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年をとるとシンセにたいする思いも変わるらしい [手記さまざま5]

XILS3で音色を作りながら私は思った。マトリックスという手段は、最大限の自由度を提供するものだが、なんて扱いにくいのだろう。VCOからVCFを経てVCAへという基本の道筋すらない。それは演奏者が自分で構築するのだが、その構築場であるマトリックスが感覚的に把握できるものでない。フローチャートのようになっていない。いっしょうけんめい縦横をたどって初めて接続がわかる。それは本当に正しいことなのだろうか。人間に仕える機械のあり方として、人間にわかりにくいインターフェイスは本当に正しいのだろうか。若い頃は憧れたVCS3型のユーザーインターフェイスに、この歳になって疑問を感じた。それと比べると、MS-20のパッチボードは感覚的だ。「最大限に自由だけれども扱いにくいマトリックス」と「選ぶだけで使えるけれども自分で音を加工できないプリセット音源」の中間。コンセプト的には妥協の産物だが人間にとってわかりやすいモジュール型シンセを実現している。だが惜しいかな、MS-20の音色は私が求めるものではない。私はアコースティック楽器や自然界の音をシミュレートすることに興味がある。ギュギューン!といった、いかにもシンセという、ロックで使いそうな音色を求めていない。それでMS-20のシンセとは相性が悪い。音色的にはXILS3と私は相性が良い。だが最初に言及したマトリックスの扱いにくさは、年をとった私には辛い。せめて作った音色を保存できれば良いが、私が使っているデモ版は音色の保存ができない。金を出して製品版を買うほど私は曲が作れずに挫折すると思っているので、金は出せない。では他のメーカーはどうか。MS-20が世に出た頃、ヤマハもシンセサイザーを出した。ヤマハは楽器メーカーだから、アコースティックな音色を意識しただろう。しかし残念ながら今のヤマハはソフトウェアシンセを作っていない。私が昔シンセを買ったKAWAIも、もうシンセを作っていない。

私がシンセを買ったのは、MS-20の頃ではない。その頃、つまりアナログシンセの頃は、シンセサイザーはまだ高価だった。そして私は大金を払うにはまだ子供だった。私は我慢しなければならなかった。その後デジタルシンセの時代が来て、シンセサイザーの価格は下がった。私も少し大きくなり、自分の自由になる金の額が上がった。それでやっとシンセを買えたが、その時はもう私が憧れたVCO-VCF-VCAという時代ではなかった。シンセは自由な音作りの機械から、演奏時に扱いやすい楽器へと変わっていた。私が買ったシンセは鍵盤のないもので、音源モジュールという表現が適していた。100以上のプリセット音源から音を選べ、それぞれのプリセット音源の各種パラメータを自分で変更して音を変えることもできた。各プリセット音源には根本的な個性の違いがあり、たとえばピアノの音源のパラメータをヴァイオリンの音源のパラメータとまったく同じに調整しても、まったく同じ音にはならないという仕様だった。つまり、自分が求める音にいちばん近いプリセット音源を選び、それのパラメータを変更することで音色を微調整するという使い方をした。さらに、プリセット音源の中にはアコースティック楽器の音をサンプルしたデータの入ったものもあり、実際の楽器の音だからリアルだった。思えばこのKAWAIのシンセも、自由度とプリセットの折衷案で、演奏者が音を扱いやすく、その気になればパラメータも変更できるという長所をもっていた。当時はVCOなどのアナログなつまみがいじれずに残念に思ったデジタルシンセだが、今思えばうまく出来ていたのだなあ。それももう、とっくに捨ててしまって手元にない。残念なことだ。