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最後のブラウン管テレビ [  PC-98x1(補完計画)]

最後のブラウン管テレビ
(=パナソニック製品と格闘中(9))

前回の記事の後、私は仕事で使う動画をチェックしようと、新しく買ったテレビに映した。すると、動きが大きい部分だけ被写体がボヤーっと見える気がした。それを見た私の脳裏にまた後悔が蘇った。

その後悔とは、新しく買うテレビやディスプレイが、買うたびに満足度が上がるのでなく、買うたびに満足度が下がるという後悔だ。発端は昔、古い4:3ブラウン管テレビをイヤホンジャックが壊れたというだけで新しい16:9平面ブラウン管テレビに買い替えた時に後悔は始まった。その買い替えたテレビが初期状態では陰影が薄く人の顔が平面的に映るテレビだった。でも私は苦労して裏のつまみを調整し、ギリギリ「暗すぎて黒く潰れることなく、明るすぎて白飛びすることもない、人の髪の毛が一本一本認識できる状態」にすることができた。だからこのテレビは調整の結果、満足できる絵になった。唯一の不満は「物が発光する時に光っているというより白いという映り方をする」ことだが、他は満足し、私は末永くこのブラウン管テレビを使うつもりだった。ところが新しく買ったBDレコーダーにはアナログ出力がなく、せっかく満足していたブラウン管テレビを手放さなければならなくなった。新しく買った液晶テレビは、ダイナミックというプリセット画質だと明るすぎるほどで、陰影は薄く、私に平面ブラウン管テレビの初期状態の映り方を思い出させた。でもきっと、コントラストの調整で私の好みに調整できるだろう。これでうまく行ったと思ったが、最後にテストした画面下のテロップが右から左へ動くシーンで文字がボヤーっとして読みにくい。人間の目はそんなものかなと思いつつ試しにブラウン管テレビに映してみたら、なんだ見えるじゃん。そして、どこも壊れておらずそれどころか映り方に満足しているブラウン管テレビを捨てなければならない自分が辛くなった。

どうやら私の頭は疲れてきたようだ。もはや、複数の画面を比較して冷静に違いを認識しようという精神状態ではなくなった。テレビ画面を見るたびに動く物がボヤーっと見え、それを普通だと脳が誤認する事への嫌悪。このままブラウン管テレビを捨てる事への嫌悪。でも自分の部屋を見回すに、この大きなブラウン管テレビ(ブラウン管というのは液晶と違って奥行きがあるので大きい)を置いておく場所はない。今は、夜布団を敷く時にはそのスペースを確保するために、重いブラウン管テレビを載せたテーブルを押し遣る。そして翌朝布団を上げ、雨戸を開ける時にはそのままではテレビが邪魔で雨戸に近づけないので、またテーブルを引っ張って元の場所へ戻す。これを毎日繰り返している。もう少しわかりやすく書くと、自室の真ん中にブラウン管テレビを載せたテーブルが居座っている。このままでいいわけがない。でもブラウン管と永遠に別れて、動く物が永遠にボヤーっと見えるのは嫌だ。このテレビを捨ててしまったら、もうブラウン管はない・・・

いや、違う。ブラウン管はまだある。PC-9821のモニター。幸いにも私にとって大事なのは今どきの動画ではない。大昔のVHSビデオテープ時代のテレビ番組こそ私は大事で、それはPCのハードディスクに入っている。それがPC-9821で鑑賞できれば、ブラウン管テレビで鑑賞できることになる。

私が現在PCで使っている動画プレーヤーはGOM Playerだ。このプレーヤーについてはネット上で批判も見るが、ひとまず便利だという所までは事実だ。でも私のPC-9821に入っているOSはWindows98。古すぎてGOM Playerがサポートしていないのではないか。私はネット検索した。Windows98 Second Editionからサポートしているという。果たして私のPCに入っているのはSecond Editionだろうか。いや、そもそもそれでは駄目だ。たとえSecond Editionでも、当時のPCのスペックでは滑らかな動画再生はできない。それなら、ディスプレイだけ使えばいい。動画再生は現在使っているWindows10マシンで行い、その画面出力をPC-9821のディスプレイにつなぐ。これなら、PC-9821マシンのスペックに関係なく、Windows10マシンで再生できる動画は表示できる。以前に「PCの画面出力を今どきの液晶テレビにつなぐことはできるか」と調べた時に、Windows10マシンにアナログ出力端子がひとつあるのを確認していた。

私はPC-9821を出してきた。

pc98disp1.jpg
うーん、PCのディスプレイだからテレビと比べるとずいぶん小さい。でも上に書いた通り、今の私は複数の画面を比較して冷静に違いを認識しようという精神状態ではない。捨てたくないブラウン管を捨てなければならない。その理不尽さに、なんとか自分が納得できる理由を探している。

pc98disp2.jpg
私はPC-9821マシンから画面出力のコードを抜いた。このコードを抜いた事は、今までの人生でなかったと思う。これを買って、最初にコードをつないで、今に至っていたはずだ。こんな端子だった。

この端子が、Windows10マシンのアナログ出力端子と同じだと良いが。いや、たとえ端子が同じで接続できても、Window95時代(上にWindows98と書いたが、マシンにプリインストールされていたのはWindows95)のディスプレイが映るだろうか。今どきのディスプレイとは解像度がすごく違うと思うが。

pc98disp3.jpg
端子は接続できた。次は、映るかどうかだ。Windows10のデスクトップ画面を右クリックしてディスプレイ設定を選択。

pc98disp4.jpg
ディスプレイ「1」の隣にディスプレイ「2」があった。認識されている。

pc98disp5.jpg
表示するディスプレイを変更。おお、うまく行きそうだ。

この時点で私が興奮したからなのか、Windows10でGOM Playerを使って動画を再生した画面はデジカメ撮影がピンボケになってしまったのでUPできない。ひとつ上の画像でWindows10の画面設定が表示されているのだから、当然動画も表示されるというのはわかってもらえるはずだ。

実用的かどうかは別として、私は自分が所持する最後のブラウン管を使って動画を視聴できることがわかった。人生というのは100%成功する事がまずないものだ。その中で、これだけの成果を出せたのは、最高の出来といえる。

実は私はここ数カ月、PC-9821実機の処分を悩んでいた。今の家に永遠にいられるのなら、そんな悩みは不要なのだが。PC-98関係ではすでに優秀なエミュレータが複数あるからソフトはWindows10上で起動できる。キャノワードミニのフロッピーからデータを読み出すという使命も無事に終えた。これで、PC-9821で出来ることはすべて終わったのかもしれないと私は思っていた。ところが、ものすごい使命がPC-9821に与えられた。私にとって最後のブラウン管であるこのディスプレイに、必要とあらばいつでも動画を映し出すという使命が。