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個人的仏教探索 (16) 後期密教 [個人的仏教探索]

田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモ その4 セクソロジー編の灌頂の部分を読む

<<<注意>>>
この文章は上記の難解な書物を私なりに読み、理解しようとした足跡だが、今回紹介する部分にはこの書物の記述の中でもっとも「おぞましい」ものが出てくる。仏教に理想を見出している方や、後期密教を美しいと考えている方は、読まないほうが良いかもしれない。

この本は生起次第と究竟次第の説明を終えると、次に灌頂の説明にとりかかる。ここで私は自分がとても基本的なことを忘れているのに気づいた。私は今まで後期密教を知ることで、インド仏教が時代と共に展開し変化したその最後期の形を知るつもりだった。しかしこれは仏教一般の最後期の姿ではなく、密教だということを忘れていた。密教は文字通り秘密の教えであり、万人に開かれた教えではない。私が知るべきものではなかったのだ。灌頂と呼ばれる入門儀礼を受けた者だけが密教に参与する資格を与えられる。

後期密教の灌頂はそれ以前のものよりも複雑になっている。それは4つに分かれていて、まず瓶灌頂は、瓶から香水を取り出し受者の頭頂に灌ぐのでこの名が付いている。この瓶灌頂では受者の本尊も決める。またそれ以外にも複雑な儀礼が付加されている。瓶灌頂は中期密教の灌頂の内容を継承したものになっており、もともと国王の即位式を真似たものだった。そういえばキリスト教の洗礼ともどこか似ている。ここまでなら私にも納得できる。ところが後期密教は、この国王の即位式を真似た最高の儀礼であるはずの瓶灌頂を格下げして灌頂の第1段階とし、その先におぞましいものを持ってきた。

第2の灌頂である秘密灌頂から先は、後期密教になって付け加えられた灌頂だ。秘密灌頂では受者が阿闍梨に女性を献ずる。あるいは阿闍梨が瞑想に入り女性を観想する。阿闍梨はこの女性と交わり、「金剛杖の中の菩提心」つまり精液を取り出し、指でつまんで受者の口に入れる。これで「菩提心を授けた」ことになる。ゲロゲロ!やっぱりとんでもねえ宗教だ。本物の女性を使ったら犯罪だ。なお、精液だけでなく赤白二滴を授けるとする文献もある。

次の般若智灌頂では、こんどは受者は阿闍梨から与えられた女性と交わる。(頼む、誰か、これが乱交パーティーでないことを証明してくれ。私はめまいがしてきた。)女性と交わりつつ受者はヤブユムの本尊の境界を悟る。受者は射精を我慢して究竟次第の4つの歓喜を体験しなければならない。そして受者が射精を我慢できなくなった時は女性の体内に菩提心を放出し、赤白二滴の混合物を服用する。(私は仏教の探究をしているはずだが、全然そんな気がしない。これはなんか、ひどすぎないか?)

最後の第4灌頂は、阿闍梨が受者に「言葉によって」大切な教えを授ける。とはいえ何を授けるのかは文献中にほとんど見られないそうだ。

以上の灌頂がチベットで受容された際に、やはりその内容は受け入れ難かった。つまり女性との性行為は教えに反する行為だからだ。過去にはそれを行った時代があったようだが、現代のチベットでは本物の女性を使わず、赤白二滴も着色した飲料で代用する。この傾向に私はホッとしたが、さらに第4灌頂も秘密集会やヘーヴァジュラの一節を説示するだけになった。私は確かにホッとしたのだが、本来もっとも秘密だったであろう第4灌頂がここまでアッケラカンと形式的になると、なんか秘密が何もなくなったみたいに思える。
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