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前期授業は何とか終えたが、異常な疲れ [手記さまざま4]

今年の疲労は異常だ。私がという意味だけでなく、学生も疲れているようだ。

まず私は、ギリギリの健康状態で前期授業を終えた。これよりも体調が悪かったら、どうなっていたかわからない。自分がギリギリの状態なので、学生の気持ちを考えて成績を甘くしてやる余裕は全くなかった。成績を何とか出すので精一杯だった。

学生はというと、前期最終日まで休みが多いままだった。出席する学生も大半は元気がなかった。

こうして前期授業は終えたが、私は今も心身ともに辛い。いつ元気になれるのかわからない。今年は厳しい。


植木鉢の土に大きな穴 [手記さまざま4]

個人的な事件が起きた。朝起きて見たら、サボテンの10号鉢に入れた土に大きな穴があいていた。このサボテンは(私の年齢マイナス数年)ほど生きているが、こんなことは数十年来初めてだ。気づいたのは、鉢の向こう側に土が少し落ちていたからだ。私は昨日、ベランダの掃除をしてごみを掃いた。だから今朝土が落ちているのは不自然だった。そして鉢土の穴を見つけた。

指数本が入る穴だが、人間が掘った可能性は低いと考え、私は動物を疑った。考えられるのは、まず猫だ。カラスもいたずらをする動物だが、ベランダの隅で軒下という場所に来るのはカラスらしくない。私は土を触ってその臭いをかいだ。猫ならオシッコをしているかもしれない。猫のオシッコの臭いはなかった。

猫が前足で掘ったのなら、掘った土は手前側に盛り土になる。ところがこの穴は、向こう側に盛り土が出来ていた。盛り土の向こう側は子サボが出ていて、そちら側から猫は前足を突っ込めない。掘った穴の向こう側に盛り土だ。その点では、何かの動物が潜った可能性がある。指を突っ込んでみた感じでは動物は見つからなかった。

普通ならばサボを鉢から抜いて確かめるべきだが、第一に私はこれから仕事に行く。第二に転居を控えていて、いまサボを弱らせたくない。

とにかく仕事前に記録だけでもしておきたかった。

脊柱管狭窄症を体操で治す本(2) [手記さまざま4]

このテーマの最初の記事は、今年の3月26日だ。

https://blueclouds.blog.ss-blog.jp/2022-03-26

私の親がある本を買い、その本のレビューに、半年かかって完治したと書いてあった。まだレビューは1つしかなく、複数のレビューがあればなお良いだろうと私は考えた。それを思い立った時の記事が、3月26日の記事だ。

今は7月25日で、まだ半年経っていないが、途中経過を記したい。

私の親は毎日体操をしており、残念ながら改善しない。正確には、動きの良い日と動くのが辛い日を不規則に繰り返し、全体として見ると良くなったとは思えない。ここ数日は痛みがひどくて落ち込んでいる。

この記録は、途中経過に過ぎない。半年経つ頃には私の転居先候補のひとつがリフォームを終え、私の周囲は慌ただしくなり、私の精神状態もどうなるかわからない。だから、冷静に記事を書ける今のうちに経過を記録しておこうと思った。


自宅整理は順調/さらば二千円札 [手記さまざま4]

ごみ出しの帰りに、郵便受けの中に不要品回収のチラシを見つけた。8月には来て欲しいと思っていたが、予想よりも早かった。いつもの業者のチラシでないので、予想よりも早く来たのはそのせいだろう。

今日は早めに家を出て、コンビニで不燃ごみ袋と粗大ごみ用シールを買おうとした。コンビニに可燃ごみ袋は沢山並んでいたが、不燃ごみ袋は見つからなかった。コンビニはスーパーと違って売れ筋の物しか置かないから、無いかもしれないとは思っていた。念のためにカウンターで聞いたが、やはり置いていないと言う。不燃ごみ袋はスーパーで買うことにし、粗大ごみ用のシールだけを買った。財布の中には千円札でなく二千円札が入っていた。二千円札が出回った当時、ピン札を2枚手に入れて、祖母の代から受け継いできた紙幣コレクション用に大事に取っておいたものだ。転居に際して自室の物を何でも処分し、祖母の代から受け継いできたコレクションもお金として消費することとなった。人生は無情だ。とはいえ、最後に、大学生のバイトらしい年格好の店員さんが「生まれて初めて見ました」と喜んでくれたので、それで良いことにしよう。

今日は不燃ごみ袋と粗大ごみ用シールを購入した上に、不要品回収のチラシが来て、すべての処分の目処が立った。順調だ。


通風の予感 [手記さまざま4]

パソコンの前に数時間座って、足がむくんだ。これ自体は通風発作ではない。しかし、以前に通風発作を起こした時も、椅子に座ると足がむくんだ。通風を治療すると、むくまなくなった。一過性のむくみではない。むくんでから二、三日になる。すべてが通風の時と同じだ。だから、私は今のままの生活習慣を続けると遠からず通風発作を起こす。そんな気がする。


ウチの古物商騒動の続き(これで終わってくれれば良いが) [手記さまざま4]

今日は古物商が来るというのに、親は私が外から家へ入れた大皿やワイングラスをビニル袋から出そうとしない。私は心配になり、物品を並べておかなくて良いのかと聞いた。すると親は、もうどうでもよくなったと言った。私は気を悪くして、そんなどうでもよい事で私を振り回さないでほしいと言った。今日は午前中に親のコロナワクチン接種で、午後は生協も来るし古物商も来るから大変な一日だと私が言うと、親は、古物商は来ないと言った。私は、驚くほかなかった。古物商から電話があって、来なくなったのだそうだ。そこまでは良かった。その後の親の一言が、私を激怒させた。親は、健康器具と大皿は玄関に置いといてよねと言った。その意味を悟った私は、冗談じゃない!と叫んだ。なしくずしに古物商騒動が続き私の仕事を圧迫するのは絶対に許さない。親がコロナワクチン接種に行っている間、本当ならば明日の仕事の準備をしなければならない時間を使って、私は健康器具と大皿とワイングラスを外へ出した。今度こそ終わりにするために。

午後、玄関に革の財布2つとファンが置いてあるのを見つけた。親に聞くと、明日の朝一番でまたまた別の古物商が家に来るのだそうだ。アル中とギャンブル狂と古物商狂いには、かかわらないことだ。人生を駄目にされる。


ウチの古物商騒動の続き [手記さまざま4]

せっかく不要な物品を出し切ってまとめたというのに、親が朝食時に、古物商が持って行かなかったから棚の上に置いたままで転居すると言いだした。私は激怒した。なぜなら、天袋から降ろしたものは二度と上げない、古物商が持って行かなかった物は処分すると、あらかじめ親との間に合意が出来ていたからだ。私は長い人生の間に、女の言動はその時に嘘偽りのない真実だったとしても、後からコロッと変わる「刹那」の意思表示だと学んだ。私のその認識によると、親に何を言っても無駄で、先手必勝で行動に移さないとひどい結果になる。私は、親がデイサービスに行っている間に全部捨てておくしかないと悟った。

それが引き金となり、私は疲れている体で無理を承知で、家に山積みされた物品を4時間かけて整理した。スーツケースの中に入れ子式にバックパックを入れ、その中にミニバッグを入れて粗大ごみとして出す。いちばん金のかかる「粗大ごみ」はこれだけだ。その他は、鉄製品は不用品回収、陶器とガラスは不燃ごみ、可燃物は可燃ごみ、と分けた。市指定の不燃ごみ袋は足りなかったので、通勤途中にコンビニに寄り買い足す。10リットル袋で大丈夫なように、20リットル袋でないと入らない大物は先に20リットル袋に詰めた。抜かりはない。

こうして午前中が終わり、親がデイサービスから帰ってきた。親は、家を占拠していた物品の山を私が綺麗さっぱり消し去ったことに驚いていた。こうして最初のうちは何事もなく過ぎた。そのうちに電話がかかり、親が受けた。電話口での親の言葉を聞いた感じでは、この前とは別の古物商が電話をかけてきたようだった。前回の古物商が電話では何でも持って行くと言っておきながら実際に来たら貴金属はないかとばかり言う食わせ物だったのに、それでも親は性懲りもなくまた売ろうとしているようだった。私は嫌な予感がした。そのうちに、私が家から綺麗さっぱり消し去った物品を親は電話口で売ろうと喋り始めたので、私は慌てて「それは捨てた」と口を挟んだ。部屋から無くなっているのを見て、わからんのだろうか。親は、残っている食器類だけでも売ろうと電話で喋り続けた。親が昔使っていた健康器具は、親自身が転居先へ持って行かずに置いて行くと言ったので家の外へ出した。それは私は悪くない。ただ、食器棚の下に置いてあった大皿を処分品の一部だと思って家の外へ出したのを、親は嘆いていた。それは私は悪かったと思った。暫く考えてから外へ行き、大皿と、ついでに健康器具とワイングラスを家の中へ持ち帰った。これで親は古物商との取引を満足してくれるだろうと思いつつ、私はスーツケースの中にバックパックを入れたことを話した。すると親はこともあろうに、自分が売ろうとしていた物品だけでなく、それ以外まで売ろうとしはじめた。スーツケースは傷だらけで売れないから中のバックパックを取り出して売ろうと言いだした。スーツケースの内側とバックパックはほぼ同じサイズで、しかもバックパックの中には不自然に重くならない範囲で不燃ごみ袋に入らない物を詰めた。ぎりぎりのスペースに何をどのようにしたら詰められるかに、私がどれだけ苦労したことか。それを後からの一声で台無しにしようというのか。やっぱりうちの親はとんでもない奴だと感じた。これは阻止した。

ここ数日の古物商騒動はどうにも運が悪く感じる。私が一度せっかく外へ出した健康器具と大皿とワイングラスを自分の意に反してまた家へ入れたことが、何か良くないことにならなければ良いがと私は感じ始めた。何もかもこれで終わりにしなければならない。私は前期授業最後の仕事疲れの中で家じゅうの天袋からあらゆる物を出す羽目になり、本当は仕事に使いたい時間を古物商騒動に沢山使ってきた。これ以上は許さない。古物商騒動はこれで終わらせ、絶対に長引かせないと心に決めた。


近況 [手記さまざま4]

私はZeus WiFiを使い始めてから、時間のかかる大きなネットアクセスはZeus WiFiで、すぐに始めたくてすぐに終わる小さなアクセスはスマホのテザリングで行っている。その結果、テザリングの回数が増え、パソコンのネットワーク番号がどんどん上がり、先日ついに1000を超えた。
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シャープの歩数計「からだメイト」の表示には、今のところ変化がない。外国の都市まで行くほどの歩数を歩いたという記録が出ると、それがやる気につながるのだが。

この後、古物商事件の続きを書こうとしたが、書くことが多すぎて長文となり、なかなか終わらない。古物商事件の続きは別記事として改めて出したい。


学生は休み、私は疲労がひどい [手記さまざま4]

学生も教師も、明らかに例年よりも疲れが溜まっている。私の昨日の授業では、ついに履修者の半分近くが休んだ。私は、いつもならば翌朝未明に目が覚めて前日の仕事の整理をするのに、疲れて体が動かなかった。前期授業は残すところあと1回。何とか乗り切らねばならない。

私は個人的な事情から、前回の記事に書いた「山積みされた物品」をどこかへ片付けなければならない。でもそれは、疲れ切った今は無理だと感じている。


売れないのを承知で色んな物を古物商に見せることにした(3日目) [手記さまざま4]

とんでもない結末になった。電話では、業者は何でも屋のような口ぶりだった。何でも引き取り、引き取れないものもあるけどごめんなさいという話だった。ところが、いざうちに来ると、引き取るのは貴金属・指輪だけ。1日目の記事に書いたが、うちには貴金属はとうにない。早々にお引き取りいただいた。

うちの親は、大量に出した物品のうち三分の一くらい引き取ってもらえると思っていたが、結果は何一つ物品が減らなかった。親はカンカンだ。

私の目から見て何が一番大変かというと、家中から出した物品の山が生活空間を圧迫していることだ。大きな物からどんどん粗大ごみとして出して行かないと、生活に支障がある。

いや、冷静に考えると、まず金属は不要品回収に出す。次に、紙製の外箱等は紐で縛って資源ごみとして出す。ここまで無料。陶器・ガラス・プラスチックは不燃ごみ。これは市の不燃ごみ袋を買わねばならぬ。残った大きな物は仕方ないので粗大ごみ。これも金を出してシールを買う。

とにかく、転居を控えているというのに、また天袋へ戻すのは御免だ。

ひとつだけ良いことがあった。転居に伴う家の整理がすごく進んだ。


売れないのを承知で色んな物を古物商に見せることにした(2日目) [手記さまざま4]

私は朝から作業を開始した。予定通りに、和室の天袋から物を降ろし始めた。ところが家には親がおり、人が二人いれば一方の思った通りにはならないものだ。和室と台所の天袋だけ空にするはずだった作業が、瞬く間に、家じゅうの高い収納スペースの物を全部降ろす作業へと変貌した。親はそういう性格なのだ。とことんやらねば気が済まない。かと思うと、作業が何かの壁にぶつかっていったん思い通りに行かなくなると、つむじを曲げて全部放り出したりする。今回は放り出すことなく家じゅうの高所スペースは全部チェックし、捨てる物は捨て、業者に見せる物はまとめ、取っておく物だけ整理して元に戻した。これで、転居に伴う家じゅうの整理が、ものすごく進んだことになる。業者が持って行かなかった物は、天袋に戻さずに処分する。


売れないのを承知で色んな物を古物商に見せることにした [手記さまざま4]

親が昔一度だけ古物商に貴金属を売ったせいで、その後売る物はもうないと何度言っても電話がかかってくる。実際貴金属はもうないが、今までとの違いがひとつある。転居に際してあらゆる物を処分する必要があるということだ。それで親は古物商を家に呼ぶと言う。私が思うに相手は商売人だから、売れる物しか引き取ってくれないだろう。私のPC-98やステレオの時と同じで、結局多くの物は引き取ってくれないと思う。親にそれを伝えたところ、それは承知だと言うので、それならばよかろう。ただ、高い所にある収納スペースから物を降ろすのは私だ。私は今、前期授業の最後の頑張りで、学生と同様に無理をしている。体力を温存したい。本当は、休める時間があれば体を休めたい。しかしこれも定めかもしれない。それで明日は、和室や台所の天袋から物を降ろす。食器類の選別は親に任せる。私としては、引き取られないのを承知で業者に出すのなら、私がまだ元気だった頃に外国で使っていたバックパック、同じく親が使っていたスーツケースとキャリーバッグ、電気代がかかる割に温まらない電気ストーブ、オーブントースター、外箱をレコードプレーヤーに取られた備長炭カーペ、10年くらい使っていない吸入器、もはやスキャンする物が自室になくなってしまったフラットベッドスキャナを出したい。業者が持って行くとしたら、きっと電気ストーブだけだろうけど。

ノコギリ等も出したかったが、柄に名前が書いてあるのを思い出して諦めた。


吾妻ひでお大全集をスキャンして捨てる [手記さまざま4]

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本棚の奥に残っていたのは少女漫画だけではない。椎名高志や吾妻ひでおもあった。今日は吾妻ひでお大全集をスキャンした。しっかりビニルで包まれているから、てっきり綺麗なまま保存されていると思っていたが、実際には最初のほうの数ページは綴じから離れており、一部のページは不思議なほど茶色く変色していた。中程のページには綴じ部分の印刷がどうしても見えず、しかも強く開くこともできない所があった。私にとって吾妻ひでおは、今となってはただ若い頃の思い出なので、本の悪い保存状態を確認し納得して捨てるための作業となった。それでも一通り丁寧にスキャンし、補正した。大学の提出物で書くことに困っていた時に助けてもらった「しばれる」の記事も見つかった。
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上の2つの画像のうち、ひとつめの画像は、何年も前にフラットベッドスキャナでスキャンしたもの。どうして低解像度の設定でスキャンしたかは不明だが、低解像度でも細部が再現されている。でも綴じ部分はあからさまに文字が読めない。
ふたつめの画像は、今回オーバーヘッドスキャナでスキャンしたもの。細部がぼやける。これはこのスキャナの仕様だ。でも綴じ部分の文字が読める。


近況 [手記さまざま4]

住居内覧以来、自宅整理が遅々として進まない。平面図に向き合うと没頭できるが人間に向き合うと情緒不安定になるという私の精神面が出ただけでなく、通常の1週間の予定に内覧が1日入ったことで時間が失われて仕事で手一杯となり、自宅整理までは出来なかったという時間的制約もある。さらに、内覧後のある夜、いつもならば眠れなければ起きて仕事をするのに疲れてそれが出来なかったという肉体的要因もある。とにかく内覧のせいでガタガタになった。

今日、未明、やっと仕事は終わり、自宅整理を大きな音を立ててするべき時間帯ではなく、本を一冊スキャンすることにした。その時の備忘録を記したい。



Czur Aura Proで変な修正をしてしまった時の裏技

たとえば画像のトリムをする時、専用アプリは初期状態で「クリア」モードが選択されている。これはトリムではなく選択矩形以外を真っ白にするという使えない機能だ。画像をトリムするには、「カット」モードに切り替えなければいけない。しかし、集中している時、疲れている時、心ここにあらぬ時など、切り替えを忘れることは多々ある。すると画像の周辺部は真っ白になる。再度トリムを実行してその白い部分をカットすれば良いという意見もあろうが、画像の端に先ほど失敗した白が残ったり、それが嫌で厳密を目指したら最初のトリムよりも多く削ってしまったりと、精神衛生上よくない。そこで裏技だ。画面下から補助補正を選ぶ。この補正は現在編集中の画像に対してではなく、メモリ上に別個保存してある元画像に対して行う(だから、諸事情でメモリ上に元画像がもはや存在しない場合は補助補正が選択できない)。そして何も補正しないまま、キャンセルではなく「保存する」を実行する。すると画像は、間違って「クリア」してしまう前の状態に戻る。ただし注意として、それまでに他の修正も行っていた場合は、それらもすべて無かったことにされる。


自宅整理記録と、じゃじゃ馬少女コミック本のスキャン記録 [手記さまざま4]

自室の物の処分が終わり、私は自室以外の整理にとりかかろうとしている。自室以外は親の所有物でもあり、ここに来て親との意見の相違が出てきた。私は子供の頃からのレコード、カセットテープ、本を「ウサギ小屋」サイズの転居先へ持って行けないと言われた時点で、それらを捨てるならばそれよりも価値のない物は当然捨てるという気になった。つまり何でもかんでも全部捨てる。だってそうだろう、一番大事な物を失っておいて、どうでもいい物を引っ越し荷物にしたら腹が立つじゃないか。しかし親は別の人間だから別の考えを持っていた。食器類や衣類に関しては私は無関心だからどれを持って行こうが捨てようが親に同意するつもりだが、「ウサギ小屋」に実用価値のない置物まで運び込むのは却下だ。そもそも、そんな余裕がないから私は自分の生き甲斐だったレコードとカセットテープと本を捨てる羽目になった。今さら何を言う、だ。置物はこっそり捨ててやるつもりだ。

こうして毎日忙しくしているけれども、その反動があり、仕事疲れもあり、時々休憩する日がある。先ほど自室の物の処分が終わったと書いたが、唯一残っている物がある。昔買った漫画の一部だ。本棚の奥からそれが出てきた時、ふと気になることがあって、以前にデジタル化した画像を調べた。すると、フラットベッドスキャナによるスキャン画像でなく、デジカメ画像だった。それは仕方のないことで、以前に大量の本をフラットベッドスキャナでスキャンした時に私は腰を壊し、それ以来無理は出来ない体だ。デジカメ撮影だって、テーブルの真上まで体を乗り出してシャッターを切るので腰に来るが、作業時間がフラットベッドスキャナよりもはるかに短い。これでも苦労した結果の画像なんだ。でも、出来はひどい。左右ページの端を大きなクリップで留めて撮影したが、当時は転居の予定がなく本は保存するつもりだったから、無理にページを開くことなく、綴じ付近はネームが読めない。いっぽう今はオーバーヘッドスキャナがある。これには、開いた本の湾曲を検知して疑似的に平らにする機能が付いている。それに今や本を保存する気がないから無理に開ける。それで私は次のように考えた。これから先自宅の整理をしながら、その余暇だけを使って可能な範囲で漫画本をスキャンする。あくまでも副次的な作業なので、仕事や自宅整理をその犠牲にしてはならず、作業の途中で転居となったらそこまでとする。

こうして始めたスキャン作業だったが、ある少女漫画まで来て「じゃじゃ馬」に出くわした。「少女」漫画だけに。

綴じ付近まで絵があり、ページを一杯に開いても対処できない。このオーバーヘッドスキャナは綴じ部分の極端に紙が傾いた所に絵や文字があると、二重に写る。湾曲補正機能が追いつかないのだろう。

一度通してスキャンしてからようやく気づいたが、通して最後までスキャンするうちには何度も強くページを開くから、少しずつ綴じと絵の端が離れてきた。それで意を決して最初からスキャンし直した。今度は本をギューギューと押してよく開くようにしたら、綴じの糊付けが崩壊した。糊付けが崩壊すると綴じ部分が湾曲せずに平らになるから、上記の二重に写る現象がなくなる。これは好都合とばかりにスキャンしたが、次なる問題に気づいた。現在スキャン中のページの下にあるページが、糊付けが崩壊したから小口側へ出っ張ってきた。スキャンすると、その下にあるページの絵が端に見えてまぎらわしい。この部分は、通してスキャンしてからいちいちトリムすることになった。

これで全部終わりにしようと思った時、裏表紙のスキャン画像の幅が微妙に小さいような気がした。本と見比べると、サイドライトから遠い側が少し欠けていた。こういうことは、このオーバーヘッドスキャナで端が黒い被写体をスキャンする時は当たり前にあるが、今回は金色だから安心していた。

結局最後まで「じゃじゃ馬」は「じゃじゃ馬」のままで、とんでもなく手間と時間をかけさせられた。


住居内覧に行ってきた。私には辛すぎて潰れた [手記さまざま4]

私が住居の内覧に行くのは、今回の転居騒動では初めてだが、10年ほど前の転居騒動では何度かあった。私は生まれてからずっと江戸間に住んでいたので、10年ほど前に団地間を内覧した時は驚いた。同じ6畳という名称でも小さい。個人的にとくにショックだったのがトイレ空間の狭さで、左右の壁が私の肩幅へ迫ってきた。健康な人はトイレが狭くてそれが何だと思うだろう。でも私は椎間板ヘルニアで少し動くだけで激痛が走ることが何度もあった。そういう時、うちのトイレには必死になって手を突く場所がある。そこを頼りに用を足した。ところが私が内覧したトイレの空間にはその余裕がなかった。私は一目見て、椎間板ヘルニアには住めないと察した! ここまでは10年前の話だ。

ここから今回の内覧の話を書くべきだが、私は困っている。書きたいことは山ほどあるのに、書けばそれが個人特定に結び付きそうなほど、あまりにも個性的な内覧だった。私が思っている内覧というのは、住人が去ってリフォーム済みの住居を見に行き中を見るというものだ。ところが今回はまだ人が住んでいる。実際に行ってみた感想は、売り主がふっかけてきた高額かつ自分たちはリフォームしないで去ってゆくぞ、あわよくば家具調度も置いて行くから使ってくれ自分たちは処分に金を使いたくない、という言いたい放題の主張を、理解するための内覧だった。私はそもそも人付き合いが苦手で、この主張を理解すればするほど辛くなった。私が思うにこの感じは、東京ではなく大阪の値引き交渉当たり前みたいな感じだ。買い手が値切って来るのが当たり前で、売り手は自分の主張を全部出してふっかけてくるという。でも私はそういう環境で育っていない。正直私には辛すぎる。精神が厳しいことになった。これから少なくとも数日は、住居の記事が出ないと思う。それは、私が住居のことを考えていないのでなく、私に与えられたものが私には辛すぎてもう駄目だからだ。そのうちに必ずまた住居の話もする。待ってほしい。


学生も教師も、本当は限界だ [手記さまざま4]

ここ一週間の学生を見ていて気になることがある。7月に入っても依然として休みが多い。今までならば、6月はマラソンランナーのような持久戦状態なので休みが多いが、7月に入るとゴールが見えてきて頑張れるようになる。それが、今年は休みが多いだけでなく、出席する学生もほぼ例外なく疲れている。ひとつの要因はわかっている。マスクだ。前年度までの大学は、対面でない在宅の授業がとても多かった。家で授業を受けている間はマスクは要らない。本年度は対面が主だ。毎日マスクをしっばなしだ。その心的ストレスだけでなく、呼吸困難についても私はよくわかっている。私は血中に赤血球が少なく、しかも授業で喋り続けるから。東京都のコロナ感染者数が増えたのと裏腹に、私の通勤途中と学内では口を出して喋っている学生を以前よりも比較的多く見かける。学生も教師も、本当は限界だ。


新宿で見た「だるまちゃん」、そして、自分のだるまについて [手記さまざま4]

新宿の広告に、見たことのある「だるまちゃん」がいた。「かこさとし展」の広告だった。私はある理由から、作者の名前を知らなかった。私が知っている「だるまちゃん」は、人々が知っている「だるまちゃん」とは少し違う。いちいち英語が付いてくる。それに、ネットで調べたら日本語版テキストも違う。これは昔「ラボ機」と呼ばれていた物に使う英語学習用マルチトラックカセットと、その付属絵本に入っていた「だるまちゃん」だ。この「ラボ」がなかったら私は「だるまちゃん」に出会えなかったのだから、良かったとも言える。反面、いくら「だるまちゃん」を知っていても、その中身が明らかに違う(同じなのは挿絵だけだ)から、他の人と共通の話題に出来ない。ちょっと運が悪かったとも言える。


今回、私が広告の「だるまちゃん」を見てピクピクッと反応したのは、ただ単に「ラボ」が懐かしいからだけではない。先日、私はもうひとつの懐かしい「だるま」を捨てた。可燃ごみ袋に入れて、ごみ出しした。その「だるま」は、私が子供の頃に、父が私にくれたものだった。小さな「目なしだるま」が2つ。当時の私の知識では、こういうだるまは願い事が出来た時に片目を入れ、願い事が叶った時にもう一方の目を入れることになっていた。子供だった私は願い事がなくても目を入れたくてしょうがなかったが、どうやら我慢したらしく、2つのだるまには目が入っていないまま数十年が過ぎた。昔の私にとって、このだるまは大事だったらしい。陳列ケースに入れて埃が付かないようにしていた。転居を控えて自室のあらゆる物を処分することになり、このだるまも処分した。陳列ケースから出した時、だるまの底部に重りが入っていることに気づいた。そうか、「七転び八起き」か。試しに傾けてみた。元に戻る。なるほど、子供の私が気に入ったわけだ。でも、その後陳列ケースに入れたまま、私は数十年間それを忘れていた。処分する今になってようやくそれに気づけた。でももうお別れだ。

埃が付かないように陳列ケースに入れて保管するというのは、メルカリで売るのならそのほうが良いが、もっと大事な自分自身にとっての「それ」との付き合い方としては、本当に正しかったのだろうか。「最期になってようやくお前に気づけた」という感じだ。ちょっと悲しい。


引っ越しのしかた調査開始 [手記さまざま4]

自室が、転居先へ持って行くものを除いて、空っぽになった。「スキャンしてから処分」という手順を踏んだのと、仕事と両立しなければならなかったのとで、2月半ばから約5ヶ月もかかった。

これで、自室のために忙しくすることはなくなった。でも忙しさは、これからも大変だ。今度は自室以外を整理しなければならないし、親はこの機会に布団でなくベッドを使おうと言い、私もそうすべきだと思う。ベッドを見に行く。転居先の人への手土産も考えなければならない。でも、一番の難物と思われるのが、引っ越しだ。

転居手続きも重要だが、不動産業者が手伝ってくれる部分もあるし、「私」が動く部分よりも「私の金」が動く部分のほうが大きい予感がする。今はむしろ、引っ越しのために私が何をしたら良いかが完全に分かっていないことが不安だ。そっちから情報収集を始める。

私は遠距離通勤者だ。毎回の通勤で沢山のネット検索時間が得られる。今まではその時間を使って物件を調べていたが、物件はすでに不動産業者を頼っているので、これからは引っ越しを検索だ。


霜焼けをこじらせた後遺症がいまだに [手記さまざま4]

私が右手の中指を霜焼けにしたのは、2月の終わりから3月の始めにかけてだ。2月の始めに叔父が急死し、それは私にとって、住んでいる家を出て行かなければならないことを意味した。しばらくの間、私は恐れおののき、それから思い出の品々をせめて画像としてだけでも保存しようと必死になった。その作業を真冬の気温5度に届かない室内で毎日続けていたら、指が霜焼けになった。それでも私は、作業をやめることは出来なかった。今やらなければ、思い出の品々は家と共に永遠に失われるから。そして霜焼けはこじれた。医者に行くのが遅れたせいで、薬を塗ってもなかなか治らなかった。
今は7月。指はとっくに治っているべきだが、どうもおかしい。小さな魚の目のようなものが出来ては消え、また出来る。ペンだこかと思い始めた先日、今までより少しだけ大きい米粒大に近い白いものが出来て、どうやらこれは膿のようだ。もう一度医者に行くべきだと思っているうちに治り始めた。そう、ひとつひとつの魚の目状のものは悪化せずに治る。問題は、またすぐに出来るということだ。しかも、前回出来た場所から少し離れた所に出来る。ペンだこならば常に同じ場所に出来るだろう。なんか嫌だ。


天井裏の猫がコウモリを駆逐 [手記さまざま4]

近所で廃屋が取り壊されて以来、我が家の天井裏にコウモリが棲みついていた。以前はずいぶんガサガサと音がした。ところが、隣で叔父が急死して以来、片付けのために隣に人が入り、そこにいた野良猫が我が家の天井裏へ逃げてきた。そして猫がコウモリを追い回すようになった。ふと気付くと、天井でガサガサというコウモリの音を聞かなくなった。猫がコウモリを駆逐したらしい。その代わりに天井裏を猫が走る。

自室の物を全部捨てて部屋が骨格のようになると私の心も変わる [手記さまざま4]

今日、ものすごい勢いで午前に収納棚を解体し、午後にその上と中にあった物を、捨てる物と持って行く物に選り分けた。その余勢をかって、たまたま収納棚にあったペンと消しゴムを文房具として机の引き出しに入れることにしたので、この引き出しに何が残っているか調べた。私の気持ちとしては、実用品だけが残っているはずだった。しかし実際には、昔の履歴書と、父の葬儀時の会葬御礼もあった。履歴書と会葬御礼は、今までの「転居に伴う処分記録」に「取っておく」と記した記憶がある。しかし今の私は、実用品以外は情け容赦なく捨てる気分だ。なんでそうなったか、自分でわかる。天袋から始まった自室整理は、戸棚を出発点に平面図的に右回りにあらゆる物を捨てて行き、戸棚は学生に見せてから処分する予定の物などが残るのみ。ステレオがあった場所は何もない空間となった。本棚は一度全部中身を取り去って、転居時に持って行く物を一時的に収納する棚に変化した。そして今日収納棚が何もない空間になった。今や自室が骨格のような、骨組みの他は何もない空間になっている。こうなる過程で、私の心の中も変わった。これは私が望んでやったことだ。自室の思い出を生きがいにしてきた私は、ここまで自分で自室の物を消去しないと、転居が辛すぎて気が狂う。それを防ぐために、自分でわざとやった。さあ、いよいよ転居の準備が出来た!


曲探しは最後の手段として、YouTubeデビューするしかないようだ [手記さまざま4]

少し前の記事に、ShazamとSoundHoundは私の転居前にこそやっておくべきと書いた。その通りに、今日私は数年ぶりに試した。でも、探している曲の名前は今回も見つからなかった。もちろん一度聞かせただけでなく、曲を流しながら色々な部分を聞かせた。でも駄目だ。スマホが本当に音を拾っているのか確かめるために、同じカセットテープに録音されている薬師丸を聞かせたら、ShazamもSoundHoundも難なく言い当てた。
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ShazamもSoundHoundも聞こえているけど、私が探している曲は知らないんだ。

SoundHoundは、知らない時は「知りません」の一点張り。Shazamは、しつこく聞かせるとダメもとで見当違いの曲を通知してくる。しかも通知の度に違う曲を。それが面白いんだけれども、目的の曲名はわからずじまい。
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こうなったら最後の手段として、YouTubeで日本中の人の助けを借りるしかない。コメントが来たらすぐに返事をしなければいけないから、転居を控えた今は適さない。転居後になるだろうけれども。


大学教室、3密回避か、それとも熱中症回避か [手記さまざま4]

関東が梅雨明けし、私の職場である大学も真夏の暑さとなった。冷房はもちろん入るが、大学からのお達しで出入口を開けたままで換気しているから冷えない。

学生に聞いてみたら、他の授業は出入口を閉めて冷やしているという。私は驚いた。東京都のコロナ感染者数は増えているんだぞ。

思うに、このところの感染者数増加は、真夏になって人々が冷房の効いた部屋に入り、当然そこは冷やすために締め切っていて、そこで喋っているからだろう。

ただ、教室の窓を少し開けて出入り口を開けると、換気は完璧だが、冷房はあって無きが如しで、まともに暑い。教師も学生も、快適とは無縁の環境で授業をしなければならない。これは、よく考えてみよう。


メルカリへの賛辞 [手記さまざま4]

私は今まで、物を売るということをしないで生きてきた。人々が物品の売買を行うメルカリの名前は以前から知っていたが、自分には縁がないと思っていた。それが、わけあって自分が持っている物を売りたい状況になり、不安だらけでメルカリにアカウントを作り、出品を始めた。

いざ取引を始めてみると、メルカリという企業にひたすら感心した。個人が物品の売買を安心安全に行なえるための仕組みを、よく整えていることに、すぐに気づいた。取引する人が相互に相手を評価する仕組みの本当の目的は、評価そのものではなく、一人一人が良い出品者、良い購入者におのずとなれるようにするのが目的だろう。だから、評価といっても3段階や5段階でなく、良かったか残念だったかの二択なのだ。誰でも自分の評価を下げたくはないという気持ちをうまく利用して、メッセージを通して相手に誠意を伝えたり相手から誠意を受け取ったりして、基本的にお互いに「良かった」が選択される仕組みになっている。つまりそれが、売買を安心安全に行なえる仕組みの一端だ。

「らくらくメルカリ便」は、私のような初心者には使いやすい仕組みだ。発送する箱のサイズを測って送料を求め、商品代金の10パーセントが手数料として売り上げから引かれることさえ考慮して商品代金を決めれば、後は全部メルカリとヤマト運輸任せで、匿名配送ができる。

以上の2つはメルカリが定めたシステムにたいして私が感心したことだが、実は私が一番感心したことは他にある。それをメルカリが意図しているのか、それともシステムの結果たまたまそうなったのかを私は知らないけれども。それは、取引をひとつする度に、出会いがひとつあるということだ。私のように、職場と家を往復する人生を送っていると、人との出会いは仕事関係だけだ。メルカリで取引しなかったら、私はそうやって今後も生きていた。ところが、私がメルカリで出品した物を誰かが購入してくれると、私が今までに体験したことのない出会いが生まれる。日本のどこにいるのか、何歳なのかわからない、本来出会うはずでなかった人と出会う。それは取引の間、ほんの数日の出会いだが、とても新鮮だ。私にとってメルカリの一番のメリットは、この出会いだ。

私は今までに3回出品して、売りたかったものを全部売ることができた。当初の目的はこれで達成したのだが、メルカリに感心し、貴重な出会いを体験したので、できれば今後も続けたい。


3回目出品の備忘録 [手記さまざま4]

3回目の出品物が売れた。また出品即日に売れた。私は運がいい。もちろん、自分の中で「想定される購入者」を設定し、そういう人の目に留まり、お買い得と見なされるにはどうしたらいいかと私なりに考えてプレゼンしたが、今は、売れたことにひたすら感謝しよう。

今回の出品は今までと少し違うので、備忘録を書いておく必要ができた。

今までは品物が大きかったので集荷してもらったが、今回は品物が小さくて軽いだけでなく、集荷料金が30円から100円に上がったので、自分でファミリーマートへ持って行った。

マルチコピー機にスマホのQRコードをかざしてレシートみたいな紙が出てきた所までは良かったが、そこから今回の私の勘違いが始まった。私はこのレシートみたいな紙を荷物に貼ろうとした。ところが糊が付いてない! 糊持参で来ないと駄目だったのか?!と困惑しつつカウンターへ行った。

レシートみたいな紙は貼るのでなく、カウンターの店員さんに渡す。そうするとその人が機械を操作して、巨大なQRコードの付いた別のレシートみたいな紙を2枚出してくる。この紙も貼らない。2枚のうち1枚は出品者控、もう1枚を、貼るための大きな色の付いた紙の袋状の部分に突っ込む。この紙はシールになっていて、裏紙をはがして荷物に貼る。

この紙は出品者が自分で荷物に貼ることになっているらしい。が、私が初めてなので今回だけ店員さんが手本を見せてくれた。

今まで集荷してもらった2つは、ヤマト運輸の人が小さなラベルを左上に貼った。私もそうしようと思っていたが、ファミマの店員さんが手本を見せようとラベルを中央に、しかも私が思っていたのと違う向きに貼ってしまった。せっかく、中の品物が正位置になるように箱をここまで運んできたのに。このラベルの向きに立てられると嫌だな。でも、3つの品物の間には仕切りを固定してある。各仕切りと品物の間はプチプチと新聞紙で埋めてある。どの方向へ横にしても品物はわずかしか動かず、互いに触れ合うこともなく、破損しないようにちゃんと梱包した。ただ、私が精神衛生上嫌なだけだ。

そしてここからが、備忘録にいちばん残したい情報だ。集荷の時は、私はヤマト運輸の人にじかにこわれもの等のラベル貼りをお願いした。ところがファミマの場合は、マルチコピー機の操作で「こわれもの」指定ができない! 店員さんに聞いたが、そういう細かい指定はできないそうだ。こわれもの指定なしで、プチプチで包んでおしまい、らしい。店員さんは親切に、店にあるシールを出してきて貼ってくれた。でも「こわれもの」ではなく「上にモノをのせないで」だった。それは微妙に違うのだが、仕方がない。