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上高地・白川郷 [旅行 国内]

ここに紹介するのは、私が過去に体験した旅行の覚え書きです。これから旅する人の参考にしてもらうと同時に、ここに来てくれた人から私の知らない旅のオススメ情報をもらうのが目的です。

旅の感想は人それぞれに違うので、あなたが旅で良かったと思う所を私の覚え書きがけなすこともあるかもしれませんが、その時はどうかご勘弁ください。

**** 以下、上高地・白川郷覚書 パッケージツアー 2000年 ****

中央高速道路、府中を過ぎた頃、右手に中央競馬場が見えると、ガイドさんが「松任谷由美がまだ荒井由美だった頃…」という話をしだした。「何を今更そんな昔のことを」と思っていると、「左手にサントリー…」と言ったので、ここまで来てハッとした。私が生まれて初めて聞いたニューミュージック、中央フリーウェイのことだったのだ。本当に右に競馬場、左にビール工場があるんだな。昔、この場所を地図でどこだろうと探し、ぜひ通ってみたいが自分は車を運転できないからタクシーを呼んで通ってもらうしかないなどと考えたのは確か中学生の頃だったろう。あれから20年くらい経って通ることになるとは。通ったのが朝だから歌のイメージは微塵もなかったが、帰りは逆コースながら夜通る。気をつけておこう。

甲府盆地の近くには昇仙峡という奇岩のある場所があるそうだ。行ってみたい。

いよいよ上高地。観光バスは松本から沢渡(さわんど)まで入ってくる。そこから先はマイカー規制、大型車規制なので、路線バスに乗り換える。沢渡という地名は地図に載っていなかったが、バスガイドの言葉や路線バスの掲示の中に新島々(しんしましま)という地名が出てきて、島々ならば地図に載っているのでその辺りだろう。乗り換えた路線バスは一路上高地へ。散策を終えた後は同じ道を途中まで引き返し、途中から今度は平湯(ひらゆ)という所へ向かう。そこで観光バスが待っていて乗り換え、飛騨高山へ。経路を下に図で示そう。

        上高地
         |
松本===沢渡-----平湯===飛騨高山へ

上高地というのは、日本アルプスの山や渓谷に囲まれた一角、梓川の流れの途中に少しだけ広がった河原、湖、湿原のことだった。そこを徒歩で散策する。森林浴という言葉がよく似合う。林や湿原の中を、ウグイスの鳴き声を聞きながら歩いてゆく。林の中でサルが笹を食べ、河原ではカモが子ガモを連れて歩いている。人が近くにいても逃げない。周囲には様々な植物が生えている。とてもたくさんのフキの葉に混じって、やたらと背の高いアザミ。太い幹の上にいくつも付いた花も香りも確かにユリだが、葉は細長くなく広がっているもの。粟粒のように小さな白い花が集まって咲いている草。紫色の小さな花が、先が細くなった尻尾のような形に集まっている草。それにホタルブクロも見かけた。よく見ると昆虫もいる。湿原の渡り板や植物の葉の上を急いで動いてゆくのは、とても足の長いクモ。花をよく見ようと顔を近づけると、すぐ近くの葉の裏に小さな黒い蛾の幼虫がじっとしているのを見つける。あるいは葉の上に、小さな白い幼虫が一生懸命動いているのを見つける。

さらに、ここだけの景観もある。大正池の湖面や岸辺には、枯れた木が骨のような姿になって何本も立っている。これは、大正四年に焼岳(やけだけ)が噴火し、泥流が梓川を堰き止めて一夜にして大正池が出来た時、それまで森だった所が水中に没し、木はやがて枯れてこのような景観になったという。また、梓川の水は近くで見ると澄んでいて下の藻や小石がありありと見え、少し離れて流れを見ると青緑色でとても綺麗。

バスは飛騨高山へ。ここは、朝市を見、小京都と呼ばれる古い町並みの一角を見、春慶塗の展示館を見るのみ。翌日は御母衣(みぼろ)湖を経由して白川へ。

御母衣は昔合掌造りの家の集落だったが、ダムが建設されて湖となり固定に沈んだ。そもそも合掌造りが世界遺産に登録されたのは、もとはといえばまず御母衣ダムが世界最大規模のロックフィル式ダムとして注目され、その経緯から固定に沈んだ合掌造りが注目されるに至ったもの。御母衣という名前の由来は、タイチョウゼンシという人が忘れて旅立った衣を母がわざわざここまで届けに来たからだという。

白川郷の合掌造りは、上の階へ上がるための階段付近の構造がとくに気に入った。まず家中央の、囲炉裏のある板敷きの大きな部屋から、階段部屋へ入る。この階段部屋は一種の狭い廊下なのだろう、反対側には障子があり、その奥は住人の生活空間ということで立ち入り禁止になっていた。この階段部屋に急な木の階段が上へと続いているが、ちょうど一階分上がった所で天井の低い中二階がある。この中二階は物置になっていて、古ぼけた色々なものが置いてあり、明り取りの窓がひとつだけ開いていた。そういえば囲炉裏のある大きな部屋は天井がとても高かったが、それは中二階の分も吹き抜けになっているからだったのだ。中二階からさらに短い階段を上ると、二階に出る。二階は昔養蚕に使われたという空間で、間仕切りは一切なく、ひとつの大きな部屋になっている。床の板張りは所々板と板の間に隙間があり、一階が見える。そういえば一階で天井を見上げた時にも二階の人が見えた。これは、囲炉裏の煙を二階やさらには三階まで通し、藁葺き屋根の虫を退治するための仕組みだという。

帰りがけ、中央高速道路を注意して見た。もう辺りは真っ暗になっていた。ビール工場はまったく照明がなく、あの歌が夕暮れのまだ充分辺りが見える時の歌だということがわかった。高速道路の照明は、中央分離帯にはなく、高速道路の両端から内側を照らすように取り付けられている。この道路の両脇のオレンジ色の照明がずっと先まで続く。これを滑走路だと歌ったのだろう。

**** 覚書ここまで ****

あなたが体験した旅行で良かった所や、逆に良くなかった所など、情報があったら教えてください。


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