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第四の生き甲斐を探します287 U-NEXT + Zeus WiFi (3) [手記さまざま6]

U-NEXTで懐かしい番組を悔いなく見ておく計画。今回の視聴はドラゴノーツ ザ・レゾナンス。今となっては、人々からほぼ忘れられた作品だ。私は本放送時には数話しか見なかったが、ある時GYAO!で配信があった。せっかくだから全話見てみようとした。でも、手持ちのギガが足りなかった。それで仕方なく最初の方と最後の方を視聴し、真ん中を端折った。今回U-NEXTを使うと決めた時、未視聴の話を見てみようと思った。

今まで視聴したケロロ軍曹(最後の方の話を除く)もマジカノも映像のアスペクト比は4:3だった。今回のドラゴノーツ ザ・レゾナンスは16:9だ。横に長い分だけ配信時の情報量が多いはず。私はそう考えて、使用ギガ量は今までよりも多いと予測した。ところが、そうではなかった。はっきり測定したわけではないが、マジカノと同じく1話三百メガバイトに達しないと感じる。そうなると、ケロロ軍曹がなんで1話三百三十メガバイト必要だったのかが不思議だが、事実を認めねばなるまい。


第四の生き甲斐を探します286 U-NEXT + Zeus WiFi (2) [手記さまざま6]

U-NEXTの視聴は実に快適だ。問題は限られたギガで視聴しようとする私のほうにあり、ギガを温存するために毎日ネット検索なしの生活を送るのは大変だ。現代社会がどれほどインターネットに依存しているかがよくわかる。

前回の記事ではケロロ軍曹の3話に1ギガ使うと書いた。1話三百三十メガバイトより少し少ない位だ。ケロロ軍曹でそれ位だから、私はこれが高画質設定の最低量かと思っていた。でも、そうではないらしい。はっきり測定したわけではないが、1話三百メガバイトに達しない30分アニメもあると感じる。動画がそれだけ圧縮可能だということで、それはつまり動きが少ないということだろう。

私がそう感じた作品はマジカノというもので、これはケロロ軍曹ほど有名ではない。ヒロインはツンデレ、他の少女達もことごとく主人公に好意を寄せるハーレム状態で、本来は私の好みとは別なのだが、呪いの猫パンツという発想がすごく笑えたので昔その回だけVHSビデオテープに録画した。今回はその話を中心に後半を視聴した。今さらネタバレを気にする必要もない古い作品だから書くが、最後は主人公が魔王として覚醒するのを防ぐために時間を逆行しては出会いを繰り返すループ状態で、完全なハッピーエンドとは呼べない終わり方だ。その時間逆行を最終話のエンディング映像で再現していて、全話を第一話へ向かって高速巻き戻しで見せる。その中に皆でそうめんを食べるシーンがあり、時間逆行すると口からそうめんを出し続けるという、気持ち悪いが笑えるシーンになる。


第四の生き甲斐を探します285 U-NEXT + Zeus WiFi (1) [手記さまざま6]

U-NEXTを見始めた。私が今回U-NEXTを見る目的は、今までの生き甲斐である「第三の生き甲斐」を悔いなく終わらせるために懐かしい番組を見ておくことだ。それと、急に仕事を失って虚無感や喪失感があるかもしれないので、この時期に気持ちを別の方面へ向けるという意図もある。

最初の視聴はケロロ軍曹だ。「どうして今さらそれを見る?」と思う人はいるだろうが、でも、一時期ずいぶん流行ったので誰でも知っているアニメだろう。

どうして今さらこれを見るかというと、私のVHSビデオテープに再放送の録画が入っていたからだ。録画はほんの数話で、断片のこともある。たぶん当時の私は録画以外の(その話近辺の)話も見ただろう。改めて見たら思い出して懐かしいかもしれない。もともと、昔懐かしいものを再調査し愛好するのが私の「第三の生き甲斐」だ。

このアニメは古く、話のノリが今どきのアニメと違うので、見始めた時は違和感があった。でも昔見た番組だから、見ているうちに私が昔の精神状態になってくる。その後は昔のように楽しめた。

さて、誰でも簡単に気づくが、ケロロ軍曹の話数はあまりに多い。そして私には限られたギガしかない。一体何話見られるんだろうというのが当然の心配だ。1話に何メガバイト使うかがわかれば、手持ちのギガを割り算して何話分かがわかる。もちろん実際には他の番組用のギガを計算から外しておく必要がある。

この計算をする前に、U-NEXTの画質設定を決めねばならない。
U-NEXTをパソコンで視聴する時は、低画質と高画質のどちらかを選べる。ケロロ軍曹程度(素早く細かい動きが広範囲にない、つまり少ないデータで済む。昔の作品だから解像度も低いだろう)ならZeus WiFiの最低料金コース(低速)でも高画質で大丈夫だろうと考え、私は最初から高画質でテストした。結果は、大きな問題は生じない。

大抵は普通に再生できる。もちろんZeus WiFiはその仕様上、回線が繋がりにくい時がある。そういう時は視聴をやめ、数時間以上間をあけてから再び試す。

今どきのアニメ、たとえば呪術廻戦(素早い動きが広範囲にある、つまり大量のデータを必要とする。そもそも解像度が昔のアニメよりもずっと高いかもしれない)などは、高画質設定では無理だと私は試す前から確信している。

話がちょっと逸れた。ケロロ軍曹を高画質設定で見ると、消費ギガは3話で1ギガくらいだ。上に書いたが、番組によって1話のデータ量は違うはずだから、他の番組についてはこれから調べる。


(日記)無収入になったので、あと何年生きられるかの計算を始めた [手記さまざま6]

今日の話は事務連絡のようにてきぱきとではなく、エッセイのようにゆっくりと進めたい。

私は退職前には通勤途中の駅で通帳記入をして口座の残高を確認したが、退職してそれができなくなった。転居先のマンションは陸の孤島で、通帳記入のできる場所がない。2ヶ月に1回バスで町へ行き、散髪と買物のついでに通帳記入する。先日やっと通帳記入し、最後の家計簿を完成させた。なぜ最後か。家計簿とは、収入と支出のバランスを見るためのものだ。退職したら収入がなく、支出ばかりだ。これでは家計簿にならない。

そういうわけで最後の家計簿なのだが、転居して1年半くらい経ったので、年間いくら支出があるかをようやく調べることができる。家計簿にある過去1年間の支出から、(退職して不要になった)出勤に必要な出費と職場での出費を削除し、土地売買のための臨時出費を削除し、生活に必要な支出だけにする。それで今後1年間に必要な支出の見通しが立つはずだったが、実際には昨年の始めにはまだ新居の固定資産税がなかった。新居の税はすごく高いので、その分を修正しなければならない。言うまでもなく今後の物価高騰も視野に入れる。

こうして年間の支出を概算する目的は、もちろん今後何年生きられるかを概算することだ。今までは収入があったので、そんな概算は必要なかった。でも金が出て行く一方になった今では必要だ。

正直、不安だらけでまったく楽しくない作業だ。これを考えると夜眠れなくなりそうだ。どうしたものか。親は、今が生活の転換期だから当分の間の不安は仕方がないと言う。確かに、そうに違いない。

蛇足ながら、最初に書いた通帳記入の件でも悩みがある。転居先のマンションが陸の孤島なので、通帳記入だけでなく新通帳への繰越もできない。しかも新通帳繰越は、2ヶ月に1回バスで行く町ですらできない。それができる支店へ行くにはバスと電車を乗り継いで交通費を出さねばならない。それをするくらいなら、通帳を銀行に返却してネットで収支残高を調べるべきか。でも、紙の通帳はとても見やすくて重宝してきた。

本当に、私の生活は転居を境に何もかも変わってしまった。


背広をどうしようか [手記さまざま6]

退職して、仕事関係のものはあらかた処分した。でもネクタイ、ワイシャツ、背広をどうするかは悩んでいる。もう二度と着ないかもしれない。ひょっとしたら着るかもしれない。一部だけ残すか。現在、着もしない背広がクローゼットを占領している。季節が変われば、着もしない服に防虫剤を入れなければならない。でも二度と買う気はないので、捨てた後で必要になったら困る。他の方は、どうしているのだろう。とにかく、性急に処分するのは避け、まずは暫く様子を見るしかない。


第四の生き甲斐を探します284 「第三の生き甲斐」を終わらせる計画は着々と進んでいる その2/2 [手記さまざま6]

転居時に最低限必要な物以外を処分した私にとって、旧居のあらゆる物が今はハードディスク内にだけ写真等の形で残っている。その中には書籍など実用的な物もあれば、懐かしい思い出としてのみ価値のある物もある。そしていずれにも当てはまるのは、ハードディスク内の複数の場所にデータが分散していることだ。

もちろん初めからそうしたかったのではない。長い年月の間にデータを増やすうちに、複数の場所に収まるに至った。それではデータ参照に不都合だから、離れた場所のパスを記述したりショートカットを作ったりして利便を図った。これが逆に災いし、後からデータの場所を移すとショートカットが意味をなさなくなるので移動禁止となった。「第三の生き甲斐」を悔いなく終わらせる計画のファイナルは、この問題を解決することだ。

私は、仮想フォルダーみたいなものを作って複数の場所にあるファイルをひとまとめに登録する方法をとった。仮想フォルダーの代用品として、Excelのハイパーリンク機能を使った。その理由は、Windows標準のアプリを使えば今後もアプリがOSに対応しているか心配する必要がなく、同じくハイパーリンクのあるWordではリンク先へ飛ぶのにマウスのクリックだけでなくキーボードのキーも押さねばならないから。だからExcelを使う。

作業には、ハードディスクじゅうを探し回って同類のファイルを見つける面倒がある。それを面倒と思わず、懐かしいデータと出会う喜びだと感じて意欲的に作業できる人にしか、この方法は勧められない。データ捜索の結果、今まで忘れていた場所にデータが埋もれているのに気付き喜ぶこともあれば、必ずあるはずだと探し回ったがついにデータが見つからず落胆することもある。そうやって自分の持っているデータを認識し直すのが、つまり私にとっては「第三の生き甲斐」を悔いなく終わらせることだ。


第四の生き甲斐を探します283 「第三の生き甲斐」を終わらせる計画は着々と進んでいる その1/2 [手記さまざま6]

私の親が先日私に言った。「人生でやりたいことは、探して見つかるものではない。生きていれば、そのうちに見つかる」と。私も、そうだろうとは思っている。生き甲斐候補を今までに複数考え、このブログに書いたが、候補のどれかに決めることが未だにできない。どの候補も、心の元気を湧かせてくれない。

とはいえ、私自身が「潰された心が治るのに短くて3月末まで、普通はそれ以上かかる」と考えたのだから、今年は「ゆっくりと変わってゆく年」という位置付けで良いかもしれない。

それならば、進展はあった。まず、「3月中は逃げ切り、4月から前向きに生きる」という計画は実行できた。私はついに、職場の嫌な奴、土地売買の嫌な奴から逃げ切った。これら嫌な奴が私の心を潰し、嫌な奴がいる限り私は苦しめられる。仕事を捨てる、人と縁を切る、という人が滅多にするべきでない人生の一大決心をあえて行い、やっと私の心は快方に向かった。そして4月になり、今まで保留にしてきた2つのことをやろうとしている。家の火災保険に特約を付ける。下水管を蛇腹管から塩ビ管に替える。これに土地譲渡税のマイホーム特例を専門家に相談するを加えて、引っ越しの後始末が全部終わる。

さらに、今までの生き甲斐である「第三の生き甲斐」を悔いなく終わらせる計画も着々と進み、明らかに最終局面に入っている。U-NEXTで昔懐かしいテレビ番組を視聴し終えるのも、映画「J」の訳を完成させるのも、着々と実行中だ。そして最後の最後となる計画がある。アニメ「進撃の巨人」的に表現するならば「The Final Season 完結編 後編」みたいなものだ。ファイナルのファイナルのファイナル。今回の記事はそれをメインに書きたかったのだが、すでに話が長くなった。今日はここまでとしたい。


換気かまちが壊れた [手記さまざま6]

今朝、バルコニーに面したサッシを開けたら、何かが落ちる音がした。足元の床を見ると、プラスチック製の部品が転がっていた。サッシの換気かまちの開閉つまみだった。元の場所に取り付けてみた。くっついたが、何か変だ。どうやら、本来開閉する時だけ押し込む仕組みの内部部品が、常時押し込まれた形になっているようだ。内部部品が押し込まれているから、それのつまみが固定されずに落ちたらしい。

修理はおそらく、サッシを取り外してネジを外し、換気かまち部の脱落した部品を取り替えるだけの簡単なものだろうが、業者に依頼すれば結構な料金を取られるだろう。こういう時、他の皆さんはどうしているのか。この程度の故障にいちいち出費していると大変なので、そのまま放置しているのだろうか。

壊れた換気かまちを動かしてわかったが、スリットを開けた状態で内部部品が落ち込み、閉めた状態では落ち込まない。つまり閉めた状態では、まともだ。これは不幸中の幸いで、常時閉めていることは可能だ。台風の時など、時としてスリットから湿気と風が強く入ることがあるので、閉められるということは重要だ。

中古マンションに越してきて1年半。売主の中国人業者は見た目ばかり綺麗で最安値のリフォームをしているから、近々何かの問題が起きるとは思っていたが、問題のひとつめが起きた。


痛風発作の不思議 [手記さまざま6]

2023年10月、痛風発作があった。その2ヶ月前の8月にも発作があったので、8月から私は飲酒を控えるよう気にしていた。それなのに10月にまた発作があった。非常に軽い発作だったが、腫れの場所と感じは痛風発作そのものだった。私は馬鹿馬鹿しくなった。飲酒を控えても発作が起きるのなら、飲んだほうがましだ。それで10月からはまた飲み始めた。飲むということは、また発作が起きるということだ。また2ヶ月後の12月だろう。仕事が年末休みに入るまで発作が起きないようにと願った。有難いことに発作は起きなかった。私は退職が決まっていた。職場が大学なので、1月一杯授業をすれば後は在宅の仕事だ。私は1月一杯痛風発作が起きないようにと願った。有難いことに発作は起きなかった。そして今、4月になった。痛風発作は起きない。酒を飲んでいるのに、なぜだ。酒を控えた10月はなぜ痛風発作が出た? これは、家を失い生き甲斐を失い職場で苦境に立たされたものすごいストレスのせいとしか思えない。

最後に痛風発作が出てから半年、酒を飲んでいるからにはさすがにそろそろ痛風発作が出るだろう。その前に、人生の記録としてこれを書いておく。


第四の生き甲斐を探します282 ギガ温存2ヶ月の不安 [手記さまざま6]

「第三の生き甲斐」として私がやってきた昔懐かしいテレビ番組の視聴を終わらせ、悔いなく「第四の生き甲斐」へ移行するために、私はU-NEXTの視聴を考えている。

私がU-NEXTを視聴するのは二度目だ。前回はもう何年前か忘れたほど昔で、当時のインターネット接続はADSLだった。通信速度は遅かったが通信量は無制限だった。だから私はU-NEXTを思う存分視聴した。ところが時代が変わり、今は安くて通信量無制限のサービスがない。私が契約しているのは20ギガ/月のZeus WiFiと3ギガ/月のNUROモバイルだ。親のスマホのギガも月末には残りを使えるが、それをあてにするわけには行かない。

これらのギガをU-NEXTのために温存すべく、U-NEXT以外のネット接続ほぼ無しの生活を2ヶ月間計画している。何をするにもオンラインのご時世で、果たしてうまく行くのか。ブログ記事は画像なしテキストのみとし、NUROモバイルの節約スイッチONでのUPを試みる。それが駄目なら、ギガ節約のために複数の記事を一度にUPし予約投稿で小出しにする。


お豆と雑穀の野菜スープ [手記さまざま6]

この手の記事はアクセス数が少ないので需要がないのはわかっているが、私自身の生活の大事な記録として残さねばならない。

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「お豆と雑穀の野菜スープ」は冬場に重宝している商品だ。カップに入れてお湯を注ぐタイプのスープだが、サラサラの液状でなく濃厚で飲みごたえがある。野菜系の食材をたっぷり使っていて、健康に良さそうだ。冬の寒い朝、これを飲んで体を暖める。欠点は、具材の粉末がお湯に溶けにくく完全には溶けない。残念ながら安くはない。

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「雪の宿」は以前の記事で紹介したが、個包装の印刷が何種類かあり、私が最初に手にしたのがこの印刷だった。「どっちを上にして食べる?」と書いてあるので、私は食べ方で味が変わることに気づいた。


第四の生き甲斐を探します281 映画「J」語学学習途中経過報告 2024年3月分 [手記さまざま6]

3月が終わる。私の4月5月は語学学習「J」でなく趣味「U-NEXT」に割かねばならないので、「J」の語学学習は6月まで休止となる。その前に、ここまでの学習成果を記録しておきたい。

過去に私のブログで公開した日本語訳に多数の間違いが見つかった。間違いを訂正したい。ところが、個々のブログ記事を探し出して訂正するのは大変な手間となる。しかも、訂正がこれで終わるとは思えない。今後も見直しをし、そのたびに間違いの発見・訂正があるだろう。それで過去のブログ記事を探し出して訂正することを諦め、失礼ながら現時点での改正稿を別個にアップロードさせてもらうことにした。

過去記事に書いたが、学習対象が映画の台詞なので、それの訳を完成させるには映像と合っているかが問題になる。それで今回の改正稿には映像を付ける必要があった。今まで訳を映像付きで出すことを恐れていた私が今回UPに踏み切ったのは、上記の理由の他に、2022年以来潰されていた私の心が少しは持ち直して元気になったからだが、何か問題が生じれば動画が削除されるのは言うまでもない。

学習成果の記録にはYouTubeの限定公開を利用する。YouTubeへのUPは初期状態で15分までだが、3月分の学習はそれを少し超えるので、動画を2つに分け、1/2、2/2としてUPする。

1/2
https://youtu.be/V2EweNO_LIQ

2/2
https://youtu.be/5bLe80_gFYo


第四の生き甲斐を探します280 映画「J」 私の闘いはこれからだ [手記さまざま6]

前回、srtを付けるためのアプリを探している話をした。Vrewの次に、私はSubtitleEditというアプリを試した。このアプリは今回インストールしたものではなく、昔インストールして忘れていた。確か、最初にこれを使おうとした時はOCRとして使い、うまく行かずに「こりゃ駄目だ」という結末になった。日本語でなくドイツ語だったが、それでも間違いだらけだった。

その後、ドイツ映画のsrtが見つかった時にタイムスタンプの変更に使い、これは成功した。私が持っている動画はドイツ人がテレビ放送をダビングしてくれたもので、ネット上にあるsrtとは開始時間が合わない。それに、私がワールドワイドVHSビデオデッキで日本の規格に直した時にフレームレートが変わってしまったかもしれず、映画全体の長さもsrtと合わないことが多い。それで、字幕全部を早めたり遅らせたりする機能と、srt全体の長さをパーセンテージで指定して伸縮する機能を使い、手持ちの録画に合わせた。

今回は、既存のsrtを動画に付けるのでなく、私が自分で作成したテキストを字幕としてsrtにする。果たして、その目的で使えるか。どうやら使えるようだ。アプリのコマンドが全部英語なので、私は相当長い間敬遠していた。でも頑張って英語と向き合い理解したところでは、機能は立派に付いている。しかも、動画を再生し音声を波形として表示させ視覚的に操作するので、字幕の開始点と終了点をとても精確に指定できる。

SubtitleEditには何の問題もなかったが、私自身のとんでもない間違いが次々と明らかになった。私は文字起こしにトランスクリプトを使った。つまり、映画の映像を見ずに音声だけを作業した。これがいけなかった。

セリフを喋る人が途中から変わったのに気づかず、同じ人のセリフとして訳していた。ヨーロッパ言語の場合、日本語ほど話者による文体の個性がないので、続けて訳せてしまうから恐ろしい。映画に字幕としてテキストを付けてみないと完成しないと私が書いたのは、つまりこういうことだ。

また、私はトランスクリプトの結果ならば全部を再チェックして訳の修正を済ませたが、その作業はそもそもトランスクリプトの結果が正しいという想定に基づいていた。そして、トランスクリプトの間違いが見つかった。

トランスクリプトがMaria Bergと聞き取った部分は、実際にはMorgen, Herr Merzだと思う。文字にすると全然別物だが、実際の声は「モアメアメア」という感じに聞こえる。それをトランスクリプトはMaria Bergだと思い、私はMorgen, Herr Merzだと思った。私がドイツ旅行について口にする時によく話す、相手の声を単語レベルに集中すると聞き取れないが、全体を聞くとなぜか意味が脳内に入ってくるという、あれだ。

その他にも、Tag!やMir!という短い発話がトランスクリプトで完全に無視されていて、私はトランスクリプト結果だけを見ていたのでそれに気づかなかった。

上記のような問題点に注意して進めなければならないので、字幕付けの作業には何ヵ月もかかるだろう。4月と5月にはU-NEXTの視聴が割り込むので作業を中断する。だから字幕付けの作業が終わるのは夏か、下手をすると秋になるかもしれない。私の闘いはこれからだ!


第四の生き甲斐を探します279 字幕を付ける方法 [手記さまざま6]

トランスクリプトが終わり、独VHS映画供養が終わった。これらは、元々あった作業に割り込んできたものだ。それが終わった今、私は元々あった作業に戻る。このブログで最近たびたび出てくる映画「J」だ。

映画「J」の台詞の日本語化は終わった。今はそれの再確認をしているが、その仕上げに必要なのは、映画の動画に付けてみて人物の動きと日本語訳との間に違和感がないかを調べる作業だ。なにしろ元が映画の台詞なので、それを完璧にするにはどうしても映画に付けてみる、つまり字幕にしてみる必要がある。

パソコン的な視点から見た場合、字幕には2種類ある。ハードサブとソフトサブ。ハードサブならば、私はSony Vegas Movie Studioを持っている。これで細かい所まで調整できる。ただしハードサブは一般的に人々から好まれない。動画の絵の一部となるので、一度付けてしまうと修正がきかない。それに、大画面に拡大すると動画がぼやけるのと同じほど字幕もぼやける。ソフトサブならば、日本語化を修正しても字幕データを修正するだけで対応でき、大画面に拡大して動画がぼやけても字幕はくっきり見えて読みやすい。だから私はまず、ソフトサブの可能性から探ることにした。

韓国のVrewというのがある。これは優秀なアプリだと聞く。私はまずこれの使用を検討した。ところが調べてみると、このアプリの優秀な所は自動で文字起こしと字幕挿入をこなす器用さにあるようだ。そのさい、ある紹介サイトでは、字幕の開始点と終了点の詳細設定を再調整するのは他アプリに頼る必要があると書いてあった。いっぽう私の目的は、すでに出来上がっている字幕用テキストを動画に付けることだ。つまりVrewが得意としている自動文字起こしは必要なく、Vrewが苦手としているらしい字幕の位置調整は必要だ。とても残念だが、この優秀で私がいちばん期待していたアプリは私の使用目的とは合わないようだ。

私は自分にふさわしい方法を模索する。きっと次の記事で何かをご報告してみせる。


第四の生き甲斐を探します278 独VHS映画供養 [手記さまざま6]

トランスクリプトを終える直前から、私は次の作業も並行して行っていた。それは昔ドイツ人からもらった映画を「供養」する作業だ。

昔、私にはVHSビデオテープを送ってくれる3人のドイツ人がいた。ドイツにいればテレビの電源を入れるだけで簡単に手に入る無尽蔵のドイツ語放送が、日本にいたらまったく手に入らない。それでドイツ人に頼んでテレビ番組を録画してもらった。

3人のうち一人は、残念ながら私との相性がよくなかった。私が何か送った後一ヶ月も音信不通になり、これは駄目だと思っていたら忘れた頃にメールが来て、忙しくて連絡できなかったと書いてあった。相手からは大量のVHSビデオテープが送られてきたが、他の2人が送ってくるものと違い、私が興味をもつ録画がほとんどなかった。つまり、お互いに何かがすれ違っていた。

彼女が送ってくれた大量のVHSビデオテープは早々と処分したが、処分する前に中身の録画を「長時間録画の低画質で」4枚のDVD-Rに保存しておいた。保存はしたが、見る気はしなかった。でも今、私は退職して語学学習をやめようとしている。最後のけじめに、これらの録画のために何かをしてやりたい。ネット上にsrtが見つかった録画はsrtを付けてから語学学習を終わりにしようと考えた。

彼女が送ってくれた録画は、以下のとおり(順不同)だ。昔の名作、DDR時代のカルト作品、送ってくれた当時の新作と、多岐にわたっている:

Die Legende von Paul und Paula (1973 DDR)
Nichts als die Wahrheit (1999)
Der Schuh des Manitu (2001)
Die Feuerzangenbowle (1944)
Ete und Ali (1985)
Das indische Tuch (1963)
Harte Jungs (2000)
Pappa ante portas (1991)
Schule (2000)
Knockin' on Heaven's Door (1997)
Sieben Sommersprossen (1978 DDR)
Comedian Harmonists (1997)
Die Abenteuer des Werner Holt (1964/1965)

Die Legende von Paul und Paulaは、公開当時熱狂的に受け入れられたらしいが、当時のDDR国民はそういう心情だったのだろうか。今の日本人、とくに若い人には異質に感じられるかもしれない。強い信念をもち、威力的な行動による獲得を肯定する世界。具体的には、逃げて引きこもってしまった女の住居の前で、男がシャイニングよろしく斧で玄関のドアを叩き壊して侵入する。その後、女は医者から今度出産したら母体がもたないと宣告されるが、女はみずから産む意思を示し、そして死ぬ。何か、その、度を越えて激しいものを私は感じる。とはいえ、こんな精神状態でいられたら死ぬのも怖くないだろうなあと、うらやましくもある。

Der Schuh des Manituは、当時別のドイツ人が贈ってくれたVHSビデオテープにトレーラーが入っていた気がする。コメディー作品だが、下品なネタが多い。ネット上に「マニトの靴」という直訳調の邦題があったので、私はてっきり日本ではその名前で知られていると思い込んだ。その名前で検索したが、日本でのDVD発売は見つからなかった。ところがひょんなことから、日本でのDVDタイトルが「荒野のマニト」だと知った。レンタルビデオ店にあった。DVDの日本語吹替が原語に忠実でなく日本人好みに変えてあるので、字幕のほうで鑑賞しようとしたら、字幕も原語に忠実でなく改変した所がある。吹替と字幕とドイツ語srtがどう違うか、その一例を出す:
(吹替)チーズフォンデュだよー
(字幕)デブとガリガリどっちが好き?
(srt)Wie kommen eigentlich die Loecher in den Kaese?(どうやったらチーズに穴があくんだ)
この映画にはドイツ人をターゲットに絞ったネタがある。ドイツ人にはウケて、外国人にはそれほどの効果がない。ドイツでプレゼントとしてお馴染みのハート型レープクーヘンは、多くの外国人にはピンとこないだろう。悪人がどつぼにはまった時の
Gott sei Dank! Nun ist's vorbei
mit der Uebeltaeterei!
はMax und Moritzという絵本からの引用だ。ドイツ人なら誰でも知っていて場面にぴったりのイメージだろうが、外国人は何も感じまい。ドイツの西部劇小説とその映画化作品が元ネタとして存在することに至っては、私にはお手上げだ。肝心の元ネタに馴染みがなくてはパロディーが楽しめない。酋長がGrabt das Kriegsbeil aus!(戦斧を掘り出せ!;ドイツ版動画のドイツ語字幕)と叫ぶのは、それが元ネタらしい。で、折り畳みイスしかないと聞いて、折り畳みイスを掘り出せ!というのがパロディーか。

Die Feuerzangenbowleは古い映画だ。私としては映画自体よりも、Feuerzangenbowleというものを知ることができたのが収穫だった。できればドイツで一度Feuerzangenbowleを体験したかったが、それは叶わなかった。

Harte Jungsは、青春おバカ男子のコメディーだ。私の歳(ジジイ)になると、見ているこっちが恥ずかしくなる。邦題はドイツ語原題ではなく英語名から付けられて「アンツ・イン・ザ・パンツ!」だ。

Pappa ante portasは、あのロリオの映画だ。ミスター・ビーンもそうだったが、コメディアンが主役の作品は長編映画よりも短編コントのほうが活き活きすると、私は思う。

Knockin' on Heaven's Doorは日本でも知られている。出来の良い映画だ。私は、人が死ぬとか死にそうとかの話が苦手で、残念ながら私個人の好みとは合わない。

Sieben Sommersprossenは真面目な青春映画だが、私はどうも、あるシーンで男の股間でブラブラしているソーセージが記憶に残ってしょうがない。日本では当たり前にモザイクだ。「ソーセージ映すのかよ!」というのが昔の印象だった。この映画はsrtを取得するつもりだったが、srtを探す途中で日本語字幕idx/subつきの動画を見つけた。日本語字幕があるとは思ってもみなかったので、私は驚いた。DDR時代の作品を後世に伝え外国人にも理解させるには良いことだと思う。

このようにしてsrtを付ける等の努力をすることで、まともに見てやらなかった映画たちに最後の供養をして終わろうというわけだ。


第四の生き甲斐を探します277 トランスクリプト作業終了 [手記さまざま6]

90分番組を60秒未満の細切れにしてトランスクリプトに聞かせる作業は、無事に終了した。結局、ファイル数は96個になった。

マイクロソフトが将来的にこの仕様を変更するかどうかは知らないが、とにかくこの記事を出している2024年3月現在は、60秒未満の音声をトランスクリプトにいくらでも聞かせることができる。

これで、トランスクリプト関係の報告を終了することになると思う。

私事だが、昨日からどうも処理に時間がかかると思っていた。そうしたら、テザリングに使っているスマホのギガが尽きて低速モードと化していた。でもこの程度のトラブルは何でもない。作業が終わってくれたのだから。3月末までスマホのノロノロ運転に耐えるだけでいい。画像が多いサイトは表示できないだろうが、それも3月末までの我慢だ。


第四の生き甲斐を探します276 トランスクリプト、残り20分で90分番組を聞かせられるか [手記さまざま6]

今までネイティブの声を切り出す作業にやたらと時間がかかったのは、土地売買のストレスによるものだったかもしれない。それが解消してからは、見違えるようにスピーディーに作業が進んだ。今まで滅多に聞こうとしなかった音声を別とすれば、ほとんど全てトランスクリプトに聞かせることができた。

あとひとつ、ちょっと興味のある音声がある。ドイツ人が昔送ってくれたテレビ番組で「びっくり村」というものだ。北ドイツのユニークな村々を紹介する番組だ。その村のひとつに私は行ったことがある。でもこの番組は90分番組で、トランスクリプトの残りは20分だ。そこで私が何を考えたか。

そう、音声を60秒未満の細切れにしてトランスクリプトに聞かせる。これをすれば、トランスクリプトの残り(分)は20分のままだ。ただし今回は元音声が90分もある。それを細切れにするとmp3ファイル数は100個近くになるだろう。理論上は可能でも、パソコンの前に長時間座って私の健康がもつかどうか。

私はとにかく最初のほうを少しだけ始めてみることにした。この番組は有難いことに時々発話の切れ目がある。そこで、54-59秒あたりに発話の切れ目がないか探し、そこまでの音声を切り出す。それに連番を付けて保存する。これを繰り返す。

今までのトランスクリプトで私は念のために、細切れにした音声の最初と最後に0.5秒ほどの空白を入れたが、今回は数が多いからそんなことをしていられない。空白なしで試してみたが、音声ファイル開始直後の音声も、終了間際の音声も、ちゃんと聞き取ってくれるようだ。

音声の分割にはある程度の手間がかかるが、結合のほうは手間要らずだと気づいた。オンラインWordの文書にトランスクリプト結果を次々と挿入してゆくだけで良い。

今回の報告は、ここまでだ。まだ番組の最初のほうしか試していないから。番組の最後までトランスクリプトが完了するか、あるいは何かの事情で頓挫した時点で、この件の最終的な報告をすると思う。


第四の生き甲斐を探します275 良い報告 [手記さまざま6]

前回までの記事が2月中に記録した分で、今回の記事から3月中に記録した分となる。


以前の記事で私は、3月始めに土地売買のごたごたがあってトランスクリプトの記事を出せないだろうと書いた。私の予想は悪いことに当たってしまい、ごたごたは何日も続いた。現実世界の日付では前回の記事(2月分)と今回(3月分)の間には一週間ものブランクがある。


ごたごたの間はネイティブの音声を聞いている状況でなく、作業は大幅に遅れた。しかし良い報告がひとつある。

以前の記事に書いた不思議な現象のうち、本来月始めにリセットされるはずの「使用済み音声量(分)」が2月半ばにリセットされた件。これについて私は3つの可能性を考えたが、その中に、最悪の場合はリセットから1ヶ月後の3月半ばに私のアカウントが切れるという予想があった。そして3月になり、めでたく月始めにまたリセットがあった。これで、1ヶ月後の3月末までアカウントが続く可能性が高くなった。


私は3月始めにリセットがある可能性も考えて、できるだけトランスクリプトを使っておいたので、それだけ余分にトランスクリプトが使えたことになる。有難い。


第四の生き甲斐を探します274 [手記さまざま6]

前回の続き。この記事までが2月中に記録した分となる。土地売買のごたごたでUPが遅れた。


60秒未満のmp3をトランスクリプトに聞かせても使用済み音声(分)は増えなかったが、60秒以上のmp3をトランスクリプトに聞かせた結果、少しずつ使用済み音声(分)が増えた。予想通りだ。

前の記事で私は「60秒未満はカウントしない」というユーザーに親切な設計と書いたが、それに似た「親切設計」は60秒以上の場合でもあるらしく、Windowsのエクスプローラに表示した「長さ」よりもトランスクリプトの使用済み音声(分)が増してゆく度合いのほうが緩やかに感じた(60秒未満がカウントから切り捨てられるからか)。

この親切設計に気づいて以来、私はネイティブの声を60秒未満に細切れにしてトランスクリプトに聞かせた。その甲斐あって、既存のmp3を全部聞かせた時点で使用済み音声(分)の表示はまだ120/300だ。ただし、トランスクリプトに聞かせるネイティブの声はまだ残っている。元ファイルで9個もある。最近作業している音声はネイティブがやたらと喋るし長いので、1日1ファイルしか作業できない。そして以前の記事に書いた可能性のうち最悪のケースでは私のマイクロソフト・アカウントが3月半ばで切れるので、結構ギリギリだ。

でも、これらのファイルからネイティブの声を丁寧に抜き出し、それを60秒未満に細切れにしてmp3化することができれば、使用済み音声(分)は増えない。増えなければ、あと180分も別の何かをトランスクリプトに聞かせることができる。90分映画ならば2つだ。

私が体験した不思議な現象のうち、「ある条件のmp3をトランスクリプトにいくら聞かせても使用済み音声(分)が増えなかった」は、上記のとおりマイクロソフトの親切な仕様と思われる。もしも聞かせる音声が多すぎて300分/1ヶ月の制限に困っている人は、試す価値がある。ただし、元音声を「発話の切れ目を見つけて」細切れに分割し(私は念のために最初の発話の前と最後の発話の後に短い空白を挿入した)、トランスクリプトに聞かせた結果を結合する作業は、かなり大変だ。


第四の生き甲斐を探します273 やることの順番を変えねばならない [手記さまざま6]

前回の記事の続き。ネイティブの声を抜き出す作業は中断した。先にしなければならないことがある。作成済みのmp3を早くトランスクリプトに聞かせなければ駄目だ。

その理由は2つあり、どちらも前回の記事に書いた3つの可能性に由来する。

可能性2.は以下の通りだった:
「もしも何かの事故で想定外のリセットがされたのなら、3月始めには本来のリセットがあるはずだ。」

この記事が出るのは3月だが、書いているのは2月末だ。あと数日で2月が終わる。その時点でカウントが0にリセットされる可能性がある。その前にトランスクリプトに作成済みmp3を聞かせてしまうべきだ。もしも3月始めにまたリセットされたら、改めて300分使えるのだから。これが理由の1つ目だ。

可能性3.は以下の通りだった:
「最悪のケースでは、2月半ばに一度リセットがあったので、1ヶ月後の3月半ばで私のアカウントが切れる。」

もしも3月半ばでトランスクリプトが使えなくなるのなら、私は急がねばならない。未作業のネイティブ音声をmp3化するのも急ぐ必要があるが、リスクを少しでも減らすことを考えるなら、すでに出来ているmp3をさっさとトランスクリプトに聞かせ終えてしまうのが良い。これが理由の2つ目だ。

この記事を書いている現在、数十個の「60秒未満mp3」をトランスクリプトに聞かせた。カウントは0のままだ。「60秒未満はカウントしない」という、ユーザーに親切な設計と考えて間違いない。トランスクリプトに聞かせるmp3(1分以上のmp3も含めて)はまだ90個くらいある。それを聞かせ終わるまでは、ネイティブの声を抜き出す作業は中断だ。


第四の生き甲斐を探します272 トランスクリプト、第二の不思議な現象 [手記さまざま6]

前回の記事の続き。使用済み音声(分)が297からいつの間にか0になっていたという話の続きだ。この表示は「今月の」使用が表示される。私の今までの経験では、毎月1日の早朝にはまだリセットされず、2日にはリセットされている。(私はこれを、アメリカとの時差のせいかと推測している。)ところが先日297から0になったのは2月25日かその少し前だった。月始めにリセットされるはずのカウントがどうしてそんな日に0になったのか。私には見当がつかない。

この「0になった」という現象は、何を意味するのか。可能性は3つある。

1. もしも「リセットが何日に行われるか」という問題ならば、今回のリセットが2月半ばに起きたので、次回のリセットは3月半ばにあるだろう。

2. もしも何かの事故で想定外のリセットがされたのなら、3月始めには本来のリセットがあるはずだ。

3. そして最悪のケースでは、2月半ばに一度リセットがあったので、1ヶ月後の3月半ばで私のアカウントが切れる。なぜそう考えるかというと、卒業生のアカウントは3月末ではなく学位授与式の日で切れるからだ。教員に学位授与はないが、システムエンジニアの仕事として卒業生と共に一度に行われる可能性がある。

私はどうすべきか。残りのmp3がとても多く、3月分の300分に収まるかどうか不安だ。1000KB未満のmp3は確実にカウントされないとわかったので、新たにネイティブの声を切り出すさいにmp3が1000KB未満になるように細切れにしてエンコードしている。しかし、ただでさえ大変な切り出し作業に細切れ化作業が加わる。もしももっと大きなmp3を聞かせてもカウントされなければ、大きなファイルをエンコードしたい。その時気づいたが、1000KB以上のファイルのうち33秒のを聞かせて何が起きたかといえば、使用済み音声(分)が増えたのでなく、0になった。これはもしや、33秒でも大丈夫ということではないか。私は34秒以上のmp3を聞かせてみるべきではないか。


第四の生き甲斐を探します271 トランスクリプト実験開始 [手記さまざま6]

前回の記事の続き。私は実験を開始した。

私はまず1000KB未満のmp3を全部トランスクリプトに聞かせた。これは使用済み音声のカウント(分)が増えなかった。

次にファイルサイズが1000KB以上のファイルをWindowsのエクスプローラで詳細表示にし、そこに「長さ」表示を加え、長さ順で並べ替えた。これを長さの短い順にトランスクリプトに聞かせて行った。

長さは32秒が6ファイルあり、これらはすべてトランスクリプトに聞かせることができた。次は33秒が5ファイルあった。私はここまで順調に行ったのでつい油断して、使用済み音声(分)のチェックを怠った。5ファイル全部をトランスクリプトに聞かせた後でふと見ると、使用済み音声(分)が0に変わっていた!

結局、どのmp3を聞かせた時点で使用済み音声(分)がカウントし始めたかが正確にはわからなかった。わかったのは、ファイルサイズ1000KB未満のmp3はいくら聞かせても使用済み音声(分)が増えないということ。1000KBを超えても32分のmp3(ファイルサイズは1,026KBまで)は全部聞かせられた(このへんまでは使用済み音声(分)が増えなかったと思う)ということ。その後、33分のmp3を聞かせるうちに使用済み音声(分)が0になったということ。

これを読んだあなたは、第二の不思議な現象に気づいただろう。私は愚かなことに、よく「使用済み音声(分)」でなく「残りの使える長さ(分)」が表示されていると勝手に思い込んでしまうので、この時点ではまだ表示の「0」が「使える残量0」だと勝手に思い込み、不思議な現象に気づかなかった。


第四の生き甲斐を探します270 トランスクリプト、第一の不思議な現象 [手記さまざま6]

今回から数回にわたり公開される記事は、2月の下旬に起きた現象を記録したものだ。今はもう3月だから、少し前のことだ。

2月中のトランスクリプトを297分使った私は、残りの3分を使いきっておこうと考えた。なにしろ3分しかないので、短い音声を聞かせなければいけない。長さをいちいち確認するのは大変だから、mp3のファイルサイズが1000KBに満たない音声ならば確実に短いと考え、それを探してはトランスクリプトに聞かせた。ひとつ聞かせ、ふたつ聞かせ、そろそろ表示が298/300分に変化するだろうと思っていたが、みっつ聞かせ、よっつ聞かせても297のままだった。私は有り難いと思い、1000KB未満のmp3をどんどん聞かせた。すると、いくら聞かせても298に変わらなかった。

1000KB未満のmp3はまだ沢山ある。私はまずそれらを全部聞かせようと思う。

ここまでが事実の報告だ。ここからは推論になる。

一体どういう条件の音声を聞かせたら、使用済み音声のカウント(単位は分)が増えないのか。トランスクリプトは1ヶ月に300分までという制限だから、使用済み音声のカウントが増えない条件はファイルサイズでなく、音声の長さだと私は推測する。でも私は色々な条件を安易に実験できない。もしも実験して失敗したら、2月のトランスクリプトは終了してしまうからだ。まずは、そーっと、1000KB未満のmp3を全部聞かせ尽くす。他の条件を試すのは、それからだ。


第四の生き甲斐を探します269 トランスクリプトに不思議な現象、今後の記事の予告 [手記さまざま6]

トランスクリプトに不思議な現象が起きた。そのせいで、結論という形でスッキリ書けないので、私の体験を順を追って記録する。

3月始めに土地売買の会合があり、数日はごたごたしそうだ。それが終わって落ち着いてからトランスクリプトの記事をまとめて出そうと思う。

第四の生き甲斐を探します268 トランスクリプト、2月の内には作業が終わらない [手記さまざま6]

今までに何度か書いたが、私のマイクロソフト・アカウントが期限切れになるので、トランスクリプトに聞かせられる音声の長さが限られる。私は膨大な量の音声からネイティブの声だけを抜き出す作業をしている。ところが、1日にこなせるmp3の量が減った。

2月の始めには、私は1日の作業量をmp3ファイル5つ以上と決めていた。実際にはファイル10個は普通にこなせ、15個をこなすことも多かった。

ところが2月の下旬になると、1日にファイル5つが限界になった。さらに、昨日はファイル3つが限界、今日は2つめのファイルがまだ終わっていない。

これは私が疲れたからでなく、ひとつのmp3ファイルに含まれるネイティブの発話量がやたらと増えたからだ。私は2月のうちに作業が終わらないと観念した。

「トランスクリプトの期限が3月末ならまだ1ヶ月あるじゃないか」という悠長な考えは、私にはない。慢性腰痛の私は、この作業をして毎日腰が痛い。それも2月一杯で終わりだと思い頑張ってきたが、作業は終わらず引き続き体に無理をさせることになる。作業のために毎日、日が昇るより早く起きて物音をさせ、寝ている親に迷惑をかける。それも2月一杯で終わりだと親に説明してきたが、作業は終わらず引き続き親に迷惑をかけることになる。作業が長引くと、他に影響が出るのだ。


第四の生き甲斐を探します267 トランスクリプト、さらに困ったことに [手記さまざま6]

前の記事でトランスクリプトに「やめる」「やめない」の選択肢があると書いたが、私は性格的に、可能ならば努力して続けたい人間だ。ところが、トランスクリプトはさらに困ったことが2つ増えた。

ひとつめは、残りの音声でネイティブがめちゃめちゃ喋ることがわかった。私が交友関係をもっていた家族は2つあったが、ひとつの家族はひっきりなしに喋る。しかも亭主はナイーブな人で、ストレスが溜まると早口になる。

もうひとつの家族は時々喋るだけだが、朝から日暮れまでお世話になったので録音の量が半端でない。

それらの作業が大変だとわかっていたから、これらの録音を後回しにした。いざ作業を始めてみたら、本当に気が狂いそうだ。

もうひとつの困ったことは、上記のネイティブ音声が大量なので、3月分のトランスクリプトだけでは足りない気がしてきた。音声ファイルの数が確実に300を越える。

「今までに仕上がった音声だけをトランスクリプトに聞かせる」という選択肢はない。大事だけど作業が大変な音声を後回しにした結果、大事でない音声が先に仕上がってしまった。だから残りの(大事な)音声を仕上げないわけに行かない。


第四の生き甲斐を探します266 疲れと食欲不振の原因は外国語 [手記さまざま6]

困ったことになった。少し前の記事に私は「一週間前から妙に疲れてブログ記事も書けなくなった」と書いた。記事には書かなかったが食欲もなくなった。その原因がどうやら、現在急いでいるトランスクリプトの準備らしい。

外国で録音してきた膨大な量の音声からネイティブの声を抜き出してトランスクリプトに聞かせ、文字起こしをさせる。私のマイクロソフト・アカウントが3月までしかないので、私はその作業を急いでいる。しかしまさか、それが疲れと食欲不振の原因になるとは。

ネイティブの声は、ただの声ではない。昔私が外国で会話した時の声だ。それをいちいち聞いて抜き出す時、私は昔の自分を無意識に追体験する。ネイティブと外国語で会話するには神経を集中しなければならず、それを何時間も続けるとストレスが溜まる。私はそのストレスを2月の始め頃からずっと追体験してきた。それに加えて先日土地売買の話が再開し、旧家を追われて引っ越さねばならなかった時の地獄の思いがよみがえった。それで心身の調子がおかしくなった。

土地売買は進めるしかないので行動に選択肢はない。問題はネイティブの声を抜き出すほうだ。これは、「やめる」「やめない」の選択肢がある。

やめれば、3月までしか使えないトランスクリプトに間に合わない。やめなければ、体調不良は続くだろう。そもそも私は自分が元気を取り戻すには少なくとも3月末までかかると自己分析している。その中でストレスを溜めるのは危険だ。

今、最後の外国旅行の分を作業している。それが当初は40GBあったが、今では13GBたらずにまで減った。あと少しなので続けたいが、私は明らかに疲れて作業を苦しむようになっている。以前は音声ファイルを順番に処理していたが、数日前からは辛くて、ネイティブの声がなさそうな音声、少なそうな音声を探し出しては処理した。その結果、残ったのはネイティブの声が多い音声だけだ。残りの13GBたらずの作業はかなり大変だと予想する。


パナソニックのBDレコーダーがディスクをフォーマット出来なくなった [手記さまざま6]

私はBDレコーダーでDVD-RWをフォーマットした。フォーマット自体にエラーは表示されなかったが、その後ディスクに記録しようとした時点で「フォーマットがされていない」とエラー表示が出た。私は同じディスクを再度フォーマットしたが、また記録する時点で「フォーマットがされていない」と出た。この時私はまだレコーダーの故障とは思わず、ディスクが不良なのだと思っていた。DVD-RAMがあったのでそれをフォーマットして使おうとした。するとこれも「フォーマットがされていない」と表示された。私は初めて、レコーダーの故障を疑った。DVDドライブのレンズが汚れたり壊れたりというハードの問題だと厄介だが、ソフトの問題ならばリセットで直るかもしれない。

パナソニックのレコーダーをリセットする方法は、確か電源ボタンの長押しだと記憶していた。私は電源ボタンを長押ししたが、いくら押し続けても表示窓に何も出なかった。もう一度長押ししたが、やはり表示窓は真っ暗なままだった。仕方がないのでそのままDVD-RWのフォーマットを試した。今度はディスクに記録してもエラーが出なかった。

今回の備忘録
パナソニックのレコーダーをリセットするには電源ボタンを長押しするが、リセットが成功しても何の表示も出ない。


今どきネットのフォームでやりとりするのは海外アマゾンも大学教務も同じ [手記さまざま6]

人間は長生きすると、時々新しい体験をする。それは、社会のあり方が昔と変わったり、自分の生活スタイルが昔と変わったりするからだ。今回の話もそのひとつ。昔は対面や電話で問題を解決したが、今では何でもネットで解決する。それを私が体験した話。

では少しずつ本題に入ってゆこう。

大学は変わった。大昔の大学は、教員ひとりひとりの教育への信念と矜持に任せてのほほんと構えていた。

ちょっと昔の大学は、セメスターの最後に学生に授業アンケートを回答させた結果を教員に見せて、「教員へフィードバックしてますよ」と社会に向かって自己正当化した。

最近の大学は授業のやり方を口うるさく決め、その個々の項目に従って授業をしているかを教員にチェックさせる。今では信念や矜持が問題ではなく、決められた型に嵌まった仕事をしているかどうかが問題だ。そして本年度から、その決められた型がまたひとつ増えた。年度の最後に学生に向かって挨拶文を書くのだそうだ。

ところが、その挨拶文を書き込む欄にどうしても文字が入力できない。それで私は教務に問い合わせた。昔は対面や電話で問い合わせたが、今ではネット上に問い合わせフォームがある。問い合わせ内容を書き込んで処理開始ボタンをクリックする。数日のうちにフォームに相手からの返答が追加される。問題が解決したら問題解決ボタンをクリックする。私は以前に一度、退職の準備でこの問い合わせフォームを使ったことがある。今回が二度目だ。

思えば、海外アマゾンを使って届いた商品が別物で売主にクレームを付けた時も同じ方法だった。私と売主がひとつのフォームに交互にメッセージを追加してゆく。チャットと表現するほどリアルタイムではなく、相手がメッセージを書き込んだら自分のメールアドレスに通知が来る。そうしたら自分がフォームに返信を書く。

人間という生き物自体が変わったわけではないのに、対話の方法は昔とずいぶん変わった。私は本来こういうネット上の対話が好きでない(顔が見えず声も聞こえないから、相手が怒っているか泣いているかの判断を誤るのが恐い)が、長生きしたせいで時の流れに呑まれて私もする羽目になった。それもまた人生。


第四の生き甲斐を探します 265 亀(時間)に追いつかれた兎(私) [手記さまざま6]

まだ2月の半ばなので私の元気が出るはずがないが、一週間前から妙に疲れている。ブログ記事も書けなかった。

こう書くと、「昨日も一昨日も記事は出たじゃないか」と言われるに違いない。これにはワケがある。もう何ヵ月も前から私の記事は「予約投稿」だった。つまり、書ける時にあらかじめ記事を書いておき、それを小出しにすることで一日のうちに沢山の記事が出ることを防ぎ、何日も記事が出ないことを防ぐ。だから今まで毎日一つずつ記事が出ていた。

でも一週間前から記事を書いていなかった。前回の記事で予約投稿は出尽くした。

イメージとしては、兎と亀の話に似ている。私は以前、一日のうちに複数の記事を書いた。常に一定の速度で進む時の流れを亀の歩みに例えると、私は兎のような早さで複数の記事を書き亀の先を走って予約投稿した。それがだんだん記事を書けなくなり、一週間前からはまったく書けなくなった。兎は走るのをやめた。でも亀(時の流れ)は常に一定の速度で進む。ついに亀は兎(私の記事投稿)に追いついた。これからの記事は予約投稿でなく、書いた時に出されるだろう。

私は元気がなくても、やることはやっている。食事を作ったり、大量の録音からネイティブの声を抜き出したり。今までの録音は長くても15分だったのに、今日作業した録音は20分も続いた。それならなんで今までの録音が15分で切れ、続きが別ファイルになっていたのかは謎だ。大事なことは、録音が長いとただでさえ捗らない作業がさらに遅れるという現実だ。

私は何としても2月末までに作業を終わらせて、3月のトランスクリプトに備えなければならない。

土地を売る話は年が明けてから梨のつぶてだったが、先日やっと連絡が来た。私が今の家を買った時は仕事のない祝日で縁起のいい大安に売買契約をしたが、今回は平日で先負という虐げられた日取りで売買契約をするそうだ。

とにかく、教職の仕事の残りも、トランスクリプトも、土地の売買も、すべて偶然にも来月始めにケリがつく。元気はなくても私は毎日それに向かってやってゆく。


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