SSブログ

孤独へ向って突っ走れ (39) [  PC-98x1(補完計画)]

今回は作業が一区切りなので、個人的な感想・メモをご容赦いただきたい。

当初予定していた部分の解析は、なんと全部終わった。終わったのは当初の部分だ。後から出現した作業が残っているから、まだまだ先は長い。
以前は何年かかるかわからないと嘆いていた作業だったが、私が2つの意味で変わったので、まるで別人のように作業が進み始めた。
私の変化のひとつめは、アセンブラのニーモニックに慣れてきたことだ。最初のうちは私はPUSHやPOPが出てくるたびに次行に「スタックに退避」などとコメントを書いていた。書いていることは正しいかもしれないが、そんな些事はメモするまでもなく頭の中で瞬時に理解して先へ行かなければプログラムの流れは見えない。少し前から、PUSHやPOPの動作が私が記録するコメントに現れなくなった。いま解析しているコードでは、PUSHとPOPの大半は数値の退避だ。それ以外にはわずかに、PUSHとPOPに別のレジスタを使って数値の受け渡しをする。他にはたぶんない。だからPUSHとPOPは処理の大勢を掴みたい時は基本的に無視するようになった。1行や2行ごとに「ニーモニックの動作」をコメントせず、もっとまとまった行数について「結局何がしたいのか」をコメントするようになった。今日は、サブルーチンの逆アセンブル結果を初めからWindows上のWord文書に写して考えるのでなく、とにかくPC-98エミュ内のdias.exeで表示して読み、必要だと判断してからWindows上のWordに写そうとした。
私の変化の2つめは、いま解析中のプログラムに慣れてきたことだ。これを書いた人がどんな書き方をしているかがわかってきただけでなく、ファイルの読み込み、パレットの適用、圧縮ファイルの展開などの重要なサブルーチンが発見されたので、目が自然とそこを中心に動いて見るようになった。小説と違ってプログラムのコードを斜め読みして良いのかどうかは私にはわからないが、良くも悪くも私は今では斜め読みしている。
気分も時と共に変化した。解析を始めた頃の私は意欲が今よりもずっと満々の状態で、その気力で蒸気機関車のように驀進していた。慣れないニーモニックの解読で進みが遅かったが、有り余る気力がそれをカバーした。その後の私は、目の前に新たに出現する作業の膨大さに疲れを感じた。大海原の中にいて、目的地がどこにも見えない気分だった。でも私はプログラミング馬鹿なので、ちょっと気力が回復するとまたすぐに解析を始めた。そのうちにふと、目的地が見えそうな気がしてきた。目の前のコードが何をしているか、少なくとも自分が欲している関係のコードがどこにあってどういう意味かがわかるので、この調子で解析してゆけばどこまででも理解できるんじゃないかと思えてきた。
とはいえ、これが最終段階というわけではないだろう。この先どうなるのか。壁に突き当たるのか、それとも勢いづくのか。それは先に行くまでわからない。今は、健康をおろそかにせず、家事をおろそかにせず、仕事をおろそかにせず、やりすぎに注意しながら先へ進もう。
tt41.png
コメント(0) 

コメント 0

コメントの受付は締め切りました