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お豆と雑穀の野菜スープ [手記さまざま6]

この手の記事はアクセス数が少ないので需要がないのはわかっているが、私自身の生活の大事な記録として残さねばならない。

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「お豆と雑穀の野菜スープ」は冬場に重宝している商品だ。カップに入れてお湯を注ぐタイプのスープだが、サラサラの液状でなく濃厚で飲みごたえがある。野菜系の食材をたっぷり使っていて、健康に良さそうだ。冬の寒い朝、これを飲んで体を暖める。欠点は、具材の粉末がお湯に溶けにくく完全には溶けない。残念ながら安くはない。

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「雪の宿」は以前の記事で紹介したが、個包装の印刷が何種類かあり、私が最初に手にしたのがこの印刷だった。「どっちを上にして食べる?」と書いてあるので、私は食べ方で味が変わることに気づいた。


第四の生き甲斐を探します281 映画「J」語学学習途中経過報告 2024年3月分 [手記さまざま6]

3月が終わる。私の4月5月は語学学習「J」でなく趣味「U-NEXT」に割かねばならないので、「J」の語学学習は6月まで休止となる。その前に、ここまでの学習成果を記録しておきたい。

過去に私のブログで公開した日本語訳に多数の間違いが見つかった。間違いを訂正したい。ところが、個々のブログ記事を探し出して訂正するのは大変な手間となる。しかも、訂正がこれで終わるとは思えない。今後も見直しをし、そのたびに間違いの発見・訂正があるだろう。それで過去のブログ記事を探し出して訂正することを諦め、失礼ながら現時点での改正稿を別個にアップロードさせてもらうことにした。

過去記事に書いたが、学習対象が映画の台詞なので、それの訳を完成させるには映像と合っているかが問題になる。それで今回の改正稿には映像を付ける必要があった。今まで訳を映像付きで出すことを恐れていた私が今回UPに踏み切ったのは、上記の理由の他に、2022年以来潰されていた私の心が少しは持ち直して元気になったからだが、何か問題が生じれば動画が削除されるのは言うまでもない。

学習成果の記録にはYouTubeの限定公開を利用する。YouTubeへのUPは初期状態で15分までだが、3月分の学習はそれを少し超えるので、動画を2つに分け、1/2、2/2としてUPする。

1/2
https://youtu.be/V2EweNO_LIQ

2/2
https://youtu.be/5bLe80_gFYo


第四の生き甲斐を探します280 映画「J」 私の闘いはこれからだ [手記さまざま6]

前回、srtを付けるためのアプリを探している話をした。Vrewの次に、私はSubtitleEditというアプリを試した。このアプリは今回インストールしたものではなく、昔インストールして忘れていた。確か、最初にこれを使おうとした時はOCRとして使い、うまく行かずに「こりゃ駄目だ」という結末になった。日本語でなくドイツ語だったが、それでも間違いだらけだった。

その後、ドイツ映画のsrtが見つかった時にタイムスタンプの変更に使い、これは成功した。私が持っている動画はドイツ人がテレビ放送をダビングしてくれたもので、ネット上にあるsrtとは開始時間が合わない。それに、私がワールドワイドVHSビデオデッキで日本の規格に直した時にフレームレートが変わってしまったかもしれず、映画全体の長さもsrtと合わないことが多い。それで、字幕全部を早めたり遅らせたりする機能と、srt全体の長さをパーセンテージで指定して伸縮する機能を使い、手持ちの録画に合わせた。

今回は、既存のsrtを動画に付けるのでなく、私が自分で作成したテキストを字幕としてsrtにする。果たして、その目的で使えるか。どうやら使えるようだ。アプリのコマンドが全部英語なので、私は相当長い間敬遠していた。でも頑張って英語と向き合い理解したところでは、機能は立派に付いている。しかも、動画を再生し音声を波形として表示させ視覚的に操作するので、字幕の開始点と終了点をとても精確に指定できる。

SubtitleEditには何の問題もなかったが、私自身のとんでもない間違いが次々と明らかになった。私は文字起こしにトランスクリプトを使った。つまり、映画の映像を見ずに音声だけを作業した。これがいけなかった。

セリフを喋る人が途中から変わったのに気づかず、同じ人のセリフとして訳していた。ヨーロッパ言語の場合、日本語ほど話者による文体の個性がないので、続けて訳せてしまうから恐ろしい。映画に字幕としてテキストを付けてみないと完成しないと私が書いたのは、つまりこういうことだ。

また、私はトランスクリプトの結果ならば全部を再チェックして訳の修正を済ませたが、その作業はそもそもトランスクリプトの結果が正しいという想定に基づいていた。そして、トランスクリプトの間違いが見つかった。

トランスクリプトがMaria Bergと聞き取った部分は、実際にはMorgen, Herr Merzだと思う。文字にすると全然別物だが、実際の声は「モアメアメア」という感じに聞こえる。それをトランスクリプトはMaria Bergだと思い、私はMorgen, Herr Merzだと思った。私がドイツ旅行について口にする時によく話す、相手の声を単語レベルに集中すると聞き取れないが、全体を聞くとなぜか意味が脳内に入ってくるという、あれだ。

その他にも、Tag!やMir!という短い発話がトランスクリプトで完全に無視されていて、私はトランスクリプト結果だけを見ていたのでそれに気づかなかった。

上記のような問題点に注意して進めなければならないので、字幕付けの作業には何ヵ月もかかるだろう。4月と5月にはU-NEXTの視聴が割り込むので作業を中断する。だから字幕付けの作業が終わるのは夏か、下手をすると秋になるかもしれない。私の闘いはこれからだ!


第四の生き甲斐を探します279 字幕を付ける方法 [手記さまざま6]

トランスクリプトが終わり、独VHS映画供養が終わった。これらは、元々あった作業に割り込んできたものだ。それが終わった今、私は元々あった作業に戻る。このブログで最近たびたび出てくる映画「J」だ。

映画「J」の台詞の日本語化は終わった。今はそれの再確認をしているが、その仕上げに必要なのは、映画の動画に付けてみて人物の動きと日本語訳との間に違和感がないかを調べる作業だ。なにしろ元が映画の台詞なので、それを完璧にするにはどうしても映画に付けてみる、つまり字幕にしてみる必要がある。

パソコン的な視点から見た場合、字幕には2種類ある。ハードサブとソフトサブ。ハードサブならば、私はSony Vegas Movie Studioを持っている。これで細かい所まで調整できる。ただしハードサブは一般的に人々から好まれない。動画の絵の一部となるので、一度付けてしまうと修正がきかない。それに、大画面に拡大すると動画がぼやけるのと同じほど字幕もぼやける。ソフトサブならば、日本語化を修正しても字幕データを修正するだけで対応でき、大画面に拡大して動画がぼやけても字幕はくっきり見えて読みやすい。だから私はまず、ソフトサブの可能性から探ることにした。

韓国のVrewというのがある。これは優秀なアプリだと聞く。私はまずこれの使用を検討した。ところが調べてみると、このアプリの優秀な所は自動で文字起こしと字幕挿入をこなす器用さにあるようだ。そのさい、ある紹介サイトでは、字幕の開始点と終了点の詳細設定を再調整するのは他アプリに頼る必要があると書いてあった。いっぽう私の目的は、すでに出来上がっている字幕用テキストを動画に付けることだ。つまりVrewが得意としている自動文字起こしは必要なく、Vrewが苦手としているらしい字幕の位置調整は必要だ。とても残念だが、この優秀で私がいちばん期待していたアプリは私の使用目的とは合わないようだ。

私は自分にふさわしい方法を模索する。きっと次の記事で何かをご報告してみせる。


第四の生き甲斐を探します278 独VHS映画供養 [手記さまざま6]

トランスクリプトを終える直前から、私は次の作業も並行して行っていた。それは昔ドイツ人からもらった映画を「供養」する作業だ。

昔、私にはVHSビデオテープを送ってくれる3人のドイツ人がいた。ドイツにいればテレビの電源を入れるだけで簡単に手に入る無尽蔵のドイツ語放送が、日本にいたらまったく手に入らない。それでドイツ人に頼んでテレビ番組を録画してもらった。

3人のうち一人は、残念ながら私との相性がよくなかった。私が何か送った後一ヶ月も音信不通になり、これは駄目だと思っていたら忘れた頃にメールが来て、忙しくて連絡できなかったと書いてあった。相手からは大量のVHSビデオテープが送られてきたが、他の2人が送ってくるものと違い、私が興味をもつ録画がほとんどなかった。つまり、お互いに何かがすれ違っていた。

彼女が送ってくれた大量のVHSビデオテープは早々と処分したが、処分する前に中身の録画を「長時間録画の低画質で」4枚のDVD-Rに保存しておいた。保存はしたが、見る気はしなかった。でも今、私は退職して語学学習をやめようとしている。最後のけじめに、これらの録画のために何かをしてやりたい。ネット上にsrtが見つかった録画はsrtを付けてから語学学習を終わりにしようと考えた。

彼女が送ってくれた録画は、以下のとおり(順不同)だ。昔の名作、DDR時代のカルト作品、送ってくれた当時の新作と、多岐にわたっている:

Die Legende von Paul und Paula (1973 DDR)
Nichts als die Wahrheit (1999)
Der Schuh des Manitu (2001)
Die Feuerzangenbowle (1944)
Ete und Ali (1985)
Das indische Tuch (1963)
Harte Jungs (2000)
Pappa ante portas (1991)
Schule (2000)
Knockin' on Heaven's Door (1997)
Sieben Sommersprossen (1978 DDR)
Comedian Harmonists (1997)
Die Abenteuer des Werner Holt (1964/1965)

Die Legende von Paul und Paulaは、公開当時熱狂的に受け入れられたらしいが、当時のDDR国民はそういう心情だったのだろうか。今の日本人、とくに若い人には異質に感じられるかもしれない。強い信念をもち、威力的な行動による獲得を肯定する世界。具体的には、逃げて引きこもってしまった女の住居の前で、男がシャイニングよろしく斧で玄関のドアを叩き壊して侵入する。その後、女は医者から今度出産したら母体がもたないと宣告されるが、女はみずから産む意思を示し、そして死ぬ。何か、その、度を越えて激しいものを私は感じる。とはいえ、こんな精神状態でいられたら死ぬのも怖くないだろうなあと、うらやましくもある。

Der Schuh des Manituは、当時別のドイツ人が贈ってくれたVHSビデオテープにトレーラーが入っていた気がする。コメディー作品だが、下品なネタが多い。ネット上に「マニトの靴」という直訳調の邦題があったので、私はてっきり日本ではその名前で知られていると思い込んだ。その名前で検索したが、日本でのDVD発売は見つからなかった。ところがひょんなことから、日本でのDVDタイトルが「荒野のマニト」だと知った。レンタルビデオ店にあった。DVDの日本語吹替が原語に忠実でなく日本人好みに変えてあるので、字幕のほうで鑑賞しようとしたら、字幕も原語に忠実でなく改変した所がある。吹替と字幕とドイツ語srtがどう違うか、その一例を出す:
(吹替)チーズフォンデュだよー
(字幕)デブとガリガリどっちが好き?
(srt)Wie kommen eigentlich die Loecher in den Kaese?(どうやったらチーズに穴があくんだ)
この映画にはドイツ人をターゲットに絞ったネタがある。ドイツ人にはウケて、外国人にはそれほどの効果がない。ドイツでプレゼントとしてお馴染みのハート型レープクーヘンは、多くの外国人にはピンとこないだろう。悪人がどつぼにはまった時の
Gott sei Dank! Nun ist's vorbei
mit der Uebeltaeterei!
はMax und Moritzという絵本からの引用だ。ドイツ人なら誰でも知っていて場面にぴったりのイメージだろうが、外国人は何も感じまい。ドイツの西部劇小説とその映画化作品が元ネタとして存在することに至っては、私にはお手上げだ。肝心の元ネタに馴染みがなくてはパロディーが楽しめない。酋長がGrabt das Kriegsbeil aus!(戦斧を掘り出せ!;ドイツ版動画のドイツ語字幕)と叫ぶのは、それが元ネタらしい。で、折り畳みイスしかないと聞いて、折り畳みイスを掘り出せ!というのがパロディーか。

Die Feuerzangenbowleは古い映画だ。私としては映画自体よりも、Feuerzangenbowleというものを知ることができたのが収穫だった。できればドイツで一度Feuerzangenbowleを体験したかったが、それは叶わなかった。

Harte Jungsは、青春おバカ男子のコメディーだ。私の歳(ジジイ)になると、見ているこっちが恥ずかしくなる。邦題はドイツ語原題ではなく英語名から付けられて「アンツ・イン・ザ・パンツ!」だ。

Pappa ante portasは、あのロリオの映画だ。ミスター・ビーンもそうだったが、コメディアンが主役の作品は長編映画よりも短編コントのほうが活き活きすると、私は思う。

Knockin' on Heaven's Doorは日本でも知られている。出来の良い映画だ。私は、人が死ぬとか死にそうとかの話が苦手で、残念ながら私個人の好みとは合わない。

Sieben Sommersprossenは真面目な青春映画だが、私はどうも、あるシーンで男の股間でブラブラしているソーセージが記憶に残ってしょうがない。日本では当たり前にモザイクだ。「ソーセージ映すのかよ!」というのが昔の印象だった。この映画はsrtを取得するつもりだったが、srtを探す途中で日本語字幕idx/subつきの動画を見つけた。日本語字幕があるとは思ってもみなかったので、私は驚いた。DDR時代の作品を後世に伝え外国人にも理解させるには良いことだと思う。

このようにしてsrtを付ける等の努力をすることで、まともに見てやらなかった映画たちに最後の供養をして終わろうというわけだ。


第四の生き甲斐を探します277 トランスクリプト作業終了 [手記さまざま6]

90分番組を60秒未満の細切れにしてトランスクリプトに聞かせる作業は、無事に終了した。結局、ファイル数は96個になった。

マイクロソフトが将来的にこの仕様を変更するかどうかは知らないが、とにかくこの記事を出している2024年3月現在は、60秒未満の音声をトランスクリプトにいくらでも聞かせることができる。

これで、トランスクリプト関係の報告を終了することになると思う。

私事だが、昨日からどうも処理に時間がかかると思っていた。そうしたら、テザリングに使っているスマホのギガが尽きて低速モードと化していた。でもこの程度のトラブルは何でもない。作業が終わってくれたのだから。3月末までスマホのノロノロ運転に耐えるだけでいい。画像が多いサイトは表示できないだろうが、それも3月末までの我慢だ。


第四の生き甲斐を探します276 トランスクリプト、残り20分で90分番組を聞かせられるか [手記さまざま6]

今までネイティブの声を切り出す作業にやたらと時間がかかったのは、土地売買のストレスによるものだったかもしれない。それが解消してからは、見違えるようにスピーディーに作業が進んだ。今まで滅多に聞こうとしなかった音声を別とすれば、ほとんど全てトランスクリプトに聞かせることができた。

あとひとつ、ちょっと興味のある音声がある。ドイツ人が昔送ってくれたテレビ番組で「びっくり村」というものだ。北ドイツのユニークな村々を紹介する番組だ。その村のひとつに私は行ったことがある。でもこの番組は90分番組で、トランスクリプトの残りは20分だ。そこで私が何を考えたか。

そう、音声を60秒未満の細切れにしてトランスクリプトに聞かせる。これをすれば、トランスクリプトの残り(分)は20分のままだ。ただし今回は元音声が90分もある。それを細切れにするとmp3ファイル数は100個近くになるだろう。理論上は可能でも、パソコンの前に長時間座って私の健康がもつかどうか。

私はとにかく最初のほうを少しだけ始めてみることにした。この番組は有難いことに時々発話の切れ目がある。そこで、54-59秒あたりに発話の切れ目がないか探し、そこまでの音声を切り出す。それに連番を付けて保存する。これを繰り返す。

今までのトランスクリプトで私は念のために、細切れにした音声の最初と最後に0.5秒ほどの空白を入れたが、今回は数が多いからそんなことをしていられない。空白なしで試してみたが、音声ファイル開始直後の音声も、終了間際の音声も、ちゃんと聞き取ってくれるようだ。

音声の分割にはある程度の手間がかかるが、結合のほうは手間要らずだと気づいた。オンラインWordの文書にトランスクリプト結果を次々と挿入してゆくだけで良い。

今回の報告は、ここまでだ。まだ番組の最初のほうしか試していないから。番組の最後までトランスクリプトが完了するか、あるいは何かの事情で頓挫した時点で、この件の最終的な報告をすると思う。


第四の生き甲斐を探します275 良い報告 [手記さまざま6]

前回までの記事が2月中に記録した分で、今回の記事から3月中に記録した分となる。


以前の記事で私は、3月始めに土地売買のごたごたがあってトランスクリプトの記事を出せないだろうと書いた。私の予想は悪いことに当たってしまい、ごたごたは何日も続いた。現実世界の日付では前回の記事(2月分)と今回(3月分)の間には一週間ものブランクがある。


ごたごたの間はネイティブの音声を聞いている状況でなく、作業は大幅に遅れた。しかし良い報告がひとつある。

以前の記事に書いた不思議な現象のうち、本来月始めにリセットされるはずの「使用済み音声量(分)」が2月半ばにリセットされた件。これについて私は3つの可能性を考えたが、その中に、最悪の場合はリセットから1ヶ月後の3月半ばに私のアカウントが切れるという予想があった。そして3月になり、めでたく月始めにまたリセットがあった。これで、1ヶ月後の3月末までアカウントが続く可能性が高くなった。


私は3月始めにリセットがある可能性も考えて、できるだけトランスクリプトを使っておいたので、それだけ余分にトランスクリプトが使えたことになる。有難い。


第四の生き甲斐を探します274 [手記さまざま6]

前回の続き。この記事までが2月中に記録した分となる。土地売買のごたごたでUPが遅れた。


60秒未満のmp3をトランスクリプトに聞かせても使用済み音声(分)は増えなかったが、60秒以上のmp3をトランスクリプトに聞かせた結果、少しずつ使用済み音声(分)が増えた。予想通りだ。

前の記事で私は「60秒未満はカウントしない」というユーザーに親切な設計と書いたが、それに似た「親切設計」は60秒以上の場合でもあるらしく、Windowsのエクスプローラに表示した「長さ」よりもトランスクリプトの使用済み音声(分)が増してゆく度合いのほうが緩やかに感じた(60秒未満がカウントから切り捨てられるからか)。

この親切設計に気づいて以来、私はネイティブの声を60秒未満に細切れにしてトランスクリプトに聞かせた。その甲斐あって、既存のmp3を全部聞かせた時点で使用済み音声(分)の表示はまだ120/300だ。ただし、トランスクリプトに聞かせるネイティブの声はまだ残っている。元ファイルで9個もある。最近作業している音声はネイティブがやたらと喋るし長いので、1日1ファイルしか作業できない。そして以前の記事に書いた可能性のうち最悪のケースでは私のマイクロソフト・アカウントが3月半ばで切れるので、結構ギリギリだ。

でも、これらのファイルからネイティブの声を丁寧に抜き出し、それを60秒未満に細切れにしてmp3化することができれば、使用済み音声(分)は増えない。増えなければ、あと180分も別の何かをトランスクリプトに聞かせることができる。90分映画ならば2つだ。

私が体験した不思議な現象のうち、「ある条件のmp3をトランスクリプトにいくら聞かせても使用済み音声(分)が増えなかった」は、上記のとおりマイクロソフトの親切な仕様と思われる。もしも聞かせる音声が多すぎて300分/1ヶ月の制限に困っている人は、試す価値がある。ただし、元音声を「発話の切れ目を見つけて」細切れに分割し(私は念のために最初の発話の前と最後の発話の後に短い空白を挿入した)、トランスクリプトに聞かせた結果を結合する作業は、かなり大変だ。


第四の生き甲斐を探します273 やることの順番を変えねばならない [手記さまざま6]

前回の記事の続き。ネイティブの声を抜き出す作業は中断した。先にしなければならないことがある。作成済みのmp3を早くトランスクリプトに聞かせなければ駄目だ。

その理由は2つあり、どちらも前回の記事に書いた3つの可能性に由来する。

可能性2.は以下の通りだった:
「もしも何かの事故で想定外のリセットがされたのなら、3月始めには本来のリセットがあるはずだ。」

この記事が出るのは3月だが、書いているのは2月末だ。あと数日で2月が終わる。その時点でカウントが0にリセットされる可能性がある。その前にトランスクリプトに作成済みmp3を聞かせてしまうべきだ。もしも3月始めにまたリセットされたら、改めて300分使えるのだから。これが理由の1つ目だ。

可能性3.は以下の通りだった:
「最悪のケースでは、2月半ばに一度リセットがあったので、1ヶ月後の3月半ばで私のアカウントが切れる。」

もしも3月半ばでトランスクリプトが使えなくなるのなら、私は急がねばならない。未作業のネイティブ音声をmp3化するのも急ぐ必要があるが、リスクを少しでも減らすことを考えるなら、すでに出来ているmp3をさっさとトランスクリプトに聞かせ終えてしまうのが良い。これが理由の2つ目だ。

この記事を書いている現在、数十個の「60秒未満mp3」をトランスクリプトに聞かせた。カウントは0のままだ。「60秒未満はカウントしない」という、ユーザーに親切な設計と考えて間違いない。トランスクリプトに聞かせるmp3(1分以上のmp3も含めて)はまだ90個くらいある。それを聞かせ終わるまでは、ネイティブの声を抜き出す作業は中断だ。


第四の生き甲斐を探します272 トランスクリプト、第二の不思議な現象 [手記さまざま6]

前回の記事の続き。使用済み音声(分)が297からいつの間にか0になっていたという話の続きだ。この表示は「今月の」使用が表示される。私の今までの経験では、毎月1日の早朝にはまだリセットされず、2日にはリセットされている。(私はこれを、アメリカとの時差のせいかと推測している。)ところが先日297から0になったのは2月25日かその少し前だった。月始めにリセットされるはずのカウントがどうしてそんな日に0になったのか。私には見当がつかない。

この「0になった」という現象は、何を意味するのか。可能性は3つある。

1. もしも「リセットが何日に行われるか」という問題ならば、今回のリセットが2月半ばに起きたので、次回のリセットは3月半ばにあるだろう。

2. もしも何かの事故で想定外のリセットがされたのなら、3月始めには本来のリセットがあるはずだ。

3. そして最悪のケースでは、2月半ばに一度リセットがあったので、1ヶ月後の3月半ばで私のアカウントが切れる。なぜそう考えるかというと、卒業生のアカウントは3月末ではなく学位授与式の日で切れるからだ。教員に学位授与はないが、システムエンジニアの仕事として卒業生と共に一度に行われる可能性がある。

私はどうすべきか。残りのmp3がとても多く、3月分の300分に収まるかどうか不安だ。1000KB未満のmp3は確実にカウントされないとわかったので、新たにネイティブの声を切り出すさいにmp3が1000KB未満になるように細切れにしてエンコードしている。しかし、ただでさえ大変な切り出し作業に細切れ化作業が加わる。もしももっと大きなmp3を聞かせてもカウントされなければ、大きなファイルをエンコードしたい。その時気づいたが、1000KB以上のファイルのうち33秒のを聞かせて何が起きたかといえば、使用済み音声(分)が増えたのでなく、0になった。これはもしや、33秒でも大丈夫ということではないか。私は34秒以上のmp3を聞かせてみるべきではないか。


第四の生き甲斐を探します271 トランスクリプト実験開始 [手記さまざま6]

前回の記事の続き。私は実験を開始した。

私はまず1000KB未満のmp3を全部トランスクリプトに聞かせた。これは使用済み音声のカウント(分)が増えなかった。

次にファイルサイズが1000KB以上のファイルをWindowsのエクスプローラで詳細表示にし、そこに「長さ」表示を加え、長さ順で並べ替えた。これを長さの短い順にトランスクリプトに聞かせて行った。

長さは32秒が6ファイルあり、これらはすべてトランスクリプトに聞かせることができた。次は33秒が5ファイルあった。私はここまで順調に行ったのでつい油断して、使用済み音声(分)のチェックを怠った。5ファイル全部をトランスクリプトに聞かせた後でふと見ると、使用済み音声(分)が0に変わっていた!

結局、どのmp3を聞かせた時点で使用済み音声(分)がカウントし始めたかが正確にはわからなかった。わかったのは、ファイルサイズ1000KB未満のmp3はいくら聞かせても使用済み音声(分)が増えないということ。1000KBを超えても32分のmp3(ファイルサイズは1,026KBまで)は全部聞かせられた(このへんまでは使用済み音声(分)が増えなかったと思う)ということ。その後、33分のmp3を聞かせるうちに使用済み音声(分)が0になったということ。

これを読んだあなたは、第二の不思議な現象に気づいただろう。私は愚かなことに、よく「使用済み音声(分)」でなく「残りの使える長さ(分)」が表示されていると勝手に思い込んでしまうので、この時点ではまだ表示の「0」が「使える残量0」だと勝手に思い込み、不思議な現象に気づかなかった。


第四の生き甲斐を探します270 トランスクリプト、第一の不思議な現象 [手記さまざま6]

今回から数回にわたり公開される記事は、2月の下旬に起きた現象を記録したものだ。今はもう3月だから、少し前のことだ。

2月中のトランスクリプトを297分使った私は、残りの3分を使いきっておこうと考えた。なにしろ3分しかないので、短い音声を聞かせなければいけない。長さをいちいち確認するのは大変だから、mp3のファイルサイズが1000KBに満たない音声ならば確実に短いと考え、それを探してはトランスクリプトに聞かせた。ひとつ聞かせ、ふたつ聞かせ、そろそろ表示が298/300分に変化するだろうと思っていたが、みっつ聞かせ、よっつ聞かせても297のままだった。私は有り難いと思い、1000KB未満のmp3をどんどん聞かせた。すると、いくら聞かせても298に変わらなかった。

1000KB未満のmp3はまだ沢山ある。私はまずそれらを全部聞かせようと思う。

ここまでが事実の報告だ。ここからは推論になる。

一体どういう条件の音声を聞かせたら、使用済み音声のカウント(単位は分)が増えないのか。トランスクリプトは1ヶ月に300分までという制限だから、使用済み音声のカウントが増えない条件はファイルサイズでなく、音声の長さだと私は推測する。でも私は色々な条件を安易に実験できない。もしも実験して失敗したら、2月のトランスクリプトは終了してしまうからだ。まずは、そーっと、1000KB未満のmp3を全部聞かせ尽くす。他の条件を試すのは、それからだ。