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沖縄離島ツアー。個人の感想。(4) [旅行 国内]

その4。
「知りたい。今でも死んだら神様か?」

食後、船浮集落からイダの浜へ行った。

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イダの浜への変わり映えのしない道の中でひとつ目立ったのは、「上の川」(ウイヌカー)というもの。昔はここから生活用水を取っていたという。

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イダの浜に到着。昔漫画「北斗の拳」を愛読していた私は、イダ・・・ユダ・・・南斗六聖拳妖の星などと思い巡らしていた。ここで北斗の拳を思い出してしまったせいか、由布島では私はシンタロウと聞いてケンシロウを思い出してしまうことになるが、それはまだ先の話。

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砂浜はサンゴのかけらだらけ。

船浮港の左側は少し行って道がおしまいになるが、そこに旧日本軍防空壕跡がある。船浮港に着いた時は、昼食時間との兼ね合いか、それともすでにツアー客が反対方向のトイレに向かって進み始めていたからか、理由はわからないが防空壕跡の観光だけが後回しとなった。イダの浜から戻り、昼食所に再度(靴を脱いで)上がって休憩した後、防空壕跡へ行った。

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防空壕跡。敵襲に備えて防空壕は作ったが、この島は艦砲射撃程度で終わったそうだ。人々は銃撃ではなくマラリアで死んだそうだ。トンネルは崩落の恐れがあるそうで、入口までで引き返した。トンネルの向こう側には旧日本軍が作った設備があるそうだが、それは見ずに終わった。旧日本軍はそこで震洋というモーターボートの特攻艇を作っていたそうだ。

船浮の桟橋に着く時、桟橋の左側の海に面した崖に洞穴が見えた。それを他のツアー客も覚えていて、あれも防空壕ですかとガイドさんに訊いた。ガイドさんは、あれは砲台跡ですと答えた。

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船浮港を出て白浜港へ向かう時、最後のチャンスにその砲台跡の洞穴をグラスボートから撮影した。

グラスボートは白浜港に着き、そこからバスで元来た道を戻る。ただし大原港まで直行でなく、途中由布島へ渡るために近隣の浜辺まで。

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道路脇には、しばしば2本ずつヤシが植えられている。これが一定間隔でしばらく続く。このヤシは背の低いものはトックリヤシに見えるが、背の高いものはトックリに見えない。何か他の種類にちがいない。

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いよいよ水牛車乗り場に到着。私は20年前の沖縄離島めぐりでここの記憶がある。その記憶と同じ所はどこか、違う所はどこか。

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電信柱と電線が由布島まで続いているのを発見。

ツアー客は2グループに分かれて2台の水牛車に乗り込んだ。私は11番水牛車の先頭席だ。

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水牛の名はシンタロウ。私はこの名前を紙にメモするまで忘れずに暗記していようとしたが、暗記の手段として身近な似た言葉からの類推を選んだものだから、ケンシロウなどと余計な名前を思い起こしてまぎらわしくなった。これは類推でなく漢字で覚えるほうがいいと考えを改め、信太郎という漢字を頭の中に思い浮かべた。私はてっきり信太郎だと思っていたが、後でわかった所では慎太郎だった。

慎太郎は人間の40歳台に相当。満員の水牛車を重そうにゆっくり引っぱった。

由布島に着く少し前になって、ようやくおじさんは水牛車先頭の三線格納箱(この水牛車では正面開口部の下にあった。竹富島の水牛車では正面開口部の上に三線が置いてあった)の木蓋をパタンと開けて三線(さんしん)を取り出して「さあみなさん、安里屋ユンタを歌いましょう」と言って弾きだした。安里屋ユンタを歌い終えたら、もう由布島に着いてしまった。

ここで少し話は逸れるが、20年前と今回の水牛車の違いについて考えてみたい。20年前にも私は由布島と竹富島で水牛車に乗った。由布島では、20年前には聖子や桃子やマドンナという名前の水牛たちが、各々じつに個性的で、いつまで経っても同じ辺りでのんびり歩いていて岸にたどり着かないのがいるかと思えば、石も窪地も何のその、車が揺れるのもお構いなしでどんどん我が道を行くのもいると当時のメモに書いてある。今回は、行きが慎太郎、帰りが小次郎という名の水牛だった。お察しの通り近くには武蔵という水牛もいた。でもそれらの名前を20年前ほど面白いと思わなかった。だって水牛がアイドル歌手なら面白いが、水牛が政治家や剣豪ではいまひとつだ。せめて綾小路きみまろとかコロッケとか命名してほしい。今回も水牛にはたしかにゆっくり歩くのと速いのがいて、先に出発したゆっくりのが速いのに追い抜かれたが、それに気づいたのは20年前の記憶があるからで、20年前にはもっと顕著なのがいてツアー客みんなで面白がったものだ。竹富島では、20年前には消防団長兼警察署長のおじさんがガイドになって三線を弾きながら、変に艶っぽい下ネタなど織り混ぜて色々解説してくれたと当時のメモに書いてある。いっぽう今回の竹富島は水牛車の「お姉さん」だったので、艶っぽい下ネタはそもそもありえなかった。
水牛車での三線というと、私にとっては安里屋ユンタだ。20年前には由布島と竹富島のどちらだったかは忘れたが、水牛車おじさんが「死んだら神様よ」というジョーク(?)でツアー客を楽しませた。今回その「死んだら神様よ」というジョーク(?)がまだ存続しているかどうかが私の関心事だった。由布島では上記のとおり、安里屋ユンタは歌ったものの、あっさりと歌って終わった。後の竹富島では水牛車のお姉さんが安里屋ユンタを含めて何曲も弾いたが、「死んだら神様よ」はなかった。しかし今回私はツアー中に3回安里屋ユンタを聞いた。残る1回は3日目夕食の食事会場で。三線を持ったお姉さんが現れて何曲も披露した。その中に安里屋ユンタがあり、歌の前にお姉さんが、さらりとだが「死んだら神様よ」のジョークを口にした。知ってますよねという感じで。

水牛の話は、次回に続く。

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