SSブログ

2018年11月12日までの禁酒 [我はアル中。断酒は敵だ。]

月曜日が来て、禁酒1週間となった。まだ予定の禁酒が2週間残っているから、全然喜べる時期ではない。ただ、1週間の節目だから記事をひとつ出したい。

先日、親がスーパーで数の子などを酒粕に漬けたものを買ってきた。私は日本酒と酒粕が嫌いだから、やれやれと思いつつ、ラップを外した。すると酒の匂いがした。とたんに私は「食いてえ! これが食いてえ!」と思った。いくらでも食べられる気がした。すぐに事情はわかった。私は酒粕が食べたいのではない。禁酒中でアルコールに飢えている私は、アルコールの匂いのするものに異常な欲求を感じるのだ。けっして食べてはいけないと思ったので、すぐにラップをかけて冷蔵庫に仕舞った。嫌いな酒粕も大好きにするアルコール中毒。いま、脳は異常だ。とにかく酒は飲まない。

禁酒を始めたばかりで辛かった頃に書いた文章があるので、今日はそれを出したい。辛かった時の文章だから内容が暗いが、自分のために記録を残しておく必要があると思う。



アル中はこうして酒浸りになる

1. 仕事がない
若い頃は、飲酒が好きでも飲む機会はそんなに多くなかった。なぜなら平日は毎日仕事だから。仕事から帰ったら疲れ果てた体で明日の用意をしてバタンキューだ。酒なんか飲んでいられなかった。ところがリストラされて、それまで複数の職場を掛け持ちだった私にはただひとつの職場だけが残された。仕事のない日は平日でも酒が飲めてしまう。それだけではない。リストラはどこか遠くの不幸な人がこうむるものだと思っていた私は、職場が自分をまったく見ておらず木々が冬に落とす葉かトカゲのシッポくらいにしか思っていなかったという事実をまのあたりにして社会での孤立にショックを受け、収入減によりいつか飢えて死ぬという恐怖に怯えた。そのショックと恐怖を忘れようと酒を飲み続けた。私が痛風になるほど酒を飲むようになったのは、リストラ以後だ。

2. 仕事の翌日
不思議なもので、仕事が毎日ある頃は、フラフラになりながらも毎日の仕事を何とかこなすだけの健康があった。仕事がわずかになって暫くすると、健康が損なわれてきた。そしてついには、仕事の次の日の午前中は動くのが辛くなった。仕事によって健康が保たれる一面もあるのだろう。で、そういう仕事の翌日の午前中は、昼間だというのに酒を飲むと、凝り固まった筋肉が酔いと共に弛緩し、その日の夜には(酔いが覚める夜まで待たねばならないが)元気にいろんな作業ができる。どうせ体が辛くて動けないのだからそういう時を飲酒に充て、それ以外は飲まないようにしようと計画した頃もあった。一見理論的なようだが、アル中は一回の飲酒量をコントロールできないことが多く、この方法はリスクが高すぎる。一週間の飲酒回数が多すぎると、飲酒欲求が刺激され、飲んではいけない日にも飲んでしまう。

3. 家人がいない
一人きりになると、たがが外れやすい。家人に知られる知られないに関係なく、ただ家人が家にいてくれるだけで飲酒の歯止めになる。家人が「明日は留守にする」と言うと、私は心の中で(行かないでくれぇー! 私を見捨てないでくれぇー!)と叫ぶ。

4. 人間関係のこじれを酒で頭から追いやる
この手のストレスは必ずしも酒で解決することはできない。酒は脳細胞破壊薬だから飲んで忘れられる場合もあるが、同時に酒は感情増幅剤でもある。ストレスがあまりに大きい時、現実に具体的な脅威が迫っているのを認識している時は、恐怖や不安を酒が増幅してしまう。よく考えて飲まなければいけない。
でも結局、何かストレスが生じた時に酒を飲んでしまうことはしばしばある。

コメント(0) 

コメント 0

コメントの受付は締め切りました