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レコード音声のデジタル化 個人的記録 (14)(終) [  レコード(補完計画)]

レコード音声のデジタル化が終わった。人生は、一方では予想通りに行かないことが多く、しかしまた他方では、それでも何とか切り抜けてゆけるものだ。

私は前回の記事で「次回の作業が終わったらきっと報告する」と書いたのに、今まで何も記事が書けなかった。では作業にてこずっていたのかというとそうではない。

私は前回の記事で、まとめて作業せずに少しずつ無理なくやると書いたにもかかわらず、実際にはシングルレコードの残りを1日、天袋に上がっていた2級扱いのレコードを1日の計2日で終わらせることになった。私は記事の読者のみなさんに嘘をつくつもりなどもちろんなかった。無理なく少しずつやるつもりだったんだが、人生は予想通りには行かなかった。

さて、ちょうど作業を終えてレコードを仕舞い込んだ後で、ブログ記事に有難いコメントをいただき、針飛びの原因になっている傷はおそらく修復可能だと教わった。仕舞い込んだばかりのレコードをまた出して修復しようか、私は一晩思案した。翌朝、天気予報では晴れのはずだったのに、雨が降って雷まで鳴った。それで諦めがついた。前に書いたが私がレコードを扱うと家人がイライラを募らせるので、今回のレコード作業はここまでとし、いつの日か改めてゆっくりと傷の修復をしてみよう。

それからクリーナーやスプレーを仕舞い込み、レコードプレーヤーを掃除し、今までデジタル化作業を優先したせいで滞っていた色々な仕事や家事を片付けるうちに、こんなに何日も経ってしまった。

前回の記事の最後に、次回こそ「何か人々に喜んでもらえる画像が出せたらいいなあ」と書いた。でも流行歌のシングルレコードはどれもみなネット上にすでに画像があり、私の出る幕がなかった。レアな盤ではなく変な盤でよければ、ひとつ出せる。

布施明。いや、布施明が変なのではないぞ。私がもっている布施明のレコードが、変なのだ。ひとり芝居のB面。レーベルを貼る位置がずれている。このレコードをターンテーブルに載せて回すと、レーベルがまるでフラフープみたいに回るのでちょっと楽しい。
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今回出してきた私のレコードの中で、不名誉なる「カビ大賞」に輝いたのは、どのレコードだろう。岩井小百合は洗ったら取れたから、これは今思えば軽症だった。そうそう、盤面全体にうっすらとカビらしきものが付いていたレコードがある。前に写真を出した「帰ってきたウルトラマン」。歌ってるのがオリジナルの人じゃないから「帰ってきた偽ウルトラマン」というべきか。でもザラブ星人が帰ってきたわけじゃないぞ。カビがひどいだけでなくブツブツノイズもひどかった。この盤はカビが生える前からノイズがひどかった記憶がある。写真は前に出したから、音声を少し出そう。例の、「ウルトラマーーーン」伸ばしすぎの音声だ。オリジナルの歌をよく覚えている人なら聞けばすぐに気づくはず。伸ばした声が、ほんらい間奏のはずの演奏にまでかかっている。オリジナルでは声は間奏の直前で終わるんだ。1番はブツブツノイズがあまりに不快な状態なので出さないほうが良いと思う。聴いてくれる方を不快にさせちゃ意味がない。ブツブツノイズが少しましになってきた3番を出したい。デジタル化終了記念だからLameのVBR最高ビットレート。ブツブツノイズ偽ウルトラマンにはちょっともったいないかも。


でも不名誉なる「カビ大賞」は帰ってきたウルトラマンではない。大賞に輝いたものは、天袋から下ろしてきた2級扱いレコードの中にあった。日本では知られていない海外の変なレコードだ。アシュ・ラ・テンペルのSeven Up。クラウトロックという、変ちくりんで妙ちくりんなジャンルのレコードだ。ウィキペディアによると、

「1973年の3rd『Seven Up』は、LSDのグル(伝道師)、ティモシー・リアリー博士が参加したアルバムである。録音の際には仲間のミュージシャンがスタジオに7、8人もつめかけ、LSD入りのセブン・アップを飲みながらセッションを行ったという。」

それはつまり、この記事を書いている現代の言葉に翻訳すると「アブナいドラッグの師匠を招待して全員アブナいドラッグを摂取しながら作った作品です。」と言うことか。当時はそういう風潮だったらしい。私が好んで聴いたタンジェリン・ドリームも事情は同じだ。当時の国内盤レコードに入っていたライナーノーツでは、時代のせいだろうか、LSDが麻薬だとは書かれていなかった。子供だった私は大好きなタンジェリンがLSDを使って曲を創造したと読んで、自分もLSDというものが欲しいと思った。でもどこを探してもLSDは売っていなかった。なぜだろう、と当時は思った。実はそれは当たり前だった。当時私は長距離通学していたので東京の某繁華街へも行こうと思えば行けただろうが、私はガキだったのでそんな気はなく、ただひたすら自宅と東京の学校を往復する日々だった。その通り道にあるものといえば、スーパーマーケットと文房具屋。これでLSDが買えるはずがない。それに気づいたのは、かなりオジサンになってからだった。一度タンジェリンのことを忘れ、就職して仕事に情熱を燃やし、その後で昔のタンジェリンを何かのきっかけで思い起こし、その時事情を初めて察した。それで私がアブナいドラッグを買いに某繁華街へ走ったかって?いや。もう私にとってLSDは意味がなかった。私は自分の子供の時の感性のすばらしさを評価していた。それが大人になり、しだいに周囲のものに何も感じなくなるにつれて、自分は死んだと思ったものだ。感性が死んだ後でLSDが手に入ったとして、その先に何がある。もう何もない。一番大事なのは感性だった。LSDは子供の頃のあの感性を増幅するものだ。私はそのつもりでいた。感性そのものが死んだら、もうLSDに意味はない。

ところでっ!今は、このレコードがアブナいのはLSDのせいじゃない。カビのせいだ。このレコードをジャケットから出そうとしたが、今回色々なことを体験してきた私だから、レコードを出す前にジャケットの口をちょっと開いて臭いを嗅いでみた。そうしたら、ジャケット内からものすごく「カビ酸っぱい」臭いが漂ってきた!私は本能的にこのレコードをこれ以上触っちゃいけないと感じた。もしもこれ以上触れば、レコード音声デジタル化をしている自室がカビ酸っぱい臭いで充満する。そこで私はそのSeven Upをそーっと自室から運び去り、後でゴミ袋に入れた。今回のレコードデジタル化で処分対象になった唯一のレコードだ。ちなみに、このレコードだけが異常にカビ酸っぱい臭いがしたのは、これが中古レコード(しかも輸入盤)だからかもしれない。新品として買ったならば、それからの自分の管理が盤の状態を決定する。しかし中古だと、以前にどういう扱いをされてきたかはわからない。

Seven Upのジャケット写真はネット上にいっぱいあるから省略しよう。

結局私のもっているステレオもレコードも満身創痍だった。仮にネットオークションに出しても買い手は絶対に現れない。プレーヤーは修理に出して動くようになったが、ダストカバーには子供の頃に付けた傷が2つある。金属部分の一部には錆が出ている。レコードも、子供の頃に付けた傷がいくつもあるレコードが少なくない。ジャケットのシミやカビの被害はほとんどのレコードにみられる。でもこれは私の大事な思い出の品だ。ネットオークションに出すなどありえない。他人には価値がなくても、私にだけはとても価値がある。
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プレーヤーが動作不良を起こしていると知った時、私は修理に出すべきか新しいプレーヤーを買うべきかと考えた。そのことは以前に記事にした記憶がある。性能や使いやすさ本位で考えるなら新しい機器を買うことになる。数十年前の骨董品を修理してどこまでの性能が出るかは未知数だったし、使いやすさならば今どきUSBでじかにPCにつなげるプレーヤーがあり、それどころか演奏するだけでmp3になるプレーヤーすらあるらしい。でも結局私は修理する道を選んだ。私個人にとってはそれが正解だった。なぜならデジタル化作業を進めるうちに、私は自分が求めていたのが単なる曲のPCへの保存ではなく、大事な思い出の品との再会だと認識したからだ。

そもそも私にとって今回の作業は、じつは自称「自室地図」作成の一部だった。「自室地図」とは何か。自分の部屋にある物でも、意外と人は把握していない。「絶対にあれは持っている」と思っていたものが現存しなかったり、数十年忘れていたものがひょっこり出てきたりする。そこで、まるで地図を作るかのように自室を隅から隅まで確認し、どこに何があるかをPCに打ち込む。これで、自分が持っているもの、持っていないものがはっきりし、PCを見れば探し物がどこにあるかがすぐわかる。不要なものを捨てて部屋をスッキリさせることもできる。私は去年からずっとこの「自室地図」を作り続け、レコード関係は最後の大仕事だと思っていた。これはちょっと大変そうだったから、正直尻込みしていた。それが、プレーヤーの動作不良発見、修理、保証期間3ヶ月という事情ですぐにその「大仕事」を始めることになり、無事に終えることができた。思えば有難いことだ。
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