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第四の生き甲斐を探します258 音声を延々と聞く作業は拷問のようだ [手記さまざま6]

前回の記事に書いた、トランスクリプトの新しい使い道の話。その続き。

私は精力的に仕事をこなしているのだが、なんかもうキビシイと感じている。15分の動画をAviUtlに読み込んで再生しながらカットするのに1時間近くかかる。なぜそんなに時間がかかるかというと、カットのポイントを探し出すために部分部分を繰り返し聞くからだ。そして、動画ひとつが基本的に15分だとわかった。元動画が15分以上の場合は15分で切れ、残りの部分は短い別ファイルとなる。これが延々と続く。

映画の文字起こしを訳すほうが、やりがいがある。今やっている「ただひたすら聞いてカットする」作業は、ちょっと拷問に似ている。ほら、どこかの国の拷問で、地面にひたすら穴を掘って穴が出来たら埋める作業を延々とやらせるというのがあった。人はこういう単調な作業を延々とやらされると、精神的に参ってしまう。

訳す作業との違いは他にもある。訳は、自分が訳さなければ手に入らない。どうしても必要な作業だ。いっぽう音声を聞いてカットするのは、私のマイクロソフト・アカウントさえ続けば必要ないはすだった。動画を長いままでトランスクリプトに聞かせれば良いのだから。アカウント期限が近いばっかりに、こんなに苦労してカットし短くしなければならない。これは本当に正しい選択なのか?