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混沌音楽研究(湯浅譲二) [混沌音楽研究]

私のカセットテープには、モノヴァランスVに続けてトリプリシティが途中まで入っている。どうやら私が録音したのはコントラバスのための現代音楽特集だったようだ。

このFM番組を録音した時のことは今でも覚えている。あれは夏だったと思う。私はまだ子供だった。買ってもらったラジカセでFM放送を受信しつつ録音していた。同じ部屋には両親もいた。私を含めて誰ひとり現代音楽には造詣が深くなかった。ただ私はタンジェリン・ドリームの影響で混沌とした音に興味があった。それで現代音楽の中に自分の好きな音がないかとラジオを点けていた。ラジカセから不思議な音が流れてきた。今は亡き私の父が、この不思議な音に「古寺狂想曲」と命名した。

この「古寺狂想曲」は、モノヴァランスVよりもずっと多くの情報がネット上にある。湯浅譲二作品集というレコードに収録され、買おうと思えば買えるらしい。芸大にもレコードがあるらしい。2017年に演奏されたらしい。

このカセットテープ録音は、テープの走行速度の都合でピッチが少しずれていると思われる。


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混沌音楽研究(池辺晋一郎 その2回目) [混沌音楽研究]

ネット上のバイヴァランスを聴いておこう。バイヴァランスは、私のカセットテープにあるモノヴァランスVよりも後年の作品。

以下のURLは、私がスマホで検索したのでスマートフォン用のサイトのアドレスだ。パソコンの場合、パソコン用サイトにリダイレクトされるようだ。(Google Chromeで確認。)

https://m.youtube.com/watch?v=vODWabNUbXc

https://m.youtube.com/watch?v=ljDlU5cTiQg

https://m.youtube.com/watch?v=9o92o46F_Bw

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混沌音楽研究(池辺晋一郎 その1回目) [混沌音楽研究]

私のカセットテープに最後に録音されている現代音楽の番組は、池辺晋一郎のモノヴァランスVと湯浅譲二のトリプリシティを紹介している。それ以後のカセットでは私の趣味は少しずつミーハーになってゆき、高尚な現代音楽から遠ざかって行った。

今日は池辺晋一郎とそのモノヴァランスについて少し調べ、音を聴きたい。

ウィキペディアから彼の作風の一部を引用する:

デビュー当初の1960年代は正嫡の前衛の音響体を志したが、やがて1970-80年代に入ると独自の反復語法やポリスタイリズムを掲げるようになる。2010年代に入ると(後略)

私はそもそも「正嫡の前衛の音響体」ってのを知らないし、知りたい。でも今すぐそこまで横道に逸れると帰ってこられなくなるので、今は先を続けよう。私のカセットテープにあるのは1978年の録音だから、「独自の反復語法やポリスタイリズム」の頃だろう。

主要作品の項には、モノヴァランスは載っていない。モノヴァランスとは関係なさそうな沢山の作品が挙がっている。意外なものとしては、少年ドラマシリーズなぞの転校生、NHK大河ドラマ、NHK連続テレビ小説、未来少年コナンの名が見える。私のカセットテープに入っている混沌音楽との接点が私には見つからない。

そろそろモノヴァランスの話に移ろう。

「モノヴァランス」は、池辺晋一郎が独奏楽器の新たな表現を求めて作曲したシリーズ名。I(マリンバ)、II(ハープ)、III(声)、IV(マリンバ)、V(コントラバス)、VI(ミトラ)がある。英語表記ではMONOVALENCEと記す。二つの同じ楽器のためのバイヴァランスというシリーズもあるが、これは1997年以降の作。

ネット上には、バイヴァランスの作品はいくつかあったが、モノヴァランスはひとつも見つからなかった。どんな表現方法を独奏楽器に求めたのかを聴いて知るには、自分のカセットテープだけが頼りだ。

このカセットテープ録音は、テープの走行速度の都合でピッチが少しずれていると思われる。

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混沌音楽研究(ペーター・エトヴェス その2回目) [混沌音楽研究]

ネット検索をはじめてすぐに驚いた。この名前、間違ってるよ。mp3を聞いていただければわかるとおり、当時のFM番組ではペーター・エトヴェスと紹介されている。ところがウィキペディアで調べると、

エトヴェシュ・ペーテル(Eötvös Péter, or Peter Eötvös, ペーテル・エトヴェシュ、ペーター・エトヴェシュ、1944年1月2日 - )は、ハンガリーの作曲者、指揮者。

FM番組では、ドイツのケルンからテープが送られてきたと、まるでドイツにいるドイツ人みたいに言われているが、実際にはハンガリーの人なんだ。ハンガリー語では日本語みたいに姓名の順で書くそうだ。もう少しウィキペディアを読もう。

エトヴェシュの音楽は、さまざまな作曲家の影響を示している。特殊奏法(en:Extended technique)、例えば過度の圧力をかけたボウイングが叙情的な民謡と一緒にサウンドを合成する。またエトヴェシュは技術的な力量もあり、エレクトロニック・マニピュレーションまたはアンプリフィケーションのためにマイク機器をどう使うかの細かい指示を与えている。

彼の作品としてオペラ、管弦楽曲等々が挙げられているが、いまは「テープ」という所だけを見よう。

テープ
Mese (Märchen /Tale/Conte)(1968年)
Cricketmusic(1970年)
Elektrochronik(1974年)
Der Blick(1997年)

あったぞ、エレクトロコロニーク角笛。もっとも、発音はたぶん間違っているだろうね。FM番組では作曲家名の発音が違うくらいだから。さらに、角笛なんて原題のどこにも書かれてない。いい加減な番組だったんだな。この曲以外の曲を探そう。

Peter Eötvös "Mese: Rövidített Változat" (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=a0HidaU3HZg
人声を使った作品。音のコラージュと言ってもいいのかな。断片的で、テープ処理されているようで、単純なコラージュではないけど。

Peter Eötvös "Der Blick" (1997)
https://zkm.de/media/video/peter-eoetvoes-der-blick-1997
なんだこれ。短くて、人声が詩みたいに喋ってるじゃないか。

あと、これはテープじゃないけど

Peter Eötvös: "Windsequenzen" (1975/2002)
https://www.youtube.com/watch?v=2Z48W6CW6wY
標題音楽?



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混沌音楽研究(ネットで見つけたさまざまな曲) [混沌音楽研究]

坪能克裕を調べるついでに自由にネット検索して見つけた混沌音楽。順不同。

武満徹「STANZAⅡ」 (1971)
https://youtube.com/watch?v=b7UJzkrczUw
ハープを使った混沌音楽。

今史郎「12人の奏者と電子音のための音楽」 (1965)
https://youtube.com/watch?v=M5JLF5Ug5eY
アコースティック楽器と電子音の共演か。YouTubeに寄せられたコメントによると、前半が完成した曲で、後半はその曲の電子音パートのみだそうだ。

松下真一「人声と電子音による《黒い僧院》」 (1959)
https://youtube.com/watch?v=sIcxhdwpECM
人声がコラージュのように使われている。

黛敏郎「葵の上-電子的音響による音楽的造形-」 (1957)
https://youtube.com/watch?v=U2Thr2Ltgjc
これは能だな。間狂言から始まる。で、囃子がいつもの鼓と笛じゃない。大鼓の「鼓膜が破れるじゃねえかバカヤロウ」という音がないと、まったく別物だな。

松平頼暁「エリクサトーン」 (1979)
https://youtube.com/watch?v=r8vsmfyuAI4
楽器はピアノだそうだが、まるで電子オルガンだな。聞いた感じは、ある種のプログレや、もっとポップな音楽とも共通点がある。

松下眞一「- 俳句と音によるラジオのための作品 - 日本人一九七〇」
https://youtube.com/watch?v=A2kws1fXNQs
にっぽん。にっぽん。にっぽんじん。せんきゅうひゃくななじゅう。と、いろんな声がする。実験的作品だが混沌感は少ないか。

松永通温「Sound First!」 (1977)
https://youtube.com/watch?v=Hsu68AUHKPA
演奏時の写真を見ると、ずいぶんたくさんの打楽器を使っているようだな。でもズンチャカ合奏するんじゃなくて、少しずつ音がする。

松永通温「尺八と箏とヴィブラフォンのための《翠氷》」 (1968)
https://youtube.com/watch?v=dcoGm_fZl6A

一柳慧「変容する空間-ハープとエレクトロニクスのために-」 (2009)
https://youtube.com/watch?v=41fB4qXQC5Q

以前に記事にしたペーター・エトヴェスのほうも調べてみたいが、これから忙しくなりそうだから時間のある時にやりたい。そして何か見つかったら記事にしたい。それに、私のカセットテープの中にある混沌音楽も今までので終わりではない。とにかくゆっくりと、時間のある時に続きをやるつもり。



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混沌音楽研究(坪能克裕 その2回目) [混沌音楽研究]

いくつかの用事があって混沌音楽研究を休んでいる間に4月が近づいた。これから用事はさらに増え、混沌音楽がさらに縁遠くなってしまうので、今のうちに出せる記事を出しておかなければならない。

実は私はちょっと驚いたことがある。私のカセットテープに入っていたひとつのFM番組を2回に分けて前回・前々回の混沌音楽研究としたが、それらのうち坪能克裕のほうはアクセス件数が多く、ペーター・エトヴェスのほうはアクセス件数が少ない。どちらも同じFM番組で、どちらも混沌音楽なのに。そう思いながら私は坪能克裕について調べ始めた。まずは定番、ウィキペディアから。短く引用する。

作品は、管弦楽曲・室内楽曲・電子音楽・合唱・子どもの歌から大人の歌、TVや映画・アニメの音楽と多岐に亘っている。

続いてさらにネット検索。ダンバインの音楽を担当していたのか。混沌音楽が意外な方向へとつながっていた。それで、TVも映画もアニメの音楽とも関係していないペーター・エトヴェスさんはかわいそうに人気がなかったのか。

坪能克裕の混沌音楽をネットで探した。

リンの詩 (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=hkl_oUPRXQw
私の感想「これは何ですか」。何だかよくわからないから私は混沌音楽と呼んでいる。楽器としてはハープを使っているが、演奏はとても不思議だ。

水の詩篇 (1980)
https://www.youtube.com/watch?v=qhzWxleo6Zs
私の感想「おお、ぴちゃぴちゃいってる。これは気持ちいいな」。

紙の変容 (1980)
https://www.youtube.com/watch?v=HsxZR86Bp9w
紙を破いてる。

私は子供のころからミュジーク・コンクレートが好きだ。自分も画板を叩いたり、換気ファンにマイクを近づけたりして音を拾って楽しんだ。だからこの水とか紙とかをテーマとした作品は馴染みがある。

ひとまず、坪能克裕でしかも混沌音楽は、ここまで。YouTubeで上の作品を見つけた時、他の作曲家の混沌音楽も見つかった。次回は、それらを記録しておきたい。



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混沌音楽研究(ペーター・エトヴェス その1回目) [混沌音楽研究]

前回の「混沌音楽」が坪能克裕の1回目だったから、今回は坪能克裕2回目になるのが普通だが、残念ながらいま用事が増えてしまってゆっくり坪能克裕をネット検索できない。そこで、前回出したカセットテープ音声の続きを先に出す。これなら以前にmp3を作っておいたのですぐに出せる。

前回の記事にあるmp3を聞いてもらうとわかるが、坪能氏の作品の中でもテープを使った作品が取り上げられていた。そして同様にテープを使った作品としてペーター・エトヴェスの「エレクトロコロニーク 角笛」という作品を番組終了時間ぎりぎりまで流す。

今回の記事のmp3はオンラインストレージサービスではなくブログの音声・動画用領域に入れる。その都合で1ファイル5MBまでとなり、この長い音楽は2分割となった。


音楽の前の話


音楽(1/2)


音楽(2/2)




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混沌音楽研究(坪能克裕 その1回目) [混沌音楽研究]

用事が増えてしまった。鉢植えの植え替え時期が来てしまったとか、墓参の時が来てしまったなど。そんなわけでブログのためにじっくりと時間をかけて記事を作るのは数日から1週間ほど無理なようだ。

すぐに出せるものが2つだけあるので、それを出しておきたい。それは、カセットの20番目に入っている混沌音楽だ。以前に暇があった時にmp3にしておいた。ネットで色々調べるのは後回し。とにかくmp3だけ先に出す。

今日は2つあるうちの1つめ、坪能克裕の鎮魂歌という作品を出しておく。混沌音楽と呼ぶにふさわしい混沌ぶりだ。

音楽の前の解説


音楽


音楽の後の話


これは昔のFM番組の録音で、番組名もわかっているが、そういう話は後日ゆっくり書きたい。今日は、ここまで。




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混沌音楽研究(ジョージ・クラム編) [混沌音楽研究]

映画エクソシストで使われた「電気虫の夜」の作者ジョージ・クラムについて簡単に調べよう。

ウィキペディアによれば、ジョージ・クラムという名の有名人は2人いる。ひとりは、なんとポテトチップスを発明した人George Crumだ。もう一人のジョージ・クラムGeorge CrumbはUSAで現代音楽を作曲した(している)人。ウィキペディアによれば、

「例のない音色の組み合わせを試みることに興味を奪われるようになり、いくつかの作品では、電子変調された楽器も利用される。」

「いくつかの作品では、演奏者に対して、演奏の合間に舞台を出入りすることが要請されている。多くの楽譜では、風変わりな記譜法や譜表が使われる。渦巻状や螺旋状の五線譜が使われた作品もある。」

2つの代表作
Black Angels (1970)
Makrokosmos (1972, 1973, 1974, 1979)
についての記述:

「黒い天使たち(ブラック・エンジェルズ)」(1970年)は、幅広い音色の探究に対するクラムの興味を実証する作品の一つである。電気変調をともなう弦楽四重奏曲として作曲されているだけでなく、演奏者は様々な打楽器も演奏したり、グラスを弓でこすったりと、伝統的・非伝統的であるとを問わず、様々な方法で演奏することが要求されている。さらには、世界各国の言語で(キリスト教で不吉な象徴である)数字の13を数えることも要求されている。

「黒天使たち」と並んで有名な作品の一つが、4巻からなる大作のピアノ曲集「マクロコスモス」である。最初の2巻(1972年、73年)においては、内部奏法の積極的な活用が認められる。「夏の夜の音楽 Music for a Summer Evening 」として名高い第3巻(1974年)は、2台ピアノと打楽器のための作品である。第4巻「天界の力学 Celestial Mechanics 」(1979年)は連弾曲である。[中略]電気増幅されたピアノやプリペアド・ピアノのために作曲されている。(クラム自身は、内部奏法を用いたり、ピアノの内部に物体を仕込んで演奏するピアノのことを“extended piano”と総称した。)いくつかの場面において、ピアニストは歌ったり、何らかの語句を叫んだりすることも要求されている。

以上、ウィキペディアより。

第1巻と第2巻で積極的に使われる内部奏法とは何か。調べてみた。グランドピアノを演奏するのに普通に鍵盤を使うに留まらず、弦つまりピアノの内部に触れたり叩いたり異物を入れたりする奏法らしい。

Black Angelsの演奏と楽譜には、前回の記述(エクソシスト編)でリンクを張った。今日はMakrokosmosのほうを鑑賞したい。ネット上に、第1巻と第2巻の全体と思われるものを見つけた。でも第1巻と第2巻はピアノ曲で、グランドピアノ1台だけを使うので、他にも色々使う第3巻のほうが華やかさはあるようだ。

第1巻 (1972)

全体(1-4, 5-8, 9-12)

https://m.youtube.com/watch?v=bA34Li-6GPI

https://m.youtube.com/watch?v=BnnqHXl4uis

https://m.youtube.com/watch?v=KFMTSSTgqAs

楽譜

https://m.youtube.com/watch?v=3YTix06IwT4

演奏の様子

https://m.youtube.com/watch?v=2_kkTO33GcY


第2巻 (1973) 全体(1-4, 5-8, 9-12)

https://m.youtube.com/watch?v=9wsJYUrleIc

https://m.youtube.com/watch?v=uWvwgNQv7_U

https://m.youtube.com/watch?v=U393o8cfF9E

第3巻 演奏の様子

https://m.youtube.com/watch?v=eWRRgqr_m8I

https://m.youtube.com/watch?v=bvxEBieNjks

https://m.youtube.com/watch?v=GOBnbcz4qCc

https://m.youtube.com/watch?v=TjHkbENAsME

https://m.youtube.com/watch?v=X8baLOaS9Bw

私の勝手な予想では、ジョージ・クラムを調べれば同系列の他の作曲家が芋づる式に見つかり、私はそれらの作曲家も調べることになるだろうと思っていた。しかし実際には同系列の作曲家は出てこなかった。

これから私はカセットテープ14の続きに取りかかる。改めて言うまでもなく、オカルト映画だから混沌音楽というわけではない。私のカセットテープ14はエクソシストの後、エクソシスト2、サスペリア、オーメン、キャリーと続くが、その中に怖い音楽はあっても混沌はない。

でも私の混沌音楽研究はまだ終わらないどころか、始まったばかりだ。なにしろ、カセットテープの中に混沌音楽があるのだから。テープを番号順に懐かしんでゆき、また混沌音楽が出てきたら研究再開だ。
(P.S. 調べたら、次に混沌音楽が出てくるカセットは20番だ。1巻に何日もかかるから、次回の混沌音楽研究がいつ頃かはまだわからない。)



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混沌音楽研究(エクソシスト編) [混沌音楽研究]

エクソシストといえば人々はチューブラー・ベルズを考えるだろうが、私が調べたいのはそれではない。

マイク・オールドフィールドのチューブラー・ベルズは、映画版でなく大元のLPのほうでは、確かにある意味混沌だ。脈絡のないメロディーが次から次へと出て、B面に至っては「えせ原始人」まで登場する。そういう脈絡のなさでは混沌だ。でも個々のメロディーそれ自体は混沌でない。

映画エクソシストには他にも何人かの作った音楽があり、その中にこそ、混沌と呼ぶにふさわしいものがある。私がいま取り上げたいのは、George CrumbのNight of the Electric Insects。この題名は訳すといい感じに変だ。電気虫の夜。聞いた感じは、そのまんま電気虫の夜って感じだ。でも使っている楽器はシンセサイザーのような電子楽器ではなくアコースティックな弦楽器だ。
https://www.youtube.com/watch?v=nLU3l-XNDlw

前回扱った「猿の惑星」は、混沌とした音楽ではあるが、あれを聞いて「破綻している」と表現する人は少ないと思う。ところがこの電気虫の夜は、私には「破綻した弦楽合奏」に聞こえる。

さて、この「電気虫の夜」は、実はある作品(Black Angels)の一部だ。例えて言えば、交響曲から1楽章だけ取り出してエクソシストのために使ったような感じだ。楽曲の全体は、ネットで聴くことができる。それだけでなく、演奏の様子を見ることもできる。それを見れば、シンセサイザーのような電子楽器を使っていないことがわかる。(ただし、どうやら弦楽器の音はマイク集音後に電気的に変調させるらしい。)
https://www.youtube.com/watch?v=m5a2RXA2Jn8

この「破綻した弦楽合奏」は、偶発的産物ではない。何度でも演奏できるように、楽譜に記されている。いったいこの破綻した音がどのような「おたまじゃくし」で表現されているか、それもネットで見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=44u71qJFh00

私は、「破綻した弦楽音楽」を少なくとももうひとつ知っている。それは私のカセットテープに入っている。私としては今すぐそれを出して比較したい気持ちがあるが、物には順序があるので我慢し、まずは「電気虫の夜」の作者George Crumbについてもっと調べたい。

ちなみにエクソシストには他にもヴェーベルン(Five Pieces for Orchestra Op.10)やペンデレツキ(String Quartet No.1 1960など)の音楽が使われている。でもそこまで手を伸ばしたら、私はカセットテープ補完計画へ戻ってこられなくなる。







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混沌音楽研究(猿の惑星編) [混沌音楽研究]

「猿の惑星」の音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスJerry Goldsmithは他にも多くの映画音楽を担当している。たとえば「オーメン」も。オーメンのThe Piper Dreamsは「猿の惑星」とは全く違う優しい音楽だ。これについてはウィキペディアの解説が参考になるかもしれない:

「アクションやサスペンスの緊迫感ある場面に効果的な音楽をつけることにかけては、他の追従を許さない抜群の手腕をもつが、同時にメロディーメーカーでもあったことが巨匠たる所以である。」

彼は、映画が必要とすれば、私が称するところの混沌音楽、型に嵌まらない実験的な技法や音を作れる人だった。それを「猿の惑星」に聴くことができる。同じくウィキペディアから引用する:

「技法の上では『猿の惑星』のステンレスの料理用ボウル、『スタートレック』のビーム(弦を張った金属パイプ)、早い時期からのシンセサイザー利用など、ユニークな音を曲に採り入れる試みもある。」

「猿の惑星」の音楽がああなったのは、映画にふさわしくしたからで、ゴールドスミス自身が混沌音楽追求者ではない。だから私はこれ以上手を広げてゴールドスミスを調べ続けるのはやめよう。

とにもかくにも、私にとっての混沌音楽第1号はジェリー・ゴールドスミスの「猿の惑星」(1968)となった。

当初私は自分の称する混沌音楽を70年代と言っていた。私が聞き、私のカセットテープに録音されたのは70年代だが、曲そのものの成立はもっと遡るかもしれない。あらゆる可能性を考えるならそれどころか、シェーンベルクから本格的に始まる無調音楽を考えに入れなければならないかもしれないが(月に憑かれたピエロ 1912)、そこまで手を伸ばすとカセットテープ補完計画に戻って来られなくなるので、今はそちらへ行かない。





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混沌音楽研究(カセット14B紹介編) [混沌音楽研究]

カセットテープ14のB面はジグザグブルースのED「ジグザグのテーマ」で始まる。ネット検索したが、OPはあっても「ジグザグのテーマ」はなかった。ネット上にないのならブログ記事に出すことも考えているが、今やりたい混沌音楽研究とは全然違ってしまう。それだけでなく、このドラマは視聴率が低迷したそうだ。出しても需要がないのだろう。今は先を急ごう。

同じく需要がなくても、混沌音楽研究のほうは、やらねばならぬ。これは私に必要だ。少し前の記事に書いたが、私にできることは少ないので、できることだけをやる。身の丈に合った記事を出す。

「ジグザグのテーマ」の次は「SF・怪奇映画音楽」という特集がある。どこかのFM番組の録音らしい。

ウエストワールドの曲も流したらしいが、残念ながら当時の私はそれが何かわからず、また音楽としての興味がなかったらしく、保存していない。その次の猿の惑星から録音されている。

猿の惑星のテーマはJerry Goldsmith作曲。混沌としている。曲はネット上にある。私が録音したFM番組では短く編集されてしまったようだから、あなたがお聴きになるならネット上のを聴かれるのが良い。(初代猿の惑星以外の音がネット上に一杯あるので、正しく選ばねばならない。)

その次は、時計じかけのオレンジ。名前と曲は有名だが、私は映画を見たことがない。いずれにせよ、これは混沌音楽ではない。今は先へ行かねばならぬ。


番組では猿の惑星と時計じかけのオレンジに続き、昔流行った「猿のは臭え」を紹介する。懐かしいが、いまさら思い出さなくても良かったかも。続いて、「デアボリカ」と「ローズマリーの赤ちゃん」が「同じようなの」と称されている。それで良いのだろうか。
デアボリカの歌とローズマリーの赤ちゃんの冒頭部分はネット上にあった。どちらも混沌音楽ではないので、先へ行こう。

次回の記事は、まず混沌音楽「猿の惑星」について、もう少し掘り下げて考える。それが終わったら、いよいよエクソシストだ。





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混沌音楽研究(前置き編) [混沌音楽研究]

ブログ記事に時々書いてしまうように、毎年この時期私は生活不安を感じて、時に酒にすがって不安を忘れようとしたり、他の物にすがって忘れようとしたりする。そんな中で、これから暫くの間は70年代の混沌音楽の研究にすがることになりそうだ。

まずは前置きを少し書かせてほしい。自宅周辺の半径数キロメートルは、当たり前だが勝手知ったる場所だ。ところが私の場合、たったひとつ、ここ数十年行ったことのない場所があった。とりわけ生活不安を感じるこの季節には、その場所がある方角は私個人にとっての鬼門のように感じて、近づく必要もなく、近づかないほうが良い気がしていた。

なぜ鬼門か。人間は生きている限り、誰も傷つけずに長年過ごすことはできない。とくに小さい頃の人間は、大人とは違って色々な生き物をよく傷つける。それをしてはいけないと世の中で学び認識するまでの間は。傷つけるのは虫などの生き物だけではない。友達だって傷つける。私は小さい頃、その鬼門に住んでいた友達を傷つけた気がする。それから人生に苦難があるたびに、過去の何か、たとえばその友達を傷つけた報いではないかと思ってきた。苦難があまりにつらい時は、心の中で「もう十分だろう、贖罪に値するだけ私は苦しんだではないか」と叫んだものだ。

その鬼門へ、数十年ぶりに行く気になった。苦しみすぎて、苦しむのに疲れ果てて、もう何も考えないことにしたら、ずっと気になっていたその場所へ行く気になった。腰痛でうまく歩けない足でがんばって行ってみた。南北に伸びる大通りを片方の突き当りまで行き、大通りの突き当りと直角に接する路地を曲がって少し行き、どこかで曲がる。しかし数十年行かなかったその場所は、どこで曲がって良いかがもうわからなかった。私はいくつかの路地を虱潰しに歩いた。幸運にも足はまだ動いてくれた。数十年前は時代的にすべての家が木造だったはずだが、今ではみな建て直されて新しくなっていた。昔の面影はないから、探すあてがない。ある路地を曲がって突き当りまで行った所に一軒だけ昔ながらの木造の家が残っていた。すでに廃屋となり表札は取り外されていた。全然関係ない家の可能性は高いが、今はここまでの結果に満足して帰るしかない。

腰痛持ちの私は、帰り道でさすがに足腰が痛くなり、少し長く歩きすぎたことを後悔した。

帰宅してその日の夜にカセットテープ補完計画を再開したら、14巻目のB面に昔のオカルト映画のテーマ曲が入っていた。ちょうど私自身が鬼門だのといささかオカルトめいた恐れを抱いていたし、数十年前に思いをはせていた所なので、暫くはこの14巻B面の曲を調べつつ、少し掘り下げて調査してみようと思った。

掘り下げて調査とは何か。子供時代、ちょうどこのカセットテープとラジカセで遊んでいた頃は、世の中で混沌とした変な音楽が流行っていた。私はそれのすべてが好きだったのではなく、むしろ自分の好みの音に巡り会うのに苦労した記憶がある。でも今は、自分の好みと違っても、当時の色々な混沌音楽の事情を知りたい。子供の頃はただ偶然に出会った音楽を、それも運よくラジカセですぐに録音できる時だけ録音した。だから私は当時の混沌音楽の全体像を知らない。すでにあなたがお察しの通り、混沌音楽という名前自体が私の勝手な命名だ。その中にはクラシックに由来する現代音楽もあれば、ジャンル的にプログレッシブロックに属するものもあるかもしれない。

私のやりかたは、自分のカセットテープ補完計画に沿って進める。だから、まずは14巻目に出てくる混沌音楽を調べる。ウィキペディア等で調べるうちに、同類の作曲家、同類の曲が見つかるに違いない。そうしたら、ある程度手を伸ばしてそれも調べる。脱線しすぎない程度に手を伸ばして調査し終えたら、次のカセットテープつまり15巻目へ行く。ところが全部のテープに混沌音楽が入っているわけではない。歌謡曲もあればアニメ主題歌もある。次に混沌音楽が出てくるまでは、混沌音楽調査は一時お休みとなる。そういう風にして、ゆっくりとやって行きたい。今日は前置きとして、ここまでを記録したかった。次回の記事はこれから作るのですぐにはUPできないかもしれないが、テーマは決まっている。エクソシストだ。でもチューブラー・ベルズではない。







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大昔の題名のない音楽会で一度だけ聴いた基地外音楽を探して [混沌音楽研究]

私は年のせいもあり、その他の要因もあり、今のところ流行り物でなく昔の物に惹かれます。とくに私自身がまだ子供だった頃の一瞬の思い出を掘り起こすのに夢中になることがあります。

今回話をする思い出は、1970年代のはずです。日曜日の朝、家族が居間にいる時でした。テレビで「題名のない音楽会」が始まりました。ウィキペディアによるとその時間帯に放送されたのは1975年以降だそうです。

「題名のない音楽会」はおもにクラシック系を扱ったと思いますが、その日は違いました。あるいは、そもそも「題名のない音楽会」以外の番組だったものを、私が記憶の中で混同しているのかもしれません。

とにかく番組の最初に、一般的な楽器を使わずメロディーをもたない不思議なものが始まりました。部屋にはたしか、楽器のかわりに音を出す色々なものがあり、男はそれで音を出していました。そして最後には一回叫びました。

私はそれを聴いて心の奥底に響くものを感じ、録音しなかったことを後悔しました。

その後も私は、おもにラジオで似たような音楽を探しました。でも、心の奥底に響くものは見つかりませんでした。私のカセットテープには坪能克裕の「鎮魂歌」とペーター・エトヴェスの「エレクトロコロニーク角笛」が入っていますが、これらは私の感性には合いませんでした。

きのう、ふとまたこの大昔の基地外音楽を思い出し、たとえ見つからなくてもとにかく探してみるべきだと考えました。

まずは上記の「鎮魂歌」と「エレクトロコロニーク角笛」を足掛かりとして、そこから何かの糸をたどってゆこうとしました。

「鎮魂歌」と「エレクトロコロニーク角笛」は現代音楽であり電子音楽で、私はしばらくそのジャンルを探しましたが、自分が探している基地外音楽とは少し違うと感じました。たとえば、まともな楽器を使う作品が多いとか。

一夜明けて今日、こんどは「題名のない音楽会」でネット検索してみました。大昔の回のサブタイトルでも記録されていれば、それを手がかりにできるかと思って。

するとネット上に、去年の放送で基地外音楽らしきものが出たという報告がありました。そこからたどって行き、私はノイズ・ミュージックというジャンル名を知りました。そうか、私が求めていたのはノイズだったのか。

私は大昔の自分の記憶に一歩近づきました。

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