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いま、「大地の芸術祭」のサイトに夢中だ [手記さまざま4]

先日ニュースで、ある事件を知って、それをきっかけに「大地の芸術祭」というのを知った。事件がきっかけで知名度が上がるとは皮肉だが、より多くの人が関心をもつに至ったことは純粋に喜びたい。今では私のような、本来ならば気づくことのない人間も興味をもっている。慢性腰痛で、靴を新しくしただけで腰が痛くて歩けなくなる私は、とても新潟まで行けない。ただ「大地の芸術祭」のホームページを繰り返し見ている。メニューから「作品一覧」を選び、絞り込みを「すべて」に変更すると、現在1243件の作品が見られる。そのどれもが個性的なんだが、写真を(スマホで)タップすると、作品についての解説が出る。解説を読んでみると、私が想像していたものと違う。人間一人一人にまったく違う個性があるのを目の当たりにするみたいに、作品は私の勝手な想像と違う。私は、私という存在とは違う他者の作品と対話する気分になる。私はそうやって、気になる作品を見つけてはタップしているのだが、まだまだ見終わらない。1243作品は、膨大な数だ。

私からのオススメのサイト、「大地の芸術祭」は、ここにある
https://www.echigo-tsumari.jp/


私には世の中が理解できない [手記さまざま4]

DVD買い取り業者から連絡が来た。取り柄といえば全員集合DVD BOXが全巻揃っているだけという、たったの19品をラーメンが入っていた小ぶりの段ボール箱に入れて送っただけなのに、なぜか一万八千円もくれた。どうしてこんなにくれたのか、私はわからない。良くて数百円だと思っていた。

私が世の中をわかっていない人間なのは認める。でも運命はやっぱり皮肉だ。私のPC-9821は、これだけの年月が経っているとは思えない綺麗さだった。付属品はリモコンやマイクに至るまで、埃が付かないように大切に保管していた。でも買い取りを拒まれた。レコードプレーヤーを買い取ってもらおうとした時は、私の見間違いでなければテクニクス祭りだった。でもテクニクスのプレーヤーが拒まれた。売れ筋の型番でないというだけで、問題なく動くのに拒まれた。正直、それはないと思った。評価されるべきは、私の失敗から湿気取りの水を垂らしてしまったレコードではなく、ほんのちょびっとしかないDVDでもなく、大切に使われてきたPC-9821とレコードプレーヤーのほうだろうが。私には世の中が理解できない。


良いことも悪いこともスキャン [手記さまざま4]

レコードプレーヤーの次に私がすべきことは、今までの授業の閻魔帳を処分する前にオーバーヘッドスキャンすることだ。閻魔帳は今までの私の授業の記録だ。良いことも悪いことも背負って生きるべきだ。ウサギ小屋のような転居先には生活必需品しか持って行けないが、閻魔帳は画像としてハードディスクに入れて行く。私のオーバーヘッドスキャナCzur Aura Proは作業効率だけは最高の出来で、次から次へとスキャンが終わる。だから私は閻魔帳のスキャンもすぐ終わると思い込んでいた。ところが、閻魔帳の冊数が多すぎ、ページ数が多すぎる。そういえば私は今までに三十年近く授業をした。この作業には当分かかるから、前の記事に書いたメルカリ継続の希望はますます無理になった。

ところで、過去の自分との再会は有意義だ。私は今も昔も至らない奴だが、昔の私は一生懸命だった。若くて健康だったから、一生懸命にどんどん行動する元気があった。昔の閻魔帳を見ると、それがわかる。今の私は腰痛でバスに乗らないと駅まで行けなくなり、転居を控えて何でもかんでも処分するという異常事態となり、元気のかけらもない。それでも昔の閻魔帳を見ると、今の自分も頑張らなくちゃと思えてくる。

転居先探しは、次の土曜日に仲介業者へ行く。レコードプレーヤーが 売れたから、決めた通りに行動だ。



ホントは売れないの? [手記さまざま4]

メルカリ初心者の私は、色々失敗しながらも2つの品物を売った。本当に売りたかった2つの品物は売れたので、当初の予定では私はこれで終わりにして転居先探しに専念するはずだったが、ちょっと思うことがあった。最初の取引では私の失敗でメルカリに迷惑をかけたから、私は気にしている。もしも私の売り上げが多くなれば、その中からメルカリが手数料として取る分も多くなるから、メルカリに恩が返せる。それで、もう少し取引してみようかという気になった。ただし、転居に先立って自室のほとんどの物はもう捨ててしまった。売れるものは少しだけだ。イタリアのベネチア土産の壁掛け。陶器で出来ていて、ベネチアの仮面を模している。かなり、かっこいい。スーツケースに入れて日本へ持ち帰って以来、ずっとラップで包んでいたから埃が付いていないし、直射日光にも当たっていない。これは売れる。私は試しにネット検索した。すると、メルカリにベネチアの壁掛けが出品されているではないか! おお、お仲間がいたー! ところが出品から1か月経って売れていない! ガーン! 売れないの? 私は、ちょっと弱気になった。
でもまだある。西洋の教会で買ってきた巨大な聖母子ろうそく。聖母子が浮き彫りになっている。かなり大きくて存在感がある。私は、「ろうそく」でメルカリの出品を検索してみた。ろうそくは、ほとんど売れていない! ガーン! 私は、かなり弱気になってきた。
本当はまだ一応ある。置物等の豪華3点セットというのを考えた。あるいは、超人ロックの初期同人誌時代の作品をデジタルでなく紙の本で読んでみませんか、とか。でも、売れないで数か月が経つと私は困ったことになる。数か月後、私は引っ越しで大変かもしれない。たまたま今までの2品が即日に売れたから、すぐ売れるならと思って次の出品を考えたけど、世の中はそんなに甘くなかったか。そこのところを、もうちょっと考えてから出品するかどうか決めたい。


追記
直感的に思う事がある。昭和の一時期に一世を風靡したぬいぐるみなら、その時代に子供だった人はひとまず食指が動く。レコードプレーヤーは、かなり前から続いているレトロブームで、若い人が「安いなら入門機として買おう」と思う可能性はある。どちらも、日本人にとって一定の関心を集める要因があるということだ。ところがイタリアの壁掛けはイタリア旅行の経験のある人にしか興味が湧かない。聖母子ろうそくって、キリスト教徒の人には日常的に馴染みがあるだろうが、他の人にとってはただデカくて邪魔なだけかもしれない。そう考えると、日本人にとって一定の関心を集めるかもしれないのは超人ロックだけになった。私はネット検索した。ヤフオクで類似の本がいくつも出品されているが、それらすべてが入札0だった。私は完全ノックアウト状態だ。


Czur Aura Proは本来の使用目的以外でも試したい(結果) [手記さまざま4]

Czur Aura Pro付属のOCRの変換結果。

全角カッコが半角カッコになる
全角スペースが消える
半角スペースが消える
半角ハイフンが漢字の一になる
矢印がハイフンになる
矢印が漢字の一になる
全角スラッシュが半角スラッシュになる
図形で線を引いたものは点線の集合になる
Aを文字囲み線で囲ったものは、囚になる

まあ予想通りの結果ではないだろうか。完璧はありえないから、後からの修正はもちろん必要だ。失われたファイルが印刷された紙として存在するなら、それを傍らに置いてキーボードから打ち込むのとどちらが良いか。細かい所がいいかげんで良いなら、OCR結果からコピペしたほうが断然楽だ。細かい所(半角/全角の違いなど)にこだわるならば、後から一生懸命確認するのは骨が折れる。紙を見ながらキーボードから打ち込めば、その時に注意するだけで良い。私にとって一番残念だったのは、苦労して作った表が類似品としてしか再現されないことだ。あの表作りの頑張りがファイルと共に消滅したのは、今でも悔やまれる。


レコードプレーヤーのその後 [手記さまざま4]

レコードプレーヤーが、即日、すごい早さで売れた。まだ取引2件目の慣れない私は、それから相手に失礼のないようにと焦りつつ先を進めた。ヤマト運輸がプレーヤーを持って行った後、ようやく私はホッとした。1件目の取引では、私は焦りのあまり、取引相手の自己紹介や売った商品を見る余裕もなく終わってしまった。それは取引相手に悪かったなと思った。それで、今回は取引相手の自己紹介や売った商品を見に行った。それは数十点の商品を扱う達人だった。その商品の中にレコードプレーヤーがあった。私のSL-1700よりもよほど立派なプレーヤーに見え、それを売ってまでどうしてSL-1700を買ったのかなと不思議に思った。商品の説明を読むと、そのレコードプレーヤーは父親から譲り受けたもので、その人自身はレコードを聞かないと書いてあった。それで初めて、SL-1700は転売が目的なのだなと思った。前から書いていると思うが、私は商品を売って金を得たいのではない。このままでは不燃ごみや粗大ごみとして破砕処分確定の愛機に、何とかして「里親」を見つけてやりたい。だから値段は安くした。自分の愛するものを高値で売って利益を得るのは自分が許せないから。おそらくは、それが転売目的に利用されたのだろう。私はフリーマーケットの素人なので、転売という概念が頭になかった。とはいえ、私にとってはそんなに悪いことではない。なぜなら、破砕処分にならずに人手に渡ったではないか。人手に渡った後は、私に出来ることはない。それについては以前に書いたと思う。もしもお金を儲けたいという人ならば、自分に利益がなくて他人が転売して利益を得たら悔しがるだろう。でも私は、さっき書いたようにこの件で金はどうでもいい。大事なのはそこじゃない。愛機の行く末が大事なんだ。実は、愛機を一生懸命梱包したり、次の持ち主の身になって説明書きを書いたりする間、ある予感がしていた。運命の女神は皮肉屋で、一生懸命になりすぎるとうまく行かないものだ。今回私は一生懸命になりすぎている。だからきっと、何か起きるぞ。でも何が起きるんだろう。そう思っていた。それが、私の頭になかった転売という行為だったと知って、私は妙に納得した。メルカリで商品の値段を決める時、相場みたいなものが表示された。その相場が、ヤフオクでのSL-1700の相場よりもはるかに高かったから、私はどうしてこんな相場を表示するんだろうと思いつつ、それには従わなかった。今思うと、安すぎるのもそれなりに、出品者の思い通りにならない要因になりうるということか。でも、私は早く確実に売りたかったのだ。転居先探しが待っているから。まあ今回は必然的にこうなっただろう。もしも今度メルカリで出品することがあれば、その時は適正価格ということを考えようではないか。


追記
後に、取引相手から、SL-1700は自分で使うために買ったというメッセージが届いた。


レコードプレーヤー、解説紙を入れて梱包完了 [手記さまざま4]

レコードプレーヤーの梱包について。段ボール箱の中に入れる紙を1枚、作らなければならなかった。昨日は出勤途中にコンビニに寄り、pdfをプリントアウトした。こんなのだ。
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この紙には、もしも私が購入者の立場だったら必要と思われることが書いてある。

購入者が支払いを済ませた瞬間から、品物は購入者のものだ。その購入者がどのような目的で購入するかはわからない。可能性としては、機械が動く限り愛用してくれる人から、機械をバラして部品を取って捨てる人まで、あらゆる可能性がありうる。たとえ出品者にとってその品物が愛着のある物でも、出品者は購入者を選べない。品物は、購入した人のものだ。

それはそれとして、出品者は取引相手のために尽くさなければならない。購入者の目的がわからない限りは、出品者は自分にとって「想定される取引相手」を思い描いて対処するしかない。だから、そのように行動することは許される。私にとっての「想定される取引相手」は、機械をバラして部品を取って捨てる人ではない。そこで、機械が動く限り愛用してくれると仮定して、私は自分にできる限りのことをする。

品物についても、今まで私の期待を裏切ることなく動いてくれたのだから、宅配搬送後も動いてくれると信じる。

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見た目はひどいが、私が頑張って荷造りした物だ。


Czur Aura Proは本来の使用目的以外でも試したい。削除したWord文書ファイルがOCRでどこまで再現できるか [手記さまざま4]

仕事のファイルが消えた。私が誤って消したと書くべきか。私の仕事は授業なので、仕事のファイルは自作の教材だ。そのままでは使えない厄介な教科書があって、私は学生と教科書の橋渡しとしてプリントを作成している。その課はとくに教科書が使えない内容で、橋渡しのプリントは1ページ目と2ページ目に分かれた。1ページ目は作成済みで、すでに学校で人数分のコピーを終えている。今日は2ページ目を追加作成した。そして保存した。今度学校へ持って行きコピーするのは2ページ目だけで良いので、私は2ページ目だけの文書ファイルを作ろうとした。元のファイルを誤って変更しないようにコピーを作成し、それを開いて1ページ目を削除しようとした。すると、1ページ目がない。2ページ目しかない。さあそれからが大変だった。私はWordの機能で過去のバージョンが復元できないか、削除ファイル復旧ソフトで復旧できないか、学校へ持って行ったUSBメモリースティックの中にそのファイルや削除後のデータが残っていないかを調べた。しかしことごとく無駄だった。きれいさっぱり消えてしまった。1ページ目のデータが残っているのは、学校に保管中のプリント、つまり紙媒体としてだけだ。

昔は、教材は全部紙だった。来年度のために教材を捨てずに保存するのも紙束として保存した。でも今は時代が変わった。全部デジタルデータとしてパソコンのハードディスクに保存する。1枚だけ紙として保存しても使い勝手が非常に悪い。学校にスキャナがあれば画像データとしてUSBメモリースティックに入れて持ち帰るが、講師室にスキャナはない。プリントを1枚持ち帰り、家でスキャンするのが一番妥当な案だろう。その時、私は試してみたいことに気づいた。オーバーヘッドスキャナにOCRというのが付属している。これでWordドキュメントファイルに戻せないか。結果はOCRの性能次第だが。

今すぐ実験することはできない。まず学校からプリントを1枚持ち帰る。持ち帰ればOCRは試せるが、今は急ぎの用がある。レコードプレーヤーの梱包を済ませてメルカリに出品する作業だ。私がこれにかかりきりだから、転居先探しが滞り、親はイライラしているに違いない。早くレコードプレーヤーを自室から消し、次へ行くことが私の最重要課題だと、私自身も思っている。そういう事情で今日の記事は、ここまでになる。


レコードプレーヤーを梱包した [手記さまざま4]

今年は例年よりも早く梅雨入りし、乾燥した天気の良い日がいつ来るかわからない。梱包するプレーヤーに湿気を入れたくないが、明日は雨の予報、明後日は仕事。だから今日は何としてもレコードプレーヤーの梱包をあらかた済ませておきたかった。しかし運悪く昨日が一日中雨で、朝はまだ湿気がひどかった。湿気が消えたら梱包しようと思った。しかし湿気はなかなか消えず、空気がましになったのは午前11時だった。親がデイサービスから帰るまであと1時間しかない。私は、終わらないかもしれない梱包を始めることにした。

カレンダー紙で作った埃よけを取り、可燃ごみ袋で作った湿気よけを取った。この作業は、今までレコードを演奏する時に度々行ってきた。でも今回取った埃よけも湿気よけも、再びプレーヤーにかぶせることはない。

プレーヤーを持ち上げたら、予想外に重かった。それはそうだ、軽いと振動で揺れて針飛びしやすい。

プレーヤーを床に置くと、写真撮影をしたくなった。レコード音声のデジタル化をした頃からプレーヤーの写真は複数回撮っているが、いつも室内は薄暗かった。夜だったり、カーテンが閉まっていたり(レコードを出すので、むやみにカーテンを動かして埃を舞わせる気はない)、私はこのプレーヤーを明るい場所で撮影したことがなかった気がする。それに、接写するといつもごみが写った。綺麗に拭いて撮影することよりもレコードを大事に扱うことのほうを優先し、プレーヤーのごみを掃除するのはレコードを仕舞った後、プレーヤーを仕舞う時だった。これが最後の撮影チャンスだ。メルカリで買い手がついたとしても、つかなくて不用品回収に回したとしても、もう撮影はできない。私は時間がないとわかっているのに撮影せずにいられなかった。

それから私は針を交換した。レコード音声のデジタル化を始めた時、若い頃に買っておいたナガオカ製のダエン針が新品で仕舞ってあるのを発見し、それに付け替えた。しかしメルカリに出品するにあたり、ナガオカの針はナガオカの箱に戻し、シェルにはレコードプレーヤーに付いてきたテクニクス製の針を取り付けることにした。テクニクス製の針は今までナガオカの箱に入れていたので、それを取り出した。そしてびっくりした。赤い線が入っている。つまりダエン針だ。このレコードプレーヤーを買った時に付いていた針は丸針で、赤い線は入っていなかった。ということは、私はその丸針で相当な時間演奏し、その後秋葉原でテクニクス製のダエン針を買って付け替えていたのだ。ナガオカの針は、私がまだ若い頃に、手に入らなくなる前に替え針を買っておこうという意図で購入したと記憶している。テクニクス製はカートリッジへの取り付け部が銀色、ナガオカ製は金色だ。

以前に修理に出す時、私はトーンアームが固定されているので針の防護は不要だと考えそのまま送った。しかし修理から戻ってきたプレーヤーの針の周りには防護の厚紙が養生テープで取り付けられていた。今回は私もそれをした。それからターンテーブルの2箇所を養生テープで固定し、ダストカバーの2箇所を養生テープで固定した。プレーヤーの後ろから出ているコード類を輪ゴムで束ねた。プチプチを広げてその上へプレーヤーを載せて左右からプチプチを巻き付けた。そしてプレーヤーを段ボール箱に入れた。私はプレーヤーの幅が段ボールの内寸ギリギリだと思っていたが、なんと前後左右にかなりの隙間があった。上部の隙間に至っては、大きすぎる。私は箱を工作して箱の高さを相当低くしたが、それでもだ。おそらく、前後左右のゆとりと同じだけのゆとりが上下にもあり、プレーヤーは段ボール箱に入っているのだから下部の隙間はゼロ。つまり下部にあるべきゆとりも上部に来てしまったのだろう。私は前後左右の隙間に、買ったプチプチを丸めては詰めた。

この頃になると、親がデイサービスから帰る時間が迫り、私は焦った。プチプチの詰め方を撮影して記録に残す暇すらなかった。D.D.モーター軸用オイルは容器を横にすると洩れるので、ファスナー付きのビニル袋に入れた。それとナガオカ製の替え針と、ドーナツ盤アダプタをプチプチでくるくると巻いた。これを入れるような特別な場所はないが、プレーヤーの周囲の隙間をプチプチで埋めるので、プレーヤー前方中央の隙間にこれを入れ、隙間を埋めるプチプチはそこを避けて詰めた。

替え針+オイル+ドーナツ盤アダプタはプチプチで包んであるので、取引相手が気づかずに捨てかねない。そこで紙を小さく切り、それに「付属品」と書いてセロテープで貼り、取引相手が開梱した時に気づくようにした。その紙を切る時、妙に紙が湿っぽいと感じた。なんと、外は雨が降っていた。早すぎる。雨は今日の夕方ではなかったのか。とはいえ、プレーヤー本体をプチプチで包むのが、そしておそらくは付属品をプチプチで包むのも湿気が来る前に済んだので、良かった。今日は、ここまで。


滅茶苦茶に色々なことをしている [手記さまざま4]

私は滅茶苦茶な生活を送っている。病気の親が転居先探しに参戦することになった。親はまともに歩けないので話を聞きに行けないことを嘆きつつスマホで検索しているが、十年ほど前に親に地獄の三丁目を見せられた私は今の事情が丁度良い。これを読む人は「こいつは何を書いてるんだ」と思うだろうが、うちの親は、こうと決めたら他人との約束なんか無視して勝手に行動しまくる厄介な性格なのだ。それで私は過去に地獄まで追いやられた。しかしその話は昔記事にしたので、今はもう書くまい。

レコードプレーヤーの箱はひとまず昨日のままだ。上から布を掛けて埃が付かないようにしている。その布というのは、PC-9821に長年掛けていた埃よけの大きな布だ。この布がまだPC-9821に掛けられていた時、私はこの愛機が業者に買い取られると信じていたので、布を取り、業者に送る最高の写真を撮った。もちろん稼働中の写真だ。付属品が今でも揃っていることをアピールするために並べた。そして業者に送るまでの間に埃がかからないようにまた布をかぶせようとしたが、せっかく取ったので洗濯機で布を綺麗にした。私が手放すまでの間、PC-9821に綺麗な布をかけてやりたかった。そのすぐ後で買い取れないというメールが来て、私は失意のうちにPC-9821を不用品回収に出すことになり、洗濯した綺麗な布はついに再びPC-9821に掛けられることがなかった。その布が今、段ボール箱に掛かっている。

仕事が忙しくなるだけでなく、親が転居先探しに参戦することでますます用事は増えるだろう。だからレコードプレーヤーを出品するさいにアップロードする画像をこだわって撮る暇も心の余裕もない。プレーヤーの全体写真は、最後に動作確認した時に記念に撮影した動画からキャプチャした。取扱説明書は昔フラットベッドスキャンした画像を使った。付属品の写真は、今までにデジカメ撮影したものを使った。45アダプターはレコードをデジタル化した時の撮影だから、山口百恵の絶体絶命が一緒に写り込んでいるが、まあいいだろう。それから過去に修理した時の情報。可変抵抗器や電解コンデンサは、放置したまま数十年が経つと間違いなく劣化する。クリーニングしたり取り換えたりしなければならない。この手のアナログな機器は、どうしてもメンテナンスが必要だ。
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仕事はもちろんガンガンと進めている。授業時間の都合で教科書の一部を省略せねばならず、その部分をLMSのコンテンツとして公開してきたが、最後に公開したコンテンツに至っては学生が誰ひとり閲覧していないことがわかった。これはある意味ありがたい。教科書の内容を解説しながらコンテンツにして公開するには時間がかかる。学生が誰も閲覧しないなら、今後は一切やらない。いま私は大変なのだ。

私はそういう滅茶苦茶な生活を送っている。そんな中で気になってしょうがないのは、仏陀の入滅のことだ。初禅に入ってからだんだんと上がって非想非非想処までせっかく上がったのに、また降りてきて初禅に戻り、そうかと思うとまた上がって第四禅まで行き、そこで涅槃に入った。なんで色界の第四禅で?


レコードプレーヤー用の箱を作る [手記さまざま4]

ここ数日、自室の物の処分が進んでいなかった。以前は可燃ごみの日、不燃ごみの日、資源ごみの日に、私は必ず袋を持ってごみ置き場へ行ったものだ。それが今は、台所の生ごみを捨てるだけだ。これは、自室の物の処分が進んで捨てるものが少なくなったことだけが原因ではない。そしてまた、大学が学期末試験の代わりに小テストをしろと言い、沢山の小テストの採点に時間を取られることだけが原因ではない。先日、気が進まぬのを押してオーディオ買取業者に電話をかけ、案の定断られ、次の段階としてレコードプレーヤーをメルカリに出品するのだが、以前に書いたように売れない可能性があり、さらに、買取業者に断られ続けて心が弱気になり、なかなか先へ進めないのが、自室の物の処分が進まない原因だ。レコードプレーヤーが自室から無くなれば、あとは本棚等に残った物を片っ端から処分するだけだ。しかしそれをする前に、最後の大事な案件であるレコードプレーヤーを何とかしなければならない。それが遅々として進まないから、自室の整理が進まない。私は早くメルカリに出品しなければならない。

プチプチはアマゾンで注文した。次は箱作りだ。レコードプレーヤーに合う形の段ボール箱はアマゾンでなかなか見つからない。幅が合えば奥行きが足りない。そして高さはやたらと余る。たったひとつ、幅と奥行きがプレーヤーの入る段ボール箱を見つけた。しかし幅と奥行きに見合う高さもあり、つまりは巨大で、無駄に高価だ。私は、段ボールを買うのでなく、家中を探して、使える段ボール箱を見つけることにした。「備長炭カーペ」の外箱が使えそうだった。外寸が幅50cm、奥行き25cm、高さ50cm。これを横に倒せば、幅50cm、奥行き50cm、高さ25cmになる。レコードプレーヤーは幅46cm、奥行き40cm、高さ13cmだ。箱の高さが無駄に高いが、このままでもプレーヤーを入れられる。らくらくメルカリ便を使わないならば、やることが沢山ある私はそうしただろう。しかし、マイナンバーカードを作っていない私は本人確認ができず、らくらくメルカリ便以外が使えない。そしてらくらくメルカリ便は送料込みで品物の値段を設定する必要がある。このままでは箱のサイズが無駄に大きく、送料が無駄に高くなる。高い品物は売れない。だから私はこの段ボール箱を改造して、レコードプレーヤーがぴったり収まるサイズにしなければならない。

私は巻き尺、鉛筆、カッターナイフ、定規がわりの棒、鋏、包丁を持ってきて、箱をどのように切り開くか、どこを切り、どこを切らず、どこを折るかを考えた。そして正確に測ればそれに見合う結果が出ると信じて、測り、線を引き、切った。大学で各クラスに何回も小テストを課さねばならぬ今、こんな工作をしている暇はない。しかしそれでも、やらねばならない。自分の愛するレコードプレーヤーのために。それを買ってくれる取引相手のために。
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今日は、箱の工作を大体終え、蓋を閉じた時に左右ぴったり合うように切る作業を残して終わった。
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段ボールを裏返しにせずそのまま使うのは、ある谷折り部分に段ボールの糊付け部を発見し、裏返すとこれが山折りになり、引っ張られる力で万一糊付けがはがれたり、はがれなくても集荷時のサイズ計測で出っ張った糊付け部が災いして120サイズに収まらなくなることを恐れたから。


次はメルカリだが、売れるかどうかは不明 [手記さまざま4]

E店にオーディオ機器を買い取らせることができなかったので、私が次にすべきことは、レコードプレーヤーをメルカリに出品することだ。最初に出品したものはすぐ売れたが、今度はそうとは限らない。なぜなら、最初に出品したものは安かった。でも今度は、価格を高く設定しなければならないからだ。最初の出品で、私はらくらくメルカリ便のしくみを理解していなかった。梱包発送たのメル便の送料が販売利益から差し引かれるのは読んだが、らくらくメルカリ便も同じしくみだと気づかず、自分がヤマト運輸に送料を支払うと思い込んでいた。だから品物の価格をとても安くしてしまい、メルカリに迷惑をかけた。前回の品物が即座に売れたのは、その安さのせいだ。私はもちろん同じ失敗を二度としない。今度はあらかじめレコードプレーヤーを入れる箱のサイズを測り、送料と集荷代金を求め、レコードプレーヤーの価格はそれ以上に設定する。だから、売れるかどうかはわからない。

まずは、アマゾンで梱包用プチプチを買うことから始めよう。私は金を得るのが目的でなく、レコードプレーヤーに「長生き」してもらうのが目的だから、プチプチ等の費用は私の損で構わない。


「もう一度読んでみる」サイトの完結に祝辞を [手記さまざま4]

「もう一度読んでみる」というサイトがある。子供の頃に親しんだ本を処分するにあたり、もう一度読んで感想文を書くという作業を、2017年から今までに百冊以上の本について行ったサイトだ。このサイトが先日、百冊以上の本を読み終え、感想文を書き終えて、その目的を完遂した。サイトの管理人にしてすべての本を読み感想を綴ったsacoramaさんは、目的を完遂したこのサイトの更新がこれで終わることを惜しむのでなく、大願成就して目的を終えたことを大変満足していらっしゃる。私も祝いの言葉を贈りたい。sacoramaさん、おめでとうございます。

私は「もう一度読んでみる」を訪れて、自分には真似ができないと思ったことがいくつもある。

このサイトの感想文は、ひとつひとつ丁寧に推敲され、読む人に向けて語りかけているように思える。私も15年以上前にはそういうホームページを作ろうとした時があったが、ホームページサービスそのものの終了で移転を余儀なくされた時から急速に気持ちが落ち込み、消滅した。今の私のブログはそのホームページと並行して立ち上げたもので、その真逆の試み、つまり「サイトを精巧に作り上げるのでなく、日々思う事をぶっちゃけて書いたらどうなるんだろう」という実験だった。当然、ブログ記事にまとまりはなく、ぶっちゃけたり、はっちゃけたりという有様だが、何の因果かそっちのほうが生き残った。テーマと目的を決めてこだわったホームページのほうが、消えてしまった。それだけ、ひとつのサイトを一定の目的で更新し続けるのはパワーが要るということだ。パワーを消費して頑張って、一定の目的で作り上げた「もう一度読んでみる」は、見ているだけで何か、とても美しいと思えてくる。

「もう一度読んでみる」の感想文から教わったのは、時間の使い方だ。私が日々の不安や嘆きを無限にブログ記事にしている間に、「もう一度読んでみる」サイトでは、私が記事を出す頻度の15分の1から30分の1の頻度でゆっくりと記事が出て、出るたびにその記事はすごく丁寧だった。私は、自分のやり方で良いと思ってはいない。私のやり方では、記事が自分の糧にも業績にも思い出にもならない。十年以上前に、ある人間にひどく傷つけられた時から、私の精神は何か悪い方へと変わってしまったようだ。その直後に大地震もあり、それからリストラもあり、悪いことが続くうちに私は駄目になってしまった。もしも十年前から今までの間にsacoramaさんのように明確な目的を掲げてコツコツと励んでいたら、今ごろは何か立派なものが出来ていたに違いない。しかし私はそういう時間の使い方ができなかった。今もそうだ。転居と、それに伴う大事な物の処分に毎日心を揺さぶられている。そして多分、「転居さえ終われば自分は変わる」と思うのは間違いだろう。sacoramaさんだって人生には色々おありのはず。それでも本を読み続け、感想文を書き続けた。「いつか」ではなく、「いま」私は何か目的を掲げなければいけない。そこまでは、わかっている。そこまでは・・・。

「もう一度読んでみる」を訪れて、自分には真似ができないと思ったことをもうひとつ挙げたい。それは、人脈だ。私はもともと対人恐怖症だ。それでも友達はいた。でも職場にリストラされた時、それが続けられなくなった。人と会って外食する金がない。たとえ会っても、「今どうしてる?」と必ず聞かれる。みじめな思いをするのはわかっている。だから私のほうから切った。sacoramaさんは何人もの絵描きさんとお知り合いだ。そして記事の絵を描いてもらっている。これがどれほどすごいことかは、私にだってわかるつもりだ。世の中に疎い私でも、棚ぼた的に他人が自分に何かしてくれるとは思わない。まず自分が相手に誠意を尽くす。それで相手との仲がどうなるかは神のみぞ知る。縁があれば友達になれる。いつも相手のことを大事にしなければいけない。口で言うのは簡単だが意見の相違もあれば仲たがいもある。それで縁が終わることもある。ようするに、対人恐怖症の私には、何人もの人に絵を描いてもらうsacoramaさんの真似ができない。

いけない、私のブログの悪い所がまた出たようだ。いつのまにか、ぶっちゃけた話になってきた。私はそろそろこのブログをやめて、別のコンセプトで(ぶっちゃけない形で)ネットに再登場したほうが良いのだろう。

まとめると、私は「もう一度読んでみる」を訪れて、自分には真似ができないと思ったことがいくつもあり、sacoramaさんはすごい人だと思っている。「もう一度読んでみる」はすごいサイトだと思っている。だから、「もう一度読んでみる」サイトは、完結したこれからも存続させて、できるだけ長く消さないでいてほしい。


オーディオ買取の話の続き。E店 [手記さまざま4]

いまE店に電話をしたところだ。状態を見て買い取る、つまり私が店に持って行く感じの話で始まった。私は腰痛で車もなく持ってゆけず、出張買い取りをお願いしたいと申し出た。先方は、出張買い取りは大型の物に限らせてもらっていると言った。私は、スピーカーがフロア型でひとつ20kgあり、それが2つなので大型と言えば大型と告げた。先方はスピーカーとレコードプレーヤーの型番を聞いてきた。ハイフンの有無を確かめたので、おそらくパソコンのデータベースに情報が入っているのだろう。識者に聞くならハイフンは些事だから。暫くして、出張買い取りはできないと告げられた。私としては予想通りなので、何も違和感はない。電話本番でなく、電話までの日々に、断られることと、ひょっとして買い取ってもらえるかもしれないということを交互に思いつつ暮らすのが辛かった。それでも自分のスピーカーのために、ここまでは頑張らねばならなかった。この電話をかけなければ、後で私は思い出す度に後悔することになるから。


本当は休息が欲しい [手記さまざま4]

事の起こりは去年の6月。その時まだ歩けていた親が路上で突然転んだ。本人も何が何だかわからなかった。でもそれが脊柱管狭窄症の始まりだった。その後どんどん悪くなり、親は要介護1になった。私は仕事のかたわら親の世話をせねばならないと思った。そこへ今年2月、隣人の叔父が急死した。私たちが住んでいる家は一種の集合住宅で、「土地売りたい派」と「住み続けたい派」の力の均衡の要がこの叔父だった。私は仕事と親の世話と転居先探しと自室の大事な物の処分を同時にやることになり、それはどう考えても無理だった。何かが疎かになる。そんな中でのメルカリ取引は、明らかに無茶だ。こういうフリマは時間もお金も気力もある人が楽しみながら取引するものだ。私には時間もお金も気力もないが、大事な物をごみとして焼却処分や破砕処分されないために頑張らねばならない。でも本当はとっくに疲れ切っている。休息が欲しい。

実は、以前にレコードプレーヤーを業者に買い取らせることを考えた時の候補があと一件残っている。床屋さんから勧められたE店だ。でも私は嫌な予感しかしない。業者の買取り基準は大体同じだろう。営利企業だから損をするわけに行かない。何でも買い取るわけではない。また断られるのかと思うと辛い。以前にPC-98とレコードプレーヤーを断られ、大事なPC-98をごみとして出さなければならなかった時から、私の気力はゼロなんだ。本当は電話なんかかけたくない。でも、処分確定と思っていたスピーカーを救えるかもしれない。E店は要修理の物品も修理費差し引きで買い取ってくれるという。私のスピーカーは長年の間に可変抵抗器のクリーニングと電解コンデンサの取り換えが必要と思われる。このスピーカーを救う道はもうE店しかない。だから理性的に考えれば、まずE店で交渉し、そこで断られてからレコードプレーヤーだけをメルカリに出すことになる。私にはそんな気力はもうとっくにないのに。

E店の買取り申し込み日は毎月1日だそうだ。明日がその日だ。


メルカリ個人的備忘録 [手記さまざま4]

取引相手に対する評価のコメントは自分の表示画面で後から参照できないんだな。てっきり、それ以前のメッセージのやりとりと同様に参照できると思っていた。慣れてる皆さんは定型文的な文章になるかもしれないが、私はなにせ初めてだから、もうめっちゃオリジナルな表現でこだわりまくって評価して送信した。後から自分でも読み返したくなったが、もうどこにも見当たらない。お互いの最終的な感謝や ご挨拶は、評価の直前にメッセージとして送信しておくほうが良かったか。


それでもメルカリで出品開始/早速何か やっちまった [手記さまざま4]

もうじき6月になってしまう。私はどんどん動かなければならない。「これで良いのだろうか」と悩みながらメルカリにアカウントを作り、1つ目の品物の解説文を書き写真を撮り、出品した。もし売れたらどう行動すべきか、まだわかっていない部分がある。売れないまま転居先が決まれば、出品を取り消して可燃ごみとして処分する。まずはこのまま試し、慣れてからレコードプレーヤーの出品をしよう。


追伸
早速何か やっちまった

品物が売れた。すごい早さで売れた。

ヤマト運輸に集荷をお願いした。すごい早さでヤマト運輸が来た。

そこまでは良かった。落ち着いた後で、気づいたことがある。私は自分が儲けを必要としないから1円でも良かったが、メルカリは最低価格300円だから300円にした。ところで、らくらくメルカリ便の送料は販売利益から差し引かれる仕組みだという。だから私は思った。300円ではとても送料に足りないから、未払い分を何とかしてメルカリに支払わねばならない。それで支払い方法を調べた。それが載っていないかわりに、こんな記述を見つけた。

※商品のサイズに合わせて、適切な商品価格の設定をお願いします
※送料が商品価格よりも著しく高い場合は、警告や制限の対象となる場合があります

そんなの知らんよ。私は送料出品者負担だから、私が払えばいいと思っていた。警告や制限になってしまうよ。


メルカリは私にとってなんでこんなにハードルが高いのか [手記さまざま4]

前回までの記事の続き。損をしても確実に売りたい私は、梱包発送たのメル便で品物の金額に送料が加算されてしまうのを悩んだ。結局、全部自分の思い通りには行かないと納得し、品物が高くなってもメルカリで売ろうと考えた。寝ていてもそんなことを考えるから、まだ暗いうちに目が覚めてもう眠れない。それでメルカリに登録してアカウントを作った。本人確認というのがあるので、それを済ませようとした。そうしたら、マイナンバーカードか運転免許証かパスポートか在留カードが必要だという。私はどれも持っていない。今日中に商品の写真も撮ってガンガン先へ進まねば、私にはもう時間がないと思っているのに、どうしてこんなに目の前にハードルが出てくるんだろう。私は、子供の頃から大事にしてきた物を転居で手放さなければならなくなり、一生懸命「里親」を探しているだけだ。もしもゴミとして出せば、自分の大事なものが確実に焼却されたり破砕されたりする。それが嫌だから頑張っている。どうして社会はそれを邪魔するんだろう。

さらに調べたら、本人確認なしで品物を売っている人もいる。ここまで色々なハードルが目の前に現れると、これでうまく行くとも思えないが、とにかく本人確認なしで進めてみるか。


オークションやフリマは手間がかかりすぎる、時間切れ間近 [手記さまざま4]

再度メルカリのサイトへ行き、レコードプレーヤーがらくらくメルカリ便で発送されていることを知った。私は何か間違えたのだろうか。その一方で、アマゾンで段ボール箱を探してもなかなかレコードプレーヤーに合うものがない。幅が十分でも奥行きがない。毎日の仕事が大変でレコードプレーヤーのほうが進まない。そのくせ毎晩私はレコードプレーヤーを梱包している夢を見る。よろしくない。もう転居先を決めねばならない。時間切れ間近だ。

オークションやフリマは転居を控えた私には手間がかかりすぎるとわかっていたので、業者に買い取ってもらいたかった。でも業者は相手にしてくれなかった。


メルカリも匿名配送には一定の条件があった [手記さまざま4]

前回の記事の続き。私は集配と匿名配送が両方ともできるメルカリを使おうとした。

ところが、メルカリならば、らくらくメルカリ便で匿名配送できると思っていたのに、らくらくメルカリ便というのは郵便受けに入るサイズの荷物にしか使えない。

梱包発送たのメル便というのもあり、これも匿名配送できる。ところがこれは、品物の金額に送料が加算されてしまう。損をして確実に売ろうとしている私には使えない。

難しいなあ。どうしても匿名配送ができないならば、ヤフオクに戻るかもしれない。


ヤフオクを使いたいが初心者には悩みが多い [手記さまざま4]

私の自室に、このままだと転居に伴いごみとなる大きな物が2つある。私はできればこの2つをごみとして処分したくない。しかし業者の買取りは望めそうにない。

もしも私がこの2つをごみにしないならば、ヤフーオークション等で自分で売ろうとしなければならない。正直なところ、小銭を稼ぐのが目的でなく、2つの物の「里親」を見つけるのが目的なので、金銭的には始めから損をするつもりでいる。

ネット検索して、メルカリとヤフオクを知った。売りたい物のうち1つがレコードプレーヤーなので、ヤフオクのほうが適していると判断した。

Yahoo JAPAN IDは、ずいぶん昔に必要があって取得した。ヤフオクのサイトへ行った。ところが、ここからが悩んだ。

私は、ふたつのことを何とかしなければならない。配送と、決済。

まず配送は、私が「おてがる配送」を使えないのが悩みだ。なぜ「おてがる配送」を使えないかというと、集荷してもらえないからだ。売りたい物2つのうち、とくにレコードプレーヤーを私は郵便局まで持って行けない。私は腰痛持ちで、しかも車を持っていない。だから集荷が必要で、「おてがる配送」は使えない。でも「おてがる配送」にしないと、「匿名配送」が使えない。これは入札者にとっては、入札を渋る理由となる。それで私は悩んでいる。でも、ヤフオクを使うならば、私はどうしても「おてがる配送」以外にするしかない。

次に決済。ヤフオクは「かんたん決済」を利用しなければならない。それはわかったのだが、説明が複雑で中身をいまだに理解していない。別の所でYahoo!ウォレットの登録というのが出てきたが、これと「かんたん決済」は同じものなのか、別なのか。

どちらの悩みも致命的ではなく、とにかくやってみるしかないだろう。ただ、最初は簡単そうに書かれていたから「ホントかな」と思いつつ始めたら、私にとっては簡単じゃなくて悩んでいる。

ここから先は、品物の写真を撮ること、適切なサイズの段ボール箱を調達すること、品物を梱包することを優先させたほうが良いのだろうか。先へ進もうとすれば、すぐに写真のアップロード等を求められるから。若い人にはたぶん楽しいことなのだろうが、私にはハードルが高い。「ヤフオクを使うために何か登録する必要があるのならば、今日中に登録を終わらせてしまうぞ!」と思って始めたのに、上に書いたようにいまだに悩んでいる。


追伸
上の文章を書いた後も、私は調査を続けた。メルカリならば、「らくらくメルカリ便」で集荷依頼が可能で匿名配送だ。私の場合、こちらのほうが悩みが少ない。ただ、ネット上の情報ではメルカリの利用者は女性が多いと書かれていて、私の売ろうとしている物が果たして売れるだろうかという根本的な心配は残る。


深窓の佳人ならぬ深窓の図書室に寿命が来た [手記さまざま4]

私は若くてまだ体が動いた時、一回に数十万円という大金をかけて外国へ行き、その都度一か月滞在した。そんな無茶をしたのには理由があるが、それは今回の話でないので省略したい。

外国で体験したことを私は逐一メモした。決して忘れず、大学院や学会の精神異常者達に潰されないようになるために。外国で沢山のものを買い、高い郵送料を払って日本の自宅へ送った。

それから数十年が経った。大学院は潰れた。あたりまえだ、あんなだったから。学会が変わるにはまだ数十年を要するが、それでも確実に新風は入った。

そして私は家を追い出される。過去に体験したこと、買ってきたものが成功したか否かに関係なく、私はあらるゆものを処分してウサギ小屋サイズの新居へ転居しなければならない。

今日は戸棚を開け、昔外国で体験したことをメモしたノート、買ってきた膨大な量の専門的な冊子、持ち帰ってきた紙類を入れたバインダー、外国人の友人から譲り受けた国旗を取り出した。そして可燃ごみ袋へ入れた。

ノートも冊子も、とてもきちんと包まれていた。大きさの同じものを重ね、空気が入らないようにぴったりとビニルを密着させて封をし、収納場所に隙間なく入るように包みの向きを選んでぴったりと入れていた。見ているだけで清々しい。ここまで気を遣っているから、今まであらゆることがうまく行ったのだな。それが、PC-9821Ct16を不用品回収に出した時と同じく、ごみとして扱った瞬間に不思議なほど一瞬でごみの様相になった。ごみとして可燃ごみ袋へ入れたとたんに曲がり、一瞬でごみという感じになった。家を出て行かねばならなくなった時点で、大事にしてきた物たちに「寿命」が来たのだろう。


Czur Aura Pro白い紙捧げ持ち作戦 [手記さまざま4]

このオーバーヘッドスキャナが機器以外の光源に影響されると知ったのは、もうずっと前だ。最初は天窓から入ってくる朝日。スキャン画像が赤っぽくなる。次は背後から来る朝日が私の左脇から漏れて差し込む時。画像の左下だけが赤っぽくなる。光源だけでなく反射光にも影響されると気づくには、さらに時間がかかった。サイドライトでスキャンすると、なぜか画像の左下だけが暗くなる。ライトからの距離が同じならば、右下も同様に暗くなるはずなのに。先日やっと、これのからくりがわかった。私の机の右側にはタワー型のパソコンがある。その側面は光沢のある白だ。いっぽう左側は、ディスプレイがある。正面にスキャナを置いたらディスプレイが置けなくて、左脇に斜めに置いた。ディスプレイは液晶バックライトで光るが、スキャン中は専用ソフトのプレビュー画面だ。プレビュー画面には専用マットの黒が映っているから暗い。光はほとんど出ていない。だからスキャンすると左側は暗く、右側はサイドライトがパソコンに反射して明るい。ここまで知った時、光源や反射面に影響されるという欠点を逆に積極的に利用してやろうと思った。
大判のスキャン対象をスキャンする時、サイドライトの反対側、つまり私の手前側に光が届きにくい。そこで私は白い紙を捧げ持ってフットスイッチを踏んだ。鏡ならばもっとサイドライトを反射するだろうが、手元に鏡がない。もし鏡があっても、それはスキャン対象の左端から右端まで達する大きさでなければならない。紙ならば手軽だ。A3紙ならばスキャン対象の幅をカバーできる。捧げ持ち方は、紙を垂直に垂らすのではない。サイドライトを反射した光がスキャン対象の手前端を照らすには、紙の下辺は机の端で固定しつつ、紙の上辺を両手で持って、紙を向こう側いっぱいに傾ける。傾けすぎるとスキャナのカメラに紙の端が映るが、そうならないギリギリまで傾ける。傾けながらプレビュー画面を見ると、スキャン対象の手前端がほんのりと明るくなる時がある。その状態でフットスイッチを踏む。ほんのりとでも、紙を捧げ持つのと持たないのとではスキャン結果が違う。


飲酒時記事 一日だけの野良犬黒吉祭り [手記さまざま4]

今夜は祭りだ!みんなで楽しもう。さあいらっしゃい!綿飴も金魚すくいも射的もないが、野良犬黒吉がいるよ。前線で活躍していた時代の全十一巻。全巻布表紙で箱入りだ。お代はいらない。

でも祭りの屋台は高級じゃないよ。某オーバーヘッドスキャナでスキャンしたから画質最低、歪み最低、まあギリギリ中身は読めるって所だ。高級レストラン並みの質がお好みならばメルカリかヤフオクへ行ってくれ。

アーカイブファイルzipの中に「スマホ写真」ってのがあるのはね、某オーバーヘッドスキャナの色が時々スキャン元と少し違うんで、日陰で撮ったスマホ写真も捨てられないってことなんだ。スマホ写真のほうが元の感じが良く出ている。

アップロード先はあんまり長期間保存できないよ。もっと長期間保存できるサイトもあるのだろうけど、それを探す暇がないんだ。私は今、仕事の合間に転居先探しと自室整理をやるという、とんでもない事情なんで、今日だけ特別に休息日。私にとっても今日一日だけの休みだから、ダウンロードする方も、今日一日の祭りだと思って、たまたま見つけた方だけが見てくだせぇ。


アップロード先のサイト
https://f.up300.net/7a86106b2978720e98c432b37ab279de/


EXPO'70の記念切手は売らないで終わった [手記さまざま4]

先日古銭の買取りに業者が来た時に、他には何かないですかという話になり、大阪万博1970の記念切手があるはずと探したが出て来なかった。その切手が今になって引き出しの中から出てきた。
stamps1970.jpg
買取りの時に見つからなかったのは何かの縁だろう。これはもう手放すのをやめて、転居先へ持って行こう。それに、切手収集家は昔に比べて減り、切手は高く売れないとネットに書いてあった。思い出を二足三文で手放すものではない。


Czur Aura Pro現在スキャン画像1枚が2円未満 [手記さまざま4]

4月に記事にしようと思ってから、何の因果か書こうとするたびに忙しくなり書けなかったが、Czur Aura Proでスキャンに成功した画像数が27,000枚を越えた。このスキャナの価格が4万数千円だったから、現在1枚2円未満の計算だ。私の目標は1枚1円になるまで使うこと。つまり4万数千枚のスキャンをすることだ。

天袋の本はもう全部スキャンし、それで27,000枚に達したのだが、今は戸棚の仏教経典(大乗小乗色々ある)をスキャン中だ。それが終わったら、今までの授業記録をスキャンする。授業記録は教え子との思い出だ。良いことも悪いことも、みな受け入れて生きなければならない。転居を口実にみんな捨てて忘れるのは駄目だ。

Czur Aura Proはスキャナだが、スキャナ以外の使い方もある。卓上ライトになる。この卓上ライト機能はネットで「使えない」と批判されていて、私も最初はそう思っていた。しかし私の生活環境が悪くなり、「使えない」卓上ライトでも重宝するようになった。

私の部屋は日当たりが良い。ところがそれが災いして、カーテンを閉めても眩しい。部屋中がものすごい間接光に満たされ、午前中はとても部屋にいられない。しかしこれでは仕事が出来ない。そこで私は雨戸を3分の2ほど閉め、ずっと後ろのほうからだけ光が来るようにした。これで、天気の良い日は丁度良い明るさになる。ところが、曇りや雨の日は部屋が真っ暗だ。昼間から蛍光灯を点けっぱなしという不経済なことはしたくない。そこで、机の上だけをCzur Aura Proで照らす。光量調節で暗くする。私にはそれで丁度いい。

こうして私はCzur Aura Proをスキャナ以外の用途でも使うので、それを加味すれば現在1枚2円未満というのは、さらに1枚1円に近づく。


別の話になるが、記事を分けるほどでないのでついでに書かせてほしい。
先日、パソコンにスマホをUSB接続してのテザリング回数が800回を超えた。これは使える機能だ。とくにWi-FiにZeus WiFiを選んだ私はその仕様により、接続を開始してから使えるようになるまでに数分かかる(常時接続でなく使う時に接続を開始するから)。急ぎのネット接続はUSBテザリングだ。そして大量ダウンロードにはZeus WiFiのほうが適している。
network800.png


レコードプレーヤー買取りは無理っぽい [手記さまざま4]

古銭の買取り業者が来た。古銭は思った通り、たいした買取り金額にならなかった。明治の銀貨ですら、多く出回っているのでプレミアが付かないのだそうだ。百円札の束、沖縄博記念コイン、つくば博記念コイン、天皇在位コイン、内閣云々コイン等は買取りでなく、銀行で口座に入金して使いやすい金に換えることになった。大阪万博1000円はわずかな上乗せ金が付いて買い取られた。過去に古銭ブームがあった時は大々的にその価値が宣伝されたが、今は古銭マニア自体が少ないのだそうだ。

色々話をする中で、オーディオ関係も取り扱うという意外な言葉が出た。それで私は一縷の望みをかけて、SL-1700とSB-5300を見てもらった。プレーヤーは今年4月に動作確認をし、スピーカーはコーンに傷はないと説明した。が、相手の第一声は「他にはありませんか」だった。これだけでは買取り不可だそうだ。しかしアンプとカセットデッキは不用品回収に出してしまったし、レコードは売ってしまった。他にない。D店に続き、この業者も駄目だった。こういう買取業者の判断基準として、SL-1700単体やスピーカーが付くだけでは駄目なのかもしれない。その時に、私が気になっていたことを聞いてみた。このスピーカーはフロア型で大きくて重いから買取りが駄目なのですか、と。そういう事ではないそうだ。

床屋さんは情報屋さん [手記さまざま4]

最近は仕事の合間に転居に向けて自室の物の処分をし、転居先の物件も調べるという忙しさで、散髪が遅れに遅れた。でもいいかげんに髪を切らなければならない。行きつけの床屋へ行った。この床屋のことは以前にも記事に書いた。店内にビートルズをはじめとする昔の洋楽が流れる、若い人が一人で切り盛りしている店だ。

椅子に座ってすぐに、良いことを思いついた。床屋さんといえば、多くの人と接する職業だ。お客から色々な話を聞く。そこで、処分に困っている物品の話をしてみた。私が昔外国で買ってきた高価で巨大な土産物については、メルカリを提案された。私のほうでもヤフオクというのを見つけて調べたという話をした。床屋さんが言うには、こういうオークションは品物の梱包、発送、落札相手とのやりとりと、やることが沢山あるのが大変だという。私もそれは気にしていた。仕事の合間に転居に向けて自室を整理し物件を調べている私に、そんな暇はない。

話はレコードプレーヤーに移った。SL-1700がD店で買取品リストから除外されていたと私が話すと、床屋さんが言うには、E店ならば買い取らないことはないと思いますよ、とのことだ。私は帰宅してすぐに、そのE店をネット検索した。D店がオーディオ専門なのにたいして、E店はもっと緩く広範囲に扱っている。各地に店舗があり、どうやら総合窓口のあるD店と違って、Eではまず最寄りの店舗を見つけて、その店との交渉になる。ということは、日本中の人がネット検索して私のSL-1700を見つけるのでなく、この近所の人が店に行って見つけるだけなのか。私は、全国規模で人がネットを介して見るDだと有難かった。私が何を残念がっているかというと、SL-1700は私が子供の頃に手に入れた機械だから相当古い。一度専門家に整備してもらって以来、常に私の期待を裏切らずに動いてきたが、いつ壊れても文句は言えない古さだ。いっぽう店にたまたま行ってたまたま私の機械を見る人は、これからガンガン使ってやろうという気でいるだろう。そしておそらくSL-1700のことは知らず、値段等を目安に買うだろう。私はそれを心配している。昔SL-1700を持っていた人が懐かしむには、私の機械は最適だ。まだとりあえず動く。マニュアルや付属品も揃っている。時々昔を懐かしんで動かしてみるには丁度いい。しかし、日常的に酷使すると、いつまで持つだろうか。でも、仕方がないのだろうなあ。誰に売り、誰の手に渡ろうと、私の手を離れた時点で全ては私の思い通りにならない。私はそれを認識すべきだろう。


DVDを処分する [手記さまざま4]

DVD-Videoは戸棚から出して以来、処分が後回しになっていたが、自室のものは早く片付けたほうが転居に向けて吹っ切れるので、昨日買い取り店を探し、今日箱詰めして申し込みフォームに記入し送信した。こう書くと何の問題もないみたいに感じられるだろうが、実際には変な夢を見て真夜中に目が覚め、もう寝られず、真夜中に買い取り店を探した。自分の大事なものを処分し続けている今、精神は不安定だ。


レコード買い取りの意外すぎる結末 [手記さまざま4]

以前の記事に書いたが、私は長年埃も付かないように綺麗に保存してきたPC-98と、満を持して査定に出したレコードプレーヤーSL-1700が両方とも買い取りを拒まれ、社会の厳しさを知った。それだけでなく、すでに査定に出していたレコードに値が付かずに送り返されると思い、恐怖した。だって、あんなに綺麗に保存したPC-98や、完動品のSL-1700ですら拒まれる厳しさだ。それに対してレコードはジャケットにシミが付き、私は査定に出すのを諦めていたのを、つい魔が差して出してしまったんだ。毎日世の中の厳しさを考えるうちに、私は心が疲れ果ててしまった。

そして今日、買い取り先からメールで返事が来た。私は冒頭の挨拶文を読みながら思った。値がつかないで返送だろうか。それでいいや。もう疲れた。そして先を読んだ。

金額  61,559 円

・・・?
・・・?
何の間違いだ?
シミの付いたジャケットに値が付いたのか? いや、そうではあるまい。一緒に送ったCDの価値が認められたのか。でもやがて私は、事の不気味さに気づいた。一桁多い。いかにUltimaThuleと風船付きElectronic Meditationといえども、私が査定に出したのは後年にCDとして売られた、いわばイミテーションだ。オリジナル(レコード)ではない。値が付いたとしても、せいぜい上記金額の10分の1だろう。ではこの不気味な金額は何だ。私は査定の明細を不要と申告した。自分が大事にしてきたレコードに二足三文の値が付くのを見たくなかったから。明細がないので、何に高値が付いたのかは不明だ。レコードの中にピクチャー盤とポスタージャケット盤があった。これらは湿気取り漏水事件の後に買ったのでシミ被害も免れている。初期タンジェリンが好きな私は興味のない後年のものだが、これにプレミアが付いたのかもしれない。


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