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非常勤が学校に言って欲しい言葉 [非常勤講師外伝]

春になると、私立の多くの大学では全校教員が集まって年度始めの会を開く。その時期は学校によって4月だったり5月だったり色々だ。私はここ数年は出席している。それは職場に忠誠を誓うためではない。自分の非常勤という立場が職場にとってどういう位置づけなのか。自分は何を求められ、何は求められていないのか。来年度の継続雇用の見通しはどうか。それによって身の振り方を決めなければならない。不必要に職場に反感を抱くことも、不必要に職場のために尽くして体を壊すことも、好ましくない。だから出席して状況を判断する。

大学冬の時代が始まった頃に比べると、依然として(それどころか去年以上に)状況が悪いとしても、学校側のパニック状態はすでに収まっている。日本高等教育評価機構の査察が入り、恐らくは目を白黒させながらも、それに対応し審査を通ることでむしろ自信と威厳を取り戻したかのようだ。

さて春の全校教員の会で近年目立つ言葉は、全校教員が一致団結して冬の時代の学校を支えてゆこうというものだ。実際の表現は多岐にわたる。「学校の現状にたいする教職員の危機感が少ないと言われています。」非常勤の場合、複数の職場をかけもちしなければ生活費を稼げない。つまりひとつの職場から得られる年収は生活を維持できない額だ。年収60万円でも、お世話になっているのだから自分に与えられた仕事は一生懸命やろう。でも危機感については、学校の現状にたいする危機感よりも先に自分の生活にたいする危機感をもつのが当たり前ではないか。

学校が教員に学校の現状にたする危機感をもてと言うなら、学校も教員の現状にたいする危機感をもってくれ。私は今まで、学校側から雇用継続にたいする真摯な言葉を聞いたことがない。学校側は我々に学校の事を考えろと要求だけはして、非常勤がどんな生活不安を抱えているか、自分たちが非常勤を年給に換算していくらで雇っているのかは恐らく考えたこともない。そして毎年春になると、それまで一緒に働いていた非常勤が数人消えている。その中には栄転の場合もあるが、契約期間満了に伴うさよならもある。こんな現状で非常勤を本当に学校組織に取り込んで一致団結するつもりがあるのなら、学校にはある言葉を言って欲しい。

「非常勤のみなさんが生活に不安を抱いているのは知っています。学校側でも安易に切り捨てることはしませんが、この冬の時代にはやむをえない事もあります。その時には真摯に事情をご説明しますので、ご理解ください。」

たったこれだけの言葉を言われただけで、欧米人はいざ知らず日本人はずいぶん心情的に変わるものだ。そして学校はこの言葉を明言したために「安易な」切り捨ては出来なくなるし、「事情をご説明」する義務が生じるために幾分かの透明性が確保される。しかも私のこの提案は学校にとって有利だ。学校はこの言葉を毎年年度始めに言うだけでいい。雇用継続を私は強要していない。でも学校はそれすらしない。いや、恐らく頭の隅に思い浮かぶことすらないのだろう。今の学校は非常勤を見ていないと思う。自分は相手を見ていないでおいて、学校の事を考えろと主張だけするから、学校側の言葉はどうにも現実感のない空回りに終わる。

私は春の会で学校側の話を聞いていると、毎年違和感を覚える。「教職員は一致団結してやってゆこう」というその「教職員」が、どうも自分の現状とずれている。まるで、話が自分に向けられていないような。ここまで考えて毎年ハッと思い出す。この会は全校教員の会だ。専任教員がたくさん来ている。会の話が専任教員にだけ向けられていると考えれば、すべて納得がゆく。こう言うと学校側はおそらく次のように返答する。「専任だけということはありません。非常勤の先生方にも一致団結して学校のために尽くしていただかなくては。」だから私も言い直そう。会の話は専任への訴えかけに主眼を置き、非常勤にも同様のことが「その役職に相応した程度に」求められる。「非常勤はもちろん学校の組織の一員です。でも組織の末端なので、組織はあなたがたのことを意識している余裕がないんです。でもそのかわりに、あなたがたに多くのことは求めません」という意識が伝わってくる。

ここ数年の春の会での私の印象は、「非常勤講師は依然として蚊帳の外」というものだ。
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