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標題電子ミュジーク・コンクレート(11) [  標題電子MC(補完計画)]

1. 次の曲「梵鐘」
2. (読み飛ばして)
3. 曲「梵鐘」が意図するもの
4. 次回予告。リング・モジュレーター




1. 次の曲「梵鐘」

最初に作った曲は、途中でギブアップしないように一番簡単な曲にした。西洋音階の曲だけが「音楽」だと信じ込んでいる人にはそもそも曲に聞こえないかもしれないが、たとえばミュジーク・コンクレートだって正しく音楽というカテゴリーに入っている。ましてシンセサイザーという楽器で演奏しDominoとReaperで編集した物が曲でないはずがない。

最初の曲は中学生だった私がタンジェリン・ドリームのルビコンを聴いて、それが私の脳裏で変化したイメージだった。さて次の曲「梵鐘」は、それとは成り立ちが全然違う。中学時代に感性で浮かんだイメージではなく、大学時代に理性で考えたイメージだ。

タンジェリンとの出会い以来アナログシンセサイザーに憧れた私だったが、中学生の小遣いで高価なシンセサイザーが買えるはずがなく、結局私がシンセを買えたのは、世の中がデジタルシンセの時代になってからだった。VCOもVCFもVCAもなく、すでに「実験的発振器」としての側面を失っていたデジタルシンセは「ただの楽器」に成り下がっていた。それでも私はめげずにそれで音作りをした。大作は中途で眠りにつき、数十年ぶりに再開しようとしたらデジタルシーケンサーが壊れていたというのは前に書いたと思う。いっぽう大作でなく小品ならば、曲として完成していた。その小品のうちのひとつが「梵鐘」だ。




2. (読み飛ばして)

完成した小品は2つあったが、どちらもシーケンサーが壊れた時点で再生不可能となった。「梵鐘」以外のもうひとつの小品は、おそらく復刻版を再制作する事もないだろうからついでに書いておく。

当時私は若かったので、神保町の芳賀書店にも行った。芳賀書店と書いても地域ネタになるから別の地域の人にはチンプンカンプンだろう。ここは女人禁制の書店だ。エロ本専用の店として有名なのだ。エレベーターに乗って何階だかに行くと、そこは1フロアがまるまるエロ本の書架だらけだった。一種特別な世界だった。その書架の中に、私は1冊の少女漫画を見つけた。再確認するが、少女漫画風のエロ本ではない。本物の少女漫画だ。考えてみてくれ、エロ本売り場なんて普通、どんなに探してもエロ本しかない。その中身はおおかた想像の通りの物だ。「期待や夢に胸膨らませて」来る男はいないだろう。ところがそういう掃き溜めに、何の因果か美しい一輪の花が咲いていた。私はエロ本なんか買うよりもずっと感動して、それを買って大事に家へ持って帰った。

そのコミックスの最初の収録作品は確か「りる・ろん・ろん」というタイトルだった。数十年前の記憶なのでどこまで正確かわからないが、ヨーロッパかどこかの売れない作曲家がいちおう主人公だ。乗り合い馬車に乗っている。乗り合いだから、いろんな人が乗る。銀行の頭取も乗れば、異国の客人も乗り、ロブスター(売り物?)を持ったばあさんも乗る。そこへ刑事が少女を連れて乗り込む。少女を売春宿から保護してきた所だという。馬車の客も御者も、少女を白い目で見て避けようとする。この後、売れない作曲家の曲作りをみんなで手伝ううちに少女にたいする偏見が解けて馬車は港へ着くという話(端折りすぎ)だが、なんと完成した曲の楽譜がコミックスに載っていた。当時デジタルシンセを購入済みだった私は、この楽譜をシーケンサーに打ち込んだ。それが、完成した小品のもうひとつだ。

曲自体はどこかで聴いた事のあるメロディーで、たぶんウィーンのワルツだと思う。私はこの時、2つの事を学んだ。まず、楽譜を譜面どおりにシーケンサーに打ち込んでもロボットの動きみたいに退屈な演奏にしかならないという事。その演奏には一切の表情がない。溜めも、強調も、さらりと流す部分もない。もうひとつは、ヘッドフォンで音のチェックをするのは危ないという事。前に一度書いたが、ヘッドフォンはスピーカーに比べて音の強弱がわかりにくいので、私は強弱がはっきりわかるまでベロシティをいじった。友達がうちに遊びに来た時にこの曲を聞かせようとした。2人で聴くからヘッドフォンでなく、ここで初めてスピーカーから音を出した。そうしたら、ある部分まで来て音がボン!と大きくなり、友達は驚き私は自分の失敗に気づいた。

上記「りる・ろん・ろん」を再度シーケンサーに打ち込んでコミックスの対応ページ(馬車の客が売れない作曲家を手伝って音符を紡ぎ出すシーン)から絵を拝借して動画を作れば、少しはブログのアクセス件数が増えるだろう。(コミックスは捨てた記憶がなく、きっとまだ引き出しの中にある。)でも、私の関心はアクセス件数にない。もっと大事な、過去の自分のサルベージ、人生補完計画にある。だから私は、他人が作った曲「りる・ろん・ろん」ではなく、自分が作った曲「梵鐘」にとりかかる。




3. 曲「梵鐘」が意図するもの

まず初めにはっきり書いておく。この2曲目「梵鐘」は、前回の1曲目Rubicon-Originよりもさらに「大衆向きでない」。

大学生当時、私はタンジェリン・ドリームのZeitを愛聴していた。中学(高校)時代にはPhaedra, Rubyconが好きだったのに、好みが変わり始めていた。Zeitのゆっくりとした時の流れ、それを夜に布団の中でヘッドフォンをして聴いた。聴きながら心はどこかへトリップし、心臓の鼓動は落ち着いた。

当時の私は、曲のもつビートの意味を考えていた。大昔のどこかの原住民の演奏は、おそらく儀式的な要素を含みつつ、その打楽器によるビートで心臓の鼓動を速め、心を高揚させ、非日常へと誘ったのだろう。現代の曲でもビートの速さは、聴く人間の状態に影響する。速い曲を聴けば基本的に人は高揚し、スローテンポの曲を聴けは落ち着く。では私自身はどうなんだ。一体どんなビートを求めているんだ。そう私は考えた。

私が求めていた物は、大昔のどこかの原住民がやっていた魂の高揚と対極の位置にある「静」の音楽だった。曲のテンポをゆっくりとし、それを聴く自分の心臓の鼓動を静め、自分の存在を周囲の物理的存在に溶け込ませ一体化し、涅槃の地へ至る。そのための手段としての音楽。それが当時の私が目指す物だった。

そういう曲を作るとして、どんな音を採用するか。当時もっていたデジタルシンセを色々いじって、私は偶然に梵鐘らしき音を作り出した。音色のパラメータをいじるうちに、一口に梵鐘と言っても微妙に音色を変えるとイメージが変わる事もわかった。それは時に現実的な鐘の音となり、時にまるで非現実のような、あの世の音となる。こう書くと、これを読む過半数の人は「ボーンという音は所詮ボーンだろ?」と思う。それが普通だ。でも当時の私の感覚は普通を超えていた。それは音楽の聴き方に表れていた。私はタンジェリン・ドリームのStratosphereを聴く時、メロディーを聴いていなかった。楽器音の倍音構成を聴いて酔いしれていた。これはアナログシンセで音を作る人間にとってそんなに特殊な事ではない。楽器音をシンセで作ろうとする時はその音がどんな高調波をもっているかを考えて発振器の波形を選び、さらにフィルターのかけ方を考える。その音作りテクニックが音楽リスニングに移行しただけの話だ。ただ、一般人からすれば理解不能だろうな。

結局、曲「梵鐘」にはメロディーがなく、リズムもなく、音の高低変化すらない。あるのは2つ。音の高調波の違いと、音と音との間にある「間(ま)」だ。この曲は、その2つを全神経を傾けて享受するうちに精神と心臓の鼓動が静かになり、トリップしつつ眠りにつけるという物だ。その時の体調や精神状態により、曲を最後まで聴かないうちに眠り込んで朝を迎える事もある。あるいは最後の梵鐘の音を聴くまで目が覚めている事もあるが、その時すでに心も体も静かになっており、眠る少し前だ。

私という人間は考案者だから、何も言われなくても初めから上記の事を知っている。しかし私以外の人間は、それを初めに理解しておかないと大きな誤解をする。「なんだこれは。音が1つだけボーンと鳴ったら、後は何も音が出ないじゃないか。忘れた頃にまた1つボーンと鳴った。これはMIDIデータの設定を間違えたまま演奏させたんじゃないのか?」と、曲が間違っており自分が正しいと信じて疑わないだろう。しかし実際には上記の通り、この曲はそれで正しい。




4. 次回予告。リング・モジュレーター

梵鐘の音といえば、アナログシンセではリング・モジュレーターだ。MS-20のリング・モジュレーターは(内部構造は別として)表面を見ると入力が2つ見当たらないという変なリング・モジュレーターだ。私はこれからそれに取り組もうと思う。

ところで、そろそろ記事掲載の頻度を下げようと思う。今まで、この記事とMS-20のために時間を使いすぎた。人間、仕事とか家事とか、他にやるべき事がある。

それに、上の記事ではまだ書いていないが、曲「梵鐘」の「間(ま)」を決定するには1ヶ月かそれ以上かかる。普通のMIDI演奏や編集の部分はほとんどなく、それに時間はかからないが、それ以外の部分、音色作りと「間(ま)」の取り方は、ほんの一時期だけの自分の感覚を信用してはならない。暫く何もせず、忘れた頃にもう一度試して音色と「間(ま)」が適切かどうかをチェック。それもまたその時だけの精神状態による間かもしれず、さらに暫く何もせず、忘れた頃にまた試すという、ものすごく長い試行錯誤の時間が必要になる。あなたにとって「ただのボーンという音」や「なんにも音の出ない時間が続く」でしかない物も、創る私にとっては自分の体を実験体にして何度も試した結果なのだ。そういう事情で、今後の記事掲載は頻度が下がるだろう。

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