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新宿で見た「だるまちゃん」、そして、自分のだるまについて [手記さまざま4]

新宿の広告に、見たことのある「だるまちゃん」がいた。「かこさとし展」の広告だった。私はある理由から、作者の名前を知らなかった。私が知っている「だるまちゃん」は、人々が知っている「だるまちゃん」とは少し違う。いちいち英語が付いてくる。それに、ネットで調べたら日本語版テキストも違う。これは昔「ラボ機」と呼ばれていた物に使う英語学習用マルチトラックカセットと、その付属絵本に入っていた「だるまちゃん」だ。この「ラボ」がなかったら私は「だるまちゃん」に出会えなかったのだから、良かったとも言える。反面、いくら「だるまちゃん」を知っていても、その中身が明らかに違う(同じなのは挿絵だけだ)から、他の人と共通の話題に出来ない。ちょっと運が悪かったとも言える。


今回、私が広告の「だるまちゃん」を見てピクピクッと反応したのは、ただ単に「ラボ」が懐かしいからだけではない。先日、私はもうひとつの懐かしい「だるま」を捨てた。可燃ごみ袋に入れて、ごみ出しした。その「だるま」は、私が子供の頃に、父が私にくれたものだった。小さな「目なしだるま」が2つ。当時の私の知識では、こういうだるまは願い事が出来た時に片目を入れ、願い事が叶った時にもう一方の目を入れることになっていた。子供だった私は願い事がなくても目を入れたくてしょうがなかったが、どうやら我慢したらしく、2つのだるまには目が入っていないまま数十年が過ぎた。昔の私にとって、このだるまは大事だったらしい。陳列ケースに入れて埃が付かないようにしていた。転居を控えて自室のあらゆる物を処分することになり、このだるまも処分した。陳列ケースから出した時、だるまの底部に重りが入っていることに気づいた。そうか、「七転び八起き」か。試しに傾けてみた。元に戻る。なるほど、子供の私が気に入ったわけだ。でも、その後陳列ケースに入れたまま、私は数十年間それを忘れていた。処分する今になってようやくそれに気づけた。でももうお別れだ。

埃が付かないように陳列ケースに入れて保管するというのは、メルカリで売るのならそのほうが良いが、もっと大事な自分自身にとっての「それ」との付き合い方としては、本当に正しかったのだろうか。「最期になってようやくお前に気づけた」という感じだ。ちょっと悲しい。