SSブログ

第四の生き甲斐を探します255 なんちゃって訳者の手記 [手記さまざま6]


訳者の手記


面白いと感じたこと

私は日本人だから、この映画で最初に面白いと感じたのはやはり日本語の部分だった。ブラシュケが相撲取りの要求にハイと答えるが要求に応えるそぶりはない。ブラシュケは相手の日本語が難しすぎてわからなかったので、ひとまず聞いてますというつもりでハイと言ったのだ。電話口ではこういう「はい」の使い方がある。そして日本語を中途半端に学んだ外国人は実際にこういう勘違いをしそうだ。この映画では、たびたび人々の勘違いをコメディーのネタにする。そういえば、こういう勘違いで私は思い出す話がある。ある外国人が日-英辞典を引いて「感動する」の意味を「心を強く動かされること」と知り、葬儀のスピーチで「私は故人の死に深く感動しました」と言ったそうだ。そういう「外国語あるある勘違い」は興味深い。

それから、日本文化を妙にずれた形で真似する部分が面白い。ブラシュケは茶の湯をたしなむが、喧騒を避けてか屋根の上で茶をたてる。テレビで日本のとある寒行が報道されると、自宅のバスタブにわざわざ氷水を入れて浸かる。

次に私が面白いと感じたのは、ドイツの風習が出てくる部分だ。私は研究室の真面目なゲルマニスト達の中にいると息が詰まるので、ドイツ中を旅してドイツ人の言語・習慣・食文化を調べた。だからメルツが見つけた替え玉日本人がSchuhplattlerを踊りだした時は最高に面白かった。この映画を日本人が見るならば、ドイツの風習を知っているほうが面白い。

上に書いたが、この映画では人々の勘違いをコメディーのネタにする。その件で、日本人にもわかるように補足しておこう。替え玉日本人のヨシダ氏がメルツに、幸運を呼ぶために自分の肩に唾を吐いてくれと言うシーンがある。ドイツ語の言い回しとしては「唾を吐く」だが、実際には本当に唾を吐きかけるのではない。息を吹きかけて、唾を吐く真似をするだけだ。これはドイツ人一般の風習ではなく特定の職業に就く人の風習なので、映画の中ではメルツが誤解して本当に肩に唾を吐くというジョークになっている。私の訳では、「唾を吐いてください」で唾を吐いてもジョークが伝わらないので、あえて「ツバを吐く真似を」と意訳した。

その他には、「ほっぺにキスの真似をする挨拶」を知らない日本人が唇にブチューっとするジョークが出てくる。これは直前にアンナがその挨拶をしているので、日本人が見てもジョークが伝わりやすいだろう。蛇足だが、これも本当に頬にキスをするのでなく、真似だけだ。


役に立ったこと

ヘーダーバッハがやけ食いするシーンで、彼女が電話でルームサービスを注文する:

Und dann hätte ich gerne noch eine Nummer 6. Und eine Nummer 8, aber ohne Pepperoni, bitte. Und und eine Pizza Hawaii, aber eine große. Ja, einen großen Salat und zweimal Tiramisu.
それからメニューの6番もちょうだい それと8番も ペパロニなしで それからハワイ風ピザのLサイズ ええサラダのLサイズとティラミスふたつ

レストランでの注文のしかたは、ネイティブに聞けばおおまかには情報収集できる。ひとつ注文するならば料理名や飲み物の前に不定冠詞を付ける。メニューの料理名に連番が付いている場合は料理名のかわりに番号で注文してよい。それとは別にeinmal, zweimalを付ける方法があり、その場合はふたつ注文する時も名詞を単数形にする。そういう個々の情報はネイティブにメールで聞けば得られる。でもネイティブでない人間は、個々の情報だけではどうも不安だ。たとえば番号で注文する時には番号の前に不定冠詞が付くのか、とか。しかし些事を根掘り葉掘り毎回メールで聞くのは私にははばかられた。なぜなら彼は私の先生ではなく、友人だから。授業料を払っているのでなく、すべて彼が善意で答えてくれているから。「面倒くさい奴だな」と思われる友達付き合いをしたくなかった。かといって、日本にいるとネイティブと一緒にレストランで食事する機会がないので、こっそり聞いてチェックすることができない。そして教科書にレストランでの注文シーンが出てきたとしても、教材として手順が簡略化されていて不十分だ。そういう現実の中で、注文のしかたがこれだけはっきり示されている例を私は他に知らない。


ドイツ語知識として得られたもの

画廊のシーンにsaftiger Knackarschという表現が出てくる。今でこそネット検索すればどういうニュアンスかがわかるが、私がこの映画を知った昔はまだそうは行かなかった。かといって、映画を見た感じだけで何となく察して終わるのは嫌だった。私はネイティブに聞いて、セックス・アピールに関する言葉だと確認した。ちなみに、これをどう訳すかは十年以上前から悩んでいたが、今回は悩むうちにふと般若心経が頭に浮かんだ。心経の最後に真言がある。真言は訳しても訳しきれない言葉ゆえに、あえて訳さず音を写すのが漢訳者の流儀だ。なるほど、その手を使えば、タカハシJr.が「ザフティガクナガシュ?」と聞き違えるのを訳に素直に反映できる。

私はこの映画から、奇妙な言い回しを学んだ。「死体を地下室に持っている」という言い回しだ。まるでミステリーで犯人が死体を隠しているみたいだが、そんなはずはないと思い調べてみると、これは過去に後ろ暗い何かを持っている、負債を抱えている、などの意味だ。語源的には、カトリック圏で洗礼を受けられずに亡くなった子供が墓地への埋葬を許されず、家に埋葬されたことに由来するそうだ。また、「(ある人が)全ての水で洗われている」という言い回しがある。これは、百戦錬磨で抜け目がないという意味だ。語源的には、七つの海に洗われた強者の船乗り、だそうだ。こういうのを知ることは楽しい。

この映画の舞台はバイエルンだから、バイエルン方言が少し出てくる。タクシードライバーの言葉と、安宿の女の言葉だ。その言葉の意味を正確に知るために私は当然調べたが、実は私はこういう方言を調査するのが楽しい。今回はバイエルン方言だから調査が比較的楽だったが、たとえこれがケルン方言でも私は頑張っただろう。私には教えてくれる先生がいない。どこまで行っても不完全だ。でも学習は面白い。


わがままと、こだわり(1)

私は、まだ見ていない映画のあらすじを読んでいて、人名がいくつも出てくると誰が誰だかわからなくなる。自分がそういう人間なので、この映画の文字起こしを訳すにあたり、脇役が名前で呼ばれるならば、できるだけ名前でなく役職名で表現したいと思った。これは、私のわがままだ。本来は人名を人名として訳すのが当然だが、私のわがままを通させてもらった。ブレヒシュミットという人物が出てくる。ヒュポ銀行の取締役の一人で、マイヤーホルツ社への信用貸しの件を担当している。彼の名前は何度か出てくるが、可能な場合には「銀行の担当」と訳させてもらった。


わがままと、こだわり(2)

この映画の最後の台詞はverdammt rechtだ。実は私は翻訳前、この言葉をどう訳すかをとても気にしていた。なぜならば余韻を味わいつつ映画を観終わるために、最後の台詞は大事だからだ。同じ台詞が映画の中盤にも出てくる。最後の台詞の訳を決めるには中盤のverdammt rechtの意味も確認しなければならないが、そのためにはそこに至るまでの登場人物の気持ちを知らなければならない。だから私は自分が興味をもつ場面から訳し始めることができず、長いシナリオの途中でギブアップする危険を冒してでも映画の最初から訳さなければならなかった。

verdammtは第一義として「忌々しい」だが、忌々しくなくても「ものすごく」という意味で使われる。どちらの訳にするかを私は長時間悩んだ。verdammt recht自体は「実に正しい」「すごく正しい」で意味が通るし、研究室出の頭でっかちな人間が語源的な訳にこだわりすぎることも多々ある。私は一度は「すごく正しい」と訳した。しかしその後、映画の中で最初にverdammtが出てくるのがペーター・メルツの「忌々しいヘーダーバッハ」という台詞だと気づいた。彼は商売敵のヘーダーバッハが忌々しかった。しかし招致合戦を繰り広げるうちに、忌々しいながらも相手の実力を認めずにいられなくなった。だからヘーダーバッハを「ルックスが良い」「自信家だ」「利口だ」と形容する場面でも、ただ単に「すごく」そう思うのでなく、忌々しいが認めざるを得ないというニュアンスだ。そして「忌々しいほど正しい」に行き着く。その語だけを見れば「すごく正しい」のほうが素直な訳だが、それまでずっと引きずってきた「忌々しい」をここでも使うことで言葉遊びが活きてくる。だからverdammtをあえて「忌々しいほど」と訳させてもらった。


わがままと、こだわり(3)

タカハシJr.がスタインウェイについて語るセリフは、何を意味するかが分かりにくい。言葉を尽くして表現していないだけでなく、彼個人の感想なのでスタインウェイの現実に照らし合わせること自体が正しいかも不明だ。しかし他に手掛かりがない以上、そうするしかない。

genau gehört, genau gemessenは受動表現で、主語はピアノだ。だから聴いたり測ったりするのはピアノ製造者だと私は思う。そこで気になったのは、測るのは製造者だとしても聴くのは製造後に演奏された時の聴衆ではないかということだ。調律だとしても、それとて製造後の作業ではないか。

私は試しにウィキペディアでスタインウェイについて調べた。日本語版ウィキペディアには参考になる記述がなかったが、ドイツ語版ウィキペディアに次の記述があった:

Zwar werden die stets gleichen Konstruktionspläne und Materialien verwendet, trotzdem gleicht kein Instrument dem anderen. Aufgrund des Konstruktionsprinzips aus dem Klavierbau, die Instrumente zur Erzielung des Stegdrucks „auf Spannung“ zu bauen, fallen keine zwei Flügel wegen der individuellen Eigenschaften des verwendeten Holzes exakt gleich aus, was sich in der Klangentfaltung bemerkbar macht.

どうやらこのピアノは、組み立てを完了する前に弦を張り、調律するらしい。音の基本が完成してから木材を取り付けるらしい。これが脚本家の考えたことかはわからないが、タカハシJr.のセリフがピアノ製造を意味していると解釈して訳しても、矛盾はしなくなった。

genau gehört, genau gemessenがピアノ製造者でなくピアノ演奏者のことだと解釈する方もいらっしゃるだろう。聴くのは、そのほうがうまく行く、ところが測るほうは、演奏者は測らない。結局「これだ!」という解釈は見つからない。

いつまでもここで立ち止まってはいられないので、今は私の解釈で行こうと思う。


訳の常套テクニックとして意訳した例:

Wir waren nicht im Wohnzimmer.
リビングには行かなかったわ

ドイツ語でよく使う場所的表現を日本語でよく使う動作的表現に変換。


前後関係から意を汲んで意訳した例:

Rot-schwarz mit VW Victory.
赤と黒のVWビクトリー

直訳すればrot-schwarzが主、VW Victoryが付加的だが、次の文で話が外国貿易へ繋がってゆくので意味上の重点はVW Victoryにある。そちらを主に訳した。


脚本に思う

この脚本では、人が他人を勘違いする様を滑稽に描いてみせる。日本の文化風習を中途半端に真似るブラシュケしかり、肩に唾をと言われて本当にスーツに唾を吐くメルツしかり、ペーター・メルツとヘーダーバッハの夜の奮闘の結果をアンナとタカハシJr.の結果と勘違いするカティアしかり。

小さな言葉遊びも見られる。メルツが替え玉作戦をほとんど成功させ、最後にAch, das freut mich. Vielen Dank.と言った瞬間にヘーダーバッハが部屋に闖入してGott sei Dank. Sie sind noch da.と言う。連続する台詞の中でDankがまるで韻のように重複する。こういう言葉遊びは、訳でも可能な限り表現した。上の例ならば「それは有難い 助かります」「助かったわ まだ間に合った」と訳した。

この脚本にはBilanzという語がしばしば現れる。Bilanzは「収支決算」のことだが、そこから転じて一般的に「結果」という意味でも使う。この映画では企業同士の誘致合戦が描かれるので、小さな言葉遊びとして商業用語のBilanzを多用したのかもしれない。訳す私はその都度適切な日本語は何かと思い巡らし苦労させられた。