SSブログ

ビデオカメラを転居先へ持って行くことにした [手記さまざま4]

きっかけは、少し前のブログ記事、源氏山から北鎌倉へは今の私の足腰ではもう歩けないだろうが、歩こうとするうちに健康になるかもしれないという、あの文章だった。その時はそれで終わっていた。そして日が替わった。

私は20時にもう寝てしまおうと思った。仕事ができないなら、寝てしまったほうが良い。夜中に目が覚めたら、それから仕事をしたほうが良いと考えた。その時、親が見ているテレビが目に留まった。今日は各地で花火があるらしい。驚いたことに、その花火会場のひとつがうちのかなり近くだ。

私は親にテレビの音を消してもらった。花火の音だけでも「生で」聞こえるはずだから。耳を澄ますと、遠くで太鼓のような低い音が連続して聞こえた。花火だ。親が言うには、昔は親の部屋の窓から年に一度花火が見えたそうだ。今では家が建ち並び、花火は見えなくなった。

私はふと思った。部屋の窓からは見えなくても、外に出たら見えるのではないか。親が言っている昔の花火はおそらく隅田川だが、今日の花火はうちのかなり近くだ。花火会場は、遠くに見えるビルの辺りのはずだ。ビルが見えているのだ。花火だって見えるのではないか。

それでも私は布団に横になった。私はもう若くない。子供のようにいちいち花火に関心を示さない。それに慢性腰痛で足腰が思うように動かない。私が歩いて花火が見える所まで行くよりも前に、花火は終わってしまうだろう。

その時、数日前のブログ記事が私の頭をよぎった。源氏山から北鎌倉へは今の私の足腰ではもう歩けないだろうが、歩こうとするうちに健康になるかもしれない。私は弾かれたように起き上がり、ビデオカメラを掴んだ。そして外へ出た。この時間、うちの近くに人は歩いていない。私は寝巻のままマスクも付けずに家の前の道を急いだ。花火が終わる前に行かなければ。

道をほんの少し行くだけで、花火会場の方向にある背の高いビルが見えた。しかし見えるのはビルだけで、花火は見えなかった。もっと近づくか。いや、今いる場所が高台だ。これより近づけば低地になり逆に見えなくなる。駅まで行けば障害物なくビルが見えるが、そんな暇はない。花火が終わってしまう。それに私は寝巻でマスクなしだ。人のいる場所へは行けない。

私は瞬時に頭を巡らせた。そしてビルが見えている方向から左90度の方角へ急いだ。なぜなら、その先にビルがよく見える場所があるからだ。だてに長年夜の散歩をしてはいない。家の近所はどの道も飽きるほど歩いた。

気になるのは時間だ。目的の場所まで少し歩かなければならない。花火が終わってしまわないだろうか。私は早足で歩いた。普段ろくに動かしていない股関節は痛んで思うように動かなかったが、それなのに気分が良かった。自分が本当に見たい物のために体に無理をさせて急ぐのは気持ちいい。健康のために仕方なく嫌々やる運動でなく、こういう事のために体は動かすべきだと思える。

やがて私は目的地に着いた。そこは崖の上で、ビルとの間は低地だから障害物がない。ビルはさっきより遠いが、その代わりによく見える。私はビデオカメラを構えた。花火がどんなタイミングで始まるかわからない。ビデオは撮りっぱなしだ。

やがてビルの右端から小さな光が見えた。花火はビルの向こう側だった。ビルの陰から右半分だけ見えたり、地平線に並ぶ家の棟から上半分だけ見えたりと、思ったよりも条件は悪い。それでも私はしばらく撮影して満足し帰途についた。

私は転居に際してビデオカメラを処分するか、それとも転居先へ持って行くか、迷っていた。初めは処分しようと思った。しかし、もしも授業がまた遠隔になったら、Zoomが苦手な私はビデオカメラで自分を撮影し動画を作ってオンデマンドで対応しなければならない。万一そうなった時のためにビデオカメラを捨てずに持っていなければならない。いや、ビデオカメラで撮影した素材をオンデマンド動画に編集するのは大変な作業だ。そういうことをするから私は自分の健康を害する。苦手でも今度はZoomを使わねばならない。それならばビデオカメラは不要だ。こうして考えは二転三転し、最後に不要論に行き着いていた。しかし今回、ビデオカメラで花火を撮影しようという気持ちが私を外で歩かせた。インドア派の私は滅多に自分から外へ出ようとしない。しかしメカ好きでもある私はメカを持っていれば外ででも何かしようとする。萎えた足腰をリハビリするには外を歩かなければならない。こんなことにでも使えるならば、ビデオカメラをまだ持ち続けても良いかと思った。