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篠山紀信氏が亡くなられたことを遅れて知った [手記さまざま6]

私は個人的な事情で外界に気が回らない毎日を過ごしているが、それもほどほどにして立ち直らねばならないと思った。少なくともニュースは定期的に見た方が良かった。そうしないと、訃報を知らずに過ごしてしまう。

昨日亡くなった篠山紀信氏の訃報はおそらく今日の朝に報道されたのだろう。私が知ったのは愚かなことに夕刻だった。

私は篠山氏の作品を多くは知らないが、若い頃にたまたま激写展の存在を知り、135人の女ともだちという分厚い写真集を買った。宮沢りえ写真集の頃には私の関心が別方面へ向いていたので買わなかったが、従兄が買ってきて見せてくれた。当時のことを思い出すと懐かしい。

ネットを見ると、すでに多くの方が篠山氏を悼む言葉を述べている。遅くなったが私も、篠山氏追悼の意を込めて、彼の作品を皆さんと共に今ふたたび鑑賞したい。UPはこれから試すので、これを書いている段階では成功するかどうかわからないが、この記事が公開されたならばUPが成功したということになる。パスワードを求められたらGOROと入力してほしい。少なくともWindowsでは、zip内のどれかのファイルでパスワードを求められ入力したら、その後はパスワードの入力なしで表示できるそうだ。zipのパスワードにあまり意味がないことは私も知っている。篠山氏の作品はおっぱい姉ちゃんが多いので、簡単にでもパスワードを設けておこうという意図だ。ファイル名はShino_Windows.zipという少し関連性のわかりにくい名前になっている。Windowsというのは、私がスキャン画像を作成しzipを作ったプラットフォームだ。私はよく知らないのだが、Macではひょっとして画像の色合いやテキストの日本語文字コードがWindowsと異なる事情かもしれないと思い、念のためにファイル名に記すことにした。保存期間は7日間、ダウンロード回数は10回。前回私が4つのUPをした時に10回もダウンロードされたものは一つもなかったので、大丈夫だろう。
https://f.up300.net/21fef3ce63bd875b9bcde51b9ac6204c/


第四の生き甲斐を探します226 See you again in the world [手記さまざま6]

記事タイトルの言葉、あなたはどういう意味に感じますか? 字義どおりに世界のどこかでまた会いましょうと感じますか? 私は昔から、そう感じないんです。

私にこの言葉を書いてよこしたのは、大学サークルの後輩でした。彼女は時代劇の必殺シリーズが好きで、東武動物公園周辺の地図を書いた時も面白い建物を書き込んだりして、私にとって楽しい人でした。

でも人は成長して変わります。いや、変わるというよりも、元々持っていた資質のうち別のものが顕現してくるのでしょう。彼女は必殺シリーズの話をしなくなり、その代わりに外国に興味を持つようになりました。

当時の私は国外に興味がありませんでした。私は元々インドア派で、国内だって人付き合いの範囲を積極的に広げるタイプではないので。彼女はサークルの後輩なので普通に会い続けましたが、それでも話の接点はなくなってゆきました。

大学を卒業すると、彼女はメキシコへ行きました。それが就職先の指示だったのか、彼女自身が新天地を求めたのかはもう忘れましたが。やがてエアメールが届き、メキシコシティは空気が悪いと書かれていたのが記憶に残っています。

エアメールの最後に See you again in the world! と書いてありました。

私は、それはきっとないな、と思いました。一度住む世界を異にした人間同士が広い世界のどこかで再会することは滅多にない。これは事実上のさよならだろう、と。

案の定、そのエアメールを最後に音信は途絶え、数十年が経ちました。

彼女からのエアメールに差出人住所が書いてあったかどうか、よく思い出せません。仮に書いてあっても、私は手紙を出さずに終わったでしょう。もう必殺シリーズや東武動物公園のような話の接点がなくなっていました。

私がどうしてこんなことを書いたか。それは、このブログもやがて終わりにしなければならず、その時自分はどんな言葉で締めくくれるだろうかと考えたからです。このブログで昔の本や音楽のことを話題にしていた頃は人々との接点がありアクセス件数もそれなりにありましたが、今後は皆様との接点がなくなる恐れがあります。ブログを終える時が来たか、そうでなければコンセプトを改めて再出発しなければなりません。どうしていいかは私自身まだ思い浮かびませんが、自分で節目と決めた3月末までまだ間があるので引き続き考えます。