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第四の生き甲斐を探します221 書ける時に記録を残しておく デジタル化編 [手記さまざま6]

あなたは、ご自分が大事にしてきた所有物を処分しなければならない時、写真撮影や録画・録音でデジタル化してパソコンに入れ、安心したことがありますか? 私には、そうした時がありました。処分しても、デジタル化した物を鑑賞して懐かしむことができる、と思っていました。

実際にはどうだったか。私の場合、処分した物を妙に気にしなくなりました。デジタル化の時、あれほど一生懸命作業したのに。

そのうちに私は気づいたことがあります。私が生き生きしていたのはデジタル化の時。大事な物を出してきて時間をかけて物を扱っていた間。私は目的であるデジタル化後の画像・映像・音声が大事だと思い込んでいましたが、実はそうではなく、大事な物と一緒に過ごす時間が大事だったのです。

でもその大事な物は処分してしまいました。二度と一緒に過ごすことはできません。だから私は、大事な物で楽しむことができないのです。デジタル化した画像・映像・音声があっても、その気になれません。

私が大事に思っている物を同じく大事に思ってくれる人がいた場合、私は処分でなく譲渡しました。これもデジタル化と同じく、私は譲渡以来その物のことを考えなくなりました。人にあげた物は、他人の物です。もしも他人にあげた物がその後どうなったか、後々まで気にする人がいたら、それは迷惑な人です。譲り受けた側の人の気持ちになれば明白。物を譲り受けて一年も経ってから相手が来て、「あの時あなたにあげた物、大事にしてくれていますか」なんて確認されたら、たまりませんよ。もらわなきゃよかったと思いますよ。だから、私が自分の譲渡品のことを考えなくなったのは、至極当然です。

私は、デジタル化して保存したつもりだった品を、実際には永遠に失いました。今は空虚な人生を送っています。あなたは、デジタル化処分にご用心ください。