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初めての中近両用眼鏡 眼鏡屋編 [手記さまざま4]

眼鏡屋へ行く前、私には2つの選択肢があった。単焦点レンズで今までよりも度の低いものにするか、中近両用レンズにするか。

裸眼でも小さい字が見えなくて近づけるとピンぼけになることを認識した今では、その状態にさらに近視用レンズを加えるのは無謀にも思えた。私は中近両用レンズを試してみようと思った。2018年にレンズを作った時には、UVカット入り、強化コーティング付きでもたいした金額でなかった記憶がある。今回のレンズでうまく行かなければ、また試せばいい。私はそう考えた。しかしレンズの金額については、私は後で驚くことになる。

私が眼鏡屋に話した望みは、近視+老眼、遠近両用でなく中近両用、UVカット入り、だ。眼鏡屋の店主は元気なおじいさんで、昔からこの店にいる。私は心の中で、(あなたまだ現役だったんですか)と話しかけた。店主いわく、近視+老眼のレンズを決めるのは、計算なのだそうだ。店主は紙に数字を書いて説明した。計算自体は単純な加減算なのだが、数値の意味する所を知らない素人には何となくしか意味がわからない。それから私は簡単な目の検査の後、眼鏡屋にあるレンズ入れ替え可のメガネフレームに様々なレンズを入れて試すことになった。

ネット上にはただ遠近両用・中近両用とだけ書いてあったが、実際には様々な段階があるそうだ。おもに外で使うための設定(これが遠近両用ということだろうか?)。おもに室内で使うが外を歩く時も使いたい設定。室内で使う設定。おもに机で使うが室内を歩く時も使いたい設定。もっぱら机で使う設定。実際と多少の違いはあるだろうが、店主が見せてくれた紙では、おおよそそんな感じに何段階にも分かれていた。

遠近両用や中近両用の眼鏡は、レンズの上の部分が遠くを見る所、下の部分が近くを見る所だ。近くを見る時は顎を突き出して目を下へ向けるか眼鏡をしっかり鼻の上へ上げてレンズの下部分を通して物を見る。遠くを見る時は顎を引いて上目遣いにするか眼鏡を鼻に落としてレンズの上部分を通して見る。私は遠くを見る時の度と近くを見る時の度をそれぞれ何種類も試して、各々満足のゆく度を見つけた。私はそれでうまく行ったと思い込んだ。

私はもうひとつ必要なことを思い出した。確かに私はこの眼鏡をおもに室内(会議室くらいのスペース)で仕事をする時に使いたい。しかしその他に、通勤時にもかけたい。私はたとえ裸眼でも、外を歩けないことはない。世界がぼやけるので嫌だが、それでも歩ける。しかし眼科医から「紫外線に気をつけてください」と言われてしまった私は、外を歩く時に裸眼で歩くのは駄目だ。UVカット付きの眼鏡をかける。

外を歩いてみよう。満足のゆく度のレンズを入れた状態の眼鏡で、私は眼鏡屋の外へ一歩踏み出した。店の手前は、段差ではないが小さな坂になっている。私は2018年に遠近両用を提案された時に、階段などで違和感があるので若い頃から慣れていたほうが良いと聞いていた。それが良かったのか、それとも災いしたのか、私は手前の小さな坂を注意しようと下を向いた。そうしたら、めまいがした。これは歩くのが恐い、と思った。

レンズの中の、遠くを見る部分と近くを見る部分の度がかけ離れるほど、そういう感覚が出るらしい。逆に2つの部分の度を近づけると、めまいを起こすような感覚が出にくくなる。しかし、度を変えるということは、自分にとって最適の度から外れるということだ。たとえば私の場合、外を歩く前に見つけた満足のゆく度では、手に持った紙の小さな文字(10.5ポイントの上付き文字くらいの小ささだが実際に当たり前にこれがある!)を目に近づけたり遠ざけたりしてみると、目からの距離が30cmから25cmまで焦点が合うというように、良く見える範囲にゆとりがあった。ところが外を歩いてめまいを感じたので度を変更した後では、目からの距離が30cmでだけギリギリ良く見えるというように、範囲にゆとりがない。

こうして、せっかく室内用としては満足のゆく度を見つけていたのに、それをご破算にして、外を歩いてもめまいを起こさない度を見つけることになった。結局、遠くを見る時の度、近くを見る時の度、歩いてめまいを起こしにくい度という3つの度について、どれも支障が出ないような妥協点を探すことになる。私の場合、階段を上り下りしてもめまいでふらつかない度にするために、近い場所は目からの距離が30cmでだけギリギリ良く見える度に妥協しなければならなかった。

店主は、老眼はこれから進んで行くと言う。5年後、7年後には、今日作るレンズでは合わなくなる。その時にはまたレンズを作り直さなければならないと言う。老眼が進めばレンズの度を変えなければならず、私の場合は遠くを見る時の近視用の度とかけ離れてゆくので、階段などでめまいを起こす感覚は強くなる。しかし今日作るレンズでその感覚に慣れてゆくので、その時が来るまでには、今日感じたほどのめまいは感じなくなっているだろうという話だ。その時が来て私がまたレンズを作るかどうかは謎だ。なにしろ、私は仕事をするために眼鏡を必要としているが、その仕事というのが慢性腰痛の辛さで辞める思いと闘いながら何とか続けている仕事だ。5年後、7年後に、慢性腰痛の私がまだ仕事をしているだろうか。もしもそれができていたら、それはめでたい。もしもそんなめでたいことがあれば、その時は自分にご褒美でまたレンズを作ろうではないか。

話し好きの店主が同じことを繰り返し喋り、私が疲れ果てた頃に、レンズの度が決まって支払いとなった。店主が言うには、老眼の単焦点レンズの倍の値段だそうだ。店主が出してきた紙にはレンズの種類が3種類あり、その各々にレンズの厚みが3種類ある。選択肢は計9種類だ。強化コーティングとUVカットは全部に適用されていた。(今回は強化コーティングなしで安く上げようと思っていたのだが、こうなっては仕方がない。)店主が言うには、私の度は高くないので、レンズの厚みを薄くする必要はなく、レンズが薄い(そのぶん値段が高い)選択肢6つは見なくて良いとのことだった。後はレンズの種類3つのどれを選ぶかだ。私は真ん中の値段のにしたが、それで3万5千円だった。2018年に作ったレンズはたいした金額でなかった記憶があるが、今回は高いと感じた。店主は単焦点レンズの倍の値段と言うが、私は半額の1万7500円だって「たいした金額でない」なんて思わない。2018年の近視用レンズはもっと安かったはずだ。店主はオプションでブルーライトカット機能があると言ったが、これ以上金を払うつもりはない。第一私はパソコンのディスプレイを見る時に眼鏡をかけない。この機能は不要だ。


初めての中近両用眼鏡 経緯編 [手記さまざま4]

そもそもの発端から話し始めよう。眼科医から「紫外線に注意してください」と言われた私は、2018年12月、UVカットのためにメガネのレンズを作り直した。ところがその後、レンズが自分の用途に合っていないと気づいた。

私は近視なので、近視用の単焦点レンズの眼鏡をかけていた。これと同じ度でUVカットの成分をレンズに練り込んでもらえば良いと私は考えていた。ところが眼鏡屋の人が、度が少し合っていないと言って、少し強くしてしまった。それまでの眼鏡レンズは、遠くは少しぼやけるが近くは見えた。それが、新しいレンズは遠くがよく見えるかわりに近くがぼやけて見えない。これがなぜいけないかというと、私が眼鏡をかける第一の目的が室内(会議室サイズの部屋)での仕事だからだ。

室内での仕事に必要なのは、部屋の奥にいる人間の顔をはっきり認識することと、手元の書類を見ること。部屋の奥よりも遠い距離(屋外の景色)は、ぼやけていい。ところが新しいレンズは、部屋の奥もそれより遠い所も見えるが、手元の書類はてんで見えない。だから、まず私は、レンズの度を変えて作り直してもらおうと考えた。この時はまだ単焦点レンズを考えていた。

その時点でコロナ禍が始まった。2020年4月だったな。私の仕事は在宅のリモートになり、不要不急の外出はするなと言われ、私は眼鏡屋へ行くのをコロナ禍が収まってからにした。コロナ禍が始まった当時は、誰もがこんなに長引くとは思っていなかったのだ。そして年月が過ぎた。

コロナ禍が足掛け3年目となる2022年2月、隣に住む叔父が急死し、親戚一同が葬儀に集まった。その時に従兄が私にあることを聞いた。老眼は始まっていないか、と。私はそんなものは始まっていないと思ったが、従兄はさらに言った。近くのものが見えにくくないか、と。その時になって私は、自分が老眼なのだと初めて知った。最近仕事をしていて、印刷物の小さい文字が裸眼でも見えにくくて困っていた。よく見ようと目に近づければピンぼけになるし、ピントが合うまで遠ざけると、小さい文字がさらに小さくなる。私は、次に眼鏡レンズを作り直す時は老眼の矯正も入れなければならないか、と思った。

この頃になると、遠近両用レンズも選択肢に入ってきた。遠近両用レンズは、2018年にレンズを作り直した時に提案された。しかし当時の私はまだ若かった。考え方も健常者的に若かった。自分の視界が歪むなんていう不自然極まりないことは許せなかった。それからコロナ禍での在宅リモートがまる2年続く間に、私はすっかり疲れ果てた。心身共に老人となった。それで、今となっては遠近両用レンズが自分に適しているかもしれないと考えた。ただし、私が眼鏡をかける第一の目的が室内での仕事なのだから、度は今までと同じではなく、4、5メートル先の人の顔が認識できればいい。それ以上遠くはぼやけていい。

こうして、私の眼鏡屋行きが近づいた。

眼鏡屋へ行く前日、私はネット検索していて、興味深いものを見つけた。遠近両用ならぬ中近両用というのがあるそうだ。これこそ、会議室サイズの部屋で眼鏡を使う私にふさわしいではないか、と私は思った。


(個人的記録)そして私は酒が飲めなくなった [痛風日記]

昨日の未明に台所へ行って明かりをつけた時、右膝が膨れていたという話までは書いた。湿布薬は貼ったままだとかぶれるので、はがした。そのせいもあってか、安静に寝ていたというのに右膝は朝の9時まで変わらず膨れていた。

私は何とか腫れを治そうと、湿布薬を貼り直し、ひたすら横になって安静にしていた。天井を眺めて一日が過ぎた。夕方には、まだ腫れているものの、膝を曲げても痛くなく、立て膝をして立ち上がっても痛くないまでになった。

夜になり、夜更かしをすべき健康状態でないので私はまた寝た。よくこれほど寝られるものだ。ここまでが昨日。

午前1時に目が覚めた。右膝は正座ができるほど折り曲げられるようになったが、力を入れるとまだ少し痛かった。また寝ようと1時間頑張った後で諦め、起き上がった。眠れないのでなく、何もせずに天井を眺めて生きることが精神的に我慢できなくなったから。

数日ぶりにパソコンの前に座って、心は健やかになった。でも心と体はシーソーの関係にあるらしい。心を優先した結果、右膝が良くないだけでなく腰まで曲がった。夜が明ける前にまた横になった。

そして、まる一日が経って今は23時半だ。また日付が変わろうとしている。膝はほとんど治ったが完治はしない。

記録はここまでにする。痛風発作にしては治りが早かったが、親は痛風だと思い込んでいる。そしてどういう間違った知識だか知らないが、麺類が痛風に悪いと思い、冷蔵庫内の冷し中華と冷麺と酸辣湯麺、すべての麺類を私が食べないように隠した。膝が腫れている最中に病院へ行って薬をもらって来いと言うし、滅茶苦茶だ。正しくは、腫れが引くまで家で安静にし、腫れが引いてから病院へ行ってフェブリクを処方してもらい服用し続ける、だ。痛風発作の腫れならば10日経つと嘘のように治るというのも親は知らない。それでも、こうなってしまった親は止まらない。それで私は酒を飲ませてもらえなくなった。


(個人的記録)痛風発作 再発可能性のその後 [痛風日記]

記事の時刻表示を見ればわかるが、今は真夜中だ。目が覚めてしまった。右膝が腫れ始めたのは昨日の朝だったから、まだ24時間は経っていないが、体調が悪いと長時間苦しんでいるような気になる。今はもちろん横になったままスマホで記事を書いている。パソコンの前に座って仕事ができないのが歯がゆい。

右膝は相変わらず腫れている。横になって休むと具合が良く、椅子に座ると悪くなる。「体調の悪い時は横になっていろ」とよく言うが、なるほどと思った。昨日は運悪く親のケアマネージャーが家に来たので横になっているわけに行かず、その間は膝の腫れが悪かった。

この腫れが痛風発作かどうか。それが本題だが、正直判断しかねる。本来の痛風発作は、関節が膨れ上がるほど腫れて激痛が走り、ちょっと動くのも大変だ。いっぽう今回の腫れは、見た目にはわからない程度だ(これは間違い。追記あり)。でも腫れているので膝を曲げると痛い。症状としては、痛風発作ほどひどくない。ただ、腫れる前から(膝のお皿がチクチク痛んだ時点で)湿布薬を貼っていたので予防になったし、初期の痛風で症状が軽い可能性もある。

追伸
夜中に目が覚めて腹が減り、頑張って立ち上がり台所へ行った。明かりをつけて初めてわかったが、右膝が膨れてきた。どうやら、腫れはこれからのようだ。


(個人的記録)痛風発作 再発可能性の記録 [痛風日記]

最近は昔のようにアクセス件数がなく、魅力のない記事を書いていることが私にも察せられる。そんな中で今回は個人の記録なので、魅力と関係ないことを書かねばならない。心苦しいが、このブログは私の重要な健康記録でもあるので、重要なことはどうしても記事にして記録しなければならない。

ここ1か月くらいは飲酒回数が異常だった。きっかけは、転居のことで毎日溜まるストレスだったかもしれない。しかしアル中というのは、心の中の悪魔だ。どんなことでもきっかけにして飲もうとする。いったん飲み始めると、もう止まらない。その意味では、きっかけなど些細なことだ。

飲酒量が異常に増えると、心配されるのは痛風発作だ。私は先日、父の墓参に行った。墓は辺鄙な所にあり、バスに乗り遅れると45分待ち、50分待ちとなる。ただし墓の間近まで行くバスでなければ他にもある。私はそれに乗り、墓から離れたバス停で降り、長い距離を歩いた。そのせいで、帰りはバス停横のベンチに座ったまま動けなくなった。その日は帰宅後に体がぎくしゃくしたものの、大事に至らずに終わった。

翌日も体は大丈夫だった。だから私は、痛風発作にならなかったと安心した。酒好きだった父の弔いも兼ねて、また酒を飲んだ。

その翌日、体がとてもだるくて動くのが大変になった。しかしこれは痛風発作ではない。痛風発作は足の関節に出るものだ。年をとると疲れが後日に出てくる。嫌な話だが、私はもうそういう年になった。晩に寝る時、両膝のお皿の真上がちょっと痛かった。膝関節というのは痛風発作の可能性があるが、痛風発作はどちらか片方の足に出るのが普通だ。だからこの時も私は安心していた。両方の膝に湿布薬を貼って寝た。

その翌朝、左膝の痛みは無くなっていた。右膝のお皿は、普通に歩くことはできるが、押すと痛い。でも痛風発作はお皿の真上が痛いのではないし、その時の痛みは基本的にチクチク系だったから、その意味でも痛風的でなく、私はまだ安心していた。

私はそれから仕事のためにパソコンに向かい、1時間座った。そうしたら、右膝の痛みがお皿の真上から、お皿の両脇へと移動した。チクチク系から鈍痛へと変わった。それで私は初めて痛風発作を疑い始めた。椅子に座って血流が悪くなると、それ以前から具合の悪かった足は悪化する。つまり痛風発作でなくても長時間座ることで悪くなる。問題は、これ以上悪くなったら、本当に痛風発作を考えなければならないということだ。

前日の晩に貼った湿布薬は取り、ボルタレンを塗った。これで様子を見る。


「変なモノ紹介サイト」の紹介 [手記さまざま4]

今日は、ネット上で見つけた「変なモノを紹介するサイト」の紹介だ。私はなぜか、「変なモノ」に引かれる。私が見つけた「変なモノ紹介サイト」を紹介させてほしい。

まずは、今回の記事の発端となったテレビ番組の話から始めたい。テレビ番組表を見ていたら、今日の(といっても、あなたがこの記事を読む時には過去になっているだろうが)世界の何だコレ!?ミステリーという番組で、京都の細すぎるドアが出てくると書いてあった。私はこれに興味をもって何だコレ!?ミステリーのサイトを見たが、テキスト情報としては細すぎるドアが見当たらなかった(後でわかったが、サイト内の動画に出ていた。でも当時私はそれを確認していなかった)。情報がないと、ますます気になり、私はネット検索してみた。結局京都のドアは見つからなかったが、それ以外の気になる「変なモノ」を見つけた。

そのネット上の記事のタイトルは
「狭い、狭すぎる!!!! JR塩尻駅の駅そば屋は定員2名で、きっと日本一狭い!!」

タイトル以上に、この記事の最初の画像が私は気になってしょうがなかった。大きな看板で宣伝された先にあるのは、あまりにも狭い入口だ。
https://www.uradoori.com/archives/24952067.html


もうひとつ、ずいぶん前に見つけた「変なモノ」を紹介させてもらいたい。

間取り図を一見しただけで「おかしい」とわかる物件揃いの「Y澤不動産」
https://gigazine.net/news/20170821-y-fudou/

これは間取り図の紹介だが、ほんとに変だ。「変なモノ」好きの私にはたまらないほど変だ。


Flexible Renamerの、ちょっとだけ高度なリネームに挑戦した [手記さまざま4]

Flexible Renamerは、その気になればとても複雑な作業ができるようだ。でも私にはまだそれは荷が重い。今日は、初めて「高度なリネーム」にチェックを付けて、ちょっとだけ今までよりも高度なことをした記録を残したい。


Czur Aura Proでスキャンした本の中に、目次から読みたい項目のページを知るタイプの本があった。たとえば文法書だ。実際の本ならばパラパラとページをめくってゆけば目的のページが見つかるが、ファイル名が単純な連番になっているスキャン画像はそううまく行かない。見当をつけてファイルを開いてみても数十ページ先や後のことが多い。画像表示アプリでキーボード操作を使い次々に先の画像を見てゆくとしても、本を指でパラパラとめくって行く動作に比べるとあまりに遅く、いらいらする。画像になった本ならば、ファイル名にページを含めるのが一番良い。ただし、数百ページある本のスキャン画像を1枚ずつ手作業で名前変更してゆく気にはならない。作業を自動でこなすアプリが必要だ。

Flexible Renamerを使う。私は単純な連番の付け直し(Czur Aura Proで連番にした後で、重複画像に気づいて1枚削除した場合など)にはこのアプリをよく使ってきた。しかし今回は、それに比べると作業が複雑だ。なぜならページを表す文字列を "pp.123f." のように表現し、単純に「文字列+連番」にしないからだ。そこで高度なリネームを試そうとしたが、使い方がわかるまでにかなり時間を費やした。そこで備忘録としてその方法を記録しておくことにする。

高度なリネームにチェックを付け
ワイルドカードを選択し
検索窓に*.*
置換窓に\1 pp.???f.\2
(注:\は、日本語環境だと¥だ。)
を指定すると

検索窓の最初のワイルドカード*は置換窓の\1にそのまま付く。つまり元ファイル名がそのまま残る。
" pp."と"f."はそのまま文字列としてファイル名に付く。
"???"は連番3桁を意味する。
検索窓の2つめのワイルドカード*は置換窓の\2にそのまま付く。つまり拡張子がそのまま残る。(拡張子前の"."は、"f."の"."とファイル名/拡張子を分ける"."を兼ねることになる。)

開始に最初のページを入れ
ステップを2とする(見開き2ページが画像になっているから)


注意
高度なリネームのチェックを外すとステップの設定は見えなくなるが、設定済みのステップ2は有効なまま。そのままだと高度な設定でないリネームでも連番は1つおきとなる。


追記
私はFlexible Renamerのバージョンアップをしていない。もしも最新バージョンで動作が違ったら、ご勘弁いただきたい。

近況 [手記さまざま4]

一度携帯の電話番号が悪者に漏れてから、身元不明の電話とSMSが時々来る。電話は出ないから用件は知らない。とにかく身元不明の電話番号からかかってくる。しかも、相手の番号はひとつでない。

SMSは、「お金が戻ってくる」という、明らかに「私は悪者です。引っかかるカモを探してます」と言わんばかりの内容だ。私にお金が戻るのは、国税還付金だけだ。(収入が低すぎるサラリーマンは、税金から差し引かれる金額の都合で、給料から天引きされる所得税が実際よりも多くなり、税務署に申告して還付される。)

私は残念ながらメンタルが弱い。ただでさえ転居がどうなるのか、後期授業の真っただ中に引っ越しとなったら授業はどうなるのか、親の脊柱管狭窄症はどうなるのかと心休まらない中で、上のような電話がかかってくるのは嫌だ。

転居は、お盆休みが終わって不動産業者とのやりとりが再開した。現在の候補物件が2つあり、それらはちょうど反対のメリット/デメリットをもっている。それで私は第3の物件を探し、これにも心配な所はあるが、とにかく内覧をお願いしようと思っている所だ。年末までに引っ越すことを考えれば、この3つの物件から1つを選ぶことになるだろう。

授業のための仕事は、今いちばん大変な思いをしている所だ。普通、大学の教員は夏休みには仕事をしない。自分の論文を書いたり、とにかく授業以外のことをする。ところが私は後期授業の真っただ中に引っ越しの可能性がある。だから、普通ならば後期になってからするはずの仕事を、今、毎日している。

仕事ばかりするから楽しみがほとんどなく、皆さんにとっては些細なことを私は楽しみにしている有様だ。少し前に、スマホのテザリングによるネットワーク番号が1100を超えた。
network1100.png
肝心の歩数計アプリ「からだメイト」のほうは、歩いても歩いても達成表示が出ない。


今度こそ本当に終わったと思う [  VHSビデオ(補完計画)]

少し前の記事で私はVHSビデオテープ補完計画が終わったと書いた。あの時は本当にそう思っていたのだが、後からふと思い出した録画がある。外国のドラマだが、録画が断片なので映画なのかテレビドラマなのかもわからない。2人の子供が父親を相手にハンストをしている。父親は、業を煮やした末に1人の子供の尻を叩く。(そうか、この頃はまだお仕置きとして子供の尻を叩く時代だったのだな。)しかし子供の意思は頑なだ。空腹と暴力に屈しない。私の断片的な録画はそこで終わっている。室内や服装の映像は、私には昔のイギリス的に見える。

私はまずGoogle画像検索を試した。録画が短いので、その中の様々な部分を静止画にして検索を試した。ハンストする子供達だけでなく、父親の画像でも試した。でも駄目だった。次に私はテキスト検索に切り替えた。たとえばhunger strike daughters old movieなど。それが駄目だったので、今度は日本語で検索し、質問掲示板で誰かがそのドラマを話題にしていないかと調べたがそれも駄目だった。お次はイギリスの子役で検索した。同じ顔が見つかるかもしれない。しかし私はある決定的な間違いを犯していた。それで何も見つからなかった。どんな間違いかというと、映像ばかり見て静止画を作り、音声を聞いていなかった。音声を聞いていれば、ハンストする2人の子供のうちどちらが主役かはすぐにわかっただろう。私は主役でないほうの子どもの顔をずっと探し続けていたのだ。

その日は途方に暮れて終わり、後日改めて検索を再開した。この時点でようやく私は、もう1人の子供の顔がアップになるシーンで検索した。
Battle.jpg
すると、わずかだが同じ顔がヒットした。画像の下にOlivia Husseyと書いてあった。聞いたことのある名だ。何も知らん私でも名前を知っているのだから、相当に有名な女優の子供時代だ。端正な目鼻立ちと黒い髪。どこかで見たような。ああ、こいつか!
OH.jpg

ビデオテープ録画は、The Battle of the Villa Fioritaという1965年の映画だった。Country欄には英語版ウィキペディアだけUK、他はアメリカと書かれている。原作者はイギリス人、監督はアメリカ人、配給はワーナー・ブラザースだ。日本で放送された時のタイトルは湖愁。ただしこの名で検索すると日本映画もヒットする。

最後に、お仕置きシーンの動画(日本語吹替)をご一緒に見て終わろう。今となっては珍しい、暴力による子供のお仕置きだ。まあ、これが映画の演技で、叩かれているのが子役時代のオリヴィア・ハッセーだから見る気になるのであって、本物の暴力は見たくない。ところで、動画はブログのファイル領域をたくさん消費するので好ましくない。そのうちには消すと思う。



何か月も経ってからでは治らない [手記さまざま4]

私がまだ痛風で通院していた頃、せっかく整形外科にかかっているのだから慢性腰痛の相談もしようと思った。MRI検査をした。そのことは、このブログにも書いた。ここに結論だけ再度書くと、痛み止めを服用するか、コルセットを付けるしかないという結果だった。

私は不思議に思った。日常的に腰痛なのだから、手術を含め何らかの方策を取るべきではないのか? 私は以前に椎間板ヘルニアで近所の医者にかかった時にコルセットを買う羽目になり、すでに持っている。つまり、現状を改善する手だてはないということだ。そんなことが、あるだろうか。

それから長い年月が経った。きょう、親が医者に行った。親は何か月も前に室内で転んだ。それ以来、右腕を上げようとすると痛い。かかりつけ医は内科だから専門外で、脊柱管狭窄症の親にはかかりつけ医以外に行くのが一苦労だった。それで今まで行かなかった。親が帰って来て言うには、何か月も経ってから来ても何も出来ることはないと言われたそうだ。

それを聞いた時に、私は自分がMRI検査をした時のことを思い出した。私の慢性腰痛も同じ事情なのだろうか。


VHSビデオテープ補完、完成。 [  VHSビデオ(補完計画)]

まずは近況報告から始めて、それから本題に入りたい。

今はお盆だ。お盆休みで不動産業者も休みを取り、転居関係は進展がない。そんな中でも私は動いた。最重要物件のベランダ近くにある木や家屋が日照の妨げになっていないかと見に行った。

でもそれが終わると、転居関係は小休止となった。私は大学の後期授業の真っ最中に転居となることを恐れているので、それからはひたすら全授業の教科書を先まで見て授業計画を立てて行った。

ところが、頑張りすぎて疲れた。そこで私は自分に「仕事と趣味の交代制」を課した。「この仕事を終えたら、この趣味ができるぞ」「次の趣味ができるのは、必ずあの仕事の後だぞ」と自分に義務付けることで、頑張りと楽しみを交互に設けて、疲れすぎずに仕事を先へ進められるようにした。

趣味の時間に何をするかは、その時に思いついたものをやる。私は自分のVHSビデオテープ録画の中で、未だに元動画不明となっているものを、再調査することにした。若い頃はこういう身元不明動画が気持ち悪くて、ぜひ元の番組を明らかにしたいと思ったものだ。でもそれから数十年が過ぎ、私は年をとった。今では、このまま不明で終わっても別にいいと思えるまでに無気力になった。でも「仕事と趣味の交代制」が今の私には大事だ。趣味の時間にちゃんと楽しんでおかないと、次の仕事時間へ元気に移行できない。私はネット検索してみることにした。

このビデオテープ録画は、以前にGoogle画像検索で調べたことがある。でも同一画像はひとつも出なかった。その時の画像は、下に挙げるものだ。明らかにアニメだが、地上波番組かOVAかもわからない。ただ時代的には私の子供時代ではなく、かなり後のものだ。それはVHSビデオテープの通し番号でわかる。
whatsthis01.jpg

以前に上の画像でGoogle画像検索をしても、何も見つからなかった。それで私がどうしたかというと、録画の別の部分を静止画にして画像検索した。
vhs171.jpg

この検索で元動画が判明した。元動画はSoul Linkというテレビアニメだった。今まで身元不明動画と記していた所にアニメ名が入った。「人生補完計画」は、またひとつ達成された。

私は前から思っているが、運命の女神は皮肉屋だろう。私が一生懸命探している時には得られず、私が年を経てどうでも良くなった時に得られる。ダイの大冒険もそうだ。私は若い頃、原作漫画の続きをどれほど望んでいたことか。でも何も現れず、年月だけが過ぎて行った。そのうちに人生の試練がいくつも私を襲い、私の脳内では、まるでバランの強大な思念がダイの記憶を消し去るかのように、昔の思いが消えていった。その後で再アニメ化だ。私の正直な思いは、「今ごろになって、なぜ!」だ。もう遅すぎる。

とはいえ愚痴は何一つ建設的でない。それよりも、建設的な報告がもうひとつ出来るので、それを書こう。

私のVHSビデオテープ録画には、もうひとつ身元不明のものがあった。それは、ものすごく短い。アニマックスのアイキャッチに一瞬映った少女だ。私はこれも画像検索してみることにした。
q.jpg

Google画像検索の結果、この少女の身元が判明した。検索結果のほとんどは私のビデオテープ録画のシーンでなかったが、同じ少女が映っている画像があった。それによると、これは「レ・ミゼラブル 少女コゼット」というテレビアニメだった。私は参った。何を参ったかというと、私は貧乏も、残酷も、悲劇も、長編小説も、歴史物も、全部苦手な人間なんだ。アニメのタイトルが「レ・ミゼラブル」だぞ。貧乏で残酷で悲劇で長編小説で歴史物が確定ではないか!

私はこの時点で逃げたくなったが、「人生補完計画」が私を何とか後押しした。あと少し、調査した。できればコゼットの母親の死に目に私が遭いませんように。

ネット上でコゼットの母親の絶対見たくなかった窶れ果てた画像を見てショックを受けつつ、私は頑張って調査した。まったくの偶然だが、アニマックスのアイキャッチとほぼ同じ画像がネット上にあった。しかしそれは日本サイトでなく、ヘブライ語みたいに横文字だが右から左へ読むんだろうなと察せられる文字のサイトで、何が書いてあるかはわからなかった。

いや、わかるかもしれない! 中近東の文字はたいてい右から左へ読む。では、そのページのタイトル1行の左端にある、1文字は何だ。「レ・ミゼラブル 少女コゼット エピソード ?」の、?の部分ではないか。これで、第何話かがわかる! 

私はその1文字をコピーして、検索した。果たして、その9みたいに見える文字の正体は、6だった。つまり私のビデオテープに入っているアニマックスのアイキャッチは、「レ・ミゼラブル 少女コゼット」の第6話だ。

私の記憶では、これで自分のVHSビデオテープ録画の中で身元不明の部分は無くなった。全部、明らかになった。VHSビデオテープ補完、完成だ。


親の脊柱管狭窄症 [手記さまざま4]

今日は親の脊柱管狭窄症の話だ。順を追って書こう。以前の先生から高齢を理由に手術を拒まれた後、1年くらい、つてを得られずに過ぎただろうか。今回、別の脊髄専門医に診てもらえることになり、一週間くらい前に私は付き添いで病院へ行った。その行く直前に、私は親にひどく驚かされた。それが今日記録したいことの1つめだ。

親は、脊柱管狭窄症の症状が出て以来、ずっと手術をしてくれる医者を探していた。上に書いたように、最初の医者には手術を拒まれた。次の医者も拒んだ。それから、新たなつてが見いだせなくなっていた。だから私は、当然今回脊髄専門医に診てもらうのは手術が目的だと思っていた。そうしたら、親はもう手術を考えていないと言う。私は驚いた。それなら、なんでわざわざ脊髄専門医に会いに行くんだ。親が言うには、自分の主治医は専門が内科だから、痛み止めをもらうにしても本当にそれでいいのかが気になるそうだ。私は、「たったそれだけのために行くのか!?」と呆れた。毎日とても痛いんじゃないのか? 痛くて我慢できないから脊髄専門医を頼るんじゃないのか? 私は、そうだと思って電話口で脊髄専門医の診療当日枠を一生懸命予約したのだが、親の言葉を聞いて呆気に取られた。

今日記録したいことの2つめ。上記来院の1週間後、親はMRI検査のためにまた病院へ来た。私も付き添いで来た。検査の後、先生と話をした。親は、やはり薬をもらうのが目的だと言った。でも私は、先生に手術のことを聞きたいと思っていた。なぜなら、うちの親は一度考えたことを後からコロコロ変えるからだ。今手術はしないと言っても、明日は「手術が出来ないから」云々と愚痴をこぼして不思議でない。私はそういう親の言葉に振り回されてきたので、親任せをやめた。私自身が納得せねばならない。何を納得するか。今度の先生は親の手術についてどう思っているのか。親の意向を抜きにして、親の手術のリスクをどの程度と見ているのか。先生は、手術をするならば、以前に他の病院でした椎間板ヘルニア手術の情報が必要なので、以前の病院からそれを取り寄せなければならないと言った。私は違和感を覚えた。今までの手術歴がわかったほうが良いのは当然だが、それがわからずに手術をしなければならないことも世の中には普通にあるはずだ。それなのに、親の手術にさいして、なぜ手術歴にこだわる? 私は、たとえ私が手術を強く望んだとしても、先生は乗り気でないことを察した。私の目的は、これで達成された。私は、手術を強要したかったのではない。先生にも言ったが、私は知識がゼロだから、親の手術について先生の考えを知りたい。それが目的だった。

ここから先は本題でなく余談だ。今後新しい先生に診てもらうことはないだろうが、もしも親がまた新しい先生云々と言っても、私はそれに反対する。最初に手術を拒んだ先生以外の先生は、親の手術について話をすると最後には、最初に手術を拒んだ先生の話が出た。そして、乗り気でないことが察せられた。(椎間板ヘルニアの手術をした先生と、脊柱管狭窄症の手術を拒んだ先生は、同じ先生だ。)私は、なるほどなあ、と思った。今後他の先生の所へ行っても、同じ結論が待っているように思える。

私はこの記事の最初の方で、「たったそれだけのために行くのか!?」と書いた。その気持ちは病院で会計を済ませた今も同じだ。結局この病院まで来てわざわざ脊髄専門医に診てもらった結果は、主治医に出してもらっているのと同じ薬を出してもらうだけだった。

親のMRI検査結果は私も見た。脊髄が2箇所も潰れて見えなくなっている。よくこの状態で下半身が動かなくならずにいるものだと私は思った。先生は、この状態では痛み止めを増やしても効果はあまりないだろうと言った。私もそう思う。


今日は残念ながら一日休みとなった [手記さまざま4]

私はこれまで、毎日予定を決めては、転居に関係する何かをしてきた。ある日は親の部屋にある物を列挙して、転居先へ持って行くか持って行かないかの区別をメモした。ある日は電車に乗って銀行へ行き、古いお金を口座に入金することで片付けた。ある日は洋服だんすの中身をチェックして転居先へ持って行かない物を捨て、さらに机の引き出しを引っ張り出して掃除し、カビ臭さを確認して持って行くか否かを決めた。ところが今日は、朝から体がだるく、腰が痛い。

やるべきことならばある。不動産業者が新しい物件のpdfを送ってきた。それが何か変だ。交通機関が遠く離れたJRの駅になっているが、あの辺はもっと近くにバスが走っているはずだ。調べなければならない。あるいは、現時点での最重要物件について、親がバスの窓から見たらバルコニーの近くに樹木と家があり陰になっていたと言い始めた。図面ばかり見て評価していた私は愚かだった。これを午前中の朝日が当たって欲しい時間帯に行って確認しなければならない。ところが体がだるく、腰が痛い。

私にとって転居は重圧だ。不安の塊だ。そういう精神面も、不動産業者から何か変な物件pdfが来てストレスが加わり、限界に来たのかもしれない。

残念だが一日休んで、心身ともに健康を取り戻さなければならない。


古紙幣銀行口座入金奮闘記。1回10枚?そりゃないよ [手記さまざま4]

今日は、ATMで使えない古銭、記念コイン、古い紙幣を銀行へ持って行き、自分の口座へ入金することで普通に使えるようにするつもりだった。同じことを私は3ヶ月くらい前にした。その時には前もって合計金額を数えておかなかったので、銀行の待合室で時間をかけて数える羽目になった。私はATMにお金を入れたら金額が出るように、窓口でお金を渡したら数えてくれると勘違いしていたのだ。そういえば窓口での入金時は紙に書いて窓口に出すんだったな。そういう体験があったので、今回はちゃんと合計金額を数えておいた。これで問題は起きないはずだった。

ところが意外なことが起きた。古紙幣の入金を、1回に10枚に制限しているという。私はびっくりした。百円札が100枚あったら、私は10回電車に乗って来なければならない。いや問題はそこではない。百円札なのだ。10枚で1000円。電車賃が往復で500円かかったら、手取りが半額になってしまう。それは無茶苦茶だ。

私は、お金を預かってもらって1週間後か10日後にまた来ると提案した。ところが、お金を預かることはできないのだそうだ。

古紙幣の入金が1回10枚というのは、コロナの特別事情だそうだ。コロナのせいで同時に働ける銀行員が少なく人手が足りず、しかも紙幣のチェックは2人1組で行うのだそうだ。そんな事情を知っていたら、私はわざわざ電車に乗って来なかったのだが。

窓口の人は、コロナが過ぎたらまたいらして欲しいと言った。それはもっともな言葉だ。ところが私は転居と引っ越しを目前にして、引っ越し前に古銭を片付けるのが目的で来た。

私は、今日入金できる分だけお願いしたいと言った。窓口の人は奥へ引っ込んで、偉い人(おそらく)と話をしてから戻ってきた。私が出した古いお金のうち、貨幣全部と、ご厚意で百円札50枚を入金してもらえることになった。私があらかじめ計算しておいた合計金額は無意味となり、私は今日入金してもらえる分の金額を待合室の隅で計算する羽目になった。

私の予想では3時間くらいかかるかと思っていたが、1時間くらいで呼ばれた。私はあらかじめ、銀行の閉店時間まででも待つと告げていたので、これなら全額のチェックだって余裕で終わったのにと思った。私一人にそんなに時間を使う気はないということか。

残りの百円札、拾円札、壱円札は、コロナが過ぎ去るまで手元に置いておくことになる(入金1回10枚交通費500円で手取り半額になるのは御免だ)。ところで(窓口の人が、コロナが過ぎたらまたいらして欲しいと言った時から思っているが)コロナはいつ去るんだ? 間違いなく、残りの百円札、拾円札、壱円札は引っ越しの時に持って行くことになるな。


ヨーロッパコンセント変換アダプタよ、今までありがとう [手記さまざま4]

ビデオカメラを転居先へ持って行くことに決めたので、その付属品である三脚も持って行くことになった。いっぽう、付属品の中でも使わないケーブル類、リモコン、そしてヨーロッパコンセントとの変換アダプタは処分となった。この変換アダプタにはヨーロッパへ行くたびに世話になったので懐かしいが、もう行けまい。もし行ったとしても一週間以内の短期、充電池に満充電して行けば何とかなるだろう。惜しいが今回処分だ。今までありがとう。
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ビデオカメラを転居先へ持って行くことにした [手記さまざま4]

きっかけは、少し前のブログ記事、源氏山から北鎌倉へは今の私の足腰ではもう歩けないだろうが、歩こうとするうちに健康になるかもしれないという、あの文章だった。その時はそれで終わっていた。そして日が替わった。

私は20時にもう寝てしまおうと思った。仕事ができないなら、寝てしまったほうが良い。夜中に目が覚めたら、それから仕事をしたほうが良いと考えた。その時、親が見ているテレビが目に留まった。今日は各地で花火があるらしい。驚いたことに、その花火会場のひとつがうちのかなり近くだ。

私は親にテレビの音を消してもらった。花火の音だけでも「生で」聞こえるはずだから。耳を澄ますと、遠くで太鼓のような低い音が連続して聞こえた。花火だ。親が言うには、昔は親の部屋の窓から年に一度花火が見えたそうだ。今では家が建ち並び、花火は見えなくなった。

私はふと思った。部屋の窓からは見えなくても、外に出たら見えるのではないか。親が言っている昔の花火はおそらく隅田川だが、今日の花火はうちのかなり近くだ。花火会場は、遠くに見えるビルの辺りのはずだ。ビルが見えているのだ。花火だって見えるのではないか。

それでも私は布団に横になった。私はもう若くない。子供のようにいちいち花火に関心を示さない。それに慢性腰痛で足腰が思うように動かない。私が歩いて花火が見える所まで行くよりも前に、花火は終わってしまうだろう。

その時、数日前のブログ記事が私の頭をよぎった。源氏山から北鎌倉へは今の私の足腰ではもう歩けないだろうが、歩こうとするうちに健康になるかもしれない。私は弾かれたように起き上がり、ビデオカメラを掴んだ。そして外へ出た。この時間、うちの近くに人は歩いていない。私は寝巻のままマスクも付けずに家の前の道を急いだ。花火が終わる前に行かなければ。

道をほんの少し行くだけで、花火会場の方向にある背の高いビルが見えた。しかし見えるのはビルだけで、花火は見えなかった。もっと近づくか。いや、今いる場所が高台だ。これより近づけば低地になり逆に見えなくなる。駅まで行けば障害物なくビルが見えるが、そんな暇はない。花火が終わってしまう。それに私は寝巻でマスクなしだ。人のいる場所へは行けない。

私は瞬時に頭を巡らせた。そしてビルが見えている方向から左90度の方角へ急いだ。なぜなら、その先にビルがよく見える場所があるからだ。だてに長年夜の散歩をしてはいない。家の近所はどの道も飽きるほど歩いた。

気になるのは時間だ。目的の場所まで少し歩かなければならない。花火が終わってしまわないだろうか。私は早足で歩いた。普段ろくに動かしていない股関節は痛んで思うように動かなかったが、それなのに気分が良かった。自分が本当に見たい物のために体に無理をさせて急ぐのは気持ちいい。健康のために仕方なく嫌々やる運動でなく、こういう事のために体は動かすべきだと思える。

やがて私は目的地に着いた。そこは崖の上で、ビルとの間は低地だから障害物がない。ビルはさっきより遠いが、その代わりによく見える。私はビデオカメラを構えた。花火がどんなタイミングで始まるかわからない。ビデオは撮りっぱなしだ。

やがてビルの右端から小さな光が見えた。花火はビルの向こう側だった。ビルの陰から右半分だけ見えたり、地平線に並ぶ家の棟から上半分だけ見えたりと、思ったよりも条件は悪い。それでも私はしばらく撮影して満足し帰途についた。

私は転居に際してビデオカメラを処分するか、それとも転居先へ持って行くか、迷っていた。初めは処分しようと思った。しかし、もしも授業がまた遠隔になったら、Zoomが苦手な私はビデオカメラで自分を撮影し動画を作ってオンデマンドで対応しなければならない。万一そうなった時のためにビデオカメラを捨てずに持っていなければならない。いや、ビデオカメラで撮影した素材をオンデマンド動画に編集するのは大変な作業だ。そういうことをするから私は自分の健康を害する。苦手でも今度はZoomを使わねばならない。それならばビデオカメラは不要だ。こうして考えは二転三転し、最後に不要論に行き着いていた。しかし今回、ビデオカメラで花火を撮影しようという気持ちが私を外で歩かせた。インドア派の私は滅多に自分から外へ出ようとしない。しかしメカ好きでもある私はメカを持っていれば外ででも何かしようとする。萎えた足腰をリハビリするには外を歩かなければならない。こんなことにでも使えるならば、ビデオカメラをまだ持ち続けても良いかと思った。


Czur Aura Pro引っ越し用梱包、しばしの別れ [手記さまざま4]

自室のスキャンできる物をすべてCzur Aura Proでスキャンし終えたので、Czur Aura Proを箱に仕舞い、そのまま引っ越し時に搬送できるようにした。機器を箱に入れた隙間は、これまでの自室整理で山ほど出てきた仕事関係のコピー束の一部を丸めて突っ込んで埋めたが、箱内にあった発泡スチロールはもうないので、空間はかなりあった。そこで、整理済みの本棚に「転居時に持って行く」として置いてあったテーブルタップx2、HDMIケーブル5m、眼鏡ケースの予備をその空間に詰めた。閉じた箱を立てて、その上部には埃よけ+中身の説明を書くために紙をかぶせなければならなかった。でも、その状態では運送業者が運ぶ時に紙がはがれて厄介だと気づき、上からビニル紐をH字にかけた。
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さあ、これでCzur Aura Proは引っ越し準備完了だ。

いっぽう、長年使ってきたフラットベッドスキャナは、先日の不燃ごみ回収で行ってしまった。私はもう大事な物を全部処分してしまって、フラットベッドスキャナで厳密にスキャンする物が残っていない。それに、あまりにも長年使ううちに、(動作的には全く問題ないけれども)内部を掃除してもどこかからすぐにごみが出てきてスキャン画像に映るようになっていた。そろそろ、お別れの時だったのだ。今まで本当に長い年月、お世話になった。ありがとう。


Czur Aura Pro 1枚1円達成 [手記さまざま4]

きょう、自宅にあるスキャンできるものをスキャンし尽くした。スキャンごとにデータを打ち込んできたエクセルに計算させたところ、今までにスキャンした有効な画像数は45,117枚、私はCzur Aura Proを43,560円で買ったので、1枚1円未満でスキャンしたことになる。これならば、この機械を買って損をしなかったと言えるだろう。
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仕事がないか、あっても昔のような流儀ならば、これでCzur Aura Proとはお別れとなるはずだった。ところが仕事が昔と変わり、Czur Aura Proは必要になった。出版社はバブル期のような余裕がないから、私は前期授業前に教科書見本+採用時献本で2冊も手に入れることができなくなった。だから、私はただ1冊の教科書に、授業開始前に書き込みをし、授業の進行手順や教科書の記述の不適切箇所訂正などをしなければならない。ところが学生の一部は初回授業までに教科書を買わない/あるいは買えない。私は初回授業分の教科書ページをコピーして、教科書をまだ買っていない学生に配らねばならない。ここに矛盾が生じる。まだ教科書を手に入れていない学生のためにコピーしようとする教科書は、すでに授業用書き込みだらけだ。書き込む前にコピーしておきたくても、初回授業日までは大学へ行けないからコピーしておけない。自腹を切ってコンビニでコピーするのはリストラを体験した私にはありえないことだ。そんな金持ちみたいな真似はできない。しかも私は足腰が悪く、コンビニまで歩くだけで辛い。そこでCzur Aura Proだ。教科書が決まったら、最初のほうのページだけこのスキャナでスキャンしておく。それを必要に応じて、初回授業時にUSBメモリーに入れて大学へ持って行き、大学のパソコン+プリンター+コピー機で(予想される)教科書未取得学生の人数分プリントを作る。そういう事情で、このスキャナは転居による処分を免れ、今後も仕事に使う。


音楽購入をきっかけに色々思う [手記さまざま4]

今日は、私には珍しいことをした。ネットで音楽を購入してダウンロードした。狩人の青春物語と、4人の歌手のカヴァーだ。これらは私のカセットテープの1巻に入っていて、調べたら全曲が1枚のレコードに収まっている。私の従妹が若い頃に狩人の大ファンだったので、きっと私が若い頃に彼女からレコードを借りたのだろう。本当の事情はもう忘れてしまったが、当時の私が狩人の曲をカヴァー曲を含めてこれだけ録音したのだから、きっとそうに違いない。
私は「うさぎ小屋」への転居を控えて自室のほとんどの物を処分した。大切なカセットテープも可燃ごみとなり果てた。こうして何もかも失った後で、わざわざお金を出してカセットの曲を購入するのは、私という人間にとってとても珍しいことだ。しかし、たまにはそんなこともしていいと思った。ちゃんとした音源を聴くと、音が良い。たまにはお金を使うべきだ。私は10年以上も前にリストラされた時から、心が歪んでしまったようだ。極端に出費を怖がる。それだけではない。外へも出なくなった。なぜなら定期券がないから。仕事をたくさん失って、週の限られた曜日にしか出勤しなくなったから、定期を買うと足が出る。だから回数券を買う。回数券は定期とは違う。定期ならば、ひとたび購入したからには使うだけ得をする気分だ。自然と外へ出て電車に乗りたがる。ところが回数券は、無駄に使えば損をする。だから仕事もないのに電車に乗ろうとはしない。そういう生活を10年以上続けて、私は歪みまくった。きっと、足腰が不健康なのも、外に出ないからだろう。そんな気がしてきた。横浜も鎌倉ももう行くことはない。青梅も。一年365日、職場と家のどちらかに居る。それでどうして体と心の健康が保てようか。源氏山から北鎌倉へは、もうこの足腰では歩けないだろうなあ。でも歩こうとするうちに健康になるかもしれない。
これから転居し、今までよりも多くの出費を毎月するようになったら、私は今よりも怯え、家に閉じこもるのだろうか。


コロナ第7波の中を、病院へ通わねばならぬ [手記さまざま4]

前回の記事から内容は続いている。つまり親の脊柱管狭窄症の話だ。朝一番で病院に電話をかけたら、病院受付のかわりにNTTが出たので驚いた。ただいまこの番号は大変混み合っております、おかけ直しください、だそうだ。再度電話をかけたら話し中。それならばと親がスマホでかけたら、つながらなかった。私はこの時点で逃げたかった。なぜなら、後期授業のまっただ中に引っ越ししそうなので、今この夏休みの間に教材を作っておかないと授業が破綻する。だから毎日頑張っているのに、これから病院へ付き添いで行ったら今日一日教材作りができない。今日一日で済めば私はこんなに嫌がらない。でも今日一日なんてことはない。おそらく一週間後にMRIでまた病院へ行く。その一週間後に結果を聞きに行く。当然私も付き添いで病院へ行くのだ。そして、手術するとなったら連日仕事ができないだろう。一体私の仕事はどうなってしまうのか。以上が本音だ。もちろんその本音を親に言えるわけがなく、困りながらまた電話をかけたら、電話が繋がってしまった。これから病院へ行く。

親は呑気で、早く済ませた方が良いので良かったと言う。早く済ませる?私の考えでは、始まったら最後、ずっと忙しい。上に書いたように。早く始まれば、早く忙しくなりそれがずっと続く。だから始まる前に教材を急いで作りたかったのに、今日もう始まってしまった。

親はさらに呑気で、送迎バスの時間まで一時間あるから私は仕事をしていれば良いと言う。これから整形外科の先生に会うことで頭の中は一杯なのに、仕事なんか出来るわけがないだろう。学生に見せる物をうわの空で間違って書いたら、授業を失敗してしまうじゃないか。

そういうわけで、この時間を使ってブログに記録を書いておく。本来このブログは趣味のことを書くはずが、転居だの病院だのと妙な方向へ変わってしまった。でも、そういうものが襲ってきたのだから、今は仕方がない。


これから忙しくなる予感 [手記さまざま4]

昨日は電気工具の話を書いたが、その後で悲しいことに気づいた。たとえ工具があっても私はもう電気いじりができないという現実に気づいた。トランジスタやコンデンサに書いてある小さな文字が、老眼で見えない。あれを見るのにいちいち虫眼鏡を取るようでは、電気いじりをしていられない。

私は若い頃、自分は近視だが年を取ったら老眼になってピントが遠くに結ばれ、ちょうど良くなると思っていた。しかし違う。近くの物は確実に見えない。小さな字を見るためには、まず目から遠ざけなければならない。しかし字がそもそも小さいから、遠ざけるとよけいに小さくなり、見えない。結局小さな字は見えない。

次の話題。このブログに何度か書いたが、私の親は医者から脊柱管狭窄症と言われている。医者は私の親が年をとりすぎているので自分は手術ができないと言った。他の医者に行くと、前の医者に紹介状を書いてやるから前の医者に診てもらうのが筋だと言って自分では診ない。そもそも前の医者がやってくれないのだと言っても頑なに拒む。こうして比較的近くにある全部で3つの整形外科で拒まれ、遠くへは行けず、行く所がなくなって何か月も過ぎた。親はその後も人から話を聞き、情報収集はしていた。きょう、ある病院に電話をして整形外科をお願いしたら、予約が取れるのは1か月も先だという。ただ、飛び入りで来る外来患者のための枠が少しだけあるらしく、目当ての先生がいる直近の日に朝一番で電話をして予約が取れるかどうか試すという方法を電話口で担当のオペレーターが教えてくれた。親切な人だ。いずれにせよ、親の診察がまた始まる。手術があるかどうかは診察の後でないとわからないが、もしあれば多くの時間を取られる。これから転居だという時にどうなるのかは、もうまったく謎だ。ついでに書くと、私の仕事は教師なので、授業前には教科書と学生を橋渡しするための教材を作らねばならない。そんな暇があるだろうか。ないのではないか。だから私は今、大学が夏休みの間に、先行して教材を作らねばならない。でも親の付き添いで病院へ行ったり、もしも手術ならばそれどころかたびたび病院へ行かねばならない。それだけで済めばよいが、すぐに退院してくれと言われて次に入院する所を探してくれと言われたら、果たして出来るんだかどうだか、授業はどうなるのか、転居はどうなるのか、何もかもが謎だ。

これが運命なんだろうが、これから忙しくなる予感がする。


子供の頃に使っていたテスター [手記さまざま4]

転居に向けて、今まで大切に保管してきた色々な物を捨てている。今日は、半田ごて、シャーシリーマー、やすり、リード線、そしてテスター。大人になって仕事ばかりするようになり、電気いじりをしなくなったのは、私自身が悪いのだ。その気があれば、何か出来たはずだ。

私が今やっているのはオーバーヘッドスキャナによる追加保存で、基本的に立体的な物は扱わない。立体的な物は何か月も前にカメラで撮影した。ここに出すのは今日の作業の足跡だから、立体的でない物。テスターの取扱説明書だ。これと同様のテスターを昔使っていた人もいるだろう。その人は、テスターをどうしただろう。

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転居の話を再開した。その結論。 [手記さまざま4]

きょう話したことなんだけど、あなたは最初言ったことがどんどんどん変わってゆく。「今まではこうだったんだけど」というのがなくて、それが当たり前みたいに話すんだよね。だから私はあなたを警戒して、これからはあなたを信じない。