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ないはずの神社が地図にあった [手記さまざま]

ことの起こりはGoogle Mapsだった。もう何か月も前のことだ。私はGoogle Mapsで自宅の近くを見ていた。すると私の目に、あるはずのないものが見えた。神社。うちの近くに神社?生まれてからずっとここに住んでいるが、いちばん近い神社で1キロ半か2キロ離れている。ところが地図を見ると、家を出てブラブラと歩いてすぐの所に神社があった!そんな馬鹿な。しかし、日常生活で毎日のように目にしている場所に意外なものがあるというのは、時としてあることだ。私はいつか神社存在の真偽を確かめようと思った。

でも、地図にある神社の場所は、私の記憶では住宅地の真ん中だ。そこは崖の中腹で、斜面に住宅が建ち並んでいる。住宅へは崖下の階段から入るらしく、崖下を通る道にはいくつもの階段がある。下手をすると神社へ行くつもりが他人の家へ不法侵入ともなりかねない。それが心の中に引っかかって、なかなか神社探訪を実行に移さないでいた。

今朝、起きてすぐに考えた。よし、散歩がてらに探検してみよう。私はインドア派の人間だ。なぜなら趣味がパソコンだから。アウトドアにはディスプレイもキーボードもなく、プログラミングもできないから、私は外へ行きたがらない。私を仕事と買い物以外で外へ連れ出すのは容易でない。でもこれは健康に悪い。せっかく神社探訪という目的ができたのだから、健康のためにも行ってみよう。

私は早朝に家を出て、その崖へ向かった。途中すれ違った人が3人。そのうち1人は、面識がないが「おはよう」と挨拶をしてきた。私も挨拶を返した。私はヨーロッパを旅した時は意識して挨拶をした。さすがに道ですれ違う人にはしないが、店へ入った時またはレジで店員に。小さなホテルで朝食室の先客に。あちらではそれが普通であり、挨拶はただの挨拶でなく、「自分は不審者ではありません」という表明でもある。でも日本では、日本人はそういう時に挨拶しない。知らない人同士は挨拶しないのがむしろ普通だ。だから私は迷う。挨拶しようかしまいかと。今回私は挨拶しながら、「これからこの人と会った時は挨拶しよう」と思った。

そしてやがて私は崖下に着いた。スマホに表示したGoogle Mapsを見ながら、その神社に続く階段を見つけた。石段を登ってゆくと、かすかに線香の匂いが。それに続いて、ポクポクポクポクと速いテンポで木魚を叩く音が聞こえてきた。線香?木魚?それって神社でなくて、お寺?まさかね。Google Mapsには神社は記してあったけど、その隣にお寺はなかった。そう思いながら石段を登っていた私は、ふと右の家の門を見た。するとそこに、お寺の表札が。お寺があった!あ・・・でも、あるはずなのはお寺じゃなくて、神社。

石段はそんなに先まで続かずに、住宅の2階の高さを超した位で終わっていた。そこにあったのは、ただの家。付近の地面は雑草がかなり生えていて、ごみ出しの日とみえてごみ袋が置いてあり、臭い。本当に普通の家なのか、ひょっとしてここが神社なのかと家を見ると、窓から中の電灯と、吊るした洗濯物が見える。ここが神社とは思えない。崖の中腹にある、ただの民家だ。

私は崖の上のほうを見た。なぜなら、地図によればこの階段の行き止まりのその先は、すぐ近くまで崖の上から道が来ているからだ。茂った草の先に、崖の上に建っているらしい家の屋根が見えた。ひょっとすると、神社へ行く道は崖下の階段ではなく、崖の上の道なのかもしれない。

こんどは崖の上にやって来た。スマホのGoogle Mapsを見ながら、神社の近くまで通じている道を見つけ出し、その道へ入った。でもその瞬間に見えた景色は、見馴れた場所だった。私は崖下には滅多に来ないが、崖の上は日常的に通っている。この道ならば先まで行ったことがある。先は行き止まりなんだが、民家しかなかったはずだ。念のために私は道の先まで行った。両側に民家が建つその道は、突き当たりが崖の始まりで、草が茂り、その草の間から崖中腹に建つ家の屋根が見えた。結局、神社はなかった。

こうして、私の朝の探検&散歩は終わった。インドア派の私を外へ連れ出すには、健康がどうのとかいう理屈を付けても無駄だ。それは私にとって「北風と太陽」の「北風」だから。私を連れ出そうと思ったら、子供時代の探検気分を思い出させることだ。大人になった今、どこを探検しても何も出て来ないことは知っている。それでも、「この先を行ったら何かあるかもしれない」と思うドキドキ感は懐かしい。それに、神社はなかったが、お寺があった。そんなささいなハプニングでも、私に楽しい幻を見せてくれる。

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