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転居は信仰心も失わせる [手記さまざま4]

(今回は私の転居メモからそのまま写すことをお許しいただきたい。表現は他人に見せるためでなく自分用になっている。)自室最後の懸案、亡くなったじいちゃんと父ちゃんの大きな写真を団地サイズの部屋に合うように縮小する懸案に取りかかった。2つを一度にでなく、まず、うまく行くかどうか1つ試すのがいい。じいちゃんの額から写真を取り出しリュックに入れた。これをコンビニへ持って行きL判写真としてプリントする。それで、ばあちゃんの写真と同じサイズになるはずだ。作業の途中、父ちゃんの写真が悲しそうな顔に見えた。それは私の心に残る最後のためらいを反映したのかもしれない。私は今回の自室整理を始める前と始めた後とでずいぶん変わった。始める前はお経の本を転居先へ持って行くのが当たり前のつもりだったし、じいちゃん父ちゃんの写真も額ごと持って行くのが当たり前だった。それが、子供の頃から大事にしてきた本、レコード、カセットテープ、若い頃から大事にしてきたビデオテープ、PC-9821を断腸の思いで捨てて行くうちに、何もかも捨てるという風に脳内が変化して行った。転居は信仰心も失わせる。お経の本はオーバーヘッドスキャンしてから資源ごみとして出した。じいちゃん父ちゃんの元写真を捨てはしないが、団地サイズでしかも木ネジが通らないコンクリート壁の住居ではじいちゃんの大きな額を壁に下げるのは現実的でなく、父ちゃんの写真は現在額の台となっているフロア型スピーカーがなくなるので、置き場所すらない。それでコンビニのマルチコピー機で縮小することを思いついた。


転居は私からスカパーまで奪うのか [手記さまざま4]

転居候補の2つめと3つめの物件を内覧してきた。その片方については、管理人からテレビ受信について詳しく聞くことができた。地上波は常に入る。BS、CS、(それとインターネット)は、回線が自宅の前まで来ている。自分でプロバイダを選んで契約し、金を出して回線を屋内へ引き込む工事をする。

これでわかったのは、BSの回線が初期状態では家の中へ入っていないということだ。初めからBS回線が自宅内へ入っていると自動的にNHK BSの受信料を払わねばならない。しかしこの物件の場合は、回線の引き込みをするか否かを自分で選択できる。

私はそもそもテレビをほとんど見ず、BSに至っては一度も見たことがない。これからも不要だ。だから回線を引き込まず、BSを見られない状態を維持する。

しかしここで個人的な問題が生じた。CS(スカパー)だ。昭和時代の懐かしい番組を多く見られるスカパーにはお世話になってきた。CSを視聴する複数の方法のうちの、ほとんどは、一緒にBSまでくっついて来る。その結果NHK BS受信料を払わねばならない。110度のパラボラアンテナで受信しても、ケーブルテレビでも、BS+CSという形で視聴することになる。そして転居候補の物件での回線もまた然り。唯一BSとCSを切り離せるのはスカパー プレミアムサービスだ。これは110度でないパラボラを使い、BSは受信できずにスカパーだけを受信する。ところが今回調べてみて、2つの困ったことがわかった。

まず、今どき、110度のパラボラばかりが宣伝され、110度の電波が入らないプレミアムサービス専用パラボラを探しても見つからない。それでは困る。

もうひとつは個人的な、家の問題だ。いま住んでいる家では、私の自室は南側にある。だからパラボラのケーブルを引き込んでスカパーチューナーに接続するのは簡単だ。ところが今度の物件では、私が使う部屋はバルコニー(南)の反対側(北)にある。仮にプレミアムサービス専用パラボラを買えたとしても、バルコニーに設置したパラボラから出るケーブルを屋内に引き込んだ後、すべての部屋の壁に穴を開けていちばん北の部屋までケーブルを導かねばならない。

あるいは、妥協するならば、バルコニーに面した部屋(リビング)に私のスカパーチューナーとBDレコーダーを置いてそこで録画する。これならば、すべての部屋の壁に穴を開けずに済む。ただしこの場合は、私は自分の部屋でBDレコーダーが使えない。

そして上記の案がどれも現実的でないと判断された場合は、私はスカパーを諦め、転居後にスカパーを解約する。

転居にさいして昔の懐かしい本もレコードもカセットテープも処分したというのに、この上スカパーまで続けられなくなるのだろうか。もちろん、金が有り余っていれば、まったく見るつもりのないBSとNHK BS受信料を含めてBS+CSという形で回線を引き込めばスカパーは続けられる。でも、インターネットにせよスカパーにせよ月々の支払いを二千円台までに抑えるよう努力してきた貧乏な私に、そんなことができるわけがない。


初めての中近両用眼鏡 眼鏡屋編 [手記さまざま4]

眼鏡屋へ行く前、私には2つの選択肢があった。単焦点レンズで今までよりも度の低いものにするか、中近両用レンズにするか。

裸眼でも小さい字が見えなくて近づけるとピンぼけになることを認識した今では、その状態にさらに近視用レンズを加えるのは無謀にも思えた。私は中近両用レンズを試してみようと思った。2018年にレンズを作った時には、UVカット入り、強化コーティング付きでもたいした金額でなかった記憶がある。今回のレンズでうまく行かなければ、また試せばいい。私はそう考えた。しかしレンズの金額については、私は後で驚くことになる。

私が眼鏡屋に話した望みは、近視+老眼、遠近両用でなく中近両用、UVカット入り、だ。眼鏡屋の店主は元気なおじいさんで、昔からこの店にいる。私は心の中で、(あなたまだ現役だったんですか)と話しかけた。店主いわく、近視+老眼のレンズを決めるのは、計算なのだそうだ。店主は紙に数字を書いて説明した。計算自体は単純な加減算なのだが、数値の意味する所を知らない素人には何となくしか意味がわからない。それから私は簡単な目の検査の後、眼鏡屋にあるレンズ入れ替え可のメガネフレームに様々なレンズを入れて試すことになった。

ネット上にはただ遠近両用・中近両用とだけ書いてあったが、実際には様々な段階があるそうだ。おもに外で使うための設定(これが遠近両用ということだろうか?)。おもに室内で使うが外を歩く時も使いたい設定。室内で使う設定。おもに机で使うが室内を歩く時も使いたい設定。もっぱら机で使う設定。実際と多少の違いはあるだろうが、店主が見せてくれた紙では、おおよそそんな感じに何段階にも分かれていた。

遠近両用や中近両用の眼鏡は、レンズの上の部分が遠くを見る所、下の部分が近くを見る所だ。近くを見る時は顎を突き出して目を下へ向けるか眼鏡をしっかり鼻の上へ上げてレンズの下部分を通して物を見る。遠くを見る時は顎を引いて上目遣いにするか眼鏡を鼻に落としてレンズの上部分を通して見る。私は遠くを見る時の度と近くを見る時の度をそれぞれ何種類も試して、各々満足のゆく度を見つけた。私はそれでうまく行ったと思い込んだ。

私はもうひとつ必要なことを思い出した。確かに私はこの眼鏡をおもに室内(会議室くらいのスペース)で仕事をする時に使いたい。しかしその他に、通勤時にもかけたい。私はたとえ裸眼でも、外を歩けないことはない。世界がぼやけるので嫌だが、それでも歩ける。しかし眼科医から「紫外線に気をつけてください」と言われてしまった私は、外を歩く時に裸眼で歩くのは駄目だ。UVカット付きの眼鏡をかける。

外を歩いてみよう。満足のゆく度のレンズを入れた状態の眼鏡で、私は眼鏡屋の外へ一歩踏み出した。店の手前は、段差ではないが小さな坂になっている。私は2018年に遠近両用を提案された時に、階段などで違和感があるので若い頃から慣れていたほうが良いと聞いていた。それが良かったのか、それとも災いしたのか、私は手前の小さな坂を注意しようと下を向いた。そうしたら、めまいがした。これは歩くのが恐い、と思った。

レンズの中の、遠くを見る部分と近くを見る部分の度がかけ離れるほど、そういう感覚が出るらしい。逆に2つの部分の度を近づけると、めまいを起こすような感覚が出にくくなる。しかし、度を変えるということは、自分にとって最適の度から外れるということだ。たとえば私の場合、外を歩く前に見つけた満足のゆく度では、手に持った紙の小さな文字(10.5ポイントの上付き文字くらいの小ささだが実際に当たり前にこれがある!)を目に近づけたり遠ざけたりしてみると、目からの距離が30cmから25cmまで焦点が合うというように、良く見える範囲にゆとりがあった。ところが外を歩いてめまいを感じたので度を変更した後では、目からの距離が30cmでだけギリギリ良く見えるというように、範囲にゆとりがない。

こうして、せっかく室内用としては満足のゆく度を見つけていたのに、それをご破算にして、外を歩いてもめまいを起こさない度を見つけることになった。結局、遠くを見る時の度、近くを見る時の度、歩いてめまいを起こしにくい度という3つの度について、どれも支障が出ないような妥協点を探すことになる。私の場合、階段を上り下りしてもめまいでふらつかない度にするために、近い場所は目からの距離が30cmでだけギリギリ良く見える度に妥協しなければならなかった。

店主は、老眼はこれから進んで行くと言う。5年後、7年後には、今日作るレンズでは合わなくなる。その時にはまたレンズを作り直さなければならないと言う。老眼が進めばレンズの度を変えなければならず、私の場合は遠くを見る時の近視用の度とかけ離れてゆくので、階段などでめまいを起こす感覚は強くなる。しかし今日作るレンズでその感覚に慣れてゆくので、その時が来るまでには、今日感じたほどのめまいは感じなくなっているだろうという話だ。その時が来て私がまたレンズを作るかどうかは謎だ。なにしろ、私は仕事をするために眼鏡を必要としているが、その仕事というのが慢性腰痛の辛さで辞める思いと闘いながら何とか続けている仕事だ。5年後、7年後に、慢性腰痛の私がまだ仕事をしているだろうか。もしもそれができていたら、それはめでたい。もしもそんなめでたいことがあれば、その時は自分にご褒美でまたレンズを作ろうではないか。

話し好きの店主が同じことを繰り返し喋り、私が疲れ果てた頃に、レンズの度が決まって支払いとなった。店主が言うには、老眼の単焦点レンズの倍の値段だそうだ。店主が出してきた紙にはレンズの種類が3種類あり、その各々にレンズの厚みが3種類ある。選択肢は計9種類だ。強化コーティングとUVカットは全部に適用されていた。(今回は強化コーティングなしで安く上げようと思っていたのだが、こうなっては仕方がない。)店主が言うには、私の度は高くないので、レンズの厚みを薄くする必要はなく、レンズが薄い(そのぶん値段が高い)選択肢6つは見なくて良いとのことだった。後はレンズの種類3つのどれを選ぶかだ。私は真ん中の値段のにしたが、それで3万5千円だった。2018年に作ったレンズはたいした金額でなかった記憶があるが、今回は高いと感じた。店主は単焦点レンズの倍の値段と言うが、私は半額の1万7500円だって「たいした金額でない」なんて思わない。2018年の近視用レンズはもっと安かったはずだ。店主はオプションでブルーライトカット機能があると言ったが、これ以上金を払うつもりはない。第一私はパソコンのディスプレイを見る時に眼鏡をかけない。この機能は不要だ。


初めての中近両用眼鏡 経緯編 [手記さまざま4]

そもそもの発端から話し始めよう。眼科医から「紫外線に注意してください」と言われた私は、2018年12月、UVカットのためにメガネのレンズを作り直した。ところがその後、レンズが自分の用途に合っていないと気づいた。

私は近視なので、近視用の単焦点レンズの眼鏡をかけていた。これと同じ度でUVカットの成分をレンズに練り込んでもらえば良いと私は考えていた。ところが眼鏡屋の人が、度が少し合っていないと言って、少し強くしてしまった。それまでの眼鏡レンズは、遠くは少しぼやけるが近くは見えた。それが、新しいレンズは遠くがよく見えるかわりに近くがぼやけて見えない。これがなぜいけないかというと、私が眼鏡をかける第一の目的が室内(会議室サイズの部屋)での仕事だからだ。

室内での仕事に必要なのは、部屋の奥にいる人間の顔をはっきり認識することと、手元の書類を見ること。部屋の奥よりも遠い距離(屋外の景色)は、ぼやけていい。ところが新しいレンズは、部屋の奥もそれより遠い所も見えるが、手元の書類はてんで見えない。だから、まず私は、レンズの度を変えて作り直してもらおうと考えた。この時はまだ単焦点レンズを考えていた。

その時点でコロナ禍が始まった。2020年4月だったな。私の仕事は在宅のリモートになり、不要不急の外出はするなと言われ、私は眼鏡屋へ行くのをコロナ禍が収まってからにした。コロナ禍が始まった当時は、誰もがこんなに長引くとは思っていなかったのだ。そして年月が過ぎた。

コロナ禍が足掛け3年目となる2022年2月、隣に住む叔父が急死し、親戚一同が葬儀に集まった。その時に従兄が私にあることを聞いた。老眼は始まっていないか、と。私はそんなものは始まっていないと思ったが、従兄はさらに言った。近くのものが見えにくくないか、と。その時になって私は、自分が老眼なのだと初めて知った。最近仕事をしていて、印刷物の小さい文字が裸眼でも見えにくくて困っていた。よく見ようと目に近づければピンぼけになるし、ピントが合うまで遠ざけると、小さい文字がさらに小さくなる。私は、次に眼鏡レンズを作り直す時は老眼の矯正も入れなければならないか、と思った。

この頃になると、遠近両用レンズも選択肢に入ってきた。遠近両用レンズは、2018年にレンズを作り直した時に提案された。しかし当時の私はまだ若かった。考え方も健常者的に若かった。自分の視界が歪むなんていう不自然極まりないことは許せなかった。それからコロナ禍での在宅リモートがまる2年続く間に、私はすっかり疲れ果てた。心身共に老人となった。それで、今となっては遠近両用レンズが自分に適しているかもしれないと考えた。ただし、私が眼鏡をかける第一の目的が室内での仕事なのだから、度は今までと同じではなく、4、5メートル先の人の顔が認識できればいい。それ以上遠くはぼやけていい。

こうして、私の眼鏡屋行きが近づいた。

眼鏡屋へ行く前日、私はネット検索していて、興味深いものを見つけた。遠近両用ならぬ中近両用というのがあるそうだ。これこそ、会議室サイズの部屋で眼鏡を使う私にふさわしいではないか、と私は思った。


「変なモノ紹介サイト」の紹介 [手記さまざま4]

今日は、ネット上で見つけた「変なモノを紹介するサイト」の紹介だ。私はなぜか、「変なモノ」に引かれる。私が見つけた「変なモノ紹介サイト」を紹介させてほしい。

まずは、今回の記事の発端となったテレビ番組の話から始めたい。テレビ番組表を見ていたら、今日の(といっても、あなたがこの記事を読む時には過去になっているだろうが)世界の何だコレ!?ミステリーという番組で、京都の細すぎるドアが出てくると書いてあった。私はこれに興味をもって何だコレ!?ミステリーのサイトを見たが、テキスト情報としては細すぎるドアが見当たらなかった(後でわかったが、サイト内の動画に出ていた。でも当時私はそれを確認していなかった)。情報がないと、ますます気になり、私はネット検索してみた。結局京都のドアは見つからなかったが、それ以外の気になる「変なモノ」を見つけた。

そのネット上の記事のタイトルは
「狭い、狭すぎる!!!! JR塩尻駅の駅そば屋は定員2名で、きっと日本一狭い!!」

タイトル以上に、この記事の最初の画像が私は気になってしょうがなかった。大きな看板で宣伝された先にあるのは、あまりにも狭い入口だ。
https://www.uradoori.com/archives/24952067.html


もうひとつ、ずいぶん前に見つけた「変なモノ」を紹介させてもらいたい。

間取り図を一見しただけで「おかしい」とわかる物件揃いの「Y澤不動産」
https://gigazine.net/news/20170821-y-fudou/

これは間取り図の紹介だが、ほんとに変だ。「変なモノ」好きの私にはたまらないほど変だ。


Flexible Renamerの、ちょっとだけ高度なリネームに挑戦した [手記さまざま4]

Flexible Renamerは、その気になればとても複雑な作業ができるようだ。でも私にはまだそれは荷が重い。今日は、初めて「高度なリネーム」にチェックを付けて、ちょっとだけ今までよりも高度なことをした記録を残したい。


Czur Aura Proでスキャンした本の中に、目次から読みたい項目のページを知るタイプの本があった。たとえば文法書だ。実際の本ならばパラパラとページをめくってゆけば目的のページが見つかるが、ファイル名が単純な連番になっているスキャン画像はそううまく行かない。見当をつけてファイルを開いてみても数十ページ先や後のことが多い。画像表示アプリでキーボード操作を使い次々に先の画像を見てゆくとしても、本を指でパラパラとめくって行く動作に比べるとあまりに遅く、いらいらする。画像になった本ならば、ファイル名にページを含めるのが一番良い。ただし、数百ページある本のスキャン画像を1枚ずつ手作業で名前変更してゆく気にはならない。作業を自動でこなすアプリが必要だ。

Flexible Renamerを使う。私は単純な連番の付け直し(Czur Aura Proで連番にした後で、重複画像に気づいて1枚削除した場合など)にはこのアプリをよく使ってきた。しかし今回は、それに比べると作業が複雑だ。なぜならページを表す文字列を "pp.123f." のように表現し、単純に「文字列+連番」にしないからだ。そこで高度なリネームを試そうとしたが、使い方がわかるまでにかなり時間を費やした。そこで備忘録としてその方法を記録しておくことにする。

高度なリネームにチェックを付け
ワイルドカードを選択し
検索窓に*.*
置換窓に\1 pp.???f.\2
(注:\は、日本語環境だと¥だ。)
を指定すると

検索窓の最初のワイルドカード*は置換窓の\1にそのまま付く。つまり元ファイル名がそのまま残る。
" pp."と"f."はそのまま文字列としてファイル名に付く。
"???"は連番3桁を意味する。
検索窓の2つめのワイルドカード*は置換窓の\2にそのまま付く。つまり拡張子がそのまま残る。(拡張子前の"."は、"f."の"."とファイル名/拡張子を分ける"."を兼ねることになる。)

開始に最初のページを入れ
ステップを2とする(見開き2ページが画像になっているから)


注意
高度なリネームのチェックを外すとステップの設定は見えなくなるが、設定済みのステップ2は有効なまま。そのままだと高度な設定でないリネームでも連番は1つおきとなる。


追記
私はFlexible Renamerのバージョンアップをしていない。もしも最新バージョンで動作が違ったら、ご勘弁いただきたい。

近況 [手記さまざま4]

一度携帯の電話番号が悪者に漏れてから、身元不明の電話とSMSが時々来る。電話は出ないから用件は知らない。とにかく身元不明の電話番号からかかってくる。しかも、相手の番号はひとつでない。

SMSは、「お金が戻ってくる」という、明らかに「私は悪者です。引っかかるカモを探してます」と言わんばかりの内容だ。私にお金が戻るのは、国税還付金だけだ。(収入が低すぎるサラリーマンは、税金から差し引かれる金額の都合で、給料から天引きされる所得税が実際よりも多くなり、税務署に申告して還付される。)

私は残念ながらメンタルが弱い。ただでさえ転居がどうなるのか、後期授業の真っただ中に引っ越しとなったら授業はどうなるのか、親の脊柱管狭窄症はどうなるのかと心休まらない中で、上のような電話がかかってくるのは嫌だ。

転居は、お盆休みが終わって不動産業者とのやりとりが再開した。現在の候補物件が2つあり、それらはちょうど反対のメリット/デメリットをもっている。それで私は第3の物件を探し、これにも心配な所はあるが、とにかく内覧をお願いしようと思っている所だ。年末までに引っ越すことを考えれば、この3つの物件から1つを選ぶことになるだろう。

授業のための仕事は、今いちばん大変な思いをしている所だ。普通、大学の教員は夏休みには仕事をしない。自分の論文を書いたり、とにかく授業以外のことをする。ところが私は後期授業の真っただ中に引っ越しの可能性がある。だから、普通ならば後期になってからするはずの仕事を、今、毎日している。

仕事ばかりするから楽しみがほとんどなく、皆さんにとっては些細なことを私は楽しみにしている有様だ。少し前に、スマホのテザリングによるネットワーク番号が1100を超えた。
network1100.png
肝心の歩数計アプリ「からだメイト」のほうは、歩いても歩いても達成表示が出ない。


何か月も経ってからでは治らない [手記さまざま4]

私がまだ痛風で通院していた頃、せっかく整形外科にかかっているのだから慢性腰痛の相談もしようと思った。MRI検査をした。そのことは、このブログにも書いた。ここに結論だけ再度書くと、痛み止めを服用するか、コルセットを付けるしかないという結果だった。

私は不思議に思った。日常的に腰痛なのだから、手術を含め何らかの方策を取るべきではないのか? 私は以前に椎間板ヘルニアで近所の医者にかかった時にコルセットを買う羽目になり、すでに持っている。つまり、現状を改善する手だてはないということだ。そんなことが、あるだろうか。

それから長い年月が経った。きょう、親が医者に行った。親は何か月も前に室内で転んだ。それ以来、右腕を上げようとすると痛い。かかりつけ医は内科だから専門外で、脊柱管狭窄症の親にはかかりつけ医以外に行くのが一苦労だった。それで今まで行かなかった。親が帰って来て言うには、何か月も経ってから来ても何も出来ることはないと言われたそうだ。

それを聞いた時に、私は自分がMRI検査をした時のことを思い出した。私の慢性腰痛も同じ事情なのだろうか。


親の脊柱管狭窄症 [手記さまざま4]

今日は親の脊柱管狭窄症の話だ。順を追って書こう。以前の先生から高齢を理由に手術を拒まれた後、1年くらい、つてを得られずに過ぎただろうか。今回、別の脊髄専門医に診てもらえることになり、一週間くらい前に私は付き添いで病院へ行った。その行く直前に、私は親にひどく驚かされた。それが今日記録したいことの1つめだ。

親は、脊柱管狭窄症の症状が出て以来、ずっと手術をしてくれる医者を探していた。上に書いたように、最初の医者には手術を拒まれた。次の医者も拒んだ。それから、新たなつてが見いだせなくなっていた。だから私は、当然今回脊髄専門医に診てもらうのは手術が目的だと思っていた。そうしたら、親はもう手術を考えていないと言う。私は驚いた。それなら、なんでわざわざ脊髄専門医に会いに行くんだ。親が言うには、自分の主治医は専門が内科だから、痛み止めをもらうにしても本当にそれでいいのかが気になるそうだ。私は、「たったそれだけのために行くのか!?」と呆れた。毎日とても痛いんじゃないのか? 痛くて我慢できないから脊髄専門医を頼るんじゃないのか? 私は、そうだと思って電話口で脊髄専門医の診療当日枠を一生懸命予約したのだが、親の言葉を聞いて呆気に取られた。

今日記録したいことの2つめ。上記来院の1週間後、親はMRI検査のためにまた病院へ来た。私も付き添いで来た。検査の後、先生と話をした。親は、やはり薬をもらうのが目的だと言った。でも私は、先生に手術のことを聞きたいと思っていた。なぜなら、うちの親は一度考えたことを後からコロコロ変えるからだ。今手術はしないと言っても、明日は「手術が出来ないから」云々と愚痴をこぼして不思議でない。私はそういう親の言葉に振り回されてきたので、親任せをやめた。私自身が納得せねばならない。何を納得するか。今度の先生は親の手術についてどう思っているのか。親の意向を抜きにして、親の手術のリスクをどの程度と見ているのか。先生は、手術をするならば、以前に他の病院でした椎間板ヘルニア手術の情報が必要なので、以前の病院からそれを取り寄せなければならないと言った。私は違和感を覚えた。今までの手術歴がわかったほうが良いのは当然だが、それがわからずに手術をしなければならないことも世の中には普通にあるはずだ。それなのに、親の手術にさいして、なぜ手術歴にこだわる? 私は、たとえ私が手術を強く望んだとしても、先生は乗り気でないことを察した。私の目的は、これで達成された。私は、手術を強要したかったのではない。先生にも言ったが、私は知識がゼロだから、親の手術について先生の考えを知りたい。それが目的だった。

ここから先は本題でなく余談だ。今後新しい先生に診てもらうことはないだろうが、もしも親がまた新しい先生云々と言っても、私はそれに反対する。最初に手術を拒んだ先生以外の先生は、親の手術について話をすると最後には、最初に手術を拒んだ先生の話が出た。そして、乗り気でないことが察せられた。(椎間板ヘルニアの手術をした先生と、脊柱管狭窄症の手術を拒んだ先生は、同じ先生だ。)私は、なるほどなあ、と思った。今後他の先生の所へ行っても、同じ結論が待っているように思える。

私はこの記事の最初の方で、「たったそれだけのために行くのか!?」と書いた。その気持ちは病院で会計を済ませた今も同じだ。結局この病院まで来てわざわざ脊髄専門医に診てもらった結果は、主治医に出してもらっているのと同じ薬を出してもらうだけだった。

親のMRI検査結果は私も見た。脊髄が2箇所も潰れて見えなくなっている。よくこの状態で下半身が動かなくならずにいるものだと私は思った。先生は、この状態では痛み止めを増やしても効果はあまりないだろうと言った。私もそう思う。


今日は残念ながら一日休みとなった [手記さまざま4]

私はこれまで、毎日予定を決めては、転居に関係する何かをしてきた。ある日は親の部屋にある物を列挙して、転居先へ持って行くか持って行かないかの区別をメモした。ある日は電車に乗って銀行へ行き、古いお金を口座に入金することで片付けた。ある日は洋服だんすの中身をチェックして転居先へ持って行かない物を捨て、さらに机の引き出しを引っ張り出して掃除し、カビ臭さを確認して持って行くか否かを決めた。ところが今日は、朝から体がだるく、腰が痛い。

やるべきことならばある。不動産業者が新しい物件のpdfを送ってきた。それが何か変だ。交通機関が遠く離れたJRの駅になっているが、あの辺はもっと近くにバスが走っているはずだ。調べなければならない。あるいは、現時点での最重要物件について、親がバスの窓から見たらバルコニーの近くに樹木と家があり陰になっていたと言い始めた。図面ばかり見て評価していた私は愚かだった。これを午前中の朝日が当たって欲しい時間帯に行って確認しなければならない。ところが体がだるく、腰が痛い。

私にとって転居は重圧だ。不安の塊だ。そういう精神面も、不動産業者から何か変な物件pdfが来てストレスが加わり、限界に来たのかもしれない。

残念だが一日休んで、心身ともに健康を取り戻さなければならない。


古紙幣銀行口座入金奮闘記。1回10枚?そりゃないよ [手記さまざま4]

今日は、ATMで使えない古銭、記念コイン、古い紙幣を銀行へ持って行き、自分の口座へ入金することで普通に使えるようにするつもりだった。同じことを私は3ヶ月くらい前にした。その時には前もって合計金額を数えておかなかったので、銀行の待合室で時間をかけて数える羽目になった。私はATMにお金を入れたら金額が出るように、窓口でお金を渡したら数えてくれると勘違いしていたのだ。そういえば窓口での入金時は紙に書いて窓口に出すんだったな。そういう体験があったので、今回はちゃんと合計金額を数えておいた。これで問題は起きないはずだった。

ところが意外なことが起きた。古紙幣の入金を、1回に10枚に制限しているという。私はびっくりした。百円札が100枚あったら、私は10回電車に乗って来なければならない。いや問題はそこではない。百円札なのだ。10枚で1000円。電車賃が往復で500円かかったら、手取りが半額になってしまう。それは無茶苦茶だ。

私は、お金を預かってもらって1週間後か10日後にまた来ると提案した。ところが、お金を預かることはできないのだそうだ。

古紙幣の入金が1回10枚というのは、コロナの特別事情だそうだ。コロナのせいで同時に働ける銀行員が少なく人手が足りず、しかも紙幣のチェックは2人1組で行うのだそうだ。そんな事情を知っていたら、私はわざわざ電車に乗って来なかったのだが。

窓口の人は、コロナが過ぎたらまたいらして欲しいと言った。それはもっともな言葉だ。ところが私は転居と引っ越しを目前にして、引っ越し前に古銭を片付けるのが目的で来た。

私は、今日入金できる分だけお願いしたいと言った。窓口の人は奥へ引っ込んで、偉い人(おそらく)と話をしてから戻ってきた。私が出した古いお金のうち、貨幣全部と、ご厚意で百円札50枚を入金してもらえることになった。私があらかじめ計算しておいた合計金額は無意味となり、私は今日入金してもらえる分の金額を待合室の隅で計算する羽目になった。

私の予想では3時間くらいかかるかと思っていたが、1時間くらいで呼ばれた。私はあらかじめ、銀行の閉店時間まででも待つと告げていたので、これなら全額のチェックだって余裕で終わったのにと思った。私一人にそんなに時間を使う気はないということか。

残りの百円札、拾円札、壱円札は、コロナが過ぎ去るまで手元に置いておくことになる(入金1回10枚交通費500円で手取り半額になるのは御免だ)。ところで(窓口の人が、コロナが過ぎたらまたいらして欲しいと言った時から思っているが)コロナはいつ去るんだ? 間違いなく、残りの百円札、拾円札、壱円札は引っ越しの時に持って行くことになるな。


ヨーロッパコンセント変換アダプタよ、今までありがとう [手記さまざま4]

ビデオカメラを転居先へ持って行くことに決めたので、その付属品である三脚も持って行くことになった。いっぽう、付属品の中でも使わないケーブル類、リモコン、そしてヨーロッパコンセントとの変換アダプタは処分となった。この変換アダプタにはヨーロッパへ行くたびに世話になったので懐かしいが、もう行けまい。もし行ったとしても一週間以内の短期、充電池に満充電して行けば何とかなるだろう。惜しいが今回処分だ。今までありがとう。
ac_adapter.jpg


ビデオカメラを転居先へ持って行くことにした [手記さまざま4]

きっかけは、少し前のブログ記事、源氏山から北鎌倉へは今の私の足腰ではもう歩けないだろうが、歩こうとするうちに健康になるかもしれないという、あの文章だった。その時はそれで終わっていた。そして日が替わった。

私は20時にもう寝てしまおうと思った。仕事ができないなら、寝てしまったほうが良い。夜中に目が覚めたら、それから仕事をしたほうが良いと考えた。その時、親が見ているテレビが目に留まった。今日は各地で花火があるらしい。驚いたことに、その花火会場のひとつがうちのかなり近くだ。

私は親にテレビの音を消してもらった。花火の音だけでも「生で」聞こえるはずだから。耳を澄ますと、遠くで太鼓のような低い音が連続して聞こえた。花火だ。親が言うには、昔は親の部屋の窓から年に一度花火が見えたそうだ。今では家が建ち並び、花火は見えなくなった。

私はふと思った。部屋の窓からは見えなくても、外に出たら見えるのではないか。親が言っている昔の花火はおそらく隅田川だが、今日の花火はうちのかなり近くだ。花火会場は、遠くに見えるビルの辺りのはずだ。ビルが見えているのだ。花火だって見えるのではないか。

それでも私は布団に横になった。私はもう若くない。子供のようにいちいち花火に関心を示さない。それに慢性腰痛で足腰が思うように動かない。私が歩いて花火が見える所まで行くよりも前に、花火は終わってしまうだろう。

その時、数日前のブログ記事が私の頭をよぎった。源氏山から北鎌倉へは今の私の足腰ではもう歩けないだろうが、歩こうとするうちに健康になるかもしれない。私は弾かれたように起き上がり、ビデオカメラを掴んだ。そして外へ出た。この時間、うちの近くに人は歩いていない。私は寝巻のままマスクも付けずに家の前の道を急いだ。花火が終わる前に行かなければ。

道をほんの少し行くだけで、花火会場の方向にある背の高いビルが見えた。しかし見えるのはビルだけで、花火は見えなかった。もっと近づくか。いや、今いる場所が高台だ。これより近づけば低地になり逆に見えなくなる。駅まで行けば障害物なくビルが見えるが、そんな暇はない。花火が終わってしまう。それに私は寝巻でマスクなしだ。人のいる場所へは行けない。

私は瞬時に頭を巡らせた。そしてビルが見えている方向から左90度の方角へ急いだ。なぜなら、その先にビルがよく見える場所があるからだ。だてに長年夜の散歩をしてはいない。家の近所はどの道も飽きるほど歩いた。

気になるのは時間だ。目的の場所まで少し歩かなければならない。花火が終わってしまわないだろうか。私は早足で歩いた。普段ろくに動かしていない股関節は痛んで思うように動かなかったが、それなのに気分が良かった。自分が本当に見たい物のために体に無理をさせて急ぐのは気持ちいい。健康のために仕方なく嫌々やる運動でなく、こういう事のために体は動かすべきだと思える。

やがて私は目的地に着いた。そこは崖の上で、ビルとの間は低地だから障害物がない。ビルはさっきより遠いが、その代わりによく見える。私はビデオカメラを構えた。花火がどんなタイミングで始まるかわからない。ビデオは撮りっぱなしだ。

やがてビルの右端から小さな光が見えた。花火はビルの向こう側だった。ビルの陰から右半分だけ見えたり、地平線に並ぶ家の棟から上半分だけ見えたりと、思ったよりも条件は悪い。それでも私はしばらく撮影して満足し帰途についた。

私は転居に際してビデオカメラを処分するか、それとも転居先へ持って行くか、迷っていた。初めは処分しようと思った。しかし、もしも授業がまた遠隔になったら、Zoomが苦手な私はビデオカメラで自分を撮影し動画を作ってオンデマンドで対応しなければならない。万一そうなった時のためにビデオカメラを捨てずに持っていなければならない。いや、ビデオカメラで撮影した素材をオンデマンド動画に編集するのは大変な作業だ。そういうことをするから私は自分の健康を害する。苦手でも今度はZoomを使わねばならない。それならばビデオカメラは不要だ。こうして考えは二転三転し、最後に不要論に行き着いていた。しかし今回、ビデオカメラで花火を撮影しようという気持ちが私を外で歩かせた。インドア派の私は滅多に自分から外へ出ようとしない。しかしメカ好きでもある私はメカを持っていれば外ででも何かしようとする。萎えた足腰をリハビリするには外を歩かなければならない。こんなことにでも使えるならば、ビデオカメラをまだ持ち続けても良いかと思った。


Czur Aura Pro引っ越し用梱包、しばしの別れ [手記さまざま4]

自室のスキャンできる物をすべてCzur Aura Proでスキャンし終えたので、Czur Aura Proを箱に仕舞い、そのまま引っ越し時に搬送できるようにした。機器を箱に入れた隙間は、これまでの自室整理で山ほど出てきた仕事関係のコピー束の一部を丸めて突っ込んで埋めたが、箱内にあった発泡スチロールはもうないので、空間はかなりあった。そこで、整理済みの本棚に「転居時に持って行く」として置いてあったテーブルタップx2、HDMIケーブル5m、眼鏡ケースの予備をその空間に詰めた。閉じた箱を立てて、その上部には埃よけ+中身の説明を書くために紙をかぶせなければならなかった。でも、その状態では運送業者が運ぶ時に紙がはがれて厄介だと気づき、上からビニル紐をH字にかけた。
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さあ、これでCzur Aura Proは引っ越し準備完了だ。

いっぽう、長年使ってきたフラットベッドスキャナは、先日の不燃ごみ回収で行ってしまった。私はもう大事な物を全部処分してしまって、フラットベッドスキャナで厳密にスキャンする物が残っていない。それに、あまりにも長年使ううちに、(動作的には全く問題ないけれども)内部を掃除してもどこかからすぐにごみが出てきてスキャン画像に映るようになっていた。そろそろ、お別れの時だったのだ。今まで本当に長い年月、お世話になった。ありがとう。


Czur Aura Pro 1枚1円達成 [手記さまざま4]

きょう、自宅にあるスキャンできるものをスキャンし尽くした。スキャンごとにデータを打ち込んできたエクセルに計算させたところ、今までにスキャンした有効な画像数は45,117枚、私はCzur Aura Proを43,560円で買ったので、1枚1円未満でスキャンしたことになる。これならば、この機械を買って損をしなかったと言えるだろう。
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仕事がないか、あっても昔のような流儀ならば、これでCzur Aura Proとはお別れとなるはずだった。ところが仕事が昔と変わり、Czur Aura Proは必要になった。出版社はバブル期のような余裕がないから、私は前期授業前に教科書見本+採用時献本で2冊も手に入れることができなくなった。だから、私はただ1冊の教科書に、授業開始前に書き込みをし、授業の進行手順や教科書の記述の不適切箇所訂正などをしなければならない。ところが学生の一部は初回授業までに教科書を買わない/あるいは買えない。私は初回授業分の教科書ページをコピーして、教科書をまだ買っていない学生に配らねばならない。ここに矛盾が生じる。まだ教科書を手に入れていない学生のためにコピーしようとする教科書は、すでに授業用書き込みだらけだ。書き込む前にコピーしておきたくても、初回授業日までは大学へ行けないからコピーしておけない。自腹を切ってコンビニでコピーするのはリストラを体験した私にはありえないことだ。そんな金持ちみたいな真似はできない。しかも私は足腰が悪く、コンビニまで歩くだけで辛い。そこでCzur Aura Proだ。教科書が決まったら、最初のほうのページだけこのスキャナでスキャンしておく。それを必要に応じて、初回授業時にUSBメモリーに入れて大学へ持って行き、大学のパソコン+プリンター+コピー機で(予想される)教科書未取得学生の人数分プリントを作る。そういう事情で、このスキャナは転居による処分を免れ、今後も仕事に使う。


音楽購入をきっかけに色々思う [手記さまざま4]

今日は、私には珍しいことをした。ネットで音楽を購入してダウンロードした。狩人の青春物語と、4人の歌手のカヴァーだ。これらは私のカセットテープの1巻に入っていて、調べたら全曲が1枚のレコードに収まっている。私の従妹が若い頃に狩人の大ファンだったので、きっと私が若い頃に彼女からレコードを借りたのだろう。本当の事情はもう忘れてしまったが、当時の私が狩人の曲をカヴァー曲を含めてこれだけ録音したのだから、きっとそうに違いない。
私は「うさぎ小屋」への転居を控えて自室のほとんどの物を処分した。大切なカセットテープも可燃ごみとなり果てた。こうして何もかも失った後で、わざわざお金を出してカセットの曲を購入するのは、私という人間にとってとても珍しいことだ。しかし、たまにはそんなこともしていいと思った。ちゃんとした音源を聴くと、音が良い。たまにはお金を使うべきだ。私は10年以上も前にリストラされた時から、心が歪んでしまったようだ。極端に出費を怖がる。それだけではない。外へも出なくなった。なぜなら定期券がないから。仕事をたくさん失って、週の限られた曜日にしか出勤しなくなったから、定期を買うと足が出る。だから回数券を買う。回数券は定期とは違う。定期ならば、ひとたび購入したからには使うだけ得をする気分だ。自然と外へ出て電車に乗りたがる。ところが回数券は、無駄に使えば損をする。だから仕事もないのに電車に乗ろうとはしない。そういう生活を10年以上続けて、私は歪みまくった。きっと、足腰が不健康なのも、外に出ないからだろう。そんな気がしてきた。横浜も鎌倉ももう行くことはない。青梅も。一年365日、職場と家のどちらかに居る。それでどうして体と心の健康が保てようか。源氏山から北鎌倉へは、もうこの足腰では歩けないだろうなあ。でも歩こうとするうちに健康になるかもしれない。
これから転居し、今までよりも多くの出費を毎月するようになったら、私は今よりも怯え、家に閉じこもるのだろうか。


コロナ第7波の中を、病院へ通わねばならぬ [手記さまざま4]

前回の記事から内容は続いている。つまり親の脊柱管狭窄症の話だ。朝一番で病院に電話をかけたら、病院受付のかわりにNTTが出たので驚いた。ただいまこの番号は大変混み合っております、おかけ直しください、だそうだ。再度電話をかけたら話し中。それならばと親がスマホでかけたら、つながらなかった。私はこの時点で逃げたかった。なぜなら、後期授業のまっただ中に引っ越ししそうなので、今この夏休みの間に教材を作っておかないと授業が破綻する。だから毎日頑張っているのに、これから病院へ付き添いで行ったら今日一日教材作りができない。今日一日で済めば私はこんなに嫌がらない。でも今日一日なんてことはない。おそらく一週間後にMRIでまた病院へ行く。その一週間後に結果を聞きに行く。当然私も付き添いで病院へ行くのだ。そして、手術するとなったら連日仕事ができないだろう。一体私の仕事はどうなってしまうのか。以上が本音だ。もちろんその本音を親に言えるわけがなく、困りながらまた電話をかけたら、電話が繋がってしまった。これから病院へ行く。

親は呑気で、早く済ませた方が良いので良かったと言う。早く済ませる?私の考えでは、始まったら最後、ずっと忙しい。上に書いたように。早く始まれば、早く忙しくなりそれがずっと続く。だから始まる前に教材を急いで作りたかったのに、今日もう始まってしまった。

親はさらに呑気で、送迎バスの時間まで一時間あるから私は仕事をしていれば良いと言う。これから整形外科の先生に会うことで頭の中は一杯なのに、仕事なんか出来るわけがないだろう。学生に見せる物をうわの空で間違って書いたら、授業を失敗してしまうじゃないか。

そういうわけで、この時間を使ってブログに記録を書いておく。本来このブログは趣味のことを書くはずが、転居だの病院だのと妙な方向へ変わってしまった。でも、そういうものが襲ってきたのだから、今は仕方がない。


これから忙しくなる予感 [手記さまざま4]

昨日は電気工具の話を書いたが、その後で悲しいことに気づいた。たとえ工具があっても私はもう電気いじりができないという現実に気づいた。トランジスタやコンデンサに書いてある小さな文字が、老眼で見えない。あれを見るのにいちいち虫眼鏡を取るようでは、電気いじりをしていられない。

私は若い頃、自分は近視だが年を取ったら老眼になってピントが遠くに結ばれ、ちょうど良くなると思っていた。しかし違う。近くの物は確実に見えない。小さな字を見るためには、まず目から遠ざけなければならない。しかし字がそもそも小さいから、遠ざけるとよけいに小さくなり、見えない。結局小さな字は見えない。

次の話題。このブログに何度か書いたが、私の親は医者から脊柱管狭窄症と言われている。医者は私の親が年をとりすぎているので自分は手術ができないと言った。他の医者に行くと、前の医者に紹介状を書いてやるから前の医者に診てもらうのが筋だと言って自分では診ない。そもそも前の医者がやってくれないのだと言っても頑なに拒む。こうして比較的近くにある全部で3つの整形外科で拒まれ、遠くへは行けず、行く所がなくなって何か月も過ぎた。親はその後も人から話を聞き、情報収集はしていた。きょう、ある病院に電話をして整形外科をお願いしたら、予約が取れるのは1か月も先だという。ただ、飛び入りで来る外来患者のための枠が少しだけあるらしく、目当ての先生がいる直近の日に朝一番で電話をして予約が取れるかどうか試すという方法を電話口で担当のオペレーターが教えてくれた。親切な人だ。いずれにせよ、親の診察がまた始まる。手術があるかどうかは診察の後でないとわからないが、もしあれば多くの時間を取られる。これから転居だという時にどうなるのかは、もうまったく謎だ。ついでに書くと、私の仕事は教師なので、授業前には教科書と学生を橋渡しするための教材を作らねばならない。そんな暇があるだろうか。ないのではないか。だから私は今、大学が夏休みの間に、先行して教材を作らねばならない。でも親の付き添いで病院へ行ったり、もしも手術ならばそれどころかたびたび病院へ行かねばならない。それだけで済めばよいが、すぐに退院してくれと言われて次に入院する所を探してくれと言われたら、果たして出来るんだかどうだか、授業はどうなるのか、転居はどうなるのか、何もかもが謎だ。

これが運命なんだろうが、これから忙しくなる予感がする。


子供の頃に使っていたテスター [手記さまざま4]

転居に向けて、今まで大切に保管してきた色々な物を捨てている。今日は、半田ごて、シャーシリーマー、やすり、リード線、そしてテスター。大人になって仕事ばかりするようになり、電気いじりをしなくなったのは、私自身が悪いのだ。その気があれば、何か出来たはずだ。

私が今やっているのはオーバーヘッドスキャナによる追加保存で、基本的に立体的な物は扱わない。立体的な物は何か月も前にカメラで撮影した。ここに出すのは今日の作業の足跡だから、立体的でない物。テスターの取扱説明書だ。これと同様のテスターを昔使っていた人もいるだろう。その人は、テスターをどうしただろう。

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転居の話を再開した。その結論。 [手記さまざま4]

きょう話したことなんだけど、あなたは最初言ったことがどんどんどん変わってゆく。「今まではこうだったんだけど」というのがなくて、それが当たり前みたいに話すんだよね。だから私はあなたを警戒して、これからはあなたを信じない。

前期授業は何とか終えたが、異常な疲れ [手記さまざま4]

今年の疲労は異常だ。私がという意味だけでなく、学生も疲れているようだ。

まず私は、ギリギリの健康状態で前期授業を終えた。これよりも体調が悪かったら、どうなっていたかわからない。自分がギリギリの状態なので、学生の気持ちを考えて成績を甘くしてやる余裕は全くなかった。成績を何とか出すので精一杯だった。

学生はというと、前期最終日まで休みが多いままだった。出席する学生も大半は元気がなかった。

こうして前期授業は終えたが、私は今も心身ともに辛い。いつ元気になれるのかわからない。今年は厳しい。


植木鉢の土に大きな穴 [手記さまざま4]

個人的な事件が起きた。朝起きて見たら、サボテンの10号鉢に入れた土に大きな穴があいていた。このサボテンは(私の年齢マイナス数年)ほど生きているが、こんなことは数十年来初めてだ。気づいたのは、鉢の向こう側に土が少し落ちていたからだ。私は昨日、ベランダの掃除をしてごみを掃いた。だから今朝土が落ちているのは不自然だった。そして鉢土の穴を見つけた。

指数本が入る穴だが、人間が掘った可能性は低いと考え、私は動物を疑った。考えられるのは、まず猫だ。カラスもいたずらをする動物だが、ベランダの隅で軒下という場所に来るのはカラスらしくない。私は土を触ってその臭いをかいだ。猫ならオシッコをしているかもしれない。猫のオシッコの臭いはなかった。

猫が前足で掘ったのなら、掘った土は手前側に盛り土になる。ところがこの穴は、向こう側に盛り土が出来ていた。盛り土の向こう側は子サボが出ていて、そちら側から猫は前足を突っ込めない。掘った穴の向こう側に盛り土だ。その点では、何かの動物が潜った可能性がある。指を突っ込んでみた感じでは動物は見つからなかった。

普通ならばサボを鉢から抜いて確かめるべきだが、第一に私はこれから仕事に行く。第二に転居を控えていて、いまサボを弱らせたくない。

とにかく仕事前に記録だけでもしておきたかった。

脊柱管狭窄症を体操で治す本(2) [手記さまざま4]

このテーマの最初の記事は、今年の3月26日だ。

https://blueclouds.blog.ss-blog.jp/2022-03-26

私の親がある本を買い、その本のレビューに、半年かかって完治したと書いてあった。まだレビューは1つしかなく、複数のレビューがあればなお良いだろうと私は考えた。それを思い立った時の記事が、3月26日の記事だ。

今は7月25日で、まだ半年経っていないが、途中経過を記したい。

私の親は毎日体操をしており、残念ながら改善しない。正確には、動きの良い日と動くのが辛い日を不規則に繰り返し、全体として見ると良くなったとは思えない。ここ数日は痛みがひどくて落ち込んでいる。

この記録は、途中経過に過ぎない。半年経つ頃には私の転居先候補のひとつがリフォームを終え、私の周囲は慌ただしくなり、私の精神状態もどうなるかわからない。だから、冷静に記事を書ける今のうちに経過を記録しておこうと思った。


自宅整理は順調/さらば二千円札 [手記さまざま4]

ごみ出しの帰りに、郵便受けの中に不要品回収のチラシを見つけた。8月には来て欲しいと思っていたが、予想よりも早かった。いつもの業者のチラシでないので、予想よりも早く来たのはそのせいだろう。

今日は早めに家を出て、コンビニで不燃ごみ袋と粗大ごみ用シールを買おうとした。コンビニに可燃ごみ袋は沢山並んでいたが、不燃ごみ袋は見つからなかった。コンビニはスーパーと違って売れ筋の物しか置かないから、無いかもしれないとは思っていた。念のためにカウンターで聞いたが、やはり置いていないと言う。不燃ごみ袋はスーパーで買うことにし、粗大ごみ用のシールだけを買った。財布の中には千円札でなく二千円札が入っていた。二千円札が出回った当時、ピン札を2枚手に入れて、祖母の代から受け継いできた紙幣コレクション用に大事に取っておいたものだ。転居に際して自室の物を何でも処分し、祖母の代から受け継いできたコレクションもお金として消費することとなった。人生は無情だ。とはいえ、最後に、大学生のバイトらしい年格好の店員さんが「生まれて初めて見ました」と喜んでくれたので、それで良いことにしよう。

今日は不燃ごみ袋と粗大ごみ用シールを購入した上に、不要品回収のチラシが来て、すべての処分の目処が立った。順調だ。


通風の予感 [手記さまざま4]

パソコンの前に数時間座って、足がむくんだ。これ自体は通風発作ではない。しかし、以前に通風発作を起こした時も、椅子に座ると足がむくんだ。通風を治療すると、むくまなくなった。一過性のむくみではない。むくんでから二、三日になる。すべてが通風の時と同じだ。だから、私は今のままの生活習慣を続けると遠からず通風発作を起こす。そんな気がする。


ウチの古物商騒動の続き(これで終わってくれれば良いが) [手記さまざま4]

今日は古物商が来るというのに、親は私が外から家へ入れた大皿やワイングラスをビニル袋から出そうとしない。私は心配になり、物品を並べておかなくて良いのかと聞いた。すると親は、もうどうでもよくなったと言った。私は気を悪くして、そんなどうでもよい事で私を振り回さないでほしいと言った。今日は午前中に親のコロナワクチン接種で、午後は生協も来るし古物商も来るから大変な一日だと私が言うと、親は、古物商は来ないと言った。私は、驚くほかなかった。古物商から電話があって、来なくなったのだそうだ。そこまでは良かった。その後の親の一言が、私を激怒させた。親は、健康器具と大皿は玄関に置いといてよねと言った。その意味を悟った私は、冗談じゃない!と叫んだ。なしくずしに古物商騒動が続き私の仕事を圧迫するのは絶対に許さない。親がコロナワクチン接種に行っている間、本当ならば明日の仕事の準備をしなければならない時間を使って、私は健康器具と大皿とワイングラスを外へ出した。今度こそ終わりにするために。

午後、玄関に革の財布2つとファンが置いてあるのを見つけた。親に聞くと、明日の朝一番でまたまた別の古物商が家に来るのだそうだ。アル中とギャンブル狂と古物商狂いには、かかわらないことだ。人生を駄目にされる。


ウチの古物商騒動の続き [手記さまざま4]

せっかく不要な物品を出し切ってまとめたというのに、親が朝食時に、古物商が持って行かなかったから棚の上に置いたままで転居すると言いだした。私は激怒した。なぜなら、天袋から降ろしたものは二度と上げない、古物商が持って行かなかった物は処分すると、あらかじめ親との間に合意が出来ていたからだ。私は長い人生の間に、女の言動はその時に嘘偽りのない真実だったとしても、後からコロッと変わる「刹那」の意思表示だと学んだ。私のその認識によると、親に何を言っても無駄で、先手必勝で行動に移さないとひどい結果になる。私は、親がデイサービスに行っている間に全部捨てておくしかないと悟った。

それが引き金となり、私は疲れている体で無理を承知で、家に山積みされた物品を4時間かけて整理した。スーツケースの中に入れ子式にバックパックを入れ、その中にミニバッグを入れて粗大ごみとして出す。いちばん金のかかる「粗大ごみ」はこれだけだ。その他は、鉄製品は不用品回収、陶器とガラスは不燃ごみ、可燃物は可燃ごみ、と分けた。市指定の不燃ごみ袋は足りなかったので、通勤途中にコンビニに寄り買い足す。10リットル袋で大丈夫なように、20リットル袋でないと入らない大物は先に20リットル袋に詰めた。抜かりはない。

こうして午前中が終わり、親がデイサービスから帰ってきた。親は、家を占拠していた物品の山を私が綺麗さっぱり消し去ったことに驚いていた。こうして最初のうちは何事もなく過ぎた。そのうちに電話がかかり、親が受けた。電話口での親の言葉を聞いた感じでは、この前とは別の古物商が電話をかけてきたようだった。前回の古物商が電話では何でも持って行くと言っておきながら実際に来たら貴金属はないかとばかり言う食わせ物だったのに、それでも親は性懲りもなくまた売ろうとしているようだった。私は嫌な予感がした。そのうちに、私が家から綺麗さっぱり消し去った物品を親は電話口で売ろうと喋り始めたので、私は慌てて「それは捨てた」と口を挟んだ。部屋から無くなっているのを見て、わからんのだろうか。親は、残っている食器類だけでも売ろうと電話で喋り続けた。親が昔使っていた健康器具は、親自身が転居先へ持って行かずに置いて行くと言ったので家の外へ出した。それは私は悪くない。ただ、食器棚の下に置いてあった大皿を処分品の一部だと思って家の外へ出したのを、親は嘆いていた。それは私は悪かったと思った。暫く考えてから外へ行き、大皿と、ついでに健康器具とワイングラスを家の中へ持ち帰った。これで親は古物商との取引を満足してくれるだろうと思いつつ、私はスーツケースの中にバックパックを入れたことを話した。すると親はこともあろうに、自分が売ろうとしていた物品だけでなく、それ以外まで売ろうとしはじめた。スーツケースは傷だらけで売れないから中のバックパックを取り出して売ろうと言いだした。スーツケースの内側とバックパックはほぼ同じサイズで、しかもバックパックの中には不自然に重くならない範囲で不燃ごみ袋に入らない物を詰めた。ぎりぎりのスペースに何をどのようにしたら詰められるかに、私がどれだけ苦労したことか。それを後からの一声で台無しにしようというのか。やっぱりうちの親はとんでもない奴だと感じた。これは阻止した。

ここ数日の古物商騒動はどうにも運が悪く感じる。私が一度せっかく外へ出した健康器具と大皿とワイングラスを自分の意に反してまた家へ入れたことが、何か良くないことにならなければ良いがと私は感じ始めた。何もかもこれで終わりにしなければならない。私は前期授業最後の仕事疲れの中で家じゅうの天袋からあらゆる物を出す羽目になり、本当は仕事に使いたい時間を古物商騒動に沢山使ってきた。これ以上は許さない。古物商騒動はこれで終わらせ、絶対に長引かせないと心に決めた。


近況 [手記さまざま4]

私はZeus WiFiを使い始めてから、時間のかかる大きなネットアクセスはZeus WiFiで、すぐに始めたくてすぐに終わる小さなアクセスはスマホのテザリングで行っている。その結果、テザリングの回数が増え、パソコンのネットワーク番号がどんどん上がり、先日ついに1000を超えた。
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シャープの歩数計「からだメイト」の表示には、今のところ変化がない。外国の都市まで行くほどの歩数を歩いたという記録が出ると、それがやる気につながるのだが。

この後、古物商事件の続きを書こうとしたが、書くことが多すぎて長文となり、なかなか終わらない。古物商事件の続きは別記事として改めて出したい。


学生は休み、私は疲労がひどい [手記さまざま4]

学生も教師も、明らかに例年よりも疲れが溜まっている。私の昨日の授業では、ついに履修者の半分近くが休んだ。私は、いつもならば翌朝未明に目が覚めて前日の仕事の整理をするのに、疲れて体が動かなかった。前期授業は残すところあと1回。何とか乗り切らねばならない。

私は個人的な事情から、前回の記事に書いた「山積みされた物品」をどこかへ片付けなければならない。でもそれは、疲れ切った今は無理だと感じている。


売れないのを承知で色んな物を古物商に見せることにした(3日目) [手記さまざま4]

とんでもない結末になった。電話では、業者は何でも屋のような口ぶりだった。何でも引き取り、引き取れないものもあるけどごめんなさいという話だった。ところが、いざうちに来ると、引き取るのは貴金属・指輪だけ。1日目の記事に書いたが、うちには貴金属はとうにない。早々にお引き取りいただいた。

うちの親は、大量に出した物品のうち三分の一くらい引き取ってもらえると思っていたが、結果は何一つ物品が減らなかった。親はカンカンだ。

私の目から見て何が一番大変かというと、家中から出した物品の山が生活空間を圧迫していることだ。大きな物からどんどん粗大ごみとして出して行かないと、生活に支障がある。

いや、冷静に考えると、まず金属は不要品回収に出す。次に、紙製の外箱等は紐で縛って資源ごみとして出す。ここまで無料。陶器・ガラス・プラスチックは不燃ごみ。これは市の不燃ごみ袋を買わねばならぬ。残った大きな物は仕方ないので粗大ごみ。これも金を出してシールを買う。

とにかく、転居を控えているというのに、また天袋へ戻すのは御免だ。

ひとつだけ良いことがあった。転居に伴う家の整理がすごく進んだ。


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