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日記 [ここは地獄の3丁目]

生まれた時から住んでいる今の家を出て、今より部屋が狭い団地へ転居するために、たくさんの思い出の品を置いて行かなければならないのは辛い。

どの品を持って行き、どの品を置いて行くかをあらかじめ決めておかなければ、いざという時に私はパニックになる。

先日は、押入れの収納引き出しの中にある思い出の品を選り分けた。結局、実用になるもの数点だけを持って行き、その他の全部は置いて行くことになった。そうしなければ、狭い新居に入りきらない。辛い。

持って行くのは、ペンチ、ニッパー、ラジオペンチ。私は子供の頃、ラジオ作りなどの「電気いじり」が趣味だった。ニッパーとラジオペンチはそのための必需品だった。これらは新居でテレビのフィーダ線を加工するなどの時に必要になる。その他にも半田ごてやテスターがあるが、もう使わないから置いて行かなければならない。

私はふと思う。大事なものを捨て去って、何のためにこの先生きるのだろう。

それはそれとして、良いこともある。良いことも書かねば片手落ちというものだ。読まなくなった本の一部を、私は押入れの収納引き出しに入れていた。宮沢賢治の童話と詩集、志賀直哉の短編集、眉村卓のなぞの転校生。私はこの他にも、友達から薦められた本も含めて沢山の本を読んだが、今まで数十年の整理整頓のたびに捨て、昔から持っている上記の文庫本だけが残った。それらの本には思い出があるから捨てられなかった。その本も、転居時には置いて行くことになる。

私はせめて、写真に撮ってPCに保存することにした。そうすれば、転居の時に後ろ髪を引かれなくて済むだろう。

ここで私は妙な告白をしなければならない。たしかに、昔の思い出の品と別れるのは辛い。別れの時に備えて写真に撮るのもまた辛いことだ。ところが他方では、こんな別れのことを考えなければ、私は日々の煩雑なことに追われて、これらの品を思い返すこともなく、ましてや押入れの収納引き出しから出して見ることはなかった。狭い新居に移り多くのものを置いて行かねばならないという恐怖の出来事が、昔の思い出の品との再会につながった。妙だ。

スキャナでのデジタル化は大変なので、今回していない。デジカメ撮影だ。少し前に私は、これからはデジカメをやめてスマホで写真を撮るとブログに書いたから、今回のデジカメ撮影と矛盾する。スマホは画面をタップしてシャッターを切るので、撮影専用に作られたデジカメに比べると撮りにくい。タップでシャッターを切るつもりが新しい場所にピントが合っただけでシャッターが切れなかったりと、「ここ一番」の撮影では私には使いにくい。それで今回はデジカメを使った。

私のデジカメは前にも書いた通りに色がちょっと薄くなる。そこで、PCに取り込んでから実物の本と見比べて色の調整をした。これが、面倒といえば面倒だが、うまく行きはじめると楽しくなる。実物とほぼ同じ色調になった時は嬉しいし、完全に同じにはできないということが、やがてわかってくる。すると、どこまでで妥協するか、自分の手腕の限界を見極めて色を決めるのが、ゾクゾクする楽しさになってくる。元々私はPCを使ったこういう作業が大好きだから。最近は足腰が弱くなってPCの前に長く座れずに控えてきたから、たまにこうやって作業すると嬉しい。

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セロ弾きのゴーシュは、この色だ。

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宮沢賢治詩集は、この色で妥協した。地の色をそっくりに調整すると、真ん中にある賢治の写真の色が変になる。それが私の「いいかげんな」調整方法での限界だったので、妥協した。

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なぞの転校生。宮沢賢治の文庫本4冊と志賀直哉の後で、ちょっと疲れていいかげんになった。でも大体この色だ。

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巻末の「解説」は、なんとあの手塚治虫が書いている。

20年くらい前には、天袋や押入れに入っている沢山の思い出の品について、私は次のように考えていた。「仕事をしているうちは、日々の生活は仕事中心で動き、思い出の品を見ることはあるまい。しかしいつか年をとって退職したら暇ができるので、そうしたら思い出の品を出してきて毎日愛でてやろう。」ところが現実は、人生半ばにしてリストラ宣告や転居の話があり、「いつか年をとって」どころではなくなった。思い出の品を出してくるのは何十年も早まり、明日は、この先は、どうなるのか自分にもわからない。とにかく私は明日もまた作業をする。いざという時にパニックにならないように。