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沖縄離島ツアー。個人の感想。(8) [旅行 国内]

その8。
「新城島で私は考えた。」

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西表島の大原港に来て、新城島(あらぐすくじま)へ行く臨時便に乗る。船は浮き桟橋でない所に接岸していた。この船にここまで乗ってきた乗客は船首から岸へ上がるが、干潮で海面が低く、船首に木の箱を置いて段にして上がらなければならない。次に乗り込む我々は降りるのでさらに大変だ。浮き桟橋がないとこうなる。浮き桟橋の場合、潮位にかかわらず常に海面から一定の高さに浮く。

船に乗ってみたらグラスボートだったのでびっくりした。サンゴ礁はもう見たので、島への移動にグラスボートを転用したのかと思った。

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あまりに気候が良いので、私は今が2月だというのを忘れていた。気温はちょうどいいが、日射しがジリジリと熱い。

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しばらくすると、サンゴ礁観光が始まった。島への移動にグラスボートを転用したのでなく、サンゴ礁鑑賞もあった。ところが、ここのサンゴ礁は海面から遠くてよく見えなかった。

新城島到着直前に右舷に景勝があった。波打ち際の岩が波に削られてオーバーハングになっていた。しかし私は左舷に座っていたのでシャッターチャンスがなく、この場所は新城島観光の最後に陸から撮影した。

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ネット検索するとこの島に特徴的な記述は、御嶽付近での観光客の扱いだ。観光客が御嶽に立ち入れないのは他の島でも同じだろうが、ここでは鳥居の撮影すら禁止している。だから私は旅行の前には「昔と違って新城島がパッケージツアーの観光地に加わったのはそれを意識しているのだろうか、でも立ち入れない、写真も撮れないでは観光にならないから違うのだろうか」と考えた。実際にこの島に来た観光客としては、関心事は御嶽ではない。船が港に着いて桟橋に立つと、海の色の美しさと足下のサンゴ、その間を泳ぐ小魚にカメラ撮影が忙しくてたまらない。ここのサンゴは西表島のグラスボートで見たものほど美しくないが、船底のガラス越しでなく、分厚い海水越しでなく、水面のすぐ下にじかに見えるのが魅力だ。はっきり見えるという意味では今回のツアーの中で一番のサンゴ観光だった。

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サンゴと小魚を夢中で撮っている。いくら撮っても撮り飽きない。

でも時間が押していて、ガイドのおじさん(詳細は下記)がツアー客に集合をかけた。行かなければならない。

この島までグラスボートを操縦したおじさんと助手を務めたお兄さんはこの島の人で、島上陸後にはおじさんがガイドさんになった。

新城島(あらぐすくじま)は上地島(かみじじま)と下地島(しもじじま)を併せた呼び名。この2つの島は干潮時につながる。2つの島が離れていることから現地ではパナリと呼ばれる。下地島はすでに住んでいた人がいなくなり個人の所有となった。今は島全体が牧場。上地島はあと老人2世帯ほどとなった時、島を無人島にしないために年中行事(神事)を作った。普段はほとんど人がいない島だが、神事の時には島の出身者が島に戻る。この島に、わずかな住人の数にそぐわない多くの家(空き家)があるのは、神事の時に人々が帰ってくるから。ガイドのおじさんは、おおよそそんな解説をした。

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ガイドのおじさんの後に続き、集落を観光中。

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これが、この集落でいちばん沖縄古民家風の家。新城島の観光は竹富島みたいに古民家を見て回るのとは別だというのが察せられるだろう。

新城島の御嶽(ウタキ)と呼ばれる聖域に入ってはいけない、写真を撮ってはいけないというのを私は事前のネット検索で知っていたが、ガイドのおじさんもそう言った。新城島には御嶽が4つあり、今日はそのうちの2つの前を通るという。ガイドのおじさんの後に続いてツアー客は集落を見物し、それから林の中の道へと向かう。ある場所まで来ると、ガイドのおじさんは、ここからは写真を撮らないでくださいと再確認する。そのすぐ先に鳥居がある。この鳥居は白かったが、木製ではないのか? それとも白く塗っているのか? 神社の鳥居だからてっきり神道系かと思ったが、そうではないらしい。鳥居の先に道が続いており、観光客から見えるのはそれだけだ。鳥居の前でガイドのおじさんは、祭りの時にはアカマタ、クロマタという2柱の神様が出て、2メートルくらいの背丈があって(もし人が面をかぶっているならば新城島民の身長が2mということはなく、これは私の記憶違いかもしれない。あるいは背の高い頭飾りがある可能性もあるが)、みなさんがご覧になったらびっくりしますよ、というような内容の話をした。でも私の理解が正しければ、「みなさん」は決して「ご覧になる」ことができないはずだ。島の当事者は神域をとても気にしているが、観光客にとってはどうせ鳥居しか見えないので観光名所ではない。

どんな方向へどれだけ歩いたかは忘れてしまった。とにかく、林の中をしばらく進んで砂浜に出たのだが、砂浜に出る少し前に鳥居があり、そこに至る前にもガイドのおじさんは写真を撮らないでくださいと再確認した。こちらの鳥居は見るからに木製だったが、観光客に見えるものが鳥居とその奥に続く道だけということは変わらない。

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砂浜。浜の名前は、ガイドのおじさんは言ったのだろうが、私には聞こえていない。私はおじさんの話を聞くのでなく、人々の背後の少しだけ地面が高い所に陣取って良い写真を撮ることに専念していた。

記憶がもうおぼろげだが、砂浜から一度集落まで帰ってきて、集落内で左折して進み、その後どう進んだか忘れたが集落の端で右折してまた林の中へ入り、少しだけ進んで、のろしを上げる場所へ来たような気がする。その、集落の端で右折してまた林の中へ入った所で、進行方向右手は集落の敷地だから例のサンゴを積み上げた塀があり、そのサンゴの隙間にひとつ、缶を潰したものが押し込んであった。350mlの缶だがビールかジュースかはわからなかった。なにしろツアー客の一員として歩いている最中だから立ち止まれない。この島に住んでいる人がこれをしたとは思えない。ガイドのおじさんの話では昨日まで祭のために島の出身者が大勢島に戻っていて、今日はまたその人々がいなくなって島がいつもの静かな状態になったそうだ。この後歩いている途中に一升瓶の空瓶がたくさん積まれている所があった。昨日までの祭で飲んだ泡盛と思われる。では島に戻った人の一人が酔っ払ってビール缶を潰して押し込んだのか。この島で生まれるか育つかし、祭のためにわざわざ帰島した人ならば、他人の家の塀にビール缶を押し込むなどという不作法をするはずがない。帰島した人に本土で生まれた子供がいて、その子供が都会で無作法に育ち、親と一緒に島に来て無作法を働いた可能性はある。もうひとつの可能性は、以前にこの島に来た観光客がやったというものだ。この可能性がいちばん高いと思う人は多いだろう。なるほどそうかもしれない。でもこの島には観光客がなかなか来ないはず。パッケージツアーの客はどうしても昼間に、ガイドと添乗員に連れられて一団となって動くので、缶を潰して押し込むような時がない。あるとすれば、個人で来た旅行者の可能性で、そうなると今から何十日前に来たのやら、とにかくなかなか来ない。では島民は、この突っ込まれた空き缶を数十日の間片付けずにいたのか。そこが引っかかる。都会ならば他人の家にごみが押し込まれていても無関心だが、この仲間意識の強い島では違うだろう。そうなると、さっきの「島外で生まれ育った不作法者」説がにわかに現実味をおびてくる。なにしろ昨日までこの地には珍しく沢山の人がいて、祭をし酒を飲んでいたのは事実だから。いずれにせよ、この空き缶はこの島にとって異質なものだった。

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のろしを上げる場所に登った。この場所は狭いので、ツアー客を2つに分けて登らせ、おじさんはその都度ガイドした。こののろしについてはたしか波照間島でバス車窓から見て運転手さんの解説を聞いた。何かあった時には波照間島でのろしを上げてそれを新城島で発見し、新城島でのろしを上げてそれを黒島で発見し、黒島でのろしを上げて・・・と伝えていったという。

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ツアー客の後半2分の1が登って解説を聞いている間、すでに降りてきた前半2分の1は添乗員さんの先導でゆっくりと集落へ戻り始めた。やがて全員合流して集落を歩く。そこにある家々は竹富島のようではなくカメラの被写体にならなかったが、サンゴの塀から生える例の草に花が! すかさず撮影する。

さらに歩いてゆき、ある場所でガイドのおじさんが左手の家に言及しはじめる。どんな名所かと注目するツアー客。ガイドのおじさんは、私の家ですと言った。一同ウケる。家に人がいたらしいが、私は沢山のツアー客の後ろにいたから見えない。ただ、ヤギの声がする。ツアー客の頭越しに探すと遠くにヤギがいてこちらを見ている。家のおじさんが帰ってきたのでメーメー啼いているらしい。ここまでならかわいいヤギに癒される話だが、私はこの地でヤギが祭のたびに食卓に上るのを知っている。あのヤギも例外ではないだろう。

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この島最後の観光は、島到着直前に右舷にあった景勝地。残念ながら逆光だ。ツアー客の一人がガイドのおじさんに、この景色をいつも見られるとはうらやましいと言うと、おじさんは、太陽の光がこちらから射す時に写真を撮って年賀状に使っていますと言った。それはうらやましい。

島を離れるためにグラスボートに乗ろうとしている時のことだった。ひとりのツアー客がこの島の環境を気に入って、ここで働きたいと言った。冗談か本気かは知らない。それに続いて、でもだめなんでしょうねとガイドのおじさん(今や船の操縦者に早変わり)に言ったら、おじさんは、ええ、外部からの移住者をお断りしている位ですから、というような意味のことを言った。私にはひとつ個人的な疑問がある。そこまで外部の人間の悪い影響を拒み、みずからの信仰と島民同士の絆を絶対的に守るならば、そもそも観光客を拒むはずなのに。観光客といえば、さまざまな部外者の中でも信用できない類のものだ。ごみを捨てるかもしれない。禁じられた場所に入るかもしれない。本気で島に住みたいと言う人のほうがよほど信用できるはず。それなのに、なぜ私は今ここにいる? 島民はなぜ観光を拒まない? それが、島にいる間に私が感じた唯一の疑問だ。

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