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第四の生き甲斐を探します261 生き甲斐論 追補 隙間時間について [手記さまざま6]

※連番260は1月18日に公開したので、今回は261になります。


サマリー:隙間時間は生き甲斐か? 私はそれを煮詰めて考えると良いだろう。

今回の話の発端は、通勤途中の広告だった。通勤していると、新宿駅などのコンコースやホームにゲームの巨大な広告が貼られていることがある。広告は第一印象重視でイラストが中心、ゲームのタイトルは書いてあるが細かいことはわからない。後でネット検索すると、「3DRPG縦持ちバトルアプリゲーム」「隙間時間でも簡単に強くなれる」などの情報が出てくる。

隙間時間、それは今どきのゲームの基本だ。以前のゲームは長い時間をかけてクリアする頑張りと達成感が基本だった。だからプレイヤーはハマると長時間プレイしてしまい、親から「ゲームは一日一時間」と残酷な宣言を受けたりした。でも今は違うらしい。

そこまで考えた時、私は気づいたことがある。私の生き甲斐論の6は、その隙間時間にかなり近いものではないか。

6の結論を下に転記する:

じっくり長期的に育てるものでなく、手っ取り早く元気を取り戻すものにする。(例:ゴジラ短編、VR動画。)ただし、どんどん補充してゆかないと枯れてしまう。

隙間時間でも簡単に強くなれるというのは、手っ取り早く元気になれるということだ。その一面では、今どきのゲームも私の生き甲斐論6に入る。

私は育ってきた世代が古いから、以前のゲームのように頑張りと達成感を大事にし、生き甲斐も同様に考える傾向がある。次々に新しいものに飛びつくのは苦手だ。だから6の結論である手っ取り早いものは、果たして自分の生き甲斐になるだろうかと不安だ。

私は知りたい。隙間時間を活用できるゲームにハマっている人にとって、それは生き甲斐なのだろうか。それとも、暇潰しなのだろうか。もし生き甲斐ならば、私はそういう形の生き甲斐について知ると良い。もし暇潰しならば、その人は他に生き甲斐をもっているか、あるいは生き甲斐をもっていないかだ。