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混沌音楽研究(前置き編) [混沌音楽研究]

ブログ記事に時々書いてしまうように、毎年この時期私は生活不安を感じて、時に酒にすがって不安を忘れようとしたり、他の物にすがって忘れようとしたりする。そんな中で、これから暫くの間は70年代の混沌音楽の研究にすがることになりそうだ。

まずは前置きを少し書かせてほしい。自宅周辺の半径数キロメートルは、当たり前だが勝手知ったる場所だ。ところが私の場合、たったひとつ、ここ数十年行ったことのない場所があった。とりわけ生活不安を感じるこの季節には、その場所がある方角は私個人にとっての鬼門のように感じて、近づく必要もなく、近づかないほうが良い気がしていた。

なぜ鬼門か。人間は生きている限り、誰も傷つけずに長年過ごすことはできない。とくに小さい頃の人間は、大人とは違って色々な生き物をよく傷つける。それをしてはいけないと世の中で学び認識するまでの間は。傷つけるのは虫などの生き物だけではない。友達だって傷つける。私は小さい頃、その鬼門に住んでいた友達を傷つけた気がする。それから人生に苦難があるたびに、過去の何か、たとえばその友達を傷つけた報いではないかと思ってきた。苦難があまりにつらい時は、心の中で「もう十分だろう、贖罪に値するだけ私は苦しんだではないか」と叫んだものだ。

その鬼門へ、数十年ぶりに行く気になった。苦しみすぎて、苦しむのに疲れ果てて、もう何も考えないことにしたら、ずっと気になっていたその場所へ行く気になった。腰痛でうまく歩けない足でがんばって行ってみた。南北に伸びる大通りを片方の突き当りまで行き、大通りの突き当りと直角に接する路地を曲がって少し行き、どこかで曲がる。しかし数十年行かなかったその場所は、どこで曲がって良いかがもうわからなかった。私はいくつかの路地を虱潰しに歩いた。幸運にも足はまだ動いてくれた。数十年前は時代的にすべての家が木造だったはずだが、今ではみな建て直されて新しくなっていた。昔の面影はないから、探すあてがない。ある路地を曲がって突き当りまで行った所に一軒だけ昔ながらの木造の家が残っていた。すでに廃屋となり表札は取り外されていた。全然関係ない家の可能性は高いが、今はここまでの結果に満足して帰るしかない。

腰痛持ちの私は、帰り道でさすがに足腰が痛くなり、少し長く歩きすぎたことを後悔した。

帰宅してその日の夜にカセットテープ補完計画を再開したら、14巻目のB面に昔のオカルト映画のテーマ曲が入っていた。ちょうど私自身が鬼門だのといささかオカルトめいた恐れを抱いていたし、数十年前に思いをはせていた所なので、暫くはこの14巻B面の曲を調べつつ、少し掘り下げて調査してみようと思った。

掘り下げて調査とは何か。子供時代、ちょうどこのカセットテープとラジカセで遊んでいた頃は、世の中で混沌とした変な音楽が流行っていた。私はそれのすべてが好きだったのではなく、むしろ自分の好みの音に巡り会うのに苦労した記憶がある。でも今は、自分の好みと違っても、当時の色々な混沌音楽の事情を知りたい。子供の頃はただ偶然に出会った音楽を、それも運よくラジカセですぐに録音できる時だけ録音した。だから私は当時の混沌音楽の全体像を知らない。すでにあなたがお察しの通り、混沌音楽という名前自体が私の勝手な命名だ。その中にはクラシックに由来する現代音楽もあれば、ジャンル的にプログレッシブロックに属するものもあるかもしれない。

私のやりかたは、自分のカセットテープ補完計画に沿って進める。だから、まずは14巻目に出てくる混沌音楽を調べる。ウィキペディア等で調べるうちに、同類の作曲家、同類の曲が見つかるに違いない。そうしたら、ある程度手を伸ばしてそれも調べる。脱線しすぎない程度に手を伸ばして調査し終えたら、次のカセットテープつまり15巻目へ行く。ところが全部のテープに混沌音楽が入っているわけではない。歌謡曲もあればアニメ主題歌もある。次に混沌音楽が出てくるまでは、混沌音楽調査は一時お休みとなる。そういう風にして、ゆっくりとやって行きたい。今日は前置きとして、ここまでを記録したかった。次回の記事はこれから作るのですぐにはUPできないかもしれないが、テーマは決まっている。エクソシストだ。でもチューブラー・ベルズではない。







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