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また酒を飲んでしまった。その理性的分析。 [痛風日記]

恥ずかしいから書きたくなかったが、ブログ記事は私の闘病記録でもあるから自分に嘘をついちゃいけない。

「酒を飲んじゃいけない病気なのに、どうして酒を飲むんだ。」と言われそうだが、残念ながらそれは逆だ。酒を飲まねばならない状態が続いたから病気になってしまった。そして、治療を始めても、酒を飲まねばならない状態が終わったわけではない。

「でも、ブログ記事に痛風のことを書き始めてから去年の11月までは、1か月に1回だけの飲酒で、本数も少なく済んだじゃないか。」と言われれば、その答えは、私の生活不安は季節により増減する。言うまでもなく社会は4月から新年度で、それに向けて動き出すのが前年の12月からだ。たとえば会社がリストラをしようとするなら、3月になって急に告知するのは会社自体のためにならない。あらかじめ告知しておくのが会社の立場を守れる。これはほんの一例だが、とにかく12月あたりから人生の悪い意味での変化が、もしあるならば始まる。そして、仮に人生の悪い意味での変化がなくても、人は「今年はあるだろうか」と気に病み始めるから、毎年12月あたりから心が病み始める。

「酒なんか飲んで、何かが変わるのか?」と聞かれれば、変わる。これについては、細分化して考えなければいけない。酒は、気分の増幅剤だ。飲酒前の精神状態いかんで、何が増幅されるかが決まり、これは大事だ。

目の前に恐怖の対象があって逃げられない時は、飲酒によってその恐怖が増幅されてしまうから飲んではいけない。そういう時は辛くてもじっと耐える。いっぽう、不安材料が曖昧な場合もある。今日何かがあるのではなく、1か月後とか近日中に何かがあるかもしれずそれを恐れている場合。恐らく何かがあるが、それが自分の生活にどれほどの脅威となるかがまだわからない場合。わからないけど不安に押し潰されそうな場合。今すぐ恐れなくてもいいと頭ではわかっていても、心が不安に取りつかれてどうにもならない場合。そういう場合は、飲酒で不安を一時的に忘れられる。ただしそれにも方法がある。

まず、楽しめる何かを用意する。酒は気分の増幅剤にすぎず、それ自体が楽しいのではない。自分が楽しめる何かがある時、その楽しい気分を増幅してくれる。

飲み始めたら、余計なことをせずに楽しみに没頭する。これは、飲み終わった時に「実に楽しかった」と満足するために必要だ。飲み始めても好きなことをせずに「ちょっとあの仕事をやってから」などと思うと、結局楽しむ前に酒が終わってしまい、何のために飲んだんだと後悔することになる。

飲み終わった後、飲酒量が少ないとそのまま目覚めており、飲酒量が多いと寝てしまって数時間後に目覚めるが、どちらの場合も飲み終わった後が一番大事だ。飲酒中に楽しいことに没頭して不安を忘れていると、飲酒後に突然その不安を思い出すものだ。これはとても恐ろしい。ではどうするか。不安を完全に思い出すよりも前に、自分に与えられた仕事をせよ。それは家事かもしれないし、届いた手紙の整理かもしれない。その時に目の前にあるやるべきことをせよ。それを、不安が不必要に増大しなくなるまで続けよ。うまく行けば、飲酒前には心が不安に取りつかれてどうしようもなかったものが、飲酒後にはものごとを冷静に見られようになっていることもある。もっとも、いつかまた不安はやってくるだろう。

飲酒にはリスクがある。病気になる。どんな病気になりやすいかは人によって違うと思われる。たとえば痛風になりやすい。たとえば痔になりやすい。心が辛くてリスクを承知の上で飲まずにいられないという条件が、飲酒の大前提でなければいけない。

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