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世界大怪獣カードの思い出 [  昔の本(補完計画)]

昭和ゴジラが恐怖の怪獣から子供たちのアイドルに変わった後で映画館へ行くようになった私は、それ以前の怪獣映画を後年のテレビ放送で知った。だからテレビ放送に出くわすまでは、知らなかった。でも、矛盾するようだが存在だけは知っていた。なぜなら子供向けの絵本等で出てきたから。ところが当時の絵本等はかなりいい加減なものだった。だから元の映画を知らずに絵本で出会った怪獣は、時としてまるで違う設定だ。例えばバラゴン。子供の頃、私は「世界大怪獣カード」というものを持っていた。カードの表には怪獣のカラーイラストが描かれ、裏には怪獣の解説と、ひょっとしたら映画からモノクロ写真がひとつ。少なくともモスラはそうだったのを覚えている。他の怪獣の中には映画化されていないもの(出所不明の怪獣)もあったから、裏にモノクロ写真のないカードもあったのだろう。で、バラゴンのカードの裏にはすごい解説が書いてあった。この怪獣は普段は地底にいるが、地上に出て太陽光線を浴びると無限に巨大化し続ける、と。私は「すごい怪獣だなあ。人間はバラゴンを早く倒さないと超巨大になって倒せなくなってしまう」と思った。それから月日が過ぎた。テレビでフランケンシュタイン対バラゴンを放送したか、それともレンタルビデオ店が登場する時代になったか、とにかく私はバラゴンを映画で見る機会を得た。暗闇に光る角。今は夜だが、バラゴンが昼間に地上に現れたら大変だ。巨大化するぞ。映画を最後まで見た。巨大化しなかった。それでもまだカードを半分信じていた私はこう思った。「僕が見たのはフランケンシュタイン対地底怪獣だから、2作目じゃないか。地底怪獣バラゴンという1作目がきっとあるんだ。」その後、この歳になるまで、そんな1作目の話をついぞ聞かない。

とはいえ、間違いだらけながらもこのカードは役に立った。「空の大怪獣ラドン」や「モスラ」がテレビ放送またはレンタルビデオ店に出るより前に、私はこのカードで知ることができた。「人類SOS!」(トリフィド)に至っては、このカードがなければ私は存在すら知らずに終わっただろう。ミイラのことを英語でマミイというのを知ったのもこのカードが発端だ。

有り難いことに、この大昔のカードを今でも持っている方が、画像をネットにUPしてくださっている。でもカードの表の画像はあっても、裏の画像はなかなかない。だから上記バラゴンの件でどこまで私の記憶が合っているかを確かめるすべはない。それでも私は、自分の記憶にあるものを懐かしみたい。モスラのカードにはモノクロ写真があったと上に書いた。たしか、繭からモスラが飛び立つ所だった。でも写真が小さいか不鮮明かで、細部はよく見えなかった。モスラの眼と顔の模様が、私にはアルファベットの「CV」のように見えたのを覚えている。映画からそういう場面を探して、カードと同じようにモノクロにしてみた。このシーンだったような気がする。
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ラドンのモノクロ写真は、次の2つのシーンのどちらかだった。1番目のシーンはラドンの背中から翼にかけての滑らかな線が印象的で覚えている。2番目のシーンはラドンの足が片方しか見えなくて変なのを覚えている。
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ウエストワールド(1973映画)の思い出 [  昔の本(補完計画)]

スカパーのムービープラスというチャンネルで3月に「ウエストワールド」というSF映画を放送すると知った。私はこの映画を見たことがない。それならなんでブログ記事に書くほど興味をもったのかというと、小さい頃、子供向けの本でサイボーグやアンドロイドの紹介があった。その挿絵が、カウボーイの口のところが切り取られて機械が見え、それが人間の姿をしているが人間ではないとわかる絵だった。当時子供だった私は、「こんな絵が描かれているからには、どこかにこの絵の元になる映画か何かがあるかもしれない」くらいしか思いつかなかったが、それでも絵が印象的だったので今でも覚えている。それが、先日ムービープラスの3月放送作品を調べたら何だか似たような顔と帽子のカウボーイの写真があり、ネット検索してみたらまさにあの挿絵の元になった映画だった。アンドロイドを演じているのはユル・ブリンナーだった。昔の映画だから映像的にたいしたものでないのはわかっているが、子供の頃に見た絵の元になった映画がどんなものか興味がある。

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さよなら強殖装甲 [  昔の本(補完計画)]

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ガイバー。私はこの本をもっとたくさん買ったが、ある時期に処分してしまい、残っているのは最初の5巻だけだ。

今回の記事に出す画像は、個性的な選択をしてみたい。

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第1巻から第3巻までは、巻末にアシストの描いた絵が付いている。普通はアシスタントと言うと思うが、この本ではアシストと呼んでいる。

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第2巻には、ガイバーのコントロールメタルや武器の図解ページもある。

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メガスマッシャー発射器官は、実はぷるるんだった!

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しかもグニャリなのだ。

さらばシーバット 後半 [  昔の本(補完計画)]

私が大量の漫画本を横に置いて作業していたら、親が古本屋に売ってはどうかと言った。それは私も予め考えた。でも、本を売ってもわずかな金にしかならない事を私は知っている。今まで大事にして捨てないでいた本の価値がそんなわずかな金額だと認める事が果たして正しいのか。加えて今は、住み慣れた家を出る時が来るぞと苦しめられ、末長く使うつもりだったテレビをデジタル入力がないという理由だけで捨てなければならず、辛い気持ちでいる所に親の右足が動かなくなった。そんな事になるとは知らずに注文したうすべり(ござ)が来週には届き、部屋の家具を退けて畳の上に敷かなければならないが、親の病気があるからそれは延期しようか、でもうすべりを置いておく場所はない。思う事が多すぎて私の脳はこの上古本屋と話し合うような余裕がまったくない。一生懸命最後のデジカメ撮影をし、どんどん処分してゆくしかない。

今回は、前回に引き続き沈黙の艦隊。中身ではなく表紙の航海図。

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モルッカ海峡から日本を、そして北極海を経て大航海をしてきたシーバット「やまと」は、第17巻でついにニューヨークに現れる。表紙の航海図もニューヨーク沖の限られた領域となる。

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第21巻では「やまと」はニューヨーク付近にて機関停止。ここから先の数巻は同じような航海図となる。「やまと」がエンジンを始動するのは第25巻。

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やまとがはっきりと動き出し、表紙の絵がはっきりと変わるのは第27巻。絵が変わるといっても場所が変わるのではなく、さらに狭い範囲を表す図になる。

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第28巻で「やまと」は自由の女神の近くまで来る。「やまと」の航海は目的地に到達した。この後は海江田が陸に上がる。

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第32巻・最終巻。海江田は凶弾に倒れるが、彼の志は実を結ぶ。表紙はそれまでの自由の女神近辺の図から一変して、全世界となる。

さらば、シーバット [  昔の本(補完計画)]

前回の続きで漫画本を捨ててゆく。3X3EYES、ゴッドサイダー、フルバ、ガッシュは全巻の中の一部しか持っていないので、記事にはしないことにした。県立地球防衛軍は全部でたった4巻だから割愛する。でも県立地球防衛軍のことは、今後食事の際にぽん酢(す)を使うたびに思い出すだろう。

今回は、沈黙の艦隊。まだ途中までしかデジカメ撮影していないが、巻数が多すぎて全巻の表紙をここに出すわけにも行かないので、撮影終了前に記事を書いてしまうことにした。

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モーニングKC。

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カバーの袖には毎巻かわぐちかいじ氏の写真とコメントが載っていた。

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カバーを取ると、表紙は航海図になっている。

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航海図は裏表紙まで続いている。

裏表紙が太平洋の海図だとたいした描写がないが、付近に陸地が多いと裏表紙も賑やかになる。

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たとえば第13巻は北極海が舞台だ。

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表紙の海図が世界地図上でおおよそどの位置にあるかが小さな囲みの中に示されることもある。

バイバイ、桜野みねね [  昔の本(補完計画)]

近頃の記事に書いているとおり、私はテレビを買い替えなければならなかった。それが元で、まるで風が吹けば桶屋が儲かるかのように、昔の本を捨てなければならなくなった。

テレビがどういう風に本の処分につながったかというと、今までのテレビは奥行きのあるブラウン管テレビだったから、テレビ台も奥行きのあるしっかりした木製の箱を使っていた。これだと奥行きのせいで箱が手前にせり出して布団を敷く時に邪魔になるだけでなく、電源の延長コードをテレビ台の後ろに這わせるさいに、足のある台ではなく箱だから、斜めに近道させることができない。そのせいで延長コードがギリギリ届くという有様だった。それが液晶テレビに変わったから、テレビ台をもっと小さな、足のあるテーブルに変更できた。そのおかげで布団を敷く時に邪魔にならず、電源の延長コードはテーブルの下を斜めに這わせることができるから余裕をもって電源プラグを接続できるようになった。一見良い事ずくめのようだが、今までテレビ台だった箱が今どこにあるかというと、自室の真ん中に居座っている。この箱は置き場所がないので、もったいないが処分することになるだろう。で、箱と書いたが中には物が入っている。本だ。箱を捨てる前に、中身の本をどこかへ移さなければならない。それで、別の場所に仕舞ってある本を処分して、テレビ台の中の本をそこへ移すことになった。

今回捨てるのは漫画本だ。以前にも懐かしんでデジカメで写真を撮り記事にしたことがあるので、今回の記事には目新しいものは出てこない。それでも私にとっては、ずっと捨てずに置いてあった本を捨てなければならないのだから、最後の記念に記事を書かずにはいられない。

記念にカバーだけでもデジカメ撮影しようと思っているが、いま私の部屋の真ん中にはブラウン管テレビとテレビ台(箱)があり、それが邪魔で撮影のためのテーブルを置けない。仕方がない、別の暗い部屋に電灯をつけて撮影するしかない。デジカメ写真の写りは悪くなるが、妥協しなければならない。

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まもって守護月天は、これだけ持っていた。

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第4巻の頃にはアニメになった。

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TVアニメ宣伝の帯は第7巻まで付いていた。

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第8巻には帯が付いていないが、私が買った本にたまたま付いていなかったのか、それともアニメの放送が終わったから付いていないのかはわからない。

カバーに離珠がいるのを見て、Windows10はCortanaのかわりに離珠を付けてくれないかなと思った。

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第8巻カバーの袖。桜野先生は本の中ではいつもこの格好だったと思う。

明日は資源ごみを出す日。
バイバイ、桜野先生。

最後の書籍補完計画(20) [  昔の本(補完計画)]


私がイタリアの資料を集めるためにどこへ行ったかは忘れてしまったが、取ってきたパンフレットの中にアオスタのものがあった。私は南イタリアに興味があったので北イタリアのアオスタは範囲外だったが、それでもパンフレットのカラー写真は興味を引くものだったのを覚えている。


マテーラは私の旅の終着点だった。少なくともマテーラに着くまでは。私はここでうずくまってミイラになろうと思っていたが、実際に行ってみて予想との違いに驚き、考えを変えた。


パレルモ。私がイタリアで一番気に入った町。


サルデーニャ島。ヌラーギを見ようとして行った。ものすごい暑さだった。


私は若い頃は、下手でも絵を描いた。今は描かない。どうして何もしないようになってしまったのか。

さて明日は、試しに外を歩いてみる。もういい加減に健康にならなければいけない。今日記事を沢山出したのは、明日以降忙しくて記事を出せなくなるかもしれないから。忙しく動かなければならない時が来ている。

最後の書籍補完計画(19) [  昔の本(補完計画)]

前回の記事の最後で文字が読める画質を追求したが、それでも文字は読めなかった。スマホアプリでUPしては駄目だ。画像を縮小してしまうから。PCからUPすれば縮小なしのJPGをUPできるが、私はまだ残念ながらPCの前に座れるほどの健康を取り戻していない。完治まであと一歩という所で症状の改善が数日間ほぼ止まっている。困った。

さあいよいよイタリアだ。


アンティパスト。量的に注文しないで終わるだろうが。


プリモピアット。


セコンドピアット。ああ、ポレンタがある。当時私はポレンタが食べたかった。あれ、クスクスもある。

カンパリニズモという言葉を私は当時初めて知って、好きになった。おらが村の鐘、わたしの町の鐘という語源だという。私は旅にウォークマンプロフェッショナルを持って行き、鐘の音を録音した。ここにUPすべき画像は、PCからスマホへコピーしたものをうっかり消してしまった。でもどうせ、「カンパリニズモの国」というタイトルが見えるだけで小さな文字は判読できなくなるから、別の画像を出そう。


ジェスチャー付きの一言コーナーは、モロッコ本のそれの面白さを越えることはできない。ブオーノ ブオーノだけは旅の最中に使わせてもらった。なんで本と違って2回言うのかって?それは、旅の途中で人と話した時に相手がそう教えてくれたから。


ローマ!パレルモが大好きな私でも、ローマにそれ以上の大量の魅力が存在する事を認めざるを得ない。事情の違いはあっても、ミラノが一番好きな人もヴェネチアが一番好きな人も、ローマの魅力を否定する事は出来ないはず。


たった今書いた通り、ローマには大量の魅力がある。それを、一冊の旅行ガイドブックからのたった1枚の画像で語ろうというのは無茶だ。ならば、いっそのこと極めて個人的な思いから1枚の画像を決めよう。スペイン広場。ローマの休日とは関係ない。私は若い頃からローマの休日は好きだったが、それは別だ。個人的な旅の思い出が理由だ。

最後の書籍補完計画(18) [  昔の本(補完計画)]


ベヒッ!ああ、このページを読むたびにモロッコへ行きたくなった。


この便所そのものではないが、少しヨーロッパタイプに近づいた形のを私は知っている。モロッコではなくトルコで体験した。


ああ、フェズのメディナを探険したかった。


この不思議なデザインのカードには興味があって、似たデザインのをヨーロッパで見かけた時に手に入れた。



この特集(旅行ガイドブック)を始めてから、ずっと思っていた事があった。画像が不鮮明で文字が読めない。縮小するから仕方がないと思っていた。今回、画像アプリでトリムしただけの段階(つまりブログアプリで縮小・UPする前の段階)の画像を見ながら記事の文章を考えようとして、とんでもない事に気づいた。すでに画像が不鮮明になっていた!それから調べたら、画像アプリの設定が画像読み込み時点でスマホ画面サイズまで縮小するようになっていた。私はいまだにPCでの作業が念頭にあって、スマホでの常識というのがわかっていない。PCの画像アプリは、画像を読み込む時にディスプレイのサイズまで縮小なんかしない。だからまさか勝手に縮小するとは思っていなかった。

今までのUP分を作り直す気力は残っていない。これから作る画像はトリム時に縮小しない設定で行う。今回の画像があと1枚ある。まずはその画像で試そう。この本の中で一番興味深かったガイドボーイの話だ。文字が読めると良いのだが。

最後の書籍補完計画(17) [  昔の本(補完計画)]

朝だと思って目を覚ましたら、真夜中だった。外は意外な事に嵐だ。雨が降るとは聞いていたが。どうせ眠れないので、モロッコに思いを馳せよう。


モロッコ。私にとっては憧れで終わってしまった。ある国を旅する前は、人は現実とは違う勝手な憧れを抱く。しかしそれはそれで美しい。その国を旅すると、憧れと現実の違いを知る。しかしその後は、現実に即した、地に足のついた思いを抱く。その意味で、私にとってモロッコは憧れのままだ。






この時代のガイドブックはカラーページが巻頭に少ししかない。後年の版はカラー写真だらけだというのに。残念だ。


私は結局モロッコへ行かず、世界一複雑なフェズのメディナに挑戦することはできなかった。


クスクスにはずっと興味があったので、後年に日本で見つけて食べてみた。

自分が行った国は、旅行ガイドブックが全てでないことも、今どきインターネットでガイドブックより多くの知識が得られることも知っているので、ガイドブックの画像を出しながらその国の話を書いていて少し足りないものを感じた。しかしモロッコは私の行っていない国だ。私にとってこのガイドブックが全てだから、記事を書いていて足りないものを感じない。つまり私はモロッコそのものでなく、この本の事を書きたいんだ。実際のモロッコを私は知らないから。その意味で、次回はいよいよこの本の面白い所を懐かしむことができるだろう。でも今回はここまでだ。

最後の書籍補完計画(16) [  昔の本(補完計画)]

旅の6か国語会話集。ページの紙が同社の他のガイドブックよりも薄く、表紙の紙も薄い。それを補うように透明ビニルのブックカバーが付いていた。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語の順で、共通のテーマの会話例がフリガナつきで多数載っている。5つもの言語の会話が一度に学べる本というのは興味深い。しかし、旅の前に覚えるには文章の量が多すぎ、覚えるのに長すぎる文章も多い。覚えるのでなく、この本を常に携帯して町を歩き、必要な時に必要なページを探し出して使うのだろうか。私は旅行に際して10個以内の短いフレーズを暗記し、本を携行せずに喋る方法をとったので、この本は旅行中の即戦力としての価値はなかった。旅行前や旅行後に自宅で読んで、ミニ文法講座のコーナが興味深かった。











最後の書籍補完計画(15) [  昔の本(補完計画)]

今回はデンマークとスウェーデン。私はデンマークもスウェーデンも少しだけ行った。飛行機のパンフレットだったか特急列車のパンフレットだったか忘れたが、塔に螺旋階段があって頂上にラッパを吹く天使のいる教会の写真が載っていた。それがデンマークにあると知って、イタリアをメインに回るつもりだった私は急遽足を伸ばすことにした。






せっかくユーレイルユースパスを持っているのだから、そのままスウェーデンも体験しようと考えた。ところがストックホルムまでの列車の旅が長くて長くて参った記憶がある。あと、非常食としてリュックに入れておいたパンを船の甲板で食べようと取り出したら、青カビだらけになっていてビックリして棄てたのが印象的で、いまだに覚えている。貧乏旅行の私が乗った船だから、ユーレイルユースパスが通用する船だ。





最後の書籍補完計画(14) [  昔の本(補完計画)]

ポルトガル。






ギリシャ。私はギリシャ神殿にはそれほど引かれなかったが、メテオラの奇岩の上に立つ修道院と、サントリーニ島の白い建物にはとても引かれた。結局旅行中には行けなかったが。私はギリシャの旅行ガイドブックを買って、憧れながら読んだ。当時はまだインターネットが巷で利用されていなかったので、本は重要な情報源だった。





最後の書籍補完計画(13) [  昔の本(補完計画)]

左足の腫れが、昨日辺りまでは毎日わずかずつ治ってきた感触があったが、昨日から今日にかけては症状が同じで治っていないような気がする。しかしこういう時は焦っても何も変わらない。昨日と今日が同じでも、明日は改善しているかもしれない。焦らず地道に養生する事だ。そんなわけで、今はいつもより多く時間がある。時間がある日には、複数の記事を出す事をお許しいただきたい。逆に何日も記事が書けない時もある。書けない日が続くうちに、予定していたテーマが中途消滅する事もある。書ける時に書いておかないと、書けなくなるかもしれない。

今回はまずイタリア。当時私が興味をもっていた国だ。今UPしている本が終わったら、ぜひイタリアの本も懐かしみたい。でも人間の未来は不明なので、また記事が書けない状態にならないようにと祈るばかりだ。






スペイン。スペインの田舎にも雰囲気が格別の場所がある。それとは別に、ガウディの建築も興味深い。私は夜行列車でフランスからスペインへ向かおうとしたが、何を間違えたか国境手前で列車は南下、フランスの田舎のちっぽけな駅に真夜中に停車した。私は残念ながらそこからパリ方面へ引き返す事となった。スペインには縁がなかったという事か。





最後の書籍補完計画(12) [  昔の本(補完計画)]

オーストリア。






スイスのページはほとんど写真を撮らなかった。2枚しかない。旅行当時もスイスには関心がなかった。なぜだっけと考えるに、私は貧乏旅行をするつもりだったから、金のかかる国は将来贅沢旅行をする時に行けば良いと考えたのを思い出した。




スイスが2枚だけだったので、今回はもう1枚出せる。今回最後の画像は、今ではないであろう宣伝。国際電話も様変わりした。

最後の書籍補完計画(11) [  昔の本(補完計画)]

オランダ。


各国と各都市のコメントのうち、オランダの担当者の文章はとりわけ印象深かった。


「堤防に穴を見つけた少年が、自分の腕でこの穴をふさぎ、海水の浸蝕から祖国を守ったという愛国美談。幼いころこの話でオランダを知った人も多いはずだ。」し、知らん。しかし何という印象的な書き出しだろう。そしてそれがオランダの地理的特徴に直結している。


アムステルダムの書き出しもすごい。「運河と風車とチューリップ。そんなイメージを持って、アムステルダム中央駅に(それも夜)降りたら、少なからずギョッとするに違いない。風に舞う紙くず、暗い闇の中にわびしげに明滅するネオン」さらにはある作家の作品から引用してこんな事まで書く「同心円を描く、アムステルダムの運河が地獄の輪にそっくりだということに気づいておられますか?」ある町を紹介する文章として、普通こんな文は書かない。それでいて、読んだ人は引いてしまうどころか、むしろ一度行ってみたいと思ってしまう。

次はドイツ。当時は時代的に西ドイツだ。





この本では普通、各々の国をまず首都の紹介から始め、それから他の都市の紹介をする。でもドイツはフランクフルトという都市の紹介から始まる。当時の首都がちっぽけで旅行者向けに紹介するような都市ではなかったということか。

最後の書籍補完計画(10) [  昔の本(補完計画)]

今回は、フランスから始まる。



この本の魅力のひとつは、各国や各都市に担当者が付けたコメントだろう。旅した当時は頼りになる実用書として使ったので気づかなかったが、今改めて読むと実感する。この記事では画像を大きくできないので、その味わいあるコメントが読めるかどうかがわからない。



次はベルギー。



私はなぜか、上の画像の右側のネエチャンが昔から印象的に感じる。


最後の書籍補完計画(09) [  昔の本(補完計画)]

これが3回目の記事だが、今までに出した写真はまだ10枚足らずだ。昔、旅の前にはこの本をどのページも繰返し読んだが、今はかいつまんで出すしかない。残念なことだ。


トーマスクックの時刻表。懐かしい。私は最初の旅ではこれを愛用した。ネットで時刻表を検索できる時代になってからは不要だったが。私は大抵のものは保存しておいたが、この時刻表はもうないと思う。そもそも自分に必要なページだけを破り取って持って行ったし。

ユーレイルパスなどのページは、くどくなるので割愛する。


ヨーロッパからはモロッコへ渡るという選択肢がある。当時私はそれも考えていた。実現は出来なかったが。モロッコの旅行ガイドブックを買って、憧れながら読んだ。もしこの特集を長く続けられたら、そのうちにはモロッコのガイドブックも懐かしむ事ができるだろう。でもそれは先の話だ。

ページをかなりはしょったおかげで、早くも各国のページにまでたどり着いた。各国のページは、原則として最初の概説と、首都のページだけを出す。それだけでも結構な画像数になるはずだ。言うまでもないが、この数十年前のデータは、これから旅をする人にはまったく役に立たない。この記事は、数十年前にこのガイドブックを持って旅した人間が懐かしむ事を目的としている。


この旅行ガイドブックの各国ページは、イギリスから始まる。EUを離脱する前どころか、そのEUが出来る前のイギリスだ。


私はイギリスへ行かなかったので、このページの思い出はほとんどない。いやイギリス以外でも、行かなかった国のほうが多い。でもこうして人々の目にも留まる形で記事に出しているのだから、イギリスのページに思い出がある人にも懐かしんでもらうほうが良い。そういうわけで主な国は出すが、私からのコメントはほとんどなく進行する事になる。私のコメントは、もっと後になってから、別のガイドブックで書くつもりだ。(足の腫れがこのまま治り、この特集をそこまで続けられたならば。)

最後の書籍補完計画(08) [  昔の本(補完計画)]

前回に引き続き、昔の旅行ガイドブックを懐かしみたい。ようやく本文に入った所だった。

前回の画像サイズはスマホアプリ設定の最大値だったので、今回は試しに少し小さくしてみる。なにしろスマホアプリでは画像は全部PNGに変換されてしまうので、残り少ない画像用領域が早く埋まってしまうのだ。PCさえ使えれば画像をJPGにできるんだが。足の腫れが治るまでの我慢だ。


画像の右の方にバックパッキングという言葉が出てくる。大きなリュックサックを背負って旅するスタイルのことだ。そうする人をバックパッカーと言った。当時はこれがトレンドだったが、もうずいぶん前からスタイルは変わったのではないか。私は、大学生くらいの若い女の子が友達と数人でスマートな小さめのスーツケースを引っぱって歩いている所を想像してしまうのだが。そう思ってウィキペディアを見てみたら、今でもバックパッカーが健在なように書いてあった。本当かなあ。


画像左側の下にある貴重品袋、私はこれが懐かしい。最初の旅はどこかがくれた貴重品袋を持って行った。でも後年の旅ではさらにかさ張らない手製腹巻きを愛用した。


TRAVEL DIARY、これも懐かしい。最初の旅はこれを持って行った。今も自室の引き出しにあると思うが、残念ながら左足を腫らして治すことを第一に考えなければならない今の私は、安楽椅子から立って自室に探しにゆく事すら自粛しなければならない。残念だ。


町にはヘソがあるとは楽しい表現だが、ヨーロッパに限れば本当に町でも村でもヘソがある。そこは広場または辻になっている。


右下に列車のコンパートメントの写真がある。懐かしい。あなたももしバックパッカーだったなら、列車のコンパートメントには色々な思い出があるだろう。

ここまで見てきて、あなたはカラー写真がない事に気づかれただろう。私が持っている版の残念な所は、カラーページが少ないことだ。後年の版を書店でパラパラと見たら、もっとカラーページがあった。

最後の書籍補完計画(07) 経緯 [  昔の本(補完計画)]

元気はどうやったら出るか。生き甲斐とは何か。それは人によって違う。これほどかと思うほど違う。だから他人の真似だけは意味がない。自分がどうありたいか、だ。たとえ他人にとってどうでもいい事でも、まったく無意味だと言われても、自分にとって元気の出る事、生き甲斐になるものをやめちゃいけない。

今日の昼間、親はテレビで「下町ロケット2」を見ていた。それが親にとっての元気の出し方だったのかもしれない。しかし私は、元旦から左足が腫れ、家の事、仕事の事と三重苦で心が折れてしまい、「師が弟子の発明を横取りしようとする話」は辛すぎて見ていられない。途中で親の部屋のそばを通ったら、テレビのスピーカーから怒声が聞こえてきて、ああこれはたまらんという気持ちになった。私は自室に逃げ帰った。

自室で私が何をしたか。去年からやろうとしていた事にようやく着手できた。昔の本のデジカメ撮影だ。去年の12月になった頃だったか、私は自室を見回し、まだやっていない「人生補完計画」は何だろうかと考えた。部屋の隅に埃よけビニルに包んで置いてある本が目についた。これを今年中に撮影してしまおうと決め、私はきれいに包んであるビニルを破いた。でもその直後に年末で仕事が忙しくなり、それが終わったら大掃除をしなければならず。その大掃除の半ばで熱を出して寝込んだのは以前の記事に書いた通り。埃よけのビニルを破った本はそのまま年を越した。

正月三が日も今日で終わりだが、左足はいまだに腫れている。でもだからといって一日中寝ているわけにはゆかない。見た目は腫れているが、薬のおかげで痛みは引き、違和感という程度になっている。そこで私は本の写真撮影を始めた。するとどうだろう、たった今まで潰れていた私の心が、とたんに元気になったではないか。人とは不思議な生き物だ。私は誰も見向かないような本を写真撮影している。私以外の誰もそれに価値を見いださないだろう。でもこれだけが私を別人のように変えてくれる。「足の痛みなんか何だ。そんなもの吹き飛ばしてやる」と思いつつシャッターを切る私がいる。

私が撮影したのは、旅行ガイドブックだ。「ヨーロッパを1か月以上の期間、1日3,900円以内で、ホテルなどの予約なしで、鉄道を使って旅する人のための徹底ガイド」と書いてある。若い頃に外国旅行をした人の中には、この本のお世話になった人が多いはずだ。その意味では、懐かしく思う方は多いだろう。ところが他方では、この本は2年に1回くらい新しい版を出していた。表紙はその度に変わった。だから、私が表紙の写真を出したところでそれが懐かしい人はすごく限られてしまう。中身は2年で情報が一新されるわけがないから、ここに出す写真は中身のほうが良いだろう。


まずはヨーロッパ地図。ここで、いくつかの事を知ってほしい。まず、チェコスロヴァキアという国がある。東ドイツという国がある。そういう時代だ。次に、画像をクリックしても大きくならない。なぜなら、PCではなくスマホアプリで記事更新をしているから。スマホアプリにはクリックで拡大させる機能がない。なんでPCを使わないかというと、今日デジカメ撮影した写真を編集するためにPCの前に座ったら、どうやらそれで左足の腫れを悪くしてしまったらしいから。私はこの足が治るまではPCの前に座れないらしい。参った。

今日は「経緯」ということで文章を長々と書かなければならなかったので、画像はあと少し出して終わりにする。画像サイズも、スマホでUPすると的確かどうか分かりにくいから、今日は画像サイズのテストという意味もある。


旅行ガイドブックの記事だからといって外国の写真や解説を出すとは限らない。本そのものが昔の懐かしい記念なのだから。この元気そうなネエチャンは、印象的だったな。本来宣伝されるべきアメックスTCよりもずっと印象的だった。


こっちのネエチャンは、あんまり記憶にない。お気づきの通り、画像は歪んでいることがある。本をクリップで留めて写しているので、仕方がない。


本日最後の画像は、ようやくこの本の本題に入ったところ。ヨーロッパ往復18万円。そう言える時代だったんだ。今はいくらかかるんだろう。本に書き込みがしてあるが、これは仕方がない。昔私が旅の前に研究した時の書き込みだ。昔の思い出をデジカメ撮影するのだから、とりわけ書き込みのあるページを撮ることになる。

そんな感じで、これから何回かに分けて昔の旅行ガイドブックを懐かしみたいと思っている。

ウドンゲのなぞをとく [  昔の本(補完計画)]

もうずいぶん前から個人的な記録ばかり多くブログ記事にするようになり、ずっと気にしていたが、ついに諦めの境地に達しつつある。better than nothingだ。引っ込み思案になっていたらいつまでも記事は生まれない。

今日は、大昔の子供向け図書「ウドンゲのなぞをとく」について。

この本は、私流に言うところの「人生補完計画」を始めてから、ずっと気になっていた。子供の頃、私はウドンゲの本を読んだ。ここで言うウドンゲとは仏教用語ではなく、クサカゲロウの卵のことだ。子供の頃に読んだ本の情報を探していた私はネット検索したが、当時は「ウドンゲのひみつ」で検索したので何もヒットしなかった。それから何年も経ち、先日PCをシャットダウンする前に少しだけ何かしようと、この本を検索し直してみた。ネット検索の結果がうまく行かない時は、時を改めて何度も試すのがいい。なぜなら、その時には気づかなかったキーワードや、複数キーワードでの検索に後から気づき、その結果うまく行くことがあるからだ。この日は書名が「ウドンゲのなぞ」だったような気がして、それで検索したところ、見つかった。正しくは「ウドンゲのなぞをとく」だった。

私は、自分の記憶と実際の書名との相違が興味深かった。私の記憶は「ウドンゲのなぞ」であり、「をとく」がない。つまり、子供の頃の私は「なぞ」そのものが印象的だったが、本の著者が訴えたかったのは「なぞをとく科学的好奇心への招待」のほうだ。あなたは普段意識しているだろうか、一冊の本が存在する時、それを書いた側の意図と読む側の受け取り方は必ずしも一致しないということを。これは一種の受容理論だ。世間では時として能天気に「この本にはこういう事が書かれています」と宣伝する。人々もそうだと思う。しかし実際には、本という媒体を読む人間の数だけ読み取り方があり、注目する点の差異があり、好き嫌いがあるのかもしれない。この、子供向けの第一歩としての「科学書」を意図して書かれた本を、子供はそう読むだろうか。クサカゲロウの蛹が繭を美しく綺麗に切って穴を開けるさまを知り、それを美しいと思い、それを子供は「美術書」のように読むかもしれない。あるいは、電灯の笠に生えた不吉の印という恐ろしいものが実は昆虫の卵で、しかもそこには生命の繊細かつ力強いシステムがあるのだと解明されてゆくさまを、子供は「ミステリー」で探偵が事件を解明するさまのように読むかもしれない。その本を子供が読んで、大人がするのと同じ読み方をしなかったとして、大人にその子供を軽視する資格があるだろうか。むしろ、大人の凝り固まった発想とは違う所から、何か新しいものが創造されてゆくのではないか。

さて、ネット検索で書名がわかった私がしたことはもちろん、今でもその本が手に入るかどうかの調査だ。手に入るとわかった。複数のサイトで複数の本が売られていた。もちろん中古として。子供向けの本の中には時として復刻版が出る本もあるが、それには子供の本復刻を望む時流とか、非常に多くの需要といった要因が必要だ。「ウドンゲのなぞをとく」の復刻版はないだろうとわかっていた。表紙や中身の写真が出ていて本の状態が視覚的にもわかり安心できるサイトは、残念ながらオークションだった。私は引っ込み思案の性格で、競りというのはどうも向かない。定価のほうが向いている。それで残念なことに、写真が一切出ていなくて出品者からのテキストによる状態説明だけがあるサイトから選んだ。私は、自分が子供時代に持っていた本を手に入れたい時、基本的には「自分が読んだと思われる年に近い出版年の本」を選ぶ。なぜなら、版によって変更があるかもしれないから。初版で箱入りだった本が後年の再版では箱無しになった事例もある。でも他にも大事なチェックポイントがある。中古だから、カバーが付いているかどうか。もしも本来箱入りの本ならば、箱は付いているか。今回は、出版年よりもカバーの有無で決めた。

そして数日後、本が自宅に届いた。本の状態は、大昔の本は今ではこんな感じだろうという状態。カバーの端にほんのちょっぴり切れ目がある。うん、普通そうだ。扱っているうちに、背のあたりに指が擦れたりした時にちょこっと切れる。問題なし。ただしカビは多めと書かねばならない。目に見える茶色いカビが、カバーと、カバーの折り返しにとくに多い。本を持っていて指に感じるザラザラ感。これはホコリかカビだ。ザラザラ感はカバー、表紙と見返しにとくに多く、それに近いページにもあるが、真ん中あたりのページにはあまりない。私は読む前にティッシュでこすって、落ちる分だけ落とした。手触りがずいぶん変わった。

その後で、私はゆっくりと本を読み始めた、と書くのが普通なのだが、「人生補完計画」の影響で私は変な性分になってしまって、まずは全ページのデジカメ撮影だ。それはすぐに終わった。普段シミ・そばかすの発生を恐れて日焼けを嫌う私が、午前中の陽射しに顔を焼きながらデジカメ撮影するのは、不思議とスポーツで汗を流す爽快感に似た感覚がある。

中身を読み始めて、まず懐かしいのが電灯の笠に下がるいくつものウドンゲの絵だった。子供の頃の私はもちろん文章を読んだけれども、それにも増して印象に残ったのは挿絵だ。当時の私はこの本を、あるページは美術書のように、別のあるページはミステリーのように読んだ。今改めて読んでみると、本から読み取るものは子供の頃の私とはまるで違う。今の私は次のように思った。この本は著者が子供の頃に体験した出来事という体裁で書かれている。でも子供の頃の思い出をそのまま文章にしたわけではない。なぜなら、ウドンゲの描写が子供の頃・数十年前の不確実な記憶の描写ではないから。長さ10ミリほどという表現や、チョウのひげか、サクラやウメの花のおしべのようなかっこうという表現は、子供らしくない。数十年前の記憶ならば長さはごく短いとしか思い出せないのが普通で、しかも大人に比べて子供は自分の背丈が低いから、見る物すべてが大人の目よりも大きく見える。だから大きさも誤解する。著者はそういう所をすべて排除して、現在の自分つまり大人の生物学者の立場から、この本を読む人がイメージしやすいようにとウドンゲを描写している。子供の頃の思い出という描写のリアリティーは、この本では犠牲にされ、著者の意図するこの本の目的としても犠牲にされるのが正しかったのだ。

ページをめくると、また懐かしい挿絵があった。ウドンゲがさいた家は不しあわせなことが起きるという所で、人が後ろを向いている挿絵だ。てっきりモノクロームの挿絵だと思い込んでいたが、なんとカラーだった。先ほどの電灯の笠のウドンゲを美術書のように美しく感じた子供の頃の私は、今度のページを陰鬱な雰囲気で始まるミステリーのように感じて読んだ。ここも、大人になった今の私は別の読み方をする。ここから始まる物語は、私には啓蒙のように思える。迷信から理性への啓蒙。これは本当に著者が子供の時に体験したことなのだろうか。啓蒙物語として、話がうまく行きすぎる、出来すぎている気もする。でも、当時の日本では多くの人がこういう形で迷信から理性へ、思い込みから科学へと目覚めていったのかもしれない。だから私はここで邪推をやめよう。とにかく、こういう形で物語が科学へと踏み出すことが、著者の書きたかったことだ。

その後のページにある写真(卵から幼虫が出てくる所の連続写真)も、見ていると記憶が蘇る。子供の頃の私ではなく今の私はというと、著者の著作上の立場を確信した。著者の子供の頃の思い出話と、それを読者に理解させるために後年に撮影したクサカゲロウの写真を合わせて1冊の本にしている。あるいは、アブラムシを食べるクサカゲロウ幼虫が人間にとっての益虫なので大事にしなければならないという記述がある。この本を、ある人の子供の時の思い出として読むことはできない。著者は自分の子供の時の思い出という体裁で物語を進めるが、それが本当に子供の時の思い出でなくても、作り話であってもどうでもいい。その体裁の中でクサカゲロウという例を出しつつ、読者に科学への興味を抱かせることができればいい。子供の頃の私は目の前にある対象を正確に認識する能力に欠けていたので、クサカゲロウの生態を興味深く追うことまではできたけれども、それでもこの本を一部美術書のように受容したり、ミステリーのように受容したりした。結局大人になるまで、この本の著者が望むほど自然観察の道へ進むことは、私にはできなかった。でも、本とはそういうものだと思う。最初のほうで書いたが、読者の読み方は十人十色。著者の思い通りに読者が読んでくれるなんて思わないことだ。その意味で、子供の頃の私がこの本を美術書としても読み、ミステリーとしても読んだのは、やっぱりそれで良かったのだ。

実は本のデジカメ撮影と同時に、ものすごい出来事があった。うちの洗面所の壁にカゲロウらしき昆虫が止まっていた。カゲロウの生態を書いた本が届いてデジカメ撮影をしている最中にだ。じっとしているので、12月の寒空に追い出すのも気が引けて、そのままにしてやった。何時間も経って見に行っても相変わらず同じ場所にじっとしていたが、たった今、日付が変わって午前1時に見に行ったら、さすがにもう姿はなかった。

凄ノ王伝説デジカメ撮影記念 (1) [  昔の本(補完計画)]

扉カラーページ集(全7巻のうち、第6巻まで)
なんで第7巻がないかというと、私が本を買った古本屋に第6巻までしか置いてなかったから。私は個人的には、スケールがあまりに大きくなってしまう後のほうの話よりも、学園ものの話の中で朱紗の超能力がぐんぐん強くなる前半の話が好きだった。

凄ノ王伝説1 サイキック学園 扉絵
神話の時代の素戔嗚尊と八岐大蛇。「伝説」では最初からこれが暗示される。
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凄ノ王伝説2 超能力ジャイアント 扉絵
怒りで魔神の姿になった朱紗が町の暴力団を壊滅させ、その超能力は荒れ狂う。
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凄ノ王伝説3 ESPファイター 扉絵
PK部隊は朱紗の強大な精神世界に取り込まれてしまい、そこで鎖につながれた巨人に遭遇する。
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凄ノ王伝説4 テレキネシス剣士 扉絵
雪代と朱紗を捕らえた不死団の頭上からファイアーバードが来襲する。
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凄ノ王伝説5 バイオレンスストーム 扉絵
ついに朱紗は魔を際限なく吸収し、魔王の姿となる。
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凄ノ王伝説6 闇の魔神 扉絵
巨大になりすぎた魔の精神が朱紗の肉体を捨てて飛び去った。残された朱紗に魔物と化した青沼が襲いかかる。
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たかがはるか昔のマンガ本かもしれないが、それでもデジカメ撮影に集中することで、ここ数日とても充実した日々を送れた。今回の記事で画像をいっぱい出しすぎたので、「凄ノ王伝説デジカメ撮影記念 (2)」は怒涛のテキスト情報になる予定。

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撮ったぞマンモス憐れなヤツとやっピー [  昔の本(補完計画)]

少し前に星矢を記事にしたかったが撮影が間に合わなくて記事にできなかった。今朝仕事に行く前に、朝日に顔を焼きながら撮影した。私は顔を焼きながらも本の撮影を強行すると、自分の本への愛情を感じてガンガン嬉しい。
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画像が無意味に大きいのは、今の私の喜びの大きさだと思ってくれ。スキャナでなくデジカメ撮影だから、多少のピンボケは我慢しなければならない。

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最後の書籍補完計画 (06) [  昔の本(補完計画)]

今回の記事は前回(05)の続きではない。あれから私は自分が持っている漫画本について、改めて調べた。普通、人は自分が持っている本についてわざわざ調べない。だって、本は調べるものじゃない。読むものだ。そして読む本がすでに手元にあるというのに、何を調べるというのか。そこをあえて調べて、自分が長年所持してきた物品を認識し直し、大事にしてやる気持ちを新たにする。だから補完計画なのだ。

今回のテーマには、本当は聖闘士星矢を選びたかった。「やっピー」だ。「マンモス憐れなヤツ」だ。作品の中でこのへんだけ変な言葉遣いだったのが懐かしい。今回調べたら、後の出版ではこれがないという。読者は変更をしてほしくないよね、たとえそれが過ぎ去った時代の流行り言葉でも。それを私からも主張したかった。ところが私はこの部分をまだデジカメ撮影していない。それで仕方なく、今回は他の漫画を先にする。

電影少女。星矢とジャンルは違うが、これも有名作品だ。この漫画はコンセプトもストーリーもたいしたものだ。レンタルビデオ店のビデオテープを再生すると実体のある女の子が現れる。若い男子がふと戯れに考えそうなことを、長編の人気漫画にまで作り上げてしまった漫画家の手腕には、ひたすら感服するしかない。だから、本来ならばひたすらストーリーにのめり込むべき作品なのに、妙に一部のシーンが話題になってしまう。話題になってしまうような一部のシーンを作者が描いているのもまた事実だから。

私は、雑誌掲載時のページを保存したと思っていた。雑誌の束はスキャナーでスキャンはしたものの、ファイルの全部が連番だからその中から電影少女を探すのに苦労する。それで私はまず、単行本のほうに電影少女がないことから確認しようと思った。そうしたら、私は単行本を持っていた。
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厳密には、スキャナーでスキャンした後処分したとメモしてあった。てっきり雑誌のページを保存したと思ったが。でもまてよ、ひょっとして、と私は考えた。面倒だったが雑誌の束スキャンを最初から調べて行った。雑誌のページもあった。
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若い頃の私は、何やら妙な所に情熱を傾けていたらしい。もしも別の分野で情熱を燃やすことができていたら、社会で成功していたかもしれないが。でもしょうがない。そういう分野には興味が湧かなかったんだろうよ。

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個人的記録 TAMAEという昔の自販機雑誌 [  昔の本(補完計画)]

今日は無名の雑誌のことなので、人様に読んでもらう記事というよりも自分の日記だ。しかも雑誌そのものは昔のいかがわしい自販機で売っていた雑誌だ。そんなわけで、個人の思い出として書かせてほしい。



この無名雑誌は、去年の記事にも一度書いた。でも去年の記事では、「別にその手の自販機で売らなくても良いんじゃないかという雑誌」だと書いた。その時は私は本当にそう記憶していた。ところが先日ハードディスクの中で見つけたメモによると、やっぱりいかがわし自販機の雑誌だった。メモには次の通りに自分で書いていた。

内容はソープ嬢の紹介や性病の解説もあれぱテレビドラマに出演するアイドルのページもあるという無節操なもの。

なんでメモなんか残すのかというと、けっして広くない自室の中に沢山のものがあるから、滅多に見ないものは奥に仕舞い込む。いったん仕舞い込んだら出してくるのは困難だ。だから必要に応じて内容についてのメモを残したりデジカメ写真を撮ったりして、ちょっと参照する位の目的ならばそれで済むようにしている。これを自室内のあらゆる物にたいして行うのは大変な作業なんだが、何でもすぐに参照できて重宝するのも事実だ。

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雑誌のタイトルはTAMAEという。これは人名らしい。私は世の中に疎いので何もかも知らないが、昔、沢田玉恵という人がいたそうだ。ウィキペディアで調べたら、次のように書いてあった。

1983年、CBSソニー主催のオーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト」に参加し、優勝する(準優勝は河合その子)。当時は中学生であったため、中学校卒業を待ち、1986年4月堀越高等学校に入学。酒井政利プロデュースの下、4月2日松本隆作詞、筒美京平作曲のシングル「花の精」でデビュー。キャッチフレーズは「ソニーの神秘」。宮本輝原作の映画『螢川』で女優としても高い評価を得て(公開は引退後になる)、『北の国から'87 初恋』に吉岡秀隆の相手役として出演する事も決定していたが、わずか半年で引退する(後略)

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この雑誌はタイトルこそTAMAEだが、全編沢田玉恵の特集というわけではない。ソープ嬢の紹介や性病の解説が雑誌に載っていると知ったら、沢田玉恵は間違いなく嫌な顔をしたに違いない。たぶん雑誌の編集者は、当時人気があった沢田玉恵を前面に立てつつ、若い男の子が興味をもちそうな記事をアイドルからソープまで節操なく取り入れて、とにかく売ろうという意図だったのだろう。

そういう節操なしの雑誌の中で私が何に興味をもったかというと、まずはこれだ。
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真ん中に写っている女性は私の興味の対象でない。どこかの旅館らしき建物が美しい。私はこういう雰囲気が好きだ。

次にデジカメ撮影したのはこれだが・・・これはたぶん念のために撮影しておいたんだと思う。「大好きな自転車を盗られて、泣きながら1時間、歩いたの」と書かれたら、記事を読みたくなるじゃないか。世間知らずの私はこの藤代美奈子も知らない。
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次は、これ。
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「うちのタマエ知りませんか」というタイトルは、もちろん雑誌のタイトルTAMAEと関連している。たぶん、雑誌編集長は早坂未紀氏に「雑誌タイトルのTAMAEを使って描いてください」とお願いしたのだろう。えっと・・・こんな興醒めなことを言っては本当はいけないんだろうけど、私は昔からこのタマエの足が長いなあと思っている。折り曲げて膝が顔までくるだろうか。でもそのほうが漫画としては見栄えがするのかもしれない。漫画では写実は重要でないから。
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今回3ページ出して、この後が去年の記事の3ページに続く。前回の記事で真ん中あたりだけ出してタイトルも始まりもわからんという状態だったので、見てくれた方に悪かったと実は少し気にしていた。今回の記事と合わせて6ページ出せたので、ほっとしている。絵の感じが去年の記事に出した分と違うのは、縮小処理に使ったソフトが違うから。今回のソフトはちゃんと補間処理をしてくれるから、前回のようなモアレは出ない。ところが、全体にシャープさがなくなってしまった。前回のように補間処理なしにしようとしても、今回のソフトには「補間処理なし」という選択肢が存在しない。世の中は皮肉だ。

次は、島田奈美。これは少しだけ知っている。CDを1枚持っている。ジャケ買いだったけど。
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次は、これは誰だ?と思ったけど、私は世間知らずで誰も知らないから、とにかく書いてあることを読んでみた。「趣味はダンスとピアノ、現在タレントを目指して、時間のあるかぎりレッスンに励んでいる。」そうか、未来に向けて頑張ってる若者なんだなと思った。その後どうなったのだろうか。「菅崎真実」をネット検索してみた。それらしきものは、見つからなかった。残念だ。
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P.S.
記事をUPしてから最終チェックしたら、漫画の最後の画像が妙にデカかった。縮小を間違えたらしい。でも思うに、せっかくデカいのだからこれからわざわざ縮小しなくてもいいだろう。あと、最後の画像の若者、今では立派な成人になっているはずだが、記事には「元気もりもりでエネルギッシュに話す女の子」と書いてある。現在、何かの道で成功していることを、重ねて願う。

個人的記録 凄ノ王の思い出 [  昔の本(補完計画)]

「凄ノ王」というのは永井豪の漫画だ。この漫画についての私の思い出は、ひとことで言うと「前に見たのと違う」という釈然としない気分の思い出だ。

私が初めて凄ノ王を見たのが一体いつで、どこで、どんな本だったかは、残念ながら昔すぎて忘れてしまった。ひょっとすると床屋で順番を待っている間に目の前にあった本を読んだのかもしれないし、それとも家で読んだのかもしれない。読んだのは週刊漫画雑誌だったのか、それとも単行本だったのか。とにかく「凄ノ王」というタイトルは、その時に覚えたらしい。

それから何か月も経った。当時の私は今よりも散歩好きで、その散歩には目的があるからなおのこと好きだった。その目的とは、ほうぼうの古本屋へ行って昔の漫画本を安く買うという目的だった。ある時、どこの古本屋でかは忘れたが、凄ノ王を見つけた。「今日はこれを買って帰ろう」と私は決めた。

ところが、家に帰って読んでみると、どうも記憶にあるシーンと違う。何か違うなあ。自分の記憶間違いかなあ。それとも単行本化のさいに改変されたのかなあ。記憶違いか改変か、まったくわからずに釈然としない気分のまま、私は読み続けた。

それから何年いや何十年もの月日が経った。そして今日になった。私は年をとって昔が懐かしくなり、若い頃の思い出を集めている。その一環で若い頃に読んだ本もいちいち調べている。今日はたまたま凄ノ王を調べた。すると、あるサイトに、新しく出版された凄ノ王は改変があると書いてあった。ウィキペディアにも、「単行本化のたびに既存部分に描き直しや追加がなされたり、ページ(扉絵を含む)の削除が行われたりしており、各版で異同がある」と書いてある。

私は初めから考え直した。「凄ノ王」は、少なくとも以下のものがある。そしてきっと、文庫版とか何か他にも出たのではないだろうか。

週刊少年マガジン連載時
単行本 凄ノ王
単行本 凄ノ王伝説
単行本 凄ノ王超完全完結版

上に書いたが私は若い頃の思い出を集めているので、私の思い出である「前に見たのと違う」が実際には何だったのか、私の記憶違いか作品の改変かを知るのが目的だ。私が古本屋で買い今でも持っているのは凄ノ王伝説なので、それ以後に出た超完全完結版は私の目的から遠ざかる。「伝説」以前に出版された凄ノ王の情報がネット上にないかと思い探したが、今の所ネット上の記事を読んで解決できるようなものはない。仕方がないかな。大昔のことは、たとえインターネットでもそんなに詳しく調べられないこともある。

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最後の書籍補完計画 (05) [  昔の本(補完計画)]

今日のデジタル化予定はSG企画本の「新世界戦隊」だった。ページ数は今までの本と同程度だが本が大きいので、見開き2ページずつでなく1ページずつのスキャンになると考えた。そうすると時間は2倍かかる。だから2日かけて作業する予定だった。ところが、いざ開いた「新世界戦隊」をスキャナーのガラス面にはめ込むと、なんとか入ってしまった。しめた、これで見開き2ページを同時にスキャンできる。幸運はそれだけでなかった。この本はハードカバーで、それを開くとスキャナのガラス面とほぼ同じ大きさだ。ガラス面の端とスキャナー本体のプラスチック製躯体との間にわずかな段差がある。私はここにハードカバーを突き当てておいてスキャナーの蓋を下ろした。こうすることで、少なくとも本が傾く心配はまったくなくなった。左右の位置ずれも気にしなくていい。(ガラス面の端に本を置くとスキャン可能領域から外れることがあるが、それを気にしなくていいという意味。)あとは上下の位置だけ気をつければよかった。(ガラス面の端すぎて画像が切れないように。)その結果、作業がトントン拍子に進み、2時間くらいで1冊終わってしまった。昨日は苦労して1日かけて1冊済ませたというのに。人生は先のわからないものだ。

いちばん大変だったのはカバーのスキャンだ。ページの大きさはハードカバーよりも一回り小さいから、多少位置が動いてもスキャンできた。ところがカバーの縦方向サイズはまさにスキャン可能領域ぎりぎりの大きさだった。
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今日はまだスキャンできる時間が残っていたので、さらに少しだけ作業した。別の本をまるまる1冊スキャンするのは時間的に無理だった。それで、私が若い頃から結構好きだった短編をひとつ。超人ロック作品で短編と表現されるものにはある程度のページ数がある作品も含まれるので、あえて私はこの作品をショートショートと表現したい。これはSG企画本ではない。出版社の名前は忘れてしまったが、今やウィキペディアの「超人ロック」のページにも載せてもらえない出版だ。私がロックを買い集めた時期には、この出版社の超人ロックが店頭に並んでいた。
この作品は、まず冒頭の静かな雰囲気がいい。

それから敵エスパーの突然の襲来となるが、ロックは「再生」(永遠の生を得るための、定期的な生まれ変わり)が始まっていて、すぐに超能力が使えなくなった。倒れるロック。敵エスパーは「死ね!超人ロック」と言って超能力で攻撃しようとする・・・。
少ないページ数の中で冒頭の静けさから一転しての超能力バトル、そしてまさかの結末。超人ロックのショートショートはかくあるべしと思えるほどに美しい展開。私にはそう思える。

さて、以前の記事に書いたが、私が作業を続けるためには「親のパソコン台」が必要だ。そのパソコン台を親に返さなければならない時が来た。作業はまだ終わっていないが、ひとまず中断しなければならない。いずれ作業を再開するつもりだ。その時にブログ記事にするかどうかは、その時の諸事情で決まると思う。もしも記事にするならば、今回の記事の続きだから「最後の書籍補完計画」のタイトルで出そうと思う。

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最後の書籍補完計画 (04) [  昔の本(補完計画)]

体調は少しずつ悪くなる。やはりスキャン作業は下半身の血行を少しずつ悪化させる。それと反比例して作業効率は少しずつ落ち、作業中の発見で「デジタル化するべき書籍」は少しずつ増える。人生はそんなもの。それはわかっていたことだ。どこで区切りをつけて作業をやめるか。それが問題だ。

作業の初日には2冊デジタル化した。それが翌日には1冊半。その翌日にも1冊半。今日はとうとう1冊だけとなった。作業効率が落ちた理由は疲れや体調悪化だけではない。今日の1冊は予想外のことがあった。

昨日までの本はSG企画のVOL1からVOL5までで、これらは漫画だ。今日の本は「超人ロックの謎」で、これは文章が多い。漫画の場合、仮に綴じしろ近くのフキダシが一部見えなくても、1行はほんの数文字だから、その内容は見える部分から連想できることが多い。

君だって・・・そのくらいのことは計算して・・・
計算して・・・それでどうしたんだ。読めないぞ!
くらいで済む。ところが文章が書かれていると、この程度では済まない。

最近は、下・・・のかかったシャトレーズ。
下のかかったシャトレーズって何だ!全然わからんぞ!

どうして綴じしろ付近が見えないかというと、本の表紙や裏表紙に近いページを開いてフラットベッドスキャナに伏せて置くと、分厚い側のページ束が強いバネのように本の背を押し、薄い側のページ束が押されて、綴じしろ付近が垂直に近い立ち上がりになってしまうからだ。そこで私は、本の真ん中あたりのページからデジタル化を始めることを思いついた。真ん中あたりのページを長時間開くうちに、ページに癖がついて、端のページをデジタル化する頃には分厚い側のページ束が薄い側のページ束をあまり押さなくなるのではないかと考えたのだ。結果は、上の画像でいえば、右のページの「最近は、下」の次行の印刷がわずかに黒く見えているが、あれが見えるようになった。ページに癖をつける前にやったスキャンでは、あのわずかな黒が見えなかった。その程度の違いだった。結局1行読めず、妙なページからスキャンを始めたから画像の連番が狂い、手作業で画像の連番を直さなければならなかった。

ところで、結局読めなかった1行を私がどうしたかというと、その部分だけ別個にデジカメで撮影した。
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デジカメ撮影は一部分にだけピントが合ってしまうので、それ以外の場所はピンボケになることもあり、本当はデジタル化に適さない。

そんなことをしているうちに体調は悪化するし時間は過ぎてゆくしで、今日はたった1冊のスキャンで終わってしまった。でも、私が毎日頑張っていることはこのブログ記事で察してもらえると思う。
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最後の書籍補完計画 (03) [  昔の本(補完計画)]

まずはSG企画の超人ロックについて簡単に調べておこうと思った。私のいいかげんな記憶ではSG企画の作品は超人ロックシリーズの最初期作品・原点作品に相当すると思っているが、確認はしなければいけない。

調べたところ、やはり超人ロックの第1作は「ニンバスと負の世界」(SG企画本のVOL1に相当)で合っているようだ。この作品は、初めて世に出た時点では劇作集団「作画グループ」の肉筆回覧誌に載っていたという。つまり「作画グループ」のメンバーだけが読めたのか。その後第3作「ジュナンの子」(SG企画本のVOL3に相当)が貸本向け単行本として多くの人が読める形で発行されたということは、それほど第1作第2作を読んだ人の支持が強く、口コミ等で単行本発行の要望が広まっていったことを意味する。

私は第1作がとても興味深かった。ロックが超人であることは後の作と変わりないが、細かい所が後の作品と違うと感じた。私はそれが興味深い。私の勝手な想像では、少なくとも2つの要因で第1作はその後の作とは違う。1つめの要因はもちろん、執筆時期だ。ひとつのキャラクターやひとつの漫画作品が、第1作から不動の基本設定を保持しているとは限らない。作を重ねるごとに基本設定が固まってゆくのはありうることだ。2つめの要因は、「その書物が想定する読者像」。今でこそ超人ロックといえば北は北海道から南は沖縄まで、Amazon.co.jpからja.wikipediaまで、広く知れ渡っている。でも第1作は違った。限られた人が閲覧する肉筆回覧誌に載っていた。これはきっと、同人誌と立場が似ているだろう。同人誌のいい所は、作者が社会・商業の余計なことを気にせずに伸び伸び書けることかもしれない。そんな2つの要因を思いながら、私は第1作「ニンバスと負の世界」を読んだ。そして私なりにとても興味深かった点が2つある。

1つめの点は、「読者への話しかけ」らしきセリフがちらほらと見える点。私の記憶では、SG企画を離れてから神童までの作ではそれがなかったと思う。(神童以降を私は部分的にしか知らないから、それについて私は何も言えない。)まず、「読者への話しかけ」とは何かを説明しなければならない。漫画では多くの場合、1つめのコマが始まった瞬間から、まるで映画のスクリーンの中のように物語は進行する。読者はその世界に没頭し、漫画を描いた漫画家のことを(読者により程度の差はあれ)一時的に忘れる。しかし漫画家が意識的に「何か」を描き込み、没頭する読者を現実へ引き戻す場合もある。もっとも明確な描き込み方は、作者自身をあらわすキャラクターを登場させる方法だ。その場合は、読者は物語世界に没頭するのでなく、(少なくともその作者キャラクターが出てきたシーンでは)それを描いた漫画家の存在も意識しながら読む。超人ロック第1作の場合は、そこまで顕著ではない。でも漫画の世界に没頭していた読者がふと描いた人・聖悠紀氏の存在を思う瞬間がある。それはこういう瞬間だ。ロックは第1作から自分の姿を自在に変えて現れる。それを見て、それがロックだと知った作中人物は驚く。その驚きは読者も同じだ。その時、作中人物が言う。「(ロックにたいして)君は でてくるたびに ちがった かっこうだね 読者が とまどっちゃうだろう」。作中人物は漫画世界の人物だから本の読者を知るはずはないが、聖悠紀氏はあえてこのセリフを作中人物に言わせることで読者を物語世界から引き戻す。

(上の画像の左端が歪んでいるのは、元画像が「本を開いた状態でスキャンしたもの」だから。綴じしろの部分はどうしてもこんなになってしまう。)

似たものはもうひとつある。


そして、私なりにとても興味深かった点の2つめは、ロックに謙虚さがない点。自分のことを「超人ロック」と言っている。ここから先の記述は私のはるか昔の記憶が頼りだから間違っているかもしれないが、その後のロックはもっと謙虚だったと私は思う。自分から超人と名乗ったりしない。何百年も生きているから精神的には老人の域なので、若者のような「カッコいいが向こう見ずな発言」はしない。そういう風になっていったと私は記憶している。


いずれにせよ、私は嬉しい。私はこの、商業誌になるよりも前のロックに会えたことが、そこまで過去に遡ってロックに出会えたことが、とても嬉しい。
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最後の書籍補完計画 (02) [  昔の本(補完計画)]

床に座る作業姿勢から椅子を使った作業に切り替えた結果、足が引きつることはなく、その意味では成功だった。だがそれでも作業時間1時間を過ぎてから集中力が落ちるのはどうしようもないし、足以外に問題が出るかもしれないと思っていた。すると、作業を中断して台所で鍋物を作る私を見て、親が調子が悪いのかと問うではないか。私自身は何の自覚症状もないのだが。それで、どうして調子が悪いと思ったのかと尋ねたら、腰をかばって立っているように見えたという。なるほど、長時間の作業で、しかも作業中はどうしても手を前へ突き出していることが多いから、重心は前方へ移動する。腰には負担になる。私は腰痛持ちだから、椅子を使った作業に切り替えても長時間の作業は無理かもしれない。

その日の晩、デジタル化した画像(SG企画版 VOL1)を読んでみたが、超人ロックの原点作品は面白い。もっとも、私が最後に超人ロックを読んだのは5年前かそれ以上前かだから、そんな人間が何を言ってもひとりよがりだが、それでも私は面白かった。次回の記事ではSG企画版のVOL1を読んでの感想を書かせてほしい。画像のUPは基本的に表紙のみとし、記事の都合で必要な場合のみ「1コマ」程度を出すだけとなる。なにしろデジタル書籍として発売中の本のはずだから、それ以上出したら怒られてしまう。
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追伸1
個人的に、少々問題が生じた。私の親はこのごろパソコンを使わないので、1週間くらいパソコン台を拝借しても構わないだろうと私は思っていた。ところが親はなんと、パソコンを使うのでなく、パソコン台につかまって歩くという全く予想外の使い方をしていたそうだ。それで、「つかまるパソコン台」がなくなって困っているという。私は作業を大急ぎで終わらせてパソコン台を返さなければならない。だから書籍のデジタル化をとにかく進め、ブログ記事に書いたカセットテープ関係の作業はひとまず後回しとなってしまった。でも遅くなっても必ずやるつもりでいる。

追伸2
SG企画の本がもう1冊見つかった。収納箱の右端にへばりついていた。
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でもパソコン台を親に早く返却する都合で、今回そこまではデジタル化できないだろう。

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