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売れないのを承知で色んな物を古物商に見せることにした(2日目) [手記さまざま4]

私は朝から作業を開始した。予定通りに、和室の天袋から物を降ろし始めた。ところが家には親がおり、人が二人いれば一方の思った通りにはならないものだ。和室と台所の天袋だけ空にするはずだった作業が、瞬く間に、家じゅうの高い収納スペースの物を全部降ろす作業へと変貌した。親はそういう性格なのだ。とことんやらねば気が済まない。かと思うと、作業が何かの壁にぶつかっていったん思い通りに行かなくなると、つむじを曲げて全部放り出したりする。今回は放り出すことなく家じゅうの高所スペースは全部チェックし、捨てる物は捨て、業者に見せる物はまとめ、取っておく物だけ整理して元に戻した。これで、転居に伴う家じゅうの整理が、ものすごく進んだことになる。業者が持って行かなかった物は、天袋に戻さずに処分する。


売れないのを承知で色んな物を古物商に見せることにした [手記さまざま4]

親が昔一度だけ古物商に貴金属を売ったせいで、その後売る物はもうないと何度言っても電話がかかってくる。実際貴金属はもうないが、今までとの違いがひとつある。転居に際してあらゆる物を処分する必要があるということだ。それで親は古物商を家に呼ぶと言う。私が思うに相手は商売人だから、売れる物しか引き取ってくれないだろう。私のPC-98やステレオの時と同じで、結局多くの物は引き取ってくれないと思う。親にそれを伝えたところ、それは承知だと言うので、それならばよかろう。ただ、高い所にある収納スペースから物を降ろすのは私だ。私は今、前期授業の最後の頑張りで、学生と同様に無理をしている。体力を温存したい。本当は、休める時間があれば体を休めたい。しかしこれも定めかもしれない。それで明日は、和室や台所の天袋から物を降ろす。食器類の選別は親に任せる。私としては、引き取られないのを承知で業者に出すのなら、私がまだ元気だった頃に外国で使っていたバックパック、同じく親が使っていたスーツケースとキャリーバッグ、電気代がかかる割に温まらない電気ストーブ、オーブントースター、外箱をレコードプレーヤーに取られた備長炭カーペ、10年くらい使っていない吸入器、もはやスキャンする物が自室になくなってしまったフラットベッドスキャナを出したい。業者が持って行くとしたら、きっと電気ストーブだけだろうけど。

ノコギリ等も出したかったが、柄に名前が書いてあるのを思い出して諦めた。


吾妻ひでお大全集をスキャンして捨てる [手記さまざま4]

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本棚の奥に残っていたのは少女漫画だけではない。椎名高志や吾妻ひでおもあった。今日は吾妻ひでお大全集をスキャンした。しっかりビニルで包まれているから、てっきり綺麗なまま保存されていると思っていたが、実際には最初のほうの数ページは綴じから離れており、一部のページは不思議なほど茶色く変色していた。中程のページには綴じ部分の印刷がどうしても見えず、しかも強く開くこともできない所があった。私にとって吾妻ひでおは、今となってはただ若い頃の思い出なので、本の悪い保存状態を確認し納得して捨てるための作業となった。それでも一通り丁寧にスキャンし、補正した。大学の提出物で書くことに困っていた時に助けてもらった「しばれる」の記事も見つかった。
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上の2つの画像のうち、ひとつめの画像は、何年も前にフラットベッドスキャナでスキャンしたもの。どうして低解像度の設定でスキャンしたかは不明だが、低解像度でも細部が再現されている。でも綴じ部分はあからさまに文字が読めない。
ふたつめの画像は、今回オーバーヘッドスキャナでスキャンしたもの。細部がぼやける。これはこのスキャナの仕様だ。でも綴じ部分の文字が読める。


近況 [手記さまざま4]

住居内覧以来、自宅整理が遅々として進まない。平面図に向き合うと没頭できるが人間に向き合うと情緒不安定になるという私の精神面が出ただけでなく、通常の1週間の予定に内覧が1日入ったことで時間が失われて仕事で手一杯となり、自宅整理までは出来なかったという時間的制約もある。さらに、内覧後のある夜、いつもならば眠れなければ起きて仕事をするのに疲れてそれが出来なかったという肉体的要因もある。とにかく内覧のせいでガタガタになった。

今日、未明、やっと仕事は終わり、自宅整理を大きな音を立ててするべき時間帯ではなく、本を一冊スキャンすることにした。その時の備忘録を記したい。



Czur Aura Proで変な修正をしてしまった時の裏技

たとえば画像のトリムをする時、専用アプリは初期状態で「クリア」モードが選択されている。これはトリムではなく選択矩形以外を真っ白にするという使えない機能だ。画像をトリムするには、「カット」モードに切り替えなければいけない。しかし、集中している時、疲れている時、心ここにあらぬ時など、切り替えを忘れることは多々ある。すると画像の周辺部は真っ白になる。再度トリムを実行してその白い部分をカットすれば良いという意見もあろうが、画像の端に先ほど失敗した白が残ったり、それが嫌で厳密を目指したら最初のトリムよりも多く削ってしまったりと、精神衛生上よくない。そこで裏技だ。画面下から補助補正を選ぶ。この補正は現在編集中の画像に対してではなく、メモリ上に別個保存してある元画像に対して行う(だから、諸事情でメモリ上に元画像がもはや存在しない場合は補助補正が選択できない)。そして何も補正しないまま、キャンセルではなく「保存する」を実行する。すると画像は、間違って「クリア」してしまう前の状態に戻る。ただし注意として、それまでに他の修正も行っていた場合は、それらもすべて無かったことにされる。


自宅整理記録と、じゃじゃ馬少女コミック本のスキャン記録 [手記さまざま4]

自室の物の処分が終わり、私は自室以外の整理にとりかかろうとしている。自室以外は親の所有物でもあり、ここに来て親との意見の相違が出てきた。私は子供の頃からのレコード、カセットテープ、本を「ウサギ小屋」サイズの転居先へ持って行けないと言われた時点で、それらを捨てるならばそれよりも価値のない物は当然捨てるという気になった。つまり何でもかんでも全部捨てる。だってそうだろう、一番大事な物を失っておいて、どうでもいい物を引っ越し荷物にしたら腹が立つじゃないか。しかし親は別の人間だから別の考えを持っていた。食器類や衣類に関しては私は無関心だからどれを持って行こうが捨てようが親に同意するつもりだが、「ウサギ小屋」に実用価値のない置物まで運び込むのは却下だ。そもそも、そんな余裕がないから私は自分の生き甲斐だったレコードとカセットテープと本を捨てる羽目になった。今さら何を言う、だ。置物はこっそり捨ててやるつもりだ。

こうして毎日忙しくしているけれども、その反動があり、仕事疲れもあり、時々休憩する日がある。先ほど自室の物の処分が終わったと書いたが、唯一残っている物がある。昔買った漫画の一部だ。本棚の奥からそれが出てきた時、ふと気になることがあって、以前にデジタル化した画像を調べた。すると、フラットベッドスキャナによるスキャン画像でなく、デジカメ画像だった。それは仕方のないことで、以前に大量の本をフラットベッドスキャナでスキャンした時に私は腰を壊し、それ以来無理は出来ない体だ。デジカメ撮影だって、テーブルの真上まで体を乗り出してシャッターを切るので腰に来るが、作業時間がフラットベッドスキャナよりもはるかに短い。これでも苦労した結果の画像なんだ。でも、出来はひどい。左右ページの端を大きなクリップで留めて撮影したが、当時は転居の予定がなく本は保存するつもりだったから、無理にページを開くことなく、綴じ付近はネームが読めない。いっぽう今はオーバーヘッドスキャナがある。これには、開いた本の湾曲を検知して疑似的に平らにする機能が付いている。それに今や本を保存する気がないから無理に開ける。それで私は次のように考えた。これから先自宅の整理をしながら、その余暇だけを使って可能な範囲で漫画本をスキャンする。あくまでも副次的な作業なので、仕事や自宅整理をその犠牲にしてはならず、作業の途中で転居となったらそこまでとする。

こうして始めたスキャン作業だったが、ある少女漫画まで来て「じゃじゃ馬」に出くわした。「少女」漫画だけに。

綴じ付近まで絵があり、ページを一杯に開いても対処できない。このオーバーヘッドスキャナは綴じ部分の極端に紙が傾いた所に絵や文字があると、二重に写る。湾曲補正機能が追いつかないのだろう。

一度通してスキャンしてからようやく気づいたが、通して最後までスキャンするうちには何度も強くページを開くから、少しずつ綴じと絵の端が離れてきた。それで意を決して最初からスキャンし直した。今度は本をギューギューと押してよく開くようにしたら、綴じの糊付けが崩壊した。糊付けが崩壊すると綴じ部分が湾曲せずに平らになるから、上記の二重に写る現象がなくなる。これは好都合とばかりにスキャンしたが、次なる問題に気づいた。現在スキャン中のページの下にあるページが、糊付けが崩壊したから小口側へ出っ張ってきた。スキャンすると、その下にあるページの絵が端に見えてまぎらわしい。この部分は、通してスキャンしてからいちいちトリムすることになった。

これで全部終わりにしようと思った時、裏表紙のスキャン画像の幅が微妙に小さいような気がした。本と見比べると、サイドライトから遠い側が少し欠けていた。こういうことは、このオーバーヘッドスキャナで端が黒い被写体をスキャンする時は当たり前にあるが、今回は金色だから安心していた。

結局最後まで「じゃじゃ馬」は「じゃじゃ馬」のままで、とんでもなく手間と時間をかけさせられた。


住居内覧に行ってきた。私には辛すぎて潰れた [手記さまざま4]

私が住居の内覧に行くのは、今回の転居騒動では初めてだが、10年ほど前の転居騒動では何度かあった。私は生まれてからずっと江戸間に住んでいたので、10年ほど前に団地間を内覧した時は驚いた。同じ6畳という名称でも小さい。個人的にとくにショックだったのがトイレ空間の狭さで、左右の壁が私の肩幅へ迫ってきた。健康な人はトイレが狭くてそれが何だと思うだろう。でも私は椎間板ヘルニアで少し動くだけで激痛が走ることが何度もあった。そういう時、うちのトイレには必死になって手を突く場所がある。そこを頼りに用を足した。ところが私が内覧したトイレの空間にはその余裕がなかった。私は一目見て、椎間板ヘルニアには住めないと察した! ここまでは10年前の話だ。

ここから今回の内覧の話を書くべきだが、私は困っている。書きたいことは山ほどあるのに、書けばそれが個人特定に結び付きそうなほど、あまりにも個性的な内覧だった。私が思っている内覧というのは、住人が去ってリフォーム済みの住居を見に行き中を見るというものだ。ところが今回はまだ人が住んでいる。実際に行ってみた感想は、売り主がふっかけてきた高額かつ自分たちはリフォームしないで去ってゆくぞ、あわよくば家具調度も置いて行くから使ってくれ自分たちは処分に金を使いたくない、という言いたい放題の主張を、理解するための内覧だった。私はそもそも人付き合いが苦手で、この主張を理解すればするほど辛くなった。私が思うにこの感じは、東京ではなく大阪の値引き交渉当たり前みたいな感じだ。買い手が値切って来るのが当たり前で、売り手は自分の主張を全部出してふっかけてくるという。でも私はそういう環境で育っていない。正直私には辛すぎる。精神が厳しいことになった。これから少なくとも数日は、住居の記事が出ないと思う。それは、私が住居のことを考えていないのでなく、私に与えられたものが私には辛すぎてもう駄目だからだ。そのうちに必ずまた住居の話もする。待ってほしい。


学生も教師も、本当は限界だ [手記さまざま4]

ここ一週間の学生を見ていて気になることがある。7月に入っても依然として休みが多い。今までならば、6月はマラソンランナーのような持久戦状態なので休みが多いが、7月に入るとゴールが見えてきて頑張れるようになる。それが、今年は休みが多いだけでなく、出席する学生もほぼ例外なく疲れている。ひとつの要因はわかっている。マスクだ。前年度までの大学は、対面でない在宅の授業がとても多かった。家で授業を受けている間はマスクは要らない。本年度は対面が主だ。毎日マスクをしっばなしだ。その心的ストレスだけでなく、呼吸困難についても私はよくわかっている。私は血中に赤血球が少なく、しかも授業で喋り続けるから。東京都のコロナ感染者数が増えたのと裏腹に、私の通勤途中と学内では口を出して喋っている学生を以前よりも比較的多く見かける。学生も教師も、本当は限界だ。


新宿で見た「だるまちゃん」、そして、自分のだるまについて [手記さまざま4]

新宿の広告に、見たことのある「だるまちゃん」がいた。「かこさとし展」の広告だった。私はある理由から、作者の名前を知らなかった。私が知っている「だるまちゃん」は、人々が知っている「だるまちゃん」とは少し違う。いちいち英語が付いてくる。それに、ネットで調べたら日本語版テキストも違う。これは昔「ラボ機」と呼ばれていた物に使う英語学習用マルチトラックカセットと、その付属絵本に入っていた「だるまちゃん」だ。この「ラボ」がなかったら私は「だるまちゃん」に出会えなかったのだから、良かったとも言える。反面、いくら「だるまちゃん」を知っていても、その中身が明らかに違う(同じなのは挿絵だけだ)から、他の人と共通の話題に出来ない。ちょっと運が悪かったとも言える。


今回、私が広告の「だるまちゃん」を見てピクピクッと反応したのは、ただ単に「ラボ」が懐かしいからだけではない。先日、私はもうひとつの懐かしい「だるま」を捨てた。可燃ごみ袋に入れて、ごみ出しした。その「だるま」は、私が子供の頃に、父が私にくれたものだった。小さな「目なしだるま」が2つ。当時の私の知識では、こういうだるまは願い事が出来た時に片目を入れ、願い事が叶った時にもう一方の目を入れることになっていた。子供だった私は願い事がなくても目を入れたくてしょうがなかったが、どうやら我慢したらしく、2つのだるまには目が入っていないまま数十年が過ぎた。昔の私にとって、このだるまは大事だったらしい。陳列ケースに入れて埃が付かないようにしていた。転居を控えて自室のあらゆる物を処分することになり、このだるまも処分した。陳列ケースから出した時、だるまの底部に重りが入っていることに気づいた。そうか、「七転び八起き」か。試しに傾けてみた。元に戻る。なるほど、子供の私が気に入ったわけだ。でも、その後陳列ケースに入れたまま、私は数十年間それを忘れていた。処分する今になってようやくそれに気づけた。でももうお別れだ。

埃が付かないように陳列ケースに入れて保管するというのは、メルカリで売るのならそのほうが良いが、もっと大事な自分自身にとっての「それ」との付き合い方としては、本当に正しかったのだろうか。「最期になってようやくお前に気づけた」という感じだ。ちょっと悲しい。


引っ越しのしかた調査開始 [手記さまざま4]

自室が、転居先へ持って行くものを除いて、空っぽになった。「スキャンしてから処分」という手順を踏んだのと、仕事と両立しなければならなかったのとで、2月半ばから約5ヶ月もかかった。

これで、自室のために忙しくすることはなくなった。でも忙しさは、これからも大変だ。今度は自室以外を整理しなければならないし、親はこの機会に布団でなくベッドを使おうと言い、私もそうすべきだと思う。ベッドを見に行く。転居先の人への手土産も考えなければならない。でも、一番の難物と思われるのが、引っ越しだ。

転居手続きも重要だが、不動産業者が手伝ってくれる部分もあるし、「私」が動く部分よりも「私の金」が動く部分のほうが大きい予感がする。今はむしろ、引っ越しのために私が何をしたら良いかが完全に分かっていないことが不安だ。そっちから情報収集を始める。

私は遠距離通勤者だ。毎回の通勤で沢山のネット検索時間が得られる。今まではその時間を使って物件を調べていたが、物件はすでに不動産業者を頼っているので、これからは引っ越しを検索だ。


霜焼けをこじらせた後遺症がいまだに [手記さまざま4]

私が右手の中指を霜焼けにしたのは、2月の終わりから3月の始めにかけてだ。2月の始めに叔父が急死し、それは私にとって、住んでいる家を出て行かなければならないことを意味した。しばらくの間、私は恐れおののき、それから思い出の品々をせめて画像としてだけでも保存しようと必死になった。その作業を真冬の気温5度に届かない室内で毎日続けていたら、指が霜焼けになった。それでも私は、作業をやめることは出来なかった。今やらなければ、思い出の品々は家と共に永遠に失われるから。そして霜焼けはこじれた。医者に行くのが遅れたせいで、薬を塗ってもなかなか治らなかった。
今は7月。指はとっくに治っているべきだが、どうもおかしい。小さな魚の目のようなものが出来ては消え、また出来る。ペンだこかと思い始めた先日、今までより少しだけ大きい米粒大に近い白いものが出来て、どうやらこれは膿のようだ。もう一度医者に行くべきだと思っているうちに治り始めた。そう、ひとつひとつの魚の目状のものは悪化せずに治る。問題は、またすぐに出来るということだ。しかも、前回出来た場所から少し離れた所に出来る。ペンだこならば常に同じ場所に出来るだろう。なんか嫌だ。


天井裏の猫がコウモリを駆逐 [手記さまざま4]

近所で廃屋が取り壊されて以来、我が家の天井裏にコウモリが棲みついていた。以前はずいぶんガサガサと音がした。ところが、隣で叔父が急死して以来、片付けのために隣に人が入り、そこにいた野良猫が我が家の天井裏へ逃げてきた。そして猫がコウモリを追い回すようになった。ふと気付くと、天井でガサガサというコウモリの音を聞かなくなった。猫がコウモリを駆逐したらしい。その代わりに天井裏を猫が走る。

自室の物を全部捨てて部屋が骨格のようになると私の心も変わる [手記さまざま4]

今日、ものすごい勢いで午前に収納棚を解体し、午後にその上と中にあった物を、捨てる物と持って行く物に選り分けた。その余勢をかって、たまたま収納棚にあったペンと消しゴムを文房具として机の引き出しに入れることにしたので、この引き出しに何が残っているか調べた。私の気持ちとしては、実用品だけが残っているはずだった。しかし実際には、昔の履歴書と、父の葬儀時の会葬御礼もあった。履歴書と会葬御礼は、今までの「転居に伴う処分記録」に「取っておく」と記した記憶がある。しかし今の私は、実用品以外は情け容赦なく捨てる気分だ。なんでそうなったか、自分でわかる。天袋から始まった自室整理は、戸棚を出発点に平面図的に右回りにあらゆる物を捨てて行き、戸棚は学生に見せてから処分する予定の物などが残るのみ。ステレオがあった場所は何もない空間となった。本棚は一度全部中身を取り去って、転居時に持って行く物を一時的に収納する棚に変化した。そして今日収納棚が何もない空間になった。今や自室が骨格のような、骨組みの他は何もない空間になっている。こうなる過程で、私の心の中も変わった。これは私が望んでやったことだ。自室の思い出を生きがいにしてきた私は、ここまで自分で自室の物を消去しないと、転居が辛すぎて気が狂う。それを防ぐために、自分でわざとやった。さあ、いよいよ転居の準備が出来た!


曲探しは最後の手段として、YouTubeデビューするしかないようだ [手記さまざま4]

少し前の記事に、ShazamとSoundHoundは私の転居前にこそやっておくべきと書いた。その通りに、今日私は数年ぶりに試した。でも、探している曲の名前は今回も見つからなかった。もちろん一度聞かせただけでなく、曲を流しながら色々な部分を聞かせた。でも駄目だ。スマホが本当に音を拾っているのか確かめるために、同じカセットテープに録音されている薬師丸を聞かせたら、ShazamもSoundHoundも難なく言い当てた。
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ShazamもSoundHoundも聞こえているけど、私が探している曲は知らないんだ。

SoundHoundは、知らない時は「知りません」の一点張り。Shazamは、しつこく聞かせるとダメもとで見当違いの曲を通知してくる。しかも通知の度に違う曲を。それが面白いんだけれども、目的の曲名はわからずじまい。
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こうなったら最後の手段として、YouTubeで日本中の人の助けを借りるしかない。コメントが来たらすぐに返事をしなければいけないから、転居を控えた今は適さない。転居後になるだろうけれども。


大学教室、3密回避か、それとも熱中症回避か [手記さまざま4]

関東が梅雨明けし、私の職場である大学も真夏の暑さとなった。冷房はもちろん入るが、大学からのお達しで出入口を開けたままで換気しているから冷えない。

学生に聞いてみたら、他の授業は出入口を閉めて冷やしているという。私は驚いた。東京都のコロナ感染者数は増えているんだぞ。

思うに、このところの感染者数増加は、真夏になって人々が冷房の効いた部屋に入り、当然そこは冷やすために締め切っていて、そこで喋っているからだろう。

ただ、教室の窓を少し開けて出入り口を開けると、換気は完璧だが、冷房はあって無きが如しで、まともに暑い。教師も学生も、快適とは無縁の環境で授業をしなければならない。これは、よく考えてみよう。


メルカリへの賛辞 [手記さまざま4]

私は今まで、物を売るということをしないで生きてきた。人々が物品の売買を行うメルカリの名前は以前から知っていたが、自分には縁がないと思っていた。それが、わけあって自分が持っている物を売りたい状況になり、不安だらけでメルカリにアカウントを作り、出品を始めた。

いざ取引を始めてみると、メルカリという企業にひたすら感心した。個人が物品の売買を安心安全に行なえるための仕組みを、よく整えていることに、すぐに気づいた。取引する人が相互に相手を評価する仕組みの本当の目的は、評価そのものではなく、一人一人が良い出品者、良い購入者におのずとなれるようにするのが目的だろう。だから、評価といっても3段階や5段階でなく、良かったか残念だったかの二択なのだ。誰でも自分の評価を下げたくはないという気持ちをうまく利用して、メッセージを通して相手に誠意を伝えたり相手から誠意を受け取ったりして、基本的にお互いに「良かった」が選択される仕組みになっている。つまりそれが、売買を安心安全に行なえる仕組みの一端だ。

「らくらくメルカリ便」は、私のような初心者には使いやすい仕組みだ。発送する箱のサイズを測って送料を求め、商品代金の10パーセントが手数料として売り上げから引かれることさえ考慮して商品代金を決めれば、後は全部メルカリとヤマト運輸任せで、匿名配送ができる。

以上の2つはメルカリが定めたシステムにたいして私が感心したことだが、実は私が一番感心したことは他にある。それをメルカリが意図しているのか、それともシステムの結果たまたまそうなったのかを私は知らないけれども。それは、取引をひとつする度に、出会いがひとつあるということだ。私のように、職場と家を往復する人生を送っていると、人との出会いは仕事関係だけだ。メルカリで取引しなかったら、私はそうやって今後も生きていた。ところが、私がメルカリで出品した物を誰かが購入してくれると、私が今までに体験したことのない出会いが生まれる。日本のどこにいるのか、何歳なのかわからない、本来出会うはずでなかった人と出会う。それは取引の間、ほんの数日の出会いだが、とても新鮮だ。私にとってメルカリの一番のメリットは、この出会いだ。

私は今までに3回出品して、売りたかったものを全部売ることができた。当初の目的はこれで達成したのだが、メルカリに感心し、貴重な出会いを体験したので、できれば今後も続けたい。


3回目出品の備忘録 [手記さまざま4]

3回目の出品物が売れた。また出品即日に売れた。私は運がいい。もちろん、自分の中で「想定される購入者」を設定し、そういう人の目に留まり、お買い得と見なされるにはどうしたらいいかと私なりに考えてプレゼンしたが、今は、売れたことにひたすら感謝しよう。

今回の出品は今までと少し違うので、備忘録を書いておく必要ができた。

今までは品物が大きかったので集荷してもらったが、今回は品物が小さくて軽いだけでなく、集荷料金が30円から100円に上がったので、自分でファミリーマートへ持って行った。

マルチコピー機にスマホのQRコードをかざしてレシートみたいな紙が出てきた所までは良かったが、そこから今回の私の勘違いが始まった。私はこのレシートみたいな紙を荷物に貼ろうとした。ところが糊が付いてない! 糊持参で来ないと駄目だったのか?!と困惑しつつカウンターへ行った。

レシートみたいな紙は貼るのでなく、カウンターの店員さんに渡す。そうするとその人が機械を操作して、巨大なQRコードの付いた別のレシートみたいな紙を2枚出してくる。この紙も貼らない。2枚のうち1枚は出品者控、もう1枚を、貼るための大きな色の付いた紙の袋状の部分に突っ込む。この紙はシールになっていて、裏紙をはがして荷物に貼る。

この紙は出品者が自分で荷物に貼ることになっているらしい。が、私が初めてなので今回だけ店員さんが手本を見せてくれた。

今まで集荷してもらった2つは、ヤマト運輸の人が小さなラベルを左上に貼った。私もそうしようと思っていたが、ファミマの店員さんが手本を見せようとラベルを中央に、しかも私が思っていたのと違う向きに貼ってしまった。せっかく、中の品物が正位置になるように箱をここまで運んできたのに。このラベルの向きに立てられると嫌だな。でも、3つの品物の間には仕切りを固定してある。各仕切りと品物の間はプチプチと新聞紙で埋めてある。どの方向へ横にしても品物はわずかしか動かず、互いに触れ合うこともなく、破損しないようにちゃんと梱包した。ただ、私が精神衛生上嫌なだけだ。

そしてここからが、備忘録にいちばん残したい情報だ。集荷の時は、私はヤマト運輸の人にじかにこわれもの等のラベル貼りをお願いした。ところがファミマの場合は、マルチコピー機の操作で「こわれもの」指定ができない! 店員さんに聞いたが、そういう細かい指定はできないそうだ。こわれもの指定なしで、プチプチで包んでおしまい、らしい。店員さんは親切に、店にあるシールを出してきて貼ってくれた。でも「こわれもの」ではなく「上にモノをのせないで」だった。それは微妙に違うのだが、仕方がない。


ベネチア壁掛けの葬送 [手記さまざま4]

(要約)転居に際して、大事な物であろうと何でも捨てなければならない私が、ベネチア土産の壁掛けを不燃ごみとして出すさいに精一杯の「お葬式」をしてあげた話。



私は過去に「6月は今週までだ」と思った時があり、その記憶から、うっかり7月第1週の不燃ごみ日は来週だと思い込んでいた。今日カレンダーを見て、6月が今週木曜日までで終わり、金曜日からは7月だと気づいた。つまり今週の金曜日が不燃ごみの日だ。ベネチアの壁掛けとお別れしなければならない。それと同時に自室の残りの不燃ごみも出さねばならない。それは、大仏、タコ焼き器、デジカメ充電器とPC接続コードだ。

ベネチアの壁掛けを不燃ごみとして破砕処理に出すのは忍びなく、一度はメルカリに出品しようとした。だがネット検索して売れそうにないことを知り迷っていたのに加え、入れようとした箱がわずかに小さく使えなかったことが後押しし、出品は諦めた。出品でなくごみ出しとなったので、長年壁掛けを包んでいた埃よけラップはあえて外さず、埃のかからないまま葬送しようと思った。最後の撮影はラップ越しにした。ラップに包んだまま裏返してみた。ネット上によくあるような何かが書かれていることもなく、綺麗だが、端にヒビのようなものが見えた。ひょっとすると最初からのヒビかもしれないが、この壁掛けは古い。人様に売る品物には責任を持たねばならない。だから、出品しないで良かったと納得した。

この壁掛けには破砕の瞬間まで幸せでいてほしいと思い、レコードプレーヤー出品のために買ったプチプチの残りをふんだんに使って包み込んだ。さらに仮面型の凸部には、昔のプチプチの残りをセロテープで貼り付けた。それを、外国から持ち帰ったビニル袋の中で一番記憶にあるものに入れて手向けとした。

もうひとつの大きな不燃ごみ、タコ焼き器は、思えば買ったのでなく、何かのポイントが溜まってそれと交換したものだった。私はこれを何度も使ったが、その度に神経質に綺麗に保ち、巨大な太い筆みたいな形をした油引きに至っては油が染み込んでどうにもならないので、中性洗剤の濃い水溶液に浸して揉める所は揉み、可能な限り油を抜いた。その後は今度は染み込んだ洗剤を真水に浸して出さなければならないし、その後は完全に乾くまで日の当たる所に1か月くらい置いた。日常的にタコ焼きを焼く大阪人ならば絶対しない(次にタコ焼きが作れるようになるまでに1か月はかかる)ことを私はしていた。処分前に一度タコ焼きを作りたい気もあるが、今はもう転居の間際だ。自室に残った物を捨てる作業で精一杯で、タコ焼き器を使ってやれない。

自治体指定の不燃ごみ袋に入れる作業は、ベネチアの壁掛けを最優先で行った。つまり、厳重に包んだ壁掛けをタコ焼き器の上にガムテープで固定した。なぜ固定するかというと、私は今までの人生で、複数の品物を同じ箱などに入れた場合、それが乱暴に扱われて搬送されると、品物同士がぶつかって破損すると知っているから。もっとも、壁掛けを包むのにふんだんに使ったプチプチがあれば、ぶつかっての破損は防げるかもしれない。破砕されると知っている不燃ごみに、新品のプチプチをふんだんに使い、ここまで搬送時の破損を気にする人間は、世界広しといえども私一人かもしれない。私は壁掛けを仕方なく不燃ごみとして出すが、本当は破砕されたくないのだ。だから自分が納得するまで何でもする。

2つの大きな品物以外は、タコ焼き器の周りにガムテープで留めた。これは搬送中に動いて予想外の結果を招かないようにというだけでなく、このごみ袋が落とされた場合に、壁掛けの端が最初に当たって破損するのを防ぐためでもある。

大仏は、いつ手に入れた物かがもうわからない。ただ、裏に「鎌倉大仏殿」とあるので鎌倉の大仏で、私が鎌倉へ行ったのは中学生頃の修学旅行か、そうでなければずっと後だ。中学生時代の思い出の品の可能性もあるので処分はためらった。それに、仏像だ。しかし、叔父が急死して「ウサギ小屋」への転居が決まった時点で、私は経典を可燃ごみとして捨てるというものすごいことをやった。転居に際して私はあらゆるものを捨てなければならない。昔、毎日寝る前に読誦した経典ですら。この大仏も、経典と同じだ。


梱包に凝る [手記さまざま4]

少し前の記事で、ベネチアの壁掛けを出品するのを諦めたという話をした。今回は、その続き。

その後、私がどうしたかというと、ベネチアの壁掛けと聖母子ろうそくを処分するために色々考えた。

聖母子ろうそくは、中身が「ろう」なので可燃ということで、可燃ごみ袋に入れた。でも、今まで大事にしてきたものを台所の生ごみと一緒にする気にはなれず、新しいごみ袋を出し、それに「副葬品」のようにして数十年間の仕事のプリントや封筒の束を入れた中に、ろうそくも入れた。さらに、若い頃から取ってあった小型の「だるま」や、小さな人形も入れた。

ベネチアの壁掛けは不燃ごみなので、同じ中には入れられない。不燃ごみ回収は月に2回しかないので後回しとなった。

さて、壁掛けを入れるにはわずかに小さかった箱を私は見つめた。これに入りそうな物が思い浮かんだからだ。今までの2回の出品のようにすぐ買い手が付くとは限らない。最初から最低価格に設定するので、それより値引きもできない。(らくらくメルカリ便の商品価格は送料と手数料込みだから、安くするとしても限度がある。)転居があるから、1か月経って買い手が付かなければ出品をとりやめて不燃ごみとして処分する。

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まず私は、箱の内側に仕切りを作った。もちろん厳密に書けば、まず商品を置いてみて仕切りの場所を確認し、箱の内寸から仕切り板の大きさを決め、別の段ボール箱から仕切り板を切り取り、ガムテープで貼り付けた。面倒だった。

なんでこんな事をするかというと、中に入れる物が3つあるだけでなく、こわれものだからだ。私が以前に外国から小型包装物として陶器のコップを2つ日本へ送った時に、梱包材が十分に入手できなかったせいで中身同士がぶつかり、取っ手が取れてしまった。その時の教訓から、仕切りを作った。

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次は、段ボール箱下側のクッション。個々の品物をプチプチで包むだけでは箱内で転がるかもしれず、動かないように新聞紙をくしゃくしゃにして詰める。試したところ、いちばん右の区画だけは品物が大きめで、新聞紙クッションの高さを低くする必要があった。

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プチプチで包んだ品物を置き、くしゃくしゃ新聞紙の両端を品物になじませる。品物の上下にはプチプチ+新聞紙があるので、上下はこれで良いことにする。

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品物の左右の隙間に、くしゃくしゃ新聞紙を詰める。これで左右は良いことにする。

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最後に、品物と箱の蓋との間を、くしゃくしゃ新聞紙で埋める。新聞紙が足りなくなってきたこともあり、この部分は空いている所全部に詰めるのでなく、品物と箱の蓋の間に新聞紙が入って品物が動かなくなれば良いこととする。ただし、いちばん右の区画にある品物は付属品があり、品物本体と付属品の間にも新聞紙の端を突っ込んで動かないようにすることを忘れない。

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そして箱の蓋をガムテープで留める。ここまで来たら、後は購入者からの通知を待つだけだ。実は昨日、最寄りのファミリーマートへ行って試しにマルチコピー機のタッチパネルを操作し、メルカリのヤマト便を受け付けてくれることを確認済みだ。


カセットテープの不明曲捜索、再開 [手記さまざま4]

私は以前このブログで、自分のカセットテープに入っている不明曲を探す記事をずいぶん書いた。でも今は転居に向けて毎日頑張らなければならないので、カセットテープ関係は転居後に再開するつもりだった。

ところがところが、先日ふと気付いたことがある。転居先では、今みたいにスピーカーから大きな音を出してShazamに聞かせると、個人的な趣味の曲が隣人にまる聞こえだったり、近所迷惑だったりするのか。

今の家も、昔は階下に人が住んでいた。その頃は音を気にしたものだった。その後周りの人々は死去したり転居したりでいなくなり、隣に年老いた叔父がいるだけとなったので、ここ10年ほどは私は我が物顔で音を出していたのだが。

音を出す作業、つまりShazamとSound Houndは、転居前にこそやっておくべきかもしれない。


先代スマホが壊れた [手記さまざま4]

スマホの契約期間が終了した時点で解約し、自分にとって有利な会社と新規契約する。その時に、既存のスマホのSIMロックを解除して使い続けるか、新規にスマホも購入するかを決める。うちの親は、既存のスマホのSIMロックを解除して使い続けた。私は既存のスマホに不満たらたらだったので、新規にスマホも購入した。その時に私は、親のスマホは大丈夫だろうかと少し心配した。なぜなら、今どきの機器は耐用年数が長くなく、スマホの場合、以前によくあった二年縛りの期間が耐用年数に設定されている可能性があるからだ。結果的に、親のスマホはまだ使えているので助かった。いっぽう、私のスマホは今日、壊れた。私が今スマホとして使っているのは新規に購入した物だが、先代スマホもすぐには捨てず、ローカル環境にある動画を見るのに使ってきた。今日も動画を見ようと電源ボタンを押したが、反応がない。長押ししても、ものすごく長押ししても、反応がない。電池切れかと思い充電を開始したが、画面は真っ黒で充電中の絵が出ない。前回使ったのは数日前で、その時は普通に使えて、電池残量も十分だった。突然の故障だ。

私が子供時代を過ごしたのは昭和時代で、その頃の機器にももちろん耐用年数はあったはずだが、アバウトだった。たとえ壊れても、修理すればまだ使えるという時代だった。現代は、修理するよりも買い替える時代だ。格安で買って使えるだけ使い倒す。そして買い替える。時代も商品も、とっくにその流れに乗っている。私もその流れに乗って生きているのだが、昭和時代の、良い品を修理しながら長年使い続ける精神も、嫌いではなかった。


ベネチアの壁掛け、メルカリ出品を諦める [手記さまざま4]

ベネチアの壁掛けを入れるのに丁度良いと思っていた箱がある。

以前に天袋整理をした時、アマゾンの段ボール箱がひとつ出てきた。この箱にちょうどベネチアの壁掛けが入りそうだった。私は入ると思っていたが、今日箱を測ってみたらわずかに内寸が足りない。外寸で縦横高さの計が70センチなのだが、もしもこれが80サイズ ギリギリの80センチならば入っただろうに。

私は転居に向けて毎日忙しく、本来はメルカリで取り引きする暇はない。箱に入らなかったことで、私は壁掛けの出品を諦める決心がついた。

壁掛けも聖母子ろうそくも、私は外国から大事に持ち帰った。ただゴミとして捨てるのは残念でならない。


手数料が何の10パーセントかを間違えて危なかった [手記さまざま4]

私はまたメルカリのシステムを間違って覚えていたらしい。危なかった。私は売り上げの10パーセントが販売手数料として引かれると思い込んでいた。でもそれは違った。ひょっとすると私は、メルカリサイトの「かかるのは商品が売れたときの販売手数料10%だけです」という記述を誤解したのかもれない。

私の前回の出品は、商品代金¥2,000に対して販売手数料¥200がかかっている。販売手数料は、売り上げのでなく商品代金の10パーセントだ。ということは商品代金を決める時には配送料と集荷手数料を足した金額以上にすれば良いのでなく、さらにその代金の10パーセントが手数料として必用なことを見越して設定しなければならないのか。

前回の出品では、まだ配送料も集荷手数料も値上げ前で、合わせて¥1,130だった。だから2000-200-1130=販売利益¥670となり、メルカリに迷惑をかけずに済んだ。

私は仕事と転居で頭の中が洗濯機のように回っていて、なかなか次の出品に漕ぎ着けないでいる。でももしまたメルカリを使うなら、今度はもっとましなメルカリ ユーザーになりたい。


温度差 [手記さまざま4]

家を出て行きたくて出ようとする人間と、出て行きたくないが仕方なく出てゆく人間とでは、基本姿勢がまったく違うから、温度差を埋めるのは難しい。不動産会社の人がメールをくれる時の反応に至るまで正反対の影響を及ぼす。不動産会社の人は、図面が到着したからとメールで送り、キッチンのリフォームの写真が来たからとメールで送る。そもそも他人からのメールに慣れていない私はそれがストレスになる。相手からメールが来たのに気づかなくて返事が遅れて悪いと思い、それが災いして昼でも夜でもメールをチェックする。それが辛い。仕事があるから着信音は常時切っている。スマホがブルブルするだろうと言われれば、するらしいのだが、何の因果か私のスマホはブルブルが弱くて気づけないことが多い。いっぽう親は、不動産会社の人から何か来るのを心待ちにしているのだ。この温度差は、お互いに影響を及ぼす。私はストレスから不眠症になり、夜中の2時に目が覚める。それから1時間は布団の中で頑張って寝ようとするが3時には諦めて起きる。私が起きることで親まで起こしてしまう。


学生の欠席がとても多くなった [手記さまざま4]

発端は2週間前だっただろうか。ちらほらと学生が休み始めた。あと、疲れた学生が目立った。

先週は目立って人数が少なく、LMSで欠席を告げてくる学生も数人いた。

そして今週はまだ半ばだが、またもLMSで欠席を告げてくる学生が。

コロナとの関連は不明だ。ただ、気を抜くことはできない。


飲酒時しか書けないアニメ話を [手記さまざま4]

タイトルの「飲酒時」を読んで、「それはほんの数日前にもあった」と思う方、私の記事を読んでくださって感謝します。その通りです。もう私というアル中は、昔のように「断酒は敵だ」と書けない「心底情けない奴」になりました。だから残念ながら世界中の同じアル中さんに、「断酒しないとアル中は治らない」と、すごく悲しいことを言わなければなりません。

断酒しない場合にまず最初に出る地獄は、私の場合は痛風発作です。慢性腰痛でもある私は最近バスに乗らないと駅まで行けませんでしたが、昨日は歩けそうだったので無理して歩きました。この「無理して歩く」というのは脚、とくに大腿筋と膝関節に無理を強います。尿酸結晶が関節に溜まっている場合は、無理して歩いて「やった! 自分は歩けるんだ!」と自信をもった翌日、左右どちらかの膝が腫れあがり激痛があり、10日間外出できません。そしてまた歩くことが恐くなるのです。

私は昨日歩いたけれども今朝は膝が痛くなかったので、ひとまずはホッとしています。それでまた酒を飲んだら、ただの馬鹿なのですが、飲んでます。飲む前にもちろん仕事はしました。今日の私のヘボ記事は、アニメの話であると同時にちょっと仕事の気持ちも混ざります。

私は中年になってから、アニメを通じて若者との繋がりを保とうと思いました。なぜアニメかというと、私は「サブ」の付かない堅苦しい「カルチャー」が嫌いだからです。その理由は過去の事実にあります。クラシック音楽は、音楽学校に勤めた時から、「神がかり的にある分野に没入してしまった『一般人でない』集団は、みな善人だがそれでも、私に話しかける言葉がいちいち見当違いのものを私に期待して私を苦しめる。そういう集団には近づくべきでない」と知り敬遠しています。文学に至っては、学部生時代からそう思っています。でも私は次のようにも思いました。「誰でも何かの分野に没頭したり、その専門だったりするのではないか。もし私がそれを苦手と言うなら、自分が苦手としない分野を探したらどうか。」大学生の時まで、私はアニメが好きでした。それで、年をとってからもこの分野ならば人との繋がりを拒まずに済むのではないかと考えました。

現実には、一口にアニメといってもその時代の流行があり、流行から外れてしまった私が見ようと思うアニメはほんのわずかです。私の勝手な考えで、アニメにはその源流が2つあると思っています。漫画由来のアニメと、ラノベ由来のアニメです。(オリジナルで作られるアニメもありますが。)ラノベ由来のアニメは、見ていてそれとわかることが多いです。見た目の派手さよりも、プロットや「言葉」の使い方に引かれます。いま見ている数少ないアニメの中では「勇者、辞めます」というのがラノベ由来のアニメです。私は最初から見ず、途中で「あにこ便」をチェックしていて気づきました。このアニメのどういう所が良いか。勇者と魔王の立場が入れ替わる所です。私は若い頃から、旧版「ダイの大冒険」を始めとして、たくさんのファンタジー物を見てきたつもりです。私が見てきたファンタジー物では、魔王は世界を滅ぼす敵であり、ラスボスでした。勇者は魔王を倒す唯一の希望として生まれた存在でした。その立場が入れ替わる話を、私は今までひとつも知りませんでした。ではなぜこのアニメで勇者は魔王になったのか。そしてなぜ人間の世界に侵攻してきた魔王に対して「勇者よ!」と宣戦布告したのか。それがつまりプロットです。それについては、ここで酔っ払いの私がいいかげんに書くべきことではありません。アニメを見るなり原作を読むなりして個々人が自分の中で認識することです。

ここでひとつ、ちょっと情けない話をしなければなりません。本当は、この後に続く部分が本題でした。「まちカドまぞく2丁目」に出てくる「シャミ子」の声優さんの、セリフへの気配りがすごいという話になるはずでした。私も「話す仕事」だから、シャミ子の声優さんを見習って気を引き締めなければいけないという、ブログ記事の終わり方になるはずでした。ところが、飲酒時記事にはよくあることながら、飲みながら書くので次第に酔いが回り、「推敲もできないほど酔ったらもう書いちゃダメ」という段階に至りました。

私は酔っぱらうと身の程もわきまえずに大上段に振りかぶって「序章」から書く癖があるようです。そして時間が経つうちに酔いが回って自滅します。次回は、気を付けます。いやそれ以前に「酒を飲んではいけない」というのが私の考えるべきことなのですが、それが出来ないからアル中なのです。


大学院入試過去問が出てきた/スキャン枚数は39,403枚 [手記さまざま4]

私の部屋は毎朝換気をする。それでも、ある理由から古紙臭い。その理由は、若い頃から保管してきた膨大な量のプリントを毎日オーバーヘッドスキャンしては捨てているからだ。古い紙束は、ちゃんと紙袋に入れて保管しても、古紙独特の臭いがしてくる。

先日は大学生時代のプリントが出てきたが、今日は大学院入試の過去問が出てきた。まるで、死ぬ前に今までの人生の走馬灯を見るかのように、何でも出てくる。転居のために家のものを整理して処分しまくる作業は、完全に終活となった。転居は終活だ。転居先は、巨大なコンクリートの棺桶か。

ここ数日の心の焦りから来る、ものすごい頑張りで、スキャン枚数の累計は39,403枚になった。でもまだ1枚1円には程遠い。


転居先探しの件 [手記さまざま4]

仲介業者から最後に話が出た物件はこれから引渡しで、リフォーム完成予定が9月とのことだ。それまでの間に他の物件も見る。私はすぐにも物件が決まって引っ越しのことも考えねばならないと思っていたが、物件はいくつか見て決めたほうがいいとのことで、私の予想ほど早くは動きそうにない。しかし私は、気を抜くと1か月なんかすぐに経つことを知っている。早くスキャンを終わらせて、自室からあらゆるものを消さねばならない。作業途中で引っ越しになったら未練が残る。

仲介業者に会ってから、私はすごい早さで仕事とスキャンをしている。私の心は焦っている。これを続けたら私は参ってしまう。自分を変えなければならない。あと、痛風発作を出さないために、何とかして飲酒の間隔を空けなければならない。


大学生時代にまで遡るプリントが出てきた [手記さまざま4]

今までの仕事の記録を片っ端からスキャンしていたら、仕事でないプリントを綴じたフォルダーが混ざっていた。なんと大学生時代にまで遡るプリントだった。中身を見て、アカデミックな世界ほど無意味なものはないと思った。これをずっと保管していたということは、当時の私は、自分に合わないと感じながらもそれを大事にしていたのだろうか。結局この実生活と関係のないものは、身につかなかったな。その後私は、社会の色々な人を見るようになった。歯医者さんとか、今回の仲介業者さんとか。世の中には、まともで立派な人がたくさんいると知った。私の人生で一番の失敗は、アカデミックな世界に入ってしまったことかもしれない。

飲酒時記事 この世に理解できない狂人はいない。必ずそうなった理由がある。 [手記さまざま4]

今日は転居の物件を探すべく、初めて仲介業者に赴いた日だった。もともと対人恐怖症の私はストレスが生じて、また飲酒してしまった。今日は泥酔記事で申しわけない。でもブログは個人の日記でもあり、私は泥酔していても、どうしても今日中に記録を残さなければならない。すまない。




お早うございます。飲酒時記事なので、酔いが醒めたら公開終了です。私は何があっても先へ行かねばなりません。翌19日の記事でお会いしましょう。

Czur Aura Proでのスキャン回数、現在37,235回。1枚1円はいまだ遠い [手記さまざま4]

オーバーヘッドスキャナCzur Aura Proは、私にとって高い買い物だった。私は過去に一度リストラされてから出費にたいする姿勢がまるで変わってしまい、財布の紐が堅い。その私が43,560円も出費してひとつの機械を買うのは、滅多にないことだ。このスキャナがフラットベッドスキャナと違い、私が望む画質に程遠いと知った時は落胆したが、その後、このスキャナが得意とする分野で使うように気持ちを切り替えた。それからは、有効活用している。たとえば、いまスキャンしている「過去数十年間の学校の閻魔帳全部」は、このスキャナが得意とする分野だ。なぜなら、高画質を必要とせず、そのかわりに1枚2秒ほどでどんどんスキャンを済ませてゆくことが必要なほど大量だ。ただスキャンしてゆくだけでも良いが、せっかくだから私は、ひとつの遊びを考案した。「本などを1冊スキャンする毎に、(失敗を含まない)有効なスキャン画像数をエクセルに打ち込んでゆき、その画像数を時々合計してみてスキャナの購入金額と比べる。もしも有効な画像数がスキャナの購入金額と同じ数字に達すれば、その時私は1枚1円でスキャンしたことになる」という遊びだ。初めからわかっていたが、43,560枚のスキャン画像というのは、なかなか達成できるものではない。現在、エクセルに打ち込まれた有効な画像数は37,235枚だ。あと6,325枚のスキャンで1枚1円になる。1000回スキャンするというのは、結構大変なことだ。それが5000回、6000回となると、自室に残された「スキャンしたい本や資料」が足りるかどうかもわからない。でもどんどん進めよう。転居先が決まれば、もうスキャンどころではない。それまでが勝負だ。果たして転居までに1枚1円になるだろうか。


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