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第四の生き甲斐を探します269 トランスクリプトに不思議な現象、今後の記事の予告 [手記さまざま6]

トランスクリプトに不思議な現象が起きた。そのせいで、結論という形でスッキリ書けないので、私の体験を順を追って記録する。

3月始めに土地売買の会合があり、数日はごたごたしそうだ。それが終わって落ち着いてからトランスクリプトの記事をまとめて出そうと思う。

第四の生き甲斐を探します268 トランスクリプト、2月の内には作業が終わらない [手記さまざま6]

今までに何度か書いたが、私のマイクロソフト・アカウントが期限切れになるので、トランスクリプトに聞かせられる音声の長さが限られる。私は膨大な量の音声からネイティブの声だけを抜き出す作業をしている。ところが、1日にこなせるmp3の量が減った。

2月の始めには、私は1日の作業量をmp3ファイル5つ以上と決めていた。実際にはファイル10個は普通にこなせ、15個をこなすことも多かった。

ところが2月の下旬になると、1日にファイル5つが限界になった。さらに、昨日はファイル3つが限界、今日は2つめのファイルがまだ終わっていない。

これは私が疲れたからでなく、ひとつのmp3ファイルに含まれるネイティブの発話量がやたらと増えたからだ。私は2月のうちに作業が終わらないと観念した。

「トランスクリプトの期限が3月末ならまだ1ヶ月あるじゃないか」という悠長な考えは、私にはない。慢性腰痛の私は、この作業をして毎日腰が痛い。それも2月一杯で終わりだと思い頑張ってきたが、作業は終わらず引き続き体に無理をさせることになる。作業のために毎日、日が昇るより早く起きて物音をさせ、寝ている親に迷惑をかける。それも2月一杯で終わりだと親に説明してきたが、作業は終わらず引き続き親に迷惑をかけることになる。作業が長引くと、他に影響が出るのだ。


第四の生き甲斐を探します267 トランスクリプト、さらに困ったことに [手記さまざま6]

前の記事でトランスクリプトに「やめる」「やめない」の選択肢があると書いたが、私は性格的に、可能ならば努力して続けたい人間だ。ところが、トランスクリプトはさらに困ったことが2つ増えた。

ひとつめは、残りの音声でネイティブがめちゃめちゃ喋ることがわかった。私が交友関係をもっていた家族は2つあったが、ひとつの家族はひっきりなしに喋る。しかも亭主はナイーブな人で、ストレスが溜まると早口になる。

もうひとつの家族は時々喋るだけだが、朝から日暮れまでお世話になったので録音の量が半端でない。

それらの作業が大変だとわかっていたから、これらの録音を後回しにした。いざ作業を始めてみたら、本当に気が狂いそうだ。

もうひとつの困ったことは、上記のネイティブ音声が大量なので、3月分のトランスクリプトだけでは足りない気がしてきた。音声ファイルの数が確実に300を越える。

「今までに仕上がった音声だけをトランスクリプトに聞かせる」という選択肢はない。大事だけど作業が大変な音声を後回しにした結果、大事でない音声が先に仕上がってしまった。だから残りの(大事な)音声を仕上げないわけに行かない。


第四の生き甲斐を探します266 疲れと食欲不振の原因は外国語 [手記さまざま6]

困ったことになった。少し前の記事に私は「一週間前から妙に疲れてブログ記事も書けなくなった」と書いた。記事には書かなかったが食欲もなくなった。その原因がどうやら、現在急いでいるトランスクリプトの準備らしい。

外国で録音してきた膨大な量の音声からネイティブの声を抜き出してトランスクリプトに聞かせ、文字起こしをさせる。私のマイクロソフト・アカウントが3月までしかないので、私はその作業を急いでいる。しかしまさか、それが疲れと食欲不振の原因になるとは。

ネイティブの声は、ただの声ではない。昔私が外国で会話した時の声だ。それをいちいち聞いて抜き出す時、私は昔の自分を無意識に追体験する。ネイティブと外国語で会話するには神経を集中しなければならず、それを何時間も続けるとストレスが溜まる。私はそのストレスを2月の始め頃からずっと追体験してきた。それに加えて先日土地売買の話が再開し、旧家を追われて引っ越さねばならなかった時の地獄の思いがよみがえった。それで心身の調子がおかしくなった。

土地売買は進めるしかないので行動に選択肢はない。問題はネイティブの声を抜き出すほうだ。これは、「やめる」「やめない」の選択肢がある。

やめれば、3月までしか使えないトランスクリプトに間に合わない。やめなければ、体調不良は続くだろう。そもそも私は自分が元気を取り戻すには少なくとも3月末までかかると自己分析している。その中でストレスを溜めるのは危険だ。

今、最後の外国旅行の分を作業している。それが当初は40GBあったが、今では13GBたらずにまで減った。あと少しなので続けたいが、私は明らかに疲れて作業を苦しむようになっている。以前は音声ファイルを順番に処理していたが、数日前からは辛くて、ネイティブの声がなさそうな音声、少なそうな音声を探し出しては処理した。その結果、残ったのはネイティブの声が多い音声だけだ。残りの13GBたらずの作業はかなり大変だと予想する。


パナソニックのBDレコーダーがディスクをフォーマット出来なくなった [手記さまざま6]

私はBDレコーダーでDVD-RWをフォーマットした。フォーマット自体にエラーは表示されなかったが、その後ディスクに記録しようとした時点で「フォーマットがされていない」とエラー表示が出た。私は同じディスクを再度フォーマットしたが、また記録する時点で「フォーマットがされていない」と出た。この時私はまだレコーダーの故障とは思わず、ディスクが不良なのだと思っていた。DVD-RAMがあったのでそれをフォーマットして使おうとした。するとこれも「フォーマットがされていない」と表示された。私は初めて、レコーダーの故障を疑った。DVDドライブのレンズが汚れたり壊れたりというハードの問題だと厄介だが、ソフトの問題ならばリセットで直るかもしれない。

パナソニックのレコーダーをリセットする方法は、確か電源ボタンの長押しだと記憶していた。私は電源ボタンを長押ししたが、いくら押し続けても表示窓に何も出なかった。もう一度長押ししたが、やはり表示窓は真っ暗なままだった。仕方がないのでそのままDVD-RWのフォーマットを試した。今度はディスクに記録してもエラーが出なかった。

今回の備忘録
パナソニックのレコーダーをリセットするには電源ボタンを長押しするが、リセットが成功しても何の表示も出ない。


今どきネットのフォームでやりとりするのは海外アマゾンも大学教務も同じ [手記さまざま6]

人間は長生きすると、時々新しい体験をする。それは、社会のあり方が昔と変わったり、自分の生活スタイルが昔と変わったりするからだ。今回の話もそのひとつ。昔は対面や電話で問題を解決したが、今では何でもネットで解決する。それを私が体験した話。

では少しずつ本題に入ってゆこう。

大学は変わった。大昔の大学は、教員ひとりひとりの教育への信念と矜持に任せてのほほんと構えていた。

ちょっと昔の大学は、セメスターの最後に学生に授業アンケートを回答させた結果を教員に見せて、「教員へフィードバックしてますよ」と社会に向かって自己正当化した。

最近の大学は授業のやり方を口うるさく決め、その個々の項目に従って授業をしているかを教員にチェックさせる。今では信念や矜持が問題ではなく、決められた型に嵌まった仕事をしているかどうかが問題だ。そして本年度から、その決められた型がまたひとつ増えた。年度の最後に学生に向かって挨拶文を書くのだそうだ。

ところが、その挨拶文を書き込む欄にどうしても文字が入力できない。それで私は教務に問い合わせた。昔は対面や電話で問い合わせたが、今ではネット上に問い合わせフォームがある。問い合わせ内容を書き込んで処理開始ボタンをクリックする。数日のうちにフォームに相手からの返答が追加される。問題が解決したら問題解決ボタンをクリックする。私は以前に一度、退職の準備でこの問い合わせフォームを使ったことがある。今回が二度目だ。

思えば、海外アマゾンを使って届いた商品が別物で売主にクレームを付けた時も同じ方法だった。私と売主がひとつのフォームに交互にメッセージを追加してゆく。チャットと表現するほどリアルタイムではなく、相手がメッセージを書き込んだら自分のメールアドレスに通知が来る。そうしたら自分がフォームに返信を書く。

人間という生き物自体が変わったわけではないのに、対話の方法は昔とずいぶん変わった。私は本来こういうネット上の対話が好きでない(顔が見えず声も聞こえないから、相手が怒っているか泣いているかの判断を誤るのが恐い)が、長生きしたせいで時の流れに呑まれて私もする羽目になった。それもまた人生。


第四の生き甲斐を探します 265 亀(時間)に追いつかれた兎(私) [手記さまざま6]

まだ2月の半ばなので私の元気が出るはずがないが、一週間前から妙に疲れている。ブログ記事も書けなかった。

こう書くと、「昨日も一昨日も記事は出たじゃないか」と言われるに違いない。これにはワケがある。もう何ヵ月も前から私の記事は「予約投稿」だった。つまり、書ける時にあらかじめ記事を書いておき、それを小出しにすることで一日のうちに沢山の記事が出ることを防ぎ、何日も記事が出ないことを防ぐ。だから今まで毎日一つずつ記事が出ていた。

でも一週間前から記事を書いていなかった。前回の記事で予約投稿は出尽くした。

イメージとしては、兎と亀の話に似ている。私は以前、一日のうちに複数の記事を書いた。常に一定の速度で進む時の流れを亀の歩みに例えると、私は兎のような早さで複数の記事を書き亀の先を走って予約投稿した。それがだんだん記事を書けなくなり、一週間前からはまったく書けなくなった。兎は走るのをやめた。でも亀(時の流れ)は常に一定の速度で進む。ついに亀は兎(私の記事投稿)に追いついた。これからの記事は予約投稿でなく、書いた時に出されるだろう。

私は元気がなくても、やることはやっている。食事を作ったり、大量の録音からネイティブの声を抜き出したり。今までの録音は長くても15分だったのに、今日作業した録音は20分も続いた。それならなんで今までの録音が15分で切れ、続きが別ファイルになっていたのかは謎だ。大事なことは、録音が長いとただでさえ捗らない作業がさらに遅れるという現実だ。

私は何としても2月末までに作業を終わらせて、3月のトランスクリプトに備えなければならない。

土地を売る話は年が明けてから梨のつぶてだったが、先日やっと連絡が来た。私が今の家を買った時は仕事のない祝日で縁起のいい大安に売買契約をしたが、今回は平日で先負という虐げられた日取りで売買契約をするそうだ。

とにかく、教職の仕事の残りも、トランスクリプトも、土地の売買も、すべて偶然にも来月始めにケリがつく。元気はなくても私は毎日それに向かってやってゆく。


第四の生き甲斐を探します264 近況(これから数か月はギガが足りない) [手記さまざま6]

私は自分と親のスマホに毎月付与される各3ギガとZeus WiFiでネットをやりくりしている。親は電話がメインでパケット通信をほとんど使わないので私がギガを横取りして使っている。

毎月これでギガは余る位で、月末にはもったいない余りのギガを何に使おうかと苦労するほどだ。ところが、これから数か月はギガが足りなくて困りそうだ。

具体的にはトランスクリプトとU-NEXTにギガが取られる予定だ。

まずトランスクリプトは、以前に書いたが私の職場アカウントが有効な3月までしか使えない。だから急いでいる。若い頃に外国で録音してきたネイティブの声を片っ端から聞かせては文字起こしをしているが、その量が膨大で、2月分の300分つまり5時間はすべてそのネイティブ音声に取られた。それだけでなく、次回3月分も引き続き使わなければ終わらない。

トランスクリプトの結果はかなりポンコツで、今までの文字起こし結果を見ると時々ネイティブがCortana! Cortana!と叫んでいることになるが、これはもちろんトランスクリプトの誤認識で、そんなネイティブはいない。そういうポンコツなトランスクリプトに時間と労力とギガを取られるのは残念だが、3月でアカウントが切れて使えなくなる現実を考えれば今やっておかねばならない。こんなポンコツでも一部役立つかもしれないのだから。

YouTubeの自動字幕生成のほうが役立ちそうだが、次に書くU-NEXTの件を優先しなければならないからYouTubeは何か月先になるかわからない。

そういうわけで、来月(3月)はトランスクリプトにギガを使うのでU-NEXTはまだできない。なにしろU-NEXTのためには可能な限り多くのギガを温存しておかなければならない。U-NEXTは4月にずれ込む。

正確には、4月後半から5月前半まで、足掛け2カ月をU-NEXTに使う。理由は明白だろう。月をまたげばスマホもZeus WiFiもギガが補充されるから、2カ月分のギガをU-NEXTに使える。

私はなぜかabemaの品揃えに縁がない。GyaO!はたまに掘り出し物を配信してくれたので私はそれに食らいついたが、abemaの無料配信にはそれがない。それで私は、今どきの配信はそうなってしまったのかと思い込んでいたが、先日U-NEXTを調べ直して驚いた。U-NEXTは今でも驚きの量と質を誇っていた。掘り出し物もある。

これで、5月までの趣味はできた。でもこれは、新しい「第四の生き甲斐」ではない。今までの「第三の生き甲斐」でやり残したことだ。まだ2月だから、私自身が「心が治るまでに少なくとも必要」と感じた3月末までに時間がある。新しい生き甲斐は焦らずに探そうと思う。


株の譲渡と土地の譲渡 [手記さまざま6]

私は去年の暮れごろの記事に、株の損切りで土地の譲渡税を損益通算して相殺すると書いた。これについて、私は訂正しなければならないかもしれない。

当時私はこの損益通算ができるかどうかをネットで調べ、できるという結論に達した。なぜなら、あるサイトに

「損益通算の対象となる所得は不動産所得・事業所得・譲渡所得・山林所得の4つです。」

と書かれており、株の譲渡も土地の譲渡も譲渡所得だ。しかもこのサイトには、「生活に通常必要ではない資産について生じた損失は他の所得と損益通算できません。」という記述はあっても、株の譲渡と土地の譲渡を損益通算できないとは書かれていなかった。だから私は当然損益通算できると思ってきた。

ところが今日見つけた別のサイトに以下の記述があった:

「申告分離課税の株式等の譲渡で出た損失は、株式等の譲渡以外の譲渡所得との損益通算はできないのが原則です。」

「土地建物等の譲渡による損失も、原則として、土地建物等の譲渡所得以外の譲渡所得との損益通算はできません。」

これでは、最初に見つけたサイトと情報が違う。


シャークのハンディクリーナー、電源ボタンが光らなくなった [手記さまざま6]

シャークのハンディクリーナーEVOPOWERの話だ。

このハンディクリーナーは充電が進むと電源ボタンの3つのLEDが順次点灯する。最初に変になったのは、2か月くらい前のことだ。何時間充電しても3つめのLEDが点かない。仕方がないのでそのまま使った。

私はこのクリーナーを頻繁には使わない。1か月に1回くらいだ。1か月くらい前にまた使った時、充電時の3つめのLEDは完全に消灯しているのでなく、うっすらと点いていることに気づいた。

そしてまた1か月くらい経ち、つい先日クリーナーを使おうと電源ボタンを押した。クリーナーは動き、ちゃんと塵を吸ったが、電源ボタンが真っ暗だ! これは普通でない。普通ならば、満充電の状態で使うと電源ボタンにある3つのLEDが点灯、その後使い続けるとLEDがひとつずつ消えてゆき、最後は1つだけLEDが点いた状態になる。充電池が切れてクリーナーが停止する時に全部のLEDが消灯となるのが普通だ。ところが今は、クリーナーが動いているのに全部のLEDが消灯状態だ。私は使用後に充電したが、いくら充電してもLEDは1つしか点かなかった。

ひとまず塵は吸ってくれるので、私はこのまま使い続けて様子を見る。

現時点での推測では、故障個所の可能性は2つ。ひとつは、充電池が劣化してあまり充電されなくなった可能性。あまり充電されないから、いくら充電してもLEDが点かない。これはありうることだが、使用時に電源ボタンのLEDが全部消灯という症状の説明がつかない。

もうひとつの可能性は、LEDを点灯させる回路が劣化してLEDを点けられなくなった可能性。

私はネット検索して同様の症状が報告されていないか調べたが、私以外にはこの電源LED消灯の事例を報告しているサイトは見つからなかった。


第四の生き甲斐を探します263 これをどう思いますかね [手記さまざま6]

もう数週間前になるが、親が百歳体操から帰って来て冷蔵庫に紙を一枚貼り付けた。その紙に印刷してあった文章が、下のものだ。

不老長寿

鶴は千年亀万年 長生きの秘訣ぞ腹は八分目
歩け動いて体を鍛え 取り越し苦労はせぬように
酒や煙草も程々に どんな食事もよくかみ喰うて
塩や砂糖は少なめに 野菜や果物沢山食べよ
いらぬ雑念さらりと忘れ 人に施せよく眠れ
喜寿も米寿も難なく超へて 三桁の年まで生きのびよ
五十六十は小僧の仲間 花の盛りは七、八十
七十で迎えが来たならば 今が盛りと追い帰せ
八十で迎えが来たならば 花は今だと言いなさい
九十で迎えが参ったならば そんなにせくなと申しなさい
百で迎えがいらしたら 頃合い見てねと述べなさい
感謝々々の毎日を 達者で平和で幸せで
神から使いが見えたなら 喜び勇んで逝きましょう

最後に、これを書いた人の名前が書いてあった。その人に著作権があるのだから転記したかったが、達筆で私には読めなかった。

「超えて」でなく「超へて」となっているのは原文のママだ。旧仮名遣いだろうか。

ここまで良い感じで進んできて最後にとんでもないオチですまないが、それでも記しておこう。どうして私が上の文章を転記したか。それは、百歳体操から持ち帰った親自身が冷蔵庫から剥がして捨てようとしたからだ。捨てられる前に転記しておいた。


第四の生き甲斐を探します262 [手記さまざま6]

今日の記事のメインは私の虚無感についてだが、これでは見に来てくれた人を退屈させるのはわかっている。だから複数の話題のハイブリッド記事にしよう。

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私が最近気に入っている米菓。雪の宿という名前らしい。これは固い煎餅ではなく、軽い食感の米菓だ。だから1枚食べても満足感はそれほどでない。では私が何を気に入っているかというと、塩味の米菓の片面だけに砂糖が付けてある。宣伝ではクリームと書かれているが、甘いから砂糖の類だ。
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この米菓はどちらの面を上にして食べるかで味が変わる。砂糖の面を上にして食べると、最初に舌に触れるのは塩味の面で、噛むうちに上面の砂糖が混ざって甘くなる。逆に砂糖の面を下にして食べると、最初は甘くて次第に塩味が出てくる。この、味のグラデーションとでも言うべきものが味覚的に興味深い。

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次は、イオン系列の食料品売り場で売っている惣菜。海老とヤリイカのジェノベーゼという名前だ。私はこれの全てを賞賛しているわけではない。ジェノベーゼソースはかなり少なめだから、別個にジェノベーゼソースを買っておいて足すことをお勧めする。それなのにどうして記事にするかというと、私が今まで食べたことがなかった不思議な味の食材が入っていたからだ。どうしても記事にして記録しなければならない。それは、小さな赤い粒だ。何とも形容しがたいスパイスの味だ。
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容器裏面の原材料名を見ると、どうやらピンクペッパーというものだ。
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このスパイスの特殊な風味に引かれて、たまには食べたいと思う惣菜だ。その他に、セミドライトマトオイル漬もちょっと良い感じだ。オリーブは定番だが、やはりオリーブがないと始まらない。パスタがスパゲッティでなくペンネというのがいい。

さて、これだけ色々書けば人々を退屈させておしまいの記事にはならないで済んだだろう。ここからは人々の興味を引かないが私にとっては大事な人生の記録だ。

私の仕事である授業が終わり、今私は毎日家にいる。まだ学校から与えられた仕事は残っているが、それは自宅でやってオンラインで提出する。最後の授業が終わった後しばらくは、私は寂しかった。これは毎年同じだ。1年間教えてきた教え子と急に会わなくなる。まるで嘘のように、もう会えない。それは毎年寂しいものだ。その寂しさが少しずつ引いてゆき、今までならば次年度の準備へと心が移る。しかし私は退職するので次年度はない。私は今、少しずつ空虚さを感じている。寂しいのでなく、空虚だ。何をしても楽しくない。仕事はしている。家事はしている。でも充実感や楽しさはない。普通ならば次年度のことを考える時期が来ようとしており、でも次年度はないから、心がどうしていいかわからないでいるようだ。

私は自己診断で、潰れた心が短くても3月末までは治らないだろう、普通はもっと長くかかると判断した。だから、現時点で普通の精神状態でなくて当たり前だ。今は異常なまま生きて行こう。

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テザリング回数がものすごい早さで更新されてゆく。もう2100を超えた。


第四の生き甲斐を探します261 生き甲斐論 追補 隙間時間について [手記さまざま6]

※連番260は1月18日に公開したので、今回は261になります。


サマリー:隙間時間は生き甲斐か? 私はそれを煮詰めて考えると良いだろう。

今回の話の発端は、通勤途中の広告だった。通勤していると、新宿駅などのコンコースやホームにゲームの巨大な広告が貼られていることがある。広告は第一印象重視でイラストが中心、ゲームのタイトルは書いてあるが細かいことはわからない。後でネット検索すると、「3DRPG縦持ちバトルアプリゲーム」「隙間時間でも簡単に強くなれる」などの情報が出てくる。

隙間時間、それは今どきのゲームの基本だ。以前のゲームは長い時間をかけてクリアする頑張りと達成感が基本だった。だからプレイヤーはハマると長時間プレイしてしまい、親から「ゲームは一日一時間」と残酷な宣言を受けたりした。でも今は違うらしい。

そこまで考えた時、私は気づいたことがある。私の生き甲斐論の6は、その隙間時間にかなり近いものではないか。

6の結論を下に転記する:

じっくり長期的に育てるものでなく、手っ取り早く元気を取り戻すものにする。(例:ゴジラ短編、VR動画。)ただし、どんどん補充してゆかないと枯れてしまう。

隙間時間でも簡単に強くなれるというのは、手っ取り早く元気になれるということだ。その一面では、今どきのゲームも私の生き甲斐論6に入る。

私は育ってきた世代が古いから、以前のゲームのように頑張りと達成感を大事にし、生き甲斐も同様に考える傾向がある。次々に新しいものに飛びつくのは苦手だ。だから6の結論である手っ取り早いものは、果たして自分の生き甲斐になるだろうかと不安だ。

私は知りたい。隙間時間を活用できるゲームにハマっている人にとって、それは生き甲斐なのだろうか。それとも、暇潰しなのだろうか。もし生き甲斐ならば、私はそういう形の生き甲斐について知ると良い。もし暇潰しならば、その人は他に生き甲斐をもっているか、あるいは生き甲斐をもっていないかだ。


第四の生き甲斐を探します259 逃げなきゃだめだ逃げなきゃだめた逃げなきゃだめだ [手記さまざま6]

あなたは体調の悪い時に仕事や学校へ行って、翌日寝込んだことがないだろうか。頑張るとか逃げないとかいう言葉は、一見立派なような、正しいような言葉だが、本当にそうだろうか。

私は以前、日本でサッカーワールドカップが開催された年に、外国にいるサッカー好きの友人のために東京までサッカーグッズを買いに行ったことがある。当時まだ私の仕事は多く、毎年ギリギリの健康状態でやっていた。でもその時を逃したらワールドカップグッズは手に入らない。私は頑張って東京へ行き、翌日から寝込んで仕事を休んだ。人々に迷惑をかけた。私は、今後外国の友人のために無理をするのを絶対にやめようと思った。

去年は転居で何もかも失った後遺症で、精神がガタガタだった。それでも頑張って教員の会合に出て傷つけられた。頑張って夜中に起きてテストのヒントを作って「なんでサボっている人を優遇するんですか」とひどいことを言われた。それで仕事を辞めねばならなくなった。

人は、頑張ってはいけない時がある。心や体が頑張りに耐えられないほど弱っている時がある。その時に頑張るのは間違いだ。逃げちゃだめだという言葉は碇シンジ君にとっては正しかったのだろうが、私は逆だ。私は今まで逃げなかった。逃げなかったから失敗して色々なものを失った。私は逃げなきゃだめだ。少なくとも3月末まで、逃げて逃げて逃げ切るのだ。競走馬のように。


第四の生き甲斐を探します258 音声を延々と聞く作業は拷問のようだ [手記さまざま6]

前回の記事に書いた、トランスクリプトの新しい使い道の話。その続き。

私は精力的に仕事をこなしているのだが、なんかもうキビシイと感じている。15分の動画をAviUtlに読み込んで再生しながらカットするのに1時間近くかかる。なぜそんなに時間がかかるかというと、カットのポイントを探し出すために部分部分を繰り返し聞くからだ。そして、動画ひとつが基本的に15分だとわかった。元動画が15分以上の場合は15分で切れ、残りの部分は短い別ファイルとなる。これが延々と続く。

映画の文字起こしを訳すほうが、やりがいがある。今やっている「ただひたすら聞いてカットする」作業は、ちょっと拷問に似ている。ほら、どこかの国の拷問で、地面にひたすら穴を掘って穴が出来たら埋める作業を延々とやらせるというのがあった。人はこういう単調な作業を延々とやらされると、精神的に参ってしまう。

訳す作業との違いは他にもある。訳は、自分が訳さなければ手に入らない。どうしても必要な作業だ。いっぽう音声を聞いてカットするのは、私のマイクロソフト・アカウントさえ続けば必要ないはすだった。動画を長いままでトランスクリプトに聞かせれば良いのだから。アカウント期限が近いばっかりに、こんなに苦労してカットし短くしなければならない。これは本当に正しい選択なのか?


第四の生き甲斐を探します257 トランスクリプトの使い道 [手記さまざま6]

私は今までトランスクリプトを、日本語字幕も吹替もない外国映画の台詞を知るために使ってきた。映画の第一候補、第二候補までが終わり、残る第三候補を終わらせるには私のマイクロソフト・アカウントの残り期間が足りない。さあどうしよう、と考えていた。

しかしここに来て、映画の第三候補よりも優先してトランスクリプトを使うべきものに気づいた。それは、若い頃にビデオカメラを持って外国に滞在し、見るもの聞くものすべてを録画してきた膨大な量のホームビデオ撮影だ。

元動画はデジタルビデオカセットだったが、すでにDVDレコーダーに接続してテレビ用動画としてダビングし、(ホームビデオ撮影だからコピーガードはないので)パソコンに入れてある。

しかしこのままトランスクリプトに聞かせるわけには行かない。なにしろ膨大な量だ。私のマイクロソフト・アカウントの残り期間で終わる量ではない。ではどうするか。撮影が膨大な量でも、その中でネイティブが喋る部分は限られる。私は膨大な量の録画をチェックし、ネイティブが喋る部分だけを抜き出してトランスクリプトに聞かせる。

これで計画はOKだが、後に残ったのは私の大変な苦労だ。たった今書いたばかりだが、私はこれから膨大な量の録画をチェックしなければならない。一か月あまりの外国滞在を何度もした。その動画を、マイクロソフト・アカウントが無効になる前にチェックし終わらねばならない。

映画「J」の訳の見直しをやる気満々だというのに、それは後回しにするしかない。残念だ。


第四の生き甲斐を探します256 第12幕第2場 [手記さまざま6]

第12幕第2場 日本人とドイツ人、丁々発止と言い合う

タカハシ社長は あなたが笑った理由を求めています
恋人は日本人のほうがいいという件 明らかに日本人は・・・
話を続けてください ブレヒシュミット様
日本人の身体的特徴が
我々のことわざでは デカい鳥はノロマ といいます
我々銀行家の間では 小型株はすぐ下がる といいます
皆様 どうか・・・
私共の間では 鼻を見ればナニの長さがわかる といいます
あのこちらではですね 鼻の高い人はなにかあそこも だとか言っておられます
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わしは今息子と話したいんだよ
社長は今ご子息と話がしたいのです


第四の生き甲斐を探します255 なんちゃって訳者の手記 [手記さまざま6]


訳者の手記


面白いと感じたこと

私は日本人だから、この映画で最初に面白いと感じたのはやはり日本語の部分だった。ブラシュケが相撲取りの要求にハイと答えるが要求に応えるそぶりはない。ブラシュケは相手の日本語が難しすぎてわからなかったので、ひとまず聞いてますというつもりでハイと言ったのだ。電話口ではこういう「はい」の使い方がある。そして日本語を中途半端に学んだ外国人は実際にこういう勘違いをしそうだ。この映画では、たびたび人々の勘違いをコメディーのネタにする。そういえば、こういう勘違いで私は思い出す話がある。ある外国人が日-英辞典を引いて「感動する」の意味を「心を強く動かされること」と知り、葬儀のスピーチで「私は故人の死に深く感動しました」と言ったそうだ。そういう「外国語あるある勘違い」は興味深い。

それから、日本文化を妙にずれた形で真似する部分が面白い。ブラシュケは茶の湯をたしなむが、喧騒を避けてか屋根の上で茶をたてる。テレビで日本のとある寒行が報道されると、自宅のバスタブにわざわざ氷水を入れて浸かる。

次に私が面白いと感じたのは、ドイツの風習が出てくる部分だ。私は研究室の真面目なゲルマニスト達の中にいると息が詰まるので、ドイツ中を旅してドイツ人の言語・習慣・食文化を調べた。だからメルツが見つけた替え玉日本人がSchuhplattlerを踊りだした時は最高に面白かった。この映画を日本人が見るならば、ドイツの風習を知っているほうが面白い。

上に書いたが、この映画では人々の勘違いをコメディーのネタにする。その件で、日本人にもわかるように補足しておこう。替え玉日本人のヨシダ氏がメルツに、幸運を呼ぶために自分の肩に唾を吐いてくれと言うシーンがある。ドイツ語の言い回しとしては「唾を吐く」だが、実際には本当に唾を吐きかけるのではない。息を吹きかけて、唾を吐く真似をするだけだ。これはドイツ人一般の風習ではなく特定の職業に就く人の風習なので、映画の中ではメルツが誤解して本当に肩に唾を吐くというジョークになっている。私の訳では、「唾を吐いてください」で唾を吐いてもジョークが伝わらないので、あえて「ツバを吐く真似を」と意訳した。

その他には、「ほっぺにキスの真似をする挨拶」を知らない日本人が唇にブチューっとするジョークが出てくる。これは直前にアンナがその挨拶をしているので、日本人が見てもジョークが伝わりやすいだろう。蛇足だが、これも本当に頬にキスをするのでなく、真似だけだ。


役に立ったこと

ヘーダーバッハがやけ食いするシーンで、彼女が電話でルームサービスを注文する:

Und dann hätte ich gerne noch eine Nummer 6. Und eine Nummer 8, aber ohne Pepperoni, bitte. Und und eine Pizza Hawaii, aber eine große. Ja, einen großen Salat und zweimal Tiramisu.
それからメニューの6番もちょうだい それと8番も ペパロニなしで それからハワイ風ピザのLサイズ ええサラダのLサイズとティラミスふたつ

レストランでの注文のしかたは、ネイティブに聞けばおおまかには情報収集できる。ひとつ注文するならば料理名や飲み物の前に不定冠詞を付ける。メニューの料理名に連番が付いている場合は料理名のかわりに番号で注文してよい。それとは別にeinmal, zweimalを付ける方法があり、その場合はふたつ注文する時も名詞を単数形にする。そういう個々の情報はネイティブにメールで聞けば得られる。でもネイティブでない人間は、個々の情報だけではどうも不安だ。たとえば番号で注文する時には番号の前に不定冠詞が付くのか、とか。しかし些事を根掘り葉掘り毎回メールで聞くのは私にははばかられた。なぜなら彼は私の先生ではなく、友人だから。授業料を払っているのでなく、すべて彼が善意で答えてくれているから。「面倒くさい奴だな」と思われる友達付き合いをしたくなかった。かといって、日本にいるとネイティブと一緒にレストランで食事する機会がないので、こっそり聞いてチェックすることができない。そして教科書にレストランでの注文シーンが出てきたとしても、教材として手順が簡略化されていて不十分だ。そういう現実の中で、注文のしかたがこれだけはっきり示されている例を私は他に知らない。


ドイツ語知識として得られたもの

画廊のシーンにsaftiger Knackarschという表現が出てくる。今でこそネット検索すればどういうニュアンスかがわかるが、私がこの映画を知った昔はまだそうは行かなかった。かといって、映画を見た感じだけで何となく察して終わるのは嫌だった。私はネイティブに聞いて、セックス・アピールに関する言葉だと確認した。ちなみに、これをどう訳すかは十年以上前から悩んでいたが、今回は悩むうちにふと般若心経が頭に浮かんだ。心経の最後に真言がある。真言は訳しても訳しきれない言葉ゆえに、あえて訳さず音を写すのが漢訳者の流儀だ。なるほど、その手を使えば、タカハシJr.が「ザフティガクナガシュ?」と聞き違えるのを訳に素直に反映できる。

私はこの映画から、奇妙な言い回しを学んだ。「死体を地下室に持っている」という言い回しだ。まるでミステリーで犯人が死体を隠しているみたいだが、そんなはずはないと思い調べてみると、これは過去に後ろ暗い何かを持っている、負債を抱えている、などの意味だ。語源的には、カトリック圏で洗礼を受けられずに亡くなった子供が墓地への埋葬を許されず、家に埋葬されたことに由来するそうだ。また、「(ある人が)全ての水で洗われている」という言い回しがある。これは、百戦錬磨で抜け目がないという意味だ。語源的には、七つの海に洗われた強者の船乗り、だそうだ。こういうのを知ることは楽しい。

この映画の舞台はバイエルンだから、バイエルン方言が少し出てくる。タクシードライバーの言葉と、安宿の女の言葉だ。その言葉の意味を正確に知るために私は当然調べたが、実は私はこういう方言を調査するのが楽しい。今回はバイエルン方言だから調査が比較的楽だったが、たとえこれがケルン方言でも私は頑張っただろう。私には教えてくれる先生がいない。どこまで行っても不完全だ。でも学習は面白い。


わがままと、こだわり(1)

私は、まだ見ていない映画のあらすじを読んでいて、人名がいくつも出てくると誰が誰だかわからなくなる。自分がそういう人間なので、この映画の文字起こしを訳すにあたり、脇役が名前で呼ばれるならば、できるだけ名前でなく役職名で表現したいと思った。これは、私のわがままだ。本来は人名を人名として訳すのが当然だが、私のわがままを通させてもらった。ブレヒシュミットという人物が出てくる。ヒュポ銀行の取締役の一人で、マイヤーホルツ社への信用貸しの件を担当している。彼の名前は何度か出てくるが、可能な場合には「銀行の担当」と訳させてもらった。


わがままと、こだわり(2)

この映画の最後の台詞はverdammt rechtだ。実は私は翻訳前、この言葉をどう訳すかをとても気にしていた。なぜならば余韻を味わいつつ映画を観終わるために、最後の台詞は大事だからだ。同じ台詞が映画の中盤にも出てくる。最後の台詞の訳を決めるには中盤のverdammt rechtの意味も確認しなければならないが、そのためにはそこに至るまでの登場人物の気持ちを知らなければならない。だから私は自分が興味をもつ場面から訳し始めることができず、長いシナリオの途中でギブアップする危険を冒してでも映画の最初から訳さなければならなかった。

verdammtは第一義として「忌々しい」だが、忌々しくなくても「ものすごく」という意味で使われる。どちらの訳にするかを私は長時間悩んだ。verdammt recht自体は「実に正しい」「すごく正しい」で意味が通るし、研究室出の頭でっかちな人間が語源的な訳にこだわりすぎることも多々ある。私は一度は「すごく正しい」と訳した。しかしその後、映画の中で最初にverdammtが出てくるのがペーター・メルツの「忌々しいヘーダーバッハ」という台詞だと気づいた。彼は商売敵のヘーダーバッハが忌々しかった。しかし招致合戦を繰り広げるうちに、忌々しいながらも相手の実力を認めずにいられなくなった。だからヘーダーバッハを「ルックスが良い」「自信家だ」「利口だ」と形容する場面でも、ただ単に「すごく」そう思うのでなく、忌々しいが認めざるを得ないというニュアンスだ。そして「忌々しいほど正しい」に行き着く。その語だけを見れば「すごく正しい」のほうが素直な訳だが、それまでずっと引きずってきた「忌々しい」をここでも使うことで言葉遊びが活きてくる。だからverdammtをあえて「忌々しいほど」と訳させてもらった。


わがままと、こだわり(3)

タカハシJr.がスタインウェイについて語るセリフは、何を意味するかが分かりにくい。言葉を尽くして表現していないだけでなく、彼個人の感想なのでスタインウェイの現実に照らし合わせること自体が正しいかも不明だ。しかし他に手掛かりがない以上、そうするしかない。

genau gehört, genau gemessenは受動表現で、主語はピアノだ。だから聴いたり測ったりするのはピアノ製造者だと私は思う。そこで気になったのは、測るのは製造者だとしても聴くのは製造後に演奏された時の聴衆ではないかということだ。調律だとしても、それとて製造後の作業ではないか。

私は試しにウィキペディアでスタインウェイについて調べた。日本語版ウィキペディアには参考になる記述がなかったが、ドイツ語版ウィキペディアに次の記述があった:

Zwar werden die stets gleichen Konstruktionspläne und Materialien verwendet, trotzdem gleicht kein Instrument dem anderen. Aufgrund des Konstruktionsprinzips aus dem Klavierbau, die Instrumente zur Erzielung des Stegdrucks „auf Spannung“ zu bauen, fallen keine zwei Flügel wegen der individuellen Eigenschaften des verwendeten Holzes exakt gleich aus, was sich in der Klangentfaltung bemerkbar macht.

どうやらこのピアノは、組み立てを完了する前に弦を張り、調律するらしい。音の基本が完成してから木材を取り付けるらしい。これが脚本家の考えたことかはわからないが、タカハシJr.のセリフがピアノ製造を意味していると解釈して訳しても、矛盾はしなくなった。

genau gehört, genau gemessenがピアノ製造者でなくピアノ演奏者のことだと解釈する方もいらっしゃるだろう。聴くのは、そのほうがうまく行く、ところが測るほうは、演奏者は測らない。結局「これだ!」という解釈は見つからない。

いつまでもここで立ち止まってはいられないので、今は私の解釈で行こうと思う。


訳の常套テクニックとして意訳した例:

Wir waren nicht im Wohnzimmer.
リビングには行かなかったわ

ドイツ語でよく使う場所的表現を日本語でよく使う動作的表現に変換。


前後関係から意を汲んで意訳した例:

Rot-schwarz mit VW Victory.
赤と黒のVWビクトリー

直訳すればrot-schwarzが主、VW Victoryが付加的だが、次の文で話が外国貿易へ繋がってゆくので意味上の重点はVW Victoryにある。そちらを主に訳した。


脚本に思う

この脚本では、人が他人を勘違いする様を滑稽に描いてみせる。日本の文化風習を中途半端に真似るブラシュケしかり、肩に唾をと言われて本当にスーツに唾を吐くメルツしかり、ペーター・メルツとヘーダーバッハの夜の奮闘の結果をアンナとタカハシJr.の結果と勘違いするカティアしかり。

小さな言葉遊びも見られる。メルツが替え玉作戦をほとんど成功させ、最後にAch, das freut mich. Vielen Dank.と言った瞬間にヘーダーバッハが部屋に闖入してGott sei Dank. Sie sind noch da.と言う。連続する台詞の中でDankがまるで韻のように重複する。こういう言葉遊びは、訳でも可能な限り表現した。上の例ならば「それは有難い 助かります」「助かったわ まだ間に合った」と訳した。

この脚本にはBilanzという語がしばしば現れる。Bilanzは「収支決算」のことだが、そこから転じて一般的に「結果」という意味でも使う。この映画では企業同士の誘致合戦が描かれるので、小さな言葉遊びとして商業用語のBilanzを多用したのかもしれない。訳す私はその都度適切な日本語は何かと思い巡らし苦労させられた。



第四の生き甲斐を探します254 なんちゃって登場人物紹介 [手記さまざま6]


登場人物


ペーター・メルツ
双眼鏡を作るマイヤーホルツ社の社員。独自の手腕で双眼鏡の売り上げに多大な貢献をしてきた。彼の信念によれば、どんな取引相手も「食う・飲む・セックス」の3つを十分に与えてやれば必ず攻略できる。映画の中では誘致合戦でユニークな作戦を披露する。仕事で業績を上げることを最優先とし、家庭をかえりみない。

アンナ・メルツ
ペーターの妻。良き妻だったが、夫がそもそも家庭をかえりみない上に、仕事のために祖父譲りの家を勝手に売り飛ばすという暴挙に出たことをきっかけに我慢の限界を超える。その時偶然にタカハシJr.と出会う。

テアマリアンネ・ヘーダーバッハ
企業コンサルタントとして起業したばかりだが「やり手」の女性。メルツとは違って、取引を成功させるには相手を賞賛する気持ちを伝えることが大事だと考える。メルツと誘致合戦を繰り広げる。

ミチオ・タカハシ
タカハシ商事の社長の息子。父親からドイツでの投資の采配を任される。事業家としては素人で、メルツとヘーダーバッハ両方の誘いに「はい」と答えて混乱させる。今回の事件の一端は彼の優柔不断にある。大学では音楽、とくにスタインウェイを学び、スタインウェイを愛する。彼の感覚ではスタインウェイは「電子的」だそうだ。

ブラシュケ
ペーター・メルツの部下。よく働くが「切れ者」ではなく、映画の中ではコミカル要素担当になることが多い。日本の文化や風習に傾倒しているが、認識に妙な誤解があり、それもコミカル要素になっている。

カティア
アンナの友人で美容アドバイザー。アンナにタカハシJr.をくっつけようと画策した張本人。他の登場人物たちがみな右往左往している中で一人ブレることなく二人の仲を取り持って行動しており、その意味で物語で一番の「やり手」かもしれない。


第四の生き甲斐を探します253 なんちゃってインタビュー [手記さまざま6]

注:これは「なんちゃってインタビュー」です。

訳者へのインタビュー


ナンチャッテ記者(以下、「記者」と記述):本日は、お忙しい所をインタビューに応じてくださり有難うございます。

訳者:実際には訳者の自作自演、ナンチャッテ・インタビューだから、お忙しい所も何もないですけど。

記者:それを言っちゃあ身も蓋もありません。早速本題に入らせていただきます。今回の企画を始めた動機は何ですか?

訳者:引っ越しから始まりました。生まれ育った家を出て行かなければならなくて、しかも転居先に沢山荷物を持ち込めないのがわかっていました。生活必需品以外は全部処分したんです。処分した中に、老後の楽しみにと取っておいた昔の本やカセットテープ、レコードも含まれました。私は一気に生き甲斐を失いました。何とかして新しい生き甲斐を見つけようというのが現在の私なんですが、新しい人生を探すにあたり、今までの人生でやり残したことを済ませておきたい。それがこの翻訳です。

記者:それじゃあ翻訳が今までの生き甲斐で?

訳者:いえ、これは生き甲斐じゃありません。私が若い頃に四面楚歌・背水の陣で外国へ行った時、そこで偶然に見つけたVHSビデオ映画がありました。私の心はそれで救われたんです。でも帰国後にこの映画を知っている日本人はいなくて話題にできず、日本で字幕版が売られることもない。映画の中ではネイティブが普通の速度で喋るから聞き取れない部分があまりに多い。私は何度も繰り返し聞き取りを試しては挫折して、自分の限界を知りました。

記者:それを今回訳せたということは、訳者さんの実力がアップしたんですね。

訳者:いいえ。私は結局、若い頃と同じ聞き取り能力のままです。今回は、運命が味方してくれました。マイクロソフト・トランスクリプトとYouTubeの自動字幕生成。私はこれらの存在を知って、私の耳と共に二人三脚ならぬ三人四脚でやっと訳せました。

記者:この映画の魅力は何ですか?

訳者:楽しいことです。ドイツの作品には頭をカラッポにして笑えるものが少ないから、この映画には希少価値があります。ドイツ産の多くは真面目なイメージでしょ。観念論哲学とか、ベートーヴェンとか。ドイツ人に推理小説を書かせても理屈っぽくて面白みがないことが多い。そして、日本でドイツを研究する人も真面目なことが多いです。真面目は悪いことじゃないけど、少ない実力で必死にしがみついている私にとっては息が詰まるんです。さっき四面楚歌・背水の陣って言ったでしょ。私がこの映画を携えて帰国した時、ちょうど日本ではMONZENという映画がもてはやされていました。私の同僚も賞賛していましたよ。でもMONZENという映画は、暗いです。MONZENなりの面白さはあるんですが、まだまだ暗い。昔からのドイツのイメージ、真面目さと暗さを受け継いでいます。でも私がドイツから持ち帰ったこの映画は違う。まるでアメリカン・コメディーのように明るい。それに私は救われました。

記者:今回の企画で苦労したことは何ですか?

訳者:ごく一部ですが、どれだけ考えてもどうしても訳せない部分がありました。ドイツ語として完成している文章を訳すのでなくて、そもそも合っているかどうかが疑わしい文字起こしの結果を訳すのだから、何に問題点があるのかを特定すらできません。それでもマイクロソフト・トランスクリプトとYouTubeの自動字幕生成のおかげで、そういう訳せない部分がごく一部で済みました。正直、最後のほうを訳すまで、私はどうにもならない壁にぶつかって頓挫する可能性を考えていました。頓挫せずに最後まで訳せて本当によかったと思っています。

記者:今回の企画で楽しかったことや、有意義だったこと、得られたものは何ですか?

訳者:それはドイツ語に直接関係してくるので、ここでインタビューとして喋っても語学に興味のない人には退屈です。それについては機会を改めて私がまとめて書こうと思います。

記者:最後に確認しておきますが、この企画は全てがナンチャッテ企画なんですね?

訳者:全てがナンチャッテ企画です。映画音声の文字起こしと日本語訳までは実際に出来ていますが、それを全部ネット上に公開すると私に許される範囲を大きく逸脱します。世の中の事情は複雑ですから、自分勝手にはしゃぎすぎると怒られる。ナンチャッテ!で済む範囲で我慢しておくのが賢明です。

記者:どうも有難うございました。

訳者:有難うございました。


第四の生き甲斐を探します252 なんちゃってイントロダクション [手記さまざま6]

注:これは「なんちゃってイントロダクション」です。イントロダクションしか存在しません

イントロダクション


1990年、東ドイツが西ドイツに編入されると、国内外の企業が一儲けしようと旧東ドイツの地へこぞって手を伸ばした。
この物語は、そこで繰り広げられた熾烈ながらも笑える誘致合戦と、偶然が縁を結んだ国際カップルの恋の行方を描くラブコメディーである。