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急に寒くなった [坐骨神経痛]

数日前、急に寒くなった。日が沈み日が昇ったら寒かったという緩やかな変化ではない。日中はまだ暖かかったが、仕事を終えて帰宅する頃に急に寒くなった。それまでは10月にしては季節外れの暖かさだったものが、突然11月のようになった。腰痛の人間は、急に足腰の具合が悪くなる。暖かい時には駅から自宅まで立ち止まらずに歩けていたが、寒くなると途中で何度も立ち止まって休憩し、腰をさすってやらねばならなくなる。私は、仕事で無理をしたせいだと思いたかった。翌日も立ち止まらねば歩けなかったが、それでも仕事の筋肉痛のせいだと思いたかった。だがその翌日も腰の調子が悪いと、もう寒さによる腰痛だと認めねばならない。まだ11月になっていない。これから3月あたりまでの長い間、行動を制限されるのが残念だ。椅子に座る時間を短くしなければならない。朝晩は冷気が床を這うので風邪をひきやすく、早起きと夜ふかしが出来なくなる。仕事はしているが、趣味は滞っている。自由に使える時間が短くなると、どうしてもその皺寄せはまず趣味に影響する。カセットテープ補完作業で松任谷由実が終わり次へ行けるのは、いつのことだろう。


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腰痛に厳しい寒い時期が来る [坐骨神経痛]

腰痛の人間は気温に敏感だ。肌が寒さを感じるより前に、足腰に異変が出る。直接腰に異変が出るとは限らない。歩く時に腰をかばって変な歩き方になり、股関節や膝関節が痛くなる場合もある。9月22日、今まで調子の良かった股関節と膝関節が、歩く時に痛みを感じるようになった。
思い返すに、調子が良かったのはちょうど1ヶ月の間だった。今年は夏になり暖かくなってもなかなか足腰の調子が良くならず、8月になった。困ったものだと思っていたら、父の祥月命日の墓参に行った23日、急に調子が良くなった。長らく腰痛で大股歩きができずにいたが、この日は急ぐ必要があり、無理をして歩幅を大きくした。以前ブログ記事に書いたが、私は若い頃から足を前へ大きく踏み出すと股関節が痛くなるかもしれず、大股の時は足を後ろへ大きく送る。ちょっと痛かったが我慢するうちに、まるで歯車が噛み合ったかのような、まるで血栓が取れて血流が回復したかのような気分になった。それから速く歩けるようになった。でも健康になったのとは違った。足を後ろへ大きく送るその特殊な歩き方をした時だけまともに歩け、そうでなければ今まで通り関節が痛くてうまく歩けなかった。だから私は歩き始めたら大股で速く歩くしか選択肢がなく、ゆっくり歩くことができなかった。すたすた早歩きするか、立ち止まるか。それだけが私の足腰に許されていた。
それからちょうど1ヶ月経ち、9月22日、また下半身の関節に痛みを感じてまともに歩けなくなった。それでも人は歩かなければならない。今日も例の特殊な大股歩きを試すつもりだが、果たしてどうなるだろう。
腰痛そのものは、非常にゆっくりと和らいでいる。年単位でやっとその違いがわかるほどゆっくりと。慢性腰痛になった直後は腰を屈めるなど全く不可能で、低い位置のものは取れなかったが、今は何かに捕まりながらだが屈むことができる。以前は職場で椅子に座るだけの衝撃で腰が痛くなったが、今はそんなことはない。
最近の改善は、腰に気をつけていればちょっとの間だけ物に捕まらずに屈めるようになった。でもこれは曲者で、仕事で気にすることが一杯ある時は腰に注意が行かず、その状態で屈むと腰が痛くなる。あとは、短い階段ならば両足で登れるようになった。以前は、右足を曲げて体重をかけて上へ行くことができず、右足を杖のように伸ばしたまま左足だけで階段を登っていた。
実感として、あと4、5年もすれば慢性腰痛から解放される気がする。しかし4、5年は長い。


追記
その後、下半身の関節の痛みが和らいだ。また暑い日が再来したからか、それとも、足を後ろへ大きく送る特殊な歩き方をしているからか、それはわからない。今年はいつまでまともに歩けるだろう。普通の人は、寒い季節になったからといって歩けなくなることはない。私も、寒くてもまともに歩ける日が来てほしいものだ。


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今年の夏の症状はあまり良くない [坐骨神経痛]

腰痛は、夏になり気温が上がると筋肉のこわばりが取れて楽になるはずだった。歩行困難は夏の間は解消されるはずだった。少なくとも2018年の夏はそうだった。ところが今年の夏は違う。これだけ暖かくなっても歩行困難が直らない。それでは腰痛全体が悪化しているのかというと、そうではない。2018年半ばまでは椅子に座るという動作だけで腰痛が出たが、今は勢いよく椅子に座っても腰痛は出ない。
とにかく毎日少しでも外を歩いている。昨日は残念なことに1キロどころか500メートル歩いたかという位で痛くて立ち止まってしまった。あとは何とか家に帰り着こうと頑張った。

思えば、今の腰痛の最初の原因は原発事故だった。それ以前には、インドア派の私でも必要に応じて当たり前に外出していた。それが放射線恐さに外出しなくなった。その後、親が今の思い出の詰まった家を捨ててどこかへ移ると言い出した。私は狼狽し、可能な限りの思い出の品を写真やスキャン、録音録画で残そうと、何ヵ月も昼夜を問わず自室で座って作業した。それが今の腰痛の原因だ。この腰痛を治すには、私は歩けない足腰でそれでも歩かなければならないように思う。今も家の近所を退屈しながら歩いているが、もっと自分が意欲をもって臨め、少しずつ目標までの距離が遠くなるような計画を立てる必要がある。子供の頃に地図を広げてやった「大遠征」計画のように。


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腰痛人間は何も出来ないというのか [坐骨神経痛]

今日は私の腰痛の新しい症状と、その残念な原因について記録を残したい。
腰が痛い時、体の真ん中でなく左右どちらかにずれた場所が痛くなるのが普通だ。私はずっと右腰が痛かったが、気づくと今は左腰が痛い。これは私にとって珍しいことだし、今までとは別の場所の神経が圧迫されているということだ。
同様のことが手術前の親(数年前)にも起きた。親は私と逆に左腰がずっと痛かったが、その日起きたら急に右腰が耐えられないほど痛みだしたという。MRI検査の結果は椎間板ヘルニアで、親が「今までは左腰が痛かった」と言うと先生はディスプレイに映る脊柱の別の場所を指差して「それはこっちの脊柱菅狭窄症」と言った。

今の私の場合は、たいした痛みではなく軽い鈍痛なので、このまま湿布薬を貼りつつ治ってくれるとよいがと思っている。私にとっての問題は、痛みの残念な原因だ。私の生き甲斐がどうやら腰痛の原因らしい。
私はこのブログでカセットテープ補完作業のことをくどいほど記事にしている。それほど私が生き甲斐にしているということだ。ところが最近はその作業が遅々として進まない。腰痛から来る歩行困難を、早見優の夏色のナンシーを行進曲にして耐え歩いたという記事が5月21日だった。今は6月3日、私はまだ夏色のナンシーをカセット作業している。その間にSWEET MEMORIESの記事があったので作業が先へ進んだように思えるだろうが、実際には複数の曲を同時進行している。5月21日は夏色のナンシーを作業し始めた時。そして今まだ作業が終わっていない。遅々として進まない作業に私は焦っている。このままではカセット作業が全部終わるまでに何年もかかってしまうのではないか。それで昨日は作業を進めようとした。腰痛のせいで1時間以上パソコンの前に座り続けてはいけないので、1時間作業しては1時間以上休むを繰り返した。休んでいる間はもどかしかった。腰痛さえなければ1時間以上も休む必要がないのに。ところが!今朝起きたら左腰が痛かった。作業と作業の間に1時間以上の休憩を入れて、それでも腰痛が出た。私には何も出来ないというのか。

昨日はカセットの他に、次のブログ記事に使う動画も作っておこうと欲が出たのがさらにいけなかった。すぐに作れると思ったのに、音ずれがとうとう直せずに1時間が過ぎた。つまり貴重な作業時間を無駄にしてしまった。私が馬鹿だった。今後はカセット作業以外のことでパソコンの前に座るのを禁止するべきだ。ブログ記事に動画や音声を出す機会が減るが、今の健康状態では仕方がない。テキストと写真はスマホでも作成できるので、健康を取り戻すまではそういう形でやって行こうと思う。


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5月の症状と、少し改善したことの記録 [坐骨神経痛]

歩くのに苦労する。歩幅を広くできず、歩数が多い割に先へ進めない。変な歩き方をしてしまい、膝や親指の付け根が痛くなる。少し歩くと立ち止まらなければならない。家へたどり着けるのだろうかと思いながら、休みつつ、なんとか帰り着く。
この症状を初めてブログ記事に書いたのは、調べてみたら先月(5月)の12日だった。症状はそれからずっと続いた。いよいよセカンドオピニオンでまた整形外科に行くしかないかと思い、アルコール依存症の私が飲酒の欲求も出ないほど心配していた。

改善の変化があったのは先月末だった。その日もいつもと同じように歩き始めたが、私は次のように思った。どうせ私の足は痛い。どうせ今日も、いつ歩けなくなるかわからないで歩いている。それならいっそのこと何か試みよう。思えばこの頃はずっと、足腰が痛いから小股でしか歩けない。股関節を大きく動かすこともできず、血流も滞っているだろう。体を治すのは血の流れだ。血の流れが酸素や栄養や、二酸化炭素や老廃物を運ぶ。股関節を大きく動かせばその部分の血流が良くなるだろう。私は腰が痛いから小股でしか歩けないのだが、あえて逆に考えよう。動かないものを動かしてみよう。どうせいつ動けなくなるかわからない足だ。小股で歩けなくなっても大股で歩けなくなっても同じことだ。私は後ろに残るほうの足を大きく残して歩いてみた。普通の人は大股といえば前へ大きく踏み出すが、私はそれをすると股関節が痛くなるから後ろへ足を残すしかない。そうやっても足の開きは大きくなる。腰がさらに痛くなるかと思ったが、幸いなことにあまり痛くならなかった。大きく動かすのだから多少は痛いが、立ち止まってしまうほどではなかったので暫く我慢して歩いた。そうしたら腰痛が改善してきた。

横になっている時、歩いている時に痛みを感じなくなってきた。ただし、改善の度合いはまだわからない。毎日腰に湿布薬を貼っているから腰が楽なのかもしれないし、歩くスピードが極端に遅いから楽なのかもしれない。逆に言えば、湿布薬をやめた途端に痛みだすかもしれず、まともなスピードで歩こうとした途端に痛みだすかもしれない。

以上が、最近の症状と試みの報告。この後は、長文になってしまうけれども、さらに人生の記録を残すことをお許しいただきたい。

去年は暖かい季節に腰痛が出なかった私が、どうして今年は歩行困難を引き起こすほど悪いのか。ひょっとしたらと思うことがある。カセットテープ補完作業が悪かったのではないか。なんでカセットテープの作業程度で歩行困難になるのかを読者に納得していただくために、今から私は、あなたが呆れるほどにこだわり抜いた補完作業の手順を書く必要がある。
カセットの各巻・各面の曲をひとつずつネット検索してゆき、情報収集する。そこまでは問題ない。パソコンの前に座らずにスマホでネット検索することが多いし、パソコンを使う時は腰が痛くなる前に切り上げて残りは次回とする。ところが作業には続きがある。スマホやパソコンで集めた情報をひとつにまとめて保管するのに専用の別個のパソコンを使っていて、すべての情報をそこへ移動する。これに時間がかかる。1台の外付けハードディスクにスマホとパソコンの情報を全部入れ、コンセント数の都合で一度パソコンの電源を切って電源プラグをひっこ抜き、電源を接続し直して別個の保管用パソコンの電源を入れ、あらかじめ書いておいた指示通りにファイルを各フォルダに仕分けしつつ移動する。自室の限られたスペースの中で日常用パソコンと保存用パソコンを一度に片方しか使えず、ディスプレイを移動して使えるようにするのは手間と時間がかかるので、一度始めた作業を途中でやめたくない。1日のうちに全部やる。カセットテープ1巻のA面B面の情報量で、保管用パソコンへの移動に半日かかる。
この前の作業は、頑張って約2時間で終わらせた。でもその2時間のあいだ、ほとんど椅子に座りっぱなしだった。これが腰痛を引き起こしたのではないか。
世の中には頑張ることで社会から誉められる人々、たとえばアスリートたちがいるのに、一方で私は頑張って何かやるたびに健康を損ねて作業を制限される。プログラミングしかり、スキャナー作業しかり、そしてカセットテープ補完作業も。残念だ。
ここ数週間は、仕事が忙しいのと腰が痛いのとでカセットテープ作業は遅々として進まず、カセットの片面がやっと終わっただけだ。あと片面ぶん作業を続け、それから保管用パソコンへ移すというのが今までのやり方だが、この腰の状態ではそれはできない。片面だけで保管用パソコンへ移すしかないだろう。椅子に座る時間は推定1時間。これが私の腰の限界だろう。

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暖かい季節なのに今年は腰が痛い [坐骨神経痛]

最近5日間の記事なしの日々は「ブログ記事書けない病」ではなく、体調不良。耳が詰まり目が痛く腰が痛く膝が痛い。その後耳は快方に向かい、目は今朝になって良くなったが、これから仕事をすると元のように悪くなるというのがいつものパターンだ。私は近所の床屋さんと話した時に、仕事は健康の切り売りだと言ったことがある。健康を渡してお金をもらう。
今いちばん心配なのは腰痛だ。明らかに痛い。でも仕事に行かなければならない。家で休んでいても、何日後に治るかはわからない。普段は歩く道もバスに乗らねば無理だと思っていたが、目の前でバスが行ってしまったので歩いた。歩けて良かった。今は電車に乗っている。痛い腰で頑張って歩こうとすると、つい腰に力を入れる。すると筋肉が締まって腰はさらに痛くなる。「力を入れるな、力を抜いても立っていられる」と自分に言い聞かせた。具体的には、腹をへこませた。意識して腹をペコンとへこませると、腹に力を入れることができない。だから腰に変な力が入って締めることがない。腰を気にして力が入りそうになる度に、その力を腹をへこませる力に変更した。膝の痛みは腰痛から来ている。腰が痛いから変な歩き方をし、変な歩き方をするから膝に変な力がかかり、膝まで痛くなる。気をつけて歩き方を直すと腰痛も楽になり、膝も痛くなりにくい。あとは行進曲。頑張って歩かなきゃならない時は、心の中で行進曲が鳴っているほうが足が動きやすい。もちろん声に出して口ずさんではいけない。心の中で。曲は、その時々で縁のある曲になる。ある時はX JAPANの紅だった。でも今はカセットテープ補完作業の途中なので、健康を取り戻したら次にネット検索する予定の曲が頭に浮かんだ。早見優だ。恋かなーYes!恋じゃなーいYes!愛かなーYes!愛じゃなーい。いや、別に私の頭がとうとう狂ってしまったわけではない。とにかく元気な曲に自分の歩行を後押ししてもらいたい所に、たまたまこの曲があったんだ。それに、昨日の私が皿洗いの間に口ずさんでいた別の曲を使うわけには行かなかった。それは破れ傘刀舟悪人狩りだったから。「てめえら人間じゃねえ。叩っ斬ってやる」と思いながら往来を歩いたら、それは怖すぎるでしょ。

追記。その後どうなったか。電車を降りて歩き始める、職場で休憩してから歩き始める、そのたびに腰が痛い。そのたびにまた整形外科に行くべきかと思い、上記の力を入れずに腹をへこませる歩き方をするように努める。色々試みるうちに症状がましになる。ひとまず家に帰りつくことを目標にしよう。

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腰痛以外も含めて近況 [坐骨神経痛]

今回は健康と趣味の総合的な記事になるが、残念ながら健康・趣味の両面で良い報告ができない。
腰痛は暖かい季節になれば一時的に消えるはずだったのに、今年は消えない。最悪というわけではない。以前は職場で椅子に座ったり椅子から立ち上がったりするたびにその日一日続く程度の腰痛が発症するリスクがあったが、それは今はない。ただ、歩く時に腰が痛くてノートルダムのせむし男だかどこぞの伝承の河童みたいな歩き方を余儀なくされる。湿布薬が手放せない。
耳鼻科の先生にスルーされた耳の詰まりは、日にち薬で治ってゆくのかと思ったが、いまだに詰まる。4月の初めのようなひどいストレスはないはずなのだが。原因がわからない。
目は花粉症の季節が終われば辛くなくなるはずだったが、今年は5月の今も辛い。
親の腰痛が妙な具合に悪化して、腰の両側が痛くなった。それで、たとえ私の体調がよくても親の代わりに買い物をしたり料理を作ったりして自由時間ができない。
耳と目と親の具合が悪いので趣味のカセットテープ補完計画が遅々として進まない。いつだったか、まだ耳鼻科に通っていた時の記事に赤いスイートピーのことを書いた記憶があるが、今日までずーっと赤いスイートピーの補完をやっていた。

こういう時も、人は落ち込むべきでない。なぜか。人は残念な状態の時、ついそれにばかり目が行って周りを見られなくなることがある。目を見開いて周りをよく見よ。自分の周りで健やかでいられる存在がある。私が仕事に行けば、元気な教え子がいる。私がとっくに失った、高校生の時のような真面目さで、目の前の科目を学習しようとする。私はそれに対面すると、背筋の伸びる思いがする。落ち込んでいる暇がどこにある。これからの世界を担う人々のために、微力を尽くせ。

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腰痛の今までとこれからを考える [坐骨神経痛]

私の最初の腰痛は高校生の時でした。体育の授業で腰をしこたま打って、それでもその日は普通に帰宅しました。翌朝腰が痛いのを押して登校しようとしましたが、頑張って数百メートル歩いた所で限界となり、何とか家にたどり着いて寝たきりになりました。医者に来てもらってブロック注射を打ってもらったら快方に向かいました。これを読んでいる方が椎間板ヘルニアを体験なさっていたら、この時の症状は軽い方だと思われるでしょう。私は後年にもっとひどい腰痛を体験しましたが、その時はブロック注射がまったく効きませんでした。

私の椎間板ヘルニアはおおよそ5年に1回くらい発症していると思います。原因のひとつは、私の趣味がプログラミングを始めとしてことごとくパソコンの前に座らないとできないものだということです。若い頃は、丸一日パソコンの前に座り、それを1か月続けました。ある程度大きなプログラムを組むには、そういう努力が必要です。親は、学校が休みになると私が病気になるとよく言ったものです。つまり私は夏休みや春休みに、ここぞとばかりに体に無理をさせたのです。

2012年からは腰痛の頻度が上がりました。2012年、2014年(軽い)、2015年、2016年、2016年(二度目)、2016年(三度目)。頻度がどんどん上がりましたが、2016年の三度目を最後に現在(2019年2月)まで椎間板ヘルニアはありません。

なぜ頻度が上がったか。私が「人生補完計画」を頑張ったからです。カセットテープのデジタル化、書籍のデジタル化、プログラミング。私が人生を頑張るたびに椎間板ヘルニアになります。

なぜ2016年の三度目を最後に椎間板ヘルニアが発症しなくなったか。私が「補完計画」を頑張らなくなった、いや、頑張れなくなったからです。2016年12月に、椎間板ヘルニア以外の症状が現れました。椎間板ヘルニアは、一度発症すると痛くて動けなくなり、1か月かそれ以上かけてわずかずつ改善してゆき、ある日全快して何でもなくなります。いっぽう新しい症状は、痛いのだけれども動けないほどではなく、そのかわりに1か月どころか延々と続きます。2019年2月現在まだ治っていませんから、2年以上症状が続いています。この痛みのせいで私は体に無理をさせることができなくなりました。皮肉にもそのおかげで、椎間板ヘルニアのほうは発症しないのです。

以上が、今までの腰痛です。

次に、これからの腰痛を考えます。まず急務は、今の腰痛を治すことです。MRI検査の結果骨に炎症があることはわかりました。炎症は組織の癒着など悪い結果を招きますから、できるだけ早く治したいです。今かかっている整形外科の先生は積極的な治療をしてくれないので、自分で運動したり、無理な動きをしないように気をつけたり、湿布薬を貼ったりして、努力しなければなりません。症状は、2017年1月ごろに一番ひどかったように思います。というのは、新しく買ったBDレコーダーを「ちゃぶ台」の高さの台に載せ、立って腰を曲げてレコーダー天面のボタンを押そうとしたら腰が痛くてとても手が届かなかったのです。あるいは、上半身だけひねるなんて事は怖くてできず、横を見るには体ごとその方向に向いていました。私は若い頃に見たウルトラマンパワードのゼットンみたいな動きになってしまったと思ったものでした。(パワードのゼットンとは、下の動画のことです。)

その後わずかずつ改善し、2018年半ばまではただ椅子に座るという動作だけで腰痛が起きることが多かったのが、2018年半ば以降は腰痛が起きにくくなりました。2019年2月はじめ頃、夜の散歩はまだとても寒いにもかかわらず、足腰を痛くせずに歩いて来られるようになりました。そうかと思うと数日前にうっかりひねってしまって以来常に腰に違和感があり、右太ももにかすかな痺れを感じ、低反発マットレスの上に寝ても仰向けだと腰が痛い状態が続いています。道程はまだ長いです。

椎間板ヘルニアのほうは、このままいつまで発症しないでいられるか観察します。発症させないためには、もう今までのような体に無理をさせる「補完計画」をしてはいけません。私の生き甲斐を否定されるかのようで、残念です。


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風邪で腰痛散歩中断 [坐骨神経痛]

風邪で何日か寝込んだという話は以前に書きましたが、それの影響が他の所にも出ました。寝込んでいる間はもちろん、熱が下がってからも風邪の症状があるうちは寒い外を散歩するのを控えました。腰痛散歩以外に有効な腰痛改善策を持たない私は、どうなってしまうんだろうと思いましたよ。これのせいでスマホの万歩計の値が、ひどい日にはゼロです。毎日二千歩以上は歩くと決めていたのに、熱を出したのでは仕方ありません。さらには近所のドラッグストアでスマホ用割引クーポンが出て、使わなければもったいないと親が言い始め、寝込んでいる私の代わりに私のスマホを持って行ったから、スマホの万歩計はいいかげんな値を指して、何かどうでもよくなってしまいました。

ここまでが風邪の腰痛散歩への影響。後は健康関係ではありませんが、ついでに書かせてください。風邪で数日間ブログ記事を書かないうちに、執筆の元気がなくなってしまいました。以前にも書きましたが、こういうのは「勢い」も大事でして、「失速」すると記事ネタがあっても執筆の指(昔なら「筆」や「ペン」ですが今はスマホだから「指」)が止まってしまうのです。嵐が活動休止を口にした時も、私なりに嵐のことを思い巡らしたものでしたが、記事にする元気が出ないまま何日も過ぎてしまいました。クックパッドに炊飯器で米でなく大根を炊くというレシピが載っていたので試したら、炊飯器がエラーになって止まってしまった話題も記事にしないまま今に至りました。今日のこの記事には、記事執筆に失速してしまった自分の「指」を何とか動かそうという意図があります。

上記の風邪がようやく完治したらしく、私は今、親の確定申告を親の代わりに書いています。第三表を必要とする損益通算の確定申告、面倒くさいです。

趣味のカセットテープ補完計画は松田聖子がスミレ ヒマワリ フリージアと歌い出しました。YouTube等にステージ動画があれば一通り見ると決めている私は、松田聖子が出てくると少し憂鬱になります。動画の数が多すぎるんです。いくら検索してもまだ先があるって感じで。飽きたら途中でやめればいいんですが、「ひょっとしてこの先にレアなステージ衣装があるかもしれない」と思うとやめられず、そして実際にそういう動画があったりするんです。

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腰痛散歩のその後 [坐骨神経痛]

腰痛改善のために毎日散歩をしている。(用事があって散歩より多く歩く日を除く。)昨年11月までは、少なくとも1日2000歩歩くことにしていたが、それでは足りないと思い、12月からは1日4000歩に変更した。調子のいい日は楽に歩けることもあったが、調子の悪い日は途中で腰が痛くなることもあった。とにかく頑張って4000歩歩いた。

ところが、今年の正月ごろだったか、すごく寒い日が数日あった。その時に歩いていて膝がチクチクと痛みはじめた。一度痛みはじめると、寒さが和らいでもチクチクは収まらなかった。湿布薬もなぜか効かなかった。それが原因で、4000歩を歩けなくなった。膝が痛いのでは、根性で歩き続けるのは炎症を悪化させるかもしれず、無理して目標の4000歩を達成するのは諦めた。また1日2000歩に戻した。

私の散歩の楽しみは猫に会うことだったが、寒くなったせいで猫がどこかに引っ込んでしまい、会えない日も出てきた。だから猫以外の楽しみを見つけなければならない。なにしろ家の周りを毎日歩くので、何か楽しみがないと退屈してしまい、散歩が苦痛になってしまう。それは駄目だ。

以前に夜空の星のことを書いたが、星を見ながらの散歩は残念ながら無理だった。どこを散歩しても街灯が明るく、それが邪魔して星が見えない。

そのうちにふと、家々の玄関が気になった。私は何となく、玄関というのは道路に面して堂々と存在しているものだと思い込んでいた。でも意外なほど頻繁に、玄関が道路に面していない家を見かけた。玄関が家の正面(道路に面した側)でなく側面にある家は多い。

その観察が済んでしまって私はまた散歩中暇になった。そこで今度は歩きながら玄関について考察した。戸建て住宅の玄関にはドアの他に何が必要だろう。そういえばドアの上方には庇が出ている。私はずっと昔雨に降られた時のことを思い出した。傘は持っていたが、傘をたたんでからビルの自動ドアが開くまでのわずかな時間に濡れてしまった。自動ドアの上方に庇がなかったから。そうか、入口の上方には雨よけの庇が絶対に必要だ。他に必要なものはないか。灯りが必要だ。夜に玄関前で鍵を探す時に真っ暗では困る。でもこれだけ建ち並ぶ家屋の中に、一軒くらい例外的な家があってもいい。どこかに、玄関に庇か照明の付いていない戸建て住宅はないか。私は歩きながら探した。ところが、ない。一軒くらいあっても良さそうなのに、ない。

これからも私の家屋観察と考察は続くだろう。あとは、花壇の植物が興味深い。

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腰痛治療は難航している。 [坐骨神経痛]

病院へ行きたがらない私が今回整形外科で腰痛の相談をしMRI検査をしてもらったのは、観念して、手術であろうとどんな治療であろうと受けて腰痛を治そうと決心したからだ。ところが病院での診断結果は要手術でも要通院でもなく、湿布薬か、コルセットか、それで駄目ならオーダーメイドのコルセットという予想外のものだった。何が困るかというと、依然として腰痛はあるのに具体的な治療が何もないのが困る。私は自力で治すと何年かかるかわからないと感じたから専門家の元で治療しようと決心したのに。

事情はそれで終わらなかった。3週間連続で通院した。腰痛の相談、MRI検査、検査の結果聞き。病院でやること自体は大したことでないが、その日の日中が大半潰れてしまう。それを見越して仕事を前倒しでこなす。それを3週間続けるうちに体調が悪くなった。ふだんの腰痛は腰を屈めた時に「あっ」と思い、15分じっとしていると治るというものだが、今はいつも痛くなりそうな気配がある。最悪ではないが、今までよりも1ランク悪化した。

だから趣味の「カセットテープ補完計画」などは進むはずがない。今後しばらくブログ記事のUPは少な目になるかもしれない。

早く腰痛を以前の状態まで治して家事をできるようにならなければ。

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個人的記録 MRI検査の結果を聞きに行った [坐骨神経痛]

大きな問題は見当たらないが、第5腰椎と尾てい骨の間が狭くなっている。その第5腰椎と尾てい骨の向き合った部分それぞれが白く写っている。普通は黒く写るべきで、白く写っているのは炎症を起こしている。

痛み止めの湿布薬は要りますかと聞かれたので、15分休むと治るので要りませんと答えた。私が欲しいのは対症療法の湿布薬でなく、なぜ痛くなるかという原因の究明と、どうしたら改善するかという対策だ。

そこで、改善のためにどんな努力をしたら良いですかと尋ねた。でも先生の返答は私の参考にはならなかった。前屈みにならないようにする。それは当たり前だし、それでも腰を屈めないと生活できないし、これだけでは治療にもリハビリにもならない。

先生もこの一言で患者が満足するとは思わなかったらしく、後はコルセットで腰の動きを制限する。でも私は先手を打って、コルセットを付けて来た。このコルセットはずっと前にひどい腰痛になった時に家の近くの病院で買ったというか、買わされたものだ。先生に、コルセットはもう付けていると告げると、どうしても辛いようならオーダーメイドのコルセットという方法がある、と。先生から私が引き出せた言葉はここまでだ。結局、改善のための治療やリハビリ方法は引き出せなかった。腰痛体操も勧めたり教えたりしてくれなかった。

あと先生から告げられたのは、椎間板ヘルニアの跡が見られる。それはよくわかる。今までの人生で何度腰痛になったことか。症状から考えて、椎間板ヘルニアだと思っていた。(それは今の腰痛とは症状がまったく異なる。)

背骨の下のほうが左右に曲がっていることに話が触れたので、いいチャンスだから確認した。先生は腰椎が左に曲がっていると言うが、その右とか左とかいう表現は誰から見て右か左かで違ってくる。私の体に触ってもらい教えてもらった。私自身の感覚として下へ行くほど右へ曲がっている。これを改善するためにどんな努力をしたら良いですかと聞いてみたが、先生の返答は参考にはならなかった。上半身を左に傾ける。でも頭が傾いちゃいけない。おっしゃることはわかるが、私が考案した「腰を左へずらす」のほうが実用的ではないだろうか。

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個人的記録 MRI検査 [坐骨神経痛]

11時予約で10分前までに来てくださいと書いてあったので、10時45分になったらMRI検査室のある病棟へ向かった。前の記事に書いたが、私はいつもこの病院の外来区画だけを通うので、病棟がどんなか興味を持っていた。その結果は、病院の病棟はどこも同じようだという感想だ。親が手術を受けた他の整形外科医院もこんな感じだった。地下には売店もあった。MRI検査室横のインターホンのボタンを押したら係の人が出てきたので診察券・予約票・問診票を渡した。もうじきご案内できるということで外の椅子で待つことになった。後で検査室に入った時にわかったが、その時ひとつ前の予約の人が検査している最中だった。あまり待たずに検査室に案内された。検査室に入った所に更衣コンパートメントが2つあって、私が片方に案内されるのと入れ替わりにもう一方から男性が出てきた。更衣コンパートメントでは下着と靴下以外を脱いで備え付けの検査着を羽織る。病棟を通る時に付けるように指示されたマスクもここで取る。パンツだけでなくアンダーシャツも着ていて大丈夫だった。更衣コンパートメントのドアに差してある鍵をかける。係の人が金属の最終チェックの質問をする。入れ歯は取るが、取れないかぶせ物はそのままで良いそうだ。鍵だけを持ってMRI機器のある区画へ。その入り口に先ほどの鍵を下げるフックがある。機器に横になり、腰の撮影だから膝の裏側に大きめの固いクッションを入れて膝を曲げさせる。
横になって背筋を伸ばしたつもりなのに、係の人が私の腰を左へずらした。私としては腰だけ左へ行った感じだ。でも人から見たらこれでまっすぐに見えるのだろうと思いつつハッとした。先週のレントゲンで骨盤に近いいくつかの椎骨が極端に曲がっていたのを思い出した。私の感覚で腰をいっぱいに左へずらす位が、実は脊柱は真っ直ぐなのかもしれない。腰痛の原因ひとつ発見か?
横になってから緊急用のスイッチを持たされるが、コードの先に小さなバルーンみたいな形のものが付いている。体のどこかが熱くなった等異常の時はそれを握るそうだ。両手は体側にだらんと伸ばすよう言われた。腰の横に手が来るので、腰の撮影なのに邪魔になりませんかと聞いてみたが大丈夫だそうだ。横になった幅の狭いベッドが機械の中に入る時に肘がぶつかるかもしれないから、その時だけ腕をぴったり体側に付けておく。機械の内面は、いくぶん青みを帯びた白い光で満たされていた。狭い空間だから心理的なことを考慮しての照明だろう。始める前に、工事現場のような音がすると説明を受けたが、音質は削岩機に似ていない。断続的に鳴る鳴りかたは似ている。確かに大きな音だが、我慢できないほどではない。そのまま色々なことを考えつつ横になっていたが、私が考えたことをいちいち書くのはやめておく。とにかく30分くらいかかると聞いていたのでまだまだ長いぞと思っていたら、意外と早く終わった。更衣コンパートメントで服を着て1階会計前待合室まで戻ってきたらまだ11時20分だった。私がMRI検査室へ向かった時から移動や更衣を含めて35分しか経っていない。暫くして会計で名前を呼ばれたが、今回は自動会計機に診察券を入れるのでなく会計窓口で支払いだった。5700円だった。

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なぜだ。歩けなくなったり、歩けたり。 [坐骨神経痛]

あと2日でMRI検査だ。検査が午前中の場合、検査の前日の夕食は21時までに済ませる。検査当日の朝食は抜きだ。キビシイ。水は検査2時間前まで飲んでいい。腰痛検査目的の場合、造影剤は使わないようだ。もし使うなら前もって承諾書を渡されるはずなので。体内に金属があったり金属を身に付けていると駄目らしい。問診票に義歯(入れ歯)をしているという項目があった。私は入れ歯はないが、歯に金属のかぶせ物がある。それはどうなんだ。いちおう、その他気になることとして書いておいた。検査するのが腰だから関係ないとは思うが。もしも何か言われたら後日の記事に書く。

さて、この記事のタイトルが上記の話と違う。実は本当に書きたいのはこの後のことだ。夏の間は普通に歩けていた私が、最近はまた歩けなくなった。寒い季節が到来したからだろう。私は仕事に行く日、毎回不思議に思うことがある。家を出てから最寄り駅まで15分あまり歩くが、たいてい腰の不調で途中で数回立ち止まり休憩しなければならない。休憩の回数が多い日ほど歩幅は狭く、大股で歩けない。駅に着いたら電車に乗って1時間あまりシートに座っている。目的の駅に着いたら電車を降りて歩き出すが、家の近くを歩いた時とは別人のように歩ける。私ははじめ、これは足を動かし始めた時の調子が悪いのだと思った。だから外出前に立ったり座ったりし、歩き始めはゆっくり歩くようにした。ところが改善を感じなかった。それでは1時間も電車に座った後はさぞかし血行が悪くなり歩きにくいだろうと思うが、逆にさっさと歩ける。なぜだ。左右に人のいる狭いシートで身動きできずに1時間座った後で、なぜむしろ調子が良くなるんだ。私は歩きながら考えた。ひょっとすると、私が左右の人に足をぶつけないようにと両足を閉じ続けていることが原因か? そうかどうかまだわからないが、今後試してみようと思う。外出前に椅子に座って両足を強く閉じていよう。果たして、何か効果があるだろうか。

実は何ヵ月も前に人からもらった腰痛体操の紙がある。その中に内転筋の強化というのがあって、大きくてソフトなボールを膝の間に挟んで潰す。それと電車内の私の行動が似ているから、ひょっとしたらと思った。これの結果は、何度も試してから記事に書く。

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痛風通院から腰痛検査へ [坐骨神経痛]

(昨日の通院の記録。痛風の通院だが、今回は新たに腰痛検査もお願いしたので、この記事のカテゴリーは「坐骨神経痛」の方にする。)


前回採血がなかったから、それから3ヶ月経った今回は採血のはずだった。採血の処置室の前でずっと待っていたら、そっちへは呼ばれずに先生の診察室へ呼ばれた。先生の第一声は、採血の予定はありますかという想定外の質問だった。ありませんと答えると次回3ヶ月後に採血しましょうと言われた。今までのパターンで行けば今日が採血のはずだったんだけど。

先生の言う採血の予定ってのは、健康診断のことだろう。正社員は職場で義務付けられる。私は自分で特定健診に行くしかない。

さて、先生はまた3ヶ月後と言っておしまいにしようとしたので、ここですかさず腰痛のことを言わねばならない。前屈みになって力を入れたり、力を入れなくても前屈みで体を捻ったりすると腰骨の右側が痛いと伝えた。いつ頃からですかと聞かれたので、もう1年以上前と答えたら先生が「そんなに前から」と驚いていた。本当は1年どころかもう2年になる。

座ったままで上半身を左右に傾けて、痛いですかと聞かれた。それは痛くない。椅子から立ち上がって上半身を左右に傾ける。それも痛くない。さっき先生に言ったのが正確な表現だ。痛いのは前屈みの時。レントゲンを撮りましょうと言われて、幸いなことに今日のうちにレントゲンを済ませることができた。腰部。正面から、斜め右向き、斜め左向き、横からの4枚。

先生からの指摘は、正面からの撮影を見ると、脊柱の骨盤に接する辺りが極端に左へ曲がっている。これは撮影だから、実際には自分の感覚として右へ曲がっているのだろうか。横からの撮影では、骨盤に接する辺りのいくつかの椎骨の間が狭い。重大な問題となるものは見られないという。先生からのアドバイスは、寝床から起き上がる時、椅子から立ち上がる時は、急に立ち上がらずに腰を動かして準備運動をすること。そして、腰を温めること。

私の腰痛は頻繁にうちの親子喧嘩の種となり、レントゲン撮影だけで親を黙らせることは不可能なので、親が要求しているMRI検査も先生にお願いした。MRI検査をしなければ見つけられない疾患が多々あるのは事実だ。

親からはMRI検査はすぐにできずひと月くらい予約待ちだと聞いていたが、意外にも来週になった。そして再来週結果を聞きに行く。

私は今日病院の廊下を歩きながら、レントゲン室とCT室はあるがMRI室がないと思っていたが、この病院のMRI室は地下だそうだ。地下へ行くには、ふだん私が通る外来の場所でなく、病棟へまず入る。私は以前から、病棟のほうはどんなだろうと思っていた。なんと病棟へ立ち入る正当な権利を得たぞ! ラッキー!
来週は予約票・問診票・診察券を持って受付でなく直接MRI室へ行く。病棟へ入る前に自分で持ってきたマスクを付ける。

来週はマスクを付けた変なおやじが病棟に潜入、いや失礼、検査に行くぞ!


追伸
帰宅して洗面所で腰を屈めて洗顔したら腰が痛くなった。レントゲンでは見えなくても私の腰には何かある。次回のMRI検査でそれがわかるだろう。

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個人的記録 [坐骨神経痛]

母のリハビリ体操と外国人の友人のメールに感化されて、晩に歩き始めたという話は以前の記事に書いた。これまで私が精神的に頑張ると、体のほうが音を上げるという話も書いた。今回どうなったかというと、先日の外出時に足の調子が良くて、一度も立ち止まらずに家までたどり着けた。それで気をよくしていた私は、自分が帰宅後に無意識に「あいたた」「あいたた」と言っているのもどうでもいいと思っていた。その日のうちは「体の節々が」痛むと思っていたが、翌日になって「あれ?」と思った。左足の付け根あたりの痛みが、よく考えると股関節ではなく、幼児期に脱腸で手術した跡のちょうどその場所だ。この手術は相当幼い時にしたらしく、記憶にない。ただ傷痕だけがある。でも今までの人生でも、この場所が痛くなったことが1回か2回ほどあった。

とにかく、これまで体に無理をさせた時には痛風発作などが起きたが、今回はこの脱腸手術跡の痛みらしい。この年になるととかく何かが起きる。でも今日も散歩はしなければならない。正直、友人の外国人が書いたメールが時々恨めしい。家に引きこもってはいけない、外へ出た方が健康になるって?

ところで話は今朝まで遡る。猫がトタン屋根の上で寝ていた。以前の記事で、歩くのがよたよたしていたと書いた、あの猫だ。
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近所の人が出てきてガタガタと音をたてたので起きた。

でもまた寝た。
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猫はその後、昼過ぎになってもそこで寝ていた。
私は猫の具合が悪いのではないかと思った。もしも明日の朝までそのままでいたら、死んでいることになる。

夜、健康のために外へ出て歩いた。
少し歩いた所にあの猫らしき白猫がいた。他人の家の門柱の上に乗って、そのそばには人がいた。餌をもらっているのかもしれない。野良猫に餌をやる人がいるのかって? それが、いるみたいなんだ。近くに子猫が2匹いた。子猫は1匹じゃなかったんだ。とにかくあの猫が無事でよかった。

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筋力増強か、症状悪化か、私が知るもんか [坐骨神経痛]

ここ数日、夏のように暑い日があった。それに助けられて、あることをしている。

ことの起こりは今から一週間くらい前のことだった。家でふと親を見てびっくりした。老齢の親が、なんとスクワットをしているではないか! 椎間板ヘルニアの手術をした親が毎日リハビリ体操をしているのは知っていたが、あんなスクワットは腰痛の私にはとてもできない。あんなに膝が曲がるとは恐れ入った。親が少しずつ後遺症である足のしびれを克服しているのは、毎日リハビリ体操を欠かさないという努力の賜物だったのだ。後期高齢者の親の下半身は柔らかく、私の股関節の方がはるかに曲がらず開かず木偶の坊だ。これは恥ずかしい。私は、親のやっているスクワットを自分もやろうと思った。

これと時を同じくして、外国の友人からメールの返事が届いた。私が彼に書いたメールは、椎間板ヘルニアの手術を受けた私の親がバス旅行に誘われて行く気になっていたので私は旅先で歩けなくなりはしないかと心配していたが、親はバス旅行から無事に帰ってきた、というものだ。それを書き送ったメールへの彼からの返事は、「自分の国にはこんな諺があります」と、家に引きこもらず外へ出ることの大事さを切々と書いていた。

この外国人は、鼻息が荒くて足が臭いけれども、友のために苦労を惜しまず、何があっても友を見捨てないすごい人だ。彼がそう言うのなら、私も頑張って外を歩いてみようかと思った。

スクワットは、職場で時間がある時に人のいない場所で試した。初めから無理して足腰を壊すわけに行かないので、少しずつ回数を増やすことにした。仕事のない日は夜になったら外を歩くことにした。歩けるのかって? わからない。今までの人生、仕事から帰った翌日は足が動かなくて外出できないこともあった。それなのに今は、股関節がおかしい時はそれを押して散歩に出ようとしている。その先に待っているのは、筋力増強なのか、それとも症状悪化なのか。私が知るもんか。今回のきっかけは、親のリハビリ体操を見たことだ。リハビリというのは体に無茶をさせるということだ。気持ちのいいようにしていたらリハビリにならない。体を苦しめるのがリハビリだ。散歩に行っては湿布薬を貼る。また散歩に行ってまた湿布薬を貼る。今までの私は、薬を貼らなければならない状態にならないようにと無理をせぬように調整してきた。完全な方針転換だ。

今までは、私が無理をすると体は壊れた。書籍のデジタル化を何ヵ月も頑張ったら慢性の腰痛になった。走ったら翌日痛風発作が出た。私の心が頑張ると、私の体はそれについてこられない。今回は、何が出るんだろう。どうせこのままでは冬に病院行きだ。最悪手術で完全失業者だ。その前に何かやってみるのも悪くない。

追伸。親に、リハビリスクワットの正しいやり方を聞いた。なんと、まず上体を前へぐーっと倒すことから始めるという。何てことだ。それは私はだめだ。私の腰が危なくなるのは、腰を曲げて力を入れる時が一番多いんだ。その格好だけは避けねばならない。もしやるとしても今ではなく、腰の筋肉が相当付いてからか、手術で圧迫物を取り去った後でなければいけない。残念だなあ。親を見て驚いたあのスクワットがいちばんやりたかったのに。人生は全部うまくは行かない。それでも夜に外を歩くことは続ける。

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夏が過ぎ去ってしまった [坐骨神経痛]

歩くのに苦労していた私が急に普通の人のように歩けるようになったのが6月11日だった。それから夏の間ずっと普通に歩けていたが、先日また歩くのに苦労する日が2日あった。新しいスニーカーを履いたからだと思っていたが、昨晩寝たら腰が痛くて横を向いたり上向きになったりを繰り返した。そんなことは夏の間ずっとなかった。どうやら、急に朝晩が涼しくなってきたことに関係しているようだ。私は夏の間に腰が良くなって欲しかった。実際、夏の間は良かったが、季節が変わって腰の調子がまた悪くなろうとしてる。冬の病院行きは免れないようだ。

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備忘録 [坐骨神経痛]

たったいまラジオで聞いたことをメモしたい。私はラジオで色々な人が喋る時に、この人は話すのが上手い、この人は下手だとよく思う。今日のアコーディオン奏者はとても話の上手い人だった。人を惹き付ける話題の選び方、その話の喋り方。アコーディオン奏者でなくて話すことを職業にしているんじゃないかと私は思った。ラジオに出てくる人の中には、せっかくNHKに呼ばれながら、抑揚も緩急もなく私の耳と頭に内容が残らない話し方をする人や、自分の頭と口の中だけで喋って私に何も伝わってこない、そもそも聞き取りにくい話し方をする人もいる。そういう人々はぜひ、今日のアコーディオン奏者や他の良い話し方をする人々の話を聞いてみてほしい。

ここからは、そのアコーディオン奏者の話の一部から私が自分の体について思い、忘れないうちに書き残したいと思ったこと。アコーディオンを弾いていると、蛇腹を支え持つ左腕がとりわけ鍛えられ、右とのバランスが崩れるのだそうだ。それが体調の崩れに繋がることがある。ある時この人はひどい歯痛に襲われた。歯医者さんはアコーディオン奏者をじっと観察してから、「これは職業病ですよ」と原因を言い当てた。それからアコーディオン奏者はジムに通い、左腕に見合うように右腕のトレーニングを始めたら、歯痛はすぐに治ったそうだ。

私は腰痛に悩まされている。その原因は私自身うすうす感じ取っている。書籍のデジタル化を始めてから、私は和室用のテーブルの前に正座して何時間も作業する月日が続いた。作業するから手は常にテーブルに向かって前へ突き出し、体は無意識にも前傾していただろう。それを何ヵ月も続けるうちに脊柱がバランスを崩してずれてしまったと思われる。あのアコーディオン奏者が左腕ばかり鍛えられて体のバランスを崩したように、私は前傾姿勢でバランスを崩したのではないか。アコーディオン奏者はジムに通い右半身を鍛えることで体のバランスを取り戻した。ならば私は前傾姿勢をやめ、後ろ反りの腰痛運動をして体を改善させてみよう。さしあたって困ったのは、今まで使っていた和室用のテーブルが使えないということだ。正座をせずに椅子に座る生活を徹底させなければならない。近頃は仕事も趣味もこのテーブルでやっていた。椅子に座れる机があることはあるが、その上にはタワー型のパソコンとディスプレイが乗っていてスペースがない。さて、どうしよう。

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無謀なる賭け [坐骨神経痛]

仕事に行くたびに少なくとも1回は腰が痛い。よく痛くなるのは椅子に座る時や、椅子から立つ時。これはコルセットをしていても起きる。なぜなら仕事で精神的にも肉体的にも限界を越し、気をつける気力がもはやなく、たとえ気をつけても腰を支える筋力がもはやないから。コルセットでは防げない。ならば自身の気力と体力を温存し、気力と体力を増進するしかない。結局は自分が頼みの綱だ。私はそう考えた。たまたま今日はゴールデンウィーク明けでうっかりコルセットを付け忘れた。ちょうどいいチャンスだ。気力と体力で一日腰を痛くしないでいられるかチャレンジしようではないか。そして私は気力と体力を温存しつつ、常に気を張り、常に腰回りの筋肉に力を入れ、常に背骨が斜めにならず真っ直ぐなように気をつけ、一日の仕事を行った。その結果、初めて仕事日に一度も腰を痛くせずに仕事を終えた。その代わりに、丸一日力を入れていたから全身に筋肉痛が出て、すぐには帰宅できずに座り込んだ。帰り道は筋肉痛でまともに歩けず何度も立ち止まった。この結果は果たして成功なのか、失敗なのか。

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個人的記録 [坐骨神経痛]

今日は、足腰の調子がいまひとつだった。ずいぶん調子よく歩ける日もあるのに、右足をあまり踏み出せない日もある。「あまり踏み出せない日もある」と言う時点で普通ではない。普通の人はいつでも普通に動く。私は調子よく歩ける日でも、常におかしい。つまりこうだ。私は普通に歩けているつもりなのだが、なぜか全ての通行人が私を追い越してゆく。大人も子供も、男も女も。私を追い越さないのは、ゆっくりゆっくり、一歩一歩足を前に出すご老体だけだ。夏に病院で相談したほうが良いかもしれない。

腰痛について。在宅中も、ごくたまに、例のヘルニアが出る直前の嫌な感覚がある。とっさに腰を伸ばしたり力を入れるのをやめたりするので大事には至らない。毎日ではない。たまに、腰を曲げた時。外出でも、買い物ならばたいしたことはない。一度だけ、スーパーで床近くに置いてあった商品を取ろうとして痛くなった。それ以来、床近くの物は買わない。そしてそれ以来買い物では痛くない。問題は仕事だ。仕事の日は必ず1回は痛くなる。仕事とは、無理をしなければできないものだ。気を付けている日も、丸一日外にいたら精神的にも肉体的にも疲れてどうにもならなくなる。そういう時はコルセットをしていてもどうにもならない。

私の親は1年あまり前に椎間板ヘルニアの手術を受けた。いちおう外を歩けるが、以前のほうがさっさと歩いていた。今のほうがよたよた歩いている。それは本人が自分で指摘している。手術後何か月かは、手術をした方の足の裏が痺れて感覚がなかったそうだ。だから歩く時に踵を上げて爪先で蹴って歩けなかった。その頃のほうが良く歩けたと親は言う。その後、痺れが少しずつ取れた。すると、電気が走るように痛い時が出てきた。そして以前ほどうまく歩けない。「痛いからうまく歩けない」というのは、私の右足と共通点がある。


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腰痛日記(コルセット試し中) [坐骨神経痛]

先日、外出時にコルセットを試した。私がコルセットを試すのはこれが初めてではない。以前の記事で、はるか昔に腰にギューギュー力を入れたら右足に電気が走ったという話を書いたことがあるが、その時にヒーヒー言いながら医者にたどり着いて診察を受けたらコルセットを買わされた。その時が初めてだ。つまりコルセットを買ったのははるか昔だ。

初めて試着した時は、「人々がコルセットは窮屈で嫌だと言うけれども別にたいしたことないじゃないか」と思った。ところが何日も使ううちに、やっぱり窮屈で嫌だと思うようになった。それでコルセットは仕舞い込んだ。それからあまりに長い年月が経ったので、コルセットがどんな風に窮屈だと感じたかは忘れてしまった。今は、また窮屈ではないと思っている。でも過去の自分を考えるに、たぶん今回も使ううちに窮屈だと思うんだろうなあ。

今回着用してみて、コルセットはそんなにしっかり腰をサポートしてくれるものではないと感じた。例えば蟹や海老の殻みたいにしっかりしたものではない。だからコルセットに任せていれば安心というわけではない。ただそれでも、無理な姿勢になろうとした時に気づかせてくれる。生活していると、目の前に急な何かが出現して焦って不用心に腰を曲げることがある。そういう時、コルセットが突っ張って存在感を示し、腰痛が出る前に「自分は他人と違って気をつけて動かなきゃいけないんだ」と気づく。まる一日外出して、腰痛が出なかった。それ以前のコルセットなしの2回の外出ではどちらも腰痛が出たのに。だから私はコルセットには効果があると思いつつ帰宅し、コルセットがあるから大丈夫と腰を屈めて畳の上へ座った。その瞬間腰痛が出た。「なんでだ!まる一日外出しても出なかったのに!」という感じだ。

それから数日経ち、また外出する時が来た。だんだん暑くなり、コルセットは大変かなと思い、試しにコルセットなしで外出した。そうしたら、ただ椅子から立ち上がるだけで腰痛になった。「やっぱりコルセットは必要かなあ」と弱気になった。

今後しばらくコルセットを着けたり着けなかったりして効果の有無を考察することになるだろう。


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腰痛日記(自分の動きを考察する) [坐骨神経痛]

私は腰痛持ちだから、腰を屈める時は腰に負担がかからないように周囲のものにつかまる。ところがそれでも腰が痛くなることがある。一体なぜだ。私は前から不思議に思っていた。何かいけないことがあるのか。そう考えながら腰を曲げてまた痛くなった時、ひとつ思ったことがある。私は腰の右側が痛いから、つかまる時は左手でつかまり、体重は左にかけていた。私は右側をかばっているつもりだった。でもさっき腰が痛かった時、一瞬右腰が伸びた感じがした。伸びた状態で曲げるとか力を入れるとかすると、腰痛になりやすい。私は間違いをしていたかもしれない。腰を屈める時は右手でつかまり、右足に重心をかけるのが正解だったかもしれない。そうすれば右腰は伸びないから。そう考えてから数日間、右手でつかまっている。まだ結論を出すには早すぎるが、今のところ右手でつかまって屈むことによる腰痛は起きていない。


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腰痛日記(仕事と健康) [坐骨神経痛]

私は本来仕事人間だ。自分に与えられた仕事は全力でこなすものだと思っている。外出すると、何の因果か自分の足元にある機械を腰を曲げて操作しなければならない。腰痛の私にはそれが地獄だ。だが仕事中の私は上記のとおり信念に燃えているので、苦痛に顔をしかめ、このまま動けなくなったらどうしようと不安に襲われながら仕事を続ける。リストラされたから今では仕事は数日おきにしかない。次の仕事までの間に腰痛が治る。そしてまた外出して腰を痛くして帰ってくる。いつまでこうしていられるのか、いつか動けなくなるのではないか。それでも男は仕事をしなければならない。それが人間だ。それが男だ。

そう思ってきたのだが、先日他のことを思う機会があった。うちの親は、始終口の開いているごみ袋に生ゴミをポンポン投げ込む。私はそれが嫌だ。もうだいぶ暖かくなった。この先暑くなる。生ゴミはすぐに異臭を放つ。ビニール袋に包んで捨てれば臭いはかなり抑えられるが、裸のままの生ゴミはたまらん臭いがする。だから私は親が席を外したわずかの隙に素早くビニール袋を取り、裸のまま捨てられた生ゴミをビニールに詰めた。その時急いで不用心に腰を曲げたものだから、腰痛が起きた。私はハッとした。仕事の時も、私は仕事を最優先にするあまり不用心に腰を曲げているのではないか。今まで私は仕事最優先と思ってきたが、腰のことを何も考えないのは間違いだったのではないか。


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腰痛日記(電気治療器とマッサージチェア) [坐骨神経痛]

オムロンの電気治療器を試した。強さ2で、パッドを貼った腰がウニョウニョした。もっと強くしたらビリビリした。最強の20にしたら、人が指圧している感触に似ている。やっている最中はビリビリばかり気になったが、終わったら腰が軽くなったようだ。

家庭用電気治療器も悪くないが、世の中にはそれよりも桁違いに良い機器があるのも事実だ。あるビルに行った時、最新型のマッサージチェアが置いてあった。これが最高で、脚を包み込むようにマッサージしてくれる。そのビルまで行くチャンスが滅多にないのが残念だ。ちなみにそのマッサージチェアの隣の隣にはかなり旧式のマッサージチェアが置いてあった。私は最初そちらを試したのだが、「人のマッサージを武骨な機械が下手に真似てます」という感じで、ゴツゴツと動き体が痛く、私は「なんで人々はこんなものを使いたがるんだろう」と不思議に思った。使うなら最新型だ。高すぎて購入はできないが。


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腰痛日記(お辞儀が恐い ほか) [坐骨神経痛]

私はお辞儀が恐い。前屈みになって椎間板ヘルニアが出てそのまま動けなくなるのが恐い。家から二時間半あまり離れた場所で動けなくなったら、私はどうしたらいいのだ。今日は相手が3回もお辞儀をした。私が相手を「地獄の相手」だと思っていることを相手は知るまい。

家では自分で気をつけていれば、恐い格好を避けることができる。でも外では相手がいるから、相手に合わせなければならない。少し前の外出時にそれで腰が痛くなり、消炎鎮痛剤の湿布を貼ったが翌日も翌翌日も調子が悪かった。

ところが神経は摩訶不思議なもので、昨晩は妙に調子がよく、夜寝る前に外を歩き回った。ところがところが、今朝は妙に調子が悪く、足が思うように前へ出なかった。さっぱりわからない。

昼になってようやく調子が出てきた。そうしたら、さっき話した3回のお辞儀の人に会った。また腰が痛くなった。

私の歩き方と、今日試した新しい歩き方の話。私は学生時代から、右の股関節が何か変だ。歩いていて右足を前へ大きく踏み出した時に股関節が痛くなる。つまり炎症を起こす。あまり大きく前へ踏み出しちゃいけないんだとわかった。そこで私はもも上げ歩きをした。足を前でなく上へ上げるからなかなか前へ進まないが、そのぶん人よりも沢山足を動かした。今日気づいたが、これをすると体が左右に揺れる。私が歩く時に体が揺れる理由がわかった。自転車の走行と少し似ているかもしれない。速く進んだほうが安定する。それで今日私は、歩く時に地面を後ろへ蹴って歩幅を大きくした。なにしろ私は前へ大きく踏み出せないので、歩幅を大きくするには後ろへ蹴るしかない。腰にも気持ちいい。おそらく、今まで使っていなかった筋肉が動いているのだろう。これが腰痛改善に効くかどうかは、しばらく試さないとわからない。

あと、親が低周波治療器を買った。私は今まで関心がなかったが、ふと気付いた。外出の度に腰を痛くして帰ってくる私は、親が使わない時に低周波治療器を使わせてもらわねばなるまい。

これは余談だが、去年従姉が亡くなった。その従姉が生前に、腰痛に効く体操のやり方を知っていると言い、後日わざわざ紙をくれた。私は別にもらいたいわけではなかったので、もらった紙はそのまま仕舞い込んだ。その後従姉は亡くなった。こうなると、生前にもらった紙は形見だ。大事にするべきものだ。そして今回の腰痛。そうだ、あの腰痛体操の紙を見て毎日やろう、と私は思った。私はあの紙を出してきて、どんな体操かと見た。そうしたら、ラジオ体操第1じゃないか!これは腰痛体操じゃないよ。この従姉は以前にも「飲酒して車を運転しても大丈夫な薬」をくれたが、その正体はただのブレスケアだった。世話焼きで、私のような人間も気にかけてくれる人だったが、発言内容に幾分かフィクションを混ぜる癖があった。


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(個人の記録)腰痛の今までを振り返り、これからを決める(7) [坐骨神経痛]

2012年以来、腰痛は明らかに頻度を増した。2006年から2011年までの間はブログに腰痛を記した回数が数回だが、2012年以降は無数といっていい。その原因も明らかだ。カセットテープのデジタル化、書籍のデジタル化、プログラミングなどで腰に毎日過度の負担をかけ続けた。私自身がブログ記事にこんなことを書いている:
「書籍をスキャナやデジカメでデジタル化する作業を始めてから数年の間に、私の足腰は実感できるほど悪くなった。大量の物を作業するには、時を選んではいられない。寒い真冬でも、冷気が這う自室の床に座ってスキャナを動かし続けなければならなかった。足がしびれても、つっても、痛くても、やめるわけに行かなかった。そうしたら、数年後にはまともに動けない足腰になっていた。思い返せば、天袋から全部の物を降ろして整理した2013年には、私はまだその上げ下ろしができる足腰だった。今では、PCの前に座る時間も床に正座して座る時間も自分で管理して短くしないと、足腰が悪くなる。」

ここからわかるのは、カセットテープのデジタル化、書籍のデジタル化、プログラミングなどをもうしてはいけない、ということだ。

さらに、2016年末からは腰痛が慢性化した。具体的な症状は、外をまともに歩けない(おそらく腰に力が入るから)。前屈みの状態で腰に力を入れたり、腰をひねった状態で力を入れると、非常に高い確率(ほぼ100パーセント)で腰に「腰痛直前の危険な感覚」が出る。咄嗟に力を入れるのをやめると、今のところ大事に至らない。

最大の問題は、この慢性化腰痛をどうすべきかということ。この状態でまともな生活を送ることはできないだろう。とはいえ、今すぐ手術を受けることはできない。手術を受けた親を見ていて、手術後数か月は電車に1時間以上乗り続ける無理ができそうにないが、私はそれをしなければならないから。重症の腰痛が出なければ、夏まで様子を見ることになる。

痛風治療を始めて数か月してから歩きやすくなったが、痛風と腰痛に関連があるかどうかは、今のところわからない。



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(個人の記録)腰痛の今までを振り返り、これからを決める(6) [坐骨神経痛]

腰痛と痛風は別だか、万一関連がある場合も事情がわかるように痛風の事情も記す。

2017年6月、膝が腫れて病院に担ぎ込まれる。6月末、別の病院で血液検査、痛風治療始まる。

7月、軽度の腰痛で歩行が困難という記述がある。これは2016年12月から続いている。

8月、VHSビデオ録画のPC保存の最中に「腰の調子が悪い。 CMをカットしようとPCの前に座っていたのが悪かったのかもしれない。たったこれだけの事で腰の調子が悪くなるのでは、私は何も出来ないではないか。」
「今朝腰の具合が良かったのでPCの前に座ったら、また悪くしてしまった。」

9月上旬、京都墓参。すぐに歩けなくなる私が行ってこられるかどうか、心配だったのを覚えている。

今(2018年3月)に至るまで腰の調子は今一つで、外を歩くのは苦労するが、それでも2017年前半に比べれば明らかに改善した。坂道を登る時、2017年前半は辛くて大変だったが、今は途中で立ち止まらず登れる。では、いつ頃から改善したのだろうか。
2017年9月のござダニ退治の時、「その後も腰の調子は良くならず、ついに夏が過ぎ秋が来た。今年の始めよりは体調がましになった。」と書いている。

この後もしばしばブログ記事で腰痛に言及するけれども、症状の改善や悪化は読み取れない。だから今までを振り返りまとめるのは、ここまで。
(つづく)




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(個人の記録)腰痛の今までを振り返り、これからを決める(5) [坐骨神経痛]

2016年12月、いよいよ今回の症状が始まる。つまり慢性腰痛の。ちなみに、痛風の治療を始めるまでにはまだ半年ある。

「右足が痛くてまともに歩けなくなったのは、今から数週間前のことだった。」「夜寝ていて足腰が痛くて目が覚め寝返りをうつ。するとしばらくは楽になりまた寝る。そのうちにまた足腰が痛くて目が覚め寝返りをうつという有様で、翌日外出すると朝から足が痛くてまともに歩けない。」「本当の原因は足の関節ではなく、腰ではないだろうか。」「外を歩くと足を前へ出すたびに腰にキュッと力が入る。歩くうちにその力が腰痛を引きおこす。ところが歩いている本人は腰に意識して歩いていないので、まだ気づかない。意識はしないが体のほうがいち早く反応する。腰をかばって歩き方が変になる。変な歩き方をするから足に無理な力が入る。それで歩きづらく、やがて足が痛くなる。」

2017年3月、低反発マットを買う。
「3月に入ってから寝ている間の腰痛に困らされている。外を歩く時の腰痛はむしろ以前よりも改善してきたのだが、そのかわりに以前はなかった寝ている間の痛みがある。」
この、寝ている間の腰痛が、低反発マットでピタリと出なくなった。

4月、足腰の不調は続く。寝ていてスマホを目の近くに落とし内出血した頃の記事。
「今日外を歩いたら、歩けない。右足がガクンとなって痛みが走る。」「このガクンは、腰痛から来ている気がする。軽度の椎間板ヘルニアが疑われる。」「無理にひねった股関節に体重が乗った。その瞬間、右足に激痛が走った。」「股関節が痛いのか腰椎が痛いのか、今まで区別がつかなかったが、今日は症状がひどい分だけ分かりやすい。より問題なのは腰椎のほうだ。」「人と会い、お辞儀をした瞬間、腰に痛みが走った。何という事だ、今の私はお辞儀も出来ないのか。」
(つづく)




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(個人の記録)腰痛の今までを振り返り、これからを決める(4) [坐骨神経痛]

次にブログに腰のことが書かれるのは2012年、カセットテープ補完計画を始め、体に鞭打って頑張った時だ。
「肩が凝って痛い。目も見えにくい。坐骨神経痛持ちの私の腰の調子が危ない。いよいよ体調を気にするべき時が来た。」と書いてある。

2013年にはカセットテープ音声のデジタル化が終わり、VHSビデオテープ録画のデジタル化も終わり、「PCの前に毎日座りすぎて目が疲れ肩が疲れ腰痛が出そうになりそれでもやめなかった!ついにお尻が変調をきたし、それでここ数日は作業のテンポが落ちている。」
この頃の私は、ものすごい意欲で趣味をこなし、そのぶん健康を犠牲にしていた。

2014年2月、ブログ記事に腰痛が現れる。「何の因果か腰痛。一日寝てだいぶ良くなったがPCの前に長く座るのは自殺行為なので手短に済ませる。」これは親知らずを抜いた時の記事で、腰痛メインの記事ではない。一日寝てだいぶ良くなったと書いてあるから最悪の腰痛ではない。この時点では、まだ慢性的なものではないようだ。

2015年の3月から、沖縄旅行のブログ記事がある。この沖縄旅行中に、私は最初の痛風発作を起こしている。なんでこんなことを書くかというと、腰痛と痛風(つまり尿酸結晶)の関係も少し疑っているからだ。

2015年7月、腰痛発生。これを機に「腰痛日記」を始める。PCはとても操作できないが、スマホに助けられた。
「左足がパンパンに腫れてしまいました。footの部分だけでなくlegもです。私が気にするべきものは腰痛だけでなく、たとえ腰の調子が良い日でも、冬の沖縄旅行で腫れ上がった左足の後遺症を気にしなければならないことが、はっきりわかりました。」
この時の腰痛は8月にもまだ治っていない。

2016年3月、腰痛の記述がある。「持病の腰痛が出た。まる1日撮影ができず、続く2日はほんの1冊ずつしか撮影できなかった。」本の撮影をしている位だから、最悪の腰痛ではない。むしろ頑張って本の撮影をしたから腰痛になったと言うべきだろう。

2016年6月、今度はデータ解析で腰痛になりかかっている。私は何かで頑張ると体を壊す。
「私は『テニステニス2』のプログラムを見ることで自分を元気にしようと思ってきたが、それだけでなく、これはひょっとすると『大昔の自分との再会』という予想以上の喜ばしい出来事が起きてしまうかもしれない。でも今は、無理をしてPCの前に座り続けたせいでちょっと危ない腰をかばいつつ、もうやめなければいけない。
がんばれおじさん!
負けるなおじさん!
腰痛にも気をつけろ!」

2016年8月、プログラミングで腰痛発生。軽度かと思っていたら重症になり、9月まで続く。

結局、2012年から2016年まで、カセットテープのデジタル化、書籍のデジタル化、プログラミング、私が人生を頑張る度に腰痛になっていることが判明した。腰痛は5年に1回どころじゃない。そして私は腰痛になっても治ればまた頑張った。そしてまた腰痛。なぜか神は、私を頑張らせてくれない。私は自分の頑張りに耐えられるだけの肉体を持っていない。
(つづく)




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