いた。そうしたら、緑ターラーだった。後期密教の尊格としての奇抜さがない、もっともインパクトに欠けるほとけだ。だからネット上で見つけた時も、特に関心がなく情報を集めなかった。思えば今の私に強烈な力をもつ本尊は似合わない。仕事関係で人生色々あったから、心が弱くなっている。私は今、当面の目標として、自分の生き方を見つめ直さなければいけない。強い力はその後でしか望めない。

実は私は2階展示場へ上る直前で守りがみを引き忘れたことに気づき引き返したので、引いた守りがみを持って一気に2階展示場へ行くことになった。階段を上った所に立っていたのが緑ターラー立像だ。この像は美しい。足は少し開いてすっくと立つ力強さを見せるが、上半身の造形は宝石のように美しかった。そういえば私はここ何年も美しいものを見ていなかった。つまり、何を見ても美しいとは思わない。たとえば女性。若いころは女性を見ては美しいと思った。ところが今は美しく見えない。

美しいものが見えない人生は無味乾燥だ。でも現実に美しいものが存在しないのだから仕方がないと今まで思ってきた。だが今、目の前で緑ターラーが言っている。「人生の中で美しいものを探しなさい」と。もしも女性が私の目に相変わらず美しいと映らないならば、美の対象は女性でなくてもいい。宝石でもいい。絵画でもいい。私はまず、「美しいもの」を探す人生の旅をしよう。私にとって緑ターラーはきっとそのための守り本尊だ。

それから2階にある別の展示物を見て回った。ヤマーンタカ父母仏立像は巨大だったが、私に向けて何か言っている感じはしなかった。そりゃそうだ、このヤマーンタカは自分の妃といたしている最中ではないか。そういえば1階のカーラチャクラ父母仏立像もそうだった。ヤブとユムが向き合っているから、当然こっちを向いてはくれず、私に向かって何か言っている感じはしなかった。チベットの高僧は、このような「こっちを向いてくれない」本尊を前にして、どのように観想を行っていたのだろうか。

ヤブユムでないヤマーンタカ立像のほうは表情がある。水牛の顔に忿怒相と聞くと相当恐ろしいという先入観があるが、実際にまのあたりにすると、そうではない。喩えて言うと「顔は怖そうだが、そのゲジゲジ眉毛の下の目には親しみがあり、子分の世話を焼いてくれる、ごっついおやじさん」みたいな。このヤマーンタカは私に向かって「頑張れよ!」と言っていた。

個人的仏教探索 (11) [個人的仏教探索]

いよいよ「聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-」を訪れる日が近づいた。今日は、各展示物についての基礎知識を再確認したい。私はこれを印刷して美術館へ持って行き、展示物の前で確認するつもりだ。今回の記事は拝観前の「まとめ」なので、前回の記事と一部重複するが、ご容赦いただきたい。

042 チャクラサンヴァラ父母仏立像タンカ
「サンヴァラ・タントラ」の主尊。母タントラの代表格。ヤブユム。青黒で四面十二臂。各面は3眼。忿怒相。象の生皮をまとい、人間の生首と髑髏で作られた輪を頚にかける。虎皮のパンツをはく。シヴァ神とその妃を踏みつける。サンヴァラ系タントラはあらゆるタントラの中で最も人気を博した。
ネット上の写真を見ると、展示物は金色一色で色分けされていない。図像的特徴は私が知るものと似ていて、生首と髑髏の輪もある。しかし色が付いていないためにわかりにくいか、少なくともインパクトに欠けると推測される。つまり展示来訪者にとってインパクトに欠け、ブログに書く気にならず、だからネット上の検索「チャクラサンヴァラ父母仏立像タンカ」にあまりヒットしなかったと私は推測する。私の推測が合っているかどうかは、実際に拝観すればわかるだろう。

043 カーラチャクラ父母仏立像
「カーラチャクラ・タントラ」の主尊。双入不二タントラの代表格。ヤブユム。主尊の図像的特徴やマンダラ(身口意具足時輪マンダラ)は複雑を極める。面の数は四面と少なめだが臂は二十四臂と多い。体は5色に色分けされている。各面は3眼。控えめな忿怒相。
ネット上の写真を見ると、展示物は金色一色で色分けされていない。しかしタンカと違い3次元だからインパクトがある。ネット上の写真は正面から撮ったものが比較的多いが、これは「正面であって正面でない」。なぜなら写っている顔はユムの後ろの顔だし、写っている体はユムの背中だ。何よりも、これでは見た人がユムの表情をカーラチャクラ全体の印象として受け取ってしまう。ヤブの正面の顔の表情を写そうとすると、撮影者は苦労しそうだ。そしてその微妙なアングルからの写真もまたネット上にあった。このアングルからの写真こそが、ヤブユムであるカーラチャクラの特徴を一番伝えられる写真ということになるだろう。ヤブの顔が写り、ユムの(横と後ろの)顔も写り、父母仏が抱擁しているのだとわかる写真が。

044 グヒヤサマージャ坐像タンカ
父タントラ。無上瑜伽タントラの初期に現れた「グヒヤサマージャ・タントラ」の主尊であり、父タントラの代表格。忿怒相でなく寂静相なのが特徴。ヤブユム。ジュニャーナパーダ流の文殊金剛(サフラン色)と聖者流の阿閦金剛(青)がある。三面六臂。各面は3眼。金剛跏趺坐。とくにゲルク派がこれを讃え、自派のイダムとする。
ネット上の写真を見ると、展示物は青色だ。聖者流の阿閦金剛ということになる。今回の展示物はヤブユムではない。

045 ヘーヴァジュラ父母仏立像
「ヘーヴァジュラ・タントラ」の主尊。母タントラ。ヘーヴァジュラ・タントラは最もエロティックな比喩や隠喩に富む。ということはもちろんヤブユム。八面十六臂。8つの面には青黒が多いが、白面、赤面、牙のある茶面が各1。果たして展示物は、手にカパーラをもつカパーラ・ヘーヴァジュラだろうか。忿怒相で青黒。人間の生首と髑髏で作られた輪を頚にかける。虎皮のパンツ。四魔を踏む。
展示物は金色一色で色分けされていない。ネット上の写真を見たところ顔が大きいようだが、それでも像全体の均整がとれていると感じる。十六臂が整然と並び、カーラチャクラ父母仏立像よりもわかりやすい。ネット上の写真は意外と少なかった。拝観者がカーラチャクラ父母仏立像のインパクトに圧倒されてブログでそちらを取り上げ、ヘーヴァジュラ父母仏立像のほうにあまり言及しないのだろうか。そういえばネット上の写真を見ただけでは大きさがわからない。カーラチャクラ父母仏立像は背景から察するに大きそうだが、ひょっとするとヘーヴァジュラ父母仏立像は小さいのだろうか。

046 ヤマーンタカ立像
047 ヤマーンタカ父母仏立像
父タントラ。私が知っているヤマーンタカは青黒、面は9もある。メインの面は水牛。その左右に面。頭の上にまた頭があり、正面、左右とこれで6面。さらにその頭の上にまた頭があり、正面、左右と全部で9面。面はたいてい3眼、忿怒相で、面ごとにさまざまな色に色分けされている。最上部の正面だけは文殊菩薩の柔和面。臂は34もあり、多すぎて何が何だかわからない。さまざまな持物。その中には恐ろしいものもある。象の生皮をまとい、人間の生首で作られた輪を頚にかける。ヤマーンタカのトレードマークかとも思える淫欲相。足で色々踏んづけているのはよくある通り。私はヤブユムのヤマーンタカを知らなかったが、今回父母仏立像が展示されると知りインターネットで調べてみた。水牛の顔と母仏の組み合わせがどうも想像しにくかったのだが、ネット上の写真に確かにある。
ネット上の写真を見ると、ヤマーンタカ立像は彩色されている。父母仏立像のほうは金色一色で色分けされていない。

051 マハーカーラ立像
マハーカーラについては私はかなり若いころに興味をもったことがあるので、ほんの少し知っている。でもそれ以後長い間ご無沙汰だったし、後期密教関係の手持ちの書物には載っていない。

061 カーラチャクラ・マンダラ タンカ
私が持っている書物にはカーラチャクラの曼荼羅は載っていない。インターネット上で探すと、大体どんな図像かはわかる。でも日本の非常に多くのサイトが、この曼荼羅を宗教として取り上げるのでなく、学問として取り上げるのでもなく、開運のお守りとして取り上げている。これでは、図像がもつ意味を知ることができない。意味を理解するにはタントラを理解しなければならないが、これは一般人には不可能に近く、仮にそのアウトラインだけでも知ろうとするならば研究者が書いた本を読み漁らなければならない。今回の「聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-」を見に行くまでにはとても出来ない。

個人的仏教探索 (10) [個人的仏教探索]

今回は無上瑜伽タントラの諸尊を列挙する。列挙といってもこれで全てではない。前回も書いたように、まずは自分の足元から少しずつ断片的な知識を積み上げてゆく。以下の諸尊の中には、無上瑜伽タントラを代表する諸尊もあれば、それほど重要でない諸尊もある。




ヤンタク・トゥク(意密金剛薩埵)

ニンマ派が崇める尊格のひとつ。ヤブユム。忿怒尊で、姿はヤマーリに似る。敵対者を強力に調伏する。


プルパ・ティンレー(羯摩楔)

ニンマ派が崇める尊格のひとつ。ヤブユム。忿怒尊で、姿はヤンタク・トゥクに似るが、楔を持ち翼がある。ニンマ派の忿怒尊は翼をもつものが多い。




マハーチャクラヴァジュラパーニ(大輪金剛手)

父タントラの「青衣金剛手タントラ」の主尊。ヤブユム。忿怒尊で、数ある金剛手の中でも最もおどろおどろしい雰囲気を漂わせる。熾烈な霊力をもつ。


青黒ヤマーリ

ヤマーリとは「ヒンドゥー経の冥界主であるヤマの敵」を意味する。父タントラ。ヤブユム。忿怒尊で、ヤマを踏みつけている。文殊菩薩の化身。調伏の修法において、青黒ヤマーリが要求する人の肉、象の肉、馬の肉、牛の肉、犬の肉、大便、小便、精液、経血、髄液を供えて七日七晩祈ると、青黒ヤマーリは祈る者の敵を殺す。


赤ヤマーリ

父タントラ。ヤブユム。忿怒尊だが、他の忿怒尊のように多面でも多臂でもない。文殊菩薩の化身。敬愛法において、祈る者に異性を引きつける。


ヤマーンタカ

父タントラ。ヴァジュラバイラヴァともいう。水牛の顔と青黒い身体をもち、カルトリ刀、頭蓋骨杯、梵天の首、串刺しの人間をもつ。淫欲相(ペニスを怒張させる姿)。ヤブユムではない。文殊菩薩の化身。度脱法において、祈る者が対象とする悪人を殺し、文殊菩薩の浄土へ送る。ゲルク派はグヒヤサマージャ、チャクラサンヴァラにヤマーンタカを加えて「サンデジク・スム(3つの密教)」と称し自派の密教を構築した。


グヒヤサマージャ(秘密集会)
秘密集会(ひみつしゅえ)とは秘密の集会を開くことではなく、「秘密の集まり」という意味。父タントラの「グヒヤサマージャ・タントラ」の主尊。グヒヤサマージャ・タントラはもっとも古いタントラで、あらゆるタントラの祖といわれる。とくにゲルク派がこれを讃える。ヤブユム。グヒヤサマージャは秘密仏としては例外的にさほど厳しい忿怒相とならず、むしろ寂静相に住する。おもにジュニャーナパーダ流の文殊金剛(サフラン色)と聖者流の阿閦金剛(青)がある。ゲルク派のイダム。




ブータダーマラ
ブータダーマラとは「魑魅魍魎の支配者」という意味。「ブータダーマラ・タントラ」の主尊。ヤブユムではない。忿怒相で青黒。悪鬼を調伏する。


クルックラー
花の矢をつがえる赤い女神。ヤブユムではない。敬愛法において、祈る者に異性を引きつける。


ブッダカパーラ
母タントラの「ブッダカパーラ・タントラ」の主尊。ヤブユム。忿怒相で青黒。踊る姿。ブッダカパーラ・タントラは、グヒヤサマージャ・タントラを除けばもっとも古いタントラのひとつ。


マハーマーヤー(大幻化)
母タントラの「マハーマーヤー・タントラ」の主尊。ヤブユム。忿怒相で青黒。人間の生皮を背にまとい、人間の生首と髑髏で作られた輪を頚にかける。虎皮のパンツをはく。カギュー派が信奉する。


ヘーヴァジュラ(喜金剛)
母タントラの「ヘーヴァジュラ・タントラ」の主尊。ヤブユム。忿怒相で青黒。人間の生首と髑髏で作られた輪を頚にかける。虎皮のパンツをはく。四魔を踏みつける。一面二臂、一面四臂、三面六臂、八面十六臂の5形態があり、面や臂の数が少ない形態は初心者の観想用。金剛薩埵の特殊な化身。ヘーヴァジュラ・タントラは最もエロティックな比喩や隠喩に富む。サキャ派は独自の見解からこれを双入不二タントラとみなす。カパーラ・ヘーヴァジュラはサキャ派のイダム。


チャクラサンヴァラ
母タントラの代表である「サンヴァラ・タントラ」の主尊。ヤブユム。象の生皮をまとい、人間の生首と髑髏で作られた輪を頚にかける。虎皮のパンツをはく。シヴァ神とその妃を踏みつける。「サンヴァラ・タントラ」はサンヴァラ系タントラの総称。あらゆるタントラの中で最も人気を博した。ニンマ派以外の各宗派で盛んに行じられた。サキャ派ではヘーヴァジュラに次ぐ地位。「ヘーヴァジュラ・タントラ」の後に成立し、「ヘーヴァジュラ・タントラ」と同様に性的な比喩隠喩や異様な儀礼があるがいくぶん穏当。




ヴァジュラダーカ(金剛空行)

壮大で複雑な構造を有するダーカアルナヴァチャクラ・マンダラの主尊。ヤブユム。このマンダラはその内部に父タントラ系の諸尊と母タントラ系の諸尊をほとんどすべて網羅し、それまでのタントラの教えを統合する事を目的に創造されたと思われる。インド密教における最後にして最大のマンダラであるカーラチャクラのマンダラへの橋渡しとなったのではないか。とくにサキャ派がこのマンダラを重視した形跡がある。


カーラチャクラ
双入不二タントラである「カーラチャクラ・タントラ」の主尊。ヤブユム。五色。「カーラチャクラ」は時間の輪または時間の循環を意味する。カーラチャクラ・タントラはインド仏教最後の経典であり、それまでに仏教が獲得しえたあらゆる知識を網羅するがゆえに主尊の図像的特徴やマンダラ(身口意具足時輪マンダラ)は複雑を極める。性的ヨーガの実践を必須とはせず、観想のみによっても解脱できると説く。




さて、この「調査メモ」を記し始めた頃は、「このような、おもに図像的な知識だけでは役に立たないか」と思っていた。しかし、そうでもない。ネット上のオフィシャルなサイトで「聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-」の出品目録を見つけた。もしも前もって「調査メモ」を作っておかなかったら、私は目録を見ても何が何やらわからなかっただろう。でも実際には「調査メモ」のおかげで、この出品が父タントラ、母タントラ、双入不二タントラの代表的な尊格を含み、どれほど貴重かを感じることができた。

試しに私が個人的に気になる展示物を抜き出してみたが、これは貴重だ。写真は撮らせてくれないだろうから、しっかり事前に調査して、しっかり見てきたいものだ。

015 梵文 八千頌般若波羅蜜多経
016 同上
018 カーラチャクラ・タントラ
042 チャクラサンヴァラ父母仏立像タンカ
043 カーラチャクラ父母仏立像
044 グヒヤサマージャ坐像タンカ
045 ヘーヴァジュラ父母仏立像
046 ヤマーンタカ立像
047 ヤマーンタカ父母仏立像
051 マハーカーラ立像
061 カーラチャクラ・マンダラ タンカ
075 カパーラ

個人的仏教探索 (9) [個人的仏教探索]

今回と次回の記事は、「後期密教について学ぶための私の調査メモ」という形になっている。なにしろ後期密教は特殊な対象であり、すぐに全体を把握できるほど簡単な物ではない。そこでまずは自分の足元から少しずつ断片的な知識を積み上げてゆき、いずれはこれを全体の把握へと結びつけてゆきたい。


イダム

イダムとは、チベット密教にだけ存在する概念で、個人ないし宗派にとっての守護神。それはもちろん主尊として尊崇する仏でもある。具体的にはチベットに伝えられたインド密教の「無上瑜伽タントラ」の秘密仏。秘密仏は複数存在するので、そのうちのひとつが自身のイダムとなる。

インド密教では、秘密仏は解脱を目指すさいの成就法の観想対象であり、自らが同一化しようとする仏だったが、守護神としての機能は想定されていなかったと思われる。ところがチベットには密教伝来以前から守護神という考え方があり、そのために密教の仏は守護神(イダム)となった。

さらにチベットでは、一種オカルト的な儀式とその効果も信じられていたらしい。もしも敵対者に自分のイダムを知られてしまうと、そのイダムを調伏する儀礼を遂行され、イダムを無力化されてしまう。それは守護神を失い身を滅ぼすことだ。だから人々は自分のイダムや自分の宗派のイダムを口外しなかった。秘密仏は、実際色々な意味で「秘密の」仏だったわけだ。


タントラ

タントラとは、密教経典、とくに性的ヨーガの実践を主張する経典のこと。それはつまり、「無上瑜伽タントラ」のことだ。

ある高名なタントラの成就者は、タントラの道について、それは選ばれた者だけが知ることができるのであって、余人に知らしめてはならぬという意味の文を書き残したそうだ。

「無上瑜伽タントラ」は「父(ふ)タントラ」「母(も)タントラ」「双入不二タントラ」に分けられ、それぞれにまた複数のタントラが存在する。父タントラには敵を調伏する修法が多く、母タントラは性的ヨーガの実践に積極的だった。双入不二タントラは父・母両タントラを統合止揚しようとするもの。


性的ヨーガ

仏教徒が輪廻からの解脱を実現する方法として、努力して少しずつ煩悩を排除してゆくという一般的方法をあえて採らず、ある秘密の技法によって一気に解脱に達しようとする方法が性的ヨーガ。そしてそれを説く経典がタントラ。

後期密教では、人間の体の中に「霊的な器官」があると思われていた。一番下のチャクラは会陰部にあり、これはまだ性的な力にすぎない。この力を順次上のチャクラに送り、次第に浄化し、頭頂にある最上のチャクラに送ると修行者は解脱するという。現代では実際に性的な行為をするのでなく、観想によって精神的に修行するそうだ。しかし8-10世紀頃のインドでは修行者が実際に女性と性交することでヨーガを実践していたらしい。

個人的仏教探索 (8) [個人的仏教探索]

上野の森美術館で「聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-」をやっている。チベット仏教は日本の仏教とはかなり違い、それゆえに興味深い。滅多にない機会なので見て来ようと思うが、その前に下調べをしておく必要がある。

チベット仏教そのものについての下調べが主だが、今回の展示についても下調べが必要だ。

すでに展示を見てきた方、それもチベット寺院をご存じらしい方のブログで興味深い記事を見つけた。リンクの先は人様のブログなので、いつデータが削除されるかわからない。それで無許可で申し訳ないが、下に一部引用させていただいた。

ここから引用>>

展示を見始めて、すぐに感じる違和感。
あたりまえだが、仏像にもタンカにも、
カタ(白い布)が1枚もかけられておらず、
灯明も捧げられていない。マニ車もない。
チベット式の敬意の払い方が一切ない。
かといって手を合わせる人がいるわけでもない。
あと、ちゃんと時計周りに順路をつくってくれないと、
気持ち悪いんですけど。
でもここは日本だから、いいですべつに。

<<引用ここまで

私はチベット仏教に詳しくないけれども、おっしゃりたい事は私なりに理解した。

1.本来信仰の対象である仏像が美術館の展示物になるのは、本当は悲しい事だ。チベット仏教を知りたくて見に行っても、本当に大事なものが伝わってくるかどうかは何ともわからない。そもそも私が仏教徒ならば、仏像を美術品として見るのは無礼ではないのか。右回りの礼をしなくて良いのか。

2.日本でチベットの仏像が展示できたのは、皮肉な事に中国政府がそれらの仏像を本来あるべき場所から略奪した結果だ。この件はすでにネット上で多く語られた後で、検索すると沢山の人の様々な意見が出てくる。美術館前で人々の抗議や衝突があるという情報も見つかった。

簡単だが、「今回の展示についての下調べ」はこれ位にさせていただきたい。そしてこれから数回の記事を使って、「チベット仏教そのものについての下調べ」をする予定だ。


これで今回の記事を終わりにする予定だったが、今回はまだ少ししか書いていない。そこでチベット仏教についての下調べを始めてしまおう。以下の文章は、知ったかぶりをして書いているが、実はよく知らないながらも調べながら書いたものだ。

チベット仏教はいわゆる大乗仏教で、しかも多分に密教を伴う。密教といえば日本にも天台宗・真言宗があるが、それらとはだいぶ違う。なぜなら日本の密教には、密教展開の中でも中期密教にあたる「行タントラ」と呼ばれるもの(大日経など)と、せいぜい後期密教のうちでも初めのほうの「瑜伽タントラ」と呼ばれるもの(金剛頂経)が伝えられたが、チベット密教は後期密教だからだ。後期密教は先に触れた「瑜伽タントラ」に終わらず、さらに先に「無上瑜伽タントラ」がある。(「タントラ」は密教経典のこと)

チベット仏教のプトゥンは上記のように密教の展開を分類した。その意味では先へ行くほど密教は熟していったと言えるだろう。しかし仮に日本に「無上瑜伽タントラ」が伝えられていたとしても、その特異な教義は日本人には馴染めなかったに違いない。ブッダが男女のエッチな行為の表現を用いて法を説き始めた(グヒヤサマージャ・タントラ)などと言われては、日本人の仏教徒は怒るか、呆れるかのどちらかだろう。ただ、信教とは別に、特異に感じられるだけに興味深いのは事実だ。今回のチベット仏教展示にたいする反響がそれを裏付けている。

私が手持ちの書物を読んだ所では、「無上瑜伽タントラ」の特異さ、言ってしまえば"おぞましさ"は、こんなものではない。気持ち悪くなるような行為にも言及されている。だから正直に言って、私の心の中には後期密教への仏教的で真面目な関心と、世俗的で不真面目な興味と、気持ち悪くてもうやめようかという逃げ腰の気持ちの3つが同居している。

さてそれでは上野の森美術館の展示では、後期密教のどこまでに触れているのだろう。"説明されて気持ち悪くなるような行為"にまで触れているとはとても思えない。ある部分で体よく丸められて説明されている(または説明が省かれている)のではないだろうか。その点にも興味がある。そしてもちろん、私がまだ知らない何かがこの展示から得られるかもしれないと思い、それに期待もしている。

この続きは、また後日。

個人的仏教探索 (7) [個人的仏教探索]

今回は、私が過去に買った本の中で少し大き目のものを紹介したい。ただしいずれも若い頃に買ったもので、今となっては相当古い。

大乗仏典
中村元編
筑摩書房
1994年初版第16刷
維摩経、法華経、勝鬘経、華厳経、阿弥陀経、大無量寿経、般若波羅蜜多心経、八千頌よりなる般若波羅蜜経、中論の頌、大乗起信論、理趣経、ダラニ集。私が知りたかった経典の全てではないが、非常に多くが含まれている。ここに含まれない薬師如来関係の経典は、大学の図書館で探して読んだ記憶がある。儀式手順の記述が多かったと記憶している。また、この本を買うより前に、私は「理趣経」という本を買っていた。しかしその本の訳には、"男女交合の恍惚もぼさつの境地だ"という理趣経の大楽思想がなかった。いかがわしい思想は不要と言わんばかりに、体のいい表現に丸められ、歪められて訳されていた。だからその本は捨てた。たとえ原典の内容がいかがわしいとしても、原典に忠実に訳す気のない本などまったく信用ならない。そっちのほうが別の意味でよっぽどいかがわしい。この「大乗仏典」は理趣経の大楽思想をそのまま訳しているので、信用できた。

仏像図典
佐和隆研編
吉川弘文館
平成2年増補版第1刷
これは仏教美術の見地から仏像を扱った本で、日本の仏像、明王、天、羅漢像などが理路整然と分類され、白黒ながらも多数の写真つきで紹介されている。

曼荼羅の神々
立川武蔵著
ありな書房
1988年第1版第3刷
ネパール仏教の仏と神々が、白黒ながらも多くの写真と図版で紹介されている。チベット仏教ほど多くはないが、へールカ(秘密仏)も存在する。また、日本でも知名度の高い菩薩が同様に存在するが、アトリビュートや容姿は日本と異なることがある。

チベット密教の神秘
正木晃・立川武蔵著
学習研究社
1997年第1刷
チベットのコンカルドルジェデン寺イダム堂にある壁画の記録。カラー写真にて紹介。父タントラ、母タントラ、時輪タントラの仏が描かれている。本文によると、「チベット寺院の大半は1959年の中国軍の侵攻や、のちの文化大革命によってほとんどが壊滅状態」だという。つまり現存する壁画は貴重ということだ。

性と死の密教
田中公明著
春秋社
1997年第1刷
題名からわかる通り、この本は母タントラ、父タントラなどの後期密教を扱う。その記述は少々難しく、私は読みこなしていない。ただ、若い頃に読んで印象的だった部分がある。それは釈尊の涅槃の記録だ。釈尊は一度滅尽定に入ったというのに、わざわざそこからまた降りてきて最期には四禅に入り、そこから完全に入滅した。こんな所に涅槃への入口が。

個人的仏教探索 (6) [個人的仏教探索]

今回は「捨てる予定の本」の後半として、岩本裕著「日本仏教語辞典」(平凡社 1988年初版)を紹介する。

この本は大きくて重い。当時で2万円もした。

この本を捨てるのは、私にとって「煮ても焼いても食えない」からだが、その責任の半分は私自身にある。私は本の中身をよく見てから買うべきだった。

そして責任のもう半分はこの本の著者にある。著者はこの本に「日本仏教語辞典」という題を付けたが、そこに問題がある。著者はこの本に正しい題を付けなかった。この本の内容を正しく表現する題は、「日本文学の仏教語辞典」だ。

それでは当時の経緯を思い出して少し書かせていただきたい。

仏教経典や仏教解説の本を毎晩少しずつ読んでいた当時の私は、その中に出てくる用語の意味を知りたいと思う事が多くなった。そこで、文庫判や新書判の本をおもに買っていた私だったが、奮発して大きな仏教語辞典を買う事にした。

当時、新宿紀伊国屋の仏教書コーナーに2種類の仏教語辞典があった。どちらも大きくて重い本だったが、一方はとても古そうで、もう一方は新しそうだった。私は新しいほうを選んだ。2万円の出費は当時の若い私にとって大金だった。私はこの本を大事に持ち帰って、読んだ。

読んだ私はすぐに愕然とした。確かに仏教用語が五十音順に出ていて、その解説がある。その点は満足すべきだ。ところが一々の説明に必ず日本文学からの引用が付いて回る。これが鬱陶しく、煩わしい。

確かに日本文学には仏教の影響を受けた部分が少なくない。しかし文学にとって仏教や仏教用語はただの素材にすぎない。完成した言語芸術としての文学において、仏教(語)はそのほんの一要素にすぎない。しかも、この本の題が「日本仏教語辞典」である以上、読者の大半は文学に興味があるのではなく、仏教に興味があるのだ。もしも文学に興味がある人を読者対象とするなら、題は「日本文学の仏教語辞典」にするべきだった。

この本で引用しているのが純粋な文学だけならばまだよしとしよう。だが著者は謡曲からも引用している。私は若い頃に観世流の謡曲と仕舞を習った。また拍子の研究や面、装束の勉強をした。もちろん能楽堂にもたびたび足を運んだ。そういう人間なら普通知っている事だが、謡曲の中の文句は文学としての価値はあまり高くない。しかしそれは謡曲そのものの価値を否定する事ではない。謡曲は、その文句に節回しを付け、名人が謡ってこそ価値がある。あるいは名人でなくとも、習う人がきちんと正座して丹田に力を入れて謡ってこそ意味がある。文学というよりも、むしろ歌と日本古来の作法が一体となったものだ。それを中の文句だけ抜き出して文学全集に押し込めた時点で、すでに謡曲は死んだような状態だ。さらにそこから仏教語だけ抜き出して引用する事にはもはや何の意味もない。私にはそれが手に取るようにわかる。

この大きな本を完成させるまでには、著者は大変な努力をして文学からの引用を集めたに違いない。ご自分の大切な一生をこのような意味のない物に誤って費やしてしまわれた事は、残念な事だ。おそらく著者はその無意味さに気づく事もなく亡くなられたのだろう。それはある意味、幸せだったとも言える。

個人的仏教探索 (5) [個人的仏教探索]

今回は、「捨てる予定の本」という珍しいテーマで話を進める。

本は人間が書くもので、人間は一人一人考える事が違うから、本の中身は書く人によって千差万別だ。普通人は本を読んで、(ただ新しい知識を身につけるだけではなく)著者に賛同したり反発したりしながら自分自身を見つめ直す。これを文学系の人は「本と対話する」とか「本と対決する」という風に表現するらしい。

ところがごくまれに、どうにもつきあいにくい本がある。これを私は「煮ても焼いても食えない本」と呼んでいる。

岩本裕著「仏教入門」(中公新書 昭和59年第36版;初版は昭和39年)は私にとって、煮ても焼いても食えない本だった。「はじめに」を読めば、この本がどんな物かわかる。

まず、人々の禅への関心を「色々と話を聴けば、結局はサロンの話題の一つに過ぎないようだ」と言い、人々が「わけのわかったようなわからぬような提唱」を聴いて満足するのは「トランキライザー」的な効果だと言う。

次に、「真宗大谷派の金子大栄師」が当時の「創価学会の集会」などの「宗教の大衆動員について」「『ああいうものを宗教とは考えていません』と答えて、いわば逃げてしまった」事を4行の文で挙げ、これを17行も費やして批判している。

続けて「山田無文老師」の発言を8行で取り上げ、これを18行も費やして批判している。

つまりこの本の著者は、当時の仏教者達にも、その仏教者達に傾倒する民衆にも、問題意識をもっていた。著者は「これまで仏教者の言うような『あばたもえくぼ』式な見方ではなしに」、著者が健全だと考える仏教理解を示し、それによって読者を啓発しようとしている。

ではそのような行為を私は「煮ても焼いても食えない」と考えているのか?いや、そうではない。それ自体は著者の自由だ。問題は、それを著者が「仏教入門」と銘打って出版した事にある。

当時の仏教者のあり方に思う所があったのなら、仏教者を対象とした読み物にするべきだった。少なくとも、すでに仏教に携わっている人を対象にした読み物にするべきだった。例えば仏教に携わる人々が読む定期刊行物のエッセイとして連載するのも良かっただろう。ところが、この本は「仏教入門」だ。まだ仏教をほんの少ししか知らない一般民衆が、仏教をもっと詳しく知りたいと関心をもって買う本だ。そういう一般民衆の頭の中は、真っ白な紙のようだとは言えないとしても、まだそれほど汚れたり染まったりしていない。普通に説いて聞かせれば学んでくれるのだ。

それなのにこの本では、「これまで仏教者の言うような『あばたもえくぼ』式な見方」というのが暗黙のうちに根底にあり、それをいちいちひっくり返す方法で各項が結論づけられてゆく。素直に知識を得ようと読み始めた読者は、そのたびに妙な戸惑いを覚える。そして読み進めるうちに、(文学的比喩だが)いわば行間から著者の顔が見えてくる。その顔は読者である自分には向けられずに、執筆当時の仏教者達にだけ向いていて、皮肉まじりに薄笑いを浮かべている。本と向き合って、つまり著者と向き合って真面目に対話しようと思っていた読者は、著者の皮肉まじりの薄笑いにだんだん腹が立ってくる。

本文の個々の項目について色々書くと長くなってしまうので、それに代えて「あとがき」を紹介したい。著者はこの本を「寄せ鍋」に喩えている。そしてこう書いている。「さて、寄せ鍋の材料だが、まず『ブッダの環境』では『ブッダはインド=アリヤン人にあらず』として、現在のわが学会の視野から見れば随分と味の変わったスープであろう。しかし、これは著者が二十数年来考えつづてけきた、とっておきの味つけである」今この引用を読んだあなたは、私がさっき書いた事を理解してくれるはずだ。「仏教入門」を買う一般民衆は、まず仏教とは何かが知りたい。原始仏教ならば、ブッダの教えは何だったのかをまず知りたい。でもこの本の著者はブッダがインド=アリヤン人かどうかを問題にして、これを自分がずっと考えてきた「とっておきの」話だと言う。仏教の中身を知りたい一般民衆にとって、ブッダがどこの生まれかというのは、殆どどうでもいい。それがどうでもよくないのは、「現在のわが学会」とやらに所属している人だけだ。私は著者に言いたい。「著者さん、あなたはどこを見ていらっしゃるのですか。読者である私のほうを見てください。あなたは執筆当時の仏教者の事ばかり気にしていらっしゃる。それなら、そういう人向けの本を書けばいい。どうして『仏教入門』などというタイトルを付けて私たちに買わせたのですか。」

著者は真面目に学問研究をする人だったようだが、しかし、当時の仏教者達の事を日夜ネガティブな意味で考え暮らすうちに、ご自分の思考形態がひねくれてしまった事に気づいておられなかったのではないか?

「捨てる予定の本」は、もう1冊ある。よりによってまた岩本裕という人の著書だ。今回はもう相当長く書いたので、その本についてはまた別の機会に書きたい。

個人的仏教探索 (4) [個人的仏教探索]

前回は高崎直道著「仏教入門」について書いたが、あれは私が本当に久しぶりに買った仏教の本だ。ここ10年以上の間何も買わなかったのではないだろうか。しかしそれ以前、つまり若い頃には、意欲的に本を買った時期があった。今日はその中から比較的小さな本(文庫本など)を列挙させていただきたい。

般若心経講義
高神覚昇著
角川文庫
昭和53年改版21版
小さい頃から般若心経だけは知っていた私にとって、その解説書はまず手に入れたいものだった。インターネット検索など存在しなかった昔の事ゆえ、この手の本はいつも書店に行って探した。カバーの折り返しには、「本書は戦前、ラジオを通じて放送された講義の筆録である」と書いてある。相当古い。というか古すぎる。しかし当時若すぎた私はそんな事も気づかずに後生大事に何度も読み返した。今でも読み返す事がある。最近読み返して気づいたが、心経の解説としては講義の最初のほうで既に言うべき事を言い終わってしまっていて、その後は著者の味わい深い蘊蓄が続く。それはそれで読んでいて味わえるのだが、経典の解説書を探すなら他の本も探したほうが良かったかもしれない。

礼拝聖典
意訳聖典刊行会著
百華苑
昭和49年改版
浄土真宗の在家信者用ポケットブックらしい。これは父が持っていたのか母が持っていたのか忘れたが、譲り受けたものだ。父も母も熱心な仏教徒というほどではない。

般若心経・金剛般若経
中村元・紀野一義訳注
岩波文庫
1986年第31刷
上に書いたとおり、書店にたびたび寄っては経典を探した。とはいえ当時の私は高価な本は買えず、手に入れられる範囲内で経典を集めた。ただ集めただけでなく、繰り返し読んだ。今も読み返している。実は私の仏教知識のほとんどは、これらの経典を繰り返し読んで知ったものだ。以下に続く数冊の文庫本も同様。

浄土三部経 上
中村元・早島鏡正・紀野一義訳注
岩波文庫
1985年第23刷

浄土三部経 下
中村元・早島鏡正・紀野一義訳注
岩波文庫
1986年第25刷

法華経 上
坂本幸男・岩本裕訳注
岩波文庫
1986年第26刷
岩本裕という人物の書いた本は買って後悔した。この「法華経」は経典の訳と解説なので問題ないが、この人物が自由に自己主張しながら物を書くととんでもない事になる。私はこの歳になるまで本を読んできて、これほど煮ても焼いても食えない本を書く人を他に知らない。今はそれを詳しく書くと本題から外れてしまうので割愛するが、いずれ詳しく書かねばならない。今はただ、「仏教入門」(中央公論社)や「日本仏教語辞典」(平凡社)を買ったら私のように後悔するぞとだけ予告しておきたい。

法華経 中
坂本幸男・岩本裕訳注
岩波文庫
1985年第23刷

法華経 下
坂本幸男・岩本裕訳注
岩波文庫
1986年第20刷

真理のことば・感興のことば
中村元訳
岩波文庫
1988年第18刷

ブッダのことば
中村元訳
岩波文庫
1989年第11刷

神々との対話
中村元訳
岩波文庫
1988年第2刷

悪魔との対話
中村元訳
岩波文庫
1989年第4刷

ブッダ最後の旅
中村元訳
岩波文庫
1993年第22刷

お経の話
渡辺照宏著
岩波新書
1985年第24刷
この本から私は華厳経、維摩経、勝鬘経などの存在を知り、実際に読んでみたくなった。また密教経典については簡単な記述だけしかなく、それゆえにもっと知りたくなった。

維摩経をよむ
菅沼晃著
NHKライブラリー
1999年第1刷
維摩経はそのストーリー性がとりわけユニークに思えたが、残念ながら当時私はまだ実際に経典を読む機会に恵まれなかった。そこでたまたま書店で見つけたこの本で、維摩経の内容を知ろうとした。

ヨーガの哲学
立川武蔵著
講談社現代新書
1988年第1刷
仏教の一部流派とおおいに関連のあるヨーガというものを知ろうとして買った。しかしクンダリニーが体内のチャクラを開いて上ってゆくという発想は、私には気持ち悪かった。

これらの本が、私が若いころに買った仏教関係の本のうち、文庫判または新書判のものだ。それより大型の本はまた別に紹介する。

個人的仏教探索 (3) [個人的仏教探索]

個人的仏教探索 (3)

仏教探索について書こうと思いつつも、日々の仕事に追われて今に至ってしまった。本当は昔読んだ本の紹介から順番に書くつもりだったが、これほど更新が遅れてはそんな事を言っていられない。最近読んだ本から書くしかない。それなら読み直す必要なくすぐに色々書けるから。

私は仏教の解説書を探していた。学生時代にも仏教解説書は探して手に入れ、何度も読んだが、それらはあまりに古い。それにどうも物足りなく感じる。私の学生時代とは違って今はインターネットで自宅にいながら何でも探せるので、私は新たに解説書を探した。そして高崎直道著「仏教入門」(1983年 東京大学出版会)にたどり着いた。今日はこの本について色々書こう。

この本は仏教を学問的に取り上げている。これはある意味、安心して知識として取り込める。もちろん他の取り上げ方もある。仏教は宗教だけれども学問は仏教を宗教として論じようとしない(思想として論じる)から、学問的に取り上げる事は遠巻きに眺める事に過ぎないかもしれない。これに対して、ある宗派が著した書物ならば、宗教としての(その宗派の)仏教を直接に取り入れる事ができる。でもその反面、他の宗派の事は何もわからないので、「そうか、これが(これだけが)仏教なんだ」と思い込む恐れがある。学問的なアプローチは、遠巻きだけれども全体を見渡そうという意識がある。

この本は多くのページ(章)を割いてとりわけ仏教の思想的な面を解説している。もちろん仏教にとって論(仏教徒自身が行った経典の解釈、つまり思想)は大事だし、あるいはアカデミックな方面からの思想的研究には意義がある。それはそれとして、仏教とその取り上げ方には他の面もある。たとえば仏像などの図像学的な研究。たとえば浄土宗での仏国土の描写。たとえば陀羅尼や儀式の手順の解説。そういった事が知りたい人は、他の本を探す事になる。

仏教を思想として取り上げるからか、この本は原始仏教から複数の宗派が生じた事をきわめてポジティブに、つまり良い事だと解釈している。経典をいかにして矛盾なく解釈するかという諸派の努力と、その結果としての分裂を、仏教の「発展」とみなしている。でもゴータマ・シッダルタは、伝えられる所では「この教えを守り、分裂してはなりません」と言っていなかったか。この本には、「教祖の言葉にはそれほどの関心はないよ。後の仏教徒が様々な思想をもちながら分裂してゆく過程に興味津津なんだ」という立場が見え見えだ。アカデミックな立場が仏教を思想として研究する場合の、一種のイデオロギーというか、そこから出る事のない一線がここにある。

著者の頭の中にはすでに「仏教とはこういう思想の上に成り立っているものだ」というイメージ(最大公約数)ができていて、この本はそれを様々な局面から解説している。つまり、「チベット仏教は云々、中国仏教は云々」という解説がしたいのではない。「(全ての)仏教とはこういうものだ」と記述し、千差万別に分化した各派の相違は各章の中で補足だけすればうまく行くと思っている。そこには少なくとも、年代的または地域的な差異ではなく、全仏教の最大公約数を記述したいという意図が見て取れる。

以上の文章で私はこの本をけなしているかもしれないが、それでも私はこの本を否定したいのではない。賛同する要素と意見を異にする要素をどちらも列挙したかったというのが真意だ。そもそも私はネットで本を買う時に結構事前調査をするので、気に入らなければ買わない。アカデミックな立場から思想としての仏教を解説する本として、嬉しい一冊だ。つまり、「仏教」について「偏りの少ない」知識を得るための絶好の書だ。

今後個人的に欲しいものは、この本とは別のアプローチをしている本。つまり、歴史的に諸派の相違を強調した記述だ。上記の本の著者はその道の熟練者だから、「仏教とはこういうものだ」と言ってしまえる。でも我々一般人は、何も知らない。突然天から降ってきたように「こういうものだ」と言われても、残念ながら興味が湧きにくい。20-30年前ならば、大学の授業はそんな感じだった。「諸君がこの授業で学ぶものは『こういうものだ』」みたいに。でも時代が変わった。もしも教える側が、「最初の人はこう言いました。そうしたら次の人はこんな思いを持って、こんな考え方をして、別の事を言いました。」みたいに各派の相違にクローズアップして、人間同士の考え方の違いとして解説したならば、聞いている(読んでいる)人はもっと興味をもてる。今の時代はきっと、そんな表現方法が求められている。

個人的仏教探索 (2) [個人的仏教探索]

個人的仏教探索 (2)

当然のことながら、私は並の人間にすぎない。そして並の人間がみなそうであるように、私も考え方がコンピュータのように理路整然とはしていない。それどころか矛盾だらけだ。

仏教経典を読んでいれば誰でも気づくが、仏教は人間を世界の頂点と考えている。つまり人間は宇宙の最高の真理を悟れる存在だ、と。ブッダは人間のひとりであり、そのブッダが悟りを開いた結果、神々さえも彼を称え、彼に帰依する。ところが私は仏教のように人間を賛美できない。中学生の頃から、私は地球上の全生命の中でもっともたちが悪いのは人類だと思っている。世界史の教科書を読んで、人間は決して懲りることなく延々と戦争を繰り返してすでに数千年が経った事を知った。今までの数千年で懲りなかったものが、これからの数千年で懲りるとは思えなかった。その私が、人間を宇宙の頂点とする仏教を信じている。これはとんでもない矛盾だ。

他にも矛盾はある。私は歩いていて鳥居を見つけると、可能ならばそこへ行って二拝二拍手一拝する。これも子供の頃からずっと続けている。でもこれは神道だ。神道と仏教は別の信仰対象だ。これも矛盾だ。さらに矛盾することには、鳥居を見るたびにお参りをする私は、神道の中でどうしても好きになれない部分がある。それは神武天皇についてだ。「古事記」は神という非人間と、私と共時的に存在する人間である「天皇」ひいては皇室(私は現人神を教育された世代でないので)という存在を結び付けてしまった。当時まだ子供だった私は、これをもって古事記を「胡散臭い」と判断した。それ以来、私は神道を全面的に信じることができない。でもお参りはする。矛盾だ。

話が神道のほうへ行ってしまった。仏教の根本思想も私は信じられない。一切皆苦。この世の一切は苦だ。楽しくなんかないんだ。この徹底した悲観主義は何なんだ。仏教では、楽しいことがあった時にそれを楽しんで呆けてはいけないらしい。私はここまで悲観的にはなれない。

どうしてこんなに仏教に反するような私が、それでも仏教を信じるのか。私の場合、理屈から入ったのではないから、このように矛盾をはらんだ信じ方をしているのだと思う。私は幼少時からの長い人生の中で時々、個人の思い出に強く刻まれる形で仏教的なものとの接触があった。だから仏教から離れられないのだと思う。古くは小さい子供の頃、父から般若心教が書かれた扇子をもらった。それがとても気に入っていた。もちろんその時は信仰とは無縁だった。同じく子供の頃、母の実家で仏壇の引出しから阿弥陀経を見つけた。何だかわからなかったが気に入った。大学生時代には自分の半身として大事にしていた友が離れて行き、自分の存在が無くなってしまったような精神の危機にさらされた。相手は絶対に失うことのできない自分自身だった。毎日阿弥陀経を写経して奇跡を祈った。これらの体験には哲学的思想もなければ宗教団体との接触もない。ただひたすら私の人生のページに分離不可能に絡みつき刻み込まれた仏教なのだ。
(つづく)

個人的仏教探索 (1) [個人的仏教探索]

個人的仏教探索 (1)

私は仏教徒であり、仏教徒でない。

一面では私は仏教を信じている。大学生時代に友人が集まって話すうちに、私以外の仲間は「なんで宗教なんか信じるのかわからない」「うんうん」と話し合い、私が一人で信教を否定されて傷つけられていた。

他の面では私は入信していない。仏教に入信するには三宝に帰依する必要があるが、私は人間という存在を崇めないので、僧に帰依することができない。私自身人間であり、私は私よりも社会的に立派な人間が数えきれないほどいることも認める。でも帰依はできない。

だから私は、特定の宗派や教団に入るのにも慎重だ。宗派は人間が作ったもので、新しい宗派が出来たというのは人間が自分の勝手な考えでそれ以前の信仰のありかたを否定した結果だ。人間はある意味勝手な生き物だ。だから色々な宗派が当たり前に出来た。さてそれではどうする。ブッダの教えに最も近い原始仏教がおおもとであるがゆえに一番正しいと考えるのか、それとも全部の宗派にそれなりの意義があると考えるのか。こんな根本的な部分からして、私にとっては問題山積だ。

そこで仏教探索と称して色々考えてみることにした。「仏教研究」と言うほど立派なことはできない。だから個人として「探索」する。

ところで、ある本によると帰依僧というのは菩薩への帰依と考えても良いそうだ。それなら私は仏教徒と言えるだろう。でもピンと来ない。僧とかサンガとか聞くと、やはり宗教団体のことだと思うのだが。大乗仏教で菩薩というと、むしろ仏に近い「準仏」のイメージがないか? 僧でもサンガでもないと思うのだが。
(つづく)
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