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個人的仏教探索 (14) 後期密教 [個人的仏教探索]

田中公明著「性と死の密教」内容理解のためのメモ その2 セクソロジー編の最初の部分を読む

中世のインドでは、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教という宗教の枠を超えて、性を重要なテーマとする宗教「タントリズム」が爆発的に流行した。つまり後期密教がこの方向に走ったのは時代の潮流がその背景にあったということだ。

まずセクソロジー編の初めには、煩悩即菩提の大楽思想が見られる理趣経、過度の苦行を否定してむしろ楽しみながら修行することを勧める理趣広経に触れ、当時のインドにあったと思われる享楽的現世肯定の風潮の中で仏教が歩み寄らざるをえなかったと推測する。また理趣経の中にある母天信仰に触れ、この母天がその由来からも「一切を鉤召し引入し殺害し成就する」存在であることを確認し、ここに後の母タントラに続く初めの一歩を見る。

話は母タントラに移る。父タントラ(たとえば秘密集会)よりも遅れて成立した母タントラへと時代は飛ぶことになるが、セクソロジーだから、その傾向が強い母タントラのほうを見る。まずは、母タントラの中では最も成立の早い、サマーヨーガと呼ばれる一連のタントラから。これらは理趣経・理趣広経の後をうけるものとみなすことができる。この中にへールカが現れる。ヘールカは理趣広経の後半で金剛火焔日輪という形でその前身が存在し、サマーヨーガでは曼荼羅の一部であるへールカ族の主尊として現れ、後の母タントラでは曼荼羅の主尊の地位を不動のものとする。当時ヒンドゥー教内で母天にたいする信仰が盛んになり、それに呼応して、仏教側でその母天を調伏するへールカもまた盛んに信仰され始めたものと思われる。主尊へールカの周囲に侍る女神たちは、髑髏の首飾り、蛇の装身具、(仏教に敵対する者の)人皮などを身につけるおどろおどろしい姿をしている。

ようやく話は例の第2の月輪へと向かう。まず月輪の中に観想されたサンスクリットの字母だが、これは文字鬘(もじまん)の観想法という。サンスクリット語の字母を神格化し、根本仏と同一視するというものだ。古くは中期密教の大日経に「百光遍照王」というものがある。大日経の文字鬘はおもに子音字の組み合わせだったが、サマーヨーガでは母音字と子音字の組み合わせになっている。この本の著者は母音字を根本仏、子音字をその妃と解釈し、母音子音の組み合わせを性行為と解釈し、そこから女神たちをはじめとする曼荼羅の世界が生まれるとする。なおサマーヨーガの当該個所では金剛薩埵を「大貪欲の大楽」と呼んでいる。

「秘密相経」に出てくる第2の月輪は、後の「ヘーヴァジュラ・タントラ」で日輪に置き換えられている。ここにも五相成身観が説かれるが、その内容はもはや「金剛頂経」系の五相成身観とは異なる。「金剛頂経」系では通達菩提心・修菩提心・成金剛心・証金剛身・仏身円満だったものが、後期密教系では大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・清浄法界智となる。名称が異なるのは一目瞭然だが、中身がどう異なるのかは(私には馴染みのない話なので)私はいまだに理解していない。ところで、「導入編」のある節の題に「第二月輪の謎」とあったから、私は謎が後に解かれるのかと思っていたが、そうではなかったようだ。この本には、「この謎はいったい何だろう」と思いつつ読んで行くと、それはそういうものなんだということで話がおしまいになる箇所がいくつかある。結局、後期密教を紹介するのが目的だから、「こういうものなんだ」という記述が当然で、謎だと考えて解明を期待してはいけなかったのかもしれない。でもなんか期待させる書き方をするんだよなあ。
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