SSブログ
痛風日記 ブログトップ
- | 次の30件

採血前の記録 [痛風日記]

いよいよ採血まで一週間を切った。今までも食べ物には気をつけていたが、これからの一週間はさらに気をつけ、食べ過ぎにも気をつける。

食べ過ぎに気をつけるというのは、最近よく食べるからだ。痛風とわかってから2ヶ月は、あまり食べなかった。無理して食べないのでなく、緊張して食欲がなかった。色々なことに気をつけた。それからまた2ヶ月は経ったと思う。一種のリバウンドが来た。前回の通院で採血かと思って食事も他の生活も頑張ったら問診だけで終わり、気が抜けた。その頃からリバウンドが始まった。やってられるか、というような。プリン体の多い物は相変わらず食べないが、食べる全体量が多いから結局プリン体の摂取量は減らず、尿酸値は前回採血時ほど下がらないはずだ。

禁酒の影響も出始めた。以前のブログ記事に書いたが、もともと酒は通院・診察の後に1回飲んで、次の通院まで我慢するつもりだった。つまり2か月に1回のつもりだった。でもそう上手く行かなかった。1か月に1回飲んでいる。量は、前回は金麦3缶だが、次も3缶で足りるかどうかは飲んでみないとわからない。アルコール依存症には一種の禁断症状がある。私の場合、不機嫌になるらしい。「らしい」というのは、自覚症状がないからだ。私はいつも通りに普通に生活しているつもりだ。でも周囲の人が私の不機嫌を指摘する。私自身がひとつ思うのは、脳みそを酒漬けにして完全に能天気になり発散する機会を失った。日々の生活不安や昔人に傷つけられた記憶が何かのきっかけで吹き出すと、それが発散されずに心の中に溜まってゆく。

痛風発作についても記録しておく。以前の記事に書いたが、今までの発作の周期から考えて、今度の発作は年末か、あるいは薬が効いて遅れるなら年始だろう。ところが、数日前から左膝に気になる症状が出ている。この前の月曜日の夕方、左膝を押すと痛いのに気づいた。押さなければ痛くない。歩くのも不都合はない。でもなぜか押すと痛い。その日は何の症状か見当がつかなかった。ぶつけた覚えはないし、チクチク刺すような種類の関節痛でもない。翌日ふと「これは痛風発作のごく軽い症状ではないか」と考えてみた。押さなければ痛くない程度ではあるが、痛みの種類が痛風発作のそれと似ている。ロキソニンの貼り薬を貼って寝たが一晩経っても痛みの感じが変わらない。この「変わらなさ加減」も、痛風発作と似ている。もしもこのまま一週間ほどで痛みがケロリと治ったら、それは痛風発作だ。

痛風発作のきっかけ調査(5) [痛風日記]

5回目の痛風発作は、今回の発作だ。2017年6月。4回目から6ヶ月あまり。発作から次の発作までの期間は、毎回少しずつ短くなってゆく。4回目までは足の親指の付け根を中心に足首から先が腫れたが、5回目に痛くなったのは膝だった。一言で言えば、少しずつ悪化している。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2017-06-19-1
「急に右足の膝が痛くて歩けなくなった。歩けないので自力で病院へ行けない。これから救急車で病院へ行く。不安だ。」
私の記憶では、発作の前日に私は外出した。丸一日外出先にいて、夕方に電車で帰宅しようとした。ところが駅の改札を通ってホームで待っている時に、外出先の鍵をうっかり返却せずに持ってきてしまったことに気づいた。私は改札まで戻り、駅員さんに事情を話して改札を出してもらった。私の性格が災いして、早く戻って駅員さんに誠意を見せようなどと要らぬことを考え、走って鍵を返しに行き、走って駅へ戻った。「ここ数年足腰が弱って、走るなんてことは出来ないと思っていたが、走ろうと思えば走れるじゃないか」と私は思った。確かに走れたが、翌日体が音を上げた(痛風発作が起きた)。だから5回目の発作のきっかけは、(C)激しい無酸素運動だ。

2つのことを確認したい。

1.痛風発作のきっかけは、一般論としては少なくとも(A)(B)(C)(D)(E)(f)(g)の7つがあるが、人によって事情が異なるので、注意すべき点が異なる。私の場合は、まず何よりも(C)激しい無酸素運動をしないこと。走ったり踏み台昇降運動をした翌日には必ず痛風発作が起きている。次に、PCの前に長く座って(g)足を血行不良にしないこと。(C)と違って翌日にすぐ発作は起きないが、足の血行不良が痛風以外にも私の健康を損なっていることは、私自身が感じている。以上の2つが、私が痛風発作を起こさないために気をつけることだ。なぜ他の項目は除外したのか。(D)ストレスは、私の場合性格的にも要注意事項だが、生きていればまたいつか大変なことが起きるかもしれない。その時どうやって気をつけろというのか。どうしようもないではないか。同様に(E)遺伝的要因も、どうしようもない。(A)プリン体の多いものを食べない飲まないというのは痛風治療の基本だが、私は性格的に、とりわけ注意しなくても不安にかられて口にしなくなる。一度酒を飲んでしまったという記事を書いたが、その後は先日の通院まで飲まなかった。(B)過食と運動不足はどうか。私はもう歳で、若い頃ほど食べようとしない。運動については、子供の頃肥満で「運動」という言葉に辛い思い出がある私に運動をさせようと言うのが無茶だ。(f)水分を多く摂取するのは、私はいつも当たり前にやっている。今も薄いコーヒーをマグカップ一杯ガブガブ飲みながらこの記事を書いている。

念のために書くが、上の結果は私個人の結果で、これを読んでくださるあなたにそのまま当てはまるわけではない。それでも、こうやって今までの病気の経過を振り返ると改めて見えてくるものがあり有意義だということは、あなたにお伝えできたと思う。

2.ひとつ、この連載記事を書きながらようやく気づいたことがある。痛風治療を始めてからずっと、私は次の発作が起きないようにと頑張ってきた。それ自体は正しいことだろうが、でも次の発作が起きるわけがなかった。発作から次の発作までに数ヶ月の期間があるというのが、痛風発作の特徴だ。それはこの連載記事を読んでもわかるだろう。私の場合、4回目と5回目の間が6ヶ月あまり。治療を始めなかったら、次回はおよそ6ヶ月後。でも治療を始めたから期間は少し伸びるかもしれない。いずれにせよ、次の発作は今年の暮れから来年始めあたり。それまでは発作はない。

痛風発作のきっかけ調査(4) [痛風日記]

私の最初の痛風発作は2015年2月だった。今回の記事では、その先を調べたい。

2回目の痛風発作の前に、2015年7月に気になる記事がある。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2015-07-24
「先日、腰の調子が良かったのと酔っぱらった勢いとでPCの前に座ってブログ記事を書いていたら、左足がパンパンに腫れてしまいました。footの部分だけでなくlegもです。私が気にするべきものは腰痛だけでなく、たとえ腰の調子が良い日でも、冬の沖縄旅行で腫れ上がった左足の後遺症を気にしなければならないことが、はっきりわかりました。」
もしも痛風発作ならば、もっと痛みの記述があるはずだ。それに、footだけでなくlegもという腫れ方は痛風発作の腫れとは違う。これは痛風発作とは違う気がする。

2回目の痛風発作は、2015年11月だろう。1回目から9ヶ月あまり経っている。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2015-11-07
「木曜日に外出して夜遅く帰途につき、その日はなぜか、いつも痛む膝が痛まなかった。暗い夜道で後ろから足音が聞こえ、私は追い越されないように急いだ。変な人に追いかけられているという感じではなく、別に追い越されても悪くなかったが、こうして急げば早く家へ着ける。私は久しぶりにハアハアと息を切らせて家に到着した。運動もいいもんだと思った。翌日の筋肉痛が心配だったが、左足の甲の異変にはまったく気づかなかった。」
このあと記事は長々と続き、少しずつ足の痛みが増してゆく様が書かれている。2回目の痛風発作のきっかけは、(C)激しい無酸素運動だ。これは1回目の痛風発作のきっかけでもあった。つまり私は、(C)激しい無酸素運動で痛風発作が出やすいので注意しなければいけない。

余談だが、私は普段運動を嫌う。滅多に運動しない。だが時として、自分の根性を試すかのように運動することがある。そういう時、私はけっして音を上げない。そして、「なあんだ、私にも根性はあるじゃないか。」と思う。ところが翌日になって、精神でなく肉体のほうが音を上げる。とても残念だ。

3回目の痛風発作は、2016年6月。2回目から7ヶ月経っている。1回目から2回目までが9ヶ月あまりだから、少し短くなった。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2016-06-12
「朝起きたら、左足の親指付け根の関節が痛くなっていた。きのう一日中PCの前に座っていて血行不良になったのが、以前に腫らせて悪くなっている足の関節に悪影響を及ぼしたらしい。」
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2016-06-14
「前回の記事の翌日、私の左足は腫れ上がって歩けなくなった。」
3回目のきっかけは、(g)血行不良。私はPCの前に座り続けて太ももを圧迫し、季節に関係なく(g)血行不良を起こす。
もうひとつ、わかったことがある。痛風発作は、初日はまだたいしたものでない。ところが2日目は腫れ上がる。

4回目の痛風発作は、2017年元旦。3回目から7ヶ月たらず。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2017-01-02
これまでに何度も足を腫らしているので、PCの前に座ってはいけないとか、冬は自室の床を冷気が這うから暖房完備にしなければいけないとか、色々考えている。それだけ注意しても足が腫れたことを理不尽だと嘆いている。でもまだ痛風だと気づかない。
4回目の痛風発作のきっかけは、数日後の記事からわかる。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2017-01-06-1
「原因その1、踏み台昇降運動。去年暮れの大掃除の事は以前の記事に書いたが、その時私が重点的にやったのは天井の雑巾がけだった。当然台の上に乗っては拭き、降りては雑巾を洗う。それを午前中いっぱいと午後も少し続ける。私はその間、元から弱っている足腰で「踏み台昇降運動」を続けていた。私の現在の弱点である足に負担をかけた。」
痛風発作というのは、すでに関節に生じている尿酸結晶が何らかの刺激によって剥がれ落ちることで生じる。4回目の痛風発作では、その刺激は踏み台昇降運動だった。
もうひとつのきっかけは、(g)寒さによる血行不良だった。当時の記事には次のように書かれている。
「原因その3、足を冷やした。年末の晩、私は床を冷気が這う自室にいたが、靴下を2枚はき、しかも1枚はモコモコ靴下で、それに加えてレッグウォーマー、温かいズボン、これで完璧だと思っていた。ところが昨日、モコモコ靴下が思ったほど温かくないことがわかった。ちょうど、毛糸のセーターを着た上に何も着ないと空気の層ができずに保温性があまりないように。私は靴下のあまりのモコモコぶりに、これは温かいと思い込んでしまった。足が冷えてきても、こんなモコモコをはいているのだから、これ以上何もできないと考えた。でもそれは間違いだ。」

今回の記事はここまで。次回で、この連載記事「痛風発作のきっかけ調査」は最後となる。

痛風発作のきっかけ調査(3) [痛風日記]

私のブログから、足が痛くなったという記事を抜き出した。膝関節のチクチクする痛みなどは除外し、痛風発作と思われるものだけを残した。

それと、痛風発作が始まるまでには高尿酸血症になってから何年もかかるという情報を元に、最初の痛風発作から遡って高尿酸血症になった原因らしきものも抜き出した。

私はずっと、私の痛風発作の原因は飲酒だと思っていた。ただ、若い頃から飲んでいて、若い頃に比べると酒の量が減ってきたのに、この期に及んで痛風になったのが少し不思議だった。今回、最初の痛風発作から遡ってある記事を見つけた時、合点がいった。(リンク先はお読みにならないで。読んで気持ちのいい話ではないので。)
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2012-01-04
私が古狸に潰されたのはこの記事の1年前、東日本大震災の少し前だった。1年も経ってようやくこの件の記事を書ける精神状態までたどり着いた。2011年以来、私は心身ともにおかしくなった。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2012-09-18-1
半年過ぎると、体じゅうに蕁麻疹ができた。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2012-12-15-1
追い打ちをかけるように職場からリストラ通知があった。

2011年から2012年にかけて、私の心身はおかしくなった。この頃は生活不安から酒の量も尋常でなかった。この時以降に高尿酸血症だったのは間違いない。

つまり私にとっての痛風の始まりは、この時期の異常な(D)ストレスと(A)飲酒だと思う。(アルファベットは、前回の痛風記事に書いた痛風の原因の記号。)

それから数年は、腰痛や膝関節のチクチクはあったが痛風に関係する記事はない。最初の痛風発作は2015年になってからだ。これは、痛風発作が始まるまでには高尿酸血症になってから何年もかかるという情報と一致する。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2015-02-23
この記事では初めての痛風発作を次のように書いている。
「旅先で原因不明の足の腫れに苦しめられ、足の甲の厚さが通常の2倍となり、親指の根元はくびれがなくなって寸胴となりました。靴が入らず空港、飛行機、バス内では靴下で歩くしかなく、家までたどり着けるのかじつに心配でしたが一昨日の夜中に帰宅し、昨日まる一日寝込み、今日は起きられるようになりました。足はまだ腫れています。」
この時の痛風発作のきっかけを、私は前々回の痛風記事にこう書いた。
「冬の寒いさ中に毎日足を折り曲げて書籍のデジタル化をすること1か月以上、その後すぐに沖縄旅行で飛行機のエコノミー座席、着いた翌日からカメラを持って、いつも人より先へ出て良い写真を撮ろうと走り回った。すぐに足が腫れ上がった。」
まず、ただでさえ床を冷気が這う自室で長時間正座するという無茶をし、ひどい(g)血行不良だった。それを終えた翌日に飛行機のエコノミー座席で引き続き(g)血行不良となり、改善する暇を与えなかった。さらに翌日、写真を撮ろうと走り回って(C)激しい無酸素運動をした。あまりにも無茶だった。

冬の痛風要因である(g)血行不良が出てきたが、これは私のその後の痛風発作でも要因となる。いっぽう、夏の痛風要因である(f)暑さによる水分不足は、私には関係しない。なぜなら、私は冬でも飲み物をガブガブ飲み、夏はその2倍の量を飲むからだ。だから私は(f)水分不足のことは考えなくていいが、(g)血行不良のことは冬に限らず注意しなければいけない。(なぜ冬に限らずかは、話が進むとわかる。)

今回の記事は、必要があってとはいえ、読んで暗くなるような話になったことを申し訳なく思っている。次回はこんな話でないので安心してほしい。

次の記事へ続く。

採血日 [痛風日記]

第1部 病院へ行く前
午前8時記す。外出まであと1時間。

昨日から落ち着かない。人生は予想通りには行かないもの。プリン体の多いものを食べず、もちろん酒を飲まず、ここ一週間は無酸素運動を気にして普段歩く道を金を出してバスに乗った。(私は足腰が悪くて、普通の人なら良いウォーキングになる距離でも息が上がる事があるから。)ここまで気をつけても、どんな結果が待っているかわからないのが人生。加えて、前回の通院では先生の診察が遅れて午前の最終バスに間に合わず、午後のバスまで2時間待ちとなった。それで帰宅が15時近くになり、丸一日潰れた気分だ。先生の行動パターンというのは、そう変わらないもの。今回も午前のバスに乗り遅れ、15時近くに帰宅だろうか。
このあと第2部(採血結果編)が続く予定だ。それがどんな内容になるかは、これを書いている現時点ではわかるはずもない。


第2部 実況中継的記事

病院に着いたら先生の診察が始まっていた。今回は、30分遅れ60分遅れということはなさそうだ。
待合所に座りながら考えた。私は自宅のPCの前に座ると足が血行不良になる。ところがこの病院の椅子に座っても足がむくまない。一体何の違いがあるのだろう。今まではクッションの違いかと思っていた。でも違うかもしれない。高さの違いではないだろうか。私のPCが乗っている机はパソコン台ではなく、ちょいと高めだ。だから今まで、その机に合う高めの椅子を探すのに苦労していた。だって、PCが高くて椅子が低いと、両手を肩の高さまで上げてキーボードを打つという妙なことになるから。で、椅子が低いと人の体は尻で支えられ脚は椅子に触れないが、椅子が高いと太ももの裏側が椅子の縁で圧迫される。
おおっと、話の途中だが、いま「30分から40分遅れ」という札がかかったぞ。これで今回も15時近くに帰宅確定だ。
さっきの話の続きだが、私は帰ったら椅子の高さを調整してみる。ただし、両手を肩の高さまで上げてキーボードを打つと肩こりになりそうだ。どうしよう。
この記事は実況中継的だが、採血に呼ばれた時はスマホを仕舞ってすぐ行かねばならず、採血が終わったらしばらく押さえているから、そのへんは後からの記述になる。
11時になった。そもそも採血にも呼ばれない。まず採血があって、その結果が出るまで20分待って、その後で先生に会うはずなんだが。まあ、どうせ14時近くにならないと午後のバスがないんだ。いくらでも遅れてくれ。
やっと名前が呼ばれたが、なぜか採血の部屋ではなく先生の診察室に呼ばれた。問診があった。何事もないと答えた。また2カ月分薬を出すとの事だった。終わった。
・・・。
最初に書いた通りだ。人生は予想通りには行かない。でもとにかく午前のバスに間に合い早く帰れる。
次回は11月15日。今度は採血がある。先生の行動パターンはわかった(必ず遅れる)し、次回は採血の都合で予約時間が15分遅いし、次回こそ15時帰宅確定だ。

もうひとつ考えなければならない事が出来た。予約受付の窓口では、何も言わないと今回と同じ時刻で予約となるらしい。一回おきに採血のパターンだと、次回予約するの(つまり次の次の回)は採血なしの来院だ。今回と同じ時間ならば 午前の最終バスに間に合い早く帰れる。ところが今回の予約で時間が15分遅くなったから、それと同じ予約時間だと間に合わない。私は次の予約時に時間を早めてもらわなければならない。採血がある回は、逆に遅くしてもらわなければならない。次回採血ありの時は予約時間を10時30分(またはそれ以降)、次回採血なしの時は予約時間を10時00分(遅くても10時15分)にしてもらう。ただの痛風治療でも、より良い一日を送るために考えるべき事が色々あるものだ。

痛風発作のきっかけ調査(2) [痛風日記]

今日は、調査の前半。痛風発作を起こす原因の列挙をする。(A)(B)(C)(D)(E)(f)(g)の7つがある。

体内の高尿酸濃度が原因で、関節に尿酸の結晶ができる。この段階ではまだ痛みはない。何らかの刺激(運動、ストレス、薬による尿酸値の急激な低下など)によって尿酸の結晶が剥がれ落ちる。それを白血球が攻撃し、炎症を起こす。激しい痛みがある。これが痛風発作である。だから痛風発作の原因を知るには、高尿酸血症の原因を知ればよい。

高尿酸血症の原因は複数ある。

(A)プリン体の経口摂取。プリン体を多く含む食品や飲料を摂取し、そのプリン体から尿酸が生成される。

(B)過食と運動不足。肥満は尿酸の排泄を低下させる。過食や運動不足がプリン体を増やし、そのプリン体から尿酸が生成される。

(C)激しい無酸素運動
激しい無酸素運動によってATPが急激に分解され尿酸値が上昇する。

(D)ストレスが原因で血中尿酸濃度が上がると言われている。

(E)遺伝の影響。

 (f)(g)季節ごとの要因。季節により痛風の要因が異なる。
(f)夏は暑さで発汗が激しくなり、体内の水分が失われ、尿の量が少なくなり、尿と共に排出される尿酸も少なくなる。
(g)冬は寒さで血行不良となり、温度の低下で尿酸が結晶を作りやすい。

追記1
痛風患者がプリン体の経口摂取を制限しなければならないのは事実だが、ここに残念な情報がある。飲食物に含まれるプリン体から生成される尿酸は全体のおよそ20パーセント。残りの80パーセントは新陳代謝と運動により生成される。ということは、どんなに食事に気をつけても、体内の尿酸のせいぜい20パーセントにしか影響しないということなのか?

追記2
運動については、有酸素運動はしろ、無酸素運動はするなと言われている。面倒なことだ。

明日は病院で採血する日なので、この連載記事は1日お休みして通院報告をする予定。

痛風発作のきっかけ調査開始 [痛風日記]

「痛風日記」の記事を書き始めた頃から、調べたかった事がある。ネット検索をして痛風発作を起こす原因を列挙し、次にこれまでの私の痛風発作記録を読み直し思い出し、自分の場合には何がきっかけになったのかを認識する作業だ。

血中尿酸値さえ下がれば、なるほど痛風発作は起きないだろう。でも、今まで痛風発作のきっかけになっていた何かは、これからもずっとやり続けることになる。たとえば私の場合、最初の痛風発作は、冬の寒いさ中に毎日足を折り曲げて書籍のデジタル化をすること1か月以上、その後すぐに沖縄旅行で飛行機のエコノミー座席、着いた翌日からカメラを持って、いつも人より先へ出て良い写真を撮ろうと走り回った。すぐに足が腫れ上がった。私は、この行動と痛風発作には関係があると思う。そして、私が普段やっている行動パターンで病気に繋がりやすいものを見つけ認識しておくのは大事だと思う。

医者に行き、治療が始まってしまうと、つい医者任せになる。薬を飲んで、もらった紙に書いてある注意事項に気をつけているのだからそれでいいだろう、と。たしかにそれで普通かもしれないが、私の通う病院では、血液検査で尿酸値が高いことの確認はしたが、その後は型通りの進行で、薬を毎朝飲み、数ヵ月後に血液検査、その繰り返しとなる。私の体や症状に特化した調査や処方はしてくれない。だから私の体や症状に特化した考察は、患者の私がするしかない。

上記の作業をしようと思いついてから、いったい何ヵ月が経っただろう。私はようやく重い腰を上げた。まずは、痛風発作を起こす原因を列挙することから始める。

もうずいぶんネット検索した。痛風の記事は山ほど出てきたが、情報の取捨選択が難しい。ネット上の記事が全部医学的見地から書かれているのではない。特定のサプリメントの紹介へ導くのが目的のサイトもあれば、私の記事のように個人の記録を残すのが目的のサイトもある。もう少し時間をかけて情報の取捨選択をしてから、記事の続きを書きたい。

前回の続き [痛風日記]

前回からの話の続きなので、下の話になってしまうことをお許しいただきたい。前回の記事の翌日、医者には行かなくて済んだ。私は便通に困らずにこの歳まで来たので、排便時に「出る出る」と自分に暗示をかけるなんて考えた事もなかった。でもそういう「イメージする」というのが便秘で困っている人には必要で有効だと、よくわかった。
これを機に、親と少し話をした。私の親はずっと便秘で苦しんでいた。たくさんの方法を試し、そのためにたくさんお金を使ったそうだ。でも信頼できるテレビ局であるNHKで紹介された方法ですら、うちの親には効果がなかった。数十年の試行錯誤を経てようやく親を救ったのは、ある医者が処方した薬だった。最初は朝晩飲んでいたが、今は毎日便通があるので1日1回にしているそうだ。親の感想は、人によって何が効くかは全然違うというものだった。
このブログは私自身の人生記録でもあるので、最後に私の症状について記録させてほしい。私はやはり血栓性内痔核が怪しいと思っている。なぜなら、便通時に直腸の6時の方向に違和感を感じるから。そこにおできのようなものがあって便通を邪魔していると推測する。イボは外には全然出ていないので、正しい生活を続けていれば治ると思う。数日間は念のためにボラギノールAを使っておきたい。


飲酒の功罪 [痛風日記]

酒を飲んでしまった日の、まだ酔いが醒めないうちに、腰痛の私がなんだか歩けるような気がした。普段の無駄な力が抜けて、腰に力を入れずに歩ける気がした。そして歩いてきた。翌朝も目が覚めたら歩いて来たいと感じた。確かにストレスが取れ、気持ちも体も軽くなった。

酒を飲んでしまった翌日、朝のトイレで便が出にくかった。それくらいの事は若い時からたまにあった。その時だけ苦労して出せば翌日からはまた何でもなかった。ところが今回は、次の日も問題があった。それどころか、出にくいのではなく出ない。腸は、異物を排除しようと何時間も動いている。ところが出口に蓋が閉まっているかのように出ない。私は便通がとても良い人生を送ってきて、こんな不気味な事になったのは初めてだった。どうなってしまうのかと恐ろしかった。トイレで苦しんでいるうちに、ふと肛門科の先生の言葉が思い出された。「飲酒は、一晩で(痔が)出ます。」便が出にくくなったのは、飲酒の翌朝からだ。直腸に大きなイボが出来て便通を邪魔しているのか?でも今回は無茶な飲み方をしていない。あの程度の飲酒でも血栓性内痔核になってしまうのか?
結局浣腸で便を出したが、明日の朝も便が出なかったら医者に行く。私は明日の排便が恐い。

とうとう酒を飲んでしまった [痛風日記]

昨日はとうとう酒を飲んでしまった。飲む直前まで2つの思いがあった。
(1)ここ数日頭から酒のことが離れない。飲まないと、このままいつまでも酒のことばかり考えて暮らすのだろうか。次の採血までひと月を切る前に一回飲んで、後はまた採血までの1か月間またはそれ以上飲まずに頑張るとしたほうが良いのか。
(2)でも酒は麻薬のようなものだ。一度飲んでしまうと、その2日後にまた飲みたくなる。世の中には一生酒を飲まない人や、酒が嫌いな人もいるのだから、ここで我慢したら酒を飲まない人生に変えられるのだろうか。
でもその場合、私はいつ羽目を外して人生をリフレッシュできるんだ。

酒を飲むにあたり、考えた事がある。酒を飲みさえすればリフレッシュできるのではない。酒は感情増幅剤にすぎない。楽しめる物と一緒に使ってはじめて効果が出る。今回は、映画ロボコップ1&2のイッキ見で楽しむ事にした。だからブログにおバカ記事を出すという方向へは向かず、その手の記事は出ない。とにかく、飲み始めの時点から楽しみ(今回はロボコップ)を始め、酔いが回るまでの間に十分満足するほど楽しまなければいけない。飲みの前半に何か他のやるべき事をやって後半から楽しもうなどと考えると、十分楽しまないうちに飲みが終わってしまい、なんだかつまらなかったという感想を残す事になる。仮に毎週飲めるとしてもそんなつまらない飲み方はしたくない。まして今は、1、2か月に1回の飲みなのだ。
ビール缶を何本飲むか。私は、飲みには2段階あると思う。飲み始めから暫くの間は、本当に飲みたくて飲んでいる。その時はまだまともな感覚が残っているから、冷やしていない「第3のビール」を飲むと「ちょっと不味いな」と感じたりもする。そのうちに、酔うための酒の分量が足りてくる。それでも飲み続けると、今度は底無しに飲めるようになり、いくらでも続きを飲みたいと思う。これは、感覚が麻痺して、何もわからなくなっているのだ。感覚が麻痺しているから、不味い酒を飲んでも不味くない。それよりももっと飲みたい。これが、体が本格的に酒を拒むまで、あるいは酔い潰れるまで続く。それで翌朝後悔する。要は、上記第1段階が終わり第2段階へ移行する時を感じ取り、その時点で酒をやめることだ。しかしこれは難しく、第1段階の終わりを感じた時はすでに第2段階が始まっているから、もっと飲みたい、もっと飲めると思ってしまう。

例えば今回の私は、金麦を3本飲み終わった時点でまだ飲めると感じた。それで4本目を開けて、半分飲んだ時点で、もういいのかもしれないと感じた。現在痛風治療中という意識があるから、それ以上5本目6本目に手を出そうという気にはならない。開けてしまった4本目の飲み残しは捨てる(今後1か月は飲めないから)のでもったいないという余計な気持ちが働き、4本目はかなり飲んでしまい、4分の1ほど残して終わった。
4本目を半分飲んだ時点でやめるべきだったと思う。それは次回(1か月かそれ以上後に)必ず実現しよう。3本目が終わった時点でやめられれば最高に良いが、これは上に書いた通り、とても難しい。

酒の禁断症状が出ている [痛風日記]

痛風日記を書き始めたのが6月30日。それより前、痛風発作が出た時からは酒を飲んでいない。私がブログ記事に、禁酒の影響が出始めたと書いたのが7月30日。それから半月経った。今日が8月16日だから、禁酒してまだ2か月は経っていない。ここ数日、酒の禁断症状みたいなものが現れている。今日はとくにひどい。酒が飲みたい。人から何を言われても酒しか頭にない。禁断症状が出るならもっと早いと思っていた。私は、ここで酒を飲んだらなし崩し的に酒を飲むようになると感じる。酒は麻薬に近い。強い習慣性がある。で、このまま酒を我慢したとして、その後に何かあるのだろうか。今日という日の残りを有意義に過ごせるのだろうか。それとも何も手につかず悶々と過ごすのか。

禁酒の影響と体調不良 [痛風日記]

今日はスマホでなくパソコンで記事を書く。でも体調が良いからではない。スマホで漢字を変換して文章を作るのはとても時間がかかるが、それに耐えられないほど体がだるい。だからパソコンで短時間に終わらせる。

まず禁酒の影響から。痛風の薬を始めて1カ月は、酒を飲みたいとも思わずにやって来られたので、私は安心していた。しかし1カ月を過ぎた今、禁酒の影響が出始めた。そもそも私が酒を飲むのは世の中のストレスを忘れるためだ。ストレスの第一位は人間関係、私の場合人付き合いは苦手で他人と話すだけでストレスが溜まることがある。たとえば先日、スマホの2年契約が終わり、更新期間に入った。そこで携帯ショップへ行ってそこの店員に相談したが、その店員がADSLというものを理解していないらしく、現在の固定電話のアナログ回線をデジタルに変える案を出してきた。(そもそも、スマホを替える相談に行ったのに、なぜ固定電話を替える話になるんだ。)私が「デジタル回線にすると私の家のADSLが使えなくなるのでは」と言うと、店員はしばらく席を外したあと戻ってきて、大丈夫ですと自信満々に言う始末。店員があまりに長く席を外したので私はその間にテーブルの上にあったパンフレットを見て、そこにADSLが使えなくなるという記述を見つけていた。それを店員に見せると、今度は私の家のADSLを何とか使わなくさせようと食い下がる。私はそういう方のお相手を勤めてとてもストレスを溜めた。そういう時、以前の私は酒を飲んで頭をリセットした。ところが今は痛風治療で酒を飲めない。人は、少しだけなら飲んでいいと言う。でも上に書いた通り、私は人生のストレスをリセットするために飲むんだ。頭が一度酒漬けになるほど飲まないと意味がない。だから飲めない。それで悶々と過ごす。それだけではない事に気づいた。なぜ最近私のブログに記事が少ないのか。やっとわかった。私は酒を飲むと羽目を外して趣味の記事を書く。普段は引っ込み思案になって書かずに終わるようなおバカな記事を、飲んだ時だけは書けた。ところが今は禁酒だ。だから記事が書けない。

禁酒とは関係ないと思うが、ここ数日体調が悪い。そういえば痛風の薬を飲み始めたその日からしばらくの間、体がだるかった。それはブログ記事にも書いたはずだ。今回のはそれよりももっとひどい。今日の午前中は、体が重くて何もできなかった。午後には楽になってきたが、今日は体が重くて外出ができなかった。一体どうなってしまったのか。これがただの夏バテなのか。

病院から帰れない [痛風日記]

前回の記事が病院に行く直前の記事で、その数時間後にこの記事が出たので、これを読む方は、私が病院から帰ってきていそいそと記事を書いていると思われるだろう。でも実際には、まだ病院にいる。事情は次の通りだ。

私は予約時間よりもずっと早く、余裕をもって病院に着いた。待合室で待っていると、診察は30分から45分遅れという看板がかかった。9時30分の予約でずっと待っていた人が騒ぎだした。さらに待っていると、60分から75分遅れに変わった。私の隣に座っていた人が、前の先生もいつも同じように遅れたと話しかけてきた。この時点で、私は病院から帰れないような予感がした。というのは、昼頃のバスの時刻に2時間の空きがあるからだ。果たして、会計で呼ばれるまでにまた時間がかかり、支払いを済ませている間に午前の最後のバスが行ってしまった。仕方がないので近くの薬局で薬を買ったが、いくら薬局で待たされるといっても2時間の暇が潰れるわけもなく、私はすぐに手持ち無沙汰になった。いやそれよりも、とっくに正午を過ぎて腹が減った。私は空腹のまま病院の待合室に戻り、虚しく時を過ごしている。

そのせいというわけではないが、今回の血液検査は血糖値が妙に低い。朝飯食ってから測った値じゃない。糖尿病の心配は無さそうだ。尿酸値は5.1まで下がった。これが薬なしで下がったならば万歳という所だが、薬を飲んでいるから万歳はできない。予想通り、今後も薬を飲み続ける。前回は1か月分の薬が処方されたが、今回はおおよそ2か月分だ。9月にはまた採血する。

ああ腹が減った。私はまだ1時間近く病院の待合室に座っているだろう。あまりの暇さにブログ記事が書けた事だけは良かった。

1ヶ月の頑張りの後、きょう血液検査 [痛風日記]

1か月間プリン体の多い食材を避け、禁酒し、次回の採血では尿酸値がぐんと下がっていることを目指して頑張ったが、ネットやテレビの情報ではいくら頑張っても甲斐なく薬は続くと出ており、頑張っても甲斐のない事に人は興味が湧かないのでやる気の起きない今日このごろだ。体が健康でないと心も不健康になる。あるいは、痛風の事や持病の腰痛の事を考えすぎて心が元気をなくしたのかもしれない。私の元気がないのは、ブログ記事がなかなか出ない事からもわかるだろう。とにかくこれから採血に行ってくる。本当ならば、血液検査の結果が出てからそれをブログ記事にするのが普通だが、今の私は記事を書く気力もないから、果たして病院から帰ってすぐに記事を書くかどうかわからない。採血前の気持ちだけは採血の前に記録しておかないといけないので、追い詰められてやっと記事を書いている。

テレビで痛風の番組があった [痛風日記]

いまテレビで痛風の番組があった。私はすでに医者に行き薬を始めた都合で、今までにネットでいろいろ調べたから、そんなに目新しい情報はなかった。番組に出てきたある人は、1回目の痛風発作が足の親指の付け根、3回目の発作が膝だそうだ。私も似たような感じだった。それと同じ人かは忘れたが、最初の痛風発作で足がボールのように腫れ上がったそうだ。これも私の沖縄旅行の時と同じだ。番組に出てきた人の血中尿酸値は8.xで、私が8.0だから、これも似たり寄ったり。ネットに11とか何とか、すごい値の人の書き込みがあったから、私はてっきり自分の値は軽いんだと思い込んでいたが、実際にはごく平均的な痛風患者の値なのかもしれない。私の感想は、なあんだ、私は他のみんなより症状が軽くないし重くもない、みんなと同じだ、という感想だった。ひとり、医師に薬を飲みたくないと告げて食生活改善だけで状態を良くしたという人がいた。私はその人の真似をしようにも、すでに薬を1か月飲んじゃったからなあ。薬は、一般的には生涯飲み続けると言われているそうで、これはネットの情報に一致する。で、番組に出てきた先生が言うには、まず血中尿酸値が6以下になるように努力する。それで体内に溜まった尿酸結晶が溶けだす。(ここまでネットの情報と同じ。)注目したいのはここからで、現在体内にある尿酸結晶は一朝一夕に出来たものではなく、長年の積み重ねで今の状態に至ったので、尿酸値が6以下になってもすぐに全部溶けるのではない。だいたい数年かかると言われている。そこでまず数年間治療して、その時点で状態を調べて、後の事を決めたらどうかと。痛風患者の我々にとって数年の治療は長いが、それでも一生と言われるより良い。他にも細かいことが色々気になった。尿酸値に食生活が与える影響はほんの一部だそうだ。嫌だなあ。食生活が大部分であってほしいなあ。食生活なら改善できそうだから。例えば遺伝的要因とか言われたら、改善のしようがないじゃないか。痛風治療は食事と減量と薬の3つだそうだ。減量は、ネットにある通り、有酸素運動が良いらしいが、痛風と腰痛を併発している私の場合、ただ歩くだけでも足が腰をかばい、筋肉痛や関節痛を起こし、必死に歩くうちに無酸素運動になってしまう。階段の登り降りも、腰痛が出ている時にはとても出来るものではない。そういう人の場合は、どうするんだよう。私の以前の体重は74kgくらい、ここ2ヶ月くらい酒を飲んでいないので現在は67kg。痩せても痩せてもまだ肥満。やってられねえ。食べ物で意外だったのは果糖。肝臓が果糖を分解する時にも尿酸が出来るそうだ。果物ですら食べ過ぎ注意か。あ、でも、番組の中で、野菜に含まれるプリン体は気にしなくていいと言っていた。(これもネットの記述と一致。)果物はどうなんだ。無脂肪の乳製品は尿酸値を下げる。無脂肪でなくても効果はあるだろうが、ネットの情報でも無脂肪とか低脂肪とか付くよね。やっぱりそれって、太っちゃ駄目っていう意味なんだろうな。

膝痛とトイレの掴まり棒 [痛風日記]

痛風で膝が痛くなると、トイレに掴まり棒がある意味がよくわかる。例えば駅のトイレの個室に付いているような掴まり棒だ。駅のトイレは汚いので私は今までそういう余分に出っ張っている物を疎ましく思っていたが、今回膝が痛い時に自分の家のトイレで便座に座れなくて困った。幸い、うちのトイレはなぜか腰の高さまでがタイル張りで、それより上の壁にはタイルが無く、タイルがある部分は無い部分よりも少し出っ張っている。つまり腰の高さにわずかな段差がある。今までこの段差はただの飾りだろうと思って数十年を生きてきたが、今回この段差に手を突っ張って何とか便座に座る事ができた。私は、もし家を改築するならトイレに掴まり棒を付けようと思った。

痛風発作の時には風呂で温まってはいけないので湯船に入るための掴まり棒は不要だが、それでもお風呂椅子に座るために私は掴まる所が欲しかった。私の家の風呂場には洗濯機があるので、左肘を洗濯機の上に突っ張り、右手をバスタブの縁に突っ張って腰を下ろした。もしも洗濯機が無かったら、私は左手を突っ張る場所がなくて困っただろう。健常者は自分が不自由しないから、体が不自由な人のための設備に心からの必要を感じにくいかもしれない。しかし自分が困れば、考えは変わる。

松葉杖 [痛風日記]

病院から借りてきた松葉杖は使う時がなかった。なぜなら、痛風発作がひどい時はそもそも外出できず、痛風発作が収まったら松葉杖を使う必要がないから。歩けないほど痛い発作なのに10日もするとケロリと治るというのが、痛風発作の特徴だから。

もうじき松葉杖を病院に返さなければならない。その前に、せっかくだから松葉杖の使い方をマスターしておくべきだ。それに私は痛風以外にも下半身に複数の問題を抱えていて、今は軽度の腰痛で歩行が困難だ。ちょうどいい。松葉杖があったほうが歩きやすいかどうか、試そう。

松葉杖は身長に合わせて長さを調節する。でもこれは病院でやってくれる。杖の上部がまるで脇の下を支えるかのような形になっているが、杖で脇の下を支えるのではない。脇で杖の上部を挟み込む。両側に松葉杖を持つ場合、まず両側の杖を体の前方に突き、それから足を運ぶ。慣れないと足元ばかり見てしまうが、それはいけない。前方を見て歩く。地面が濡れている時は杖が滑るので注意する。

実際に歩いてみると、慣れないせいもあるだろうが、歩きにくい。ゆっくりしか進めない。軽度の腰痛で体を傾けながら苦労して歩く程度ならば、松葉杖を使わないほうがよほど早く歩ける。私は病院で松葉杖を借りて以来、外で松葉杖を突く人を見ると観察する。ある人は、まるで杖があってもなくても同じであるかのように早歩きでスッパカスッパカ移動していた。私にはあれは出来ない。慣れたらあんな風に歩けるのだろうか。またある人は、杖を使うのが面倒なのか、数歩の距離の移動はケンケンしていた。あれは痛風とはまったく違う症状だなと私は感じた。痛風発作ならば、ケンケンで生じる振動で痛くてたまらないだろう。多分あれは足首の捻挫だ。

松葉杖は階段を登るようには出来ていない。階段の登り降り時は無用の長物となる。

見当違いの努力なのか [痛風日記]

頭にもやがかかり倦怠感のある状態は、前回のブログ記事以来続いている。朝起きてしばらく仕事をすると、だるくなってまた横になりたい。私は高血圧ぎみだからまさかと思っていたが、血圧を測ってみた。うちの血圧計は病院にあるような本式ではなく簡易式だが、上が103だった。高血圧の私にとってこれは、ありえへん数値だ。今までの長い人生で一度もなかった。だいたい上が130位のはずなのに。フェブリクを服用しはじめた日の昼からこの症状が出始めたので、薬の何らかの副作用である可能性が疑われる。

今日は食生活改善について書きたい。酒を飲まないのは自明の事として、他にもプリン体をとくに多く含む食品は避けなければならない。病院でもらってきた紙に一覧表がある。レバー。これはわかる気がする。問題は次だ。鶏ささみ。鶏むね肉。これらは鶏もも肉に比べてヘルシーではなかったのか。でもプリン体は鶏もも肉のほうが少ない。魚もびっくりだ。サンマとカツオとスルメイカ。スルメイカはわかる気がするが、サンマとカツオは体に良いと思い込んでいた。でもプリン体はとくに多い。エビ、カニ、カキよりも多いのだから驚きだ。

さっきネット検索していて、気になるブログ記事を見つけた。フェブリク10mgを服用しはじめたらすぐに尿酸値がすごく下がり、ところが医師は治療を終えるどころかフェブリクを増量したと言うのだ。私はまったく別の事を想像していた。10mgだから効果は少しで、その時点で食生活改善により尿酸値を下げられれば治療を早めに終えられるのではないか。(前回の記事に書いたが治療費を払い続ける事は私の家計に響く。)だからこそ次の検査までの1ヶ月を頑張ろうと思っていた。しかし上記のブログ記事がもしも私にも当てはまるなら、私はてんで見当違いの努力をする事になる。

痛風日記、始める [痛風日記]

病気の記事でブログ記事数が増えるのは、嬉しくない。でもこれも私自身の人生の一部だから、記録しなければ。

私は痛風らしい。血液検査の結果、 血中尿酸値を示す何とかいう値が8あった。これが7を越えると高尿酸血症だという。

ネットで調べると、今回の検査結果が8だからといって私の平常時の尿酸値も8とは限らないようだ。ウィキペディアには、痛風の「少なくとも非発作時には血液検査での高尿酸血症が見られるが、25%の患者で発作時に尿酸値が正常である」と書いてあって、これはつまり、痛い時に測っても平常時より値が低いかもしれないという事ではないか。

とにかく治療は始めなければならない。薬は、痛みがある時には尿酸値を下げると痛みが増すかもしれないのでセレコックスなどの抗炎症鎮痛剤(と、胃を保護する薬)だけを飲む。痛風の痛みは10日もすると嘘のようにケロリと無くなるので、それから尿酸値を下げる薬に切り替える。

ネットの情報によると、尿酸値を下げる薬には2種類あるらしい。尿酸の生成を抑えるのと、尿酸の排出を促すのと。私が処方されたのはフェブリク錠で、尿酸の生成を抑えるほう。何の問診もなくこっちの種類の薬に決まったが、そういうものなのだろうか。10mg。ネットの情報によると、これは一番少ない量だ。尿酸値が急に下がると痛みが出るから、最初はこの量から始めるらしい。しかし様子を見て量を増やしてゆくとネットには書いてある。

同じくネットには、尿酸値を下げる治療は長期間あるいは一生続けると書いてある。私の年になると、若い頃とは違って、病気は根絶すべきものという考え方は無くなる。持病とうまく付き合ってゆくのが人生だ。だから尿酸値を一生気にし続けるのは構わない。でも私はリストラおじさんなので金がない。治療費を一生払い続けるのは不安でならない。私の場合はそっちが大問題だ。家計簿の支出を増やさないために、なんとか食生活や生活習慣の改善だけで尿酸値を低く保ちたい。私は生活不安から酒を飲み過ぎた。この飲酒が無くなる事で、果たしてどこまで尿酸値が下がってくれるか。次の病院行きは1か月後だ。その時にまた採血するという。その結果が私はとても興味深い。

フェブリク錠は昨日飲み始めた。朝食後に飲んで、昼前になったら体調が妙だ。頭がぼうっとして考えがまとまらない。夕方は眠くてたまらない。今朝は早く起きられず、起きた後は倦怠感がある。これが薬の副作用なのか、それとも梅雨時の気圧降下が体に影響しているだけなのかはわからない。とにかく記録しておく。

痛風について書きたいことはまだまだあるが、1週間あまり安静にしていた間に何も出来なかったから、やりたい事、やらなければならない事がたくさんあって記事を書いていられない。この続きは日を改めて書きたい。

足の腫れ対応は私の急務(2) [痛風日記]

足footの腫れの具体的な諸症状を挙げる。腫れの度合いを3段階(最悪レベル・中間レベル・快復中レベル)に分け、当該の症状がどの度合いに相当するかも記す。

激痛が走る
これが私の知る最悪レベルの特有の症状だ。激痛のあまり歩けない。空港からバスまで、バスからタクシーまでは何としても移動しなければならなかったが、足を上げて歩くのは痛くて不可能、地面を引きずるしかない。靴を履くのは痛くて不可能、スリッパのように爪先だけ入れ、靴の踵は踏み潰して摺り足で移動した。足を動かす度に激痛が走り、それを緩和するために氷のような冷たさの2月のアスファルト道路に足を付けて感覚を麻痺させた。

膨れる
最悪レベルはもちろん、中間レベルでも特有の症状。自分が体験して、腫れるとは膨れることだと実感した。最悪レベルでは、人間のfootではない形状にまで膨れる。中間レベルでも患部を中心にあからさまに膨れた形状になる。この腫れが外見上無くなっても、まだ治ったわけではない。このように炎症を起こしている時は、風呂でよく温めると逆効果となりひどくなる。横になって安静にしているのが良いが、安楽椅子に座っている時は台を持ってきて足を上げる。

赤い
腫れているから赤いのだが、赤みが取れてもまだ腫れている。パンパンに膨れてしかも赤くなっている患部は、見るからに悪い状態で一刻も早く治したいと感じる。鎮痛消炎の貼り薬または塗り薬と飲み薬を併用し、しかも安静にしている。通常の腫れ方ならば、腫れが引くまでにおおよそ一週間かかる。最悪レベルからの回復ならばもっとかかる。

何かが当たると痛い
中間レベルの症状。何もしなければ痛くないが、不注意で足に何かが触れるとズキンとして驚く。靴下は履く時に痛いから履けない。あるいは、ブカブカの靴下を、痛いのを我慢して頑張って履く。

寝ていて無意識に親指が反り、激痛が走って飛び起きる
中間レベルの症状。布団が足を圧迫すると痛いので、寝る時の姿勢が制限されるが、寝る時の不自由はそれだけでない。私だけの癖かもしれないが、私は眠っていて無意識に足の親指を反らせるらしい。なにしろ寝ている間の出来事なので、この歳になるまで知らなかった。でも足を腫れさせて、夜中に激痛に飛び起きてわかった。眠っている間の事なので、意識して気を付ける事ができない。そこで私は、医療用テープで足の親指と他の指をひとまとめに巻き、親指が動かないようにした。これを毎晩寝る前に行い、朝起きたらテープを外した。逆に言えば、足の親指をテープで固定せずに眠って夜中に激痛に襲われなければ、腫れの度合いは軽い方だとわかる。

足の腫れの具体的な諸症状は、今思い出す限りでは以上だ。次に、中間レベルから快復中レベルへと治ってきた事がどうやってわかるかを挙げる。つまり、下記の状態が快復中レベルの状態という事になる。

足の親指が曲がるようになる
痛いから曲げられないとは限らず、腫れているから膨れた肉がつっかえて指が曲がらないという現実がある。これが、ある日試しに曲げてみて腫れていない方と同じくらいに曲がると、かなり良くなってきたなと実感できる。しかし、曲がっただけではまだ完治には遠い。

足の親指が痛みなく反る
先ほど書いた、眠っている間に無意識に足の親指が反るのが大丈夫になって、さらに腫れが引いて親指が曲がるようになっても、自分で意識して足の親指をいっぱいに反らせるのはまだ違和感を伴う。何かの拍子に、ある特定の角度で指が圧されるとまだ痛い。見た目の腫れは無くなっても、内部の炎症はまだ収まっていないということだ。これが、違和感なく反らせられるようにならなければいけない。

貼り薬を貼り忘れる
症状がひどい時は、薬を忘れるはずがない。だいぶ良くなってきた頃、完治まであとひと息という所で数日間改善が感じられない事がある。そういう時、貼り薬を貼り忘れるようになると、悪くないのかなと思う。体が痛みや違和感を感じず、それを脳が記憶していて安心するから薬を忘れるのだろう。

体が普通に動く
体というのはよく出来ていて、どこかが悪ければ無意識に悪い所をかばい、それが良くなればかばわなくなる。足の指が悪いと、指を反らせるような姿勢、相撲の蹲踞のような格好はどうにもしたくない。これが治ってくると、ある日抵抗なく蹲踞姿勢がとれるようになる。歩き方も、足が悪いとかばって変な歩き方になる。これがある日普通の歩き方になったら、治ってきたんだなと実感できる。しかしそれでも、まだ完治には遠い。内部の炎症はまだ収まっていない。普通に歩けるようになったと思っていたら、またぎこちなく歩いているのに気づく事がある。そういう時は、何らかの理由でまた幾分悪くなっているので気を付ける。

外を普通に歩ける
家の中を自由に歩けても安心してはいけない。屋内を歩くのと外を歩くのは体への負担がまるで違う。それは、病み上がりに外を歩いて実感した人が多いはずだ。外を歩いて、たとえば駅までとか、用事が済ませられるようになって、初めて完治と言える。

足の腫れ対応は私の急務 [痛風日記]

自分の足がなぜ腫れたか、よく考えてみた。

今回の腫れは、注意していたはずなのになった。それが私には理不尽に思えた。何よりも、注意していて腫れるのなら、防ぎようがない。いつまた腫れるかわからない。そんな結論で良いわけがない。

だから私は無意識に、腫れた理由が何かないかと考え続けた。

まず、今回腫れた所は以前にも腫れた場所だ。以前には、今回よりもひどく腫れた。一度ひどい炎症を起こした場所は、治っても痕跡が残る。つまり再発しやすくなる。そして、心身が極度にダメージを受けた時には、自分の体の中で一番弱い部分がまず悪くなる。たとえば若い頃の私は歯根まで達するひどい虫歯を一本持っていた。バックパッカーとして格安航空券でストレスを溜めながら寝られずにヨーロッパまで行き、極度の疲労に襲われると、最初の宿で決まってその歯が痛くなった。今はもうその歯を抜いてしまったので歯は私の弱点ではなくなった。今の弱点は足の腫れということだ。もちろん、この弱点は歯のように抜いてしまえない。だから今後私は足に気を付けて生きなければならない。ではどのように気を付けたら良いのか。

最初に腫れた時には原因がかなりはっきり推測できたから、それを手がかりにして今回の事も考えよう。私は今住んでいる家を出なければならないと脅され、自分の思い出の品を可能な限り保存したいと焦り、書籍のスキャンを始めた。時しも寒い冬で、12月、1月、2月と毎日作業した。なぜ急いだかというと、2月に沖縄へ行く予定があったからだ。作業は沖縄行きの直前に終わり、その時は何の自覚症状もなく沖縄へ発った。しかし実際には、床を冷気が這う自室で和室用のテーブルの前に正座して作業すること数ヵ月、私の足は冷え、しかも血行不良に陥っていた。その状態で飛行機のエコノミークラス席に座り、沖縄に着いたら翌日から歩き回った。そうしたら、右足の親指の骨の付け根あたりを中心に、足首から先が人間の足じゃないみたいに腫れた。これが最初だ。最初は左足でなく右足だった。原因と思われるのは、足を冷やし続け、折り曲げて血行不良にし、その状態で激しい運動をしたこと。これらの原因が今回の腫れにもあるかどうか、あとで考えてみる。

さて、それから数ヵ月が過ぎ、私は別の書籍もスキャンしたくてたまらなくなった。今の家に住めなくなる、小さな住居に引っ越して全部棄てて行かなければならないというのは、私にとって大変な恐怖で、思い出を保存するのに必死だった。そうしたら今度は左足が腫れた。季節はもう冬ではなく、寒くはなかったはずだが、最初に右足が腫れた時に左足も、内部で同様のダメージになっていたのだろう。そして今度は左足が腫れた。私はその時以来、和室用のテーブルの前に座って作業するのをやめた。これで、床を冷気が這う自室で足を折り曲げている事はなくなった。しかし他にも禁止事項が出来てしまった。PCの前に座ってはならない。椅子のせいなのか、それともPCのディスプレイを見ようと前屈みになるからか、足の血行が悪くなる。とくに足が腫れている時はすぐに違和感が出る。すぐにやめなければ足の腫れがひどくなる。ところがPCの作業は曲者で、あとちょっと、きりのいい所までやりたいという欲求が出る。依存症のように。だからPCの前に物を置いて座れなくするなどの強行手段もとらねばならない。

今回の腫れの前には、和室用のテーブルの前に正座しなかったのはもちろん、PCの前にも座りすぎたつもりはない。腫れの前は、熱を出して寝ていた。その前は、大掃除をしていた。では今回の腫れの原因は何だ。

以前の腫れの時ほど明確ではないが、こういう事ではないだろうか。

原因その1、踏み台昇降運動。去年暮れの大掃除の事は以前の記事に書いたが、その時私が重点的にやったのは天井の雑巾がけだった。当然台の上に乗っては拭き、降りては雑巾を洗う。それを午前中いっぱいと午後も少し続ける。私はその間、元から弱っている足腰で「踏み台昇降運動」を続けていた。私の現在の弱点である足に負担をかけた。最初の腫れの時はまず足を冷やしてから足に負担をかけたが、今回は順番が逆だ。だからひょっとすると、これは今回の腫れの原因に含まれないのかもしれない。ただし次の事も言える。ここ数ヵ月、私は右足の関節が悪かった。だからいつも無意識に左足が右足をかばっていた。大掃除の踏み台昇降で地面に着地して体重を支えたのは、毎回全部左足だったはずだ。

原因その2、体が弱った。大掃除半ばにして熱を出して寝込んだ。心身が極度にダメージを受けた時には、自分の体の中で一番弱い部分がまず悪くなる。これは今後、気を付けよう。風邪の原因菌が左足の関節に入った可能性もある。

原因その3、足を冷やした。年末の晩、私は床を冷気が這う自室にいたが、靴下を2枚はき、しかも1枚はモコモコ靴下で、それに加えてレッグウォーマー、温かいズボン、これで完璧だと思っていた。ところが昨日、モコモコ靴下が思ったほど温かくないことがわかった。ちょうど、毛糸のセーターを着た上に何も着ないと空気の層ができずに保温性があまりないように。私は靴下のあまりのモコモコぶりに、これは温かいと思い込んでしまった。足が冷えてきても、こんなモコモコをはいているのだから、これ以上何もできないと考えた。でもそれは間違いだ。昨日も自室にいて、モコモコ靴下をはいていた。昨日は寒かった。足が冷えた。こんなモコモコをはいているのだから、これ以上何もできないと考えた。そう、危うくまた同じ間違いをする所だった。人間の思い込みは、時に愚かだ。寒いのに、そんなはずはないと考える。これからは、自分の体が感じた事に、もっと気を付けよう。体が寒いと感じたら、どんなに厚着していようが暖房していようがそれは寒いのだ。足が冷えて温まらないと感じたら、どんなモコモコ靴下をはいていようがそれは足が冷えているのだ。即座に対応しなければいけない。

今私はどうすべきか。自分の足の状態をよく観察し、考察する。なにしろ過去に2回も腫れているから、その時の経験から、今がどんな段階かがわかる。しかし今回はここまでだ。スマホで文章を書くのは物凄く時間がかかる。ここまで書くのに何時間かかっただろう。もう休まなければならない。

- | 次の30件 痛風日記 ブログトップ