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学問について考える [非常勤講師外伝]

1月7日に湯島天神に初詣に行きました。ここは合格祈願でたくさんの人が訪れます。学問の神様菅原道真公が祀ってあるそうです。でも私の心からの願いは少し違いました。「本当の学問って何ですか。教えてください。」

私は時にアカデミックなものに疑問を感じます。最近こそあまり見ませんが、昔は大学で学術研究をしていることをまるで偉いことをしているように思っている教授がいました。その人のしていることは社会に何の恩恵も与えず、ただ趣味のように延々と研究し、学会で発表し、でもそれは収入と直接の関係はない。大学はその教授が研究しているものの内容は理解できないから、ただ論文の数だけ見て給料を支払う。ある学生は、大学の先生は自分の研究したいことを勝手に研究して給料をもらっているものだと思っていました。これが、その年のあるクラスでいつもいちばん前に座っていた真面目な学生の考えです。

もしこれが学問ならば、学問に意味なんかあるのか?

私自身、思考の糸をつむぎながら書きたいので、少し回りくどいですが色々書かせてください。たとえば、新しい天体を発見した、というのは、意味のあることです。新しいものを発見したのだから。

ところが「冥王星は惑星かどうか」の議論は、私にしてみればかなりつまらない部類です。なぜなら、冥王星が惑星であってもなくても、冥王星はそのまま存在し続けます。ただ人間の分類上の都合で議論したにすぎません。その結果に世界中の人間が振り回されて書物の記述を書き換えるなどしなければならないことには、むしろ迷惑しています。

私が最も理解できないのは文学研究です。文学自体は作家が著述した作品で、それは人間の文化です。だからそれは結構。でもそれをいじり回した挙句に現代思想と不気味に結合させるなどして遊ぶのは、自分たちだけが納得して喜んでいる高尚な趣味にしか思えない。

昔からこの手の不思議なことは時々行われていました。フロイトは小説の中の人物を心理分析してみせたことがあります。これは私には意味不明です。なぜなら、小説の中の人物は小説家の意思次第でどんなにでも奇想天外になれます。現実の人間とは違うのです。それどころか、意図的にフロイトの説に当てはまらないようにと創作することだってできます。たかがフィクションです。そんなものを心理分析してどうすんの。

あるいはまた、一次創作物、二次創作物という考え方を使わせてください。自然科学では、研究の対象は自然界であって創作物ではないから、研究自体が一次創作物です。哲学、現代思想、法学、経済学も、対象は人間が生きることそのものだからこれは創作物とはいえず、その研究が一次創作物です。ところが文学研究は、小説が人間の手による一次創作物だから、文学研究はいわば二次創作物となります。この時点で、他の学問とは違い立場が弱いと思えます。ある文学者が言いました、「ノーベル物理学賞は物理学者に与えられるけどノーベル文学賞は文学者でなく作家に与えられるのはどうしてだ」と。私は即座に思ったものです、そりゃ当たり前だろう。文学論文は二次創作物だからなあ。その論文にいかに作品としての自立性があろうとも、そもそも立場が弱いよなあ。

学者というものは、職業でないような気がします。パン屋はパンを売って利益を得ている。だから仕事。医者は患者の治療をして利益を得ている。だから仕事。学者はどんな仕事をしている? 利益を得るためにどんなことをしている? 例外はあるけれども、多くの学者は他人には何の意味もない研究をしている。それを買ってくれるお客なんていない。変わり者ねと人に陰口を叩かれながら、まともに稼ぐことに意欲を見せず、自分の趣味に没頭している大きな子供だ。

最近は少子化などで学校の経営が苦しくなり、学校は人の気を引くために、企業の第一線にいる著名人を招いて講演を行ったり、今までは学校と直接関係のなかった著名人を学校に取り込んだりしています。私が最初に書いたような、誰も認めてくれない研究の上にあぐらをかいて威張っていたタイプの教授は世の中の変化に肩身の狭い思いをしていることでしょう。アカデミックな姿勢をかなぐり捨てたような学校の変わりようは極端ですが、それでも上記の教授殿にはいい薬です。

色々書きましたが、私がどれだけ色々なことを、私なりにいっしょうけんめい考えているかは伝わったかもしれません。私は学問というものに懐疑的ですが、だからといって全部敵に回すつもりではないのです。だから湯島天神の菅原道真公には、もしも私が感服し納得する学問の姿があるのなら、それを知る機会をお与えくださいと願ったのです。

ちょうど初詣と同じ日にテレビで、カンボジアの地雷を撤去するために機械を考案し、製作された機械でカンボジアの地雷を自ら撤去する日本人エンジニアが紹介されました。私にはまるで、「誰の役にも立たない研究の上にあぐらをかいている学者」の対極に位置する人のように見えます。


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