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ベネチア壁掛けの葬送 [手記さまざま4]

(要約)転居に際して、大事な物であろうと何でも捨てなければならない私が、ベネチア土産の壁掛けを不燃ごみとして出すさいに精一杯の「お葬式」をしてあげた話。



私は過去に「6月は今週までだ」と思った時があり、その記憶から、うっかり7月第1週の不燃ごみ日は来週だと思い込んでいた。今日カレンダーを見て、6月が今週木曜日までで終わり、金曜日からは7月だと気づいた。つまり今週の金曜日が不燃ごみの日だ。ベネチアの壁掛けとお別れしなければならない。それと同時に自室の残りの不燃ごみも出さねばならない。それは、大仏、タコ焼き器、デジカメ充電器とPC接続コードだ。

ベネチアの壁掛けを不燃ごみとして破砕処理に出すのは忍びなく、一度はメルカリに出品しようとした。だがネット検索して売れそうにないことを知り迷っていたのに加え、入れようとした箱がわずかに小さく使えなかったことが後押しし、出品は諦めた。出品でなくごみ出しとなったので、長年壁掛けを包んでいた埃よけラップはあえて外さず、埃のかからないまま葬送しようと思った。最後の撮影はラップ越しにした。ラップに包んだまま裏返してみた。ネット上によくあるような何かが書かれていることもなく、綺麗だが、端にヒビのようなものが見えた。ひょっとすると最初からのヒビかもしれないが、この壁掛けは古い。人様に売る品物には責任を持たねばならない。だから、出品しないで良かったと納得した。

この壁掛けには破砕の瞬間まで幸せでいてほしいと思い、レコードプレーヤー出品のために買ったプチプチの残りをふんだんに使って包み込んだ。さらに仮面型の凸部には、昔のプチプチの残りをセロテープで貼り付けた。それを、外国から持ち帰ったビニル袋の中で一番記憶にあるものに入れて手向けとした。

もうひとつの大きな不燃ごみ、タコ焼き器は、思えば買ったのでなく、何かのポイントが溜まってそれと交換したものだった。私はこれを何度も使ったが、その度に神経質に綺麗に保ち、巨大な太い筆みたいな形をした油引きに至っては油が染み込んでどうにもならないので、中性洗剤の濃い水溶液に浸して揉める所は揉み、可能な限り油を抜いた。その後は今度は染み込んだ洗剤を真水に浸して出さなければならないし、その後は完全に乾くまで日の当たる所に1か月くらい置いた。日常的にタコ焼きを焼く大阪人ならば絶対しない(次にタコ焼きが作れるようになるまでに1か月はかかる)ことを私はしていた。処分前に一度タコ焼きを作りたい気もあるが、今はもう転居の間際だ。自室に残った物を捨てる作業で精一杯で、タコ焼き器を使ってやれない。

自治体指定の不燃ごみ袋に入れる作業は、ベネチアの壁掛けを最優先で行った。つまり、厳重に包んだ壁掛けをタコ焼き器の上にガムテープで固定した。なぜ固定するかというと、私は今までの人生で、複数の品物を同じ箱などに入れた場合、それが乱暴に扱われて搬送されると、品物同士がぶつかって破損すると知っているから。もっとも、壁掛けを包むのにふんだんに使ったプチプチがあれば、ぶつかっての破損は防げるかもしれない。破砕されると知っている不燃ごみに、新品のプチプチをふんだんに使い、ここまで搬送時の破損を気にする人間は、世界広しといえども私一人かもしれない。私は壁掛けを仕方なく不燃ごみとして出すが、本当は破砕されたくないのだ。だから自分が納得するまで何でもする。

2つの大きな品物以外は、タコ焼き器の周りにガムテープで留めた。これは搬送中に動いて予想外の結果を招かないようにというだけでなく、このごみ袋が落とされた場合に、壁掛けの端が最初に当たって破損するのを防ぐためでもある。

大仏は、いつ手に入れた物かがもうわからない。ただ、裏に「鎌倉大仏殿」とあるので鎌倉の大仏で、私が鎌倉へ行ったのは中学生頃の修学旅行か、そうでなければずっと後だ。中学生時代の思い出の品の可能性もあるので処分はためらった。それに、仏像だ。しかし、叔父が急死して「ウサギ小屋」への転居が決まった時点で、私は経典を可燃ごみとして捨てるというものすごいことをやった。転居に際して私はあらゆるものを捨てなければならない。昔、毎日寝る前に読誦した経典ですら。この大仏も、経典と同じだ。