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非常勤講師この時期の不安 [非常勤講師外伝]

非常勤講師この時期の不安

例年なら職場からシラバスを書けとか面倒なことを言ってくる時期になった。だが何も言ってこない。私の心の中に不安が芽生え、それがすぐに大きくなった。

少子化で学校は経費を切り詰めようとし、その対策として授業数を少なくし、授業科目のいくつかはカリキュラムから削除するかもしれない。事実、数年前にある学校の私の担当授業はそうして消えた。

私が前年度まで担当していた授業のすべてが削除されるか、経費削減のために専任が担当することになると、私はクビになる。可能性は50%未満だと思う。だが小さな学校法人は突飛な動きをすることがある。言ってしまうなら、経営がもともと下手な上に余裕がなくなったからだ。

私は不安になった。その不安は、最初は職を失うのではないかという不安だったが、じきに起きている間じゅう、何をしていても言いようのない不安が心を支配するようになる。こうなるともう、職を失う不安だか、理由のない生活不安だか、なんとも判別しがたい。

これが、残念ながら今の非常勤講師の現状だ。年度の変わり目には言いようのない不安に支配される。来年度も同じように生きてゆけるのかという不安だ。

その不安に怯えているうちに、友人の母親が死んだ。叔母が死んだ。はっと思う。私はまだ死んでいないではないか。死ぬより幸せではないか。生きている。その職を失ったら即座に死ぬわけじゃないだろう。そう考えて少し落ち着く。でもじきにまた、不安が頭をもちあげる。こうなると心の病気だ。

テレビアニメを見た。別にどうでもいいと思っていたアニメだったがたまたま見た。一護は自分の中の強大な虚が自分を支配してしまうのを恐れた。破面との戦いに負け、仲間を守れなかった。そして塞ぎこみ、自分の中の虚を恐れ、立ち直れなくなった。ルキアが言った。何を悩んでいる。破面に負けたことか。仲間を守れなかったことか。それとも自分の内にある虚か。破面に負けたのを悔やむなら、強くなればいい。仲間を守れなかったのを悔やむなら、強くなって今度こそ守ると誓えばいい。自分の内にある虚が怖いなら、虚を打ち破るほどに強くなればいい。

自分の中の強大な虚を打ち負かすことはできないと、私はどうして思い込んでしまったんだろう。勇気づけられた。録画しておかなかったのを悔やんだ。でもじきにまた、不安が頭をもちあげた。

次に私がやったこと。それは、電話をかけた。例年ならシラバスを書かなきゃいけない時期なのに何も来ない。大丈夫なのか、と。

不安な人間とは何だ。
それは受身の人間だ。

受身になるな。待つな。ただ待っていると人間は不安になる。自分から行動しろ。

今の私は変だ。たとえこの職を失っても、すぐに死ぬわけじゃない。私には株取引もある。きっと生きてゆける。それなのに、この職を失うことを恐れている。今まで私に迷惑をかけ続け、居心地が悪く、専任になって一生ここに縛られることに嫌悪感すら覚える職場なのだぞ。それなのになぜ失うことを恐れる。変だ。これは心の病気だ。「職を失うのが怖い」というのは自分の心が作り出した妄想ではないか。

実際には、以前に学校という職場にしがみついて生きていた時、その職場からひどいことをされて突き放された時の恐怖心がいまだに心に巣食い、「言いようのない、理由のない不安」を形成しているというのが正しいと思う。一護の心の中の虚に似ている。自分が強くなり、打ち破る他に道はない。


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