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記録 [  標題電子MC(補完計画)]

私の「人生補完計画」は、実はものすごいスピードで進んでいる。カセットテープ音声のデジタル化が終わったのはご存じのとおり、VHSビデオテープ録画のデジタル化も実はとっくに終わっている。今は、そこから派生してVHSビデオのHi-Fi音声トラックにダビングしたLPレコード音声(これもデジタル化は終了)のレコードジャケット写真がネット上にあればそれを取得(これもすでに終わっている!)したが、そこからさらに派生して、プログレッシブ・ロックにかんしては昔自分が出会わなかった曲の中に好きな曲があったのではないかと探求する段階にまで来ている。これもほとんど終わった!PCの前に毎日座りすぎて目が疲れ肩が疲れ腰痛が出そうになりそれでもやめなかった!ついにお尻が変調をきたし、それでここ数日は作業のテンポが落ちている。

数日前にアモン・デュール(I)と出会い、ド下手な演奏でも皆であらん限りの羽目外しをして叫んでいる姿が心に響いた。そこに、私の求めるものがあった。といっても私がヒッピーになるわけがなく、学生運動をするわけがなく、別の意味でだ。私はまた子供の頃のように曲作りに憧れ始めた。私の場合はタンジェリン・ドリームの影響が強いので、それはアナログシンセによる曲作りだ。

私の子供の頃のアナログシンセへの憧れとは何か。10万円くらいしたMS-20が当時親からもらう小遣いで買えるはずもなく、私がシンセを買えたのは、シンセがデジタルになってさらに安価で手に入るようになってからだった。音の出し方も音自体も、アナログ時代とは変わってしまった。それでも私は音を作るべく、デジタルシーケンサーも買った。自分の頭の中にあるイメージを着々とシーケンサーに打ち込んでいった。それから数十年が過ぎ、天袋に入っていたシーケンサーを出してみたら、すでに壊れていた。だからフロッピーに入っていた音楽データも読み出せなかった。その他にも、シンセやシーケンサーを手に入れるよりもはるか昔に、頭の中にイメージした音と、それを表現するレコードジャケットのイメージがある。音のほうは(シンセがなかったので)残せず、ジャケットイメージは画用紙に絵の具で描いた。

さて今、私は何がしたいのか。初め私は苦悩した。子供の頃には、たとえ他人の音楽から受けた印象ばかりが強い亜流でも、頭の中に音が響いた。それを形にしようとした。ところが「おじさん」と化した今の私は、もう頭の中に音が響かない。これでは曲が作れない。昨日、布団の中でもう一度考えた。私にはもう曲が作れないと再認識した。それに、作れない曲のために四苦八苦するのが楽しいわけがない。充実するわけがない。では私は何がしたいんだ。何が楽しいんだ。子供の頃に作っていた未完の曲を完成させたい。子供の頃にシンセがなくて形にできなかった音のイメージを形にしたい。子供の頃に一度作ったのにシーケンサーが壊れて再生不可能になってしまった曲をもう一度作りたい。

お気づきのとおり、これは初めからゴールが見えている作業だ。新たな曲が頭に浮かばないのだから、過去の曲を形にした時点で私の作業は終わる。他の人が次々と新しい曲を作ってゆくような創造的作業ではない。でも他人が何だというのだ。もともと人に聴かせる曲を作るのではない。私が形にするのは、子供時代の、西洋音楽の基礎知識もなくただ頭に浮かんだ音を形にしたいと望んだだけの、それなのだ。他人は誰一人聴きたがらない曲を、私はただ自分自身のために、再現するのだ。

子供の頃の私はミュジーク・コンクレートにも憧れた。作りたい曲は自然音ばかりで構成されるのではないが、時には素材として自然音が必要になる。ただし自然音は季節により得られる音が違う。私が欲しいのは夏の音だ。今はもう夏が過ぎてしまったので、本格的な作業は来年の夏を待たねばならない。私はそれまでに、少しずつ曲実現のための手順を考えたり、電子音などの季節に関係なく作れる部分を作っておいたりしよう。

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