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旅目的地研究 12月1月版 [旅行 国内]

本題に入る前に、今までに掲載した国内旅行の記事(タイトル)を列挙します。これらは、左のカテゴリーから「旅行 国内」をクリックすると全部表示されます。

北海道(道東)
北海道(道南)
白神山地・奥入瀬
尾瀬・軽井沢
上高地・白川郷
京都・奈良
九州
沖縄離島めぐり

それでは、今回の記事をどうぞ。

**** **** ****

パッケージツアーのカタログが郵送されてきたので、ここはひとつ、旅目的地の研究をしてやろうという気になりました。私がまだ行っていない所、つまりこのブログで紹介していない所はどこか?

旅にもシーズンがあるので、今回は12月1月版の研究となります。ツアーのカタログを見ての第一印象は、「この時期は温泉と初詣ばっかり」ということです。

あまりにも温泉と初詣だけにこだわる目的地は除外しました。

猊鼻渓・田沢湖

猊鼻渓は岩手県にある名勝で、長さ2km高さ100mの渓谷、奇岩や滝が多数あるそうです。田沢湖は秋田県にある湖で、日本でもっとも深く、そのために真冬でも湖面が凍りつかないのだそうです。

松島・山寺

松島は宮城県の松島湾に浮かぶ260もの島々で、日本三景(松島・天橋立・宮島)のひとつだそうです。松尾芭蕉がその美しさを言葉にできず「松島やああ松島や松島や」としか詠めなかったという話で有名です(本当はこの歌は芭蕉の作ではないらしい)。山寺は山形県にある立石寺のことで、天台宗の寺だそうです。ここも松尾芭蕉ゆかりの地で、「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んだのがここだそうです。ツアーのカタログにはよく、山の上のすごい所にあるお堂の写真が載っていますが、あれが実際にはどんな所なのかが個人的には気になります。

善光寺

善光寺は長野県にある無宗派の寺だそうです。うちの親は時々「牛に引かれて善光寺参り」などと言いますが、どういう意味でしょう? 同じく親によれば、駅から遠くないそうです。あの、真っ暗で何も見えない通路を通って「極楽浄土への錠前」に触れる「戒壇巡り」があるのが、ここだそうです。

金沢

金沢は石川県の県庁所在地で、戦災を免れたために古い町並みが残り、日本三名園(偕楽園・兼六園・後楽園)のひとつ兼六園があるそうです。加賀百万石の城下町だったことで知られています。以前に私が独自に調べたところでは、早くから町のバリアフリー化に力を入れ、外国人のための日本語学校があるなど進歩的です。金沢は、ツアーでは白川郷・飛騨高山とセットになっています。私は上高地とのセットで白川郷・飛騨高山を体験済みなので、ここでは金沢だけを載せてあるのです。

金閣・銀閣・嵐山

これはツアーカタログの京都のうち、私が参加したツアーに含まれていなかった目的地をメモしたものです。京都には他にもたくさんの名所旧跡がありますが、12月1月のツアーカタログで見かけたのは上のとおり。

法隆寺

これはツアーカタログの奈良のうち、私が参加したツアーに含まれていなかった目的地をメモしたものです。

天橋立・鳥取砂丘・松江

天橋立は京都府宮津湾の景勝地で、日本三景(松島・天橋立・宮島)のひとつだそうです。湾に長さ3km以上の砂州が延び、その上にたくさんの松が生えているそうです。逆さに見ると天に架かる橋のように見えると言われ、自分の股の間から覗いて鑑賞するらしいです。観光客がみんな一斉にこれをやっている様子はちょっとすごいかもしれませんね。でも郷に入れば郷に従えと言いますし。松江は島根県の県庁所在地で、観光としては松江城と武家屋敷を訪ねるようです。ツアーでは松江・鳥取砂丘・天橋立がセットになっていますが、日本海に沿ってずいぶんと移動するものですね。

倉敷(美観地区)・尾道

倉敷は岡山県にあり、観光では「美観地区」を巡るそうです。尾道は広島県にあり、戦災を免れたために古寺が残っているそうです。

宮島

安芸の宮島は広島県にある厳島のことで、世界遺産になった厳島神社があります。日本三景(松島・天橋立・宮島)のひとつだそうです。厳島神社は2004年に台風によって仰天するほどぶっこわれました。あれから2年以上経ちましたが、現在どうなっているのでしょう? 私は厳島神社には子供の頃に一度行きました。

萩・津和野

私は津和野には子供の頃に一度行きました。小さな城下町という風情が良かったです。

屋久島

遠いなあ。でも見どころありそうですね。


北海道(道東) [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、ここに来てくれた人から私の知らない旅のオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、北海道(道東)覚書 パッケージツアー 2000年 ****

以前の沖縄離島巡りほど面白くはなかった。北海道は広大で、どこまでもまっすぐな道が続いていると聞いていた。なるほどそうだが、すでに外国のだだっ広い平野を列車で走ってきた私にはたいしたことはなかった。

山間部はどこまで行っても山、平野はどこまで行っても畑という感じ。

夕張や日高の町も、町並みがまばらなただの町で、どうということはない。ただ、夕張から日高へ行く途中の山あいの道路で、バスの車窓から鹿が見えた。あまり大きくなく角もないのでメス鹿か子鹿だろう。たった一頭でこっちを見ていた。

結局三日間の行程のうち、最初の一日は飛行機とバスを乗り継いでひたすら移動するだけで終わってしまった。

オンネトー
エメラルド色の湖オンネトーだが、まる一日移動してきて到着したのは暗くなってから。エメラルド色さえよくわからない。

阿寒湖
暗くなってから到着した阿寒湖。もっとも、湖畔で一泊して翌朝見てもたいしたことはなかった。マリモの生息地は奥地で全然見えないし、ただの湖だ。

弟子屈(てしかが)900草原
ぐるりと360度見渡せる高台から牧草地を見た。しかし良かったのは景観ではなく、放牧してある馬だった。子馬が可愛かったので写真に撮った。後でも書くように、今回の旅行は景色の見所よりも動物との接触のほうが面白かった。

摩周湖
山に囲まれた神秘の湖というから小さいものだと想像していたが、予想に反して大きかった。しかし景観は阿寒湖、網走湖など今回見てきた他の湖よりも良い。湖岸から続く山肌を霧(雲?)が這ってくる光景は他では見られない。湖の沖合いに小さな島がひとつあるのも面白い。もっともこの島は小さく見えるが直径100m位はあるらしい。

硫黄山
摩周湖から見える所にあり、遠くから見ると山の斜面から硫黄の煙が立ち昇っている。近くで見ると、箱根大涌谷と同様のもの。大涌谷と同じく鶏卵を硫黄で黒くして売っているのを母が買いたいと言い、行ってみたのだが、卵はみな硫黄の煙に当てているだけで全然黒くない。それで買うのをやめた。

浜小清水原生花園
晴れたオホーツク海と砂浜を見下ろせる緑の丘。知床旅情の歌詞に出てくるハマナスというのを初めて見た。バラ科というだけあって茎にトゲがいっぱいある。花の時期は終わりに近く緑色の丸い実が目立っていた。それにしても、オホーツクというと寒い、北、流氷というイメージがあったのに、夏の晴れた日のオホーツク海はやさしくてすがすがしい感じだ。北の海じゃないみたい。

知床一湖
知床半島のウトロ町の近くにある。一湖から五湖まであるそうだが、時間の都合で一湖のみそれも遠くから眺める。

知床遊覧船
ウトロの町の港まで戻って遊覧船に乗る。港にすでにカモメが寄ってきていたが、この遊覧船は知床半島の海岸線の奇岩を見せることの他にもうひとつ、カモメの餌付けという趣向があった。こっちのほうが楽しい。かっぱえびせんを買って乗船する。初め母が船尾でいくらえびせんを差し出してもカモメが来ない。右舷左舷でえびせんを出している人のところにはたくさん寄って来る。すぐわかったが、カモメは飛びながらえびせんをくわえて飛び去るので、船尾でえびせんを差し出してもくわえた後で飛び去る方向に人や船など障害物があると来ないのだ。左舷でやってみたらすぐ来た。しかしこのカモメ、飛ぶことにかけてはプロだ。寄ってきて、船と同じ速度で飛び、近くで一度狙いをつけてから正確にパクリとえびせんをくわえて飛び去る。このえびせんが「やめられない止まらない」のは人間だけではないらしく、飛び去ったカモメはすぐに弧を描いて戻り、まるでバスケットの連続ゴールよろしく何度でもパクリパクリとやる。それが実に上手い。当然、上手くてその場を独占する奴と、なかなか餌にありつけない奴が出てくる。パクリとやるのはいつも同じ奴。時々横から別のがパクリとやって、小競り合いをしたりする。いつもパクリとやる奴は上手いが、「パクリ」が上手くない奴もいて、そいつがパクリとやると指まで一緒にくわえやがる。結局、今回の旅行で一番気に入ったのは景色でも宿でもなく、このカモメの餌付けだった。

オシンコシンの滝
ウトロの町からそう離れていない所にある。オシンの滝とコシンの滝かと思ったら、そういう意味ではなかった。階段を上って滝のすぐ近くまで行ける。

網走
網走湖畔の宿に泊まった。湖の景観はまあまあだが、網走という名前を思い出すととたんにイメージが悪くなる。今では網走は花の街としてイメージアップを図っているそうだが、それは難しいだろう。むしろ、その昔受刑囚が山林を切り開いて道を作るのに駆り出され、人としての扱いを受けずに死んでいったという話をガイドから聞いたことが、ためになった。

北きつね村
前に母が行った時はきつねが沢山ついてきて困ったそうだが、今回の場所はちょっとしかいなかったので、別の場所なのだろう。この日の朝食時にパンを取っておいたので、それをきつねにくれてやる。階段の上で雨宿りしている三匹がいたので近づいたが、すぐには反応しない。だがえさをくれるとわかるや否や寄ってきた。パンを階段の柵ごしに投げていたが、時々柵に当ってパンは下に落ちる。そのうち、パンが柵に当って落ちるのがいらだたしくなったのか、一匹が階段を駆け下りてきた。見ると、口いっぱいにロールパンをまるごとくわえたまま私の足元に来て「もっとくれ」と催促している。この状態でパンを放ったら、口にくわえたパンはいったいどうするつもりなんだろう。思わず「ハハハ、お前、まずそれ食えよ」と言って笑ってしまった。

層雲峡
奇岩の連なる見所・層雲峡も、バスの車窓からの観光ではたいして見ることができない。右窓の近くに座っていれば、左車窓から見える奇岩は見えない。逆もまた同じ。加えて危険防止のために、今ではかなり多くの部分をトンネル内通過となってしまい、見ることができない。はっきり見られたのは下車観光した銀河・流星の滝だけ。

美瑛
丘の街といわれ、南フランスの小麦畑の丘陵地帯に似るといわれるが、それはその通り。ただ、美瑛の丘陵地帯自体は広いものの、絵になる景観をもつ部分は限られている。

富良野
ラベンダーで有名になった富良野。そもそも富良野がラベンダーの街として一般に知られるようになったのは、「北の国から」の一シーンかららしい。この富良野も美瑛と同じように、見渡す限りのラベンダー畑というわけではなく、絵になるラベンダー畑は富良野のごく一部にある。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


北海道(道南) [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、私の知らない旅をした人からのオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、北海道(道南)覚書 パッケージツアー 2006年 ****

まずは函館とその周辺から。トラピスト女子修道院。入れるのは前庭部分だけですが、観光として見るべきものは見られます。そうそう、男性諸君、女子修道院といっても、若い乙女を探そうと思わないように。ここにいるのはキリストの花嫁として一生を捧げようという人ばかり。今どきの若い子でそんな子イメージできないでしょう。そう、ここにはご年配の方ばかりがいるそうです。

五稜郭。展望タワーは今年(2006年)に100m(飛行場付近の高さ制限)に近い高さに改築され、五稜郭の五角形がバッチリ見えるようになりました。

明治館(ベイエリア)。かつての赤レンガ倉庫ですが、結局建物よりも中の店(1Fガラス工房、2Fオルゴール)がメインでした。

函館夜景(函館山展望台)。世界三大夜景のひとつと言っています。霧がかかることが多いという夜景をはっきり見ることができました。バスで函館山へ上る途中に木々の切れ間から「宝石箱をひっくり返したような」夜景が見えた時には感嘆の一言。2合目、7合目と高くなるにつれ夜景はますます美しくなります。そして山頂展望台で最高の景色が堪能できます。なお、ここは夜のある時間帯は自家用車通行止。バスとタクシーのみ許可。しかも山頂に停車していられるのは30分だけ。

函館朝市。最初にカニの見分け方を教わりました。甲羅の真ん中後ろ側に刺が3×縦2列=6つあるのがタラバガニ、2×縦2列=4つしかないのがアブラガニ。結局何も買わなかったけど(帰るまでに何日もあるのに生ものは買いたくない)、いろんな海の幸を見て、カニの生け簀では「あ、これタラバガニ」「こっちニセモノ(←札にはちゃんとアブラガニと書いてある。別に売ってる人が騙してるわけじゃない)」などと言いながら歩くのは楽しかったです。

函館を離れます。長万部を経て登別へ向かいます。

大沼湖と駒ケ岳。大沼小沼モーターボートに乗りました。ここは松島みたいな小島と駒ケ岳の景観が売りです。

長万部のドライブインにてカニ御膳と格闘。周知の通り、カニ肉を殻から引っぱり出して食べるのは骨が折れます。食べ終わった後はごちそうさまでなくお疲れ様と言っていました。

有珠山。2000年の山麓火口付近は、今(2006年)も白い水蒸気を上げて異様な感じです。

洞爺湖。地図で見ると洞爺湖は中ノ島がありますが、バスで山から降りながら見るとまさにその通り。

昭和新山。下のほうに緑が生えてきたとはいえ、上のほうは今でも赤茶色で草一本見えません。そして水蒸気を出している部分もあります。絵になります。ところで、有珠山ロープウェーというものがあります。時間がないのでこれに乗ったらバスに間に合いませんと言われて断念しましたが、このロープウェーで高い所へ行けば、有珠山も昭和新山も別の角度から素晴らしく見えたはず。残念です。

白鳥大橋を通って地球岬へ。日本百景に選ばれたのは金屏風銀屏風で、それは見えませんでした。地球が丸く見えるという宣伝文句の地球岬ですが、元はアイヌ語からの当て字だそうです。景色はいいですよ。海側のぐるりと水平線の風景も、反対側の山や崖の風景も。

登別。ここへ来たのはもちろん登別温泉に入るため。

登別、地獄谷。草の生えない岩場から水蒸気が立ち昇る。日本各地にありますよね、こういうとこ。夜はライトアップしていると薦められたのですが疲れていたので寝ました。そのかわり翌朝行ってきました。でも誤算あり。朝は逆光だから写真撮っても暗いです。

今度は登別から小樽を目指します。

バス車窓から見た羊蹄山は、最も富士山に近い形の山だそうです。

京極ふきだし公園。羊蹄山の近くです。ここの湧き水は名水百選に入っているそうで、みんな手持ちのペットボトルに入れるんですが。味の付いた飲料のペットボトルは悲しいです。いくら名水でもポカリスエット風味じゃ、なんだかなあ。水を汲むだけでなく、ほんの少しですが水辺に景色のいい所があります。

小樽へ向かう道路。路肩に一定間隔で縦長の紅白や黄色縞のものがありました。その下端は矢印になっています。これらは、歩道と車道の境目を示しているそうです。降雪時にわからなくなるので。この矢印形の上端には小さな機械が付いていて、これがなんとソーラーシステム。吹雪いたり積もったりしたら点滅するようになっているそうです。

小樽。昔ニシン漁で栄え、ニシン漁が廃れてさびれた町。その後北一硝子と石原裕次郎記念館で持ち直しました。見どころとしては、ちょっと運河があるだけ。あとは食事、北一硝子など。

札幌。市内の信号は縦です。赤、黄、青が縦に並んでいます。横だと雪が積もりやすいからだそうです。大通公園、テレビ塔(登る時間はなかった)、時計台、北海道庁旧庁舎。札幌といえば大都市だから色々見どころがあるだろうと思っていたのですが、こんなもの。ツアーではしばしばバス車窓からテレビ塔、時計台、旧庁舎を回って終わりだそうです。近くのすすきのという所は風俗店で有名らしく、添乗員さんが「男性の方には申し訳ありませんがすすきのに行く時間はありません」と一言だけチラッと言ってました。

北海道の住宅には雨戸というものがないそうです。二重ガラスサッシのみ。

札幌ドームはバス車窓から遠くに見えただけ。なんか鯨みたいな形。

日も暮れる頃、千歳空港へ向かう前にノーザンホースパークへ寄りました。辺りはもう薄暗く、他に人はいない。馬はみんな厩舎に帰った後。明らかに、「ノーザンホースパークさんとの提携でコースに含めることが決められているので無理やり立ち寄りました」という感じ。そういえばこのパッケージツアーは本来夏の間の催行だったが、人気があったので9月まで延長したのだという。無理やりの立ち寄り、図星だな。

千歳空港で出発を待ちながらの夕食は、3F北海道ラーメン道場だ! 北海道各地から味噌、塩、しょうゆの店が集結。好きな店を選んで食べるべし。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


白神山地・奥入瀬 [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、ここに来てくれた人から私の知らない旅のオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、白神山地・奥入瀬覚書 パッケージツアー 2002年 ****

まずは長距離バス旅行について書いておく。今回の旅行を決めるにあたり、いくつかのコースを検討した。あるコースは新幹線を使い早く目的地に着くが、料金が高く、集合・解散場所は東京となる。別のコースはバスを使い一日がかりで目的地に着くが、料金は安く、集合・解散場所は地元で良い。結局今回はバス旅行のコースにした。その結果、朝から夕方までまる一日バス車内に缶詰状態となり、体を動かせず退屈でとても辛かった。二時間おきのドライブインで何とか体をほぐし、また二時間は身動きのとれない状態が続く。今回の教訓は、長野までの旅行ならバスで可能だが、青森までのバス旅行はやめたほうがいいということだ。

かくして一日目は何も見所がなく終わるはずだったが、バスが道を間違えてとんでもない所へ入った。確かにホテルの幟はところどころに立っているのだが、どんどん山を上り、しまいには「この先4WD車以外注意」という看板が現れ、大型バスが通るべきでない細い急斜面の砂利道に入ってゆくではないか。これはどうにもものすごいホテルだぞと心配していると、道はついに下りになってしまった。山の上にあるはずだから下るはずはないというわけで細い山道を大型バスがバックしはじめた。我々は崖の下が見えない側に座っていたから心配が少なくて済んだが、崖側に座っていた人々はさぞ生きた心地がしなかっただろう。幸いにも崖から転落せずに少し戻ると横道があり、バスはそこを上り始めた。しかし私は気になることがあった。その横道の入り口には「採石許可証」などと書かれた立て札があって、どう見てもホテルへの入り口ではなかったからだ。それでもバスは上ってゆく。やがて大きく削られた山の斜面と砂利の山、石を運ぶベルトコンベアが見えてきた。おお、やはり採石場だ。初めのうちは不安がっていた乗客も、ここまで来るともう不安を通り越して笑えてくる。本日は採石場見学だ。こんな珍しい体験は滅多にない。写真も撮ってやれ。ところで、採石場の入り口付近で一度ガリッと変な音がした。道路に凹凸があってバスが下を擦ってしまったらしい。帰りはどうしようと困っているとブルドーザーの運ちゃんが親切にも砂を運んで道路をならしてくれた。ブルのでかいショベルを使ってちゃんと砂を平らにしてしている。おお、うまいうまい。また写真を撮ってやれ。かくしてバスは先ほどの道をさらにさらに先へと進む。行けども行けどもくねくねと山道は続き、とうとうゴルフ場の芝が見えてきた。やがてホテルに着いた。そしたらどうだ、ちゃんとした広い道がホテルの反対側にあるじゃないか。そりゃそうだよな、ホテルの正面へ続く道があんな採石場行きの砂利道のはずはないよな。この一件、どうやらホテル側が提供した地図に表道ではなく裏道のほうが記されていたらしい。ともかく、本来ならばひたすらバスの中で退屈するだけで終わるはずだった一日目は、迷子のおかげでちょっとだけ楽しくなった。

二日目はまず白神山地から。これは世界遺産になって知名度の上がった場所だが、世界遺産になる前はたいした観光地でもなかったらしく、道路が狭い。橋も狭い。そこを今では大型観光バスが無理して通るから、バスの運ちゃんは四苦八苦だ。バスターミナルに着いたら暗門の滝を目指してハイキング。沢沿いに歩くのだが、これが延々と続く。一時間近く歩いていいかげん疲れた後に第三の滝が姿を見せる。ここまでで終わり。本当は第二、第一の滝があるのだが、落石で通行止めだ。バスに戻った後で後ろの席の人が、これなら吹き割れの滝のほうが形が新鮮で面白かったと言っていたが、そう言われても仕方ない。もしも42メートルある第一の滝まで行けたならば感想も違ったかもしれないが。いずれにせよ白神山地のほんの入り口を見ただけで、世界遺産となったブナ原生林を体験したとは思われず、この観光コースは完全な名前負けだ。

次は八甲田ロープウェイ。八甲田山というのはたくさんの山の総称なのだそうだ。その中の田茂萢(たもやち)岳山頂までロープウェイが通り、山頂は小さな湿原を頂いた8の字型の遊歩道になっている。ロープウェイからは天気が良ければ遠く北海道まで見えるそうだが、この日は全天曇りだった。山頂はちょうど雲の中。真っ白だ。何も見えない。こりゃもう、どうしようもない。

三日目はまず朝早く起きてホテルを出て十和田湖畔まで歩く。十和田湖はカルデラ湖だそうだが、とても大きい。そして風景が良い。遊覧船や足こぎスワンがたくさん岸にあったが、早朝でこの手のものが稼動していなかったのが風景には幸いしたかもしれない。湖畔を乙女の像まで歩く。この二人向き合っている像の存在は私でも知っているほどだが、いざ行ってみると違和感がある。この乙女は良く言えばリアリティがあり、悪く言えば不細工だ。乙女の像というより、おかめの像という感じ。そして一番の違和感はバストだ。女性のバストってこんなんだっけ、と思わず言った。大きい小さいの問題ではなく、だんぜん形が悪い。あと、像は左手を挙げている、モデルは左利きらしい。向き合った二体の顔といいバスとといい、まったく同じように見えるのだが、もしも同じ型から二体作って並べたのなら手抜きだな。

さて、十和田湖は各自行ってきてくださいというものだからコースの目的地とは言い難い。では三日目の目的地はどこかというと、奥入瀬渓流だ。ところが初日に朝8時から夕方6時までかけて青森に来たことからわかるように、帰りもまる一日かけなければ帰れない。奥入瀬をゆっくり見ている暇はないことになる。なんと、たった30分だ。奥入瀬渓流のうちとりわけ見所となる部分は十和田湖寄りの7、8キロだそうだが、これを歩くには2時間以上かかる。それでは今回のコースはどうなっているかというと、白糸の滝から銚子大滝までのほんのわずかの距離を歩かせるのだ。二日目に宿を目指した時に車窓から見たところでは、渓流の一番の見所は石ヶ戸に近い部分にあり、それに似た見所が白糸の滝近くにもあるという感じだ。石ヶ戸付近が散策できないのは残念だった。この奥入瀬渓流というのは、いくつもの滝もあるが、渓流のところどころに苔むした岩々の間を流れが下る所があり、さながら流水の上の日本庭園という趣に見える。ここをメインでじっくり訪れたかった。

今回のコースの評価。白神山地は名前負けで却下。八甲田は何も見えなかったから評価できず。結局来て良かったと感じるのは三日目の十和田湖と奥入瀬渓流、皮肉にもツアーが力を入れていない部分だった。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


尾瀬・軽井沢 [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、私の知らない旅をした人からのオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、尾瀬・軽井沢覚書 パッケージツアー 2002年 ****

このツアーに参加した当時の覚え書きは存在しないので、当時撮った写真を見ながら回想しつつ少し書きます。

尾瀬といえば「夏が来れば思い出す・・・」ですが、あの歌のイメージにあるような場所まで行くには歩かなければなりません。バスだけで安易に行ける尾瀬は、ほんの入口の部分。大清水湿原というのがあり、これは大きくもないし、木があちこちに生えているので歌のイメージと違う湿原です。水芭蕉は咲いています。なんだか赤っぽい色の水芭蕉も少しありますが、これは実は水芭蕉ではなく座禅草といいます。

苗場スキー場。山の麓のホテルに泊まって、そのついでに山の上まで登っただけ。このホテルはスキー客のいないオフシーズンにはこうして観光客を安く泊めているとのこと。ホテルにはよくあることながら、増築に増築を重ねて建物が横にどこまでもつながっていたので、夜は暇に任せていちばん端まで探検しました。

吹割の滝
幅の広い滝の中ほどだけが侵食されてU字型になった、いわば超ミニチュア版ナイアガラの滝。

軽井沢
白樺の林は個人的に好きです。アレキサンダー・ショー記念礼拝堂と聖パウロ教会にも行きました。私個人にとっては興味はそこまででした。軽井沢銀座は賑やかな通りですが、大都市近郊に住んでいると賑やかな通りは珍しくないから、わざわざ軽井沢まで来て出くわさなくても良いと思ってしまったのです。新軽井沢というのはショッピングセンターでした。いろんな店がたくさんありました。観光名所ではないです。

帰りがけにバスから妙義山が見えました。この山は虫歯みたいにギザギザで興味深い形をしているので、興味があるのです。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


上高地・白川郷 [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、ここに来てくれた人から私の知らない旅のオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、上高地・白川郷覚書 パッケージツアー 2000年 ****

中央高速道路、府中を過ぎた頃、右手に中央競馬場が見えると、ガイドさんが「松任谷由美がまだ荒井由美だった頃…」という話をしだした。「何を今更そんな昔のことを」と思っていると、「左手にサントリー…」と言ったので、ここまで来てハッとした。私が生まれて初めて聞いたニューミュージック、中央フリーウェイのことだったのだ。本当に右に競馬場、左にビール工場があるんだな。昔、この場所を地図でどこだろうと探し、ぜひ通ってみたいが自分は車を運転できないからタクシーを呼んで通ってもらうしかないなどと考えたのは確か中学生の頃だったろう。あれから20年くらい経って通ることになるとは。通ったのが朝だから歌のイメージは微塵もなかったが、帰りは逆コースながら夜通る。気をつけておこう。

甲府盆地の近くには昇仙峡という奇岩のある場所があるそうだ。行ってみたい。

いよいよ上高地。観光バスは松本から沢渡(さわんど)まで入ってくる。そこから先はマイカー規制、大型車規制なので、路線バスに乗り換える。沢渡という地名は地図に載っていなかったが、バスガイドの言葉や路線バスの掲示の中に新島々(しんしましま)という地名が出てきて、島々ならば地図に載っているのでその辺りだろう。乗り換えた路線バスは一路上高地へ。散策を終えた後は同じ道を途中まで引き返し、途中から今度は平湯(ひらゆ)という所へ向かう。そこで観光バスが待っていて乗り換え、飛騨高山へ。経路を下に図で示そう。

        上高地
         |
松本===沢渡-----平湯===飛騨高山へ

上高地というのは、日本アルプスの山や渓谷に囲まれた一角、梓川の流れの途中に少しだけ広がった河原、湖、湿原のことだった。そこを徒歩で散策する。森林浴という言葉がよく似合う。林や湿原の中を、ウグイスの鳴き声を聞きながら歩いてゆく。林の中でサルが笹を食べ、河原ではカモが子ガモを連れて歩いている。人が近くにいても逃げない。周囲には様々な植物が生えている。とてもたくさんのフキの葉に混じって、やたらと背の高いアザミ。太い幹の上にいくつも付いた花も香りも確かにユリだが、葉は細長くなく広がっているもの。粟粒のように小さな白い花が集まって咲いている草。紫色の小さな花が、先が細くなった尻尾のような形に集まっている草。それにホタルブクロも見かけた。よく見ると昆虫もいる。湿原の渡り板や植物の葉の上を急いで動いてゆくのは、とても足の長いクモ。花をよく見ようと顔を近づけると、すぐ近くの葉の裏に小さな黒い蛾の幼虫がじっとしているのを見つける。あるいは葉の上に、小さな白い幼虫が一生懸命動いているのを見つける。

さらに、ここだけの景観もある。大正池の湖面や岸辺には、枯れた木が骨のような姿になって何本も立っている。これは、大正四年に焼岳(やけだけ)が噴火し、泥流が梓川を堰き止めて一夜にして大正池が出来た時、それまで森だった所が水中に没し、木はやがて枯れてこのような景観になったという。また、梓川の水は近くで見ると澄んでいて下の藻や小石がありありと見え、少し離れて流れを見ると青緑色でとても綺麗。

バスは飛騨高山へ。ここは、朝市を見、小京都と呼ばれる古い町並みの一角を見、春慶塗の展示館を見るのみ。翌日は御母衣(みぼろ)湖を経由して白川へ。

御母衣は昔合掌造りの家の集落だったが、ダムが建設されて湖となり固定に沈んだ。そもそも合掌造りが世界遺産に登録されたのは、もとはといえばまず御母衣ダムが世界最大規模のロックフィル式ダムとして注目され、その経緯から固定に沈んだ合掌造りが注目されるに至ったもの。御母衣という名前の由来は、タイチョウゼンシという人が忘れて旅立った衣を母がわざわざここまで届けに来たからだという。

白川郷の合掌造りは、上の階へ上がるための階段付近の構造がとくに気に入った。まず家中央の、囲炉裏のある板敷きの大きな部屋から、階段部屋へ入る。この階段部屋は一種の狭い廊下なのだろう、反対側には障子があり、その奥は住人の生活空間ということで立ち入り禁止になっていた。この階段部屋に急な木の階段が上へと続いているが、ちょうど一階分上がった所で天井の低い中二階がある。この中二階は物置になっていて、古ぼけた色々なものが置いてあり、明り取りの窓がひとつだけ開いていた。そういえば囲炉裏のある大きな部屋は天井がとても高かったが、それは中二階の分も吹き抜けになっているからだったのだ。中二階からさらに短い階段を上ると、二階に出る。二階は昔養蚕に使われたという空間で、間仕切りは一切なく、ひとつの大きな部屋になっている。床の板張りは所々板と板の間に隙間があり、一階が見える。そういえば一階で天井を見上げた時にも二階の人が見えた。これは、囲炉裏の煙を二階やさらには三階まで通し、藁葺き屋根の虫を退治するための仕組みだという。

帰りがけ、中央高速道路を注意して見た。もう辺りは真っ暗になっていた。ビール工場はまったく照明がなく、あの歌が夕暮れのまだ充分辺りが見える時の歌だということがわかった。高速道路の照明は、中央分離帯にはなく、高速道路の両端から内側を照らすように取り付けられている。この道路の両脇のオレンジ色の照明がずっと先まで続く。これを滑走路だと歌ったのだろう。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


京都・奈良 [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、私の知らない旅をした人からのオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、京都・奈良覚書 パッケージツアー 2004年 ****

このツアーに参加した当時の覚え書きは存在しないので、当時撮った写真を見ながら回想しつつ少し書きます。

京都や奈良は修学旅行の定番なので、多くの人は若い頃に行っているでしょう。私の学校はなぜか近場と僻地ばかりで、修学旅行にかんして不運続きでした。だから京都や奈良に行ったことのある多くの人々がうらやましくもあり、行っていない自分に引け目を感じもしていました。それで京都・奈良旅行なのです。

あまりにも有名どころなので、私の感想は蛇足になってしまいますから、最小限に抑えます。

京都
 高台寺(豊臣秀吉とねねの寺)
 知恩院
 清水寺
 八坂神社
 平安神宮

奈良
 若草山焼き
 東大寺
 奈良公園
 二月堂

その他
 豊川稲荷(日本三大稲荷のひとつ)

奈良の若草山焼きがメインのツアーだったので、京都は一部地域の観光でした。若草山焼きは良かったですよ。隣で見ていた知らないおばさんは、大文字焼きより見ごたえがあると言っていました。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


九州 [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、ここに来てくれた人から私の知らない旅のオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、九州北部中部(長崎あたりを抜かす)覚書 パッケージツアー 2003年 ****

羽田より福岡空港へ。

せっかく福岡に着いたのにサッサと大分県を目指す。途中、このあたりが一年中雛壇を飾っている日田だと言われるがよくわからん。

深耶馬溪(じんやばけい) 一目八景(ひとめはっけい)
バスで着いたそこは、田舎のアスファルトの道の途中、たいしたことのない物見台へとほんの十数段ほどの階段を登る。ほど遠くない所のぐるりに岩場岩山があり、それが一目で見られる八景の奇岩というわけだ。奇岩だが規模は小さくてその周りだけ。

青の洞門
その昔、寺へ行くのに断崖を鎖を伝って行かねばならず、犠牲者が少なくなかったところ、かのナントカいう上人が自分の罪滅ぼしのために数十年をかけて鑿と槌でトンネルを掘った。この地方は溶岩台地で、場所により固い溶岩と柔らかい溶岩の部分があり、上人が彫ったのは柔らかい部分だったから鑿が使えてヨカッタネとはバスガイドの言。戦争の際に軍用に道路拡張をしたので今では上人の手掘りの部分はほとんど残っておらず、わずかにアスファルト道路の地下を横切る狭いトンネル(それでも観光用に少し広げたらしい)と、掘り始めた時に最初に作ったふたつの明り取りの窓(外はすぐ川)のある広いトンネル部分だけが残っている。後者のトンネルには上人が間違った方向に掘り進めてしまった跡が窪みのように残っており、そこに上人の像がある。ちなみに青の洞門の青は色ではなく、地名だそうだ。また、寺へ行くための断崖の鎖跡は少しだけ岩場に残っている。

宇佐神宮
能清経に出てきた宇佐八幡だ。全国八幡宮の総本山とのこと。参拝は古式に則り二拝四拍手一拝とする。本殿は三つの宮が並んでいるので、二拝四拍手一拝を三回繰り返す。なお下宮もあるので六回繰り返す。ということは賽銭も六回だ。財布の小銭がスッカラカン。

富貴寺(ふきじ)
国東半島などというよく知らない所に一体何があるのかと興味も湧かずにいた所だが、来てみてびっくり、ここはひなびた田舎に見ごたえのある仏像が多数残る良い所らしい。交通の便が悪く、多くを巡るのは観光バスでは困難とのこと。富貴寺はじつに田んぼと田舎道と杜の中にぽつねんとある。少し石段を登って大堂へ出るが、ここの文化財は痛みが激しく、雨の日は湿気を避けて扉を閉めたままなのだそうだ。それで平屋の堂と周りの石像を見るのみ。周りには冥界十王などの石像や塔が立っていたが、ふと周囲の気色が恐ろしくなりホームビデオ録画を中止。雨のせいだろうか、それともその場所のせいだろうか。

真木大堂(まきおおどう)
本日最後の観光だが、時刻は四時五十分で、冬だからもう暗くなってきた。拝観時間が五時までという駆け込み状態だ。真木大堂は良かった。とくに堂内左端にある大威徳明王は六面六臂六足のうえ、堂々たる水牛にまたがる威容。堂内右端の不動明王も後背の火炎がめくれるようにたなびく様子にとても奥行きと立体感があり、これが明王の頭を包み込んで見ごたえあり。中央の阿弥陀如来と四天王像もたいしたもの。何だかわからずに来たこの場所が、今回の旅で一番感銘を受ける場所となった。

一泊目は別府市内に宿泊。翌朝、バス車窓から見る大通りにはフェニックスが植えられていた。南国の雰囲気を出すために宮崎から持ってきて植えたとか。

別府地獄めぐり 海地獄
子供の頃に一度来た懐かしい地獄めぐりだ。海地獄だけしか見られないのが残念。海地獄は記憶どおり、そしてインターネットの写真どおりにコバルトブルーの池。ただ、記憶の中のものより小さい。子供の頃は自分が小さかったから、周りのスケールが大きく見えたということだろう。池へ行くには土産物売り場の建物を通り抜けるが、それより手前に左手に道があり、この先に赤い池がある。まるで血の池地獄だ。ひと地獄で二度オイシイとはこのこと。こっちの朱色の池はインターネットの写真で見たより大きかった。

湯の里
海地獄から少しバスで行った所。湯の花を作るための小屋を見学。ただそれだけ。

湯布院
これはなんにもない所に軽井沢銀座のように後から店を作っただけだ。洒落た感じの喫茶店や工芸品の店があるが、名所旧跡は何もない。こんなどうでもいい所でこともあろうに二時間近くも自由散策だ。今回の旅行で唯一損をしたと思う目的地。

臼杵(うすき)石仏
起伏のある岩場に数箇所に分かれて石仏群がある。前に一度来たことがあり、その時の印象としてはたいしたことがなかったので期待していなかった。その割には、改めて来てみると発見があった。ただ、前に来た時に唯一印象に残った大きな仏頭が、修復の結果石仏の体の上に載ってしまっていた。この大きな仏頭は土産物のデザインにも使われる印象的なもので、それが仏頭ではなく石仏群の一部になってしまったのは逆に残念だ。

竹田 岡城(おかじょう)跡
「荒城の月」のモデルとなった城跡として客寄せをしている。もっとも、少ない土産物屋のほとんどが閉まっており閑古鳥が鳴きまくる状態。山の峰に築城されていて、少し坂を上って城跡に入る。今では石垣しか残っていないが、城の敷地がじつに広いことに驚いた。もちろん広いのはここの城だけではないが、ここに来て足で歩いて実感した。大手門跡を通り、西の丸御殿跡を横目に暫く歩き、やがて三の丸跡、二の丸跡、本丸跡、その本丸跡の一番奥に金蔵跡がある。やはり金は一番奥に隠すのだな。しかし城はまだ先へ続いていた。金蔵跡は一番高い本丸の敷地の中でもまたほんの少し高くなっていて、その先は石垣の絶壁、しかし絶壁の先の低地はまだ城の敷地なのだ。ずっと先まで武家屋敷跡などがあるらしい。こういう細長い敷地をもつ、峰に沿って築城された城だ。

二泊目は阿蘇に泊まった。なんと外輪山の中だ。一方に外輪山を望み、他方に阿蘇五岳を望む。外輪山の中のカルデラの平地には結構田んぼがあるらしい。一夜明けてバスで出発、天気予報はアッサリと外れて、なんと雪が舞いだす。米塚はバスの反対側の窓からで、しかも雪と霧のためにほとんど見えなかった。

草千里
雪と霧の中の草千里となったが、雪の草千里を見る機会に恵まれた。雪の中、馬が放牧され、飼葉桶から餌を食べていた。

高千穂峡
気まぐれな天気で、雪の後は晴れて暑かったり、そうかと思うとバスから降りる頃になって雨が降りだしたりと定まらなかった。とはいえ高千穂峡では雨は上がっていた。高千穂峡は柱状節理の溶岩でできた渓谷、というのはインターネットで見たとおり。柱状節理は面白いが、渓谷の長さは予想より短かった。ぶらぶら歩いてもじきに端まで着いてしまう。とはいえ、絵になる場所はいくつかある。いちばん残念だったのは、子供の頃に来ていれば神話のもつ意味も感じられただろうに、今の私のとうが立った感性では何も感じられないということだ。なお、周囲は土産物屋が少しあるだけの田舎だ。

霊台橋
反対側の車窓からちらりと見ただけ。屈指の大きさをもつアーチ状石橋とのことで、たしかに橋は長く、そして石が風化し苔むして年代を感じさせる。

水前寺公園
バスは長々と山や盆地や田畑の中を走っていたが、ここに来てやっと町中へ出た。熊本市内だ。ここにもフェニックスが植えられている。水前寺公園は町中にあり、大きな池を中心に、その周囲に東海道五十三次を模したという庭が造られている。出発点の石橋が日本橋だということと、向こう側に見えるひときわ高い小山が富士山だということだけはわかる。あとは低めの小山が何をあらわしているのか、その先にだらだらと続く小道はどこに相当するのか、さっぱりわからない。庭園に植えてある木の中には面白い形に整えらたものがある。上が平らなのだ。一周して最後にたどり着く「古今伝授の間」という名の茶室は良い趣だ。

柳川
自由散策。川だかクリークだかを舟で行くというオプションも用意されていたがそれは却下。寒いから。かわりに御花(おはな)と呼ばれる立花家別邸を訪れる。ひな祭りのすぐ後だったので、ここでは豪華な雛壇とこの地に特有の「下げもん」という吊り飾りが見られるというので。別邸自体は洋館で日本の文化伝統とは関係ないが、立派な造り。ここは結婚披露宴会場も兼ねているらしく、正面に大きな雛壇がふたつも並ぶ座敷に食事の支度が出来ていたのだが、もうじき宴が始まるからとそこを追い出される前に運良くとても立派な雛壇と下げもんを見ることができた。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


沖縄離島めぐり [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、私の知らない旅をした人からのオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、沖縄7島めぐり覚書 パッケージツアー 1995年 ****

沖縄旅行の報告をします。今回の旅行は、私がよくやる貧乏旅行ではなく、本来は金と暇の両方を持ってる人のツアー旅行です。沖縄本島から始まって、西表島のほうへ向かって南下する形で紹介してゆきます。

沖縄本島:首里城や玉泉洞があります。首里城は昔の琉球王朝の城跡です。改修してから余り経っていないそうですが、結局たいしたことはありません。玉泉洞は大きな鍾乳洞です。山口県の秋芳洞と同じくとても大きな鍾乳洞で、巨大な鍾乳石・石筍が楽しめます。中でも「黄金の杯」というのが圧巻です。

宮古島:観光地としては、ほとんど何もありません。日本百景に数えられるという東平安名崎(ひがしへんなざき)は、岬そのものへ行かずに少し離れた岸壁から見ると、たしかに絶景です。また島の反対側にある西平安名崎では、ちょうど「風の谷のナウシカ」に出てきたような巨大な風車が二台、回っています。その他は、面白くはなかったです。面白いというのとは別のものなら、いくつかあります。バスガイドは、宮古島が世界でも有数の重税の歴史をもつ島だと、しつこく話していました。島民の苦しみや、その苦しみに堪えかねて明治政府に直訴に行く話など。それから台風銀座としての宮古島の話。ここでは沖縄特有の、漆喰で固めた赤い屋根瓦は見られず、建物はみなコンクリート、というのは、台風に備えてだそうです。では島民は台風が嫌いかというと、そうではない。小さな台風は逆に恵みの雨だとか。これは、地質が多孔質なので雨水が地表に留まらず、水不足のため。その水不足から、貯水のためにダムも作られている。川のないこの島にどうしてダムが作れるかといえば、これが実に珍しい地下ダム。つまり地下水脈を塞き止めているダムなんです。と、こんな具合で、宮古島観光というのは、楽しく観光するというよりは、人々の苦労と工夫の歴史を見に行くという感じになります。

石垣島:この島自体の印象は薄いんです。たしかグラスボートで海底の珊瑚礁を見たのがこの島だったと思いますし、椰子などの熱帯植物も見たと思います。海底の珊瑚礁は一見の価値がありますし、熱帯植物も同じく一見の価値がありますが、これらは他の島でも出来ることですからね。沖縄旅行の中で人気があるらしい石垣島ですが、私の考えでは、ここを拠点として周囲の小島へ行くのが面白いんだと思います。
[石垣島について、トラックバックが付きました。魅力的なページなのでぜひ参考にしてください。トラックバックは下にあります。]

竹富島(たけとみじま):石垣島から西表島のほうへ向かって船で少し行った所にある小さな島です。この辺りから南の島が、私のお薦めとなります。竹富島は、時間の流れがゆっくりとした所です。家々は沖縄特有の赤い瓦に漆喰の屋根をもち、黒っぽい石のような造礁珊瑚の塊を積み上げて造った塀に囲まれています。その中を、水牛の引く車に乗って観光します。消防団長のおじさんが蛇皮線を弾きながら、変に艶っぽい下ネタなど織り混ぜて色々解説してくれました。この辺りの観光ガイドは、みんな兼業なんですね。消防団長さんがガイドさんに早変わり、しかもこの団長さん、島に警察がないので時には警察所長さんにも早変わりするとか。もっとも、これといった犯罪は起きないそうです。それから、沖縄各地で見られるシーサー(屋根の上の魔除けの唐獅子像)を、古い家並みが保存されているこの島で見ておくのも良いかもしれません。あと、ずいぶん前に流行った「星砂」の海岸がここにあります。

小浜島(こはまじま):先の竹富島は西表島よりは石垣島に近い所にありますが、小浜島のほうは西表島の近くです。これもやはり小さな島ですが、昔の家並みを残す竹富島とは違いリゾート地となっています。「ヤマハリゾートはいむるぶし」というホテルに泊まったのですが、ここのコテージ風の客室はとても広く、石積み風にアレンジしてある壁や天井が心地よく、照明はホテルにしては珍しいほど明るく、ビデオデッキ、CDプレーヤーなどが備え付けてあり、すごく良いです。もちろん宿泊料のほうも、すごく良いわけですが。部屋へ案内されてしばらくすると、窓の外を放し飼いのクジャクがウロウロしはじめます。菓子をやろうとしたら、指ごとくわえられてしまいました。オスが一羽と白いメスらしいのが一羽、それから尾羽根が生え揃っていない子クジャクが4、5羽です。暇があったので広い敷地内をぶらぶら散歩しましたが、免許があればランドカーが借りられます。母親は、ハネムーンで来てもいい所だと言っていました。私はハネムーン未経験者ですから正確にはわかりませんが、あれだけの広さと設備と環境の良さは、僻地の離島だから可能なのであって、本土の、それも大都市近辺ではたとえ金があっても無理だと思いました。そうそう、私自身が関心ないので書き忘れましたが、リゾート地ですから、さまざまなマリンスポーツが楽しめます。

由布島(ゆぶじま):この島は西表島のすぐ近くにあって、浅瀬を歩いて渡っても行けそうな島です。とても小さな島で、まっ平ら、小さすぎて山なんかあるはずもないですが、丘さえありません。ぶらぶら歩いて見て回っても30分もかからないでしょう。島全体が亜熱帯植物園なんですが、それは格別面白いわけではない。では何が良いのかというと、西表島から由布島へ渡るのに水牛車を使うのですが、これが結構面白いのです。水牛なんてイメージが悪いし、つまらなそうに思えるでしょう。私自身が、最初はそういうイメージをもっていました。ところが、「子供と動物に勝る芸人はいない」というのは本当で、動物は存在自体が話の種になります。聖子や桃子やマドンナという名前の水牛たちが、各々じつに個性的で、いつまで経っても同じ辺りでのんびり歩いていて岸にたどり着かないのがいるかと思えば、石も窪地も何のその、車が揺れるのもお構いなしでどんどん我が道を行くのもいます。まあこれは、実際に水牛車に乗ってみないと実感としてわからないですね。

西表島:西表島といえばイリオモテヤマネコですが、もちろんこれには出会えません。仲間川をモーターボートで遡ってきました。遊覧船で、と言いたい所ですが、形は遊覧船でも走り方とスピードがモーターボートなんです。バスの運ちゃんがボートの乗員に早変わり、ボートを操縦しながらガイドもします。西表島の奥地は、別に「日本最後の秘境」というほどの感じはしませんでしたが、それでもマングローブの林やサキシマスオウ(根が昆布のように平たく板状になる大木)は一見の価値があります。

今回のツアーを通して感じたことは、珍しいものを見て楽しいというのもありますが、バスやボートや水牛車のガイドさんの話し方ひとつで、旅が面白くなったりどうでもよくなったりする、ということです。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


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