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飲酒時しか書けないアニメ話を [手記さまざま4]

タイトルの「飲酒時」を読んで、「それはほんの数日前にもあった」と思う方、私の記事を読んでくださって感謝します。その通りです。もう私というアル中は、昔のように「断酒は敵だ」と書けない「心底情けない奴」になりました。だから残念ながら世界中の同じアル中さんに、「断酒しないとアル中は治らない」と、すごく悲しいことを言わなければなりません。

断酒しない場合にまず最初に出る地獄は、私の場合は痛風発作です。慢性腰痛でもある私は最近バスに乗らないと駅まで行けませんでしたが、昨日は歩けそうだったので無理して歩きました。この「無理して歩く」というのは脚、とくに大腿筋と膝関節に無理を強います。尿酸結晶が関節に溜まっている場合は、無理して歩いて「やった! 自分は歩けるんだ!」と自信をもった翌日、左右どちらかの膝が腫れあがり激痛があり、10日間外出できません。そしてまた歩くことが恐くなるのです。

私は昨日歩いたけれども今朝は膝が痛くなかったので、ひとまずはホッとしています。それでまた酒を飲んだら、ただの馬鹿なのですが、飲んでます。飲む前にもちろん仕事はしました。今日の私のヘボ記事は、アニメの話であると同時にちょっと仕事の気持ちも混ざります。

私は中年になってから、アニメを通じて若者との繋がりを保とうと思いました。なぜアニメかというと、私は「サブ」の付かない堅苦しい「カルチャー」が嫌いだからです。その理由は過去の事実にあります。クラシック音楽は、音楽学校に勤めた時から、「神がかり的にある分野に没入してしまった『一般人でない』集団は、みな善人だがそれでも、私に話しかける言葉がいちいち見当違いのものを私に期待して私を苦しめる。そういう集団には近づくべきでない」と知り敬遠しています。文学に至っては、学部生時代からそう思っています。でも私は次のようにも思いました。「誰でも何かの分野に没頭したり、その専門だったりするのではないか。もし私がそれを苦手と言うなら、自分が苦手としない分野を探したらどうか。」大学生の時まで、私はアニメが好きでした。それで、年をとってからもこの分野ならば人との繋がりを拒まずに済むのではないかと考えました。

現実には、一口にアニメといってもその時代の流行があり、流行から外れてしまった私が見ようと思うアニメはほんのわずかです。私の勝手な考えで、アニメにはその源流が2つあると思っています。漫画由来のアニメと、ラノベ由来のアニメです。(オリジナルで作られるアニメもありますが。)ラノベ由来のアニメは、見ていてそれとわかることが多いです。見た目の派手さよりも、プロットや「言葉」の使い方に引かれます。いま見ている数少ないアニメの中では「勇者、辞めます」というのがラノベ由来のアニメです。私は最初から見ず、途中で「あにこ便」をチェックしていて気づきました。このアニメのどういう所が良いか。勇者と魔王の立場が入れ替わる所です。私は若い頃から、旧版「ダイの大冒険」を始めとして、たくさんのファンタジー物を見てきたつもりです。私が見てきたファンタジー物では、魔王は世界を滅ぼす敵であり、ラスボスでした。勇者は魔王を倒す唯一の希望として生まれた存在でした。その立場が入れ替わる話を、私は今までひとつも知りませんでした。ではなぜこのアニメで勇者は魔王になったのか。そしてなぜ人間の世界に侵攻してきた魔王に対して「勇者よ!」と宣戦布告したのか。それがつまりプロットです。それについては、ここで酔っ払いの私がいいかげんに書くべきことではありません。アニメを見るなり原作を読むなりして個々人が自分の中で認識することです。

ここでひとつ、ちょっと情けない話をしなければなりません。本当は、この後に続く部分が本題でした。「まちカドまぞく2丁目」に出てくる「シャミ子」の声優さんの、セリフへの気配りがすごいという話になるはずでした。私も「話す仕事」だから、シャミ子の声優さんを見習って気を引き締めなければいけないという、ブログ記事の終わり方になるはずでした。ところが、飲酒時記事にはよくあることながら、飲みながら書くので次第に酔いが回り、「推敲もできないほど酔ったらもう書いちゃダメ」という段階に至りました。

私は酔っぱらうと身の程もわきまえずに大上段に振りかぶって「序章」から書く癖があるようです。そして時間が経つうちに酔いが回って自滅します。次回は、気を付けます。いやそれ以前に「酒を飲んではいけない」というのが私の考えるべきことなのですが、それが出来ないからアル中なのです。