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沖縄離島ツアー。個人の感想。(9) [旅行 国内]

その9。
「ヤギは食用。クジャクは捕獲。」

新城島観光が終わると、私にとっては今日の観光は終わったようなものだった。まだ小浜島が残っているが、旅行前にネットで調べたところ、小浜島で訪れる場所は以前のNHKドラマ「ちゅらさん」のロケ地がメインのようだ。帰りの船の中でツアー客のひとりが、今日の観光はここまででいいですと言っても無理なんでしょうねと言っていた。いままでの観光で疲れたのと「ちゅらさん」に関心がないのとでそう言ったのだろう。

西表島の大原港で、いままで乗ってきた船を降り、小浜島行きの船に乗り込む。

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小浜島の港に到着。

港からバスに乗り込んで出発したが、小浜島の観光は車窓観光が多かった。時間が押していたからか、当初からそういう予定だったのかはわからない。私個人は20年前に小浜島に来た時、ヤマハリゾートはいむるぶしという宿に泊まった。ここがとても良く、小浜島というと私はもっぱらこの宿にまた泊まりたいとばかり考えていた。何年も前にネットで調べたら、この宿の建物自体はまだ健在で、ただ経営者が変わった。その時に、私の思い出の中でもとりわけ重要な「クジャクが食べ物をもらいに客室の窓に来る」というのが今はもうないらしいという情報も出てきた。クジャクがいないならもういいやというわけで、私はこの宿に宿泊するのを諦めた。ところが旅行から帰って再度検索したら、去年の情報として、はいむるぶしにまだクジャクがいるという情報が出てきた。客室から見えるというだけで、餌をもらいに客室の窓に来るとは書かれていない。いずれにせよ今回のツアーでは小浜島には来たが、懐かしいはいむるぶしの敷地に近づくことはなかった。

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やがてバスはシュガーロードに着いたが、下車観光でなく車窓観光だった。つまりバスはこの道を、速度を落として通過しただけだ。シュガーロードは「ちゅらさん」のロケ地。私は「ちゅらさん」に関心がなかったが、シュガーロードには関心があった。それは、この名前がさとうきび畑の道という意味だからだ。私は沖縄離島に来てから今までさとうきび畑の撮影に成功していなかった。でも小浜島ではシュガーロードに行くから、そこで確実に撮影できると思っていた。ところが運転手さんが言うには、以前は左右がさとうきび畑だったシュガーロードも、牛のほうが儲かるというわけでその後牧畜のために使われてしまい、さとうきびはなくなってしまった。そんなわけで、さとうきび畑ではなく干し草のロール巻きと放牧牛を撮影。すべて車窓から。

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バスは走り、やがてこはぐら荘の前を通った。こはぐら荘も「ちゅらさん」のロケ地。ここも車窓観光で、バスは速度を落として通過しただけ。

バスは細崎(くばざき)という集落を目指す。私は旅行前に細先がどんな所か、美しい所かと下調べをしたが、実際にはその必要はなかった。これも「ちゅらさん」のロケ地へ行くためだった。このロケ地は集落でなく海岸なので下車してそこまで行く。私は「ちゅらさん」に関心がないので、ロケ地そのものは撮影しなかった。

バスが走るうちに車窓から特徴的な墓が見えてきた。以前に他の島(おそらく波照間島)でも見かけた。私の同行者は韓国の墓に似ていると言った。日本の古来の墓石は上下に長く、墓地には無数の墓石が立つが、ここのは平地の中にひとつだけある場合もあり、墓石は上下に長くなく巨大でずんぐりしている。バスの運転手さんによると、亀の甲羅に似ているので亀甲墓(かめこうばか)というそうだ。人々は祖先の墓の前に座って飲み食いするので、当地では「お墓はおばけが出る、恐い」という感覚がなく、恐くないので「きもだめし」もないそうだ。

小浜島最後の観光地へ向かう中で、運転手さんが、このへんはクジャクをよく見かけますと言った。私は、それでも都合よく見られはしないだろうと思った。ところがそのすぐ後で、2羽のクジャクが道路のすぐ脇の草地に見えた。小さめで体は青かった。私がいるのとは反対側の車窓(左)から見えたので私はよく見えなかったが、長い飾り羽はなかったそうだ。それと前後して運転手さんが、道路のすぐ脇の草地に置かれたものを説明して、あれはクジャクを捕獲する罠ですと言った。帰宅後にネットで調べると、当地ではクジャクは害鳥になっているらしい。ヤギを祝いで食べるという話はこの運転手さんからも(つまり波照間島だけでなく小浜島でも)聞いていた。沖縄離島では「ヤギは食用、クジャクは捕獲」だった。

バスは小浜島最後の観光地に到着。ここは「ちゅらさん」とは関係なく、眺望が良い。急な坂を登らねばならない。

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沖に見えるのは嘉弥真島(かやまじま)という無人島で、ウサギがたくさんいるのでウサギ島ともいう。

船に乗って石垣島に戻った。石垣港はもう十分撮影したので撮影の必要なし。バスに乗って夕食会場に向かうが、この会場は市街地から離れていた。

バスから降りると、まずみね屋工房で八重山上布の説明を聞き、それから花織みんさなどの売り場へ。売り場内は撮影禁止。その後、隣接する「和琉ダイニング みふね」で夕食。島野菜とあぐー豚のしゃぶしゃぶ。

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最初に「島野菜の皿に皆様にとってめずらしいものが2つあります」という説明があった。ひとつは裏が紫色の葉で、名前は忘れてしまった。帰宅後にネットで調べてみたら、どうやらハンダマらしい。もうひとつはきゅうりが大きくなったような野菜で、ナーベラーというそうだ。私の同行者がこれを聞き取れず、店の人が近くを通った時に聞いた。すると店の人は「ナーベラー、ヘチマです。種も食べられます。沖縄では昔から食べています」と言った。最初の説明でヘチマという言葉はなかったと思う。那覇空港で買った飲料の名前「さんぴん茶」もそうだったが、当地方言で書かれたり言われたりして何か珍しいものだと思い込んでいたら、実は共通語では別の呼び名でよく知っているものだったということがある。島野菜の皿には野菜の他に豆腐と麩が入っていた。そういえば昼の炒め物にも麩が入っていた。

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次に食べ方の説明があった。まずIHヒーターの電源を入れる。湯が煮立ったら、島野菜を全部入れる。これで野菜のダシが出る。再び湯が煮立ったら、あぐー豚を湯でしゃぶしゃぶして食べる。豚なのでよく加熱してくださいとのこと。

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黄色い麺はシメに食べるためにある。麺の小皿を取ると、その下は塩が入っている。そこへ卓上にある杓子で4~5杯入れてつゆを作る。ここまでが店の人の説明。シメの時点で湯には野菜と豚のダシが少し出ているので、それもつゆの味になる。麺を湯の中で茹でるという話は説明に出なかったと思うのだが、食べる段になってこれは鍋料理のシメの要領で湯に入れるんだなと察してそうした。この黄色い麺が沖縄そばなのか何なのかは、わからずじまいだ。

まだ食べ終わらないうちに、食事会場に三線をもったお姉さんが現れた。三線を弾いて何曲か歌ったが、私が世間の歌を知らないあるいは関心をもたない人間なので、中の1曲、安里屋ユンタだけ動画に撮った。1番は撮りそこね、2番を撮り、3番は替え歌を歌ったがそれは撮らなかった。歌の前に、さらりとだが「死んだら神様よ」も言ってくれたので嬉しかった。

これで3日目の観光と食事の記録は終わりだが、そろそろ病気の記録を書かなければならない。2日目の夜から3日目の朝にかけてだと思うが、履きなれた靴なのにどうして左足がきついんだろうと思った。また、旅行前から右足の指同士がこすれて痛かったのでテープを持参して貼っていたが、左足親指付け根の外側も痛くなってきたのでそこにも貼った。この時には大事になるとは思っていなかった。3日目の観光も、人によっては行かずに済ませた高台にも登った。異変に気づいたのは3日目の夜か、観光中のどちらかだと思う。左足の痛い部分が親指の付け根よりもかかと寄りに、足の裏側や甲へと移動したように思えた。大浴場で湯に浸かっている間は気持ちよく痛みが引いたが、風呂から出るとまた痛くなった。スティック状の消炎鎮痛剤を夜中に何度か塗り直したが、湿布薬を持ってこなかったことを後悔した。

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